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    其の計算式では
    未来科学技術の
    進化度をグラフの
    記入線の確度として表せる
    発表後三十年反論が出ていない

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  • 947 923
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  • 947(最新)

    und***** 8月13日 15:27

    Calculate the Top Quark Mass
    h ttps://ed.fnal.gov/samplers/hsphys/activities/top_quark.html
    Mass of Proton 9.38 x 108 eV/c2 .938 GeV/c2
    Mass of Top Quark 1.75 x 1011 eV/c2 175 GeV/c2

    トップクォークは、とてつもなく重い。
    その質量は陽子質量の約180倍、
    ミューオン質量の約1800倍!!

  • >>942

    >それはサルや犬の認識の仕方と同じではないか?サルや犬は「空間」と言う抽象概念はもっておらず、彼らが認識しているのは個々の具体的な物とそれらの物同士の間のつながり具合だけのはず。
    「空間」と言う抽象概念は人間の心が作り出したフィクション。


    インテリほど、物事を観念的に考えたがる。
    人間は生物界のインテリ。
    犬やサルはインテリではないので、ものごとを即物的に考える。

  • >>942

    >「空間」と言う抽象概念は人間の心が作り出したフィクション。

    フィクション(概念)に過ぎないものを我々はピグマリオン化して、恰もそれが実在するものであるかのように錯覚してしまう。

  • https://www.youtube.com/watch?v=So6f4fTMWY4&t=727s
    Time, Space and Being: Do Space and Time Really Exist?
    12:30 (Julian Barbor)「ライプニッツによればそもそも空間など存在しない。存在しているは個々の物体とそれら物体同士間の隣接関係のみである」


    それはサルや犬の認識の仕方と同じではないか?サルや犬は「空間」と言う抽象概念はもっておらず、彼らが認識しているのは個々の具体的な物とそれらの物同士の間のつながり具合だけのはず。
    「空間」と言う抽象概念は人間の心が作り出したフィクション。

    ところでJulian Barbourは相変わらず元気だ。とても80歳の老人には見えない。

  • >>940

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    宗教と科学は役割分担がまったく別のものである。
    真善美で言えば、科学は真にかかわるもの、宗教は善にかかわるもの、芸術は美にかかわるものである。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    このような割り切り方をするなら、宗教と科学の矛盾は生じないだろうが、キリスト教は科学の領分にまで口を出してくる。

  • >>939

    >つまりこの宇宙と言う壮大な仕掛けの全体が、人間の存在を可能ならしめるための道具立てとして必要であったからということになる。

    この壮大な宇宙に存在する無数の銀河の中の一つとして我々の銀河が存在し、それを構成する無数の恒星集団の中の一つとして我々の太陽が存在し、その回りを回る惑星集団の中の一つとして我々の地球が存在し、そこで生きる生き物の中の一つとして我々人間が存在する。
    宇宙中のこのようにチッポケな存在に過ぎない人間が、何故この宇宙で、そのような特別な意味を持ち得るのだろうか?

  • >>930

    キリスト教の人間中心主義 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%B8%AD%E5%BF%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9
    >(キリスト教の)人間中心主義(にんげんちゅうしんしゅぎ)とは自然環境は人間によって利用されるために存在するという信念のことである。


    つまり牛や馬は人間に食われ、人間により使役されるために存在するという考え方。
    それは牛や馬に限らず、森羅万象あらゆる物の存在理由は、それが人間の存在を可能ならしめるために必要であるからと言うことになる。
    従って三田一郎風に言えば、正粒子と反粒子が完全に打ち消し合ってエネルギーになってしまわずに正粒子が残ったのも、この宇宙にビッグバン、ブラックホールやダークマター・・・その他もろもろが存在するのも、それらすべて、つまりこの宇宙と言う壮大な仕掛けの全体が、この宇宙の中のチッポケな人間と言う存在を可能ならしめるために神様によって用意された道具立てと言うことになる。
    これがキリスト教の人間中心主義。

    このような考え方と素粒子論の物理学的思考とがなんの矛盾なく両立し得る三田一郎氏の頭脳は私のような凡俗な人間の理解を絶する。

    脳の配線が私とは根本的に違うのだろう。
    私はどのように修行しても三田氏のようにはなれない。

  • >>936

    >このピグマリオンのなかで最大のものは物質と言う概念ではないだろうか?
    それは「数学的な計算の途中で現れた概念を、あたかも実在であるかのように勘違いしたもの」に過ぎないのではないだろうか?


