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    私は、映画が大好きです。
    年代・ジャンルは問いません。思い出深い映画・これから見てみたい映画について毎日話しましょう。
    映画好きな方是非話しましょう。待ってます。
    (毎日じゃなくても結構です。気が向いたらどうぞ。)

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  • 20853(最新)

    kenbowest0 6月23日 20:18

    >>20852

    昨夜は田舎へやってきたドサ回りと呼ばれた大衆演劇について書きましたが、同じ時期に全国的に移動映写も盛んに行われていました。芝居は舞台を設営したり、一座を呼ばないと興行が出来ませんので早くから準備が必要です。これに対し野外映写は町の映画館が出張して、フィルムは映画館で上映しているもを掛け持ちで使い、映写機と映写技師がいれば手軽に興行が出来て、大勢の客を呼ぶことが可能でした。昔は全国でこうした映画興行が行われていました。一度野外映写で砂を噛んだフィルムを、また2番館3番館に回すので、昔のフィルムは雨降り状態になってしまうんですね。

    同じ野外映写でも1960年代に、アメリカで盛んに行われていた上映方式に、ドライブインシアターというものがありましたね。日本で野外映写が行われていた頃、アメリカはすでに車社会でしたので、このような興行形態が出来たのでしょう。昔はよく映画の中でドライブインシアターが出て来ましたが、近年は見た事がないので衰退してしまったのでしょうね。日本の車社会は20年ほど遅れてやってきて、ドライブインシアターも全国にいくつか作られました。名古屋の郊外にもあったようですが、私は一度も行かない内に無くなってしまいました。

    アメリカのドライブインシアターと、日本の野外映写は同時期に行われていましたが、戦争に勝った国と負けた国の差というか、特徴がよく出ていました。戦争中の日本では「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」などの標語が横行し、日本国民は極端に抑圧された生活を強いられていました。やがて終戦となり、戦後の混乱期が終わると、娯楽に飢えていた田舎では、大衆演劇と野外映写が唯一の娯楽でした。私もこの時期にアメリカの西部劇を野外映写で見て、西部劇のファンになってしまいました。

    戦勝国アメリカのドライブインシアターは、日本の野外映写とはその趣は大きく違っていたと思います。日本のそれは唯一の娯楽であり、地域文化意識の向上に大きな役割を果たしたのでしょうが、アメリカのドライブインシアターは、庶民のレジャーの一環であったと思います。これも野外映写なので暗くならないと上映出来ません。暗くて狭い密室は若者にとって、格好のデートの場所として利用される事が多かったようです。中にはカーセックスに至る事もあるでしょう。あ、脱線してしまったようですので今日はこれまで。余白残0。

  • >>20851

    昨日は2年ぶりに上京しました。私は熊本県の田舎育ちなので、子供の頃から東京に憧れていました。子供の頃に何故東京かと言うと、東京に住みたい訳ではなく、秋葉原の電気街に行きたかったのでした。部品をバラで買ってラジオや無線機を作る事が好きだったのです。それから名古屋へ出て数年後、初めて上京し山手線に乗って秋葉原へ行きました。その時初めて“アキハバラ”と発声する事を知りました。それまでは初めのバで濁る“アキバハラ”だと思っていたんですね。迷路のようで間口の狭い小さな部品屋さんを、見て回るだけで楽しかったですね。それも“AKB48”の時代になって様変わりしたようです。

    昨日はトピのOBの方たち3人とお会いして、浅草を案内して貰いました。雷門から仲店の界隈はもの凄い人出で、外国人が半分ぐらい。さすがは浅草だと感心し人混みに身を任せる。今回目に付いたのは、古い街並みらしく観光用人力車の復活でした。車道に真新しいピカピカの人力車が並び、客引きをやっている車夫の衣装が目立つ。彼らは客を2人乗せて20㎞ぐらいのスピードで走るので、あらわになった太ももが逞しい。料金は2人乗り30分で9000円、1時間で17500円なので、湯布院温泉で乗った料金とほぼ同額です。

    それから大衆演劇常設館の浅草木馬館へ行きました。大衆演劇は戦後はドサ回りなどと呼ばれ隆盛期がありました。私が育った田舎でも、百姓家の広い庭に舞台を造って興行を張っていました。一座の子供たちは数日間だけ学校に来て、また次の公演先の学校へ転校するという生活でした。当時は何も娯楽のない時代でしたので、ドサ回りが来るとこぞって見に行ったものでした。昭和30年代になるとてテレビの出現で、大衆演劇は下火になりました。大衆演劇から何人かのテレビタレントが生まれましたが、それらはほんの一握りでした。多くの劇団は廃業したり商売替えしたりしたのでしょう。

    名古屋にも常設館があったのですが、近年閉館したらしい。大衆演劇はもはや消滅したかと思っていたのですが、現在でも100以上の劇団があり、しぶとく生き残っているんですね。60年ぶりぐらいで見たのですが、弱小劇団にも追っかけのおばちゃんたちがいて、ひいき筋のハナ代で興行が成り立っているようです。その光景を目の当たりにして、この業界は成り立っていると納得。大衆文化として大事にしたいものです。余白残0。

  • >>20850

    皆様こんばんは。
    今日は久ぶりに上京していまして、今帰ったところです。
    今日の書き込みは出来ませんでした。
    おやすみなさい。

  • >>20849

    昨夜のワールドカップサッカー日本対コロンビアは、2対1で日本が勝ったようですね。私は後半をテレビで少し見ました。前半の早い時間でコロンビア側に反則があって、退場者が出たらしくコロンビアは10人での戦いを強いられていました。11人対10人だから、10%弱のハンデを貰ったと同じことなので、面白い試合になるかと思っていたが、全然違っていた。私のようなサッカーを知らない素人が見ても、日本は終始コロンビアを押しまくっていた。後半で日本が1点取った時点で勝負は決したので、私はこの時点でテレビを切った。サッカーの場合は将棋の香落ちとは違うらしい。1人抜ける事で全体のバランスが崩れる。この状態で勝っても声を大にしては喜べまい。

