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    自分が死んだ後のことを考えてみましょう。

    もちろん私が死ねば、私は消え去る。私は無に帰る。このことは他の人には理解できても私には理解できない。なぜなら私の存在そのものが無くなるからである。

    あなたが死ねば、あなたは消え去る。あなたは無に帰る。このことは他の人には理解できてもあなたには理解できない。なぜならあなたの存在そのものが無くなるからである。

    生まれてくる前のことを思い出そうとしてみよう。知っていることは親や兄弟からの伝聞や写真だけで、自分自身では何も思い出せないはずだ。さらには自分が存在していなかったことすら認識できないはずだ。当然である。実際我々は生まれる前には存在しなかった、すなわち絶対無の世界に生きていたからである。いやこの言い方もおかしい。絶対無の世界というのも無かったのであるから。

    我々は死ぬとこの絶対無に再び帰る。

    無というのは何も無いことである。従って無ということもない。無がないということも無い。実に恐ろしい世界である。いや生きている今想像するから恐ろしいだけである。実際に死んでしまえば、想像することすらできないのであるから。

    あなたが生きていたことすら自分で思い出せない。だってあなた自身が消滅するのだから。死んだということも認識できない。いや「認識」とか「死ぬ」とか「時間」とか「人間」という概念すら理解できない。なぜなら、それらの人間の認知活動によるものは死んだらすべて無くなるからである。

    無い。無いということも無い。自分の人生の思い出も無い。この世の存在も感じ取れない。感じ取る自分自身が消えてしまうのであるから。私が死ねば、私が今ここでこの文章を書いたことも私には理解できない。いや、この表現は正しくない。私そのものが無くなるのであるから、「私には理解できない」という言い方は正しくない。すべてが無いのである。

    それでも死んでも遺体があるうちは、ある程度は細胞の活動もあるだろうから100%の絶対無ということはないだろう。髭くらいは伸びるそうだ。しかし火葬されて骨になってしまえばどうだろう。骨は考えることも夢を見ることも何もできない。無いという概念も無い。すべてが無い。自分の人生がかつて存在したこと自体が死んだ本人には無くなってしまう。身内の人にはその人の存在が思い出や写真などで残されるだろう。しかし本人は滅びるのだ。いや滅びるという言い方も正確ではない。すべてが無なのである。滅びるということも無い。

    思えば宇宙の年齢は135億年くらいといわれている。それに比べて我々の人生は長くて百年くらい。世界の中で、この宇宙の中で、人という存在のいかに短いことか。生まれる前の無の世界と死んだあとの無の世界の方がこの宇宙の存在の中ではずっと長い。しかもあなたが死ねばこの宇宙の存在すらあなたにとっては無くなってしまうのだ。なぜならあなたそのものが無になってしまうからだ。

    ああ、恐ろしい。だがこれが人生の真実で、無の真実なのだ。

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