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南京追悼 首相訪問求める声も
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6224026
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  • 南京攻防戦後に南京城内で遺体処理をしていた紅卍会の記録があり、1938年3月までの遺体処理数は
    「1793体」とあります。
     これは、虐殺とかそういうものは何の注釈もありませんが(老衰、病死、怪我など含めたであろう死者数)、
    これが、歴史的事実です。10万や30万という数字はどこにもありません。
     当然、この資料は東京裁判でも提出されています。だからこそ、東京裁判でも大虐殺などという判断はできなかったのです。
     南京事件はこの記録一つをとっても、中国のねつ造なのです。
    中国は、ほかに、虐殺の数的資料は出せていません。なのに、その後の国連小委員会などで、虐殺2万人などといっていました。しかし、国際的にも相手にされていなかったのです。
    それがいつのまにか、10万や30万という数字になってきてしまい、朝日新聞の本田勝一氏(当時)など、日本人からも、中国の主張に同調する人が出てきてしまいました。
     本田勝一氏は当時の南京事件に関するルポに関して「中国の人がそう言っているんだから、事実なんでしょう」
    と言っていたのを、本で読んだことがあります。慰安婦問題で吉田清治氏が似たようなことを言っていたような
    気がするのですが、この二方に共通しているのは歴史的事実が不十分(私に言わせれば、事実がない)ことです。
    被害者が言っているのだから事実だろうということです。
     まあ、吉田氏の場合は被害者側証言というのもウソだったわけですが。
     日本は、南京事件(そんなものはないのですが)に関しては、歴史的証拠を出せというだけでよいのです。
    ましてや、福田元総理のように、ねつ造資料で凝り固まった記念館を訪問するなど、論外です。
    福田元総理には、南京事件に関する歴史的証拠を提出していただきたいものです。
    そうでなければ、日本の国益を損なった者としての、何らかの罰則を科していただきたいものです。

  • 「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない。」(外務省)

    ベトナム戦争のソンミ村事件のような南京事件は、あったということだ。
    大虐殺というのは捏造だ。

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  • マレーシアの議員、歴史学者の話だ↓

    ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
    「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

    ガザリー・シャフィー 元外務大臣
    「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。」

    ザイナル・アビディーン 歴史学者
    「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果たした」

  • >>96

    長年アジアを歩き住んできた経験から言うと、英蘭はじめ西欧諸国がアジアを植民地にしてきた間、彼らがこれらの地域でいいことをしたとはいえないが、彼らの植民地政策には暗い部分と明るい部分がある、しかしどちらかというと文明的で上手な統治だったとの印象である。

    日本の植民地政策は過酷な暗い部分が圧倒的に多い、、半島では失政、台湾ではかなりな成功を収めたといえようが、

    英米の植民地だったアジア諸国の現地での印象は、かなり成功した日本の台湾での印象に似ていて、勿論、植民地になって結構などとは言えないが、
    戦後、インドに行ったら、国民が無料に近い金で診療を受けるあの巨大な公共病院は英国がインド人に為に作ったのだと言って感謝していた、

    マレーシアでもシンガポールでも英国統治時代の英国人のの銅像や記念碑がかなりあるし、本音を聞くと英国はすごかった、英国のおかげで文明開化になったのだというのだ、日本人には嫌なことをあまり言わないようにしているが、親しくなり、本音を聞けば、いかに日本が残酷であったか、初めだけうまいことを言っていたが間もなく本性が現れ酷い目に遭ったと言っている、今もこの国の各地に占領後の日本軍の非戦闘員虐殺の殉難碑が多い、

    オランダのインドネシア当地でも驚いたのは、オランダと独立戦争で戦って独立を勝ち取った後もオランダは植民地時代にオランダ軍に関係した人間にオランダの軍人年金を払っていた、日本は戦後すぐ半島で強制徴兵した元日本軍軍人や傷痍軍人の年金も廃止した、

    シンガポールの国立博物館に行ってみれば、日本占領時代、昭南島時代のコーナーがあり、そこでだ日本の占領下の暮らしなどの説明や展示がある、
    シンガポールが人間が住む島になり外国の統治下になって、英国植民地からのアジア解放の旗印で入ってきた日本の統治の4年間こそ、全くこの島国の国民が経験したことのない暗黒な残忍な悪魔の時代であって、その苦しみは永遠に記憶されるだろうなどと書いてある、

    クワイ川の戦場の橋のたもとにはレイルウエイ、運命の旅路の映画に出来る残忍な憲兵隊通訳であった永瀬隆が戦後贖罪でこの地域でタイの戦後復興や戦争犠牲者援助の為に奉仕活動を行いタイの国民が彼の銅像を建ててこの功績を検証しているのは台湾にも日本人の恩人の銅像が今もあるのと同様だ、

