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大和心

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  • 2018/09/21 11:24
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    大和心。

    最近、滅多に聞くことが無くなった言葉。大和心。

    日本を日本たらしめる心、それが大和心です。
    日本人が代々受け継いできた祖国の心です。
    「誠実・勤勉・奉公...」色々な大和心があるはずです。

    過去から現在、国内から国外へ幅広く大和心が発揮された
    事例を通してあなたの大和心を語ってください。

    再び、大和心を思い起こし日本の誇りを取り戻しましょう。

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  • 14052(最新)

    pru***** 9月21日 11:24

    >>14050

    私も出会いでした。 他の読者の方々への参考になるかも知れないので少し長く書かせてもらいます。

    15年前に約1cmの癌がエコーとMRIで見つかり開腹手術。 九州の拠点病院でした。執刀の先生は一流の腕前。 その後、定期的に再発チェックCT検査が続く。8年間問題なし。 癌は治ったと思いました。 しかし、東京近郊に引っ越した年に再発。直径5ミリ。
    すぐ治療、鎌倉市の病院で再び開腹手術の段取りとなった。 しかし、痛い手術に代わるラジオ波という新技術が進んでいることを聞いていた。 二日かけてネットで全国の病院を虱つぶしに調べた。NTT関東病院とそこの担当医がベストと結論。

    鎌倉の主治医にはセコンド・オピニオンを聞いて良いですか、恐る恐る尋ねた。 快諾を得た。 私に関する全てのデータは画像類も含めてCDで事務の窓口からもらった。 手数料2000円ポッキリ。 今日セコンド・オピニオンは全く事務的で簡単。 NTT病院の先生に渡すと、データを見てからエコー診察。 明日、ラジオ波を早速やりましょうと即座の言葉。 お願いしますと私。普通、そこのセコンド・オピニオン料金は約4万円。 しかし、初診料としての数百円でした。

    ラジオ波治療は電子レンジのようなもので患部を高周波電波で焼き切る。 局部麻酔はあるが、先生の普段の診察室で行う。
    患者も一緒に治療患部をモニターで見ることが可能。 30分くらいで終る。 経過観察で1晩入院。 翌日退院、徒歩と電車で帰宅。 そして、いつものようにジョギングもゴルフもテニスもできる。

    その後は再再発のチェックで4月に1度のペースでMRI。 小さな癌の芽が見つかれば、
    またラジオ波で焼却。 こうしたモグラ叩きが続けば、どこかで力尽きる。 あるいは他の病気、または、何の病気かハッキリしないまま寿命でバイバイとなる。

    今日、大抵の癌は、早期発見して、そして、良い専門医と出会うことが出来れば、不治の病ではありません。

  • >>14049

    >寺田虎彦は「安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。」>と書いています。つまり、安政の大地震を振り返ることをしなかったばかりに、
    >同じ被害に遭うことになり、何万人という死者をまた出すことになったのだと。
    >日本は確かに自然被害の多い所だけれど、忘れん坊で、それを教訓としないところがある。

    伊達政宗は、地震後には、津波で浸水した場所を塩田として開発し、製塩業という復興事業を進めました。また、同時に人々は高台に家を建てそこで暮らし、塩田の仕事場に通勤するようにと命じました。 それは、数十年間は守られましたが世代を経ると災害の記憶は風化され、面倒な通勤はやめて家はまた海沿いに建てられたということです。

  • >>14048

    pruさん、返信ありがとうございます。

    15年前にがんの手術とは驚きました。
    医学はおっしゃる通り。
    私の病気も、診るお医者さんは日本で数人だそうで、東日本ではたった一人。その先生に出逢えて生き延びたました。出逢いですね。

    宣長は源氏物語を、それはそれは詳しく読んだ。そして「もののあわれをしる」と気づいたのでしょうが、宣長以前の源氏は、ただの恋愛小説と思われていたようです。

  • >>14044

     purさん、こんばんは。ブログを拝見しました。

     確かに日本は自然災害の多い国です。方丈記を読むと、つくづくそう思わされる。そして、来日した外国人の紀行記や滞在記を読むと、日本人の自然災害に対する反応が分かります。「日本人は、地震で国土が無くなる」と恐れている人も居れば、幕末の安政の大地震の時など、数万という死人が出たにもかかわらず、黙々と働き、復興させたことに驚いたアメリカ人もいた。確か、ハリスかな。

