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太平洋戦争

  • 16,926
  • 8
  • 2017/12/09 20:36
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海底に戦艦「山城」など5隻か
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6263960
※ニュースは予告なく削除される場合があります。

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  • 16926 16907
  • >>
  • 16926(最新)

    nas***** 12月9日 20:36

    >>16922

    開戦記念日でも盛り上がりませんでしたね

    昭和は遠くに成りにけり。

  • >>16923

    昔話で、古い武器が見つかる時は、新たな戦いが起きる前兆で、戦争で死んだ祖先の霊が子孫を守るために目覚めた証だという話。

    このところ、武蔵や潜水艦など、旧日本軍の主力武器が相次いで見つかっている。日本の危機に先祖が目を覚ましているのではないと良いのだが、朝鮮半島が不穏で何とも不安になる兆候だ。

  • ◎米穀生産ノ六割ハ供出(ソートレーキ・二月三日夜) @農務局ハ米穀生産高ノ六割ヲ政府ニ供出命令ヲ出シタ@

    ◎チーズ生産ノ半分ハ政府ニ供出(ソートレーキ・二月八日夜) @農務省ハチーズ八千封度以上ノ生産者ハ二月十五日以降其ノ半額ヲ政府ニ供出スルヤウニ命ジタ@

    ◎婦人連、脂肪ノ供出運動ヲ起ス(バンクーバー・二月二十二日零時) @デンバーヨリ中継公告-亜米利加ノ主婦達ハ余ツタ脂肪類ヲ節約サレ度イ、ソーセージ、ビフテキ、ドーナツ、魚類等ノ、此レハ戦地デ闘ツテ居ル諸姉ノ子息諸君ニ火薬ヲ供給スルタメノダリセリンノ製造ニ必要デス、余ツタ脂肪ハ空缶ノ中ニ搾リ入レテ公定価デ肉屋ニ売渡シテ下サイ、戦争ハグリセリン無シデハ勝テマセン、諸姉ハ脂肪節約ニヨツテ其ノ供給ニ協力スルコトニナリマス、若シ米国ノ家庭ノ主婦ガ全部一封度宛供出シタナラバヒツトラーヤ日本ヲ随分困ラスコトガ出来ルデセウ@

  • >>16911

    近藤 誠司さん

    戦争の思い出
     終戦時小学校4年生、昭和19年(小学校3年生)の時,戦争で使う戦車,銃のための原料「鉄」が不足してきたため,全国からくず鉄,鉄製品のあらゆる物の供出を行きました。
     各家庭では,敵が空中から攻撃してくるから,その時の避難する場所として,庭に防空壕(土の中で火災や爆弾を防ぐ)も作りました。
     また,敵が日本へ上陸してきたときの対応として,婦人・子供達が竹槍で相手を殺す練習をしました。

      昭和20年の春ごろから,低空で飛行機(小型機)が飛んでくるようになり,朝学校への通学途中に飛行機から機関銃でねらわれることがありました。 その場合は,畑の中へ身を隠し,飛行機の音や機関銃の音が聞こえなくなってから学校へ行きました。
      学校で勉強中に敵機襲来(サイレンが鳴る)の合図が出た場合は,生徒は頭に防空頭巾をつけて鞄を持ってすぐ家に帰りました。警報解除のサイレンが鳴った場合は,また学校へ出かけていき勉強をしました。
     昼の間は,高いところを飛ぶ飛行機(B29爆撃機)が主に軍需産業(飛行機や戦争機器の製造工場)を目標に爆弾を投下しました。私たちの目で爆弾が落ちで行くのが見えました。
     私の近くで焼夷弾が落ち,恐ろしい体験をしました。それは,夜間に電球を点灯したために,敵機がその電球を目標に焼夷弾を投下して,家が3,4軒燃え上がり,私たちは防空壕へ逃げふるえていました。夜でしたから,家の燃えるのが近くに感じられ本当に恐ろしい体験をしました。
    戦争の終わり頃に,今市場に爆弾が落ちた記憶は,思い出すたびに身震いします。

    大垣 雄二さん

     遠くの堤防から見ていると,爆弾が落ちるたびに街が真昼のように明るい。布袋は街だったので,遠くから買い物に来る人がたくさんいた。(5,6時間歩く) 雨の降るような音がする。すごい砂埃で前が見えない。家の中がまるで地震にあったときのようにぐちゃぐちゃ。飛行機がすぐ下まで降りてきて,人をねらう。サイレンが鳴ると竹薮に逃げて,止まると家に戻るの繰り返し。死体が木などにたくさん引っかかっているので,子供も降ろすのを手伝った。
     学校に着ていく物がないので,あるものをまとう。生きていく希望もなく,地獄のような生活だった。

