ここから本文です
  • あの事件があって、もう15年が経つ。
    前代未聞、残虐非道、凶暴無比な、そして犯人に対する同情など皆無に等しいキ○ガ○
    じみた犯罪だった。 しかし、それはただ、あの凄惨な現象を人間の感覚器官が認識し、
    それに反応するかぎりにおいてそうであったに過ぎないのだが・・・・・。

    われわれの〝意識〟は、あの事件を、どう捉えたのだろうか?
    あの事件を受けとめたときの「心理」を、この世界のどこかから眺めている〝意識〟は
    いったい何をわれわれに告知しようとしたのだろうか?


    昨今のアイドルが刺されたりする事件などにも共通する「移植された欲望」が引き起こ
    す憎悪の念に対する裁きは、ただ加害者の責任に帰すだけで本当によいのだろうか?

    われわれは、ほんとうは誰もが、〝それ〟を感じているのかもしれない・・・・
    ただ、〝それ〟を表現する言葉を、まだ獲得していないだけなのかもしれないのだ。


    「移植された欲望」がもたらす不快感を・・・・・
    誰もが少なからずもっているのに、〝それ〟を、ただ隠しているだけなのかもしれない。
    有名進学校は「移植された(権力や名誉などの地位への)欲望」を煽る教育機関である。
    アイドルは「移植された(チヤホヤされ注目される地位への)欲望」を煽る個体である。
    誰もが・・・程度の差こそあれ・・・心の中では、〝それ〟に不愉快さを感じているのだ。

    シネばいいと・・・・・だれもが・・・・・おもっているはずなのである・・・・・・・・

  • <<
  • 11 1
  • >>
  • 豪雨がもたらした細い河川の濁流の中に、俺の破り捨てた原稿が流され消えていった。

    さっきの、あの教師の俺を見る軽蔑したような目を思い出しながら、俺は、なぜか宅間守
    の言葉を脳裏によみがえらせていた。

    「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか
    5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分からせたかった。」

    そうだ・・・・・あの言葉はこう言い換えることもできるのかもしれない・・・・・・・・

    「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、教育課程の押し売りで自分の地位を
    保とうとするおエラい先生でもわずか5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分か
    らせたかった。」

    そのときから自分の中に、抜き差しならぬ教師への殺意が宿ったのだった。

  • その原稿を無言で一読した教師は、それを差し出した生徒のほうに困惑した眼差しを向けて、
    「課題の中に入ってない本について書いても評価できないよ。課題の本を読みなさい」
    と言った。
    「それ読んで、どう思うか聞かせてくれませんか・・・・」
    自分は、夏目漱石とかカフカとかには、まったく興味がなかった。この教師が推奨する本
    なんか読んでも退屈で何の感想も書けそうになかったのだ。だから、ニーチェとウィトゲ
    ンシュタインについての自分なりの注釈を書き上げてきたのである。
    「こんなものを読むのは、まだ早いよ。いいから課題の本を読みなさい」
    教師は苦笑いを浮かべていた。
    専門教育を受けたわけでもない拙劣な注釈が、よほどおかしかったようだ。
    ドブネズミのような生徒は、自分のしたことを後悔しはじめていた・・・・。
    「早いとか遅いとかじゃなくて・・・・俺が今こう思ってることに向き合ってくれればい
    いだけなんじゃないっすか・・・・・?」
    「わるいけど、そんなヒマないんだよね。教師はいろいろ忙しいんだから」
    「・・・・わかりました。すみませんでした」
    生徒は、教師の手からその原稿を取り戻すと踵を返した。

    なにか途方もない〝怒り〟がこみ上げてくる・・・・・
    学生服のポケットの中には、文具用のナイフが入っている。それで刺してやりたい暴力的
    衝動が身内から湧き上がってくるのがわかった。

    〝生徒の思いにも向き合わず、しなければならない教師の仕事っていったい何なんだ?
    おまえが36人の生徒を受けもっているとして、一年365日あれば、生徒一人について
    10日間は向き合えるじゃねーか!
    俺のテストの採点なんかしなくていいからさ、俺の思いが大人のおまえから見てどう意識
    されてるのか言ってほしかったんだよ!!
    おまえが求める答えを出せない俺じゃダメか? おまえに答えを求める俺がそんなに邪魔
    なのかよ、クソッタレが!!!〟

  • 自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか
    5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分からせたかった。」
    という不条理の哲学を実践した「理性をもってしまった獣(ケダモノ)」。
    彼の暴力性は、欲望を移植しおのれに耐え難いコンプレックスを植え付ける目に見えない
    巨大な敵(学校およびそれを肯定する社会制度)への憎悪によって怪物的に膨れ上がる。

