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>>1863

ちなみに大政奉還を聞いた江戸では大混乱だ。

>あたりまえだ。それがなんだというのかね?

 大政奉還が引き金になって、もともと幕臣が慶喜に抱いていた不信感が一気に露呈した。この通り、「一関東沸のこと  一大樹失人心のこと … 一両三はんのこと、関東沸のこと 一同上薩土へ兵を向のこと  一兵隊多、舟に而上坂居のこと  一復古関東不服のこと」(嵯峨実愛手記)
 幕臣の慶喜に対する不信感はピークに達している。

>それで?
 何度同じ事を言わせるの?慶喜では、幕府の沸騰を抑えられないと言う事だ。あるいは、慶喜が幕臣の沸騰を裏で操っているかもしれんが。何にしても鳥羽伏見の戦いは不可避だったと言う事だ。

>12月22日、朝廷は「徳川内府宇内之形勢ヲ察シ政権ヲ奉帰候ニ付キ、朝廷ニ於テ万機御裁決候ニ付テハ、博ク天下之公儀ヲトリ偏党ノ私ナキヲ以テ衆心ト休威ヲ同フシ、徳川祖先ノ制度美事良法ハ其侭被差置…
>(現代語訳)「徳川内府は国内の形勢を察し 政権をお返しし奉るについて、朝廷においてすべてを御裁決なさるについては、広く天下の公儀をとり一定の立場に偏って私心のないことを以て、民心と喜びも悲しみも共にし、徳川祖先の制度の美事良法はそのままにして置かれて、御変更なさることはないので、列藩はこの天皇の意志に留意し、気がついた事があれば憚忌のない意見を述べ議論して救縄補正に力を尽くし、上に対しては勤王の実効を顕し、下に対しては民人の心を失なわず、日本国をしてこの地球上に傑出した国とするよう つとめはげむべきことを御沙汰する事」

 そういう朝廷に対して、旧幕府軍は異常にいきりたっていたわけだが。
「伏見幕府ノ蔵屋敷二近藤勇等カ率ル新撰組其他ノ兵数百駐屯、事態穏ナラス…慶勝(徳川慶勝)是ヲ憂へ…兵ヲ撤セシメントス。…永井主水正二説リ肯容シ聴カス。…設楽備中守、榎本対馬守、妻木多宮等肯カス」(慶応三年雑記録)
 徳川慶勝(尾張藩主、新政府の議定)が兵を引けと命じても、幕閣はみんな拒否っている。旧幕府としては、朝命を聞く気など無いってことだ。



>12月9日、西鄕らが御所を軍事的に制圧して、徳川慶喜の将軍職辞職を勅許、京都守護職・京都所司代の廃止、幕府の廃止、摂政・関白の廃止、新たに総裁・議定・参与の三職の設置を命じます。西鄕らは徳川慶喜だけ役職もすべて返上し、領地も差し出すことを要求しています。(王政復古の大号令)ところが、賊の思惑である「王政復古の大号令」が上記のように完璧に失敗…

「西郷らが御所を軍事的に制圧」?
脳内妄想で、自己満足しておるのか?
「薩兵三千余人、野戦十数門を以って乾御門ヨリ繰入、芸藩千二、三百、土藩計、備前千二、三百人、尾州モ多勢、越前等同断ニテ…」と、御所に入った兵は薩摩だけではないよ。

 本当にオタクの話は、ほとんどが嘘だな。

  • >>1869

    >会桑に関しては、12月21日付け、簑田宛西郷書簡において「…勤皇の兵、追々出来、
    勢い盛大に罷り也申し候。只今は会桑両藩限りにて外は傍観の姿に御座候。…」ともある。

    >「三日松平容堂上書して…会桑遅速に拘らず、一日も早く上京の御沙汰ありたしと奏請したれども、会桑帰国の儀早々慮置に及びたる後、徳川内府上京のやう御内命なり」(徳川慶喜公伝)
     このように、会桑をさっさと追い返して、それから慶喜に上京せよというのが結論だ。

    上記の簑田宛西郷書簡の日付や上記の徳川慶喜公伝の資料を改竄しておるが、なぜそのようにするのかね?

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