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    同じようなタイトルで数回やったが
    碌なコメントがなかった
    そこで、徹底的に
    論戦を仕込むため、
    あからさまに、考えをぶつけることにする。
    みなさまも、頭脳のありたっけを
    ぶつけてくれ。

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  • 471(最新)

    hjy***** 7月21日 19:13

    日本は「世界と世間」で出来上がっていることを念頭に、新しい沿いき、古い組織からの復活等を提案した。
    1、主人である国民による「公務員解任投票制度」その新設
    2、江戸時代にはあった目付け制度の復活
    3、あらゆる日本国中にある「世界」を観察する「観察士制度」の新設
    「世界」は同意してもその中心へ中心へと心が向く、それにより、隠された事項が発生する、それを観察し暴き公にする使命感のあるものを集め、この制度を新設する。

  • >>466

    私は常々疑問に思っていることがインドにあります。インダス文明の立役者のアーリア人が侵略した後の歴史です。わかりません。ゼロを発見した民族はお釈迦様とは違います。ヒンズー教もアーリア人が作ったものです。ネール首相もアーリア人です。古代インド文明をつくった民族はどうなっているかわからない。勝者によって消されたとも言えますが、世界が知っているゼロの発見した民族のアーリア人が侵入した後現在までを知りたいです。三国志でおなじみの関羽、張飛は背が高いところからアーリア系だと言われています。

  • 日本という形は、自分が生まれ育つ間に自分がいかに世の中の流れにのせて生涯を全うするか、志を建てる。その志したものを実現するため、「世界」を新しく自分で構築するか、尊敬できる先輩が作ってそこで生活している「世界」に就職するかで一生を終える。その「世界」が寄り集まって日本は形作られている。その「世界」の集合体は遠目からみると、分業をなしている。その分業の一つが武士階級である。一方欧米は「個」から出来上がっているという哲学および形而上学が対立しうる関係でないと人間関係が成立しない。対立し得る関係が対立し得ない関係となったと同時に相手は奴隷となる。対立しうる情景が作用であり、奴隷が反作用、対立しうる情景が唯一新時代を築く、反作用である奴隷は社会の平衡を維持するものでしかない。その反作用から出てきたのが奴隷解放から出てきた民主主義であり、共産主義、人権思想などである。それらは時代が変われば」いつでも捨てられるものです。そんな彼らの歴史の中に武士階級を捨ててしまう、日本精神の混乱が生じるしかない。精神の混乱は前にもありました、戦国時代は国家という観念の啓蒙期間として創設した天皇制が精神の歪みを生じさせそれが1500年以上も経って噴出したのがそれです。この同じことがヨーロッパでも起こりました。民族大移動で地中海世界を先祖とする先祖替えが精神の歪みを生じ、第二次世界大戦まで民族同士の対立が噴出、混乱しました。全く日本のれk氏と同じです。

  • 欧米では人の感情を否定します。悪いものとしています。聖書を読むことを重点に置きますと、首から上、頭をカラダより優先しなければキリスト教は布教できない。ところがこれは日本人の発明だと思われるのですが、頭つまり脳、頭脳は腸から別れてできたもの、そこから何も頭が重要ではないことがわかる。感情が自分自身コントロールできるよう教育することが大切なのでしょう。感情は中身の詰まった人を生みます。人格も磨かれます。いい感情は腸にもいいし、免疫力も増すようです。感情を否定する欧米ですが、「国民感情」「民族感情」は別のようです。それはそうでしょう、マルクス共産主義運動がヨーロッパ中に盛んに行われた時代前は、ナショナリズム運動が同じようにヨーロッパ中を闊歩していました。それはフランス革命後から共産主義運動が起こる手前までの出来事です。ナショナリズムは近代国家における中枢の要素になければならないものなのです。それをコントロールできることが立派な近代国家であると言えます。日本はそのナショナリズムの歴史を教えない。だからナショナリズム即天皇を神として敬う思想だと誤った解釈がはびこる。

  • 日本では、明治維新まで武人(軍人)と一般庶民を明確に分けて争ってきました。
    統治者は武人を養い、武人同士の戦いに限定して、施政してきています。
    日本以外の国と、明確な違いはそこにあると思っています。
    ただ、信長だけが例外と言えると思います。(僧兵の存在が例外を生んだのかもしれません)
    ところが、明治維新以降、その垣根が取り払われました。
    継承に重点を置き過ぎたが為、柔軟性が失われ、
    進歩発展の阻害要因になったとようやく気付いたからと思います。
    ところで、何故、キリスト教を禁止したのか?
    トピ主さんの指摘をキリスト教から読み取ったと思えます。
    一般には流布されていませんが、危険を感じたと思えます。
    極論すれば、「オーム真理教」の臭いがあったと思います。