  • マレーシアは、ポルトガル、オランダ、イギリスが植民地にしていたが、ひどい話がたくさんある。
    アメリカもフィリピンなどで何をしていたか、調べてみるといい。

    欧米諸国はアジア人を人間と認めていなかったのだ。
    従順であればエサを与えられたが、抵抗すれば殺してしまっても罪ではない。
    華僑はイギリス人の手先として現地を統治していた存在だ。

    アジア解放という意志を持つ日本にとって、華僑は邪魔になったので排除したのだ。
    ここで、最低限やってはいけないことは女性と子供を殺すことだ。
    女性と子供は、戦勝国の意志の実現の抵抗にならないからだ。

    南京事件は、シンガポール粛清事件と違い、市民に紛れた敗残兵の掃討だ。
    平和な時代から見ると残酷なことであるが、戦争とはそういうものだ。

  • 当時中華民国の主都は南京でありましたね。
    首都が陥落すればどうなるか!?
    今のペキンが陥落したらと考えてみましょう。
    当然敗北宣言ですよね。

    総大将紹介席は白旗上げると宣言し隙を見て重慶と言う糞田舎へ敵前逃亡。そこで勝手な亡命政権樹立を宣言。守る兵一人としてなしの丸腰状態での宣言でした。

    首都南京に残された国●党敗残兵1万。指揮系統壊滅でもはや戦える状態ではない。当時の南京は難攻不落の要塞で外からは容易に近付く事とさへできない。その要塞の中に敗残兵1万人がひしめいていたのです。紹介席に棄てられた彼らにもはや戦闘意欲はなく如何に脱出するか!

    間もなく白旗を上げる筈の中華民国から全くの音沙汰なし。業を煮やした日本軍はついに強行突入することに。

    続く

  • >>92

    リーカンユーの自叙伝では抵抗者だからと判断したなどとは言っていない、非武装で無抵抗の民間人を、彼らの各家庭にいる男性の年齢の幅で呼集をかけて殺したのだ。

    子供と女は呼集されておらず、初めから除外したので殺していないのは明らかだし、リーカンユウーは自分はこの呼集を避けて、うまく逃亡したと言っているので女子供同様に除外されたわけではない。
    抵抗するゲリラが日本軍が占領している戦闘のすんだ所で家に呼集まで虐殺を待っているか、もし、家に居てもすべての一定の年齢幅の男は皆抵抗者だと日本が判断したのなら、日本軍が虐殺するに、どんな理由付けができると言う事で、そんな論理は通らないから、国際的な非難を浴びているのだ、

    6000人位’の無抵抗の罪のないシンガポールの民間人男性を殺したことを日本政府が認めて戦後政府代表がシンガポールにきて謝罪をしているのだ。この虐殺に正当性があるなら、そんな必要はない、これからの戦争起きれば、日本よりひどい敵がいるかもしれない、そして日本もこれと同じ目か、もっと酷い目に遭うかもしれないな。

  • >>92

    >占領直後に抵抗者を処刑することは、どこの国でも行っていたことです。

    投降して来た中国人たちをを2,3万人殺したんだから、それは違法な行為だよ。
    だから、松井石根や広田弘毅が東京裁判で責任を問われて処刑されたんだろ。

  • 占領直後に抵抗者を処刑することは、どこの国でも行っていたことです。
    それをしなければ、占領政策が施行できないからです。
    戦争とはそういうものなのです。

    問題は、女性や子供を処刑したか否かです。
    女性や子供を処刑したのであれば、虐殺だと判断できます。

    シンガポールの華僑粛清事件では、リー・クアンユーが処刑されなかったように女性と子供は処刑していません。
    南京でも、女性や子供を処刑したという信憑性のある証言や証拠はありません。
    シンガポールや南京の事件は、占領政策だと判断できます。
    もちろん、行き過ぎがあることは、こういう事件の常です。

