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太平洋戦争

  • 15,561
  • 8
  • 2017/07/26 14:28
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旧海軍の船の油流出防止支援
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6247867
※ニュースは予告なく削除される場合があります。

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  • 15561 15541
  • >>
  • 15561(最新)

    nyanko 7月26日 14:28

    鯉兵団司令部
    昭和十九年五月十七日

    軍需品滅減を目的とする敵の空襲戦法と之が対策に関する戦訓

    (1)敵機の攻撃要領
       軍需品集積地と思われる「ジャングル」等に対して先ず瞬発爆弾を以て其の遮蔽を剥がし軍需品集積場たるとを
       認むるや其の地帯に対し徹底的に焼夷弾攻撃を行い、其の要領一定せざるも中爆の数編隊を以て多数のエレクト
       ロン其の他焼夷弾を投下し時として約百機以上の大編隊を以てせるとあり、焼夷弾の密度も又極めて濃密にして
       被害地拡大一挙に主食280基数(1基数は一万人分一日)を□□に帰せんことあり、而して焼夷弾投下に引き
       続き戦闘機を以て執拗に機銃掃射を為し消化を妨げ確実に引火せるを認めたる後退却せり 
    (2)被害の概況
       三月下旬より四月上旬まで約十日間糧食主食1,153基数(内乾麺圧搾口糧878)副食物缶詰肉7,268
       基数、乾物500基数、味噌704基数、醤油959基数、砂糖3,057基数、食塩37基数、加給品138
       基数、患者食49基数、馬糧464基数、被覆3万梱、需品4万梱、衛生材料獣医材料各8千梱、弾約460
       屯、□□材50屯等にして兵器弾薬被害比較的少なきは集積地の位置の関係にして今後設見せられ次第逐次増加
       するものと判断す

    ↑糧食もかなりの数が在ったと言うことだね。

  • >>15559

    大東亜戦争は、資源及び食糧の争奪戦ですね。

    だからsinaを噛ませ犬にして、日本の国力を削ぎたかったアメリカ。

    日本も開戦時には、現状維持でも数年、開戦しても数年、と考えていましたね、政府と陸海軍は。

  • >>15558

    米国と戦うならシナ撤兵・・・戦力を回すため

    米国と戦わざるもシナ撤兵・・米国の要求を呑む

    北の守りのためにも、対米戦は不可

  • >>15557

    降参が早いか遅いかじゃないよね、占領軍の問題だよ、領土を採るのは。

    sinaは日本の領土ではありません。

  • >>15556

    早めに降参すれば少なくとも千島樺太は保全できた。

    そもそも米国は領土獲得のための挑発ではなかった。

    シナを呉れてやれば良かったのだ。

  • なんだかんだと申しましても、あれだけ戦死者を出し、領土を削られた戦争を肯定する気にはなれません。

  • >>15553

    > 旧海軍の船の油流出防止支援

    沈めたアメリカは、どうしているのですかねえ。
    ここは、売名行為にもなることですし、水面下の交渉で、トランプに、協力させるべきでしょう。
    表向きは自主的にと言うことにして、国際社会で、いい点数稼ぎになると思いますがねえ。

  • >>15551

     C.「インパール」主作戦に使用すべき兵力
      地上 第十五軍司令部、第十五師団、第三十一師団、山本支隊及び其の他の軍直轄部隊
         更に状況許せば半個師団(第三十三師団)を増強す
      航空 第五航空師団の主力、爆撃二個戦隊、戦闘三個戦隊、偵察一個戦隊、第九航空師団一個戦隊(「パレンバ
         ン」より転用)