     歴史を振り返ると、色々なことが分かる。
     先の東日本大震災は、1200年前の貞観の大地震の再来だった。それを理解した東北電力は対策をし、原発一基も事故を起こさなかった。その認知が遅れた東京電力は、対策が間に合わずに、福島第一原子力発電所で事故を起こした。

     大地震を経験した日本人は、様々に記録を残し、津波の被害を歴史として残して後世に危険を知らせた。浪分神社などの存在もその一つでしょう。後世の歴史を忘れた人たちは、また被害に遭った。それは、被災地を歩くとよくわかります。

     「天災は忘れたころにやってくる」と言ったのは寺田寅彦だそうですが、実際にはそう言ったという記録はないようだけれど、それを意味するようなことを、寺田は沢山述べています。例えば関東大震災に関して、「安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。」と書いています。つまり、安政の大地震を振り返ることをしなかったばかりに、同じ被害に遭うことになり、何万人という死者をまた出すことになったのだと。

    日本は確かに自然被害の多い所だけれど、忘れん坊で、それを教訓としないところがある。しかし、する人たちも居る。東北の被災地を歩くと、地震に強かったことがよくわかりますから。

    出来得れば、やはり歴史を振り返ることを為すべきだと、私は思います。

  • 山櫻花さん
    >朱子学の「理」に対する本居宣長の「漢意」や「もののあわれを知る」も語られている。

    本居宣長は、源氏物語が「もののあわれ」の最初で最高と書いているそうです。

    >「回復(手術になれる)まで一年」と言われていますので、本格復帰>は来年の一月以降>でしょうが、

    私は肝臓がんの開腹手術を15年前に受けました。
    それ以来、今まで以前にも増して健康で元気です。 近代医学の進歩のお陰です。

    大和心 山櫻花さん >朱子学の「理」に対する本居宣長の「漢意」や「もののあわれを知る」も語られている。  本

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  • >>14042

    >大都会も皆さん方のふる里。ふる里には伝統と歴史と、そして誇りがある。日本中のふる里の誇りを増していけるよな政治をやって行こう。

    そう中川一郎は語った。
    ふる里は、日本そのものでもある。
    それが保守というものだろうと私は思う。

    中川さんは亡くなった、麻生さんや安倍さん等の同志に受け継がれ、彼らを動かしている。

    https://www.youtube.com/watch?v=1KVbp3-MU5s

  • <「冷や飯食う覚悟ない人にかじ取り任せられない」 麻生太郎副総理兼財務相が石破茂元幹事長陣営にチクリ>
    https://www.sankei.com/politics/news/180919/plt1809190017-n1.html

    【麻生太郎氏の事 雑感】

     麻生さんの「冷や飯食い」は年季が入っています。だからこその言葉でしょうが、良くここまで来たと思います。

     麻生セメントの御曹司で青年会議所の会頭をやり、飛ぶ鳥落とす勢いで順風満帆なように思われますが、何を血迷ったか河野派という弱小集団に所属し、一度落選させられ、党内では長い間冷や飯を食わされ、役にも着けず、晩年になって花の咲いた政治家。その分、保守としては確信的で、野中広務などからは「命がけで麻生首相誕生を阻止する」などと言われる始末。

     ようやく首相になった時にリーマンショックに遭遇。党内もマスコミも敵だらけ。死を覚悟していたでしょう。私のような零細企業は、麻生さんの経済政策に救われた実感がある。多分、麻生総理、中川財務大臣のコンビは、世界の経済危機を救った。

     麻生さんは晩成ではあるけれど、歴史に残るであろう優れた政治家。麻生、中川、安倍のトリオは日本を取り戻す為の肝心な人たちだが、中川が死に、この二人でこれからも日本を支え、取り戻してもらいたいものだ。