    ここで、筆者が彼の(闇に閉ざされた)主観性に、なぜこれほど同調できるのかについて
    話しておこう。
    自分が、この教育機関がもたらす「欲望の移植」という精神的犯罪行為ともいうべきこと
    に気付いたのは、高校生になってからだった。
    中学生までの自分は、どこにでも居るような優等生だったのである。 のちに有名高校を
    主席で卒業し、超一流企業にヘッドハンティングされた兄の成績を、その当時は上回るほ
    どに〔学校〕の勉強に明け暮れていたのだ。
    しかし、高校に進学した自分に待っていたのは、さらなる学業への専念という「欲望を移
    植する教育機関への従属」ではなく(周りの教育者はすべて一人残らずそれを願っていた
    ようだったが)自分自身の「個性という闇の部分を内在させた実存」が明白な教育課程や
    教育資金によって説明され評価されることへの根源的な違和感でしかなかったのである。

    この違和感は当時、どのような言葉によっても語り得なかった・・・・・。
    哲学書を手当たり次第に読み、野山をさすらいながら思索し、校則に反し社会の中で労働
    に従事してみても、その答えは一向に見えてこなかったのだ。
    ある日、どしゃぶりの雨の中、自分は傘もささず学校へ向っていた。 手に数枚の原稿を
    握りしめて。
    分厚い雨雲のせいで昼間とは思えないほど暗くなった校舎の中を歩いていくと、突き当た
    りに天井の白熱灯で煌々と照らされた職員室の入り口があった。
    職員室のドアを横に引いて開けると、数人の教師が自分に目を向けたのがわかった。濡れ
    ネズミのようになった黒い学生服を着た生徒は、無言で、ある教師のいる席を目指した。
    椅子に座り何かの書類に目を通していた教師に、その黒いドブネズミに似た生徒は、手に
    していた原稿を差し出していた。

  • では具体的に、「欲望を移植しない社会」とは、どんな制度、構造をもった社会関係と考
    えられるのだろうか?
    まず、宅間守に対して直接的な精神的影響を及ぼしたと考えられる社会的組織体〔学校〕
    について論じてみたい。
    〔学校〕という教育機関が行っている「欲望の移植」は、概略的には次のようなプロセス
    をとって遂行されていくのである。

    生徒(個性という闇の部分を内在させた実存)に対し、生徒が何を考えているかについて
    は一切言及せず、教育課程(学的知識という明白な部分からなる実体)および、教育資金
    (金銭という明白な価値)によって教育機関は生徒を判断し説明し評価する。

    たとえば、ある生徒Tが、どのような個性を学内で発揮していたとしても、教育者はそれ
    については何も言及しない。 日々の言動などから文系の能力に優れた才能が窺い知れた
    としても、基本的に教育課程に含まれない表現は無視されるのだ。
    そして、それに追い討ちをかけるように教育資金が満たされない者は、本来、自分の個性
    を引き出してもらうための組織〔学校〕から一方的に疎外されることになる。

    その結果、生徒には教育課程を成就したいという欲望と教育資金を確保したいという欲望
    が移植されることになり、生徒(個性という闇の部分を内在させた実存)自身が何を欲望
    するのかということ自体は闇に葬られてしまうのだ。
    そして彼は、「移植された欲望」の下に、この社会の中で教育課程と教育資金によって、
    ある程度肯定され説明された「偽造された個性」を受け取るしかないのである。

  • 欲望は、けして移植されるべきではない。
    そうすることは、精神を病んでいない者にとってさえも、一定のネガティブな感情を刺激
    されることになり不快であるのは言うまでもなく、宅間守のように精神疾患をもつ者にと
    っては、それは破滅を帰結するからである。

    「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか
    5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分からせたかった。」

    宅間守という凶悪犯が残したこの言明は、現在の日本社会に対して恐ろしいほどの説得力
    をもっている。これは、まさしく欲望を移植する社会に生きて無反省なわれわれすべてに
    向けられた〝哀しい糾弾の咆哮〟だったのだ。

  • 「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか
    5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分からせたかった。」
    という言明から理解できることは何か?