    今日も「30年後の同窓会」の続きを少々。今の戦争は局地的なもので、ノルマンディのような大規模戦闘はない。しかしテロとの戦いにしろ戦死者は出る。軍隊に従事しての死は、名誉ある戦死として扱われ、国葬が行われアーリントン墓地に埋葬される。バクダッドで息子のラリーが戦死したドグ(スティーブ・カレル)は、ベトナムで一緒に戦った戦友で、酒場を経営しているサル(ブライアン・クランストン)と、牧師となっている黒人ミューラー( ローレンス・フィッシュバーン)を30年ぶりに訪ね、息子の遺体引き取りを手伝って欲しいと頼む。

    こうして3人は軍の基地に行くのだが、軍の意向は従軍中の死は名誉の戦士として、アーリントン墓地への埋葬を奨める。しかし親としてはどんな死に方をしたかが知りたいのである。柩に付いて来た若い黒人兵クイントンはラリーと親友だった。死んだ時の様子を聞き出そうとするが、上官から口止めされているクイントンはしゃべらない。しかし口八丁手八丁のベテランサルに言いくるめられ、ポロッと事実をしゃべってしまう。その驚愕の真実とは、息子のラリーはコーラーを買いに行って、いきなり現れたターバン男に後ろから頭を撃ち抜かれたのだった。

    しかもコーラを買いに行く当番は自分だったが、ラリーが替わって行き撃たれたのが事実だった。本当は自分が死んでいなければならなかったと、ドグに詫びるが3人とも彼を責めるわけにはいかない。これを聞いたドグはアーリントン墓地の埋葬を拒否し、故郷に連れて帰って、母親の隣に埋葬したいと言う。ここから先は50男のスタンド・バイ・ミー的なロードムービーとなる。余白残0。

  • >>20848

    皆様こんばんは。
    朝の散歩で通りかかる公園で、毎朝6時から少年サッカー教室が開かれている。教えているのは公園の前でそろばん塾を営む先生である。60代の人だが昔はサッカーの選手だったのだろう。私が通りかかる頃、親たちが車で送ってくる姿が見られる。近くの子供たちは自転車でやってくるが、生徒は小学生から中学生も入っていて、中には女の子もいて公園の早朝サッカー教室は、なかなかの盛況である。

    ロシアで行われているサッカーのワールドカップで、世界中が過熱している模様。今夜は日本が出るらしく、長い実況中継枠が取ってある。サッカーと言うものは、ボールを足で蹴って、相手の籠に入れると言う単純なスポーツで、私は見るスポーツとして面白いとは思わない。点数の入らない試合など、ただボールが飛び交っているだけで、見ていて退屈で仕方がない。これが野球だったらちゃんと筋書きがあり、起承転結がはっきりしているので、水戸黄門的な要素があり、日本人向きのスポーツだと思う。しかし世界中の人たちがサッカーに熱中するのは、それだけサッカー人口が多いのだろう。

    今日は行きつけのシネコンで、朝10時開映の「30年後の同窓会」を見てきました。客は私の他にカップルが1組いただけでした。日本人の戦争経験者は、もうほとんど死に絶えて、戦時中に生まれた私たちの世代も、そろそろ黄昏時を迎えています。しかし米国はその後も絶え間なく戦争をやっているわけで、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東における一連の戦争、9.11以降のテロとの戦いなど、どの世代を取り上げても戦争の経験者がいるわけです。日本もあの戦争で勝っていたら、今の米国と同じように戦争を続けなければならなかっただろう。

    「30年後の同窓会」は、ベトナム戦争で戦った元海兵隊兵士が、30年後に再会するという話。2003年米国はイラク戦争を始めた。若者が戦場に送られ、ベトナム戦争が真実を隠されたまま拡大したように、イラク戦争も大量破壊兵器があるという嘘によって攻撃が始められた。主人公のドクは若い息子が、バクダッドで敵兵の攻撃に遭い、戦死したとの通知が来る。遺体が本国に着くので、引き取りに行く事になるのだが彼は妻に先立たれて、1人では行く気力がない。30年間連絡を取っていない、ベトナムで戦友だった2人に一緒に行って貰いたいと思う。米国は戦後ずっと悲しみが継続している。余白残0。

  • >>20847

    今朝5時半頃起きて外を見たら雨が降っていた。数年前までは雨が降っていても傘を差して散歩に出かけたが、今は雨だったら不精をして散歩には出かけない。そしてもう一度寝て八時前に起きてトイレに入ったところ、小さな揺れを感じたがすぐ収まった。トイレから出てテレビを見ると、大阪北部で震度6弱の地震があったとのニュースが流れていた。名古屋も震度3~4が表示されていた。

    地震は揺れ方とどこにいるかで感じ方が違う。自動車を運転していると、縦揺れの場合はサスペンションで吸収してしまうので、地震があっても気付かない事がある。横揺れの場合は車の向きによって感じ方が違う。阪神淡路大震災の時はベッドの中にいたので、同じ震度4でも大きな揺れを感じた。今日はトイレの中にいたので、震度2以下だろうと思った。家の中でトイレは周囲に柱が多いので、揺れ方が一番少ない場所。広い部屋ほど揺れも大きく危険も多い。しかしトイレの中だと、震度4ぐらいで家が僅かにねじれてもドアが開かなくなり、閉じ込められてしまう危険があるので注意が必要である。

    地震で震度6弱と言えば、大地震と中地震の境目で微妙なところでしょう。地震発生のメカニズムは自然現象と言えますが、それによる災害は紛れもなく人災です。今回の地震で注目されたのは、ブロック塀の倒壊で子供の死者が出た事です。ブロック塀はモルタルを塗って、ブロックを積み重ねただけの構造のものが多く、鉄筋が入っていないので震度5程度でも強度がなく、倒壊する危険性が高い。特に通学路に沿って長いブロック塀があれば、考え直す必要があるでしょう。お年寄りが死ぬのは成り行きだが、子供が犠牲になるのは痛ましすぎる。

