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  • 英語支配に関する討論

     英語支配について意見を述べましょう。
     批判も歓迎、支持も歓迎。
     認識を深めましょう。または、認識を改めましょう。

     全人類が互いに意思疎通を行なえる状況…自由に平等に行なえる状況…これを実現しなければなりません。そのための手段を考案することは重要です。例えば、国際補助語(エスペラントその他)の創出、機械翻訳の実現など。けれども、ここではそこまで話題にしません。実現に至る第一歩を固めます。つまり、現状認識・現状評価です。めいめいの意見、知識、経験を述べてください。

     なお、「英語支配」という表現には批判的な響きがあります。中立的な表現を使いたいのですが、考えつきません。そのため、この表現にしました。同類の表現に、「英語帝国主義」があります。この表現まで行くと、批判的を通り越して挑戦的(けんか腰)になります。そのため避けました。

     話のきっかけとして、賛否それぞれの主張を対話で示します。長いので二つに分けます。

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  • wasn't vs. hadn't been born (past)

    It's funny in spanish it would sound weird to say I wasn't born. (No nací).

    //forum.wordreference.com/threads/wasnt-vs-hadnt-been-born-past.1173643/

    *英文法が世界を支配しているわけではない!

  • >>224

    >いまほど、教材が抱負でな勝手でしょうからねえ。
    いまほど、教材が抱負でなかったでしょうからねえ。

  • >>223

    いまほど、教材が抱負でな勝手でしょうからねえ。

    百万人の英語のセンセーもなんか英語の書物を特高警察かなんかにどうにかされたちゅうようなこと書いてましたけど、、、松本亨センセーやったかな?

  • >>221

    まあ、言語に敵性もクソもないと思うけど、時の支配者(この場合は軍部やそれに操られた政府)の保身のための方便みたいなもんやったんやろな。戦後も、「国産品を愛用しましょう」言うてみたり「外国製品を買いましょう」言うてみたり、ご都合主義や。

    で、戦中に行われた英語授業の題材は、英米文化中心やったんやろか、それとも国威発揚を図るもんやったんやろか。今の中国や北朝鮮の英語教科書は、自国賛美に偏っとるらしいで。

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の7番目〕

    ちなみに、参考として、以下のように引用します。
    *江利川春雄『英語と日本軍』(NHKブックス、2016)
     ・211~212頁

     一般には、「太平洋戦争中の学校では英語教育が禁止されていた」という言説をよく耳にする。たしかに、日中戦争後には戦意高揚のプロパガンダとして、駅の看板から英語が消されるなどの英語禁圧の動きが強まった。しかし、文部省は太平洋戦争下でも国民学校高等科を含む中等学校以上で英語教育を継続しており、そのために一九四四年に至っても英語教科書の発行を続けていた。ところが、英語教育を行おうとしていた中等・高等の学校でも、悪化する戦局のもとでは、勤労動員や学徒出陣によって授業停止状態になる場合が多かった。/そうした状況下でも、陸軍幼年学校や海軍士官学校などでは敗戦時まで英語を含む教育を続けていた。

     ・236~237頁
     英語は「鬼畜米英」の「敵国語」とみなされていた。内閣情報局発行の『写真週報』第二五七号(一九四三年二月三日号)では「看板から米英色を抹殺しよう」というキャンペーンを特集し、一般国民に対しては野球のストライクを「よし」に、カレーライスを「辛味入汁掛飯」に言い換えさせた。/そうした中にあっても、陸海軍の士官養成学校では高度な教育が続けられており、そこでは英語も堂々と教えられていた。海軍兵学校では一九四五年五月の野球の試合で、審判が「ストライク!」「ボール!」と普通に英語を使っていたという(菅原完『海軍兵学校 岩国分校物語』)。
    〔了〕

