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日本語雑記帳

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    qwa***** 5月13日 06:30

    あるテレビの語学番組で、May the force be with us. /May the forth be with us.の二つの文について比較、説明していたが、さしづめこれなどは、英語版「地口」であろう。

  • しょうじはだいじ【小事は大事】

    大事も初めは小事から起こるから、ささいなこともゆるがせにすべきでないこと。
    小事もいいかげんにすると大事になるから、疎(おろそ)かにしてはいけない。

    *しかしながら、、、

    きをみてもりをみず【木を見て森を見ず】

    事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられないことのたとえ。

    出典 三省堂/大辞林 第三版

    *言葉のレトリックにとらわれて本質を曲解、誤解するな、、、常に一文は文脈の中に有り!

  • 地口
    じぐち


    しゃれの一種で語呂 (ごろ) 合せのこと。1つの語句に2つ以上の意味をもたせたり,同一または類似の音の語句を用いて違った意味を表わしたりする言葉の遊び。「舌切り雀」を「着た切り雀」といったり,「案ずるより産むがやすし」を「杏より梅が安し」といったようなもので,江戸時代中期から発生した。

    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/

  • 曖昧
    あいまい
    ambiguity


    多義性。普通2つ以上の意味にとれる表現として蔑視的にみられるが,W.エンプソンが『曖昧の七つの型』 (1930) でこれを詩の大きな特徴であると主張して以来,言語技術の一つとしてむしろ積極的に評価されている。7つの型とは (1) 単語または文法構造が同時に多様に働く,(2) 2つ以上の意味が1つの単語または統語法にとけあっている,(3) 地口,(4) 2つ以上の意味が矛盾しつつ結びつき一層複雑な精神状態を示す,(5) ある観念が生成過程にあるために直喩などが甲乙両者の中間にとどまる,(6) ある表現が種々の矛盾によりなにものも意味せず読者の側での受取り方にまかされる,(7) 1単語のもつ2つの意味が文脈上対立し作者は主体の分裂を示す,という場合である。「新批評」以来重要な批評用語となった。

    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/

    //kotobank.jp/word/%E6%9B%96%E6%98%A7-23877


    曖 アイ : デジタル大辞泉の解説

    あい【曖】[漢字項目]

    [常用漢字] [音]アイ(漢)
    1 くらい。うすぐらい。「曖曖」
    2 はっきりしない。「曖昧」

    出典 小学館/


    昧 マイ:デジタル大辞泉の解説

    まい【昧】[漢字項目]

    [常用漢字] [音]マイ(呉) [訓]くらい
    1 ほの暗い。「昧爽(まいそう)/曖昧(あいまい)・草昧」
    2 道理がわからない。「愚昧・蒙昧(もうまい)」
    3 梵語の音訳字。「三昧」

    出典 小学館/

  • 古事記上卷 幷序

    臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。

    //www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_01.html

  • 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。

    乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)で中大兄皇子(天智天皇)は蘇我入鹿を暗殺する。 これに憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害した。 この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上する。 『天皇記』など数多くの歴史書はこの時に失われ、「国記」は難を逃れ中大兄皇子(天智天皇)に献上されたとあるが、共に現存しない。 献上されたことが事実であったとしても、天智天皇は白村江の戦いにて唐と新羅連合に敗北しており、記紀編纂の余裕はなかったと推測される。既に諸家の帝紀及本辭(旧辞)には虚実が加えられ始めていた。そのために『天皇記』や焼けて欠けてしまった「国記」に代わる『古事記』や『日本書紀』の編纂が、天智天皇の弟である天武天皇の命により行われる。まずは28歳の稗田阿礼の記憶と帝紀及本辭(旧辞)など数多くの文献を元に、『古事記』が編纂された。その後に、焼けて欠けた歴史書や朝廷の書庫以外に存在した歴史書や伝聞を元に、さらに『日本書紀』が編纂された。