    話を映画の方に戻すと、あまり知られていない話だが、米国のホワイトハウスには、数十席のミニシアターがあるらしい。このシアターに入れるのは、大統領の家族やそのスタッフに限られるとのこと。上映作品は大統領の要望で、どんな作品でも上映可能。最初の上映は1915年の「国民の創生」だそうだから、かなりの歴史がある。このシアターで最も多く上映された映画は、フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」だそうである。レーガンとクリントン大統領が、この映画のファンだという事はよく解る。いい映画に違いないが、こう言うものを歴代の大統領が好んで見ていれば、銃規制などなかなか進まない事がよく解かる。余白残0。

  • >>20846

    皆様こんばんは。
    もう見る日本映画がなくなったので、今日は「ワンダー 君は太陽」という映画を見てきました。これは八百万部を売り上げた原作の映画化のようです。遺伝子疾患により変形した顔で生まれてきたオギーは、27回もの成形手術をして10歳になり、初めて学校へ行く話でした。この話はまた後日として、昨夜書きかけのつづきを少々。

    「空飛ぶタイヤ」は、テレビドラマとして放送されたようですが、私は滅多にテレビを見ないので知りませんでした。この映画の前半は脱輪事故により、被害者家族の悲しみと、運送と整備を請け負った町工場の苦境が描かれていますが、中盤からは自動車メーカーのリコール隠しが主題となってきます。そうなると当然巨大自動車メーカーが登場します。この映画に出てくる架空の“ホープ自動車”は、そのHと言う文字をイメージしたロゴは、大型の日野自動車を連想させますね。しかし財閥系となれば三菱自動車のようにも見えるのだが、ま、そのあたりはどうでもいいでしょう。

    不祥事が明らかになれば、ダメージが大きくなる。巨大企業の中でリコールを隠し続けることを、潔しとしない一派と、あくまで隠し続けようとする一派のせめぎ合いとなる。構造上の欠陥を隠し続けることを潔しとしない一派の代表格が、カスタマー戦略課長の沢田(ディーン・フジオカ)である。沢田は内部告発をするのだが、会社の上層部はたかが一課長如きを問題にせず、沢田は栄転に見せかけて部署を異動させられる。赤松は何度も沢田に面会を申し入れるが拒否されてしまう。沢田が内部告発したとは言っても、彼は会社を護る側の人間である。そして沢田は赤松と面会する。

    赤松は専務の宮代を連れて沢田に会うことになる。赤松の窮地を知っている沢田は見舞金を出すので、検討してくれないかと言う。ここで専務の宮代が「額がいくらか言ってくれなければ検討のしようがない」と言う。沢田は即座に1億円と返事する。いったんその場は帰るのだが、宮代は「1億円貰って手を引こう」と言うが、それでは整備不良を認めることになるので、赤松はあくまで戦うと言う。頼みの週刊誌の記事は押さえられ、銀行には返済を迫られ、いよいよ赤松は土壇場に追い詰められる。

    こうした状況を作り出しておいて、ラストは大逆転劇となるのだが、この手の映画は見ている時は面白いが、すぐ印象が薄れ後々まで残らないのが弱い。余白残0。

  • >>20845

    昨日から公開中の「空飛ぶタイヤ」を見てきました。土曜日の朝一番の回は50人ほどの客が入っていました。この映画は池井戸潤の小説が原作なので、テレビドラマ「下町ロケット」風の企業ドラマと言えます。企業のデータ改ざんやねつ造、カーメーカーの度重なるリコール隠しなど、このところ企業の不祥事続きの感がある。そんな時にこの映画が公開されるのは、グッドタイミングである。

    大型自動車の整備工場と、運送業を営む町工場の社長赤松(長瀬智也)は、仕事も家庭も順調な日々を送っていた。ところが赤松運輸のトラックのタイヤが、走行中に突然外れて転がり、突起物に当たって宙に舞い、歩行者の主婦を直撃し死なせてしまう。この事故で運送会社の整備不良が疑われる。事故車の整備担当は門田(阿部顕嵐)と言う男で、彼は金髪に染めた、どこか不逞を漂わせた若者であったために、警察の心証を悪くする。動揺して怒り心頭の赤松は、門田を犯人だと思い込み即座にクビにする。

    しかしよく調べてみると、門田は自分流の整備手帳やチェックシートを作り、誰よりも真面目で職務に忠実だったことが分かる。そして彼は同棲中の恋人に子供が出来たらしく、近く結婚しようと思っていた矢先の事故だった。赤松はすぐ彼のアパートを訪れると、この若者のカップルは、クビにした赤松を恨むことなく、快く部屋に入れる。赤松は謝罪して「帰って来てくれ」と嘆願する。すると門田は「しかし社長!誰かが責任を取らなければなりませんよ!」と言う。赤松は「責任を取るのはお前じゃない、俺だ!」と諭す。このあたりが町工場的で、非常にいいところ。

    赤松の会社は警察の家宅捜索が入り、銀行にも融資を打ち切られ、返済を迫られ赤松は倒産の危機に陥る。赤松は整備不良じゃないと確信し、自動車メーカーに再調査を求めるが拒否されてしまう。私の鍛冶屋の経験からこの事故を見ると、走行中の脱輪はホイールを取り付けるハブ(ボルトを埋め込んだ円盤)が一気に破損したもので、これは素材構造上の欠陥であることは明らかである。社長の片腕で専務の宮代(笹野高史)は、3年前に同車種で同じ脱輪事故があったことを突き止める。彼は常々家宅捜索まで受けた社長が、未だに逮捕されていないのを不審に思っていた。こうしてリコール隠しの疑いが強くなってくるのだが、相手は財閥系のカーメーカーである。町工場の社長など相手にしない。余白残0。