     麻生は盟友中川昭一へ、弔辞でこう述べた。

     <死せる中川 生ける保守を走らす>

     それが貴方が最も望んでいることでしょう。残された我々は歯を食いしばって頑張ります。

  • 「前途、未来を照らす一番確かな鏡は過去であり、鏡すなわち過去の歴史である。」安岡正篤

    歴史は言葉にある。
    だから、言葉を知らなければならない。
    今の時代は、教育で言葉を奪われた。
    だから、言葉を学ばなければならない。

    面倒な時代ではあるけれど、安倍さんのいう「戦後レジーム」の最たるのものの一つが教育でしょう。
    少しづつでも、改革されている様子がうかがえる。

    安倍さんには、長く首相を務めてもらいたいものだ。
    やることが多すぎる。

  • 【勝海舟 歴史とは何か】

     勝海舟は「およそ世の中に歴史というものほどむずかしいことはない」と言っています。「人間の知恵は未来のことまで見透かすことが出来ないから、過去のことを書いた歴史というものにかんがみて、将来をも推測しようとする」のだと。「しかし、幕府が倒れてからわずかに三十年しかたたないのに、幕末の歴史すら完全に伝えるものが一人でもいないではないか」と嘆いていますが、たった三十年でこの体たらくなのは、日本人が歴史を振り返る勉強と努力をしなくなったがためと言えなくもないでしょう。(「氷川清話」角川ソフィア文庫)

     幕末から150年経った今、さらに歴史を振り返ることが無くなり、日本人は幕末も江戸時代も分からなくなっています。私の仕事はそれ以前から続いているものですが、歴史を振り返らないから、日本人は誤解ばかりしています。

     何故かと言へば、社会進化論の影響が骨の髄まで染み込んでいることもありましょうが、言葉を奪われ、歴史を振り返ることが困難になっていることも、原因としてあるように思います。

  • ちょいと大和心トピを振り返ってみましたが、私はお正月のご挨拶以来この九月まで、何も書いていないようです。
    その月に三度目の手術をいたしまして、どうにか生き返りましたが、「回復(手術になれる)まで一年」と言われていますので、本格復帰は来年の一月以降でしょうが、その間、何十年かぶりに読書にいそしむことが出来たのは、不幸中の幸いかと思います。

    それにしても、このトピ、良く続いています。
    ひとえにpurさんのお陰。元常連として、感謝申し上げたい。

    振り返ると、テレヤクンや柳四郎さんなど、いろんな人が出入りしていたなと、感慨深い。
    彼らにも、感謝。
    余計なお世話か(笑)

  • >>14037

    pruさん、おはようございます。

    ダーウィンの「進化論」とハーバート・スペンサーの「社会進化論」の日本への進入は、すさまじい速さだったことは、1878年に来日したイザベラ・バードの「日本紀行」で偲ばれます。

    彼女が新潟に滞在した時に、大きな書店でその店主と話した内容が書かれています。そこには「日本の歴史、地理、植物に関する日本人の作品には以前ほど需要がないと私に語りました。」とある。
    その店主は「ハクスリー、ダーウィン、ハーバート・スペンサーの作品の訳書を何冊か持っており、上級学校に通っている若い男性が買っていくとのこと。」とも書いています。

    日本の文化の中心京都では、「同志社英学校」の授業を見学し、ハーバート・スペンサーなどの著書がよく読まれている結果、彼ら(学生)の関心がこの分野(精神哲学、道徳哲学)に大いに示されていると書いています。

    この頃から、日本の文化の中心京都でも、日本の地方都市でも、日本の歴史よりも、輸入された学問(進化論、社会進化論)に影響されていることが分かります。


    戦後、GHQの日本統治政策によって、この傾向は甚だしくなり、今に続くわけですが、そろそろ日本人も気づかなければならない時代になっているのではないでしょうか。その気付きを「大和心」というのだと言い続けてきたのが、このトピなのです。

  • >>14036

    同感すること、教えていただいて初めて知ったことが
    詰まったご返信を有難うございました。

    >私も「古い」「古臭い」という言葉が気になります。

    >日本人には、「時代遅れ」とか「古臭い」という考えも感じ方もなかった。それよりも、
    >歴史を振り返ることが、「古い」事、「時代遅れ」な事を見ることが、日本人の生き方だっ
    >た。だから、大和言葉にfutureに適応する言葉が無く、「未来」と新しい言葉をつくった
    >わけです。