    それはカントが言う「物自体」と同じ。
    それは人間が頭の中で作り上げたフィクション。

  • >>935

    >物理学者のJ・L シンジはそれをピグマリオン症候群と呼んだ。

    このピグマリオンのなかで最大のものは物質と言う概念ではないだろうか?
    それは「数学的な計算の途中で現れた概念を、あたかも実在であるかのように勘違いしたもの」に過ぎないのではないだろうか?
    では物理学から物質と言う概念を捨ててしまったら、後に残るものは何か?
    それはエベレットが言う「量子力学的状態空間上の状態ベクトル」。

  • EMAN氏は言う:
    http://eman-physics.net/electromag/no_freq.html
    >人間には、数学的な計算の途中で現れた概念を、あたかも実在であるかのように勘違いしてしまう癖がある。

    物理学者のJ・L シンジはそれをピグマリオン症候群と呼んだ。
    http://d.hatena.ne.jp/suikyojin/20130806/p1


    EMAN氏は更に言う:
    >電磁波も光も、本当は粒なんかじゃない。 あたかも粒であるかのように解釈ができる現象が、この世の中には存在しているというだけのことだ。量子力学が持つ特別な仕組みが、我々に、世界をそのように見せているのである。それで、もはや光が単純な「波」だとも言い切れないという現実もある。


    「あたかも~~であるかのように解釈ができる現象が、この世の中には存在しているというだけのことだ」
    私はこの考え方が好きだ。
    この考え方をトコトンまでつきつめて一つの哲学にまで高めた人がいる。
    それは20世紀初頭のドイツ哲学者ファイヒンガー。
    しかし、このファイヒンガーは哲学の世界ではまったく無視された存在になっている。
    日本ではその翻訳書は皆無。哲学書の索引にものっていない。
    かろうじて、森鴎外の「かのように」と言う奇妙な題名の作品の中に言及がある程度:

    https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/678_22884.html
    >綾小路は卓の所へ歩いて行って、開けてある本の表紙を引っ繰り返して見た。「ジイ・フィロゾフィイ・デス・アルス・オップ(※)か。妙な標題だなあ。」
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    >先ず本当だと云う詞からして考えて掛からなくてはならないね。裁判所で証拠立てをして拵えた判決文を事実だと云って、それを本当だとするのが、普通の意味の本当だろう。ところが、そう云う意味の事実と云うものは存在しない。事実だと云っても、人間の写象を通過した以上は、物質論者のランゲの謂う湊合が加わっている。意識せずに詩にしている。嘘になっている。

    ※:ドイツ語のアルス・オップ(als ob)。 英語ではas if。日本語では「あたかも~~であるかのように」。

  • https://www.youtube.com/watch?v=EWdcOID8zxU
    04:40~~
    英語字幕 :
    another after 1700 we know very little about wraps in other than

    誤 wraps in
      ↓
    正 Raphson(ニュートン・ラフソン法のラフソン)

  • >>930

    三田一郎博士:
    h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0%E4%B8%80%E9%83%8E
    >1965年6月イリノイ大学工学部物理学科卒業。1969年6月プリンストン大学大学院博士課程修了、Ph.D.の学位を取得。コロンビア大学研究員、フェルミ国立加速器研究所研究員、ロックフェラー大学準教授などを経て、1992年より名古屋大学理学部教授、2006年4月より名古屋大学名誉教授、神奈川大学工学部教授。 2007年より東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構プログラムオフィサーを兼務。『B中間子系でのCP対称性の破れの理論』で1993年度井上学術賞、1997年度仁科記念賞、2002年度中日文化賞、2004年J・J・サクライ賞、2015年度折戸周治賞を受賞。2002年紫綬褒章受章[1]。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
    >主な業績として、破れたゲージ対称性理論におけるくりこみ可能なゲージ固定化法を提唱するとともに、B中間子系でのCP対称性の破れの測定によって小林・益川模型の検証理論を展開することによって、日本の高エネルギー加速器研究機構におけるBelle実験や米国のスタンフォード線形加速器研究センターのBaBar実験の構想推進を強く動機づけると共に、両研究所の実験に必要な加速器の性質を提唱した。


    k中間子よりも重いB中間子を用いれば、CP対称性の破れがより顕著に表れると言うアイデアは三田博士の着想。
    KEKのBell実験や米国のスタンフォード線形加速器研究センターのBaBar実験は三田一郎博士の強力なpushがなければ実現しなかったはず。
    特にKEKは実験にあまり乗り気でなかったが、三田一郎博士が尻をたたいて実験に追い込んだ。

  • パラノイアの妄想と宗教家の信仰を見分ける判定基準と言うものはあるのだろうか?