  • >>20844

    このところの日本映画は「モリのいる場所」「Vision」「羊と鋼の森」など、森にまつわる映画が続けて公開されています。「モリのいる場所」は、都会の中の屋敷が森になっていて、そこで自然と共に暮らす老夫婦が描かれていました。これは東海テレビのドキュメンタリー「人生フルーツ」と同じです。「Vision」は、千年に一度現れる人類のあらゆる苦痛を取り除く薬草を、フランスから吉野の森に探しに来たジュリエット・ヴィノシュと、森の番人永瀬正敏との出会いが描かれている壮大なドラマでした。

    「羊と鋼の森」は、ピアノの調律師を描いたドラマで、森とは直接の関わりはありませんが、北海道の深い森が出て来ます。これは分け入っても分け入っても到達出来ない、ピアノの複雑の音を森の深さに例えている。高校3年の外村(山崎賢人)は、学校に訪れた板鳥(三浦友和)が調律したピアノの音に魅了される。外村は東京の調律師の専門学校を卒業し、帰郷して板鳥と同じ楽器店に就職し、先輩の柳(鈴木亮平)の教えを請い、ピアノ調律師の修行をする。彼らの主な仕事は家庭にあるピアノを、定期的に調律することだった。やがて外村は得意先へ1人で調律に行くようになる。

    外村が最初に受け持った家庭には、ピアニスト志望の少女の姉妹がいた。この姉妹はそれぞれ性格も違い弾く曲も違うし目指す音も違う。どちらの希望に沿って調律したらいいのかと、外村は深~い森に迷い込んでしまう。と言うのがテーマで、ひたむきに音と向き合う若者の成長が繊細なタッチで描かれています。私は全くの音痴でピアノの調律の世界は知りません。同級生の息子でピアノの調律師がいましたが、行方不明になってしまったと親が嘆いていた。この世界にはまた深い悩みがあるのかも知れません。

    手で運べる楽器奏者は、常に自分の音を持ち歩けますが、ピアノのコンクールなどでは不特定多数の人が弾くわけですから、ピアノの調律にはこれが絶対的と言えるような、基準があるのでしょうかね。コンサートチューナーと言われるような、一段とレベルの高い高名な調律師は、海外から有名なピアニストが来てコンサートをやる場合、ピアニストが調律師に合わせるのか、調律師がピアニストの要望を聞いて調律するのか、そのあたりが興味深いところです。しかしこの映画は特にドラマチックな展開がなく、淡々とした日常は、映画として物足りませんね。余白残0。

  • >>20843

    郊外を通りかかると、もうすっかり田植えは終わっている。昔は五穀豊穣などと言っていましたが、今では5穀とは何か知っている人は少なくなりました。米も余っているので豊作と言う言葉も聞かなくなったようです。今日も1日いい天気で梅雨入りしてから、雨が少なくなった感じの名古屋です。

    長年に渡って映画を見ていますが、映画作りも随分変わった来たように思います。昔の巨匠とか名匠とか言われていた人たちは、きっちり脚本通りに演技指導して、納得のいくまでリハーサルを繰り返し、本番の撮影をしてアップしていましたが、近頃の映画作りは昔とは違い、それぞれの監督には個性が見られます。例えば山田洋次監督は、金を払って見に来る客を、暗い気持ちで映画館から出してはならないと言う主義です。山田さんは現場の雰囲気で、脚本を直したりするのが特徴です。

    「万引き家族」の是枝裕和監督は、脚本を書きながら同時に撮影を進めます。是枝さんは俳優を集めてその声を聞きながら、役をイメージして脚本を書くのですね。こうして是枝組は、撮影中は生活を共にして一つの家族を形成します。普通映画作りの現場は「ヨーイ、スタート!」のかけ声がかかってカチンコがなると、ピーンと張り詰めた緊張感が走るのですが、是枝組はみんなでわいわいガヤガヤやりながら、本番に入るので緊張感が全くなく、どこからが本番なのか分からない。そんな現場なので是枝組は、俳優やスタッフが本当の家族のように仲良くなり、撮影がアップして別れが辛いようです。

    カンヌ映画祭で是枝監督と共に常連の河瀬直美という女流監督は、もっともユニークな監督さんです。永瀬正敏は「あん」「光」「Vision」と、続けて3本河瀬組の映画に出ています。新作「ビジョン」では、アカデミースターのジュリエット・ビノシュとのセックス場面もあるので“R15”指定となっている。河瀬組の現場にはヨーイ、スタートやカットのかけ声もなくもカチンコもない。リハーサルも一切しない。カメラは絶えず回っているので、出ている俳優もどこが本番なのか分からない。

    セット入りの時間や控え室の場所もずらしてあるので、共演者が顔を合わせるのは撮影現場だけで、役での会話はいいが私語は厳禁。自分の出ていない現場を見に行くのもタブー。なので共演者が顔を合わせることはないので、仲良くなることもない。是枝組と河瀬組は正反対なのね。余白残0。

  • >>20842

    皆様こんばんは。
    昨日は史上初とか歴史的とか言う言葉がやたらと使われ、号外も出て関心のない人は何事だろうと思ったが、別段何があったわけでもなく、滅多にない政治イベントが行われただけで、1日経ったら話題にも上らなくなった。そんな中で目立ったのは「トランプはクソ野郎だ!」と罵った、ロバート・デ・ニーロだけだった。

    今日は郡部の松竹系シネコンに出かけ「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」と言う、長い題名の日本映画を見てきました。今日は平日ですがレディースデイとかで、おばちゃんたちが30人ぐらい入っていました。バツイチのじゅん(安田顕)はちえ(榮倉奈々)と再婚する。じゅんは最初の結婚が3年で破綻したので「3年経ったら結婚生活を続けるか、否かを話し合おう」と約束をしていた。3年目が近づいたある日じゅんが帰宅すると、ちえは口から血を流し倒れていた。

