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日本語の起源

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  • 2017/10/19 21:22
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    日本語と韓国語というのは、発音や語順、「助詞」「助動詞」の存在やそっくりな語彙が存在するなど、非常によく似ています。

    日本語と韓国語は、古代には方言程度の差しかなく、互いに意思疎通ができたという話も聞いたことがありますが、そうなのでしょうか?

    アイヌ語や琉球語との関係は?
    そして今話題の「縄文語」とは?

    日本語の起源について、話し合いましょう。

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  • >>37319

    修正します。事実は、もっとすごかったです。

    ■ 「おのごろ」三昧でした。
    ここで、【賛】= 【サンスクリット語】、【民】= 【タミル語】。

    【民】veNNeykkal (= ball of rock 岩 standing on a hill 丘の上に立っている岩のボール, rocking stone 傘岩、ゆるぎ岩) おのごろ
    【民】aNaikkal (= upright stones in a dam ダムの中の垂直石 (TLS)) おのごろ
    【民】Amaikkal (= hexagonal 六角形の tile or stone for flooring 六角形の床タイル) おのごろ
    【賛】anaGgarati (= f. joy of love 愛の喜び; a woman's name.) おのごろだ  --- 古代人は、言葉のお遊びしてますね。
    【賛】anaGgakrIDA (= f. anaGgakrIDA f. amorous なまめかしい、色気がある play 恋する遊び;) おのごろだ
    【賛】anAcaraNa (= n. non-performance of what is right or customary , improper behaviour 不適切な行動; misconduct.) おのごろな
    【賛】anAkArita (= mfn. not claimed 主張出来ない, not exacted 賞賛されない.) おのごろた
    【賛】anAkAra (= mfn. shapeless 形がない.) おのから、おのごろ
    【賛】anAkula (= mf(%{A})n. not beset ; not confused , unperplexed , calm , consistent まとも、整合性の有る, regular 正常、整然とした.) おのくら、おのごろ

    つまり、
    「おのごろ島で、おのごろだ、の行為をしたら、最初のやり方は、おのろごな、だったため、おのごろた、や、おのから、のが生まれた。しかし、やり方を変えたら、おのくら、が生まれた。」 だって。

    http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_T.html#onogoro

  • >>37318

    追加です。

    ■ 日本語の古代人はかなりの暇人。
    ここで、【賛】= 【サンスクリット語】、【民】= 【タミル語】。

    c. インド弁の「おのごろ」の似単語を見繕ったもの(同音異義語群)が下記である。
    つまり、国生み神話の物語は、インド弁のお勉強の同音異義語の教科書を兼ねる。
    「犬も歩けば棒に当たる」が「イヌにイヌればイヌにイヌる」とのインド弁発音になる、のと同類の言葉のお遊びの結果だと分かる。

    【民】veNNeykkal (= ball of rock 岩 standing on a hill 丘の上に立っている岩のボール, rocking stone 傘岩、ゆるぎ岩) おのごろ
    【民】aNaikkal (= upright stones in a dam ダムの中の垂直石 (TLS)) おのごろ
    【民】Amaikkal (= hexagonal 六角形の tile or stone for flooring 六角形の床タイル) おのごろ
    【賛】anaGgarati (= f. joy of love 愛の喜び; a woman's name.) おのごろだ
    【賛】anaGgakrIDA (= f. anaGgakrIDA f. amorous なまめかしい、色気がある play 恋する遊び;) おのごろだ
    【賛】anAcaraNa (= n. non-performance of what is right or customary , improper behaviour 不適切な行動; misconduct.) おのごろな

    c. つまり、「おのごろ島で、おのごろだの行為をしたら、最初のやり方は、おのろごな、だったため、変なのが生まれた」だって。

  • >>37317

    》能古島に、rocking stone がありますか?。丘の上に巨石がありますか?。

    私は「オノコロ島=能古島」という『結論』が気にいっている(先にある)から、「じゃあ、オノコロ=veNNeykkal ではない」ということにしかならんです。
    「真実は闇の中」を認めてくれるなら、キミと議論するような知識はないので、ごめんなさい。

  • >>37298

    >オノゴロ島は博多湾の能古島でいいだろ。

    → ごもっともです。そうかもしれません。真実は、闇の中です。

    しかし、仁徳天皇が歌の中で「淤能碁呂志摩」と、名指ししているのは事実です。

    【タミル語】veNNeykkal (= ball of rock 岩 standing on a hill 丘の上に立っている岩のボール, rocking stone 傘岩、ゆるぎ岩) おのごろ

    cf. らぶ福岡 神に愛された島?
    httpあ://8ninriki.jp/archives/3803

    能古島に、rocking stone がありますか?。丘の上に巨石がありますか?。
    もしそうなら、古代人のイメージと合致しています。

    ----
    補足:阿遲摩佐能(あじまさの)、とは何か?