  • 「岩波講座 物理の世界 素粒子と時空〈2〉CP非保存と時間反転―失われた反世界 」
    この本の著者三田一郎博士が以下のような本を出された:
    「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで 」

    この本の中で三田一郎氏は以下のように述べておられる:
    >私はおさないころにカトリックの洗礼をうけてはいたものの、宗教にはほとんど関心がないまま、ずっと研究に没頭してきました。ところが50代に差し掛かった時に、宇宙はなんとうまくできているのだろうかと感動を覚えました。このようにうまくできている宇宙が、誰かがつくったものでないはずはないと思ったのです。私が神の存在を信じるようになったのはそれからです」
    ・・・・・・・・・・・・・・
    >私が神を信じるようになったのは、直接的には物質と反物質の研究を通して宇宙の始まりを見つめたことがあると思います。初期宇宙にごくわずかだけ物質の方が多く存在していたからこそ、今の私たちがあるのです。もしも完全に同数であればこの宇宙はエネルギーのかたまりにすぎませんでした。私はそこに神の意志を感じるのです。」


    しかし、物理学に「神の御業(divine intervention)」を持ち出すことが許されるなら、どんなことでも説明出来てしまう。
    それでは物理学がつまらないものになってしまう。
    オッカムなら憤死するだろう。

  • 物自体
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%87%AA%E4%BD%93
    >「感覚によって経験されたもの以外は、何も知ることはできない」というヒュームの主張を受けて、カントは「経験を生み出す何か」「物自体」は前提されなければならないが、そうした「物自体」は経験することができない、と考えた。物自体は認識できず、存在するにあたって、我々の主観に依存しない。因果律に従うこともない。
    >カントに拠れば、物自体の世界が存在するといういかなる証拠もない。「物自体」のような知的な秩序があるかどうかわからないが、その後の経験によって正当化されるであろう。


    https://www.youtube.com/watch?v=_afVnQa3eYM
    Prokofiev - Things in Themselves (Choses en soi), Op. 45 - Oleg Marshev

  • >>926

    >前者を弱い意味の曲がり方、後者を強い意味の曲がり方と呼ぶことにすれば、リーマン曲率は曲面の強い意味の曲がり方の度合いを示すものと解釈することが出来る。

    この「空間が強い意味の曲率に関して平坦であるか、非平坦であるか」は別の言い方をすれば「接続の場が包合的であるか否か」の問題になる。
    この「接続の場の包合性/非包合性」にこそ、問題の本質がある。

  • 曲率とはそもそも何か?
    (以下は私流の解釈)
    それは空間の非平坦さの度合いを示すもの。

    円筒状の曲面はリーマン曲率が0になる。つまり曲っているのに曲率=0という不思議なことがそこでは起きている。非0になるのは外部曲率(extrinsic curvature)だけ。
    「曲っていること」について我々が持つ素朴な直感と相性が良いのは外部曲率。

    その一方、球面の場合はリーマン曲率は非0になる。
    では円筒面と球面では何が違うのか?
    円筒面の場合、曲面全体を一つの座標格子で覆い尽くすことが出来るが、球面はその全体を一つの座標格子で覆い尽くすことが出来ず、どこかに特異点を生じてしまう。、
    前者を弱い意味の曲がり方、後者を強い意味の曲がり方と呼ぶことにすれば、リーマン曲率は曲面の強い意味の曲がり方の度合いを示すものと解釈することが出来る。
    回転放物面は至る所でリーマン曲率が非0になるので、それが強い意味の曲がり方をしていることが分かる。
    その一方、円錐曲面はその頂点以外は至るところリーマン曲率が0になるので、(頂点以外では)強い意味では曲っていないことになる

