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仮想現実宇宙

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  • 2015/09/19 07:39
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    時空進行が波動現象だからです_w

  • >>4

    物理的実在論:
     200年以上も前、トマス・ヤングはいまだに物理学者を悩ませている実験を行った。彼はスリットが入れられた2枚の板に光を通過させて、スクリーン状に干渉パターンを映し出した。これが可能となるのは光が波である場合のみであるため、光子は波であるはずである。しかし、光は、光子が粒子でなければ起こりえないはずのスクリーンの一点にも映し出される。

     物理学者による実験は進められ、今度は1個の光子を同時にスリットに通してみた。1個の光子は予測通り1つの点を残したが、点が集まるにつれ、たちまち干渉パターンを残すようになったのだ。それぞれの光子が前の光子の命中地点を知っているわけがない。であるなら、なぜこのようなパターンが現れるのだろうか?スリットの片方、または両方に検出器を設置し光子の経路を確認してみると、光子は常にスリットの一方のみを通過しており、同時に通過した形跡はなかった。不可思議なことであるが、光子は観察しているときは粒子となり、していないときは波となるのだ。現代物理学では、これを粒子と波動の二重性の謎と呼び、未解決のまま残されている。

    量子的実在論:
     量子論は2つのスリットを通過し、干渉し、スクリーンの1点で崩壊する仮想の波動を用いて、ヤングの実験を説明する。光子プログラムはネットワーク上で波のように現象を広め、接続ポイントがオーバーロードし、リブートした時点で粒子であるかのごとく再起動する。我々が物理現実と呼ぶものは再起動が繰り返されたものなのだと考えれば、量子波も量子崩壊も説明することができる。

  • >>1



    物理的実在 と 量子的実在

    ○ 物理理論の目的は自然界(現実)に存在する事象の変位・変化の記述・解明であり、抽象の場で数式が表象しているのも当に「その変化の時空量による表示」に他ならない。表現が古典的か量子力学的かは、後者段階は微小域局面に係わることで「対象の捉え方・理論から実験・検証への process がより refine されたものになっているということであって、「記述対象は存在事象」という本質には変わりはない ( 数式は時空のためでなく ”事象記述のため” のもの)。

     どちらの表現に従う場合でも 実体的物理世界 → その抽象的表現 という図式で「前段の存在を否定」しては議論対象は「後段における ”既に抽象表現である数式どまり” 」となる。 むしろそれの方が "仮想現実” と呼ばれるべき身分でないか。

     「数値・数式表現が全てとする数学絶対視」の方こそ、それが何を表象しているのか(物理は何をしようとしているのか)に関する考慮・考察の不十分さを示すものなのでは。
     「量子世界は物理世界ではあり得ない」 などということでは 全くなく、量子的実在論に立って物理的実在論を非難するのは ”尻尾が犬を拒否する” に等しい!?(自身も消失する)。

     量子力学も物理の範疇に属する以上、「対象が何か」を見失っては存在意義の喪失となり兼ねず、対称・反対称は「一つの立場の選択に伴う表裏関係として必然的に発生するもので、宇宙の変容も big bang ではなく自身の dynamism に基づいて説明されるべきものと考えます。

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