    【タミル語】aracamATam (= chawli bean ササゲ(黒目豆)、大角豆、(TLS)) あじまさの (r 無音)

    【タミル語】uttamatAn2am (= gift of betel 檳榔(びろう)、椰子(やし) leaves and nut 檳榔の葉と実の贈り物 (TLS)) アジマサもの

    c. 古代インド語からは、檳榔(びろう)のアジマサ、と,小豆(あずき)のアジマサ、の両方共可能性があります。
    feeling としては、豆(まめ)のことをサンスクリット語で MAsa まさ とも言うので、仁徳天皇や当時の人は 「あずきまさ(= アズキ豆)」=「あじまさ」と言っていた (?)。

    詳細は
    http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_T.html#onogoro

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  • >>37303

    ピンポンパン^_^


    > > > > > > > > > > > > ポリネシアに台湾人が行った?
    > > > そして言語を広めた?
    > > > 馬鹿なことを言う人もいたもんだ
    > > > 南米は台湾人より遙かに進んだ文明を持っていたんですからね
    > > >
    > > > > >  Y-O1aが証拠
    > > >
    > > > > あほ臭さ
    > > > Y-O1aの上位Y-Oは東南アジア(インドネシア、ベトナム、マレーシア)にあります
    > > >
    > > >  考古学的証拠もある。この間大枚1万と800円をはたいて買った宮本一夫氏の『東北アジアの初期農耕と弥生の起源』(同成社)を羌初めて第1章21頁の半分10頁を朝食がてら読んだが、2~3臭化于があった。その一つが台湾で、4500年前にコメ(イネとは書いていない)とアワが4500年前に台湾で発見されている。。
    > >
    > > 小田静夫氏の『海上の道』にも5千年前くらいに原始的農耕が始ったとしているけれど、水耕稲作では無い
    > > 熱帯ジャポニカの陸稲ではなかったかな。記憶が定かでは無い
    > > 水耕稲作の開始は2500年前。日本の弥生時代と同じくらい
    > > 日本の弥生時代をもたらした呉の難民によるものかも
    >
    >  いずれにしろ、南島語族の「アウトオブ台湾」仮説には、台湾出自の南島語尾z句が、オセアニアに農耕をもたらしたとするが、その考古学的根拠になる。水稲農耕でなくても農耕民である事に違いはない。まあ海洋民の場合は漁撈民でもあるので、一概に農耕民と言い切るのも問題だが

  • >>37308

    > > > > > > >  いずれにしろ、日本人⦅の⦆形質が北方系が主であり、それが弥生時代以降の渡来の影響のみで説明できない事は、無党派さんも認めざるを得ないでしょう
    >
    > > > > > > 6~7千年前に現れた新モンゴロイドは縄文人とは関わりが無い
    > いや、新モンゴロイドは縄文人から突然変異で生まれた可能性も高くなった
    >
    > > > > >  遺伝学的に無理。突然変異を都合よく解釈し過ぎ
    >
    > > > > 縄文人が北方由来であれ、南方由来であれ、突然変異以外に縄文人と北方モンゴロイドの遺伝子の違いを説明しようが無い
    >
    > > >  西方からの遺伝子流動とか他の可能性もある
    >
    > > > > > > 新モンゴロイドは日本列島から海路で行った縄文人、インドシナから陸路北上したスンダランド人、インド回りで北上、東進したコーカソイドのミックスで生まれた可能性もある
    >
    > > > > >  白人自体が、新モンゴロイドとほぼ同時期に生まれた、というのは無党派さんもお認めだと思うが、であれば、コーカソイド「の祖先集団」(の一つ)であればともかく、コーカソイドそれ自体が、新モンゴロイドの祖先になり得る筈もない
    >
    > > > > 一部混じっただけ
    > 麦を持ち込んだのはメソポタミアから来た人々でしょうからね
    >
    > > >  それは判らない。リレー式に伝播した可能性もある。華北起源のキビが中央アジアや東欧まで拡散している
    >
    > > 砂漠でリレーされたとは大笑い
    >
    >  考古学的事実
    >
    > > > > >  縄文人が新モンゴロイドの祖先集団の一つ、というのも難しい。北回りで日本列島に入った縄文人主流派の「祖先集団」の華北残留組」は当然ある程度の遺伝子流動を、LGM後の北方集団⦅に⦆残している⦅可能性⦆は高いが
    >
    > > > > パプア人の遺伝子が縄文人に入っているのだから無理
    >
    > > > (略)デニソワ人由来の遺伝子ですか?新人起源で、パプア人起源と推測されるものであれば、サフル系から縄文人への遺伝子流動と認め得るが、デニソワ系であれば、デニソワ人は北方に⦅居たの⦆は確実だから、北方で縄文人に遺伝子を流動させた、と言う事になる
    > 昔の検索では、何か特殊なHLA型についての議論だったように記憶しているが、無党派さんと直接議論した記憶はない
    >
    >  何の遺伝子かご教示ください

