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    70才 意気軒昂・トピ様、
    一つ兄貴です。

    全国で10万人の80才以上 パソやる方、気兼ねなくいらっしゃい。

    悪戯、色物 嵐 謝絶。。

    ポチ
    H.15.6.4
     

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  • 久し振りです。 11月5日から2週間あまりタイに行ってきました。 今年は1月と4月に3週間余り、タイに行っていたので、来年にでもと思っていましたが、先月初めに知人の誕生祝いにホテルに呼ばれて、レストランの床段差に躓き転倒、傷は大した事が無かったのです。

    しかし、数日後から膝が痛み出し、1か月半経っても歩行が困難、場所を変えるのと気分転換にと、勝手知ったタイに行く事にしたのです。

    我が家から空港は近くてタクシーで20分、ほとんど歩行は無しでタイ空港着は深夜の12時、交通機関はストップしてタクシーの利用だけなので、日本の援助で出来た大空港のペンチに座り、セブンイレブンで買ったビールや食べ物で朝方まで過ごしました。

    バンコクの定宿で四泊、昼間足を引き摺り王宮や寺院を廻ったのが結果が悪く、ここに居ては良くならないと、北600km 離れた チェンマイに航空機で飛び、定宿ホテルで四泊して、宿を変えて六泊、今度は付近二キロいないを一日ぶらぶらとして静養に努めました。

    朝は10時に決まった喫茶店でコーヒーで一時間、昼食は電気やPC関連のビル四階でビールとタイラーメン、400円の安上がり、ホテルでのウイスキーやビールはセブンイレブンで仕入れ、夜食は隣接している大きいナイトバザールの大衆食堂にビールを持ち込み、200円の盛り合わせ飯で過ごしていました。

    その為か、帰国の20日は少し体調が良くなったのですが、チェンマイで買った杖は離さずにマニラまで一緒でした。

    結局、膝の痛みは完治せず、買った食料や水、ビール等を左手で持ったので肩が凝って暫く弱りました。

  •  今晩は、 PCを変えての日記です。
    ベトナムの一人旅行の思い出。 現地の旅行社に、ベトナム南半分の航空券を頼んだのですが、少し高かったので良く調べると、運賃、ホテル、観光付きのセットになって割安料金でした。

    往復の航空費に空港とホテル送迎、都市間の移動交通費が含まれていました。 結局は楽なツアーになったのですが、旅費に含まれている観光地は、平坦な処は良かったのですが、山岳部の遺跡廻りには弱りました。
     
    バスは途中のホテルで客を拾って、20人程が山手の遺跡に向かいました。 バスを降りて細い山道の歩行で、皆さん若い人達で歩くのが早くて、吾輩は何時もビリ、一生懸命に着いて行くのですが、彼らとの距離は開くばかりでした。

    今迄ツアー旅行の経験は無く、何時も独りで歩いているので、初めて体力の減退を知り、次回からはツアーは止めにします。

    今年一月と四月にタイへ行っていました。 タイはハンガリーのブダペスト旅行で、八年前の旅に知り合った、タイ生まれで20数年間ブダペストに住んでいる女性、 母親がタイ、アユタヤ近郊に住んでいるので、半年間タイに来ていましたので出て行きました。

    六月は国内のセブに一週間、七月初めは大阪と京都にいっていました。 八月は京都の甥と息子がマニラに来ていて、バタバタしたので九月はマニラで燻っていました。

        マニラの Roy

  •  今日は、七月初めに10日間、大阪と京都に行っていました。 京都に居てマニラに帰る日の朝、帰国便が夜でしから、思い立って大阪のヨドバシカメラに行き、多分人生の最後に成るだろう、hpパソコンを購入しました。

