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シンプル原理考

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  • 2017/06/23 09:38
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    いわゆる量子論的結論から物質は非物質の作用で人の五感で感じられる現象世界を【創造】しているということでしょうか

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  • 6446(最新)

    めごち 6月23日 09:38

    いわゆる(笑)無 ってなんだろうね  なんだろうねもそうだけど 無 になったというか 無 のばしょにたったときのきぶん  説明というより体験について

    こんなのがあった
    ~~~~~~~~~~~~
    無の境地とは、自分の心から離れ、あるがままの姿を受け入れること

    こだわりを捨て、自分と他の境界をなくし、自然と一体になる

    ~~~~~~~~~~~~

    おおっ!  雲さんもおんなじこと言ってた

    自分の心から離れ  おおっ! やっぱりこころをつかわないんだ うふふ

    自分と他の境界をなくし、自然と一体になる    一体になるんだね  一体はだいじ


    無がある  なんていうとだれかにおこられそう   無 が いる なんていうともっと怒られそう    でもたしかに ある し いる んだよね  気のせいかもしれないんだけどね

    むかしむかし 無のばしょ にたったことがある  たぶんね  あそこは無のばしょかもしれない   あんしんのばしょ ではなかった  びょーきの人がいくところ  でも 無 の感じをつかむことができた  と思う   あんしんつきの無のばしょってのがあるはず

  • >>6440

    むかしむかしの人のことだよ
    鬼道を事とし衆を惑わす 人の方

    みどりさんを惑わす人のことではないよ

  • >>6440

    おまえの~お孫さんが~車に轢かれて~ぐしゃぐしゃになっても~

    そんなつもりではありませんでした~

    そんなつもりではありませんでしたと~

    いうようなことを言い続けろ~♪

  • >>6437

    >頭頂葉への情報入力が完全に失われると「無」の体験が産まれる

    >すなわち、ダギリ博士らの仮説によれば、神経回路の遮断がまだ不十分であると「万物との完全な合一」や「無」だけが経験されることはなく、「神秘的な合一」のレベルにとどまっていることになる

    なるほど  言ってることはとてもよくわかる 
    奥さんのときもそうだったから  卑弥呼さん状態  イタコの人  

    そのうち旅行会社が脳外科の人と提携して 
    「無」の体験ツアー    オプションとしてそのまま天国にも行けます    なんて

  • >>6436

    頭頂葉への情報入力が完全に失われると「無」の体験が産まれる


     けれども、疲労することでイメージに集中する努力が弱まると右脳の頭頂葉に唯一入力されていたイメージも失われる。その結果、頭頂葉への入力が完全に失われる。すると、これまでの「神秘的合一」体験は「絶対的一者」への体験へと変化する。また、チベットの瞑想のように、思考と感情を取り除こうと試みる受動的瞑想によっては、頭頂葉への情報が完全に遮断される。


     すなわち、ダギリ博士らの仮説によれば、神経回路の遮断がまだ不十分であると「万物との完全な合一」や「無」だけが経験されることはなく、「神秘的な合一」のレベルにとどまっていることになる。この経験から、自然界の強力な精霊や一神教における「人格神」の観念は産まれた。けれども、この体験は超越されて「絶対的一者」にシフトするはずである。それが、一神教の伝統においても、アヴィラの聖テレサ(Teresa de Cepeda y Ahumada,1515~1582年)やイスラム神秘主義者のスーフィーたちの伝統でも語り継がれてきた「自己の内部に神はまします」という異端の概念が産まれたのではないか。


     すなわち、超越体験の神と神秘体験との比較は、様々な宗教の間のための生物的な枠組みを与える大きな可能性が秘められているのである。

    『幸せ探偵~フローライフ』より一部抜粋

  •  ダギリ博士らは、8人のチベット仏教の修行僧たちの協力を得て、禅定時に彼らの脳状態がどのようになっているのかを単光子放出断層撮影法(SPECT)を用いて画像化することに成功する。


    上頭頂葉後部の活動が低下することで自己と他者の区別が失われる


     その結果、以下の特徴があることがわかった。


     ① 前頭前野の活動が増大

     ② 情動と関連する視床・帯状回の活性化

     ③ 上頭頂葉の後部(頭頂連合野)の活動が低下し、

     ④ 前頭前野左部の活動増加と頭頂葉左部の活動低下とには強い相関関係がある


    前頭前野と視床の間では神経が連絡している。このため、①と②はよく理解できるものであった。けれども、ダギリ博士らが頭をひねったのは③と④であった。


     頭頂葉の左部分は自己と他者との区別や身体境界、頭頂葉の右部分は空間内での自分の位置にかかわる。一点に集中するという瞑想のメソッドによって前頭前野の活動が増大し、頭頂葉への情報が入らなくなる(。そして、頭頂葉の活動が低下すれば、自他の区別が消滅し、無限なものとの絶対的な一体感が経験されることになる。すなわち、古代から神秘家たちが語ってきた体験を脳活動と結びつけて理解する鍵が得られたのである。


    キリストに祈りを捧げる修道女の脳は右脳頭頂葉が活発


     ダギリ博士とニューバーグ博士は、フランシスコ修道院の修道女を対象とした実験で、キリスト教の神秘体験においても同様の現象が起きていることを見出した。けれども、チベット仏教の瞑想の場合は自他の区別が完全に消え無限と一体となる一方で、キリスト教の神秘体験では、人格神(キリスト)のイメージが残されたままである(p3。このためダギリ博士らは、能動的瞑想と受動的瞑想との二つのメカニズムがあると考えた。