  • この間亡くなったシンガポールの名宰相の誉れ高きリーカンユーの自伝の中の一部です。

    >リー・クアンユー回顧録  二月十八日。日本軍は十八歳から五十歳までのすべての
    華人男性に、尋問を受けるため五ヵ所の検査所に集まるよう通達を出し、拡声器を
    持った兵隊を動員した。憲兵隊は一軒一軒家を回り、出頭しなかった華人を銃剣で
    脅し収容所へ連れていった。女性や子供、老人に対してもそうだった。  後にわかった
    ことだが、私が抜け出したチェック・ポイントでいいかげんにより分けられた人は
    ビクトリア学校のグラウンドまで連行され二十二日まで拘禁されていた。彼らは後ろ手
    に縛られ、四十、五十台のバスでチャンギ刑務所に近いタナ・メラ・ベサールの砂浜に
    運ばれた。バスから降ろされると今度は海辺のほうへ強制的に歩かされ、日本兵が
    機関銃を発砲し虐殺した。彼らの死を確かめるため、死体は蹴られ、銃剣で突かれ
    たりした。死体を埋葬しようとする気配はなく、砂浜で波に洗われている間に腐敗した。
    奇跡的に逃げられた何人かがこの身の毛もよだつ話を伝えた。  日本も二月十八日
    から二十二日までに六千人の華人青年を殺害したことを認めている。戦後、華人商工
    会議所がシグラプ、プンゴル、チャンギで大量の墓地を発見した。商工会議所の推定
    によれば大量殺害の被害者は五万人から十万人に達した。  理屈のうえでは、天皇の
    軍隊はこのような行為を法と秩序の回復、反日抵抗運動を封じ込めるための処置だった
    と正当化できるかもしれない。しかし、これは完全な報復措置だった。戦闘の最中に
    起きたことではなく、シンガポールがすでに降伏したあと起こったことである。この後
    も地方部、とりわけ東部でも反逆者一掃作戦が展開され、数百人の華人が犠牲になった。
    全員が若い不屈の男たちだった<

    占領後間もなく、山下司令官に辻政信参謀が中国の手先で臭い華僑がこの国の国民の9割で、うようよいるので害虫駆除をさせますと言ってOKを取り、占領した日本軍の幹部に
    こいつらを手っ取り早く片付けろと言うと、戦争が終わり占領地の民間人を処理するのは
    好ましくないし、狭い島で外部にしれやすいまずいというと、つべこべ言うな南京方式で
    やれば手早く簡単だぞと無理に、この酷い虐殺事件を起こさせたとか、南京方式だと早く
    できるのですかな。





    ーーーー

  • >>83

    安倍政権が中国に派遣して共同研究させた右寄りの学者もこういう研究結果だよ。
    この辺はしっかりと認識はしないとだめだと思うわ。

    『日中歴史共同研究』

    日本軍が南京を攻撃し占領した後、放火と掠奪が日に日にエスカレートした。英米人の
    住宅を含めた公私の建物がいずれも日本軍の掠奪と焼き討ちの標的となった。スマイスの
    調査によると、城内外の 89%以上の建物が焼き討ちに遭い略奪され、24%の家屋が焼き払
    われ、城内の 73%もの家屋が掠奪にあった22。第 16 師団長中島今朝吾までが掠奪に加わっ
    た。最も皮肉だったのは、中島本人の財物までが封印の紙を貼ってあったにもかかわらず、
    ほかの部隊の日本軍により盗まれたことだ。中島は日記の中で、「もし自分の管轄範囲内で
    物を探すのであれば好きにさせ、少なくとも戦場心理の表現として、恐らく道徳に悖ると
    は考えないだろう。しかし他人の勢力範囲内に入りしかも司令部の標識が打ち付けられて
    いる建物で、平気で盗みを働くのはあまりにも行き過ぎている」としている23。日本軍の南
    京における掠奪行為は、ここからその一端が見られる。

  • 南京で大学教授をしていたルイス・S・C・スマイス(米国人)は、後に南京安全区国際委員会秘書になり、日本軍が占領中の南京市の様子を細かく記録して公開しているけど、その米国人の記述にさえ「12月12,13日の南京市の人口は20万から25万人だった旨」が書かれてるけどさ。

    (先頭に"h"を付加)
    ttps://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938
    >…Page 4 I. CITY SERVEY
    The city of Nanking had before the war a population of just 1,000,000, which was considerably reduced by repeated bombings and latterly by approaching attack and the removal of all Chinese governmental organs.
    At the time the city fell (December 12-13), its population was between 200,000 and 250,000. …
    (戦争以前、南京市はちょうど100万の人口を持っていたが、度重なる爆撃と、最近は攻略戦が近くなったことや中国政府組織が移転したことにより、その人口はかなり減少していた。
    当該市が陥落したとき(12月12、13日)、その人口は20万から25万であった。)



    南京事件について、「被害者0人説」もおかしいけど、「被害者30万人説」なんていうのもおかしいとしか言いようがないと思うんだけど。

  • >>81

    どこかであったな。
    プロ市民が一平卒にしか過ぎなかった認知症老人に
    取材に格好つけて誘導発言をさせて、
    それだけを根拠に事実として記事にしたが、
    度が過ぎて批判され、続報が無かった事が。

    ところで、その記事の元になった人物の経歴はどうなのさ?
    くいっぱぐれた輩なら得になりそうなら何でも言うだろうさ。
    中国やソ連に抑留されてたのだったら、洗脳された輩から解放されただろうしな。

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