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  • われわれは少なからず自分自身の将来(未来)の姿について、どうあるべきか、どうなり
    たいのか、どうすればいいのかというようなことを思い悩んだりする。
    そして、その答えの出し方によって、ほとんどの場合、自分自身についての(想像力や理
    性を駆使した)演繹的手法が不本意な事態を招くことになっているようだ。むしろ、それ
    が実現することは周りに好ましくない状況を発生させているのだが、そのことについては
    誰も深く考えようともしないのである・・・・。

    また、われわれは少なからずこの世界の将来(未来)の姿について、どうあるべきか、ど
    んな世界が理想なのか、なにが正義なのかなどといったことを抽象的に探ろうとする。
    そして、その答えの出し方によって、ほとんどの場合、この世界についての(直観力と霊
    性を駆使した)帰納的手法が不本意な事態を招くことになっているようだ。むしろ、それ
    が実現することは周りに好ましくない状況を発生させているのだが、そのことについては
    誰も深く考えようともしないのである・・・・・・・・・。


    自分自身と、この世界の未来は、いかに見出されるべきなのだろうか?


    このことを教えてくれる文献にも人物にも、私は今まで出会ったことがない・・・・・・。

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  • >>22

    経済「戦争」、受験「戦争」、宗教「戦争」、バーゲン「戦争」、選挙「戦争」・・・・・
    「戦争」で死人が出るのは、やり方がマズイだけ。

    「戦争はないにこしたことはない」 だって?(失笑)
    きみは、神様にでもなったつもりなのかい?

    「戦争」を楽しめないバカ、無能、テイノー、基○外の類いなら
    とっととシ○ば?(ペッ)

  • >>20

    きみが見せられた「夢」っていうのは、戦争のない平和なだけの暗い21世紀だったんじゃないのかい?(笑)
    それは、自分が心の中につくりあげる夢というより、平和をイメージした、ただの妄想だ。

    自分の未来が平凡なのは、凡庸な才能しかもってないから? いいや、そうじゃない。
    そう思い込んでるからだよ。 なんでも「結果」だとしか考えない自分のせいなんだ。

    (人殺しのない)戦争なら俺は大歓迎だな。
    そんな戦争に勝利し続ける自分を想像すると、こんなクソみたいな社会に生きてても結構楽しいもんだぜ。(笑)

  • >>18

    未来に何かを期待するなら、無意識のうちに何かをしてるもんだよ。(笑)
    何もせずに何かが起こるかと聞いている時点で、すでに未来について語る資格を失っている。

    なぜなら、未来はレールの延長線上(つまり結果)にあるもんじゃないからね。
    きみは、よっぽど「自分は何かをしている」だから「自分の未来はバラ色だ」と思いたいらしい。

    しかし、このご時勢、そんな「未来」なんざ簡単に吹き飛んじまうぜ(笑)

  • >>16

    我思うゆえに・・・的なことでそう言ってるのかな?(笑)
    だとしたら、「今ここ」すら無いというのが本当のとこだろうな。
    だって、「今ここ」と認識された時点で、(認識された)それは「今ここ」じゃないんだから。

    あるのは、「今ここ」でも無い。
    だとすると、あるのは何だろう・・・・?

    そもそも、〝ある〟という意識は何を意味しているのだろうか?
    それは単なる錯覚なのか? それとも根拠のある何かなんだろうか?

    ひとつだけ言えることは、無いものを有るように見せかけることは「不義」を生むだけだって
    ことだよ。
    <未来>にとってそれは嘆かわしい事態にちがいないと思うんだがな。

  • >>14

    きみの書いていることは、すべて「結果」だけなんだよな。
    「結果」には両義性があるだろ。
    どうとでも解釈できるんだよ、そんなことは。 

    外の空気に触れたり、汗出して働いたり、わずかな賃金の価値に気付いたり、親に頼らなかったり
    それらの「結果」を自分にとっていい意味にできるのは、その「結果」を対象化して目的にする
    ばかりではダメだ。

    <未来>を見出そうとする理由は、そのためなんだよ。(笑)

  • >>11

    社会の未来でも考えてるのかな?
    ヒトラーみたいに?(苦笑)

    妄想?  「人間」はサルの妄想の産物だったとでも?(プッ)
    サルが妄想していたとしたら、進化論の仮説に従って空を飛べるサルや
    深海に適応できるサルを思い描いていたかもなwww

