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    このカテ、風前の灯火なので、吾輩が自流の世界史を展開させていただきます。

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    nas***** 3月24日 01:14

    話題を変えて

    韓国はなぜ大統領が変わるごとに前大統領が糾弾されるのか

    それは選挙制度による革命、易姓革命が行なわれ、一代限りの新王朝(大統領)が誕生するからです。

    中国では王朝が変わるごとに新王朝は前王朝の最後の帝王を罵る。
    徳が無くなって人民の支持を得られなくなったとされるのだ。

    そうでないと、新しい権力者の正当性が失われるからだ。

  • >>171

    >日清戦争以来、日本は戦争をすれば勝つという状態で来てました。当時の雰囲気では、政府の一部に対米避戦派がいても、このハルノートの条件では軍部も大衆も押さえられませんね。<

    軍部の上層部は開戦派が多いのですから開戦は必至だったでしょう。
    ただ大衆は従順だから押さえられた。
    知識人などは戦争はやらないだろうと気楽に構えていた人が多かったようだ。
    まさか米国と戦って勝てるわけがないから、適当な所で譲歩するだろうと思って、反戦活動をしなかった、という訳です。

    ただ一つ開戦を防ぐとしたら昭和天皇の越権的決断でしょう。

  • >>170

    > 昭和16年の後半では対米英戦は避けられなかった。
    > なぜなら、せいぜい仏印撤兵ぐらいしか譲歩せず、それでは米国が石油を売るはずが無い。
    > したがって石油を獲りに行くために戦争に成った。

    そうですね。ハルノートは石油の対日供給について触れていません。ただ「通商条約再締結のための交渉開始」とあるだけです。
    日清戦争以来、日本は戦争をすれば勝つという状態で来てました。当時の雰囲気では、政府の一部に対米避戦派がいても、このハルノートの条件では軍部も大衆も押さえられませんね。石油が無ければ軍事行動はできない。

    でも。
    1940年度の日本の石油輸入の86%が米国からだったそうですよ。全く、良くそんな状態で対米戦に踏み切るものだ。やはり正常な判断とは言えません。


    > シナ事変とか、シナ撤兵とか言う言葉は当時使われていた。
    > それは踏襲したい。
    > 現在の中華人民共和国をシナと呼ぶつもりはありません。
    了解しました。
    ちなみに私は中華民国籍です。

  • >>168

    「当時の日本の為政者たちは何らかの方法で対米英戦争を避けることができなかったのか」<

    昭和16年の後半では対米英戦は避けられなかった。
    なぜなら、せいぜい仏印撤兵ぐらいしか譲歩せず、それでは米国が石油を売るはずが無い。
    したがって石油を獲りに行くために戦争に成った。


    シナ事変とか、シナ撤兵とか言う言葉は当時使われていた。
    それは踏襲したい。

    現在の中華人民共和国をシナと呼ぶつもりはありません。

  • >>167

    nas様。
    貴コメント167の冒頭の一文、
    「ハルノートが無かったら開戦に至らなかったか」
    というのはどういう意味でしょうか?

    自分は、そのような問題提起をしていません。

    ・ハルノートは、11/26に米国から提示された日米和解案です。
    ・東条政権は、11/30までに日米交渉が妥結しなければ対米英開戦と決定済みでした。
    (ちなみにハルノートは日本の回答期限が切られていない)

    なので、もしハルノート(の提示)が無かったならば、日本は米英と開戦するのみです。ただハワイへ向かう南雲機動部隊に「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発せられたのは12/2でした。中止命令が出れば当然引き返すことになります。

    自分の問題提起は「当時の日本の為政者たちは何らかの方法で対米英戦争を避けることができなかったのか」であり、自分なりの一つの回答として「現在の視点から見ると、ハルノートを受諾しても良かったのではないか。でも朝野の大部分が戦争に前のめりになっていた当時の日本では無理だったんだろうな」と考えています。

    ということで、貴167冒頭の意味を教えて頂ければありがたく。
    この意味がはっきりすれば、以下で米国の石油禁輸措置への対応なども考察していくことができます。