     マニラに帰って早速hpパソコンを開封したのですが、機種が変わっているので思う様に使えず、持ち帰って二週間が経ったのですが、満足に扱えなくて四苦八苦しています。

     他に今までの使い慣れたPCがあるので、ついつい新しい PC の扱いを敬遠して、結果は phパソコンの操作を怠り、今日時点ではやっと50%が出来る感じです?。

       マニラの Roy

  •  今日は、17日からベトナムはサイゴンに来ています。 明日から一週間北方面に旅をします。

     サイゴンのは新しいホテルで設備は良くて、このホテルは五千円、広くて全体には良いので須、照明の配置が悪いので、PCの操作に手まどっています。

     今日ホテルを変えますので改めて。

  •  今日は、皆さんから楽しかった秋の旅行報告を見せてもらいます。

     吾輩はもう何十年も日本の秋と冬は遠くなりまして,僅かに秋の味覚を思い出す程度です。

     不思議ですね、長らく日本を離れていると、郷愁の感が無くなってしまい、日本の皆さんが外国旅行先の国を見る感じになっています。

     日本が特に良い国とも思いませんし、寧ろ、世界一物価が高くて、貧乏年寄は住み難いのではないのでしょうか。

     十月の帰国の際、親友、中学時代から約七十年の付合い、彼の豪邸に誘われました。 彼の家族の様に大金持ちでしたら、日本だけで無く、世界の国でも楽しく過ごせるなーと思いました。

     幸いか、資金無い吾輩ですが、フィリピンの物価が日本の四分の一程度なので、月に10万円もあれば、老後の心配は無しで、気楽に暮して行けます。

      マニラの アーホィ

  •  皆さん今日は、マニラの天候は午前中は晴れ、午後から次第に曇り出し、午後五時頃か雨が一時間程降る毎日です。

     さて、10月05日に関空に入ります。 先の四月に新大阪で転倒した、後遺症がやっと回復したので、その時の遣り残しや年金入金の確認、又、話題の iphon 等も勉強したいので、一週間の帰国です。

     折角なので、少し長く滞在したいのですが、日本は物価高、フィリピンの3-4倍もするので、滞在は一週間の短期です。  それでもホテルと諸々の出費は マニラの三か月分に相当するので、いつも早々にマニラへ逃げ帰っています。

       マニラの アーホィ

  •  お早うございます。

     八月の我が家に来る来客の最後、京都の甥がやってきます。 八月は知人他の来比もあって賑やかな月になりました。

     長らく一人でノンビリ生活に慣れているので、来客があると少し疲れて、孫が爺の家に来て、帰っていった様にホットします。

     今日の甥の来比は、吾輩が80歳を超えたので、マニラの動、不動産や身の周りの整理の話に呼び寄せました。 
     
       マニラの アーホィ

  •   今日は。マニラの朝は薄曇り、弱い日差しです。 雨が近いのか、今は無風状態で少し蒸し暑い気温です。

     10時に冷房を入れると寒くなったりして、温度調節に手間取っています。 机に向かい何時もの様に、PCを開いて、趣味人の投稿を見たり、知人に連絡をする以外用は無く、狭いコンドの中を行ったり来たり、午後には何時もの散歩を兼ねた、ショッピング散歩にでも出かけます。

       マニラの アーホィ

  •  今日は。一時間の時差遅れマニラからです。 今日も体重減らしに簡単な昼食、ワイン中級五百円をグラス半分、冷凍の黄肌マグロ200円分だけでした。

     80歳を超えると体重が減り、痩せるものと思っていたのですが、一向に減量が無くて、昨日のゴルフも歩行に疲れて、途中で止めたでした。

     矢張りアルコール、ビール、ワイン、ウイスキーが原因ですね。 これらの量は随分と減らしてはいるのですが、完全に止める気はなく、余生の数年間は続けます。

       マニラの アーホィ

  •   80歳おーはーの皆さん、今晩は。

     今夜はSkypeの話です。 TV会話が無料なので、ついつい長話に利用しています。 永話は女生が得意ですが、男性とは初回は長くて10分間が精々、回数が重なると話題が少なくなって、skypeから遠退いてしまいます。

     さて、今日の夕方五時頃のSkype、ハンガリーはブダペストの女性からでした。 彼女と知り合ったのは六年前、77歳で中欧の独り旅の途中で、今年60歳になる陽気な女性です。