    40数年前、東南アジアからインドへと、10数か月旅をした事があります。
    その時、衝撃を受けたのは、日本人は誇るべき民族であった事です。
    敗戦後の教育では、『戦前教育は「悪しき、時代遅れ」であり、「西洋を見習い時代遅れを取り戻せ」』でした。
    つまり、偏った教育を受けていました。(今もそうです)
    辛うじて、戦前の教育を受けた親達がいて、日本人らしさを保って居ただけです。
    「世界と世間」と「社会」の観点は素晴らしいと思います。
    40数年前から、「日本の社会構造を世界に浸透させるべき」と言っていましたが、
    社会構造でなく、「世界と世間」を浸透させるべきと思います。

  • >なぜ戦争は起こるのか?と喧嘩がなぜ起こるのか?は全く同じではない。

    【感情】
    違いを解説されていますが、私は、感情に重点を置いています。
    一般にはあまり考慮されませんが、先天的感情と、後天的感情があります。
    人が持つ好悪の感情がどう育てられて行くのか?
    一般の人はまず、そこ(自分自身)を考察する経験を持ちません。(トラウマでしかない)
    どなたも知っているのは、せいぜい「食わず嫌い」位です。
    食べてみてから、間違った感情(色々ある)に気付きます。
    それとか、第一印象での好悪の感情と、その後の変化などもそうです。
    問題はそんな経験を数多くしているにもかかわらず、内観ができぬ事です。
    それは当然で、自分を知るには奥深くにある記憶を辿り、自分を観察するしかないからです。
    余程訓練しなければ、過去の記憶には辿り着けません。
    (記憶を辿ると幾重もある障壁に気付きます。その障壁が何故存在するのか分かると、その先に進めます)
    だから、感情が背景によって変わると考察しながら、事実を受取る人は少ないと思います。
    事実の受止めは感情に左右されるが、その感情をコントロールできずにいる。(一般には)
    感情は先天的だけでなく、環境により育てられる自意識があり、
    社会は個の概念を増大させる装置を果たし、益々自省を促せなくなっています。
    社会に責任転嫁する風潮が激しくなってます。

  • >>463

    ここで誤解されたくないので、ネットではYahooにおいても、「ヤクザ組員の人数制限法案」の制定を主張している。
    一つの組の人数は5人以下、組同士の系列化は禁止、それを破ったら機動隊などを使って解散させる。これなら、麻薬、覚醒剤などの社会問題化しているものを行えない。巨額な資金もいらない。彼らの昔からのしきたりは守ろうと思えば彼ら自身で守ることができる。

  • 日本のヤクザ世界では「義理の上での」が通じる。単位悪いことをして金を分捕るを仕事として捉え、そこから「ヤクザがなぜ合法化しているんだ。街の面に堂々と事務所を構えているんだ」という。社会とは相容れない「世界」が日本が横たわっていて、その「世界」が日本を動かしている現実を知らない。この研究が日本では行われていない。ただ明治維新から欧米人が不思議な言葉を吐く、「日本には自由がある」と。今でも信じられない言葉ではあるが、「世界」を軸に自分の人生を決める前の子供の時は、それを見定める過程では、国家権力からの干渉もないのは明らか、その点全くの自由意志で志を建てて「世界」に入るか、新たに「世界」を作るかでそこに所属して志を遂げる。その様子から日本人を見て欧米とは異なるものそれが「日本には自由がある」と言ったのだろう。

