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当時行われていた、ヤマハのポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)は
個人エントリーによる「ギター、あるいはピアノでの弾き語り」でも
ちゃんとバンドアレンジにして、バックバンドによる演奏をつけてくれたので
(会場での歌唱まで勝ち残れば)
それ目当てで応募する人もあったと聞きました。

反面、出品曲は、ヤマハに譲渡するという契約書に同意しなければ出場は出来ません。
ですから、私達のようにプロダクションが観て、聴いてスカウトしても
気に入られた「出品曲」ではデビューできません。
それでデビューしたければ、ヤマハに認められ、ヤマハからデビューするしか無かったのです。
他の可能性を持ちうる者にとっては窮屈ですが、ヤマハに認められる以外の道は無い人には
それしか無かった・・・でも、雲をつかむような未知なる未来に
ヤマハという大きな後ろ盾が出来るのですから「音楽では食えない」時代には
大きな足掛かりではありました。

同じく、ヤマハ主催のEastWestというよりロック寄りのコンテストで
コレに負けたのが「あの人」には衝撃だったんだと思います。
そもそも、私が加入した時点での音とほとんど変わりませんからw
私を加えた事自体が、そうした喧しく、荒っぽく、反社会的な方向からの脱却を
目論んでの事だったはずですからね。
過去の武勇伝のような事を持ち出される事も嫌がっていました。

ttps://www.youtube.com/watch?v=OsBKWIX8gjQ

楽屋(大部屋)でも、ピリピリしていて一触即発というか
いつ乱闘が始まるか?とビビっていました、私はw


あの有名なバンドが終わってからの、彼の音作りからしても
指向はもう、あれ(喧し系)じゃ無かったと思います。
それがイイなら、それをやる。
1番になれるなら、なんだってやる。
だったのでしょうね。

ちょっと話逸れましたw

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