  • >>9

    それでは<突然変異>を説明できない。
    「今」の今現れたものも・・・・。

    結果だけで説明できるものなんて、100パーセント嘘だと思ったほうがいいと思うぜ。

    こと自分の<未来>に関してはね。

  • 過去の未熟な自分より「今」の自分のほうがいいに決まってる。
    だから、過去へ思いを馳せるのはやめて「今」ここに居る自分を大切にすればいい。

    闇に閉ざされた未来に一歩を踏み出すのは危険が大きい。夜の闇はいつか朝日に消される
    ときがくるのだから、それまで「今」ここに居ることをあえて選択しよう。

    多くの人間は、ここで思考が止まる。

    「今」ここが、すべてなんだと、幸福の原点なんだと思い込むのだ。

    ・・・・・・はたして、そうなのか・・・・・・・・・・・・・・

    しかし、「今」ここに居る自分は、ひそかに気付いているではないか・・・・。
    「今」ここに居る自分が、いかなる条件のもとに成立したのかを。
    家族や、教育や、少なからぬ人間関係や、趣味や、遊びや、体力を維持するための運動や
    そんな出来事が演繹的に作り上げてきた自分自身について、なんとなく気付いているのだ。
    それが・・・それこそが「自分」なのだと。
    「自分」らしさとは、それなのだと!!
    「自分」は、そうでなくてはならないのだ、と!!!

    そのとき、「今」ここに居る自分は〔牢獄〕に繋がれているだけだ。
    気付くことすらない未知の領域にある〝それ〟は、≪体感≫の叫びを聞き届けることで
    しか覚醒しない。
    そして、〝それ〟こそが、未来を見出す主体となる自分自身なのである。

    未来が闇に閉ざされていようとも、「今」ここを捨て、あえてその闇の中に歩き出すのは
    なぜか・・・・・?
    朝が来てからでは遅いのだ。
    闇の中にこそ数多くの可能性がねむっているのだから。

    「今」ここで惰眠をむさぼる愚か者は、ほんとうの未来を見出せないだろう。
    未来とは、そういう何かなのだ。
    「未来へ羽ばたけ」などと教育者が言うように高らかに宣言する必要はない。


    闇の中で  未来へ向けて  静かに羽根を広げるがいい


    未来はそうして、きみのものになる。

  • あなたが生きられる<未来>は、学校教育でたとえ十万単位を取ったとしても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。
    あなたが生きられる<未来>は、百万冊の書物を読破したとしても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。
    あなたが生きられる<未来>は、死ぬまでのすべての時間に働きづめに働いたとしても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。
    あなたが生きられる<未来>は、地球上の人類すべてと対話したとしても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。
    あなたが生きられる<未来>は、いかなる宗門の教えを乞うても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。
    あなたが生きられる<未来>は、地の果てまで旅を続けたとしても
    あなた自身にもたらされることはないだろう。


    ならば、<未来>は、何処に見出されるというのだろうか・・・・・・

  • <未来>のために、学校教育を受ければいいのだろうか?
    <未来>のために、多くの書物を読破すればいいのだろうか?
    <未来>のために、とりあえず働けばいいのだろうか?
    <未来>のために、他者と対話すればいいのだろうか?
    <未来>のために、宗門に帰依すればいいのだろうか?
    <未来>のために、旅を続ければいいのだろうか?

    そこから<未来>が演繹されるのだろうか?

  • <未来>のために何をすればいいのか?という問いは、よく言われるセリフである。
    よく言われるわりには、定言名的回答がまったく得られた形跡がないのは、それが愛とは
    何か、正義とは何か、救いとは何か、という問いと同種の「世界の帰納的結論」から導か
    れることだから、というわけではないのだ。
    なぜなら、<未来>について問うということは、この世界に具体的に存在する(し続ける)
    ことが保証されなければならないのであり、それが必ずしも保証されない抽象領域への冒
    険を意味しないからである。

  • 「学校教育」という手法は、演繹的に知識を増大させることで「巨大な脳」をつくり出し
    はするが、その人の<未来>には何ら寄与しない。
    むしろ、<未来>が「学校教育」の価値を高めてくれるのだが、そのような<未来>を
    みつけた者が承認する「学校教育」とは、今のそれとは似ても似つかぬものである。

  • 未来は、演繹によっても帰納によっても見つからぬ何かであることだけはわかっている。

    たとえいかなる偉大な発明が演繹的になされようと、たとえいかなる神の概念が帰納的に
    導かれようと、それらは少なくとも自分自身の<未来>なのではない。

    未来が、そんな都合のいいわけがないのだ・・・・・(唾棄)

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