  • >>461

    なぜ戦争は起こるのか?と喧嘩がなぜ起こるのか?は全く同じではない。考古学者がよく「縄文時代の10000年を通じて戦争はなかった」とおっしゃる。戦争がなかったというだけで、喧嘩や色恋沙汰での刃傷はあったに違いありません。男女の集団なのですから喧嘩がないといえば不自然です。ところで戦争の場は社会であり、主役は国家です。社会がなければ戦争は起こる場所がないので起こり得ない。「男の世界」「女の世界」「星の世界」「虫の世界」の「世界」の中で戦争は起こらない。男同士の女の取り合いによる人情沙汰はありませが。「世間」でも戦争は起こらない。「世間戦争」は聞いたことがない。「世間は冷たい」、「世間でのいじめ、干渉」はあります。いい歳なんだから結婚しなさいよとか、子供できたの、などなどは「世間」です。
    なぜ争いは起こるのか。「個」が世の中の基礎、世の中は「個」から出来上がっている、この哲学および形而上学が戦争を起こす原因です。「世の中生きている状態の重なり合いから出来上がっている」この哲学および形而上学では戦争は起こらない。「生きている状態」なのですから、その指すものは人間とは限りません。生きとし生けるものもの全てが対象で。人間はもちろん犬、猫、チューリップなどなどもその枠内に入ります。「個」という観念上の創作を元にするから戦争は起きます。「生きている状態」という事実を元に哲学するのであれば無理もなく自然です。
    この戦争が頻発する哲学および形而上学を生んだのは、氷河時代をへて、地球が温暖化、乾燥化する中で砂漠が生まれ、ステップ地域が生まれ、そこで生き抜く人々がこさえたものです。それがその気候とは全く違う欧米地域にも広まり、植民行動で世界に主流となった哲学および形而上学だったのです。このものは戦争を発生させ、支配、搾取、差別、奴隷制度などを生みました。人類に間違った歴史をつづらしてしまったのです。
    志半ばで自分の命を捨てなくてはならないと決意させた特攻隊、自分の命は父、母、祖父、祖母、子、孫のつながりの中である。その命の連鎖を自分だけの考えで閉ざしてはならない。その考えなくしては考えられない特攻隊の彼らです。欧米の「個」の考えとは全く異なる鉄が卯および形而上学からの行動様式であります。
    そんなこんなで欧米から生まれた「社会学」が我々に役に立つものとは到底思えない。

  • 【何故、戦争が起こる?】
    同じく、何故、喧嘩する?、何故、虐めが起こる?・・・
    つまり、争いが起こる原因は?
    未就学の6歳の時の疑問でした。
    母の答えは「我慢ができないから」でした。
    つまり、我儘が原因との事。
    幼い私は、我慢ができない大人が居る事に違和感を覚えました。
    小学4年生の時、
    宮沢賢治の「雨にも負けず」が素晴らしい詩と聞かされた時も同じ違和感を覚えました。
    何故なら、大人は我慢し、世間の為に成る事をする存在だと思って居たからです。
    その原因は母の弟が19歳の若さで特攻で死んだと聞いていたからです。
    「お国の為に死んで行く」との遺言の手紙が来たそうです。
    それが、6歳の時でした。
    母にとって、唯一の兄弟で、頭が良く、仲が良かったそうです。
    そんな母も今年、99歳の天寿を全うしました。
    では、68歳になった今、「何故、争いが起きる?」と聞かれると、
    母と同じく、「我慢できないから」と答えを出します。
    では、「何故、我慢できないのか?」
    私の答えは「我儘を通す理屈が常識にあるから」となります。
    つまり、トピ主さんはそこの所を「社会と世間」で分析しておられるように思えます。
    その前に、私が思う我儘とは?を書いて置く必要があります。(常識外と思うので)
    自己中心的で、死んだら終わりと考え、法律を判断基準する・・・その他
    言い換えれば、「我思う故に我あり」に賛同する人達です。
    現代人の多くはそんな人達で満ち、満ちています。
    現代の日本では、「特攻精神」の心髄を幾人理解できるか疑問です。
    犠牲的精神を褒め称えても、戦争を忌み嫌う土壌では、理解不可能のようです。
    特攻は多くの人達の役立つ行為なのに、全否定されています。
    つまり、自己矛盾を起こしているのに、「戦争放棄」が、矛盾に気付かぬ楯と成っています。

  • 日本は中国、韓国、北朝鮮の武器を使わない戦争である「歴史戦」「思想戦」に無防備。従軍慰安婦、南京大虐殺という嘘の歴史を広める彼らの戦いに負けている日本。社会がない。社会は対抗関係、対立関係で仕切られているから、誠実さなどひとかけらもない。「相手を慮る」こともない。嘘でもなんでも広まれば、一般に流布されれば勝利となる。それが社会がない日本には通じない、もちろん東大での外務省官僚にも通じない。