    曲面がどの程度、強い意味で曲っているかを知りたければ、曲面上に4つの頂点ABCDを持つ4辺形を描いてAから辺ABに沿ってBに向けてベクトルを平行移動させた後、そこからCに向けて辺ABに沿って平行移動させた結果と、逆に辺ADに沿ってDに向けてベクトルを平行移動させた後、そこからCに向けて辺DCに沿って平行移動させた結果を比較をして両者のズレを調べれば良い。曲面が強い意味で曲っている場合には必ず非0のズレが生じるが、曲面が弱い意味でしか曲っていない場合にはズレは必ず0になる。、

  • h ttps://www.amazon.co.jp/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90%E3%81%A8%E7%89%A9%E7%90%86%E6%B3%95%E5%89%87%E2%80%95%E7%AA%AE%E6%A5%B5%E3%81%AE%E7%89%A9%E7%90%86%E6%B3%95%E5%89%87%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%A6-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBP-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4480090002
    「素粒子と物理法則 −窮極の物理法則を求めて ─究極の物理法則を求めて」

    これはファインマンが1986年にケンブリッジ大学で行った以下の講演を本にしたものらしい:
    https://www.youtube.com/watch?v=MDZaM-Bi-kI
    The reason for antiparticles - Richard P. Feynma2018/06/17

  • スティーヴン・コルベア(Steven colbert)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%99%E3%82%A2


    スティーヴン・コルベアが「この世界は無から生じたのか?」の問題でLawrenceKrasuuを問い詰める:
    https://www.youtube.com/watch?v=6Ylj4UkVKnY
    00:00:SV:聖書は世界は神によって創造されたと主張する。
    00:22:SV:これを論破してみよ(destroy it)。そもそも何故、無から有が生じ得るのか?
    00:29:LK:それは簡単な問題だ。何も存在しない状態は不安定なのだ。
    00:50:SV:基本的な問題にもどろう。無とは何も存在しない状態ではないか?存在しないものが何故不安定になり得るのか?
    00:57:LK:物理学の無はあなたの言う無とは違う。それは沸騰するお湯のようなものだ。
    01:06 SV:それが沸騰するなら、それは無ではない。そこには沸騰する何かがあるはずだ。もしそれが無なら、何故泡のように出現したり消えたりを繰り返す仮想粒子が存在出来るのか?
    01:13:00 LK:それが量子力学の法則だからだ
    01:16:00 SC:何もないのなら法則もないはずではないか?

  • http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editorial/sokendenshi/vol20/nakanishi_signature.pdf#search=%27%E5%8F%8D%E5%A4%89+%E8%A8%88%E9%87%8F+%E4%B8%AD%E8%A5%BF%27
    >量子重力を構築するさいに,幾何学を量子化しようという試みが数多くなされた.たとえば,経路積分法的レシピに従い,「すべての多様体についての和」なるものが考えられた.この場合,困るのは一体どの範囲の多様体を考えるのかである.計量が導入できる多様体に限ったとしても,計量符号はどうするのだろう.頭からローレンツ計量に限定するのか?そしたら因果律と矛盾する測地線をもつ多様体まで含めるのか否か?などなど,いろいろと人為的な選択をしなければならなくなる
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    >リーマン空間的,すなわちローレンツ計量的構造は,アインシュタイン方程式を解くときの境界条件として入ってくる.つまりいわば後から手で入れているわけだ.特殊相対論を習って次に一般相対論を習うから,誰もこの手続きに対して疑問を抱かないのである.しかし,理屈からいえば話は逆だ.理論的には一般相対論のほうが特殊相対論よりも基礎的な理論のはずだから,ローレンツ計量をここで勝手に持ち込むのはルール違反と言うべきであろう.ローレンツ計量は基礎理論から論理的に導出されなければならないことのはずだ.


    ルール違反と言うのは言い過ぎではないだろうか?
    相特殊相対性理論では、「時空はミンコフスキー計量を持つ4次元空間である」と言うのは原理であり、より基本的な別の何かから導き出されるものではない。そして一般相対性理論はこのミンコフスキー時空の大域的ローレンツ変換を局所化しただけだから、「時空はミンコフスキー計量を持つ4次元空間である」を公理とする点では特殊相対性理論と同じ。
    仮に一般相対性理論がそれをより基本的な何かから導き出せると誇大宣伝しているなら「看板に偽りあり」になるが、一般相対性理論はそのような主張はしていない。
    しかし、中西襄氏は一般相対性理論が誇大宣伝のインチキ商品であるといわんばかり。

    ※:
    それは光速度不変原理と同値

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