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の6番目〕

     米国のイラク政策をフランスが批判した結果、次のようになりました。
    (二〇)新聞評論、「米国のあるレストラン経営者がメニューからフレンチフライという表記を一掃したそうだ。(中略)名前だけフリーダムフライ、つまり自由フライに変えたという」(『朝日新聞』平成一五年二月二五日朝刊、一面「天声人語」)
    (二一)新聞記事、「(米)下院の食堂のメニューにある『フレンチトースト』と『フレンチフライ』をそれぞれ『フリーダムトースト』、『フリーダムフライ』に改めると発表した」(『朝日新聞』平成一五年三月一二日夕刊、二面)。
     以上のように、狭量さは日米とも同じです。また、言語を研究する態度も同じでしょう。戦中の新聞に次のような書籍広告、宣伝文句が掲載されています。
    (二二)『會話文典語彙 最新 馬來語要諦』…「軍用語多數を收録」(『朝日新聞』大阪版、昭和一六年一二月一七日、一面、下段広告欄)。
    (二三)『かなつき日露會話』『かなつき日滿露會話』(『朝日新聞』大阪版、昭和一六年一二月二二日、一面、下段広告欄)。
     さらに、NHKのラジオ講座があります。
    (二四)新聞記事、「(昭和)六年に始まった中国語講座、八年のブラジル語(ポルトガル語)講座は、中国大陸や南米に対するわが国の関心ないし交流の深まりと切り離せない。そして一七年には、これらの講座も、敵性語として中止される」(『朝日新聞』昭和五九年三月二六日朝刊、一二面)
     以上の資料からは、海外往来に伴う学習の広まりが想像できます。これは需要に応じた供給です。日本語の専門家に乏しい米国が人材育成を始めるのも需要に応じた供給です。両者の態度・方針は同じです。
     ともあれ、比較に際して一方に学校教育や社会状況を持ち出し、他方に軍事方針を持ち出すのは的はずれです。それならもっと単純に、英語を排斥したのは狭量だ、と批評するほうが論理的でしょう。

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の5番目〕

     また、戦争遂行のための敵国語研究について日米比較する、というのであれば、当時の日本には英語の専門家が既に大ぜいいました。それゆえ新たな使い手を大幅に養成する必要はありません。教育の拡大も不要です。他方、米国には日本語の専門家が極少、それゆえ緊急に大量養成する必要が生じたまでです。つまり比較するものが二つ揃いません。これまた判断保留とすべきです。
     要するに、日本における英語の状況と、米国における日本語の状況が異なりすぎるため、比較に適しません。そこを強引に対比させ、一方に社会状況を持ち出し、他方に軍事方針を持ち出すという、同一次元にない二者の「比較」に走っています。本書には、「どちらが戦略的に望ましいことであったか」(三頁)とあります。この論理で押せば、「英語に由来する芸名、学校名、会社名などが変更」(三頁)されずに残ることが「戦略的に望ましい」となります。つまり、英語の芸名を残せば戦争に勝てる…こういう珍妙な論理になります。比較に適さない二者を比較するからです。
     このような見当違いの比較は、本書のほか、右の(一)や(四)の他にも見受けられます。
    (一七)「これと対照的なのが、アメリカが敵国語たる日本語に対して取った態度である」(太田雄三『英語と日本人』二二七頁)
     こういう主張にはよく出逢います。(四)に至っては、「米国の教育方針は正しく、日本のそれは間違っていた」とまで主張します。軍事と学校教育とを混同しています。
     さらに、敵国(または、対立する相手国)の言語への態度が狭量になるのは日本も米国も同じです。
    (一八)トミ・カイザワ・ネイフラー、「政府のポスターには『英語で話せ。敵の国語を使うな』と書かれていた」(『引き裂かれた家族』尾原玲子訳、三三頁)。「戦時中は日本語の手紙を出すことは禁じられていた」(同、一〇三頁)
    (一九)アイザック・アシモフ、「第一次大戦中、アメリカ人は敵国のドイツ語をきらい、キャベツ料理のザワークラウトを、自由キャベツと呼び、犬のダックスフントをけとばす者さえいた」(新潮文庫『アシモフの雑学コレクション』星新一訳、二八八頁)
    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の4番目〕

    (一六)五八歳女性、「高女一年生の時に第二次世界大戦が始まり、授業科目に英語はありましたが『敵性国家の国語など学ぶ必要なし』との思想の時代でした」(『朝日新聞』大阪版、昭和六二年一〇月一八日朝刊、投書欄)。
     これらが正確な認識でしょう。しかし大抵の人は、授業がなくなった、とまで思い込むようです。この思い込みが米国の「日本語研究」と対比され、「アメリカ側に軍配」(本書三頁)を上げるというような主張になります。
     比較するため、日本における英語の排斥状況を持ち出す。この場合、比較の対象としては、米国における日本語の排斥状況を持ち出すべきです。ところが、英語は日本で広く学習される外国語ですが、日本語は米国で広く学習される言語ではありません。学習状況が異なり過ぎるゆえ比較は不適切で、判断保留とすべきです。
     本書にはこうあります。
     「日本では英語に由来する芸名、学校名、会社名などが変更させられたが、アメリカではそのようなことはなく、(中略)このような日米の敵国語をめぐる相違が、戦争の動向にどのように影響し、どちらが戦略的に望ましいことであったかはすでに明らか」(三頁)
     この議論は、日本語に「由来する芸名、学校名、会社名など」が米国に同程度あることを前提として成り立つ議論です。しかし、日本語に「由来する芸名、学校名、会社名」などが米国に同程度あったはずはない。つまり、比較しようにもその対象がありません。にもかかわらず「比較」されます。