    キリスト教の祈りのように特定の対象や思想に心を集中させる。そのことで、左脳の頭頂葉に向かう情報が遮断され、自己の感覚が曖昧化する。ただし、右脳の頭頂葉はいっそう強いイメージに集中する。イメージ以外の情報がない中で、右脳は空間内で自己を位置づけようとするため、その瞑想イメージ(イエス)がリアリティのすべてだと感じる。こうして、超越的な存在との「神秘的合一」体験が生じるのである。

  • >>6434

    いわゆる(笑)無 ってなんだろうね  なんだろうねもそうだけど 無 になったというか 無 のばしょにたったときのきぶん  説明というより体験について

    こんなのがあった
    ~~~~~~~~~~~~
    無の境地とは、自分の心から離れ、あるがままの姿を受け入れること

    こだわりを捨て、自分と他の境界をなくし、自然と一体になる

    ~~~~~~~~~~~~

    おおっ!  雲さんもおんなじこと言ってた

    自分の心から離れ  おおっ! やっぱりこころをつかわないんだ うふふ

    自分と他の境界をなくし、自然と一体になる    一体になるんだね  一体はだいじ


    無がある  なんていうとだれかにおこられそう   無 が いる なんていうともっと怒られそう    でもたしかに ある し いる んだよね  気のせいかもしれないんだけどね

  • いわゆる(笑)無 ってなんだろうね  なんだろうねもそうだけど 無 になったというか 無 のばしょにたったときのきぶん  説明というより体験について

    こんなのがあった
    ~~~~~~~~~~~~
    無の境地とは、自分の心から離れ、あるがままの姿を受け入れること

    こだわりを捨て、自分と他の境界をなくし、自然と一体になる

    ~~~~~~~~~~~~

    おおっ!  雲さんもおんなじこと言ってた

  • コンピューターがえらんだカップルが森の木陰で午後の紅茶をのむ  こころをつかわずに  すてきなふうけいかもしれない(^^♪

    どうすてきなんだろう   だいいちこころをつかわなかったらすてきかどうかもわからない  と思っていたんだけど  もしかしたらちがうかも

    こころをつかいにつかって くったびれはてて もうだめ なんてときに ふっと めのまえがひらける  気が付けば こころをつかってない  すてきなきぶん(^^♪  そのすてきなきぶんもやがてどこかにいって  また日々のくらしのなかでこころをつかいはじめる

    こころをつかってない すてきなきぶん の行く先が気になる  なくなったわけではない  と思う

    どこにいったかというと  ここ  もしくは あそこ(笑)  いろもかたちもないんだけどたしかにある

    こころをつかわないって どういうことなんだろう?  こころってのは人と人とモノ 人とできごとの関係のなかからうまれる

    関係があるかぎり こころは生まれる こころはいつもいつもつかってる  みたいだけど わりとそうでもないんだね

    たとえばひなたぼっこをして おちゃを飲んで 好きな人がそばにいて  なんてときはあんがいこころをつかってないんじゃないかな  みたされているから(^^♪

    なにでみたされているんだろう  よろこびとかくるしみでみたされているんじゃないね  雲さんふうにいうと 無 でみたされてるんだね きっと

  • 電気やさんがきてくれた  古いパティオを解体するまえに危なくないように配線をストップ  ついでに家中の配線があぶなくないようにアース なんてのをふたつつけてってくれた

    元気なわかものふたり  てきぱきてきぱき ぷろふぇっしょなる(^^♪ みていてきもちがいい

    パティオができあがったらまたお願いすることに なんだかうれしい

    それにくらべると 雨樋屋さんはひどい 昨日の夜は大雨 地面は大喜びなんだけど  家はあちこちびしょびしょ  じぶんでなおすからいいんだけどね

  • >いわゆる量子論的結論から物質は非物質の作用で人の五感で感じられる現象世界を【創造】している
    ということでしょうか

    いわゆる(この言葉では何処へも行けないとめごちさんは言う)

    量子論的結論(量子論的実在主義)から、物質(思考)は非物質(間主観性)の作用で

    人の五感(こころ)で感じられる現象世界を【創造】しているということでしょうか?

    トピテーマに、昨日の話を当てはめるとこれだ。

    主観発の関係性の話では何も生まないから、フッサールは間の概念を生み出した。

    これは宗教、量子論ともいまのところ矛盾しない。

    この「間」と「この世とあの世の狭間という呆け論の間」と「コミュニケーション空間としての間」とは

    全く違う、支離滅裂な話は、いい加減にしろ。

  • >>6422

    > > >> >ワシが誰かと一つの共通・共同の何かを作り出そうとしている というところが
    > > >> >根本的に違うんです。
    >
    > > >> 作りたくないってこと?  そうではなくて作りたくてもそんなことは(原理的に)できないってこと?
    >
    > > >たぶん、原理的にない ということと思いまふ。
    > > >もとより
    > > >「作りたい」とか「作りたくない」とかが な い です。
    >
    > > うん  たとえば 相手が草花だったら どうですか?
    >
    > 相手が草花でも(相手と共通/共同の一つの何かを)「作りたい」とか「作りたくない」はありません。
    >
    > むしろ草花だと一方的に作り放題と思いまふ。

    草花は咲こうという意思意志を無意識に持っている^^
    人は・・・たとえば内のカミさんは・・・
    草花と一体になってそれを助ける\(^o^)/

    予備校も講師をやっていて思ったことの1つに・・・
    草花に水をあげて成長を楽しむのも良いが・・・
    生徒に勉強を教えて成長を楽しむのもイイなぁ〜と思った\(^o^)/

    感謝V(^_^)V

    ー風に吹かれてー


  • 「分かり合えない」の話をいくらしても主観。

    これを打破するための、間主観。

    トピテーマにそって話せないなら、やめろ。

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