     D.作戦構想
      (イ)各師団の戦略
        第三十三師団 「フォートホアイト」「カレワ」「モーライク」附近
        山本支隊   「シッタン」附近
        第十五師団  「ウントウ」「パウンビン」附近
        第三十一師団 「ホマリンタマンテェー」「ピンレブ」附近
        第十五軍司令部「明妙」次いで「カレワ」
      (ロ)第三十三師団を以て「ティティム」「トンザン」地区英印第十七師団を急襲し又其の一部たる山本支隊を以
        て「モーレイ」に向かい攻勢を採らしめ以て英印軍主力を南方に県製す
      (ハ)第三十一師団、第十五師団「ホマリン」「パウンビン」の正面より「チンドウイン」河を渡河せしめ第三十
        一師団は主力を以て「コヒマ」を攻略して英印軍の増援を阻止し第十五師団は主力を以て「インパール」西北
        正面に一部を以て「ミワシン」附近「インパール」「コヒマ」道に又第三十三師団は主力を以て「ビシエン
        プール」に山本支隊を以て「バレル」正面に奇襲的攻勢を採り「インパール」を攻略す
      (二)「インパール」攻略後は一部を「コヒマ」に増強して防衛体制を強化す
        此の期間には第十五軍は持久体制を採り一兵団を雲南或いは海正面に抽出転用せらるべき状況を生起を予期す
      (ホ)作戦期間は戦略展開の位置より攻勢発起したる後約1ヶ月と予定せり

  • >>15550

    【(ハ)機動及び会戦間    …】
      (ハ)機動及び会戦間
        (1)機動及び会戦間に必要なる軍需品の大部及び之が輸送機関を各兵団に交付携行せしむ
          糧秣は予め各人二十日分を携行せしむ
        (2)「チンドウイン」河渡河後の補給線の延長を左の如く予定す
          第三十三師団方面は「チンドウイン」河右岸の兵站線は設置せず側方より補給することより「カワレ」-
          「マンダレー」道により行わせり、第十五師団方面は進路上の兵站線を延伸すると共に側方よりする補給
          を併用す
        (3)「インパール」周辺の作戦終了せば機を失せず補給其の点を「インパール」に推進し爾後の敵の反撃作戦
          に即応せしむ
          就中雨期に於ける陸路兵站線の価値減少を考慮し水路の利用陸路兵站線の確保の対策を講ず

  • >>15549

    【B.後方の計画の概要   Ⅰ…】
     B.後方の計画の概要
      Ⅰ.一般要領
      (イ)後方兵力の充実
        第十五軍に対し他地域より兵站部隊特に輸送機関勤務隊、衛生機関等を増強配備す
      (ロ)軍需資材の整備補給
        本作戦に使用すべき軍需資材として概ね三個師団の一会戦分を(四ヶ月作戦し得る糧秣弾薬等の所要量)作戦
        発起迄に第十五軍に交付集積す
      (ハ)輸送交通
        兵站線確保強化の為下記の如く主として鉄道及び海路兵站線を使用す
        (1)第十五師団の緬甸侵入の為師団自ら「シャム」国「チェンベイ」-「トングー」道を構築せしむ
          (本件は途中より計画を変更し一部を以て依然本道を構築し、主力は「チェンマイ」-「ケンタン」-
          「タカオ」道を「マンダレー」附近に前進することとなり該道路に所用の兵站施設をなす)
        (2)泰緬鉄道の能率向上を図る
        (3)海路兵站線を左の如く設置す
          「シンガポール」-「プライ」(ペナン対岸)-「メルギー」-「モールメン」
          「シンガポール」-「プライト」-「ラングーン」

      Ⅱ.作戦推移に伴う要領
      (イ)兵站主地(補給根拠地)を「マンダレー」周辺に設定す
      (ロ)集中間の補給
        (1)各兵団に対する補給は主として兵団自ら兵站主地(又は現地補給点)に至り補給を実施す
        (2)軍需品は合戦間所要のものを「チンドウイン」河左岸に推進集積す
        (3)「チンドウイン」河左岸各師団の後方には各一條の自動車補給点を設置す
           之が為第三十一師団及び第十五師団の後方には新たに道路を構築又は改修し又第三十三師団方面は既設
           自動車道を拡充整備す
        (4)輸送機関は大部を軍に於いて統一使用し軍需品の「チンドウイン」河左岸集積に使用す、輸送力強化の
           為牛縦列を編制し機動間は主として第三十三、第十五師団に配属す

  • >>15548

    【(b)問  本作戦詳細は日本…】
     (b)問
     本作戦詳細は日本軍司令部何課の担当せるものなりや
     答
     細部計画の担任は第十五軍司令部にして其の中核は参謀部なり
     附記 「ベンガル」湾「アキャブ」方面の作戦計画及び「フーコン」「ミートキナ」及び拉孟方面支作戦計画は当初
        方面軍司令部之を担当せり