    >明治10年、大森貝塚のエドワード・モースが、東京帝国大学で教鞭をとり、ダーウィン
    >の「進化論」を日本人に教え、続いて来日したアーネスト・フェノロサが、ハーバート・
    >スペンサーの「社会進化論」を日本に持ち込みました。これが「気になる言い回し」の
    >原因です。
    >つまり、フェノロサ以来の日本人、特に東京帝国大学で育った日本のリーダーや役人達に、
    >社会進化論が骨身に染み入って今があるわけです。

    >社会進化論を簡単に表現すれば、過去は未開であり、未来はより優れた社会になる。
    >現在はその経過だというもの。
    >それ以来、日本人は未来ばかりを見るようになり、過去(歴史)を振り返ることを忘れさ
    >せられていると云うわけです。

    また宜しくお願いします。

  • >>14035

    pruさん、こんにちは。

    >「・・・時代遅れ」「・・・時代に合わない」 「・・・時代に逆行」

    これらを「気になる言い回し」とおっしゃる。

    私も「古い」「古臭い」という言葉が気になります。
    何故かと言うと、私はその「古い」伝統を受け継ぐ仕事をしているからです。

    日本人には、「時代遅れ」とか「古臭い」という考えも感じ方もなかった。それよりも、歴史を振り返ることが、「古い」事、「時代遅れ」な事を見ることが、日本人の生き方だった。だから、大和言葉にfutureに適応する言葉が無く、「未来」と新しい言葉をつくったわけです。

    「鑑みる」という言葉があります。
    「鑑(かがみ)を見る事」だけれど、辞書を引けば「先例や規範に照らし合わせる。他を参考にして考える。」とあります。その「先例」と「規範」とは、歴史が教えてくれること。だから日本人は、歴史を「かがみ」とした。「つまり、「鑑みる」とは歴史を振り返ることだった。

    その考え方で日本人は生きてきたけれど、明治になって「進化論」に初めて出会うことになります。
    明治10年、大森貝塚のエドワード・モースが、東京帝国大学で教鞭をとり、ダーウィンの「進化論」を日本人に教え、続いて来日したアーネスト・フェノロサが、ハーバート・スペンサーの「社会進化論」を日本に持ち込みました。これが「気になる言い回し」の原因です。
    つまり、フェノロサ以来の日本人、特に東京帝国大学で育った日本のリーダーや役人達に、社会進化論が骨身に染み入って今があるわけです。

    社会進化論を簡単に表現すれば、過去は未開であり、未来はより優れた社会になる。現在はその経過だというもの。
    それ以来、日本人は未来ばかりを見るようになり、過去(歴史)を振り返ることを忘れさせられていると云うわけです。

    では、ハーバート・スペンサーがどれくらい広まっていたか?というお話しは、機会がありましたら書いてみます。

  • >>14033

    大国隆正を調べると、気持ちが悪い。平田篤胤の存在はその上を行く。
    宣長は儒を「漢意」としたけれど、「儒」の横井小楠は国学を否定した。
    否定した国学は、篤胤や隆正のそれだとしたら無理もない。
    明治維新には、様々なことがある。
    そろそろ、大和心をもって明治維新を見ることが求められているのではないかという気がする今日この頃です。

  • 大和魂とは、宮中に生きる女の生活の知恵の様な事だけれど、それが、幕末から明治、大正、昭和と、「武」に関する言葉に変化させられてしまった。何故かと考えると、やはりそこに平田篤胤の存在があるようだ。

    以前、大和魂がそうなったのは、大国隆正以降だと書いたけれど、大国(大国主命から取った)は平田の弟子筋。
    平田も大国も、調べたり研究したりするのは時間の無駄だからしないけれど、彼らの主張の誤謬は、今に続いているように思う。

  • 昨日、某大学文学部の哲学の教授が我が家にいらして、著書も頂いた。そこに「大和心」とある。朱子学の「理」に対する本居宣長の「漢意」や「もののあわれを知る」も語られている。大学で教えていらっしゃるらしいが、時代も変わりつつあるのか。とても良い事だとは、さすがに申し上げられなかった。生意気ですから😅ただし、私が宣長を読んでいることは、教授もご存知。だから、著書を頂けたわけで。このトピのお陰で、随分「大和心」と「漢意」について語れるようになった。ありがたい。

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