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    hon***** 11月15日 18:49

    奈良の富雄丸山古墳 円墳では国内最大と判明
    11月15日 17時46分
    奈良市にある円墳と呼ばれる丸い形をした古墳、富雄丸山古墳が、市が行ったレーザーによる詳細な測量の結果、直径が110メートル前後と円墳としては国内で最大であることがわかりました。
    奈良市の富雄丸山古墳は、石製の玉や銅の腕輪などが多数出土している、4世紀後半に作られた大型の円墳で、昭和47年の調査に基づき直径が86メートルとされてきました。

    ところが奈良市が来年度の発掘調査を前に、ことし5月から8月にかけて上空からレーザーを当てて地形を詳細に計測したところ、直径がこれまで考えられていたよりも20メートル余り大きい、110メートル前後であることがわかりました。

    これは、円墳では国内で最大とされてきた埼玉県行田市の丸墓山古墳の直径105メートルを上回り、国内で最大だということで、当時の古墳文化を知る手がかりになるとして注目されています。

    調査を行った奈良市埋蔵文化財調査センターの鐘方正樹所長補佐は、「古墳のうち前方後円墳や方墳は、最大のものが関西にあったが、今回、円墳についても奈良に最大のものがあったことがわかり、かつて古墳を造る文化の中心が関西だったことが改めて証明されたのではないか」と話しています。
    NHKより引用

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  • 皇太子さま、登った山は170以上 陛下との思い出も
    2017年9月21日15時27分
    ガイドとともに、天狗岳の山頂に到着した皇太子さま=21日午前8時38分、長野県茅野市、代表撮影
    写真・図版
     皇太子さまが登った山は170を超す。富士山や南アルプスの白峰三山など3千メートル級も踏破してきた。

    皇太子さま、天狗岳登頂 3度目の正直「大変うれしい」
    「山の日」特集
     最初の登山は5歳の時、長野・軽井沢の離山(はなれやま)だった。雑誌「山と渓谷」の1996年1月号に寄稿した「山と私」と題したエッセーに、天皇陛下を「父」と表現して「登山を始めたころの私は、(中略)図鑑を片手に、植物を見つけては立ち止まる父のペースをいささかじれったく思ったこともあった」とつづっている。登山の楽しみについては「自分をゆっくりと大自然のなかにおき、動植物や地質を観察し、自然の恩恵に浴すこと、そして、個々の山の歴史に思いを致し、登山の行程全体を楽しむことである」と記している。

     八ケ岳山岳ガイド協会の竹内敬一会長(63)は2005年、南八ケ岳・権現岳の登山に同行した。皇太子さまは「単に山登りをしているのではなく、なるべく修験道の山を選んで登っている」と話していたという。即位すれば容易に登山は出来なくなるとの見方もあるが、「できれば登っていただきたい。せめて裾野から山を眺めるなど、少しでもご趣味を続けていただければ」と話す。


    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835561/cojfdaaa5sa1a6cojfd9tc0afa4ka4da4a4a4fa1ya1ya1y/1/2324

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/r2bbvoabfmeaa4hbcygobf9qa4n5bfoga1ya1ya1ya1ya1y/1/631

  • >>3368

    仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産国内候補に 大阪

    日本最大の仁徳天皇陵古墳など百舌鳥古墳群

     文化審議会は31日、平成31(2019)年の世界文化遺産登録を目指す候補として、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」を選んだ。来年2月までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、31年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける見通し。

     同古墳群は堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野、藤井寺両市に広がる古市古墳群の総称。古墳群は、国内最大規模の「仁徳天皇陵古墳」(堺市、全長486メートル)や応神天皇陵古墳(羽曳野市、同425メートル)をはじめ、古墳時代最盛期の4世紀後半~5世紀後半に築造された49基で構成する。全長200メートルを超える前方後円墳は全国に約40基あるが、11基が立地する。

     堺市など地元自治体は、古墳群について、「天皇陵を中心に、約1600年前の姿を今に伝えている」などととして推薦を求め、文化審議会で審議されたが、見送られていた。

     このため、今回は「仁徳天皇陵古墳」をはじめ、大小さまざまな形が存在する古墳群は他に例がないとする「多様性」をアピールしたことが結果に結びついたとみられる。産経新聞より引用

    http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n1.html

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3339

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3348

    仁徳天皇は、難波の高津宮にあって天下を治められました。
    ある時天皇は高い山に登って、四方の国を見ておっしゃいました。
    「国の中に、米を炊く煙が立っていない。民は皆貧しいのだ。よし。これから三年の間、租税を免除せよ」

    後にふたたび山に登って四方の国を見ると、民の家々から炊事の煙が立ち上っていました。「よし、民は豊かになった」ようやく課税を再会しました。こうして人民は富み栄えました。よってその御世を讃えて聖帝の世と言いました。

  • >>3421

    うんうん、どうしようもない歴史音痴の低能児
    ▼無知アホ糞馬鹿 bokeogata_yurina 糞糞には、
    そうだろうよ!(笑)