     (c)問
     本計画の詳細及び全貌如何
     答
     印度進攻作戦の詳細計画
     (1)作戦方針
     「インパール」平原の敵英印軍を撃滅し速やかに「インパール」及び「コヒマ」附近の要衝を占拠し西北正面防衛線
     を概ね「コヒマ」「インパール」西方山系「マニプール」河、「アラム」「ハカ」の線に推進す、為し得れば東北印
     度特に印支地上連絡路を制圧す、作戦の週末は開始後概ね1ヶ月と予期す
     (2)作戦目標
     主作戦目標 「インパール」
     副作戦目標 「コヒマ」附近
     (3)作戦準備
     A.補助(他正面の各個撃破及び牽制、欺瞞)
      Ⅰ.東北部緬甸
      (イ)方面軍は「インパール」作戦の負担を事前に軽減する為先ず東北緬甸特に「サルウイン」河西岸に進出せし
        sina軍を撃破す、之が為一九四三年十月中旬より第十五軍司令部を「ラシオ」に進め且つ第十五、十六師団及
        び第十八師団の一部を以て約1ヶ月に亘り急襲的攻撃を加え之を東岸に撃退し持久の負担を軽減す
      (ロ)又「インパール」攻略軍の直接右側の掩護として第十八師団主力(師団司令部を「シッチナー」)を「フー
        コン」正面に結集配備す
      Ⅱ.「ベンガル」沿岸正面
        方面軍は第五十五師団を以て「ブチドン」「モンドー」の線を確保せしめ敵の積極的攻勢企図を破砕し且つ
        「インパール」主作戦の牽制の目的を以て一九四四年一月十五日を期し第五十五歩兵団長櫻井少将の指揮する
        歩兵約四大隊、山砲一大隊、工兵一中隊を以て「マユ」河東岸地区より英軍の背後に向かい、又歩兵第百三十
        四連隊長の指揮する歩兵約三大隊を以て敵英印軍の正面より攻勢に転じ「シュンゼイワ」附近に補足撃滅す

  • >>15547

    3.(a)問
     印度進攻作戦計画は何時起案せられしや
     答
     (イ)大本営の起案 一九四四年一月上旬
        進攻作戦発令 一九四四年一月十日
     (ロ)南方軍総司令部は大本営命令に基づき同年一月中旬起案下旬発令
     (ハ)緬甸方面軍司令部は二月上旬起案同月十日頃発令
     (二)第十五軍は方面軍命令に基づき受領後直ちに発令(二月十日過ぎ頃なるべし)
     附記 上記作戦命令の起案に関する経緯
        1.大本営は一九四二年夏以来米軍の太平洋よりする反攻作戦に策応し英米支軍亦緬甸奪回作戦を企図すべしと
         判断し同年六月頃以来真面目に印度進攻作戦を研究せるも同年末頃には主として補給困難なる為と東西二正
         面作戦は不利なるとに依り実現至難なりとして一応研究を中止せり
        2.南方軍に於いても上記意図を関連し之が研究をなせるも同年末迄には之が実現は至難なりと結論に到達せり
        3.然るに「ウインゲート」の第一回遠征に依り第十八軍師団長牟田口中将は特に(1)のa項に記述せる如く
         「インパール」作戦の必要性を身を以て痛感し之を強調しつつありしが一九四三年三月新に第十五師団司令
         官拝命し愈々之が実現の必要性を主張せり
        4.之が為四十三年四・五月頃には大本営・南方軍共に牟田口中将の意見に同意する者を生じ同年六・七・八月
         「蘭貢」に於いて夫々作戦情報及び兵站補給等に関し、大本営、総軍列席の下に方面軍司令部主催して各軍・
         各師団の参謀長以下所要の幕僚を集めて図上研究を実施せり
        5.上記演習の結果兵站特に弾薬糧秣の補給大なる不安を感じ且つ兵力は最小限三師団半を要し又第三航空軍の
         主力を之に参加せしむるの必要を認めたり
        6.方面軍司令官は九月上記演習の結果、第十五軍に対し本然の防衛任務を遂行しつつ「インパール」作戦の攻
         勢を命じたり
        7.第十五軍に於いては上記命令に基づき九月師団長会議を実施し之が研究を行いたり
        8.一九四三年初頭より中部太平洋に於ける米軍の攻勢に依り日本軍の戦勢は日に不利となるを以て大本営は戦
         局の打開の為同年末遂に「インパール」攻勢作戦の実現を発令する気運となれり