     疎開について
    ここにいても死ぬだけだといって,曾おばあちゃんがおばあちゃんを犬山の山の奥へ疎開させた。歩いていった。少しの間お世話になったけど,「どうせ死ぬならいっしょがいい」といって,家に帰った。その後,戦争が終わったときは,もうたとえようのないぐらいすごい喜びだった。

  • 戦争体験記聞き取り集    


     山田 健三 さん

     昭和20年7月12日夜11時頃,五明の武田助産院付近の7,8件が焼夷弾で燃えた。近くにあった草むらに火がつき,近所に広がったようだ。各務原,小牧空港に爆弾を落とした帰りに余っていた爆弾を落としたと聞いている。昭和20年頃,名古屋から歩いて今市場に疎開してきた。とにかく恐かった。はやく戦争が終わって名古屋に帰りたかった。

     今井 義雄さん

    空襲の様子
     昭和20年7月13日及び7月28日の二回に分けて一宮市がB29によって空襲されました。
     特に,2回目の空襲は布袋の五明,小折に死者・負傷者が出ました。五明では数多くのやけどを負った人,亡くなった人も2人ほど出ました。小折は,私の家のすぐ裏の家ではお父さんが出征されていて留守の所,おばあさん,奥さん,子供二人がみなさんといっしょに防空壕へいたのに,自分の家の畑が現在の関西電力の鉄塔の下にあるので,そちらの方が安全だと思い,一家四人と隣の家に手伝いに来ていた娘さんも連れだって,そこで四人が即死状態で奥さんだけが火傷を負い家に帰っていました。

     みなさんが,行方がわからないので探していたところ,自宅の入り口付近で,黄燐焼夷弾の黄燐を体中に浴びうずくまり苦しんでおられる所を発見されましたが,火傷がひどく翌日なくなったということです。

     ちょうどそんな頃,家のおじいちゃんの友達から聞いたそうですが,一宮から火に追われて東へ東へと逃げてきた人が8キロもある小折まで逃げてこられたそうです。28日午後10時から翌朝午前2時頃までの出来事でした。

    当時の社会状況
     特に戦争が烈しくなって昼夜を分けず空襲があり,大きい町が次から次へと焼けていきました。
     それでも絶対に負けることはないと勝利を信じ,中学生も学業もそこそこに軍需工場へ勤労奉仕にゆきました。そうした人たちも次から次へと空襲されなくなった方もたくさん出ました。
     
     また,物価統制令が敷かれ,勝手に日常の品物を動かすことのできませんでした。
     
    戦時中の食糧事情について
     食料も少なく,何よりも増産しなければならないということで,今の小学校の校庭も皆畑となり,サツマイモ等が作られました。一般の人たちの毎日の食べる物は代用食が多く,「すいとん」,豆かす入りのご飯,雑穀入りのご飯,それも不足がちで田舎の人たちはともかく,街の人たちはずいぶん苦労して食料を手に入れていました。
     
     家のおじいちゃんの話では,軍需工場へ行っている人たちの寮の食事は,朝は小麦の粒の雑すい,夜はジャガイモの小さいのが皮付きのまま10個ぐらい,味噌汁の実はゴボウの葉,フキの葉まで食べたそうです。

    疎開について
     
     都会では行われていましたが,布袋付近では山奥に親戚のある人が荷物を預けた程度で学童の疎開はなかったように思います。

    過去を振り返って

     昭和20年8月15日,戦争は終わり,日本は滅亡をまぬがれた。そして,終戦後の混乱のなかを,国民の懸命の働きと努力によって世界でも有数の経済大国となったが,その陰に戦争のために多くの犠牲者のあったことを忘れてはならなりません。
     
