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    712年に日本最古の歴史書である『古事記』が編纂されてから、
    2012年で1300年になる。
    歴史について、日本に文句ばかりいう韓国には、
    さぞかし古い歴史書が残っているかと思えば、
    実の所、1145年の高麗の時代に書かれた、
    『三国史記』が最古になるという。

    日本より435年も遅いのである。

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    「三国史記」「三国遺事」は朝鮮文学か。

    朝鮮語で書かれていない。
    古事記は日本語、日本書紀も読み下しで古訓として読まれていた。
    この点が大きく違う。

    新渡戸稲造は「武士道」を英語で書いた。
    日本人のために書いたのではないからだ。
    当初書かれたものは日本文学とは呼ばれないだろう。

    魏志倭人伝も日本文学ではない。

    朝鮮の支配階級は中国人だったのかな。
    モンゴル支配によって民族性が芽生えたのでしょう。

  • 高麗になって焚書されたか。
    まあ内容は継承されたとみるべき。

    統一新羅になって前歴史書が焚書されれたことは想像に難くない。
    おそらく新羅の歴史に不都合なことが書かれていたからでしょう。

    それにしても残念です。

  • 朝鮮半島は新羅統一から歴代シナ王朝に事大し、自国文化よりもシナ文化を尊重して、自国の歴史をないがしろにしてきた。
    いわゆる1000年属国の朝鮮に歴史は無いのである。

  • 8代将軍徳川吉宗の時、朝鮮通信使として来日した申維翰は、
    「日本聞見雑録」で、「阿倍仲麻呂は、唐の朝廷で重く用いられて
    有名になったが、日本への帰国の途中に溺死した。
    それより千有余年、日本人にして文をもって名を知られた者はなかった。
    将軍や大名、役人などは一人として文を解する者なく、
    漢字仮名交じり文で法令や書簡を作成して、上下の情を通じあう。」
    と書いている。

    李朝で文といえば漢詩文のことを指し、日本の仮名や朝鮮のハングルなどで
    書かれたものはまともな文化だと見なされていなかった。
    それゆえ、両班で科挙に合格して官僚になった申維翰の価値観からは、
    将軍ですら漢文を解さない日本の知的レベルは低いとなるわけであろう。

  • インドのムンバイのスラムを舞台にしたイギリス映画「スラムドッグ$ミリオネア」
    がアカデミー賞を8部門を受賞した時、インド人からは、「インドは年間映画制作本数
    が世界でもっとも多いのに、アカデミー賞が取れないとは。」という嘆きの声が
    聞こえた。

    インド版ハリウッドという意味でボリウッドと呼ばれるムンバイで量産された、
    歌って踊るだけの映画が国際的に評価されるなんて無理な話だ。

    制作本数世界一というだけでインドが映画大国といえないのと同じように、
    月並みで退屈きわまりない両班の漢詩集が数多く出ているというだけでは、
    李氏朝鮮が文学強国だったとはいえないであろう。

    とはいえ、朝鮮では道学先生の堅苦しい漢詩しか生み出せなかったと
    いうわけではない。
    朝鮮の山頭火というべき放浪詩人の金笠は、形式にとらわれない
    おもしろい漢詩を数多く作り、異彩を放っている。

  • 中央日報日本語版7月02日付のコラム『“文の国”が生きていく方法=韓国』
    で、「朝鮮は世界で最も文を崇めた国であり、
    高尚な人なら誰もが文集を出した文学強国だった。」
    と書いている。

    李朝時代の高尚な人=両班は、愚民文字と蔑んでいた
    ハングルによる小説はまともな文学作品と見ておらず、
    漢詩を詠むことが文人としてのステータスシンボルと
    考えていた。
    そのため、李氏朝鮮では、漢詩集がいろいろと出されている。
    だが、内容的には、その当時の両班が朱子学を絶対視していたこともあって、
    道学的なお説教を並べただけのつまらないものが目立ったりするなど、
    心に響くような詩はめったにない。

    江戸時代の堂上歌人が、形式主義のマンネリな和歌ばかり
    作っていたのに、高貴な身分ゆえに権威があって社会的に
    重んじられたことと通じるものがある。
    明治になって、正岡子規が「歌よみに与ふる書」で
    「死に歌よみの公卿」と評したことの顰みに倣うならば、
    「死に詩よみの両班」といえようか。

  • 韓国生まれで日本に帰化した評論家の呉善花が、
    韓国入国を拒絶された。
    呉善花は、「SAPIO」で、韓国人がハングル至上主義で
    漢字を使えなくなっていると批判したことが、
    韓国で反発を受けたのが入国拒否の原因だといわれている。

    今の韓国は、ほとんどハングル専用の状況で、大学生が
    自分の名前を漢字で書けないことすら珍しくない。

    しかしながら、ハングルは、李朝時代、当時最高の身分を
    占めていた両班たちに愚民文字として諺文と呼ばれるなど、
    侮蔑の対象にされてきた。
    朝鮮では、三国時代や統一新羅時代、高麗時代はもちろんのこと、
    ハングルが創製された李朝時代においても、
    漢詩文のみが正統的な文学と見られていたのである。