  • >>15546

    2.問
     昭和十八年十九年(一九四三年四四年)作戦期間の当初即ち昭和十八年(一九四三年)十一月に於ける日本軍の全般
     的企図如何
     答
     一九四三年一一月頃の日本軍の緬甸方面の全般的企図
     (イ)作戦目的
        印支地上連絡(「レド」公路)の遮断
        東北部印度の制圧
        北部緬甸の防衛確立 
     (ロ)作戦目標
        右記作戦目的に伴ひ、主作戦目標を「インパール」平原とす
     (ハ)各作戦方向及び規模の概要
        a.主作戦 一軍(三師団)を以て「インパール」「コヒマ」の要衝を確保し一部を以て西方山系を進出して
         「アッサム」鉄道に脅威を加ふ、為し得れば「デセプール」附近を遮断す
        b.支作戦
         ○牽制作戦 「インパール」方面の主作戦を容易ならしむる為主作戦に先立ち「アキャブ」方面に一師団を
          作戦せしめ敵を牽制す
         ○右翼掩護作戦 「インパール」主作戦を牽制すべきsina雲南遠征軍に対して概ね一兵団を以て怒江正面に
          之を阻止し主力軍の作戦を容易為らしむ
         ○「レド」公路方面より「フーコン」河谷を南下する米支連合軍に対し概ね一師団を以て之を拒止し、右翼
          方面を直接掩護

  • 最高司令部の指令に基づく作戦に関する質問事項と南方軍総司令部の解答事項

    一般
    1(a)昭和十八年(一九四三年)春の「ウインゲート」第一回遠征に対する日本軍の受けたる反衝如何
     答
     「ウインゲート」少将の第一回遠征は日本軍に左記の反衝を与えたり
     日本軍をして「インパール」作戦の必要性を真剣に考慮せしむるに至れり。
     (イ)「ウインゲート」少将の実施せる作戦並びに此に対する日本軍の行動に依り北部「ビルマ」は少数精鋭の「ゲ
        リラ」部隊の攻勢には好適なるに反し大兵力を以てするも敵の補足は至難にして之が防衛は極めて困難なるこ
        とを体験せり
     (ロ)此が為北緬を防衛する為には受動作戦を避け進んで敵の反攻根拠地(例えば「インパール」「コヒマ」「チン
        スキヤ」等)を覆滅するを最も有利なりと判断せしめたり

     (b)問 
       昭和18・19年作戦期間に斯かる遠征を日本軍は予期せしや
     答
     英軍は「ウインゲート」遠征の如き作戦を爾後常用するものとは考慮しあらざりき
     附記 尚一部の幕僚等は斯かる遠征作戦も近く行わるべき公算ありとの判断をなせるも大勢は右記判断に到達せしめ
        一九四四年三月九日第二回「ウインゲート」遠征作戦は日本軍の不意を衝いて実施せられたり

     (c)問
       昭和十八年(一九四三年)後半期に於いて日本側は斯かる遠征に対し何らか特別準備なせしや
     答
     特別に準備せることなし
     附記 前(b)項の判定に基づき日本軍は無準備にありしため一九四四年三月九日の「ウインゲート」の遠征に対し
        ては所在後方部隊は周章狼狽し又上記級司令部も正確なる情報の入手不充分にして所在部隊を掻き集めて爾後
        対策を講じたるも至る處撃退され四月初旬に到るも漸く敵は有効なる一作戦兵団を以て大規模本格的の浸透作
        戦を実施つつあるべしとの判決を得たるのみなりき

  • >>15544

     牟田口は、まずインドへの侵攻拠点として、防衛線をビルマ領内のチンドウィン河西方ミンタミ山系に進めることを考えた。イギリス軍の反撃を避けるために、部隊行動が難しくなる雨期入り直前に奇襲的に防衛線を進めるべきだと牟田口は主張、これを「武号作戦」と呼称した。