    知りませんね
    概要が述べられ、教授達がそれに対する評価をして、妥当であるとの評価認定をしている文章を読んだだけだから

  • >>37307

    > (略
    > > > > 私の説「呉の鏡職人が全国に散らばって作り出した」は中国の考古学者王仲殊氏の説を踏襲したもの
    > 王仲殊氏は呉の鏡職人が日本に来て作ったのだろうと言ってましたがね
    >
    > > > よく知っていますよ。王仲珠氏は、巨大銅鐸を作れた日本人青銅器制作者の技量を低評価し過ぎでしょう。逆に後漢盛時以降三国時代を通じて、人口減少時代の中国から、その人口を海外に流出させる、特に貴重な工芸技能者を流出させる、と簡単に考えるような、歴史音痴だと感じました
    >
    > > 王仲珠氏は鏡の製法が中国と全く違うと言ってました
    >
    >  日本の考古学者が、中国製と日本製の相違についていろいろ言っているのはご存知だと思うが、私は基本的に国産だと思うので、そのあたりはどうでもよいが、呉の工人説はアホでしょう

    呉の工人説は王仲珠氏の説で私の説じゃ無い
    王仲珠氏の説の解説をしてあげただけ
    あんたは色々な説を、畿内説の学者が虫食いみたいに拾い上げた本を読んで、理解した気分になっているんでしょうね

    > > それはともかく、三角縁神獣鏡は呉が滅んだ後で全国で作られるようになったので、魏の鏡では無いと言う事を言っている
    > 正しい見解だと思います
    >
    >  上記
    >
    > > > > > > ホケノ山出土の鏡は同向式と言われる楽浪独特の形式であり、萩原一号墳出土の鏡も同じく同向式
    > これは同笵鏡である可能性が高い
    > 年代は萩原よりホケノ山の方が新しい
    > 萩原には430年、楽浪郡滅亡の後逃げてきた人が鏡を持ってきた可能性もある
    > ホケノ山はそのあとになるから450年以降のものと言うことになる
    >
    > > > > > 上記基本的に国産品。但し原型鏡が中国製の可能性
    >
    > > > > 萩原一号墳の画文帯神獣鏡は楽浪郡出土の鏡と同型で作られていることが解っています
    > ですから楽浪で作られたことは間違いありません
    > もっと考古を勉強されることを勧めます
    >
    > > >  銅鏡の製作年代と古墳埋葬の年代が同じである筈もない
    >
    > > だから、楽浪郡で鏡が作られたのは300年くらいで、古墳に埋葬されたのは350年以降
    > つまりホケノ山も、萩原も350年以降の墓で良いのですよ
    >
    >  古墳時代は3世紀中葉から

    それが間違い。
    4世紀古式新羅伽耶土器が作られたとき、畿内は未だ弥生時代だった事は考古学的に証明される
    畿内説の学者はインチキして古墳時代を古くさせている

    > > > 楽浪郡滅亡時の中国人系住民が、百済を飛び越えて日本に亡命する、というのであれば、倭王権が直接関与したと考えざるを得ないが、その場合四国に埋葬されているので、畿内政権が手配したことになる。製作時と埋葬時のタイム・ラグ(伝世期間)がどの程度か不明で何も言えない
    >
    > > 百済建国は350年前後ですから何ら問題が無い
    >
    >  遅すぎ