    追補です。
    自分は日本生まれの華僑です。だから必ずというわけでもありませんが、nas様には彼の国を「中国」と表現していただくことを希望する次第です。
    (この件をこのカテで議論するのは避けたいと思います)

  • >>166

    ハルノートが無かったら開戦に至らなかったか

    そうでもないでしょう。
    ハルノートが無くても既に択捉島を出港していた艦隊が戻るとも考えられない。
    このまま石油を売るとは米国は有り得ないから戦争に成ったはず。

    南部仏印撤兵で石油を売るという条件なら日本は飲んだ。

    ただ、勝てない戦争はしないので、海軍が負けると言えば、対米開戦はなかった。
    シナ撤兵はどうなるかだ。
    この当時は未定と吾輩は推測している。

    海軍は勝てると言ったから天皇も裁可したんじゃろ。


    どっちにしろ、対米開戦するにもシナ撤兵は必須。
    満州から兵を南下させるならシナから南下させた方が得。
    シナには大した戦略物資も無い。
    シナ事変の戦費を建艦に傾けていたら、対米戦は勝ったという人がいる。
    ま、勝たなくとも有利になった事は間違いない。

    やはりソ連の手先が軍部にいたとする歴史観は正しいとしか思えないな。

  • >>165

    昭和16年当時の日本と日本人の雰囲気というか、感情というか、それを無視し、現在から見て判断した場合。
    「ハルノート、受諾してしまえば良かったではないか」と私は思います。

    勝手な要約ですがハルノートのポイントは、
    1.「中国」および仏印からの日本の全面撤兵。
    2.日本は米国の支持する蒋介石政権のみを中華民国の正統政権と認めること(イコール、日本は南京の汪兆銘政権を見捨てること)。
    この2つでしょうか。

    ハルノートを受け取った日本側は、対米避戦派は絶望し、主戦派は「これで対米戦不可避、天佑なり」と大喜びしました。

    ハルノートを日本が呑めるか呑めないかの最重要ポイントは、1.の「中国」に満州が含まれるかどうかです。
    通説とは異なり、ハルノートまでの交渉において野村駐米大使もハル米国務長官も、満州国は「中国」の範疇ではない前提で話し合ってきましたし、ハルノートの原案であるモーゲンソー案においては「中国」に満州国が含まれないと明記してあります。
    「ハルノートが満州国を含む大陸からの全面撤兵を要求したことが、日本を対米戦に追い込んだ」という理解はどうも間違っているようなのです。これは私にとって、最近知った驚きの事実です。

    フランス降伏に乗じた日本軍の仏印進駐はいかにも火事場泥棒的で、米英に認められないのは当然です。

    現在の日本領土の3.4倍もの広さの満州国が手元に残るのであれば、中国や仏印から撤兵してしまえばよかったではないですか。

    中国から退くのであれば、もう汪兆銘政権などどうでも良いではありませんか。

    これで米英との関係は正常に復し、日本は日中戦争を終わらせて世界の大国への道を目指すことができたのです。

    ・・・まあ、これは後出しジャンケンで、現在の後知恵です。当時の日本にとって、華北・華中、仏印から兵を退くことさえ世論が許さず、主戦派を納得させることもできませんでした。少なくとも盧溝橋事件以降、日本は根本的に国策を誤った、と強く思う次第であります。
    (思いつくまま一気に書いてしまったので、論理が粗いところは申し訳ないです)

  • >>157

    >ところで、そもそも日本の為政者が米英との戦争に踏み切ったのがなぜかを考察するのも興味深いですね。あくまでも日本が米英戦を避け臥薪嘗胆したとしたら、一体どうなったのでしょう。<

    シナ撤兵。
    しかし石油を米国は売らない。
    わしゃ少しは禁輸を弱めたと思う。
    ジリ貧ですな。

    満州国から撤兵しても満州国は残るじゃろう。

    独ソ戦がソ連の勝利になりそうだと分かるとアメリカも参戦。
    日本は高みの見物か。

    中国革命は有り得ない。
    チベット、ウイグルは独立。

    インドも独立するだろう。
    フィリピンも独立、ただし米軍基地はがっちりと置く。

    戦後の高度成長は無くとも失われた20年も無いから、同じぐらいの経済となる。

    朝鮮は独立するかな。
    日本軍駐留は間違いないだろう。
    この考察はカンタンではない。

    台湾は台湾道として日本化する。
    日本人として国政にも参加。

    ま、今日はこれぐらいに。

  • >>163

    おはようございます。
    「君臨すれども統治せず」というのは、美しい言葉ですね。
    その一方で、最初聞いたときから「なんだか…」疑問だったことば。
    「えた」などということばが消えていくのは何よりです。