     しかし、小畑信良第15軍参謀長らは、ウィンゲート旅団掃討後の部隊休養・再編が先決であることや、チンドウィン河西方への兵站・支援部隊の駐屯は困難であることなどから、武号作戦に反対した。まもなく実際に雨季が近付いたため、作戦実行は時期的に不可能となり、作戦案は自然消滅となったが、小畑参謀長の消極意見は牟田口の強い怒りを買った。

     また、小畑が軍司令官に直言せず隷下の田中新一第18師団長を通じて翻意を促した点は、統率上問題であると田中師団長が進言し、牟田口も同意見で参謀長更迭を決心した。小畑参謀長は就任後僅か1か月半の5月に、河辺方面軍司令官の承諾を得て罷免された。

    ウ号作戦

     1943年(昭和18年)5月、なおも攻勢防御案を強く主張する牟田口第15軍司令官は、南方軍司令部での軍司令官会合でもインパール攻略・アッサム侵攻を力説した。
     河辺ビルマ方面軍司令官もこれに同調して、インパール攻略とアラカン山系への防衛線前進を主張したが、牟田口と異なってアッサム侵攻は無謀と見ていた。

     会合の結果、南方軍全体としてもアラカン山系への防衛線前進を図る攻勢防御が妥当という点で一致したが、稲田正純南方軍総参謀副長などはあくまで限定的かつ慎重な作戦を採るべきという方針だった[8][9]。
     この会合での決定に基づいて翌6月にビルマ方面軍司令部で行われた兵棋演習では、ミンタミ山系への限定前進でも結局はイギリス軍との全面会戦になると予想され、より積極的なインパール攻略のほうが有利との判定が下った。 

     同席の南方軍・大本営参謀らからも攻勢防御案に異論は出なかったが、第15軍の主張する軍主力がアラカン山系の山岳地帯を一気に越えてインパールを電撃攻略し、さらにはアッサム地方へ進撃するという計画は兵站の点から問題視され、演習に列席した竹田宮恒徳王大本営参謀は、「一五軍ノ考ハ徹底的ト云ウヨリハ寧ロ無茶苦茶ナ積極案」と評し、また中永太郎ビルマ方面軍参謀長や稲田総参謀副長らは、補給困難を理由にインパール北方のコヒマへの投入兵力を限定して柔軟にインパール攻略を中止・防衛線構築に移行という修正案を提示した。

     しかし河辺司令官は、アッサム侵攻という考えには反対するが、「わたしは牟田口中将の心事をよく呑み込んでいる。最後の断は必要に応じわたし自身が下すからそれまでは方面軍の統帥を乱さない限り、牟田口中将の積極的意欲を十分尊重するように」と述べただけで、うやむやとなった。

  • >>15543

     1942年(昭和17年)10月以降、第一次アキャブ作戦などイギリス軍の反攻作戦が起きるようになった。1943年(昭和18年)前半には、オード・ウィンゲート率いるコマンド部隊が空挺侵入して、地形的に防衛側有利と思われたチンドウィン川東方のジビュー山系へもイギリス軍の反攻が可能なことが示された。ウィンゲート旅団は撃退したものの、今後のさらに活発なイギリス軍の反攻作戦が予想された。

     日本側では太平洋方面の戦況が悪化し、ビルマ方面からは航空兵力が転用されるなど戦力低下が生じていた。そこで日本側は防衛体制の刷新を図り、3月に緬甸方面軍(ビルマ方面軍)を創設するとともに、その隷下の第15軍司令官に牟田口廉也中将を昇格させた。

     この大規模な組織再編・人事異動により、第15軍司令部では牟田口以外の要員の多くが入れ替わったため、現地事情に詳しいのは司令官の牟田口と参謀(防衛担当)の橋本洋中佐だけとなってしまい、幕僚達が司令官のビルマでの経験に頼らざるを得ない状況となった。これが司令官の独断専行発生の構造的な要因となり、本作戦失敗の遠因ともなった。

     第15軍司令官となった牟田口は、従来の単純な守勢から攻勢防御によるビルマ防衛への方針転換、つまり、イギリス軍の反攻拠点であるインパールを攻略し、さらにインドのアッサム州へと進攻するという計画を強く主張するようになった。
     かつては攻勢反対論者だった牟田口であったが、ウィンゲート旅団のような反攻を受けた場合、現在のジビュー山系防衛線が無効化することを恐れて判断を変えていた。

