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  • マトモな社会と言えるのか・・・・?
    これはけしてレアケースでもなんでもない。あたり前に起こりうる事態なのだ。
    高齢な親にのしかかる合計600万円もの学費をどう払えというのだろう?
    払い方ならいろいろあるだろうという問題ではない。
    払わねばならない状況そのものが「異常」なのだ。
    なぜ、払わねばならない事態に今、陥っているのかを考えねばならないという話だ。

    核爆弾を使用するという「異常」な状況を棚に上げて、その使い方ならいろいろある
    だろうという議論に擦り替えてはいけないように、この学費600万円という核爆弾
    なみの破壊力を有する異常事態をわれわれは阻止すべきではないのか?

    この異常性の原因は、はっきりしている。
    つまり、頭がいいだけの「クソ教育者」という人種に、この社会が特別な地位を与え
    てしまったからだ。
    自己愛に凝り固まった、ちょっと書物を読む能力に長けているというだけのクソ野郎
    どもに過剰な価値を付与してしまったからだ。
    この最悪な「毒の木」からは、社会に有害な「毒の実」しかもたらされない。

    では、「クソ教育者」のいない社会とは。どんな社会なのだろうか?
    その可能性を追求するため、自分は15歳のときから〝ある仮設を立て〟その検証を
    行ってきた。 筆舌に尽くしがたい迫害を受けながら・・・・・
    そして今、その現実態は明らかとなったのである。

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  • 生徒にいい点数を取らせることだけが生きがいである教育者を、クソ教育者と呼ぶ。

  • 生徒に向き合ってもらえていない教育者を、クソ教育者と呼ぶ。

    教育者が生徒に向き合うよりも教科書に向き合っているだけであるとき、その教育者の
    ことをクソ教育者と呼ぶ。

  • 筆者はもちろん、自らの立てた仮説を検証するばかりではなく、なぜか学校の授業と心中
    しようとする(自分目線ではそうとしか思えなかった)彼(彼女)らが潜在的にもってい
    るであろう仮説を予想してみた。
    それは、おおむね次のような文言で現される。

    「自分の将来にとって学校で受ける授業には価値がある。ところで学歴は社会的価値その
    ものなので、その高次元における確保は生徒であるわれわれの利害に一致する。ゆえに、
    授業は必ず出席し最高度の点数で学歴をクリアしなければならない。学生の本分とはつね
    にこれであり、社会の中で大人たちが労働に従事するように、われわれ生徒たちは学歴獲
    得を目的としておのれの時間を捧げるべきなのだ。この競争に勝ち上がることだけが人間
    の精神を陶冶し人格形成を完成させる道なのである」

    この仮説によれば、どういう不都合な事態が発生するのか?
    それを端的に言ってしまえば、こうなるだろう。

    〝教育者と生徒という人間関係の中で、その人間関係よりも重要なのは(学歴)であると
    いう人間関係不要論とでもいうべき発想の芽がそこに内在してしまうということである〟

    その結果、次のような事態が必然となる。

    〝自分に必要なものは効率のいい知識の獲得方法とそれを応用する脳神経レベルの能力
    だけであって、それらを疎外する他者とのコミュニケーションは不要というわけではな
    いが、その重要度はきわめて低くならざるを得ないだろう〟

  • 仮説の次の部分。
    「ゆえに、授業は落第しない程度に最低限出席し最低限の点数で学歴をクリアするのが
    よい。」
    これについて検証するためにとった行動は、だいたい予想がつくと思う。
    授業をサボりまくり、年5回ある試験にも最小限の時間の消費によって臨むことにした
    のだ。
    そう、あれは2年の学年末だったと記憶している。
    日本史の教師から呼び出されたオレは、その小柄でワシ鼻の教師からこう告げられたの
    だった。
    『今度の試験で85点以上とらないと進級が難しくなる』

    オレは即答していた。
    「わかりました。大丈夫です」
    日本史は欠点(40点)ギリギリのところでクリアできるだろうと思っていたのだが、
    甘かったようだ。
    出席日数との関係で、どうやらかなりヤバイところまできているようだった。

    オレは、試験の直前に少しだけ日本史の勉強に力を注いだ。
    ほぼ一夜漬けのその方法で、87点をとったオレは、2点分の時間を使ってしまったこ
    とを悔やまねばならないこととなってしまった。

