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    サトシと言います。初めてトピを立てました。皆さんの楽しかった旅の想い出、また、これから行きたい旅のプラン等のお話を聞かせて下さい。
    実は、私の妻が大病を患い、数カ月間闘病生活をし、本人は言うまでもなく、家族も大変苦しみました。幸いにして妻は全快し、退院してきた時は、大変だっただけに余計に嬉しかったのは、経験された方はお分かりになると思います。
    さて、この歓びを何時までも忘れないために、記念になる『想い出となることをしょう・・・・』と思いついたのが『ぶらり旅』でした。
    そして、気候も温かくなった昨年5月山陰から山陽辺りを予定も立てずに廻ってきました。
      この旅は、全走行距離 2,100km・出入り7日間で、60歳ドライバーの私には、チョットきつい行程になってしまいましたが、懐の底が見え隠れしだしましたので帰ってきてしまいました。
     貧乏旅行ではありましたが、テレビ等で山陰。山陽の名所・旧跡が写る度に、妻は『私たち、ここに行ってきたね。・・・ここも』と。
      この一年、夫婦の会話に旅の想い出がプラスし、『旅って、いいですね〜』を実感しています。 
     皆さんの、旅の想い出・良かったこと・思いがけない事・ガッカリした事・失敗談等・なんでも語りあいましょう。お待ちしています。   

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    s_t***** 1月20日 05:21

    ”地球温暖化現象”
    10日程前、新潟で列車が豪雪の中、走り抜けようとしたが途中で停車して半日以上乗客が車内に閉じ込められた事故があったり、北陸自動車道でも富山・石川県境付近で車400台が雪に阻まれ、動けなくなった事があった。
    あの時降った雪はここ数日の気温の上昇ですっかり消えてしまった。
    今の次期、暦では寒の真っ最中なのだが、やはり地球温暖化現象が進んでいる様で、このことを肌で実感している。
    先ごろの新聞にも、昨年の地球上の各地の気温は、史上2番目に高かったと報じていたのも、この事かと思う。
    この現象は、人間社会の生活環境の向上と共に、人口増加が主な原因ではないかと思われる。
    このことは抑制できるものでないので、それを超える対策を今のうちに考えて、のちの人々に感謝される方法を考えて行かねばならないのではないかと思う。
        -サトシー

  • 大相撲を見ている・・・3
    稀勢の里 心配してた通りのことが起こった。今朝の新聞によれば、二場所続けて三日連続で金星を献上したのは歴史上はじめてだとか。この際、思い切って休場することを考えた方がいいかもしれない。
    一方西の平幕最下位には、5日間勝ちっぱなしの横綱鶴竜と共に、4力士と肩を並べている朝乃山が光っている。
    我が郷土・富山の力士なので応援しているのだが、先場所は5勝10敗と大きく負け越し、今場所はどこまで連勝が続くか・勝ち越せるか、心配である。
         -サトシー

  • 大相撲初場所を見ている・・・2
    稀勢の里 昨日も平幕に落ちた琴奨菊に負けて3敗になってしまった。
    久しぶりの日本人横綱ということで、館内の観客は勿論・全国の相撲ファンの期待を一身に受け、想像以上の圧力が稀勢の里関にかかり、御自身その重圧をまともに受けて、心身硬直状態の感じがする。
    思えば、二日目に平幕の北勝富士に勝った時、場内の声援はあたかも稀勢の里が優勝でもしたかのごくの大声援が巻起こった。言うなればそれだけ稀勢の里に対する期待が大きいのだろう。だからあまり騒がない方が伸び伸びと相撲に集中できるのかも知れない。 
     白鵬だって、昨日・一昨日とも負けたが、その負け方は際どい負け方というより、ふがいない負けかたで、多分に協会からの注意事項がその相撲に影響している感じがする。
    私ら日本の相撲ファンは、稀勢の里関に対してもっと静かに見守っていけたらいいのかも知れない。
        -サトシー

  • 隆盛の入水自殺の時のもう一人の僧侶は亡くなって隆盛だけが生きたことにたいして
    僧侶の墓前で号泣したという有名な詩吟の歌があるらしいですね。
    詩吟をやっていた義母は そのときのことを話してくれました 必ず涙を流し興奮状態でした。
    気の強い義母でしたが こういう話をよく聞かせてくれました。

         たふ

  • ”大相撲初場所”を見ている。
    稀勢の里が心配だ。平幕の逸の城に力負けしている。
    例え”力”は互角でも、横綱は”技”で優っていてこそ横綱と言えよう。
    そもそも稀勢の里は、心技とも盛り上がってきての横綱というより、ややもすると盛り上がりの頂点に達して、下り坂に差し掛かった時に横綱になったような気がする。
    まだ本場所始まって3日だけなのだから、あと12日頑張って優勝戦線に残って欲しいと願っている。
          -サトシー