     より西方のチンドウィン河に新たな防衛線を構築することも考えられたが、乾季には障害として不十分であり、彼我兵力比を考えると防衛正面も広すぎるため、むしろインパールを経てアッサム地方まで進攻すれば、連合軍の反攻を封じることができるだけでなく、インドの独立運動を誘発して戦争の早期終結につながるとの期待も持っていた。名目上も保留中の二十一号作戦を自らの手で行おうというこの構想は、盧溝橋事件に関与した牟田口の個人的責任感にも由来するとの見方もある。

  • 二十一号作戦

     インドへの侵攻作戦という構想は、ビルマ攻略戦が予想外に早く終わった直後から存在した。
     インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であった。

     ビルマ-インド間の要衝にあって、連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍(国民党軍)を著しく弱体化できると考えられた。
     日本の南方軍は、「二十一号作戦」と称して東部インドへの侵攻作戦を上申した。

     1942年(昭和17年)8月下旬、戦争の早期終結につながることを期待した大本営は、この意見に同調して作戦準備を命じた。
     参加兵力は第15軍の第18師団を主力とする2個師団弱とされた。イギリス軍の予想兵力10個師団に対して著しく少ないが、ビルマ戦の経験からは、この戦力比でも勝算があると考えたのである。

     しかし、二十一号作戦の主力に予定された第15軍及び第18師団(師団長:牟田口廉也中将)はこの計画に反対した。
     現地部隊は、雨季の補給の困難を訴えた。乾季であっても、山岳や河川による交通障害、人口希薄地帯ゆえの徴発の困難などが予想されると主張したのである。

     現地部隊の反対に加え、ガダルカナル島での激戦が発生もあったため、同年11月下旬、大本営は二十一号作戦の実施保留を命じた。
     ただし、あくまで保留であったため、現地では作戦研究が続行されるべきことになった。

    武号作戦

  • >>15540

     硫黄島の戦いには航空特攻の「第2御盾隊」と回天の「千早隊」「神武隊」が栗林忠道中将率いる小笠原兵団の支援のために送られた。
     「第2御盾隊」は32機と少数であったが、米護衛空母ビスマーク・シーを撃沈、正規空母サラトガに5発の命中弾を与えて大破させた他、キーオカック(防潜網輸送船) など数隻を損傷させる戦果を挙げた。

     特攻によるアメリカ軍の被害は硫黄島からも目視でき、第27航空戦隊司令官市丸利之助少将が「敵艦船に対する勇敢な特別攻撃により硫黄島守備隊員の士気は鼓舞された」「必勝を確信敢闘を誓あり」と打電した。
     またこの成功を聞いた大西は特攻作戦について自信を深め、その後就任した軍令部次長として特攻を推進していく動機付けともなった。

     1945年2月17日、豊田副武連合艦隊司令長官は、アメリカ艦隊をウルシー帰着の好機をとらえて奇襲を断行する丹作戦を命令した。
     宇垣纏5航艦司令長官は陸上爆撃機「銀河」を基幹とする特攻隊を編成し菊水部隊梓特別攻撃隊と命名した。
     3月11日からウルシーに帰投した米機動部隊の正規空母を目標に24機の銀河で特攻が行われたが、途中で脱落する機が続出し、1機が 正規空母ランドルフに命中し中破させただけに終わった 。

     1945年3月17日、海軍大臣の内令兵第八号をもって、正式に兵器として採用された桜花は、3月18日に開始された九州沖航空戦が初陣となった。
     3月21日に第五航空艦隊司令・宇垣纏中将が、第七二一海軍航空隊に第58任務部隊攻撃を命令したが、5航艦はそれまでの激戦で戦闘機を消耗しており、護衛戦闘機を55機しか準備できなかった。

     そこで第七二一海軍航空隊司令の岡村基春大佐が攻撃中止を上申したが、宇垣は「この状況下で、もしも、使えないものならば、桜花は使う時がない、と思うが、どうかね」と岡村を諭し、出撃を強行した。
     野中五郎少佐に率いられた一式陸攻18機の攻撃隊は、途中で護衛の戦闘機の多くが故障で脱落する不幸にも見舞われ、岡村の懸念通り、アメリカ空母に接近することもできず、全滅してしまった。

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