  • 稗田阿礼
    ひえだのあれ


    古代,天武朝の舎人 (とねり) 。『古事記』の序によると,『帝紀』『旧辞』の誤り伝えられることを憂えた天武天皇は,舎人の阿礼にこれらを「誦習」させた。そのとき阿礼は 28歳,きわめて聡明であった。のち元明天皇の命により,阿礼の誦習するところの『帝紀』『旧辞』を太安麻呂 (おおのやすまろ) が撰録して成ったのが『古事記』だとある。稗田氏が猿女君 (さるめのきみ) 氏と同族であることなどから,平田篤胤以来,阿礼女性論がしばしば主張された。

    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/

  • 【稗田阿礼は生きていたか】

    ここに記されている中で、

    不明確なことは「稗田阿禮所誦之勅語舊辭」の部分である。

    【「古事記」の原型は朝廷内に残っていた】

    安万侶は完成した古事記を翌年の和銅五年正月二十八日に献上している。

    作業期間はわずか四か月。

    元明天皇は安万侶に「撰錄」を命じているので、

    ただ書き写せばよいということではないだろう。

    阿礼が暗誦したことを筆録し、

    内容を吟味して撰録し直すのはむずかしいのではないだろうか。

    ここに、天皇(すめらみこと)はこう詔(つ)げられました。「朕(ちん)の聞くところでは、諸家に伝わる帝紀[帝の系譜]、本辞[言い伝え]は既に真実と違ってきており、多くは虚偽を加えられた。もし今この時、失われてしまうのを改めねば、何年も経たぬうちに、本当の内容が消滅してしまうであろう。

    //himiko-y.com/scrp1/kojiki--2.html

  • 於焉、惜舊辭之誤忤、正先紀之謬錯、以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之內、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。

    古事記上卷 幷序 //www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_01.html

  • 古事記 上巻-1/序文
    古事記 上巻-2/神代七代~伊邪那岐命と伊邪那美命
    古事記 上巻-3/天照大神と須佐之男命
    古事記 上巻-4/大国主命
    古事記 上巻-5/葦原中国の平定
    古事記 上巻-6/邇邇芸命
    古事記 上巻-7/海幸彦と山幸彦
    古事記 中巻-1/神武天皇~開化天皇
    古事記 中巻-2/崇神天皇
    古事記 中巻-3/垂仁天皇
    古事記 中巻-4/景行天皇、倭建命、成務天皇
    古事記 中巻-5/仲哀天皇、神功皇后
    古事記 中巻-6/応神天皇
    古事記 下巻-1/仁徳天皇
    古事記 下巻-2/履中天皇~安康天皇
    古事記 下巻-3/雄略天皇
    古事記 下巻-4/清寧天皇~推古天皇

    日本神話、伝説などを含み、出来事を紀伝体で記述。和銅5年(712年)太安万侶が編纂。神道では『古事記』に現れる神々が多く祭られている。

    古事記(原文)の全文検索 //www.seisaku.bz/kojiki_index.html

  • 撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
    訓読文:帝紀を撰録(せんろく)し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ。---、『古事記』の序文, 天武天皇

    ja.wikipedia.org/wiki

  • 陶 淵明(とう えんめい、365年(興寧3年) - 427年(元嘉3年)11月)は、中国の魏晋 南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵 明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五 柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら 農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と 呼ばれる。

    ja.wikipedia

    陶淵明全集|上・下 岩波文庫 1990

    帰りなんいざ、田園まさに蕪れんとす。なんぞ帰らざる

    //1000ya.isis.ne.jp/0872.html

    帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。---帰去来辞 冒頭

    帰(かへ)りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる。

    さあ家に帰ろう。田園は(手入れをしないので草で)荒れようとしている。なぜ帰らないのか(今こそ帰るべきだ)。

    //kanbunjuku.com/archives/499

    「帰去来辞」は、すべての官職を退けて田園に生きる決意を語った詩である。陶淵明の人生の転機を語る詩であり、また田園詩人といわれた陶淵明の面目が遺憾なく発揮されている点で、彼の代表作というにふさわしい作品である。

    //tao.hix05.com/101kikyorai.html

  • 【三国志】

    『三国志』(さんごくし)は、中国・西晋代の陳寿の撰による、三国時代について書かれた歴史書。後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの時代を扱う。二十四史の一。成立時期は西晋による中国統一後の280年以降とされる。紀伝体の歴史書であり、「魏書」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「呉書」20巻、「蜀書」15巻の計65巻から成る。後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。