     学業を捨て学徒出陣し,特攻隊となって国のために米国の軍艦に体当たりして若い命を捧げた人達の運命も,歴史を閉じる為のやむを得ない事だったかもしれない。

     それだけに,なおさらにこのことは何時の時代までも伝えて,日本国民として決して忘れてはならないのです。

  • >>16909

    14 零戦の運命、今や極まる

     この六月二十四日の戦闘は、終幕ヘの序曲であった。
     奇襲攻撃をうけ、十数機の損害をだしたが「ヘルキャット」隊は日本軍戦闘機の半数、約四〇機を、空から葬りさったのであった。
     これについては坂井三郎氏も率直に認めている。
     「四〇機の零戦とパイロットの損失は我々を、びっくりさせた。
     『ヘルキャット』に零戦が追いまわされ若い未熟なパイロットたちが、つぎからつぎへと炎につつまれていくのを見るのは、たえられないことだった。
     ラエでの戦闘の場合とは、全くちがう。
     零戦は、いまや時代遅れであり、パイロットの腕は米軍のほうが上だということになった。
     戦局は大きく転換してしまった」
     その後二回目の攻撃で「ヘルキャット」は、硫黄島に残っていた零戦四〇機の半数二〇機を撃墜した。
     三回目、さらに一一機が空から消えた。
     硫黄島には九機の零戦が残るだけとなり、航空攻撃にたいしては、全く無力となってしまった。
     しかし、かつて空の王者であったのは、まさに、この零式艦上戦闘機であったのだ。

  • >>16908

    13 地上の火器、何してんだ!

     捨身の宙がえりが、功を奏したようだった。敵機は、混乱し隊形がくずれている。
     私は、もう一度、急上昇で離脱をはかった。
     「ヘルキャット」は、ピタリと追尾してくる。こいつらは五〇〇メートルもの距離から撃ってくる。
     撃て、撃て、弾丸をつかえ! 私は、どなった。
     だが、彼らは全く速い。曳光弾が、横をかすめる。私は、必死になって旋回する。
     突然、下に硫黄島がみえた。私は地上の砲手たちに、日の丸がみえるように主翼をふった。だが、それが悪かった。
     これでスピードがおち「ヘルキャット」が追いすがってきた。
     高射砲は、どこにいるんだ。島のやつらは、なにをやっているんだ。
     撃ってくれ! 撃て、撃て! 硫黄島から炎がまきあがった。
     せん光が島いっぱいにひらめいた。おりとあらゆる対空火器が、いっせいに火ぶたをきったと思われた。
     きりさくような弾丸が、空にとぶ。さく裂で零戦がゆれる。
     「ヘルキャット」の群れの、まっただなかに、怒ったような、さく裂の煙がみえる。
     「ヘルキャット」群は急反転して、射程外に去っていった。 私は、全速で飛び続けた。
     恐怖でいっぱいだった。たえず後が気になる。やつらが追ってこないか?いつ弾丸がとんでくるか?
     私はすっかり、おじけづいていた。
     硫黄島を、とびこしてしまった。
     スロットル〔しぼり弁〕を全開にして、ひたすら飛び続けた。
     急げ! もっと急げ!
     大きな積乱雲が目のまえにみえる。
     なにも考えず、雲のなかに突っこんだ。ものすどい上昇気流が、零戦をひっつかんだ。激しい震動、なにも見えない。
     パッと光がひらめく。そしてまた、なにも見えない。
     コントロールを失った。零戦はグッとおちて、さかだちになる。うらがえしになり落下し、つぎの瞬間には、尾部からほうりあげられる。
     積乱雲の上昇気流に、完全にほんろうされたが、雲塊をとおりぬけた。
     でてみると、機は背面飛行になっていた。あわてて機をたてなおしたが、それは五〇〇メートルの低空であった。
     はるか南方に、さっきの「ヘルキャット」一五機が、チラッと見えた。空母に帰っていくのだ。
     すべて終った。そして生きていることが、信じられない思いだった。
     むしょうに大地が恋しくなった。