     彼女は数日前にドイツで一か月間働き、ブダペストに帰って来たばかり、ドイツでの仕事やドイツ生活に、最近のハンガリーの様子話の後、是非もう一度欧州への誘いもありました。

     英語にドイツ語、ハンガリー語を自由に操る彼女はタイ生まれで、ハンガリー滞在は20年余り、吾輩は60歳から始めた英語、話の相手している時間は45分余りになり、ウイスキーを飲みながら相槌をうっていました。

     以前と違って、世界の国から無料でTV会話ができるので便利になりましたね。

      マニラの アーホィ

  •  今朝五時半の便で、一週間マニラへ遊びに来ていた、趣味人倶楽部の知人が成田へかえりました。

     空港に近い我が家ですが、朝の二時に家を出て同行、彼は初めての一人海外旅行の81才、各国の空港に依っては、航空機に乗り込むまでの手続きが複雑、惑う事無くスムーズに進み、見送り人の最後のゲートでパイパイをしました。

     短い期間でしたが、初めて81才一人での海外旅行、此の勇気と前向きの人生は素晴らしものですね。

      マニラの アーホィ

  •  皆さん今晩は。

     毎日何もしない吾輩はPCが友、そのPCも目が悪くなって150-200倍、眼鏡を取り換えても、キーボードの間違いが多く、時間が掛かって途中で止めたになっています。

     暇な七月の後半は、長く付き合っている同年輩、趣味人での知り合いが、今月後半にマニラへやってきます。 彼は数回ツアーの経験があるだけで、今回が初めての一人旅、年寄りが独りで初外国旅行のマニラなので、勇気があるなーと、感心しながら来比を待っています。

    皆さんの中に、80才を超えた人が多く居ると思います。 高齢者は団体ツアーでも同行者が居ないと参加は不可ですから、外国へ独り旅をされる人の話は少ないですね。

     80才を超えた皆さんで、独りで海外旅行をされる、された人がいましたら、是非、旅の仲間に入れてください。

       マニラの アーホィ

  •  お早うございます。

     一昨日の夜からフィリピン、マニラは台風9号に覆われていました。 風も雨も大した強さでは無かったのですが、この地の台風は動きが遅く居座り停滞するので、雨の総量は大きくなっています。

    台風の影響か、昨日の朝四時頃に始まった停電、一時間もすれば回復するだろうと、朝七時に目覚めましたが電気は無し、結局約一日、20数時間後の今朝二時頃にやっと電気がきました。

    先の大戦時は電気が有る無しは、左程電気にしなかったのですが、今日では生活環境全てが電気に関連、停電でウロウロしている、80余才の爺でした。

       マニラの アーホィ

  •   皆さん、お早うございます。 最初から変な投稿、80才のパソコンなのでご容赦、
     
     80才余になった吾輩のマニラ生活です。 数年前から一人暮らし、何もかもが面倒になり簡素生活になっているのと、身の周りの整理にも入っています。

     マニラの食事話です。 三度の食事も段々と質素簡単になって、以前と違い高級レストランで美味しい物も、金の無いので食べたいと思わ無くなっています。

     ましてや、わが家の食事ですが、家庭料理の経験の無い下手糞が、美味しい物を作れる筈も無く、自分で作った物は美味しくは無くても、無理に食べたりして、量的に後日持ち越して再度食べる気が無く、ごみ箱行きです。

     それよりも マニラの我が家近辺は、100mも歩けば三軒の食堂があり、どの店も安くて味が違い美味しいし値も安い、一品が50ー70円、10分間も歩けば選りどりで、一週間分の食材は色々とOK、800円で冷凍庫は一杯になります。

     ご飯は炊飯器で現地産のコシヒカリ、これも5合を炊いて冷凍庫後チーン、何もかも簡単で便利な生活になっています。 只、朝だけはパンに果物とミルク、コーヒーは自分で食卓に並べるのが吾輩の仕事です。