    上記

  • >>37306

    > > > > > > > > > > 北陸には小松という地名があり、本来高麗津だったと思われる
    > 高句麗から使者が何度もやって来ていたのでは無いか
    > 北陸にはオンドル遺跡もある
    > そのオンドルが飛鳥にもある
    >
    > > > > > > > > > オンドル等高句麗特有ではない
    >
    > > > > > > > > 高句麗で発明されたとされる
    > シベリアにでもあると言うの?
    >
    > > > > > > > 半島南部から伝わったでよい。高句麗で発明された、というのは、考古学的にその地域や時期が特定されている考古学的事実があるのですか?
    >  淀川水系オフ会の時、オンドル遺構を見たような記憶があるが・・・
    >
    > > > > > > 考古学的には沿海州にもあるけれど、渤海国の遺跡ですよ
    > 淀川にも高句麗族は来ていたでしょう
    > 大阪にも飛鳥はありますからね
    >
    > > > > > だったら渤海から直接で良い
    >
    > > > > 渤海国と交流するようになる前ですよ
    > 飛鳥時代は
    > トンチキな言い訳考えるものですな
    >
    > > >  渤海やその鉄利部?との交渉は史実。
    > > 高句麗滅亡前にでも交流は可
    >
    > > 何を言ってんだか
    >
    >  私が半島南部からの伝播で良い、というのに、無党派さんがあくまでも、オンドルは高句麗から直接だ!と頑張るからですよ。で示したのが渤海のオンドルだというから、では渤海から直接伝播下でよい、と言ったまで
    >
    > > 高句麗滅亡後に高句麗を受け継ぐと言う名目で建国されたのが渤海国ですよ
    > 滅亡前に交流が出来るわけがないでしょ
    >
    >  であれば半島南部から、オンドルが伝わった、でよい

    このやろう
    いい加減なことを何時までも言ってんじゃねえ
    チャンと裏付け採ってから発言しろよ
    あんたは自分の発言に責任持てるのか?

  • >>37305

    > > > > > > > > > > > > 日本人に一番多いB52-DR2はモンゴルからの渡来
    >
    > > > > > > > > > > > 「共通の集団が、或る地域から双方へ移住した」のですよ
    >
    > > > > > > > > > > 日本が一番多く、次がモンゴル
    > ある地域とは?
    >
    > > > > > > > > > 華北東部、渤海湾沿岸(西海岸沿い)地域で、アルタイ系と考えられる
    >
    > > > > > > > > 勝手に根拠も無く考えてもねえ
    >
    > > > > > > > モンゴルに近く、また日本への渡来も考えると、渤海湾周辺に焦点を絞らざるを得ないが、(中略)、Y-DNAデータのY-O1b2(旧O2b)系統の分布と農耕・弥生土器の起源等を総合的に考えると、そうなる。南アジア語族が温暖期に北上した時に先住のアルタイ系集団が居たが、彼らがこのHLA型の持主だったと考えられる
    >
    > > > > > > 勝手に考えなさい
    >
    > > > > > Y-DNA、mtDNA、HLA型、弥生土器、日本語全てを矛盾なく説明できる仮説
    >
    > > > > 旧石器、縄文が説明できない
    >
    > > >  倭人=渡来系弥生人で、旧石器、縄文人は、日本語や稲作農耕とは無関係
    > >
    > > 倭人が渡来系弥生人であってもかまわないけれど、縄文人が広く沢山分布しているところに五月雨式にやって来た渡来人が、縄文語を駆逐する事など不可能
    >
    >  現代日本人が、渡来系弥生人御形質を、多く継承していると考えられる事実の説明も必要。灌漑水田農耕が日本語を列島の支配言語にしたと考えれば、良い
    >
    > > もっとも渡来系弥生人も縄文語と全く無関係の言葉を話していたとは考えられない
    > 同じモンゴロイドなのだから
    > 言語は中国だけが異常なの
    >
    > ?中国語も特に異常ではない。文法的に孤立語だという点位以外は、周辺言語との語彙の共通性等当然ある。借用語ではなく同源語なども。

    とても異常。助詞が全く未発達
    英語ならかなりの精度で機械語翻訳できるけれど、中国語は機械翻訳がとても難しい
    何は主語で目的語なのかさえ区別できない
    主語が省かれることも多く、誰が何をしたかさえちんぷんかんぷん
    あんな言語使ってよく発狂しないものだと感心しちゃう