  • >>16907

    12 退避やめ突っこむ

     どこでこの乱闘が、はじまったのだろうか。四〇〇〇メートルの上空だ。
     横すべりや旋回を続けて、四〇〇〇メートルちかくも、下へ下へと弾丸を避けてきたわけだ。もう高度は残ってはいない。
     しかし敵も、今迄のような攻撃法をとることは、できなくなった。急降下しても、ひきおこす余地がない。
     なにか、ちがうことをやるだろう。私には、わずか余裕がでてきた。
     操縦桿を左にもちかえて、右手を激しくふった。いたい。からだじゅう痛い。にぶい痛み、マヒがひろがってくる。
     またやってきた。円陣から横すべりして、今度は、私がなにをやりだすかと用心ぶかく、やってくる。
     旋回している。旋回しながら撃ちかけてくる。避けるのはむずかしくない。
     左へ横すべり。 あぶない! 曳光弾がかすめる。 海面に、ピッヒピピッと水柱がたつ。水がはね、泡がとぶ。
     べつのやつがくる。 こんなやりかたで、何回襲いかかってきたことだろう。勘定しきれない。
     いつ敵はあきらめるか。燃料はもう底をつきかけているに違いない。
     私は、もう力がつきかけていた。腕がすっかりしびれてしまった。
     もうスピードのある、するどい旋回はできなくなった。私の機は旋回するたびに、大きなダ円をえがいて回っていた。
     敵はこれを見のがさなかった。
     彼らは、さらに大胆になって、攻撃を集中してきた。息つくひまもない激しい攻撃だった。
     もう退避だけしていてはダメだ。 突破しなければならない!
     私は左急旋回から、カジ棒をけって操縦桿を左にふる。全砲火をひらいて敵に突っこんだ。
     私は円陣を突破した。機首をさげて、いちもくさんに逃げた。海面すれすれだった。
     「ヘルキャット」は隊形をみだしたが、すぐ追ってきた。
     半数の敵機が、上方から私におおいかぶさるように、他の半数は後方から銃火をあびせながら迫ってきた。
     速い。たちまち有効射程距離にせまってくる。私は右に移動を続け、機体は、激しくゆれる。
     左のほうには機銃弾が、白い噴水を海面からまいあげる。
     彼らは、あきらめない。上方の敵が、とびかかってくる。激しい銃火をあびる。
     もう、手も足もほとんど動かせなくなった。どうにも駄目だ。こんな低空では、逃げられるのも時間の問題だ。
     海に突っこんでしまうだろう。 突然、闘志がつきあげてきた。
     卑怯者のように、ただ逃回って死ぬのをまつのか、――。
     私は操縦桿をグイッと、胃につくまでひいた。零戦は機体をきしませて、宙がえりをして上昇した。
     そこに、わずか一〇〇メートルほどのところに、一機の「ヘルキャット」がいた。
     そのパイロットは動揺している。私を見失ったらしい。
     敵の後続機は、もう私をねらっている。何機だろうと、かまってはいられない。
     こいつを、やっつけるんだ!
     敵は、激しくひねって逃げようとする。いまだ! 私は発射ポタンをおした。曳光弾がとぶ。あたらない。
     機が不安定に横すべりしているのだ。腕がしびれて、操縦桿がふらついている。
     「ヘルキャット」は、急旋回して上昇して逃げて行った。

  • 11 米軍機の照準、未熟で助かる

     もしも、敵がちがう攻撃法をとっていたら、あるいはもっと攻撃を集中していたら、私は、間違いなく、やられていただろう。
     敵機は、一度も私の動く前方をねらうことをしなかった。
     もし一機でも、私の突進する先の空間に、私が急旋回する前方の空間に、機銃をうちこんでいたら、私は、みずからその弾幕にとびこんでいったことになったろう。
     だが、それができないのが、パイロット特有の心理なのだ。パイロットの心理は妙なものだ。
     彼らの九九パーセントは訓練でおそわったとおりのやり方に執着する。
     あるパターンにしたがうように訓練されて、どんなことになろうが、生と死のまじりあった戦闘においてさえ、そのパターンからはずれようとはしない。そして、その執着を打破したものだけが、エースになるのだ。
     私の戦いは、私の腕がきかなくなって、急旋回でよろめくようになる時間と「ヘルキャット」の燃料のなくなる時間との競争ということになっていた。
     私は速度計をチラッとみた。時速五五〇キロちかくをさしている。零戦の最高限度だ。
     私には、腕以上に機体の耐久力が問題だった。これにもまた限度がある。主翼が心配だった。
     繰返し、繰返しの左急旋回のため、主翼がたわんでいる。
     連続的な、かたよった圧力のため、機体がこわれ、翼がちぎれとぶかもしれない。だがこれは、なんともしかたがない。
     私には、飛び続けることしかできない。
     急旋回の強行か、死か、私にはこれしか道は残されていなかった。
     またしても旋回。操縦桿を押す! 横すべり。べつのやつがくる。翼なんかどうともなれ! 急旋回!
     もうなにも聞えなくなった。自分のエンジンの音も「ヘルキャット」のうなりも、彼らのコマ七ミリ機銃の激しい発射音も。
     左の目が、さすように痛い。 汗が流れおちる。それをぬぐうこともできない。
     気をつけろ! 操縦程を倒す。カジ棒をける。 曳光弾がとぶ。またはずれた。
     高度計はゼロにちかくなっていた。海がすぐ目の下だ。
     坂井! 翼をあげておけ、翼端で水をきるぞ。

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