  • 今日本経済新聞電子版を見ると、偽動画が簡単にできるようになる。ネットで偽ものが氾濫するようになるとも。ネットに載せるということは、その時点で社会化すること、その場合「社会」が如何に危ないものか身を以て知る。その時「自分世界」が「社会」より重視されるようになる。その時「社会」という概念が不要となる。そのように夢想する。

  • 浅利慶太氏が亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。浅利慶太氏が活動する中で作り上げた「世界」を、誰が志を持って引き継ぐのか。この文章には一言も「社会」というニアンスは感じられないが、わかるだろう。これが日本には「社会」がない証拠である。

  • >>456

    「社会」を考察していただいてありがとうございます。それぞれ土地土地に観念があります、生まれます。概念もまたそれぞれの定住したところで生まれます。そべて一様にそれぞれその土地で暮らしていくための工夫として、それぞれ特殊・特別なものとして観念・概念がう、生まれます。それぞれは決して優劣というものはない。だってそこで生きていかなければならない工夫なのですから。これらを公平に、平等に、公正に扱わなけれあば学問の目的である「真理の追求」はなされません。

  • ようやく、トピ主さんの伝えたき事が理解できたように思う。
    以下、私なりの考察
    まず、私自身の世界と世間の解釈。
    「世界」とは縁の産物。
    「世間」は縁の役割を担って居る。

    そして、「社会」とは?
    考察したところ観念の産物と定義した。
    ところで、なぜ「社会」の観念が生まれたのか?
    想像するに、集団の違いを明らかにする手段として、産れた概念。
    ところが、背景に「真実は一つ」の観念がある。
    そして、「存在する事が全てを物語る」との観念。
    そこには、「無」の概念が無い。
    世界には無が存在する。(この意味を瞬時に理解できる者は幾人いるだろうか?)
    この概念(数学ではゼロ)を日常に持ち込めていない。
    その典型的な例が、「やってみなければ分からない」にある。
    やらなかったお陰も、一つの成果とみなさない。

    多くの人は、この2つを観念と捉える事すらできずにいる。
    「社会」の概念にはそんな背景がある。

    例えば、1+1イコール2と、誰もが思い込んでいる。
    だから同じ答えを出す。
    それが真実であると、思い込んでいる。
    定義付けであるとは考えない。
    真実は一つと考える背景には、そんな理屈が潜んでいる。
    つまり、世間で通用する事が真実と捉えている。
    人は本能的(生存確率が上がる)に共通認識を求める。
    「真実は一つ」や「存在する事が全てを物語る」の観念はそれ故、産れたと、
    仮定として考察するが、・・・しかし、今は断定できない。

    ところで、「社会」の概念は分析する側には都合よくできている。
    人体を五臓六腑に分けて解剖学的に考える手法と同じと思う。
    現代は科学の信奉者が蔓延している。
    ところが、それを、常識と捉え、信奉者であるとの自覚を消している。

  • ヤフーニュースから、神戸で五人殺害を一年間住民は無い事件として黙っていた。「社会」より、心情が支配する「世界」が日本と言える。なぜ使えない「社会」を学として学ばせるのか。先生のこずかい稼ぎ?

  • 「世界」というものに重きをおくと、それがすごく真っ当な姿勢であるが、国家機構において、「外務省」と「防衛省」だけしかいらなくなり、「防衛省」の中に「世界」思想普及会を創設、軍事力が少なくてすむようになる。税金が10分の1ぐらいになる。これは「世界」の研究を、学問の真理探求をすればするほど世の中のためになる。「社会学」は戦争の場の提供の学問的真理探求だから、我々を苦しめるものでしかない。

  • 民主党政権時代公共事業をやる実行部隊である政治家ー建設業者ー官僚の繋がりが形成している「一つの世界」を、コンクリートから人へのキャッチフレーズでめためたに破壊した。これが原因で治水が機能しなくなり、日本では「社会」より「世界」がいかに役立つかがわかる。

  • >>451

    ところが「社会」ー「国家」とはどちらがなくなっても全く意味のないもの、どちらも消滅するという代物。「この世は個から出来上がっている」という哲学および形而上学は、絶対個と絶対個の関係は対立しうるものでなくては成立しない。対立関係の成立要件は、一線上に両者乗っていることで成立するが、その対立の決着がついたとき、両者は対立し得ない関係となる。それが負けたものの奴隷への転落。その対立しうる関係が成立している枠組みが「社会」という範疇となり、それを合理的な搾取、支配関係に落とし込む組織が「国家」であるからして、「社会」が泣けなれば「国家」もなくならざるを得ない。

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