  • >>37303

    あんたの言語学論は馬鹿な連中の話ばかり
    台湾なんか話にならない
    ウィキの台湾の歴史でも4カ所に先史時代遺跡があって、その地域には東南アジアの別の地域から別々の時代に移住してきたことが解っているんですよ
    その言語が現代まで保持されていて、東南アジアの古い言語に似ていた。
    これは考古学的裏付けがある
    裏付けの無いアウトオブ台湾説は誰に支持されていようとも糞説である
    こんな糞説の議論を続けたくないので止めてほしい

  • >>37262

    > > > > > >  いずれにしろ、日本人⦅の⦆形質が北方系が主であり、それが弥生時代以降の渡来の影響のみで説明できない事は、無党派さんも認めざるを得ないでしょう

    > > > > > 6~7千年前に現れた新モンゴロイドは縄文人とは関わりが無い
    いや、新モンゴロイドは縄文人から突然変異で生まれた可能性も高くなった

    > > > >  遺伝学的に無理。突然変異を都合よく解釈し過ぎ

    > > > 縄文人が北方由来であれ、南方由来であれ、突然変異以外に縄文人と北方モンゴロイドの遺伝子の違いを説明しようが無い

    > >  西方からの遺伝子流動とか他の可能性もある

    > > > > > 新モンゴロイドは日本列島から海路で行った縄文人、インドシナから陸路北上したスンダランド人、インド回りで北上、東進したコーカソイドのミックスで生まれた可能性もある

    > > > >  白人自体が、新モンゴロイドとほぼ同時期に生まれた、というのは無党派さんもお認めだと思うが、であれば、コーカソイド「の祖先集団」(の一つ)であればともかく、コーカソイドそれ自体が、新モンゴロイドの祖先になり得る筈もない

    > > > 一部混じっただけ
    麦を持ち込んだのはメソポタミアから来た人々でしょうからね

    > >  それは判らない。リレー式に伝播した可能性もある。華北起源のキビが中央アジアや東欧まで拡散している

    > 砂漠でリレーされたとは大笑い

     考古学的事実

    > > > >  縄文人が新モンゴロイドの祖先集団の一つ、というのも難しい。北回りで日本列島に入った縄文人主流派の「祖先集団」の華北残留組」は当然ある程度の遺伝子流動を、LGM後の北方集団⦅に⦆残している⦅可能性⦆は高いが

    > > > パプア人の遺伝子が縄文人に入っているのだから無理

    > > (略)デニソワ人由来の遺伝子ですか?新人起源で、パプア人起源と推測されるものであれば、サフル系から縄文人への遺伝子流動と認め得るが、デニソワ系であれば、デニソワ人は北方に⦅居たの⦆は確実だから、北方で縄文人に遺伝子を流動させた、と言う事になる
    昔の検索では、何か特殊なHLA型についての議論だったように記憶しているが、無党派さんと直接議論した記憶はない

     何の遺伝子かご教示ください

  • >>37260

    (略
    > > > 私の説「呉の鏡職人が全国に散らばって作り出した」は中国の考古学者王仲殊氏の説を踏襲したもの
    王仲殊氏は呉の鏡職人が日本に来て作ったのだろうと言ってましたがね

    > > よく知っていますよ。王仲珠氏は、巨大銅鐸を作れた日本人青銅器制作者の技量を低評価し過ぎでしょう。逆に後漢盛時以降三国時代を通じて、人口減少時代の中国から、その人口を海外に流出させる、特に貴重な工芸技能者を流出させる、と簡単に考えるような、歴史音痴だと感じました

    > 王仲珠氏は鏡の製法が中国と全く違うと言ってました

     日本の考古学者が、中国製と日本製の相違についていろいろ言っているのはご存知だと思うが、私は基本的に国産だと思うので、そのあたりはどうでもよいが、呉の工人説はアホでしょう

    > それはともかく、三角縁神獣鏡は呉が滅んだ後で全国で作られるようになったので、魏の鏡では無いと言う事を言っている
    正しい見解だと思います

     上記

    > > > > > ホケノ山出土の鏡は同向式と言われる楽浪独特の形式であり、萩原一号墳出土の鏡も同じく同向式
    これは同笵鏡である可能性が高い
    年代は萩原よりホケノ山の方が新しい
    萩原には430年、楽浪郡滅亡の後逃げてきた人が鏡を持ってきた可能性もある
    ホケノ山はそのあとになるから450年以降のものと言うことになる