  • ”たふ”さん 勘違いしていました。沖縄ではなく、鹿児島のことですね。
    わたしは鹿児島には3回行きました。
    一回目は、平成2年のNHK大河どらま『翔ぶが如く』に西郷隆盛・大久保利通中心の物語で、西郷さんの足跡を訪ねる旅で、奄美大島から西郷さんが入水自殺を試み、蘇生した錦江湾の小屋や、西南戦争に破れ、自決した城山等を訪ねる旅でした。
    二回目は、カミサンと二人で全国制覇の旅の一環として鹿児島に行き、指宿温泉や知覧平和会館(特攻隊の基地跡)等を観光し、磯公園にも行きました。
    三回目は、旅仲間と二人で、全九州を7日間で一周するツアーに加わり、博多まで新幹線で行き、その先は観光バスにゆられて温泉巡りで、雲仙普賢岳の被災地の現場が強烈な印象として残っております。そのとき勿論鹿児島にも行きましたし泊まった温泉は霧島温泉だったと記憶しています。
    私も全国アチコチ旅をしていますが、加齢と共に記憶力もまばらになり、大分忘れてしまいました。
    幸いにも私はビデオカメラが好きで、ほとんどの旅をビデオに納めていますので、今後はそれらを取りだし、再生したりして思い出そうと考えています。
        -サトシー

  • せせらぎ次郎さん 懐かしいお名前ですね。思い出しています。

    今日は妹の病院に娘と一緒に見舞いに行ってきました。病院の近くに評判の餃子屋で結構な量の
    食事しました。昼どきで近くの建築現場の職人たち 学生で大変な賑わいで外は行列です。
    娘が私の頼んだメニューをみて お母さんは職人さんと同じ量食べてるね。と笑われました。
    ごもっともです。食べられる時に食べておいたほうがいいよとも言われました。
    その足で妹の所へ なかなか車いすからは離れられないようでみていても可哀想でしかたないです。
    毎日仏前の両親にどうか助けてあげてねと 頼んでいます。

         たふ

  • 沖縄には2度行って居ます。
    一回目は、海洋博があった時で、その時私は初めて飛行機に乗ったことが一番の思い出です。
    沖縄では、海洋博観光をはじめ、ひめゆりの塔や守礼の門等、いくつかの有名観光地を回りました。あと大阪空港上空から仁徳天天皇の御陵がはっきり見え、その大きいのに驚いた思い出があります。
    二度目はこのトピを開いて数年後に八重山諸島巡りを中心に観光いたしました。
    そして沖縄最後の夜に那覇に戻り、当時沖縄那覇に住んでいて、このトピで盛んに交流してたトピ仲間の『せせらぎ次郎』さんと連絡をとり、次郎さんが私ら夫婦の泊まって居るホテルまで来ていただき、楽しいひと時を過ごした思い出があります。
    次郎さんは、もともと埼玉県に在住してて、ある年齢に達した時、ご商売のすべてを息子さん夫婦に譲り、奥さんと共に大型のオフロードタイプの車に生活用品を載せ、それこそ「ぶらりと予定も立てずに旅に」出て、たまたま神戸に行ったら沖縄行きのフェリーが目に留まり、沖縄に行き、しばらく滞在しているうちにすっかり沖縄が気に入り、遂にアパートの一室を借りて定住され、夏休みになったら、お孫さんたちを沖縄に呼んだりして楽しい沖縄生活を、このトピに寄せていただい方です。
    今も元気に沖縄の暮らしをエンジョイしていらっしゃると思います。
        ‐サトシー

  • 里雪とはなんときれいな言葉でしょう。初めてしりました。
     
    二回目の大河見ました。なんか篤姫を思い出させる俳優が 出ているようで少し不思議な
    気がしました。沖縄に行くとき鹿児島のお城のそばを通りました。ゆっくり行ってみたい場所です。
    さとしさんは 行かれたんでしたね。

       たふ

  • そうなんです!
    雪の降る量は、同じ県内でも大きく変わります。
    雪国には『里雪』という言葉があります。
    この意味は、普通雪は山間部の方に多く降りますが、時として平野部の方に多く積もることがあります。このことを称して『里雪』と言います。
    その時の雪雲が、風の吹く向きや。風の流れを変える山脈等の影響を受け、雪の降る量が同じ県内でも大きく差が発生します。
    気象の予報担当者も、これらの予報は大変な様で、ややもすると積雪量の予報は過大な予報を出しますので、聞いている我々は、予報の半分程度に評価しています。