    タイの政治が機能していないというお言葉から、あらためてひらめきました。
    「身分制度」は「停滞する宿命をもつ」と。

    日本の江戸時代、中国の人民共和国時代、「支配」と「被支配」による国は
    「被支配層」が「疲弊」し「創造性」と「行動性」を失っていくのではないでしょうか。

    現代のイギリスが「立憲王政」と「貴族性」を温存して「古いなごり」を多く残すように
    現実には「庶民」とされた人々が「庶民」としてうずもれたままでよしとしてしまうような。

    それを救うのが「支配層の進取の努力」でしょうか。
    明治時代の日本、独立初期のアメリカ、ピーター大帝のころのロシア、初期のドイツ帝国など
    いずれも政権をとった支配層が率先して教育と技術開発にまい進しましたね。

    「収奪のない進取の意気に富む支配」が可能なら「身分制」も存続しうるのでしょう。
    イギリスはその下り坂、今後EU離脱問題が大きな転機になることは確実ですね。

    では、また。

  • >>161

    ことともに様:今晩は。

    前近代的で、専制統治と結びついたような身分制は、今の世の中ではやはり否定せざるを得ないかと考えます。
    現在の英国の王室や日本の皇室のように、王権が世襲であっても「君臨すれども統治せず」であれば、そしてそれ以外の一般大衆層に出自による不公平がなければ、国家の安定装置として現代でも機能しますね。

    インドの不可触民や江戸時代の「えた・非人」のように、少数者に賤業を押し付けて社会の多数派の安定を図るような身分制度は、現代では絶対に否定されるべきでしょう。

    では近年のアメリカや日本のように、金持ちに生まれれば子供も金持ち、貧乏に生まれれば子供も貧乏で貧富の逆転がますます起こりにくくなっているのは新たな身分制?富の再分配を上手に行うのは、難しいですね。

    なお、タイの政治はおかしい、機能不全だということが自分はだんだんわかってきました。国として停滞してしまっているのでは。これには国王の責任も大きいと思います。

  • 原爆投下も世界史ということで。
    先ほどまでNHK BSで、原爆投下の真実に関するドキュメンタリー番組を観ていました。

    ・トルーマン大統領は、女性や子供など一般市民に原爆を使用することを避けたいと考えていた。それは日記にも書き残している。
    ・グローヴス陸軍少将(マンハッタン計画の責任者)と米陸軍は市街地への攻撃で原爆の破壊効果を最大限に発揮させたいと考え、また日本人へ精神的なショックを与えるため京都を第1目標と定め、スティムソン陸軍長官(民間人の弁護士出身の政治家)に6度も談判してプレッシャーを掛けた。
    ・スティムソンは京都を2度訪れた経験があった。彼は京都に限らず一般市民への無差別攻撃によりアメリカが汚名を負うことを恐れ、トルーマンと相談して京都を目標から外した。
    ・グローヴスは広島が軍事都市であり、これは軍事施設への攻撃であると、言わば故意に正確と言えない説明をして広島への原爆投下の承認を得、実行した。
    ・トルーマンは市街地への原爆投下で一般市民に大量の犠牲者が出た報告を受け、3発目以降の投下を中止させるとともに「原爆投下は、日本本土上陸により日米両国民に50万人ないし100万人という被害を出すのを避けるためのやむを得ない決断だった」という理屈を、後付けで作り出した。

    番組には出て来ませんでしたが、広島には第二総軍(本土決戦に備えた西日本の帝国陸軍組織。東日本の第一総軍は東京に位置した)の司令部があったので軍事都市と言えないことはありません。しかし一般市民を大量殺傷して良いわけはなく、これは明確な国際法違反です。