    > > > > 上記基本的に国産品。但し原型鏡が中国製の可能性

    > > > 萩原一号墳の画文帯神獣鏡は楽浪郡出土の鏡と同型で作られていることが解っています
    ですから楽浪で作られたことは間違いありません
    もっと考古を勉強されることを勧めます

    > >  銅鏡の製作年代と古墳埋葬の年代が同じである筈もない

    > だから、楽浪郡で鏡が作られたのは300年くらいで、古墳に埋葬されたのは350年以降
    つまりホケノ山も、萩原も350年以降の墓で良いのですよ

     古墳時代は3世紀中葉から

    > > 楽浪郡滅亡時の中国人系住民が、百済を飛び越えて日本に亡命する、というのであれば、倭王権が直接関与したと考えざるを得ないが、その場合四国に埋葬されているので、畿内政権が手配したことになる。製作時と埋葬時のタイム・ラグ(伝世期間)がどの程度か不明で何も言えない

    > 百済建国は350年前後ですから何ら問題が無い

     遅すぎ

  • >>37259

    > > > > > > > > > 北陸には小松という地名があり、本来高麗津だったと思われる
    高句麗から使者が何度もやって来ていたのでは無いか
    北陸にはオンドル遺跡もある
    そのオンドルが飛鳥にもある

    > > > > > > > > オンドル等高句麗特有ではない

    > > > > > > > 高句麗で発明されたとされる
    シベリアにでもあると言うの?

    > > > > > > 半島南部から伝わったでよい。高句麗で発明された、というのは、考古学的にその地域や時期が特定されている考古学的事実があるのですか?
     淀川水系オフ会の時、オンドル遺構を見たような記憶があるが・・・

    > > > > > 考古学的には沿海州にもあるけれど、渤海国の遺跡ですよ
    淀川にも高句麗族は来ていたでしょう
    大阪にも飛鳥はありますからね

    > > > > だったら渤海から直接で良い

    > > > 渤海国と交流するようになる前ですよ
    飛鳥時代は
    トンチキな言い訳考えるものですな

    > >  渤海やその鉄利部?との交渉は史実。
    > 高句麗滅亡前にでも交流は可

    > 何を言ってんだか

     私が半島南部からの伝播で良い、というのに、無党派さんがあくまでも、オンドルは高句麗から直接だ!と頑張るからですよ。で示したのが渤海のオンドルだというから、では渤海から直接伝播下でよい、と言ったまで

    > 高句麗滅亡後に高句麗を受け継ぐと言う名目で建国されたのが渤海国ですよ
    滅亡前に交流が出来るわけがないでしょ

     であれば半島南部から、オンドルが伝わった、でよい

  • >>37259

    > > > > > > > > > > > 日本人に一番多いB52-DR2はモンゴルからの渡来

    > > > > > > > > > > 「共通の集団が、或る地域から双方へ移住した」のですよ

    > > > > > > > > > 日本が一番多く、次がモンゴル
    ある地域とは?

    > > > > > > > > 華北東部、渤海湾沿岸(西海岸沿い)地域で、アルタイ系と考えられる

    > > > > > > > 勝手に根拠も無く考えてもねえ

    > > > > > > モンゴルに近く、また日本への渡来も考えると、渤海湾周辺に焦点を絞らざるを得ないが、(中略)、Y-DNAデータのY-O1b2(旧O2b)系統の分布と農耕・弥生土器の起源等を総合的に考えると、そうなる。南アジア語族が温暖期に北上した時に先住のアルタイ系集団が居たが、彼らがこのHLA型の持主だったと考えられる

    > > > > > 勝手に考えなさい

    > > > > Y-DNA、mtDNA、HLA型、弥生土器、日本語全てを矛盾なく説明できる仮説

    > > > 旧石器、縄文が説明できない

    > >  倭人=渡来系弥生人で、旧石器、縄文人は、日本語や稲作農耕とは無関係
    >
    > 倭人が渡来系弥生人であってもかまわないけれど、縄文人が広く沢山分布しているところに五月雨式にやって来た渡来人が、縄文語を駆逐する事など不可能