    じゅんはちえが死んでいるのでびっくり仰天し腰を抜かしてしまう。そこへちえがガバッと起き上がり「驚きました?」と言いケロッとして「さあご飯にしましょう」と言って夕餉の支度を始める。それからはちえの死んだふりが日常になってくる。ワニに頭を食べられたり、頭を矢で射貫かれたり、短剣で胸を差されたり、銃で撃たれたりと、ちえは毎日あらゆるアイデアを凝らして死んだふりに励む。じゅんも初めのうちは、今日はどんな手の死んだふりだろうと楽しみでもあるが、度重なると次第に苦痛になってくる。

    毎日趣向を凝らした死んだふりが見せ場の映画で、バカバカしいと言うかナンセンスだが、今の時代ナンセンスが必要なのかも知れない。この死んだふりにはそれなりのコストがかかる。ワニのレプリカを買ったり、宇宙人やクレオパトラのコスチュームなど、毎日用意するのが大変だろう。じゅんはちえが毎日死んだふりをするのは、何か自分に不満を抱いていて、死んだふりで訴えようとしているのだと気が付き、何故毎日死んだふりをするのかを聞くと、彼女は「月が綺麗ですね」と応えるだけ。

    これは夏目文学で言うところの「アイ・ラブ・ユー」の意味。面と向かって言えない日本人は、渡辺はま子の「月が鏡であったなら」の歌にあったように、月を介して愛を告白した。じゅんがその意味を知った時、映画はほのぼのとした感動に包まれるのですね。しかし夏目流愛の告白を死んだふりで表現するにはコストがかかる。余白残0。

  • >>20841

    夕刊は「米朝首脳初会談」と言う白抜きの大見出し。たしかに歴代の大統領が誰もやれなかったことをやったという、トランプ氏には自負がある。一方の正恩氏には親父も祖父もやれなかった、アメリカ大統領とのトップ会談。これは歴史的なことには違いない。世界的なイベントとしての首脳会談は成功したと言える。しかし明日から何かが変わるかと言えば、株価にいくらかの変動があるものの、特別に何も変わることはなく、朝鮮半島も日本も昨日に続く今日でしかない。

    拉致被害者問題にしても、南京袋に詰められて、連れ去られた人の恐怖は想像を絶する。そんな無法な集団を国家とは呼べないが、これも昭和天皇と同じで先代がやった罪に違いない。ここで下手に刺激してはやぶ蛇になってしまう。ここは阿倍氏が直接訪朝して話し合うことが重要だろう。その場で最も重要なことは、今日のトランプ氏を手本にすべきだろう。「アンタは若いのに素晴らしい才能がある」と、相手を徹底的に持ち上げて褒めそやし、拉致被害者1人につき米1万トンなら、相手は必ず乗ってくるだろう。今がチャンスで、圧力が解除されてからではもう遅い。

    とは言ってもこれは成り行きに任せるより仕方がないので、昨日の続きを少しばかり。昨夜、収入源としての役割が終わった人は、2種類の末路があると書いたが、これはその場が来ないと分からない面がある。私の知人で定年退職後に脳梗塞を患った人がいた。それまで40年間グーッと我慢していた奥さんがついに爆発した。身体が不自由になった夫に殴る蹴るの暴行を働き、半殺しの状態にして警察沙汰になった。聞くところによると、どうも現役時代にDVがあったようだった。たかが女、たかが女房と、侮ってはいけません。突如豹変しての復讐は怖い。

    また家庭内別居している熟年夫婦も3組ぐらい知っています。ある夫婦は同じ屋根の下に住んではいるが、風呂も食事も別々で時間を決めて風呂場や炊事場を使い、済んだら綺麗に掃除して相手に渡す。会話は一切なく文句を言う時は「風呂場に髪の毛が1本落ちていた」と紙に書いて抗議する。そんな状態なら離婚すればいいと思うのだが、離婚は出来ない事情があるらしい。こんな状態で余生を送るのは地獄でしょうね。そうならないためには日頃から、かみさんには適度のサービスが必要だろう。映画「終わった人」は、同じ終わった者として身につまされる話でした。余白残0。

  • >>20840

    我が家のちっちゃな花壇に3本植えたスイカが、野球のボールほどの実をいくつか付けて目立つようになりました。近所に保育園があって、幼児数人を乗せた手押し車が2台ほど毎日通りかかる。我が家の前で暫し立ち止まり、保母さんが「スイカはね、こうして出来るものよ~」と説明している光景が見られます。都市部で育った子供たちは、スイカ畑を見たことがない。我が家のキュウリやミニトマトも絶好の教材になっている。

    6月になってから「50回目のファーストキス」「万引き家族」「OVER DRIVE」「用心棒」「終わった人」「羊と鋼の森」と、積極的に日本映画を見ています。「50回目の・・・」は、彼女の記憶が1日しか持たないから、毎日新鮮な出会いがあり、恋愛があるという、まことに結構な話だが、ムロツヨシが言うところの「お前、彼女がおばさんになっても、毎日抱けるか?」と言うように、彼女にとっては毎日新鮮だが、男にとっては限度があろうと言う話。

    「万引き家族」は、並の日本映画と比較すると、傑出していることは確かであるが、私にとっては「海街diary」という特別な作品があるので、是枝作品の中では並の作品に見えてしまうのは仕方がない。「オーバードライブ」は、ラリーという私の知らない世界だが、ターボチャージャーやサスペンションなの開発は、このような過酷なレースが必要だろうと、興味が持てた一編でした。黒澤の「用心棒」は、東西の冷戦構想を思わせる設定で、手打ちなどやられては飯のタネがなくなるという話。

    「終わった人」はちょっと面白いコメディ。主人公の田代壮介(館ひろし)は東大法学部卒のエリートである。大手銀行に入り支店長まで務めるが、それ以上は上がれず関連企業に出向し、そのまま定年を迎える。妻の千草(黒木瞳)は、美容院で働いていて夫の定年退職などあまり気にしていない。壮介は仕事一本で来たので趣味もなく、ソファーに寝そべって長い1日を送るが3日と持たない。再就職を考え安定所に行くのだが、高学歴と立派な職歴が邪魔をして思うように行かない。こうなると東大出のエリートほど潰しが利かないというお笑い。