  • 日本史のスレッドにあるいろいろ投稿を読んでいて一番感じるのは、ginga123123=ginkan12345の鬱陶しい投稿が、どのスレに行っても散らばっていることだよね。

    まさにゴミそのものだよ。

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  • 仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産国内候補に 大阪

    日本最大の仁徳天皇陵古墳など百舌鳥古墳群=堺市(本社ヘリから、宮沢宗士郎撮影)

     文化審議会は31日、平成31(2019)年の世界文化遺産登録を目指す候補として、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」を選んだ。来年2月までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、31年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける見通し。

     同古墳群は堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野、藤井寺両市に広がる古市古墳群の総称。古墳群は、国内最大規模の「仁徳天皇陵古墳」(堺市、全長486メートル)や応神天皇陵古墳(羽曳野市、同425メートル)をはじめ、古墳時代最盛期の4世紀後半~5世紀後半に築造された49基で構成する。全長200メートルを超える前方後円墳は全国に約40基あるが、11基が立地する。

     堺市など地元自治体は、古墳群について、「天皇陵を中心に、約1600年前の姿を今に伝えている」などととして推薦を求め、これまでに25、27、28年の3度、文化審議会で審議されたが、いずれも見送られていた。

     このため、今回は「仁徳天皇陵古墳」をはじめ、大小さまざまな形が存在する古墳群は他に例がないとする「多様性」をアピールしたことが結果に結びついたとみられる。産経新聞より引用

    http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n1.html

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3339

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3348

  • >>3348

      山上臣憶良【(憶良に借名の)君臨者・聖武太上天皇】の
      天平【勝宝】折込歌(巻五・八○七)
    銀も金も玉も何せむに【勝】れる【宝】子にしかめやも

     【寓喩】訳=裏意(真意)
    「銀」=【しろがね・銀=斯廬(しろ・新羅の古名)】も
    「金」=【くがね・金(旧金=百済)も】も
    「玉」=【投馬国(とまや ←倒語)、大倭(→ やまと)国の玉(君臨者)】も
    何せむに【勝】れる【宝】子(家来達が転じて)御民(国民)にしかめやも

      【裏意(真意)訳】
    新羅【銀】も、百済【金】も、大倭(やまと)国【玉】も、
    御民(国民)無しには、一体何になるのだろう……。
    御民(国民)あっての、国なんだぞ! 聖武太上天皇

  • 高句麗に続き百済も「中国史」、中国の主張に韓国騒然―米華字メディア

    Record China2017年9月14日12時10分

    13日、米華字メディアの多維新聞によると、中国と韓国の歴史論争は常に敏感な話題となっているが、中国でこのほど、百済が中国の歴史に含まれるとする主張が初めて確認されたことを受け、韓国社会が騒然としている。資料写真。
    2017年9月13日、米華字メディアの多維新聞によると、中国と韓国の歴史論争は常に敏感な話題となっているが、中国でこのほど、百済が中国の歴史に含まれるとする主張が初めて確認されたことを受け、韓国社会が騒然としている。

    13日付の韓国紙・東亜日報によると、中国政府が資金支援し改訂した中国の新しい歴史書で、高句麗や渤海国(唐末)はもとより、百済まで中国史の一部として編入されたことが確認された。

    韓国陸軍士官学校軍事史学科のイ・サンフン教授が12日、「百済歴史編年」「高句麗歴史編年」など「東北古代民族歴史編年双書」5巻シリーズを分析した結果として明らかにした。

    高句麗や扶余の歴史を中国史の年号に従って記述したこの双書の中の「百済の歴史の初期から中国史」という主張は、中国学界で初めて出されたものだ。

    双書の編者で中国長春師範大学の姜維公(ジアン・ウェイゴン)教授は、「百済歴史編年」内の小論文「百済起源問題探討」で、「中国学界はこれまで、百済を韓国史の範囲内としていたが、百済の前期の歴史は事実上、中国史に含まれる」とし、「百済は4世紀半ばに朝鮮半島の漢江流域に移動したが、百済が中国史に含まれるという事実を変えることはできない。紀元前2世紀から4世紀半ばまで漢江流域は中原王朝の所有だった」と主張している。
    Record Chinaより引用


    >日本の支配下にあった時期以外、百済は中国の属国であった。

    日本は、百済の要請を受け、兵站も困難な時代に援軍を派遣しました。

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3339

  • >>3339

    >三世紀前半からの古墳時代は、文字通り日本列島各地で多くの古墳が造られた時期である。
    なかでも巨大古墳はほとんどが前方後円墳だった。
    三世紀前期に纏向遺跡で始まった纏向型前方後円墳の築造は、わずか百年足らずの短い期間のうちに、東は千葉県や福島県など、また西は鹿児島県まで見られるようになった。
    したがって、ヤマト王権の勢力は、すでにこの時期に東北の南部から九州の南部にかけた広い領域に拡大していたのである。<

    間違っている!
    【◆銅鐸圏(燕)】公孫氏の遺跡と、【▲矛圏(物部氏)】難升米や
    【●鏡圏(蘇我氏)】臺与の遺跡とを区別せねばならない!