    単に『三国志』と言う場合、本来陳寿が記した史書のことを指す。対して『三国志演義』とは、明代の白話小説であり、『三国志』を基としながらも説話本や雑劇から取り込まれた逸話や、作者自身による創作が含まれている。また、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多い。

    養老4年(720年)に成立した『日本書紀』神功皇后紀には、自注として『魏志』東夷伝の卑弥呼・台与の記述が引用されている。

    天平宝字4年(760年)に成立した『藤氏家伝』大織冠伝には、蘇我入鹿の政を「董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。

    天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に遣わして、吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている(『続日本紀』巻23)。

    『続日本紀』巻30の神護景雲3年(769年)10月10日の条に称徳天皇が「府庫は但だ五経を蓄えるのみ、未だ三史(『史記』・『漢書』・『後漢書』)の正本有らず。渉猟の人、其の道広からず。伏して乞うらくは、列代諸史、各一本を給わりて管内に伝習し、以て学業を興さん」という大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』を下賜している。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。

    ja.wikipedia

  • 後漢書東夷伝の中に倭(後の日本)について記述があり、古代日本の史料になっている。この「倭条」(いわゆる「後漢書倭伝」)は、280年代成立とされる『三国志』の「魏書」東夷伝倭人条(いわゆる「魏志倭人伝」)を基にした記述とされているが、これに対して反論を唱える学者もいる。

  • 中国の歴史時代は、商の後期に始まり、周、春秋・戦国、秦、前漢、新、後漢、三国(魏・呉・蜀)……と続いていく。

  • 『後漢書』(ごかんじょ)は、中国後漢朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。本紀 十巻、列伝八十巻、志三十巻の全百二十巻からなる紀伝体。成立は5世紀南北朝時代 の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 445年)。

    范曄著『後漢書』の成立は432年以降と後漢滅亡から200年以上が経ってからのことであり、年代的には『後漢書』より後の時代の範囲を記述している『三国志』の方が、范曄の『後漢書』よりも約150年も前に既に成立していた。

    倭についてはじめて書かれた正史は、後漢の初頭時代に班固が書いた『漢書』地理志であり、王充が著した『論衡』(ろんこう)である。

    「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
    周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず『論衡』

  • 枕草子が成ったのは千年以上も昔のこと、されに史記はそれより千年以上も昔のこと。司馬遷は前漢の歴史家であり、孟嘗君(もうしょうくん)こと田 文(でん ぶん ? - 紀元前279年)は、中国戦国時代の公族・政治家。戦国四君の一人。姓は嬀(ぎ、女 偏に爲)、氏は田、諱は文。諡号が孟嘗君である。斉の威王の孫に当たる。

  • 鶏鳴狗盗:けいめい・くとう [史記、十八史略] 四文字熟語、故事成語

    〔中国、斉せいの孟嘗君もうしようくんが秦の昭王に幽閉された時、こそどろやニワトリの鳴き真似のうまい食客の働きでのがれたという「史記孟嘗君伝」の故事から〕ニワトリの鳴き真似をして人をあざむいたり、犬のようにして物を盗んだりする卑しい者。小策を弄ろうする人。 出典 三省堂/大辞林 第三版

    客有能為狗盗者。 客に能く狗盗を為す者有り。

    客有能為鶏鳴者。客に能く鶏鳴を為す者有り。

    *「客」は「食客」

    //manapedia.jp/text/1921

    [『史記 孟嘗君列伝 第十五』のエピソードの現代語訳:2]

    //esdiscovery.jp/knowledge/classic/china2/shiki062.html

    『枕草子』130段「頭弁の識にまゐりたまひて」の素材となった、頭弁とは当代きっての才人・能筆家である藤原行成のこと。

    いと夜深くはべりける鳥の声は、孟嘗君のにや。---(清少納言)

    孟嘗君の鶏は函谷関をひらきて、三千の客わづかに去れりとあれども、これは逢坂の関なり。---(行成)

    夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ---(清少納言)

    //www.dwc.doshisha.ac.jp/faculty_column/representation/2015/post-205.html

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