    それでも壮介はIT企業の顧問として働くのだが、妻は反対だった。妻は美容院を独立して夫を髪結いの亭主にしようという構想。このように役割が終わった人は、家族から大事にされる人と、粗末に扱われる人の二種類がある。余白残0。

  • >>20839

    皆様こんばんは。
    初の米朝首脳会談に向けて、正恩氏は早くもシンガポールへ到着した模様。一方のトランプ氏もG7の閉幕を待たずにエアフォースワンで、シンガポールに向かったとのことで、首脳会談の行方が注目されるところ。我が国としては、トランプ氏がどこで拉致問題を持ち出すのか、または持ち出さないのか。拉致被害者家族にとっては、これが一番の関心事だろう。この前代未聞のトップ会談。結果は分かっているにしろ、どんな茶番劇が展開されるのか注目したいところ。

    昨夜「海街diary」が、フジテレビ系で放映されました。フジテレビ系で放映されるのは2度目だそうですが、私は前回の放映は見ていませんでした。フジテレビは映画の製作者の筆頭に出て来ますので、何度も放映するのは当然でしょう。普段私はテレビを見ないのですが、昨夜は興味がありましたので、ちょうど中程まで見ました。テレビの番組欄を見たら“ノーカット放送”と書いてある。この表現は妥当ではないと思う。“オリジナル全長版”と言うべきだろう。

    確かに長さにおいてはノーカット言えるが、左右のカットが酷かった。冒頭の方ですずが三人の異母姉を、町を見渡せる高台に案内する場面を見てみよう。すずがアングルの中心に位置しており、向かって左側に佳乃、右側に幸と千佳がいる。佳乃が「ありがとう」という場面で、長澤まさみの右頬の部分が切れている。まるで素人が撮った写真みたいで、こんなのはノーカットとは言えない。人物が左右に映っている場面で、こうしたところが随所に出てくる。小さなテレビで見る人のために、左右を切ってアップにしたことは分かるが、これではオリジナルとは言えない。

    テレビ放映は時間枠があるので、カットして時間内にはめ込むのが常識である。しかし映画にはカットしてもいいものと、いけないものがある。「海街diary」はカッとしても差し支えない映画である。私が担当者だったら、幸が緩やかな坂道を歩いて来て、ドーンと音がしたところでカットして、海猫食堂の場面と船に乗り込む場面が全てカット。船が浮かんでいる場面に繋げば自然で、誰もカッとされているとは気が付かない。ついでに風太とすずがベンチで話している場面も要らない。他にもなくてもいい場面がいくつも出てくる。このように「海街diary」は、要らない場面をカットしても、全体には影響しないテレビ向きと言える。余白残0。

  • >>20838

    昨夜は激しい雷雨がありましたが、今朝は雨も上がりました。6月の雨にはやはり紫陽花が似合うようです。朝の散歩で至るところで見られる、色とりどりの紫陽花は、日本の情緒を漂わせています。

    是枝裕和監督の「万引き家族」のパルムドール綬賞を記念して、今日の9時から同監督の「海街diary」が、フジテレビ系で放送されるようです。私はこの映画が近年の日本映画で一番好きな作品です。以前書いたことと重複すると思いますが、テレビ放映を機にもう一度この映画に触れることにします。「海街diary」を初めて見た時の感想は、香田家の3姉妹が腹違いの妹を引き取り、いろいろなエピソードを重ねながら、本当の姉妹になってゆく課程がきめ細かく描かれ、それはそれで感動的な1本の映画として満足のいくものでした。

    しかし私にはな~んか違和感と言うか、引っ掛かるものがあって、再度シネコンに足を運びました。山形の鰍沢温泉駅のホームで、幸と佳乃がすずを中に挟んでベンチにかけて電車を待っている。ちょっと離れた右手に3女の千佳が立って、左手に赤い花びらをいっぱい乗せている。この時千佳が前にちょっと首を突き出すような格好で「あ、来た」と言う。そして掌から花びらがパーッと散る場面が秀逸。ここは3姉妹が4姉妹としていいムードになりかけたところで、非情にも電車が入って来ると言う切ない場面。

    ここで言う千佳の短いセリフは、小津安二郎の「秋刀魚の味」で、岩下志麻が吉田輝雄と北鎌倉駅のホームで、電車を待っている時に岩下が言うセリフである。この一言のセリフで私は、この映画が小津安二郎映画へのオマージュだと言うことが分かりました。やること成すことが全て小津さんの時代だと思うと、私の中に引っ掛かっていた違和感が、何もかもすべて理解出来るのです。この4姉妹の暮らしは、シェアハウス的な新しい家族の形態だと言う人もいますが、私はそのようには見ていません。

    私はむしろ昔の家族制度の復活だと見ています。それは冒頭のセリフに見ることが出来ます。音信不通の父親が山形で亡くなったとの報せに、長女の幸は次女の佳乃に「夜勤で行けないからアンタ行ってきてよ。千佳をお供に付けるから」と言う。シェアハウス的な集まりであれば、幸は「アンタたち行ってきてよ」と、2人を同列に扱うはずである。このセリフで幸が香田家の家長として君臨していることが分かる。余白残0。

  • >>20837

    皆様こんばんは。
    午前十時の映画祭のBグループでは、今日から黒澤明作品「用心棒」「椿三十郎」「七人の侍」が、それぞれ2週間ずつ3本続けて公開されます。で、今日は「用心棒」の初日で早速見て来ました。今日は金曜日で客は15人ほどしか入っていない。これでは世界の黒澤も形なしですね。それでもこうした名作をシネコンで見られるのは有り難い。