    原爆投下の国際法的責任については、将来改めて明確にされるのではないかと思うし、そのように希望します。

    ちなみに。
    二発目の投下目標は小倉(北九州)でした。こちらには八幡製鉄所があったことが目標となった理由と思われますが、小倉は前日に空襲を受けていて火災の黒煙で目標が視認できず(原爆機「ボックスカー」は何度も小倉への投下を試みている)、やむなく第2目標の長崎が原爆を受けました。小倉市民にとっては幸運、長崎市民にとっては全くの不幸という他ありません。

  • >>160

    こんばんは。ことともに、Along With My Children です。
    今日は本当に冷え込んできましたね。-1℃でございます。
    とはいえ、旭川の比ではないのでしょうが、…。

    ロシアなどでは、外出して息をするときは口を手で覆うとか…。創造を絶します。
    つまり、当地の暮らしは、その人でないとわからないこともあるわけですね。

    インドの暮らしは、インドに住んで、いろいろな状況を肌でふれないとわからないのでしょう。
    ガンジーは世界史十傑のうちに入れるべき人と思います。その方の考えは、凡人にくらぶべくもありません。

    ただ、やはり、「身分制の容認」は「支配勢力の擁護」に他ならない、とは確信します。
    それが許されるのは「支配階級」が「被支配階級を適切に保護」している場合でしょうか。
    たとえば、タイの王政のように、「王による支配」が「慈愛」として歓迎されている国もありますね。

    一方で「支配層」が「非支配層」からの収奪(搾取)によって自らの富の拡大を続けるとき
    「支配」が受けいられられず、「崩壊」するのも当然ですね。

    さすれば、「身分制」そのものをすべて「是」とするのは難しい。
    「身分制」を否定するのは偏見である、とする「切り口」には疑問を感じます。
    なぜなら、「現に」「否定されるべき事例はあったし、現在も否定されるべき身分制はある」からです。

    改めてまとめると「身分制には、否定されるべき状況にあるものも確かにある。一方で
             身分制、あるいはその究極の形である「王政」などが有効な場合もある」
                というのはいかがでしょうか。僭越な持論で失礼しました。

    では、また。

  • >>159

    ちょっと補足で。
    マヌ法典には「シュードラ(最下位カースト)にヴェーダ(ヒンドゥー教の聖典)を聞かせてはならぬ。ヴェーダを盗み聞きしたシュードラの耳には熔けた鉛を流し込め」と記されているそうです。
    何とひどい。

    はたまた。
    敬虔なヒンドゥー教徒で博愛主義者、愛国者であったガンディーは不可触民(アウトカースト)をハリジャン(神の子)と呼んで慈しむよう呼びかけました。これには「現世において不幸な彼らは神に祝福され、来世で幸せに生まれ変わる」という意味が込められていたそうですが、不可触民の指導者アンベードガルはガンディーの態度をカーストの固定化を是認するものとして非難し、晩年には彼の支持者50万人とともに蔑視の対象から逃れるべく仏教に改宗したとのこと。

    ガンディーはカースト制を「西洋の物質主義と一線を画した、人々の間に争いを起こさないための、アジアにおける理想的な分業制度」と見なして擁護していたそうです。カースト制を百害あって一利なしと全否定するのもまた、偏見なのかもしれません。

  • >>158

    ことともに様

    コメありがとうございます。興味深いお話です。
    私もちょっと検索してみたのですが、古代ヒンドゥー教と言っても良いバラモン教は3000年前に成立していて、その時すでにいわゆるカースト制は成立していたそうですね。

    子々孫々に渡って身分を固定し社会の停滞をもたらすカースト制は、紀元前から一部の人々に批判されてきた。バラモン=ヒンドゥー=カースト制を批判する観点から生まれた仏教やジャイナ教ですが、インド社会の主要宗教とはなれなかったのですね。

    私などから見ると、百害あって一利なし(インドの方には失礼ですが)と思えるカースト制がなぜ数千年も維持されているのか、実に不思議です。

  • >>154

    こんばんは。 ことともにでございます。
    ボランティアの参加!