    私もしばらく顔を出して見えない”わに”さんのことを気にしています。

        -サトシー

  • 同じ県でも随分違うのですね。こちらに長い間いると豪雪も台風もがけ崩れ 水害といいのか悪いのか災害にあまり縁がありません ですからテレビで色々な災害の様子を見ても対岸の火事気分です。
    周りの友人たちも大方そんなふうです。どんと何かきたらパニック間違いないと思います。

    息子が突然の転職に驚いてます。45になって家族がいなくてもこの年での転職は不安です
    いつまでも子供の事は 心配ばかりです。
    妹の入院も長引きこれもまた心配です。
    あまり仲がいい姉妹ではなかったのですが、このことがあってからはお互い何か通じるものが
    あるような感じです。姉ちゃんと弟がいてくれて良かったといったのには 驚きました。

    わにさん お元気でしょうか。またお話聞かせていただくのを楽しみにしてます。

         たふ

  • ”たふ”さん お心つかい有難うございます。
    報道機関は大げさに言っておりますが、私の家の周りはこの24時間で一切雪降らなかった様で、それまで降った雪が15cm程度残っている程度です。
    最近の公共交通機関は、人を輸送するという使命感が薄くなったのか、あるいは安全性を重視しての行動かわかりませんが、わずかのことで直ぐに”運休”してしまいます。
    確かに、昨日の新潟で、半日以上も途中で止まってしまうのも困りますがね~~

    昨日北陸自動車道で、通行止めのことをカキコミいたしました。
    通行止めの原因はやはり大型トラック数台の立ち往生が原因の様でした。
    報道によれば、車240台が影響を受け、雪の降る高速道路で一夜を過ごした様です。
    このようなことが冬になると度々発生しますので、雪の降らない太平洋側に人口が流れて行くのを食い止めることが出来ません。
    私は『人生裏街道の枯れ落葉』の道をひたすら歩んで居ります。
        -サトシー

  • 豪雪凄いんですね。サトシさんの方はどのくらい積もっているのですか。
    昭和38年の話は よく覚えています。就職して四年目 人事課のマドンナといわれたかたが新潟で
    この雪で実家から帰ってこられなくなり男性社員たちは 大変心配したものですから
    われらぶす女子社員は やはり美人はお得ねとひがんだものです。
    新潟美人の彼女が マンドリンクラブの発表会での姿はそれはそれは絵になっていました。

    こちらは今野菜が凄く高いのです。ところが昨日傘地蔵ではありませんが 玄関先にどさっと
    土のついたきゃべつ 白菜 サラダ菜
    ほうれん草がおいてありました。嬉しやです。前の御主人が畑で作っていたのを もってきてくれました やはり普段のお付き合いは大事にしなくてはと思いました。

        たふ

  • 北陸自動車道の一部で通行止め!!
    今朝早く、テレビのテロップで富山県と石川県の県境が通行止めの情報が映しだされた。
    高速道路が雪で通行止めなるのは極めて異例である。
    というのは、日本道路公団北陸支部では、冬季の4か月間は、雪が降ろうと、降るまいとに関わらず、大勢の除雪要員を臨時に雇い、24時間体制でその対応に備えているはずだ。
    私の友人で、2シーズンそのお仕事に応募し、かなりの報酬を頂いたという人がいる。
    その勤務体制は、24時間勤務で、雪の降らない日も出勤し、何のお仕事もない日が約2/3もあり、それでも報酬は変わらないという。
    応募してくる顔ぶれは、ほとんどが農業従事者で、農閑期のアルバイトとしてはかなり美味しいお仕事だという。
    だから雪が降っただけでは滅多に高速道路が通行止めになるなんて思っていなかった。
    そのうち開通すると思うが、珍しいことである。
    ひょっとしたら、タイヤチィエーン等を持ってこなかった大型車が数台往生したのかも知れない。
        -サトシー

  • 一部訂正・・・
    先ほどのカキコミに建築基準で1500cmは、150cmでした。
    ごめんなさい。うっかりしていました。
        -サトシー