  • 韓国の朴槿恵大統領が中国訪問した時、
    中国の習近平国家主席は、統一新羅時代の漢詩人、崔致遠
    の作品「泛海」を引用して、中韓の友好を強調したという。

    遣唐使廃止で知られる菅原道真と同時代の人物である崔致遠は、
    滅亡寸前の唐に留学して、名声を博したという。

    崔致遠は、高麗時代や李朝時代には、孔子廟に祀られるなど、
    朝鮮漢文学の祖として仰がれてきた。

    しかしながら、習近平が中韓首脳会談で話題にした「泛海」
    など、漢詩としてはよくできてはいるが、特別感銘を受ける
    作品とは言いがたい。

    崔致遠の漢詩文は、その当時の中国でもかなり評価を
    されたという。
    だが、李白、杜甫の漢詩と比べれば、かなり見劣りが
    する。
    (李白、杜甫のような中国史上最高の漢詩人と比較するのは
    酷かもしれないが。)

  • 韓国人は、『百済三書』や『三代目』が残っていれば、
    古典で日本に劣るようなことはないと主張している
    ようだ。

    だが、日本にも逸書があることを忘れてもらっては困る。
    和歌集には、『万葉集』の材料になった
    『柿本人麻呂歌集』など。
    『風葉和歌集』や『無名草子』を見れば、
    『竹取物語』や『源氏物語』のような現在に伝えられている
    作品はごく一部で、過去に散逸した物語がいかに多いかが
    わかるであろう。

    これら逸書を含めても、日本にくらべて朝鮮の古典は
    かなり貧弱であると見て間違いない。

    日本の植民地になって近代化に遅れを取るまでの時代は、
    韓国の方が文化レベルが高かったという、かの国の考え方は
    的外れという外なかろう。

  • 朝鮮で、『三国史記』より古い歴史書としては、
    『百済三書』の他にも、高句麗で『留記』『新集』、
    新羅で『国史』があったという。
    郷歌についても、新羅時代に『三代目』という
    郷歌集が編纂されている。

    しかしながら、これら高麗時代より前の古典は、
    すべて散逸した。
    『三代目』が残っていれば、郷歌は、日本の短歌に
    負けない文芸であったことを証明できたかもしれない。

  • 日本では、『古事記」や『日本書紀』以前に、
    聖徳太子と蘇我馬子によって、『国記』や『天皇記』が作られている。
    乙巳の変(大化改新)で、蘇我蝦夷が自分の邸宅に火をかけた時に
    『天皇記』は焼けてしまったが、『国記』は船史恵尺が助け出して
    中大兄皇子へ献上された。
    日本の古い歴史書というなら、『古事記』や『日本書紀』
    の史料になった『帝紀』や『旧辞』もある。

    残念ながら、蘇我氏本宗家の滅亡の際に残った『国記』は
    現存していない。
    『帝紀』や『旧辞』も、今に伝えられていない逸書に
    なっている。

  • 百済の滅亡後、亡命して来た百済人から「百済三書」が大和朝廷に献上されました。
    日本書紀はその百済三書から引用された部分がかなりあります。
    曰百済紀、曰く百済本紀、と言うように。
    むしろ外交部分は百済本紀がベースにあった可能性が高いようです。
    新羅から使者が来た、とか高句麗王が貢ぎを送って来たと言う記事が書いてありますが、相手の王が誰だったか判らないのです。
    おそらく体裁を整える為のウソの記事でしょう。
    百済の場合は王の名前が沢山出てきます。
    これは、日本書紀は亡命百済人によって書かれたか、百済三書を参考にして書いたか、のどちらかでしょう。
    百済が滅んだ7世紀後半には百済三書が編纂されていて、12世紀に書かれた百済本紀も、百済三書の一部は残っていた可能性があります。
    何か別の史書に書かれていた逸文のようなものがあったかもしれません。一部は日本書紀に「曰百済本紀」のように。
    三国史記の中で(12世紀に書かれた)百済本紀は一番信憑性が高く、新羅本紀や高句麗本紀は信憑性がかなり低いです。

  • 郷歌は、資料に乏しい新羅時代などの古代朝鮮語の姿を
    知るためのテキストとしても重要である。
    しかしながら、文芸として見た場合、日本の『万葉集』
    にある額田王や柿本人麻呂などの秀歌のように
    感銘を受ける作品はほとんどない。
    郷歌は、朝鮮の古い時代の文学や言語学の資料としては
    重要だが、芸術として見ればたいしたことはないといえよう。

    『万葉集』に4500首以上ある短歌や長歌の中には凡作も
    少なくないわけだし、25首の郷歌の中に傑作が見当たらない
    のも仕方あるまい。
    せめて1000首くらい伝えられていれば、
    それなりに良い作品もあったはずなのに。

    朝鮮人は、自国の文化遺産を大事にしていないという
    感じがする。

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