    こういう綱渡りの日々が、高校を卒業するまでの3年間続いたのである。

  • オレは、その仮説を立てるときに、こう思った。

    オレは必ず成功し、すべての幸福を手に入れるだろう。
    なぜなら、おまえらは、オレの幸福を願わずにはいられなくなるからだ。
    おまえらが、オレの失敗を願うならば、オレは不幸になるかもしれない。
    しかし同時に、おまえらは遠からず破滅する。
    オレは、どちらでも構わない・・・・。

    とな。(笑)

  • 筆者の掲げる仮説について、若干説明しておかねばならない部分がある。
    「学歴には一定の社会的利用価値がありこれは確保しても損にはならない。」
    というところだ。
    ここを読むと、それなら学校の授業を第一に考えている他の生徒たちと同じじゃないか
    という誤解が生じるかもしれない。 他の生徒たちだって、様々な職業に就く為に学歴を
    利用する。そのために学校で授業を受けているんじゃないか、というわけだ。

    しかし、この見解は、まったく的外れであることが一瞬でわかるだろう。

    喩え話でいうと分かり易いと思う。 登山をするときには色々な「道具」が必要になる。
    それは「バックパック」であったり「登山靴」であったり「ザイル」であったりするわ
    けだが、よほどのお調子者か大金持ちでもないかぎり、それらの道具に何千万円も投じ
    たりはしない。
    そんなことをしたら「道具」を揃えるのに精一杯で登山なんか出来なくなるのは明白だ
    からだ。

    登山を志す通常の人間ならば、その利用価値は認めながらもそこそこの出費で済む「道具」
    を揃えようとするだろう。
    「道具」自体が目的であるという最初から登山なんかする気もない者ならともかく・・・・。

    そう、学歴という社会的利用価値(道具)のために大金をつぎ込み、自分の貴重な時間の
    大半を費やそうという生徒というのは、よほどのお調子者か大金持ちのニセ登山者なので
    ある。そういう者は、様々な職業に就く為に学歴を利用しているわけではない。
    学歴そのものが目的なのだ。
    それで成功する者も、もちろんゼロというわけではないだろうが・・・
    その数は、きわめて限られているということを知っておいたほうがいいだろう。

  • それにしても、なぜそこまで上記の〝宣言〟に彼らは過剰反応しなければならなかったの
    だろう?
    実は、この時点ですでに、自分の〝仮説〟の正しさは、ある一定の範囲で証明されていた
    も同然だったのである。

    筆者を迫害した者たちが、
    「自分の将来にとって学校で受ける授業は無価値である。ところで学歴には一定の社会的
    利用価値がありこれは確保しても損にはならない。ゆえに、授業は落第しない程度に最低
    限出席し最低限の点数で学歴をクリアするのがよい。 そして、それ以外の時間を自分の
    将来のために使えば、自分自身は大人になった時点で最適な状態に仕上がっているにちが
    いないのである」
    という言説に対して敵意を剥き出しにした理由とは、すなわち・・・・

    学校の授業を構成する要素=「教師」+「生徒」それ自体がニセモノであることを暴露さ
    れたことによっていたのだ。

    闇の中で惰眠をむさぼる者が、突然、光を浴びせかけられて怒り出すように、彼らは余計
    なことを言う生徒が憎かったにちがいないのである。

  • 筆者が高校一年時に立てた〝仮説〟とは概ね次のようなことであった。

    「自分の将来にとって学校で受ける授業は無価値である。ところで学歴には一定の社会的
    利用価値がありこれは確保しても損にはならない。ゆえに、授業は落第しない程度に最低
    限出席し最低限の点数で学歴をクリアするのがよい。 そして、それ以外の時間を自分の
    将来のために使えば、自分自身は大人になった時点で最適な状態に仕上がっているにちが
    いないのである」

    上記のような宣言を、ある生徒(S)に聞かせるという体裁で、多くの生徒たちがいる
    中で行った。
    もちろん、学業こそ自分の進路であると信じて疑わない大多数の者は、そんなことをホザ
    いている生徒には訝しさと敵意しかもたなかっただろう。
    とくに、その言葉を直接に告知してやった(S)は、それ以来態度を険悪なものとし、筆
    者の迫害に血道を上げるようになる。
    学年で顔の広い(S)に同調した多くの生徒たち(および一部の教師たち)からの一斉無
    視がそのときからはじまったのだ。登校中、誰もいないところで、いきなり後ろから(自
    転車に乗ったSに)頭を殴られ気絶しそうになったこともある。
    なにをされたのか、個々の事象を挙げればキリがないので、ここでは書かないが、学校に
    いたくなくなる気分になるには十分な精神的物理的暴力が自分に対してなされていたとい
    っていいと思う。

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