  • 3・8豪雪の話!!
    昭和38年に北陸から九州にかけて大規模な豪雪被害があったことをよく耳にした。
    わたしは当時東京に居て体験していないが、昭和42年に帰郷し、当時の生々しい状況をよく聞かされた。
    今ネットで調べてみたら、富山市で1月19日から26日までの8日間で、累積降雪量は308cmに達したという。
    建築の専門家の言うには、木造建築であろうと、鉄筋コンクリート建築であろうと、1500cmまでの荷重に耐えうる構造が義務付けられているという。
    当然各家々では屋根の雪下ろしをしないと家もつぶれてしまう。屋根雪を下しても下すスペースのない家では、玄関前の道路に雪を下すしかない。住宅街では、ほとんどの家は道路に雪を投げ捨てる。各家は自宅前に降ろし、向かいの家も自宅前に降ろすと、その量は一階の屋根の高さを超えてしまう。道路だから人々も通る様にしないといけない。何とか人が通れるようにしても自動車の通行はできそうもない。
    各自治体は翌年から排雪乃対策として、パワーショベル車やダンプカーを配備すると同時に、民間の土建業者の協力体制をとることを余儀なくされたと聞く。
    その当時の交通機関はバスと鉄道が主流で、バスの運行はまず出来ないし、最後の頼みの鉄道も除雪作業が追い付かず、列車に乗っていてもいつ発車するかわからない状況だったという。
    その後昭和56年に鉄道も運休する程の豪雪があったが、高速道路が意外とスムーズに車が走ることが出来たので、生活物資の枯渇という自体は発生しなかった。
     何しろ雪国に暮す我々は、この冬を越すための生活物資・特に食料の備蓄を心掛けて冬を迎えねばならないハンデを背負っていることは、昔も今も変わらない。
       -サトシー
    閉まるひ

  • さとしさんと同じような経験があります。
    昔養蚕農家を三つに仕切って古い古いけど ドカッと大きな柱があり地震には強いなと思いましたが、隙間風には参りました。雨戸もない窓から隙間風が入ってきて私の耳がしもやけになってしまったのです。今でもその家は健在で当時大変お世話になった方が住んでおられます。
    しきりの壁をトントンと叩くと 隣の子供好きのご夫婦がお出でという声がすると
    二人の子供たちは喜んですっとんでいったものです。懐かしい借家時代が思い出されます

        たふ

  • 本格的な寒さがやってきた。
    私の寝室の温度は朝起きた時、遂に10℃を切ってしまった。
    昨夜は寒くて4回もトイレに行った。
    しかし、その昔私は築120年以上の家で生まれ、真冬に忘れられない思い出がある。
    それは中学生になったころから6畳の和室を頂き、冬になれば小さなこたつを臨時に設置して、それが唯一の暖房設備であった。その熱電は、バレーボール程の小さな火鉢に似たものに蓋をしたもので炭火であった。
    その部屋で宿題をしたリ、試験勉強もそこでやり、同級生がやってくれば一緒にそこで宿題をやったりした。同級生は時々泊まり込みで一緒に勉強もしたが、ややもするとくだらない話をしてたことの方が多かった。
    夜になれば炬燵をかたずけて床を出して横になっていた。
    ある冬の夜、北風がかなり強く吹いていて眠っていた私の顔に雪が降って、その冷たさに驚いて目が覚めた。
    部屋の明かりを点けてみたら、窓から1.5m以上離れていたのに、私の床に向かってわずかだが雪が積もっていた。
    わたしは床を窓から一番離れたところまでずらし、また寝たのだが、室温はかなり低かったと思う。
    その後、戸と柱の間に新聞紙の折ったものを挟んで隙間風の入らないようにした。
    その実家も50年程前に建て替え、思い出の部屋は無くなっていしまったが、あの時の思い出は忘れられない。
          -サトシー

  • 『冷凍弁当』
    今朝の新聞に”冷凍弁当の宅配”という見出しの記事が目に留まった。
    この冷凍弁当を7食まとめて宅配し、概ね一食当たり600円前後の料金だという。
    日々の買い物が不便だったり、買い物に出れない状況の人、また料理の苦手な高齢男性等の間で重宝されてて、その弁当業者も多く、その売り上げは年々増加しているという。
    私は食べ物に”好き嫌いがない方”なので、この先カミサンに何かあったら私は早速このシステムを利用したい。
        -サトシー

  • 最近わたしは「磯田道史」氏の書籍に嵌っている・
    彼は日本の歴史家で、隠れている古文を探し出し、その文章に基づいてその時代を分析していくことに長けている。
    最近、江戸末期の加賀藩の一武士の日記にもとづいた『武士の家計簿』たる小説を顕し、映画化もされた。
    わたしは昨日・今日と連休でもあるし、暇なので多分既にDVD化されていると思い、貸ビデオ店に行き、探したら”あった”。
    それを借りて我が家に帰り早速テレビで再生し見てみた。
    内容は、加賀藩の一武士で、勘定所(藩の財務担当役人)で70石取りまで出世している家柄なのだが、自宅の家計簿には全く無関心で、借金地獄に陥り、武士の魂とされる”刀”さえも手放し、借金返済に充てるという物語で、”刀”を手放すときの理由として、「わが家系は武士といえども、算盤の方が魂と心得ている・・・」とのセリフもあり、100万石の加賀藩といえども、それを支えていた一般の武士も、かなり困窮していたことが伺える。
     何しろ磯田道史氏は、事実を取り上げている歴史家で、非常に興味深くこの映画を見た。
        -サトシー

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