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  • 日本は文化、文明の発信地でもあった

    三世紀前半からの古墳時代は、文字通り日本列島各地で多くの古墳が造られた時期である。
    なかでも巨大古墳はほとんどが前方後円墳だった。
    三世紀前期に纏向遺跡で始まった纏向型前方後円墳の築造は、わずか百年足らずの短い期間のうちに、東は千葉県や福島県など、また西は鹿児島県まで見られるようになった。
    したがって、ヤマト王権の勢力は、すでにこの時期に東北の南部から九州の南部にかけた広い領域に拡大していたのである。

    古墳時代に造られた仁徳天皇陵は、世界最大の古墳である。
    墳丘の長さは、486メートル、体積は140万立方メートルという大きさです。
    また、二重周濠と外堤を持ち、外堤まで含めると長辺840メートルの巨大な墓域となる。

    それから仁徳天皇陵には、高さ1メートルにも及ぶ大型の円筒埴輪が6万本並べられていた。
    日本列島では、墳丘の長さが300メートル以上の前方後円墳が七基、200メートル以上が三五基、また100メートル以上の古墳が三〇二基(うち二九一基が前方後円墳)確認されている。
    短期間のうちに、夥しい数の巨大な墓が造営されたことは世界史上、類を見ない。
    これは日本国史の大きな特徴の一つです。

    日本書紀の価値観によれば、律令国家成立以前の大和地方を本拠とする統治機構はひとくくりに大和朝廷と定義する。
    ヤマト王権(古墳時代前期)が発展したのが大和朝廷(古墳時代中期以降)であるというのが事実です。

    なお、高句麗の好太王碑文(こうたいおうひぶん)に日本のことを記した文字あります。これによると、四世紀末から五世紀初頭にかけて、日本が朝鮮半島に軍を派遣したそうです。百済を助けるために高句麗と戦ったとのことです。日本の参戦により、高句麗の朝鮮半島統一を阻止し、百済を存続させることができました。この時期から562年までの間、大和朝廷は朝鮮半島南部の任那(加羅)に拠点を持ってました。また朝鮮半島南西部の栄山河流域に前方後円墳が発見されてます。日本列島以外で前方後円墳があるのはここだけです。
    この時代、朝鮮半島南部を大和朝廷は支配していたのです。

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/2026

  • >>3319

    我が国の巨大前方後円墳は、平安時代の日本国・大和朝廷の捏造が在る!
    たとえば、
    倭人里巨大メジャー「55m/倭人里」の、代表的な実例
    http://ginga3396.blog.fc2.com/blog-entry-654.html

  • 大きさ異なる埴輪列…壬生・愛宕塚古墳で確認
    2017年09月06日
     壬生町壬生甲の「愛宕塚古墳」で、先月から発掘調査を進めている愛宕塚古墳発掘調査団が5日、大きさの異なる二つの円筒埴輪はにわの列を確認したと発表した。良好な状態で埴輪列が残る大型古墳は全国的にも珍しいという。

     同古墳は6世紀後半の前方後円墳で、1926年に国の史跡に指定された。今回は「保存活用計画書」策定のため、初めて本格的な発掘調査が行われている。これまで、墳丘を中心に四方から4本の溝(幅1メートル)を掘って調べてきた。

     調査団の田中裕・茨城大教授と日高慎・東京学芸大教授によると、円筒埴輪列は、墳丘下の平坦へいたん面と、その外側の周溝を挟んだ周堤(土塁)の上で確認された。内側の埴輪は直径約20センチ、高さ約50センチで、外側の周堤の埴輪は直径約30センチ、高さ約80センチだった。

     一般的な古墳の円筒埴輪の大きさは同じで、墳丘部と周堤部で埴輪の規格が異なるのは、大阪府高槻市の「今城塚古墳」など全国で数例しかないという。

     内側の埴輪の数は推定約350本。外側は約570本。周堤上からは、円筒埴輪のほか、武人、盾持ち人、馬と思われる埴輪の一部が確認されている。

     埴輪列は墳頂部にもあると考えられ、古墳を三重に回る埴輪列が存在する可能性が高い。

     今回の調査では、墳丘の側面に大人の頭ほどの河原石が並べられた「葺ふき石」と呼ばれる造りも見つかり、現在の群馬方面からの影響がうかがえるという。

     また、墳丘の全長はこれまで77メートルと考えられていたが、82メートルになることや、周堤の外側に二重目の周溝(幅3メートル、深さ1・5メートル)があることも確認された。

     発掘は来年3月まで行われ、今後は石室の位置確認とその周辺も発掘する。今月9日には現地説明会が行われる。

    http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/news/20170906-OYTNT50082.html
    もちろんこの頃には、大和朝廷は日本全国を統治していた。

    https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/f71a6d5833869134098abc1b5fb11e87/1/3290

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