        マニラの アーホィ

  • 東京駅から錦糸町へタクシーでツリーに着いたのが九時半、
    予備知識もなくまごまごして整理券をもらうのに並び
    最後部はどこた? 並んだら十二時のえれれべーたーに、
    2時間下からアンクル探してあちこちから上を向いて
    首がおかしくなるほどデジカメ撮る。
    十二時前あっという間に人の山、それからまた並び立ちんぼ
    一時間やつとエレベーターの前まで来た、そして待つ。
    待つまつ、あっというまに350m、そしてまた天空への
    待ち列は一回り先頭に重なっている、そしてまた30分
    待って待って待望の天空回廊に出たのは3時間余。でした。。つづく。

    **80才♪パソで!元気! 東京駅から錦糸町へタクシーでツリーに着いたのが九時半、  予備知識もなくまごまごして整理券をもらうの

  • 夏の夜話狐の子3~♪ 作ねんけん
    backmusic
    http://music.geocities.jp/so5ro369/_gl_medias_/kitunenoko3-1.mp3

    「なんだ、おばさんか、ああよかった」
    月夜だが曇り空で、ほのかにあーちゃんのお母さんの白っぽい着物姿が
    立っていた、五郎はほっとした、

    おばさんは「五郎ちゃん! あーちゃんと遊んでやって」と・・・元気なくやさしく
    そして懇願するように言って振り返っては手招きをした、
    五郎はふわっと身が軽くなった、「うんいいよ」と言って、暗い夜道を白っぽい
    着物のす裾ばかり見て一所懸命付いて歩いて行った。

    五郎はおばさんが目が悪いこと忘れていた、
    「おばちゃん目みえるの?大丈夫?」と五郎の問いに何も返事もなく・・・
    さっさと歩いていく・・・

    あーちゃんはおねいさんと弟がいて、お父さんは郡役所のお偉いさんで、
    お母さんは美しく静かな人で遊びに来る五郎を可愛がってくれた。
    五郎もなついていたが反対にここのお父さんは怖い顔ばかりで笑顔を
    一度も見ることはなかった、

    あーちゃんが又幻灯機か蓄音機かで遊ぼうと言っていると思った。
    最新の情報が何でもあった、活動写真プロマイド、歌レコード、オルガン、

    漫画雑誌、チョコレート、何でもあった。今夜はお父さんいないんだな?
    勝手にそう思って悦んで付いて行った。

    このお母さんはいつも顔色が悪くて目がだんだん悪くなってあまり顔見せず
    ふせっている事が多かった。
    女系が続いた此の屋敷の主人として入り婿したあーちゃんのお父さんは
    お母さんとは不仲になっていったのかあまり見掛けなくなった。

    このあるじは山高帽子やカンカン帽子に蝶ネクタイでステッキもって人力車
    に乗っていた。時には、はでなカンザシおしろいの厚いおネイサンを見ることもあった。

    そして近頃この代官屋敷になにか変転か暗転か異変が起きていた。
    その前兆か、去年の夏、代官屋敷のシンボル的の存在の姿松、遠くからでも
    どこからでも望まれた、抜き出た高さの格好のいい一本松の大木が激しい
    雷雨のとき落雷の直撃を受け真っ二つに根元まで裂かれてしまったのです。
    そして・・・・・
     つづく・ねんけん

  • 南部海 北も南も 宝海

    編曲ねんけん
    http://www.geocities.jp/urasima3ro/_gl_medias_/nanbuusioi5.mp3

    田舎なれどもサーハーエ
    南部の国はヨー 
    西も東もサーハーエ 
    金の山 コラサンサエー

    津波怖いが・サーハエ
    三陸の海はヨー
    北も南もサーハエ
    金の海 コラサンサエー

  • 相馬空 懐かし悲し 帰りたや

    ハア− 遥はるかかなたは そうまの空かヨ ナンダコラヨト   
      相馬恋いしや 帰りたい ナンダコラヨト

    ハアー 地震に津波にと  そのうえ原発かヨ ナンダコラヨト
      相馬恋いしや 返してくれ ナンダコラヨト

    http://www.geocities.jp/urasima3ro/_gl_medias_/soomakanashiya2.mp3

    http://blogs.yahoo.co.jp/senzenjin258/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg2.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2Ff3%2Fad%2Fsenzenjin258%2Ffolder%2F560205%2Fimg_560205_23563859_1%3F1263938132