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の3番目〕

    (一〇)小林信彦、「敵の本土上陸が迫っている時に、その敵の言葉を勉強したなんて、創り話だろうと、後年、よく言われたが、冗談ではない」(『波』平成一六年六月号、「東京少年」七五頁)
    (一一)佐野洋、「戦争中、英語の授業がなかったというのは嘘である。週に四時間程度はあったし、海軍諸学校、高等学校(旧制、現在の大学前半にあたる)の入試にも英語はあった」(『本の窓』平成一五年五月号、「ミステリーとの半世紀」三一頁)
    (一二)木田元、「(昭和二〇年)四月十日に入校式がおこなわれ、それから四ケ月の兵学校生活がはじまった。むろん英語・数学・国語・物理・化学といった授業もあったが(後略)」(『青春と読書』平成一六年六月号、「新人生論ノート」八四頁)
    (一三)大谷泰照、「彼(海軍中将井上成美)は、陸軍諸学校とは違って、海兵入試科目から英語を外すことをしなかった」(『英語教育』平成九年五月号、「なぜ、いま第二外国語なのか」九頁)
    (一四)赤坂真理、「英語は戦時中敵性言語とみなされ当局に禁止されていた、というのがこんにち私たちが歴史の授業で学ぶことだが、実際には、学校ごとに融通は少しきいたようだ。母の通っていた女学校では、5組のうち、2組に英語がカリキュラムとして組み込まれていた」(『朝日新聞』平成一六年六月六日朝刊、一一面「時流自論」)
    (一五)新聞記事、「英語の授業そのものは、中学校で選択制が取り入れられるなどしたが、戦時中も続けられたという」(『朝日新聞』大阪版、平成一七年七月一五日夕刊、一面、「軍色 戦中の英語教科書」)。「戦争中に英語教科書があったことすら知らない人も多い」(同記事中、和歌山大学教育学部教授の言)。「旧制の中学校や実業学校、高等女学校などでは戦時中も英語が教えられていた」(『朝日新聞』東京都内版、平成一七年七月二四日朝刊、七面)

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の2番目〕

    (四)新聞評論、「太平洋戦争中、日本では、敵性語である英語の使用を禁止し、英語教育も廃止した。一方、米国は同じ時期に、日本語教育に力をそそぎ、日本語を理解できる要員の大幅増加を図った。戦争に勝つという一点に絞っても、米国の教育方針は正しく、日本のそれは間違っていた。わずかに海軍兵学校において(中略)英語教育が続けられたのが救いであった」(『朝日新聞』平成九年六月四日夕刊、一一面「経済気象台」)
    (五)六九歳女性、「学校で英語の授業が禁止された時代に育った私たち」(『朝日新聞』大阪版、平成九年六月一八日朝刊、投書欄)
    (六)七五歳男性、「戦時中の、英語は敵国語で、それを学ぶのは非国民だ、とまで言われた時代」(『朝日新聞』大阪版、平成一六年六月一五日朝刊、投書欄)
     何らかの混線があって、これらの誤認が生じたのでしょう。次のような過激な反応もありました。
    (七)原卓也、「通っていた中学が極端でね。米英相手の戦争が始まると、敵の言葉だというので英語の教科書を燃やさせてしまった」(『朝日新聞』平成六年七月四日朝刊、八面「おやじの背中」)
     これが組織的な対応であったかどうか。次のように、授業は続いていたのですから。
    (八)妹尾河童、「僕の神戸二中ではね、松本先生という先生がいて、工場と授業と一週間おきだったけど、終戦まで英語の授業があった。(中略)もう敵国の言葉を教える授業は廃止されるという噂があったのに」(出典は前記(二)に同じ)
    (九)小林信彦、「『え? 太平洋戦争中に、中学で英語を教えていたんですか?』むかし、片岡義男さんと雑談している時に、そう訊かれた。『ええ…』とうなずいたものの、こうした事実は次第に埋もれてゆくのだな、とぼくは思った。(中略)なにしろ、野球でさえ、英語=敵性語を使ってはいけない。〈アウト〉は〈駄目〉、〈セーフ〉は〈良し〉という時代である。/そんな時代に、教室の中でだけ、英語を教えているのも異様なもの」(『週刊文春』平成一〇年二月一二日号、「人生は五十一から」七四頁)