    薄汚れた成りをして、文無しで宿場町にやってきた素浪人。この男名前を聞かれると、辺り一面の桑畑を見渡し桑畑三十郎(三船敏郎)と名乗る。この町では縄張りの跡目相続を巡って、ヤクザの二つの陣営が対立していた。権爺(東野英次郎)の飯屋に立ち寄った三十郎は、町の様子を聞き町に逗留することになる。こいつは腕には自信があるようで、用心棒として自分を両陣営に売り込み、金を稼ごうというわけである。手始めに無宿者のヤクザ3人を、一瞬で斬り殺し腕の立ちところを見せつける。

    三十郎としてはヤクザの両陣営をたき付けて、高見の見物を決め込み、双方の潰し合いで人数を少なくして、後は自分で叩き切って町を浄化しようと目論んでいる模様。ところが八州回りが現れたり、百姓小平の女房(司葉子)が人質に取られていたりして、三十郎の思惑通りには行かない。そんな時に一方の親分である、新田の丑寅親分の弟と称する男卯之助(仲代達矢)が帰ってくる。こいつは着流しの草履履きだが、首にマフラーを巻いた西洋かぶれの拳銃使いである。この卯之助の登場により、両陣営と言うか三十郎とのバランスが取れるわである。

    黒澤明はジョン・フォードを崇拝していた。フォードの西部劇に出てくるような、馬が疾走する場面や、ガンマンの1対1の決闘場面をやりたかったのだろう。「七人の侍」の野武士の群れや、宮口精二が演じた剣豪久藏の決闘などがその現れだろう。「用心棒」に登場させた卯之助は、ラストで三十郎と決闘させるための重要な登場人物である。「用心棒」の続編とも言える「椿三十郎」では、同じ仲代達矢を起用し、こちらは西部劇の早撃ちに相当する決闘が行われる。

    今回の上映は4Kのデジタルリマスター版である。画面の据わりが良くなったのはいいが、何だか大型テレビを見ているようで落ち着かない。上下左右に揺れるフィルム映写は、演出の要素にも組み込まれている。荒っぽい男の映画は、やはり昔のままのフィルムで見た方が雰囲気がある。余白残0。

  • >>20836

    皆様こんばんは。
    さて映画興行界では週末になりました。今週もまた何本かの新作が公開されます。中でも注目を浴びているのは、カンヌでパルムドールを受賞した是枝裕和監督の「万引き家族」でしょう。映画で紹介されている万引きの手口を真似て、子供たちのブームになるのは感心しませんが、映画と言うのはそのような要素をはらんでいるのは事実でしょう。黒澤監督の「天国と地獄」の公開後、この手口を真似た誘拐事件が続発し、黒澤監督が自殺未遂に至った話は有名。

    「万引き家族」は、万引きで生活を立てているわけではない。祖母の初枝(樹木希林)の年金で3世代が暮らしているように見えるが、息子の治(リリー・フランキー)は、工事現場の日雇いである。妻の信代(安藤サクラ)は、クリーニング工場で働いている。その妹の亜紀(松岡茉優)は覗き部屋の仕事をしている。それに小学生の祥太の5人家族である。万引きをしなければ食べていけないようには見えないのだが、日々の万引きに精を出すのは、この家の家風なのかも知れない。彼らは「店に置いてある物は誰のものでもない」と言うのが言い分である。

    万引きの帰りに、親に虐待され戸外に出されている幼女を発見し、そのまま連れて帰り6人目の家族にする。しかしこれは明らかに誘拐罪である。信代は「身代金は要求してないし、捜索願を出さない親が悪い」と言う。こうして幼い女の子が家族に加わったことで、一家のバランスが微妙に崩れ始める。こうして次第に家族の間にほころびが入り、最後は完全に崩壊する。万引きだけならまだいいのだが、死体遺棄や過去の犯罪などが出てくると、どうも重く暗すぎて頂けない。しかしこれは単に私の好き嫌いの問題であって、この映画の評価は高く、ベストテンに上位に入るだろうと思う。

    他に今週の新作は、本屋大賞を受賞したピアノの調律師を描いた「羊と鋼の森」が、早くから予告編が流されていますが、ちょっと良さそうです。河瀬直美監督がジュリエット・ビノシュのために書き下ろした「Vision」は、エッセイストのジャンヌが、人類のあらゆる苦痛を取り除く薬草を、奈良の森に探しに来る物語にも注目したいところ。「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」なんぞと言う長ったらしい題名の日本映画もあります。あの手この手の死んだふりが見せ場とのこと。何れにしても日本映画の頑張りに期待したいところ。余白残0。

  • >>20835

    皆様こんばんは。
    今日は朝から雨でしたが、どうやらこの地方も梅雨入りしたようです。昔は“梅雨入り宣言”と明確でしたが、一度“梅雨明け宣言”で失態を演じてから、“梅雨入りしたとみられる”と言う曖昧な表現となったようです。それで責任を追及するわけでもないので、昔のようにはっきりと、梅雨入り宣言の方がいいと思うのだが・・・。

    セクハラ元年などと言われ、セクハラ問題は世界を揺るがせている感のこの頃。ハリウッドでもケヴィン・スペイシーが降ろされ、クリストファー・プラマーが脚光を浴びている。要するにジジイの方が無難だと言うことだろうか。中央省庁でもセクハラ研修を義務付けると言う。こう言う研修の講師には一体どんな人が選ばれるのだろうか。横山ノック氏などが健在であったら適任だと思うが、もはやこの世の人ではない。麻生氏が「セクハラ罪はない」と言ったように、このセクハラの定義というのがイマイチ解らない。これをはっきりしないと研修の意味がなかろう。

