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>>1845

 慶喜が、大政奉還直後から、江戸の幕軍を呼び寄せているのはなぜ?そんなことをせずとも、10月の段階ですでに在京の幕府戦力は、薩摩その他を圧倒しているのに。


>西鄕らの逆賊連合軍を権勢して、朝廷をお守りするためです。


 その根拠は?オタクの脳内妄想でなく、何か根拠資料でもあるのかね?
 
 ただし大政奉還の時点では、御所を固めていたのは会津桑名で、在京の兵力では、幕府が圧倒している。ちなみに、この兵力差は、鳥羽伏見の戦いまで変わらない。


>だからどうだというのかね???


 幕府は、治安維持には不必要なほど、京阪に兵を集めていると言う事だ。そして、その引き金は慶喜の大政奉還だ。
 それはいいとして「西鄕らの逆賊連合軍を権勢して、朝廷をお守りするためです。」という根拠は?誰の日記?それとも書簡かな?ともかく原文を提示してくれ。
 それとも、これはオタクの口から出まかせ?


ちなみに大政奉還を聞いた江戸では大混乱だ。


>あたりまえだ。それがなんだというのかね?


 大政奉還が引き金になって、もともと幕臣が慶喜に抱いていた不信感が一気に露呈した。

 この通り、
「一関東沸のこと  一大樹失人心のこと … 一両三はんのこと、関東沸のこと 一同上薩土へ兵を向のこと  一兵隊多、舟に而上坂居のこと  一復古関東不服のこと」(嵯峨実愛手記)
 幕臣の慶喜に対する不信感はピークに達している。


>それで?

 何度同じ事を言わせるの?
 慶喜では、幕府の沸騰を抑えられないと言う事だ。あるいは、慶喜が幕臣の沸騰を裏で操っているかもしれんが。何にしても鳥羽伏見の戦いは不可避だったと言う事だ。

  • >>1851

    >その根拠は?オタクの脳内妄想でなく、何か根拠資料でもあるのかね?
    >幕府は、治安維持には不必要なほど、京阪に兵を集めていると言う事だ。そして、その引き金は慶喜の大政奉還だ。
     それはいいとして「西鄕らの逆賊連合軍を権勢して、朝廷をお守りするためです。」という根拠は?誰の日記?それとも書簡かな?ともかく原文を提示してくれ。
     それとも、これはオタクの口から出まかせ?

    西鄕らは大政奉還直後、偽勅を作り叛乱の兵を集めるために、走り回っておるし、さらには朝敵長州と手を組んで、玉を奪う朝廷転覆の叛乱計画を立ておるからだよ。

    > 話をそらさないように。オタクは、「12月2日」と「12月21日」付けのだいぶ日付けがあいている資料をもってなにを言いたいのかね?」と見当はずれのレスをした。

    「只今は会桑両藩限りにて外は傍観の姿に御座候」の書簡の12月21日の日付が間違っておらんか。

    > 大政奉還後から、再三にわたって浪士を止めているが。西郷自身は途中、11月23日まで京都を留守にしたが、再度上洛したのちの12月に入っても、念押しで活動を制止している。

    西郷は浪士団に活動停止を命じておらんし、江戸には密偵を配置しておるから江戸ことは、すべて承知なはずである。

    > オタクの粗雑な幕末の噺からみて、明治以後の噺はさらに浮世離れするんだろうな。
     明治維新がなかったら、日本がどうなったか。それは、清国を見ればわかる。ああなった。清国と江戸幕府って、似ているんだよ。
     特に、清国に比べて、日本は国としてのスペックが低い。だから江戸幕府が続いていたら、清国以上にたいへんなことになったかもしれない。

    江戸幕府は慶喜の大政奉還で無くなっておるよ。