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の1番目〕

     大石五雄『英語を禁止せよ』(平成一九年、ごま書房)にはこうあります。
     「太平洋戦争の戦時下において、日本では英語は敵性語、敵国語として禁止・追放された」「日本とは全く対照的に、敵国アメリカでは、特に軍隊において日本語学習が盛んに行われ、多くの日本語専門の情報部員が育てられていった」(三頁)。
     そして、日米比較に基づきこう述べます。
     「どちらが戦略的に望ましいことであったかはすでに明らかであり、アメリカ側に軍配が上がったことは誰もが認めるところである」(三頁)。
     この種の議論は以前からあります。しかし、妥当な比較でしょうか。
     なるほど、著者の言うよう、「誰もが認める」傾向はあります。例えば、
    (一)柴田武、「日米戦争が始まると、日本では、英語は“敵性語”だから学校教育からはずすようなこともした。米国では、反対に、敵を知るために軍に日本語班を作って日本語を学ばせた」(『朝日新聞』平成六年一月二一日夕刊、一五面「出あいの風景」)
     ところが、こういう認識は不正確です。柴田氏は、「学校教育からはずすようなこともした」と述べますが、そうではありません。本書『英語を禁止せよ』(六八~六九頁)および、本稿の引用(一五)によれば、随意または選択科目になる程度で、授業は続いていました。どうやら行き過ぎの認識があるようです。似た事例を挙げます。
    (二)澤地久枝、「私は英語授業ゼロ。敵性語だからっていって、アルファベットも教えなくなる教育の仕方っていうのは、日本人の思想の本質、貧しさという気がしますね」(『文藝春秋』平成九年九月号、「昭和五年生まれ、この指とまれ」三一一頁)
    (三)澤地久枝、「敵性語ということで、私は旧制高等女学校三年(いまの中学三年)夏の敗戦まで、一時間の英語授業も受けていない」(『本の話』平成一八年七月号、「家計簿の中の昭和」六七頁)

    ----次段へ続く

  • イギリス英語の単語紹介:イギリス人がよく言う「reckon」はどういう意味ですか?

    イギリス人と会話した事がある人は気がついた人もいると思いますが、「reckon」という単語は会話によく出る単語の一つです。
    アメリカ人はこの単語を滅多に使いませんが、オーストラリア人とニュージーランド人は使いますね。

    //britisheigo.com/british_word/781.html

  • *Trump referred to BBC as another beauty, I wonder what original beauty, he meant, should be.

    日本のTV局、トランプ発言「another beauty」を誤訳…勘違いの解釈で批判→ネット炎上

    That's another beautyという言い方は、賞賛ではなく、皮肉です。

    //ameblo.jp/uso-news-warosu/entry-12238072064.html

    *確かに文字どうりの意味ではないことは、表情からも読み取れたが、どうにでも取れる表現はセールストークでexcuseの余地を残して発言しているんじゃあないのかなあ。簡単な英語で誰でもわかるというが、百戦錬磨のトークだろ?むしろ難しい英語がわからない人々向けに簡単な英語でしゃべっているとすれば、別の評価が出てくるかもしれない。

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  • 語学関連学科以外でも。日本語を英語に切り替えると、学生の学習速度は急低下するので(同一学習内容を習得するのに、2~3倍以上の時間がかかる)憂慮しています。

    私の個人的友人(専門学校の英語の先生)は、教養ある日本人の先生が退職の肩たたきを受け、代わりに無教養な(教育原理や教育心理学の単位もとってない)米人が赴任してきた、と憤激していました。

    言語学>エスペラント語とは>4569 esperplenaさんの言。


    4570(最新)fujiyama_dadadah 1月31日 06:25

    >>4569

    趣味人である門外漢が教育について偉そうなことはいえませんが、語学教育が教育全般の妨げになる状況があるのなら本末転倒でしょうね。

    *いずれにしても、右に倣えで、場当たり的、拙速な施策で、結果を求めようとするのは混乱を招くだけはないでしょうかねえ。

  • 神に誓う、、、、testifyという言葉に出会った、、、無宗教の人間には訳し難い。しいて言えば「宣誓する」か?

    英語支配に関する討論 神に誓う、、、、testifyという言葉に出会った、、、無宗教の人間には訳し難い。しいて言えば「宣誓

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