    みなさんの思いと交流できてなによりです。
    ひとりより、ふたり、ふたりより三人、三人より、四人、四人より………

    というわけで、「なぜ仏教はインドから出たか」ですけど…

    いまのところもっとも有力な説は
    「仏教の万民救済、輪廻からの解脱」などの教義が、インドの古来からのドラビダ制度
    カーストによる身分制度と相容れなかったためだそうです。
    このためヒンズー教とのつばぜりあいに敗れたのだそうです。

    結果、インドでは仏教は居場所を失い、周辺の国にのがれたと。
    小座部はインドネシア、東南アジアへ。大座部は中国、日本へ。

    やがて、大乗仏教は竜樹によって教義が大成され、日本に伝わったと。

    こう、描いていて?と思ったのは、「ヒンズー教」がなぜ残ったか、
    いまいち、記憶にないことです。すいません。調べます。では。

  • >>156

    早速のご返事ありがとうございました。

    ドイツの対米宣戦布告について、自分はどうもヒトラーがさしたる計算もせず感覚で決めてしまったような気がしてなりません。独ソ戦が膠着状態に陥っていたその時に日本が米英を攻撃したことを聞いてヒトラーは「転機だ。三千年間戦争に負けたことのない国が味方についた。我々はこれでこの戦争に負けることが無くなった」と側近に語ったそうです。続いて真珠湾攻撃・マレー沖海戦における帝国海軍の大戦果を聞き、本当に幻惑されてしまったのかもしれません。

    米国は武器貸与法により、自国海軍の護衛の元に平然と英国に軍需物資を送っていました。とても中立国の振る舞いではありません。nas様のご指摘のように、ドイツから米国に宣戦して真正面から支援船団を攻撃して遮断する方が効果が高いと考えたかもしれません。

    ところで、そもそも日本の為政者が米英との戦争に踏み切ったのがなぜかを考察するのも興味深いですね。あくまでも日本が米英戦を避け臥薪嘗胆したとしたら、一体どうなったのでしょう。

  • >>154

    僭越ながら自説を

    >・日米開戦直後、ドイツは米国に宣戦しました。同盟の規約上その義務はなかったし、米国の参戦は結局ドイツの致命傷となりました。ヒトラーはなぜそのような、今から見ると愚かな決断をしたのでしょうか。<

    ヒットラーは日米開戦を困った事として捉えたようです。
    ソ連を東から攻めて欲しいのに南に東に行ってしまった。

    ただ既に米国は敵国に成っていてソ連に援助していました。
    開戦しなくても米国から攻めて来るだろうと予想はできた。
    一応の理由は日本を同盟国の側い置いておきたいからというもの。
    しかしこれは説得力が薄い。

    となるとソ連への米国からの援助物資を遮断することが主目的だったのではあるまいか。


    それにしても日本の為政者は馬鹿ですね。
    独ソ戦でドイツが勝つのを見極めないで開戦したのは。

  • >>153

    一>説では、アフリカの風土が化石の保存に適していただけ、という
    のもあるようですけど。<

    なるほど、それは一考に値しますね。

    昔北京原人が進化して中国人(モンゴロイド)に成ったとか、そんな説を唱える人もいたような記憶が有る。
    世界各地で別な所で同時進化が起きた。

    しかし条件が同じなら、そうなっても変ではない。

  • 世界史は大好きなので、何でも良いならいくつか自分が知りたいことを。

    ・日米開戦直後、ドイツは米国に宣戦しました。同盟の規約上その義務はなかったし、米国の参戦は結局ドイツの致命傷となりました。ヒトラーはなぜそのような、今から見ると愚かな決断をしたのでしょうか。
    ・仏教の故地であるインドの仏教徒は今、人口の1%にも満たない数です。世界で最もポピュラーな宗教の一つである仏教が、なぜ故郷インドで衰退してしまったのでしょうか。
    ・漢字は、世界四大文明で各々使用されていた文字の中で唯一、現代にまで直接継承されています。エジプト文字、楔形文字、インダス文字と異なり漢字が今まで生き残り、大いに使われているのはなぜでしょうか。何か特別なパワーが漢字にはあるのでしょうか。

    脈絡がなくて申し訳ないですが、詳しい方に是非伺いたい。

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