  • ・狐の子-2
    backmusic2
    http://music.geocities.jp/so5ro369/_gl_medias_/kitunenoko2-1.mp3

    五郎の家のちかくに濠をめぐらした長屋門の構えに堀と鬱蒼とした森と
    藪を後ろに囲まれた代官屋敷があった。
    お爺さんは若いころ幕末から維新で零落を始めたそこの代官に仕えていた。

    そのお屋敷のお坊ちゃんの"あーちゃん"と五郎は幼稚園で同い年
    同級生でいつも一緒で無邪気にころころと遊んでいた。
    門を出入りするのもまだ武家の格式が残っていた、小百性小作農は
    くぐり門からはだしで出入りしお勝手口からしか出入りできなかった。
    五郎はお祖父さんと奥の上玄関から自由に出入りした。

    長屋門の脇の部屋に古びた"お駕篭"がぶら下がっていた、
    屋敷の奥のお堀には鯉やフナのほか真っ赤なおなかの気味悪いイモリが
    やたらに多かった、
    魚釣りしたり、藪でカブトムシクワガタをとったり。お駕籠に乗ったり
    堀添えの蔵に入って刀、槍、鎧などで遊んだ。

    あの日あそびに夢中でいつの間にか薄暗くなっていた、宵闇迫って藪林が
    ざわざわし始めていた。
    "きゃぁぁぁんーー"とひと鳴き・・・太い尻尾だけが印象強く三四間ほど飛んだ
    狐を見てわっと逃げ帰った
    小学一年生のころのこと。

     あぶらげをやって来いとお爺さんに言われて五郎はしぶしぶ立ち上がって、
    又か、さっきのやつかな、代官屋敷のやつならまだいいけど、本田の林の
    やつだといやだな、この前だまされたからな・・・・・つぶやきながら

    五郎はこの間のように狐が又ふたつか四つの金色に光った
    目玉でこっちを向いていると想像していた、サッと石垣の上に置いて
    逃げてくればいいと思っていた。五郎はいやだなと思うと背筋がぞくっとして鳥肌たった。
    寒気を感じながらあぶらげ二枚もって恐る恐る暗がりに出た。
    つづく・・・

  • 昭和の初めの頃の不思議物語

    backmusic
    http://music.geocities.jp/so5ro369/_gl_medias_/kitunenoko3.mp3


    昼間の暑さにけだるい武蔵野の雑木林がつるべ落としの夕陽にかげり
    涼しくなった暗闇の物陰にもののけの達のざわめきの声がささやかれ
    はじめた頃。

    こんこん、、どんどん、、トントンと裏の戸を鈍くたたくものがいる、
    子供たちの地蔵祭りも終わり秋口にかかった夜長の宵の口でした、
    「おい! 五郎、また来とるぞ、あぶらげ、もっていってやれ」、
    お爺さんばあちゃん父母七人兄弟・お膳並べての大家族の夕食後、
    母たちの後片付けに騒がしいのにお祖父さんの耳はよく聞こえるもんだ。
    なぜか今夜はお祖父さんは一番下の五男坊の五郎に言いつける。

    戸をたたくのは大抵キツネかタヌキである、あの太い尻尾でたたくのである。
    お祖父さんは音で狐かタヌキかわかるらしい。 
     嘉永元年生まれのお祖父さんはもう九十に近いのに割る木割る元気な
    隠居人、昔は大柄で厳しいがやさしいお侍だったと、身の丈六尺の大男、
    京都で代代官゜として新撰組と渡り合った話をよくしてくれた。
    お寺詣りにお宮参りに五郎をだしによく連れて行った。お寺ではお庫裡
    に上がったりお宮さんでは社務所によっては暇をつぶしいた、
    五郎は大人の話に退屈させられた。
    つづく

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