     現代日本人が、渡来系弥生人御形質を、多く継承していると考えられる事実の説明も必要。灌漑水田農耕が日本語を列島の支配言語にしたと考えれば、良い

    > もっとも渡来系弥生人も縄文語と全く無関係の言葉を話していたとは考えられない
    同じモンゴロイドなのだから
    言語は中国だけが異常なの

    ?中国語も特に異常ではない。文法的に孤立語だという点位以外は、周辺言語との語彙の共通性等当然ある。借用語ではなく同源語なども。

  • >>37300

    > (略)
    > > > > > (略)アジア太平洋地域の共同研究には、南島語族諸集団やネグリト諸集団が多数加わっているにもかかわらず、北方系の集団は、アルタイ語族とされるモンゴル・チュルク・ツングース3語族に古アジア語族が全く含まれていない。アイヌすら入っていない。で、アルタイ系とされて解析されているのは日韓の3~4集団、Korean,Ryukyuan、と本土日本人、JPT(東京の日本人でしょう)のみ。どんな研究も方法論と対象により、結論の確かさは変わって来る
    >
    > > > > 今度は斎藤氏や神崎氏の研究は不正確と言い出す訳ね
    >
    > > >  どのような研究論文も、その方法論や対象の選定からくる「限界」が存在する
    >  現実に北方系諸集団を含まないで、辛うじて含まれている日本人と韓国人のデータから、北上論を言われても、それには限界がある。モンゴルやツングースが西方からの遺伝子流動がどの程度あるか、全くデータがないのですよ
    >  神澤氏の学位論文は三貫地縄文人の物であり、直接的には、アジア太平洋地域の国際共同研究、2005年からPan-AsianSNP Consortium(アジアの10ヶ国90人以上の研究者によるアジア太平洋地域に居住する73民族・集団を対象)の研究とは無関係。その公表されたSNPデータを、三貫地縄文人の対応する部分と比較に使用し⦅て⦆はいるでしょうが、神澤論文からは、南米先住民など⦅他⦆論文からのデータも参照されている
    > > >  斎藤氏の研究もそれなりに当然限界がある。その研究の限界を超えている部分は単なる推測であり、確定したものでは無い
    >
    > > 縄文人の核ゲノム全部が解析できたわけでは無いからと言っても、パプア(アボリジニ)人の遺伝子が広く注入されていたことは東大博士論文に載っていたのでこれは確実
    >
    >  「幅広く」?
    >  そんな話は聞いたことがない。東大人類学教室 の准教授を兼任しているのが科博の海部陽介氏である事は、むとうはさんも御存じだとお無が

    三つの異なった地域の縄文人の遺伝子から抽出された核ゲノムにアボリジニの遺伝子が入っていた
    つまり、アボリジニの遺伝子が幅広く注入されていた

    > > > > 図に載って居るのはそれだけでも、先達の研究成果を受けて様々なデータを総合して比較した結果、縄文人に近い先住民は見つからなかったと言う事
    >
    > > >  これはOK

    古人骨比較でも、割と年代が近いはずのマリタ人とも遠い。
    つまり、北アジアは候補から外れる

  • >>37258

    > > > > > > > > > > > ポリネシアに台湾人が行った?
    > > そして言語を広めた?
    > > 馬鹿なことを言う人もいたもんだ
    > > 南米は台湾人より遙かに進んだ文明を持っていたんですからね
    > >
    > > > >  Y-O1aが証拠
    > >
    > > > あほ臭さ
    > > Y-O1aの上位Y-Oは東南アジア(インドネシア、ベトナム、マレーシア)にあります
    > >
    > >  考古学的証拠もある。この間大枚1万と800円をはたいて買った宮本一夫氏の『東北アジアの初期農耕と弥生の起源』(同成社)を羌初めて第1章21頁の半分10頁を朝食がてら読んだが、2~3臭化于があった。その一つが台湾で、4500年前にコメ(イネとは書いていない)とアワが4500年前に台湾で発見されている。。
    >
    > 小田静夫氏の『海上の道』にも5千年前くらいに原始的農耕が始ったとしているけれど、水耕稲作では無い
    > 熱帯ジャポニカの陸稲ではなかったかな。記憶が定かでは無い
    > 水耕稲作の開始は2500年前。日本の弥生時代と同じくらい
    > 日本の弥生時代をもたらした呉の難民によるものかも

     いずれにしろ、南島語族の「アウトオブ台湾」仮説には、台湾出自の南島語尾z句が、オセアニアに農耕をもたらしたとするが、その考古学的根拠になる。水稲農耕でなくても農耕民である事に違いはない。まあ海洋民の場合は漁撈民でもあるので、一概に農耕民と言い切るのも問題だが

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