    それは、彼が、偶然にもたらされる【嫉妬】や【憎悪】を十分にコントロールできる理性
    をもっている存在であったということである。
    なぜなら、自然災害などの偶然にもたらされる事象から【嫉妬】や【憎悪】に狂い神を呪
    う者とは、不条理性に気付かぬ愚か者でしかないのだから。
    情報操作によって一般に認識されているのは、宅間守という人物の結果的側面だけである。
    彼が「何をしたか」は客観的に報道されても、彼が「何を思っていたか」など主観的に誰
    も考えようともしないだろう。 
    それは、客観的事実から安易に主観性を憶測するからなのだが・・・・。
    しかし、そうやって偽造された(客観的)主観性には、ほとんど何の意味もない。
    むしろ、他者との繋がりを分断する凶器になりかねないのである。

    彼は、ケダモノのように酷いことをしたが、愚か者ではなかった。
    彼の尋常でない【嫉妬】や【憎悪】は、ただ無配慮無自覚に「欲望を移植し続ける社会」
    へ向けられていたのである。

  • 社会的必然がもたらした【嫉妬】【憎悪】に苦しめられながら、彼は子どもを殺害する
    ことでその苦しみから逃れようとしたのだろうか?
    ふつうに考えれば、子どもをいくら殺めたところでその必然をもたらした社会が変化し
    (自分の)苦しみが緩和されるということは起きないであろうことはわかるはずだ。
    彼自身もそれを期待していたとは到底思えないのである。
    そして実は、単なる逆恨みとも違うように感じる部分もあるのだ。
    彼は、殺害の動機を次のように語っていた(らしい)

    「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか
    5分・10分で殺される不条理さを、世の中に分からせたかった。」

    逆恨みの犯行にすぎないのなら、こんな哲学的なことを言うだろうか?
    これは、
    彼の(社会的感覚からは非人間的とまで思わせる)獣性が上げた、欲望を移植する社会へ
    の抗議の声だったのではないだろうか?

  • 偶然に生まれる事象・・・・・たとえば自然災害に遭遇した主体は、そこでおのれの欲望
    に反する事態がもたらされることがあっても、自然災害を憎むよりもむしろそれに対して
    の備えを怠っていた自分を責めるかもしれない。
    それは、自然災害が「自分を狙って発生した事象ではない」すなわち自分にとって偶然の
    出来事にすぎないからだ。

    必然として生じる事象・・・・たとえば何らかの社会制度に関わる主体は、そこでおのれ
    の欲望に反する事態がもたらされることがあった場合、その社会制度に対し無防備だった
    自分を責めるよりも、その社会制度自体に敵意と憎しみを抱くのかもしれない。
    それは、社会制度が「自分(を含むすべての人間)を狙って発生した事象である」すなわ
    ち自分にとって必然の出来事だとわかるからだ。

    宅間守が、教育機関の「(権力や名誉などの地位への)欲望の移植」という社会的必然から
    精神を病んでいる彼には到底持ち切れぬ【嫉妬】を与えられたのは、ほぼ確実であろうと
    推察できる。
    では、ここでひとつ問いたい・・・・・・・。
    偶然に生まれる自然災害や恋愛のような事象がもたらす「嫉妬」は不可避であるとしても
    社会的必然を結果する制度や諸種のイベント等の不愉快極まりない【嫉妬】までをも、
    われわれは受け入れなければならないのだろうか?
    そして、このふたつの問題は、今までわれわれに本当に、〝意識〟されてきたと言えるの
    だろうか?

  • 偶然の「嫉妬」と必然の【嫉妬】

    われわれは、〝それ〟を「嫉妬」や一方的な「憎悪」といった負の感情に置き換えて
    しまいがちだ。
    しかし、それは心理学主義や物理主義が陥り易い誤った(偏見に満ちた)認識でしか
    ないのである。何故そういう認識論的錯誤が生じるのかというと、そのような主義に
    よって事象を観察する者は、「嫉妬」する主体、一方的に「憎悪」を抱く主体に生じる
    神経反応についてしか問題にしないからだ。
    つまり、人間の身体に適用される医学的(物理的)処方と同じ方法論が、〝心〟につ
    いても採用され、物質的原理だけで世界のすべてを説明できるとする唯物論的独断論に
    陥っているということなのである。

    しかし、その主体の身体構造に、いかなる神経伝達物質の流動が起こっているかという
    ことは単なる結果にすぎない。 結果だけを見るならば、それが「嫉妬」のような心理
    状態を現していても、殺人鬼宅間守や、アイドルを刺した男などがもっていたであろう
    気が狂うような【嫉妬】と、恋愛期間中などに誰もが偶然にもってしまう甘くせつなく
    身を焦がすような「嫉妬」との差異は、そこには見えてこないだろう。

    そう・・・・、偶然に生じる「嫉妬」ならば、それを自制できない主体のほうに責任が
    あると思われても仕方なかろう。
    だが、精神を病んでいた男(宅間)が持ってしまった(持たねばならなかった)、その
    ついには持ちきれぬほどに重くなりすぎた【嫉妬】の原因とは何だったのか・・・・・・?
    ここまでの思索で言えることは、とりあえず、その【嫉妬】が、偶然の「嫉妬」ではなく
    社会的必然性が彼らに負わせた過酷な【嫉妬】であったということである。

並べ替え:
古い順
新しい順