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    佛教は霊魂不滅説ではない。

    霊魂不滅説を説く佛教徒は非佛教徒であり、外道である。

    http://www.eonet.ne.jp/~kaiken/

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  • 霊魂はキリスト教のことばであり、印度の外道の言葉。佛教には霊魂という言葉はない。佛教には霊はあり、性霊はある。
    佛教の八識は霊魂ではない。もし、八識を霊魂としたならば、無相実相・十如実相・妙法蓮華は成り立たない。すなわち、業生・蓮華化生を霊魂で説明してみるがよい。
    「法性體無し、全く無明による。無明體無し、全く法性による」
    これを霊魂説で説明できますか。
    更に、本門文底の究極の十界互具を霊魂説で説明できるか。妙境・妙智・妙行三即一を霊魂説で説明出来ますか。
    本化妙宗聯盟獅子王学会の講師のお方のご高説を期待しています。

  • 霊魂はキリスト教のことばであり、印度の外道の言葉。佛教には霊魂という言葉はない。佛教には霊はあり、性霊はある。
    佛教の八識は霊魂ではない。もし、八識を霊魂としたならば、無相実相・十如実相・妙法蓮華は成り立たない。すなわち、業生・蓮華化生を霊魂で説明してみるがよい。
    「法性體無し、全く無明による。無明體無し、全く法性による」
    これを霊魂説で説明できますか。
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  • 霊魂はキリスト教のことばであり、印度の外道の言葉。佛教には霊魂という言葉はない。佛教には霊はあり、性霊はある。
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    「法性體無し、全く無明による。無明體無し、全く法性による」
    これを霊魂説で説明できますか。
    更に、本門文底の究極の十界互具を霊魂説で説明できるか。妙境・妙智・妙行三即一を霊魂説で説明出来ますか。
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    これを霊魂説で説明できますか。
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    これを霊魂説で説明できますか。
    更に、本門文底の究極の十界互具を霊魂説で説明できるか。妙境・妙智・妙行三即一を霊魂説で説明出来ますか。
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    佛教の八識は霊魂ではない。もし、八識を霊魂としたならば、無相実相・十如実相・妙法蓮華は成り立たない。すなわち、業生・蓮華化生を霊魂で説明してみるがよい。
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    これを霊魂説で説明できますか。
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  • 霊魂はキリスト教のことばであり、印度の外道の言葉。佛教には霊魂という言葉はない。佛教には霊はあり、性霊はある。
    佛教の八識は霊魂ではない。もし、八識を霊魂としたならば、無相実相・十如実相・妙法蓮華は成り立たない。すなわち、業生・蓮華化生を霊魂で説明してみるがよい。
    「法性體無し、全く無明による。無明體無し、全く法性による」
    これを霊魂説で説明できますか。
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  •  「霊魂」という言葉は、外道の言葉にして、佛説にも日蓮聖人の御遺文にもない。何の資格があって、佛説になく、日蓮聖人の御遺文にない言葉を作れるのか。これ大謗法に非ずや。末法の凡夫は日蓮聖人観心本尊抄の四十五字法體の「所化」には入る条件がある。凡ての人が「所化」には入らない。凡ての人は理即の凡夫である。
      観心本尊抄の四十五字法體段に「己心」は「本佛の己心」であり、「所化」は「本佛所化の菩薩」で「本法所持の菩薩」である。我等末法の衆生は「本佛の所化」ではない。
     「十界互具」なる「體」においては本佛・衆生同體である。その「十界互具の理體」が「霊魂」などではない。もしそうだとすれば、本佛の體も霊魂であり、本尊も霊魂であることになる。
     自己の集団の経営上収益を得るために「霊魂がある」と宣伝して、自ら創始者及び師であり、親である人を裏切る行為が何ほどに重要なる罪であるかを考えて欲しい。霊廟の過去の聖霊が鬼神となってすべてを破壊するだろう。
     立正安国論の言葉は国家だけの言葉ではない。
     「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」
    その結果がどうなるかは立正安国論を拝読されるがよい。

  •  「霊魂」という言葉は、外道の言葉にして、佛説にも日蓮聖人の御遺文にもない。何の資格があって、佛説になく、日蓮聖人の御遺文にない言葉を作れるのか。これ大謗法に非ずや。末法の凡夫は日蓮聖人観心本尊抄の四十五字法體の「所化」には入る条件がある。凡ての人が「所化」には入らない。凡ての人は理即の凡夫である。
      観心本尊抄の四十五字法體段に「己心」は「本佛の己心」であり、「所化」は「本佛所化の菩薩」で「本法所持の菩薩」である。我等末法の衆生は「本佛の所化」ではない。
     「十界互具」なる「體」においては本佛・衆生同體である。その「十界互具の理體」が「霊魂」などではない。もしそうだとすれば、本佛の體も霊魂であり、本尊も霊魂であることになる。
     自己の集団の経営上収益を得るために「霊魂がある」と宣伝して、自ら創始者及び師であり、親である人を裏切る行為が何ほどに重要なる罪であるかを考えて欲しい。霊廟の過去の聖霊が鬼神となってすべてを破壊するだろう。
     立正安国論の言葉は国家だけの言葉ではない。
     「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」
    その結果がどうなるかは立正安国論を拝読されるがよい。

  •  「霊魂」という言葉は、外道の言葉にして、佛説にも日蓮聖人の御遺文にもない。何の資格があって、佛説になく、日蓮聖人の御遺文にない言葉を作れるのか。これ大謗法に非ずや。末法の凡夫は日蓮聖人観心本尊抄の四十五字法體の「所化」には入る条件がある。凡ての人が「所化」には入らない。凡ての人は理即の凡夫である。
      観心本尊抄の四十五字法體段に「己心」は「本佛の己心」であり、「所化」は「本佛所化の菩薩」で「本法所持の菩薩」である。我等末法の衆生は「本佛の所化」ではない。
     「十界互具」なる「體」においては本佛・衆生同體である。その「十界互具の理體」が「霊魂」などではない。もしそうだとすれば、本佛の體も霊魂であり、本尊も霊魂であることになる。
     自己の集団の経営上収益を得るために「霊魂がある」と宣伝して、自ら創始者及び師であり、親である人を裏切る行為が何ほどに重要なる罪であるかを考えて欲しい。霊廟の過去の聖霊が鬼神となってすべてを破壊するだろう。
     立正安国論の言葉は国家だけの言葉ではない。
     「世皆正に背き、人悉く悪に帰す」
    その結果がどうなるかは立正安国論を拝読されるがよい。

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     「十界互具」なる「體」においては本佛・衆生同體である。その「十界互具の理體」が「霊魂」などではない。もしそうだとすれば、本佛の體も霊魂であり、本尊も霊魂であることになる。
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