    これもセクハラの一環だろうが、ミスアメリカで水着審査を廃止すると言う。このニュースにはちょっと驚いた。他の基準で選ぶと言うことも解るが、女性は女神である。美の観点からすれば、水着審査は不可欠だと思うのだが・・・。だったらスポーツの世界で、女子フィギュアスケートや、女子体操のコスチュームはどうだろうか。大勢の観客の前で180度の開脚を晒して舞う演技。スポーツとは言え、やってる場所が違うだけで、ストリップとそれほどの違いはない。こう言うことを止めれば世の中は味気なくなるね。

    さて上映中の「孤狼の血」は、どうも客足がイマイチ伸び悩んでいるようで、興行収入が10億円には届かないらしい。下品極まる描写も物ともしない。コンプライアンスでがんじがらめになっている日本映画界に、風穴を開けたのは間違いないと思うのだが、肝心の興業の方が伸びないと次に繋がらない。テレビ放映が難しいだけに、あとはDVD発売とレンタルだけでは心細い。かつての東映ヤクザ路線は、今に時代には受け入れられないと言うことが分かった。

    この映画では主役の大上が殺されて、松坂桃李がのエリート刑事が大上の跡を取るところで終わっているので、松坂桃李主演で続編が作られる路線が敷かれている。これで真価を発揮出来るかどうかが、東映の正念場であり、また日本映画界の正念場とも言えるだろう。余白残0。

  • >>20834

    皆様こんばんは。
    前代未聞の公文書改ざんにも、首相は「私のリーダーシップのもと再発防止、信頼回復に努める」とかおっしゃって幕引きを狙う。こうした場合、麻生太郎を切って保身を図るのが常識的だろうが、どうもこの2人はセットになっていて、切り離しは出来ないらしい。安倍内閣長期化の秘密は、そんなところにあるのだろうかと思ってしまう。

    こちら民間企業ではデータ改ざんが常態化している。今頃になって神鋼製作所が手入れを食らい、スバルは新たな不正が発覚した模様。自動車メーカーは例外なく、リコール騒動を繰り返しているのが現状。私の車もリコール対象車で、メーカから再三に渡ってリコール督促のはがきが届くが、私は一切無視している。なぜならこのリコールは欠陥部品の交換ではなく、検査資格の問題だからである。一度客の手に渡って何万キロも走った車を、今更初期検査やるなんて意味がないし、まったくばかげている。

    データの改ざんなんてのは、製造業では誰でも日常的にやっていることである。私のような機械加工業では、例えば10ミリのボルトを通す穴のサイズが、10.5ミリ~10.7ミリが公差範囲だとする。10.8ミリのものがあれば交差外の不良品であるが、使用上は何の問題もないので、10.7ミリとデータを改ざんしてしまう。カーメーカーは受け入れ検査をせず、ついでにラインに乗せるのでバレることはない。こうしたことは日常的に行われている。これが常識範囲内であればいいのだが、つい軌道を逸してしまうので大変なことになるのである。

    さて今年になってから81本の映画を見ました。洋画45本邦画36本という内訳です。出来るだけ邦洋平均に見ようと心掛けているのですが、どうしても洋画の方が多くなってしまうのは、世界中の映画と小さな島国の映画を、平均に見ようというのが、そもそも間違いのようです。年間200本を目標にしているのですが、歳を取ってスタミナも無なくなりますので、200本はなかなか達成出来ませんね。昨年は6月末まで100本見たので、200本に到達出来そうだと思っていたのですが、結局180本止まりでした。

    それでも私は日本映画にこだわります。洋画は言葉の壁があるからです。公開待機作で「万引き家族」はすでに見たが、「羊と鋼の森」「終わった人」「空飛ぶタイヤ」。河瀬直美の「Vision」などに期待したいと思います。余白残0。

  • >>20833

    北朝鮮の正恩君も、このところイメージチェンジしている。以前は笑顔など見せなかったが、この頃の満面の笑みはどうだろうか。それに連れて刈り上げの形も変わってきて、その体型は世界の首脳と渡り合えるのに相応しいと言える。これにはたぶん専門の舞台演出家が付いているのだろう。そして首脳会談も正恩ペースで進められ、まさに笑いが止まらないだろう。これに比較し我が国のアベシン氏はどうか。所詮トランプの飼い犬としか見られていないことが判明。トランプべったりでは限界があるので、早急な見直しが必要だが、その前にメイクと舞台演出家も必要だろう。

    世の中には完璧主義者という人種がいる。「ファントム・スレッド」の主人公レイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)がそうである。舞台は1950年代のロンドンで、彼は洋服の仕立屋だが、上流階級の女性たちが顧客の仕立屋である。彼は一切の妥協を許さない完全主義者で芸術家でもある。独身主義者でもあるレイノルズが求めるのは、物言わぬマネキンである。例えばドレスを注文する。彼はドレスを着る用途と場所を聞き、世界にひとつしかない身体にびったりのドレスを誂える。

    仮縫いの時客が「この生地は嫌いなので他のものに変えて」などと言おうものなら、彼は烈火の如く怒って、客の要望には一切妥協しない完璧主義の極みである。彼に任せておけば100%完璧なものが出来るので、逆らってはいけないのである。普通こんな奴は恋をしないのだが、仮に恋をしたらどうなるかという話。レイノルズは田舎に出かけた際に、立ち寄ったレストランで、素朴なウエイトレスのアルマ(ビッキー・クリープス)と出会う。レイノルズはその体型に一目惚れする。

    普通はセックスの対象として一目惚れするものだが、彼の場合はアルマの女神的な体型はただのマネキンでしかなく、この理想的な体型のドレスを作りたいと言う創作意欲をかき立てるのである。やがてアルマはレイノルズに誘われ、彼の自宅兼アトリエで一緒に暮らし始める。完璧主義者であっても、そこは男と女だからアルマは、愛に溢れた生活を欲しがるものである。しかし彼はアルマのことはマネキンとしてしか見ていないので、2人の仲はすぐギクシャクしてくる。

    互いに一歩も引かない2人は嫌悪感をあらわにしながら、主導権を握ろうとするのだが、その課程で自分の中にある意外な1面を発見するという話である。余白残0。

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