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市川秀志 徹底研究

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  • 2017/11/22 05:03
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    アマチュアの立場からYahoo掲示板での書き込み及び著作等で
    相対性理論・非ユークリッド幾何学・不完全性定理・集合論・ビッグバン・エントロピー増大の法則 等
    を完全否定する、市川秀志氏について徹底研究しましょう。

    著作
    「カントールの対角線論法―ミーたんとコウちんは闇の数学講座で無限の正体を見た」(パレード)
    「カントールの区間縮小法―ミーたんとコウちんは闇の湖で地球人と出会った。」(パレード)

    掲示板での書き込み
    http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835555&tid=ajbpoc0a4o4v0ca4ca4fa4a4a4ka1a9&sid=1835555&mid=1&type=date&first=1

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    市川秀志 11月22日 05:03

    並び続けている限りは、小数の値は変化し続けます。これをご存じないのでしょうか?

    >ウソを存じるのはバカだけだw

    0.9,0.99,0.999,0.9999,…

    第1項が第2項になり、第2項が第3項になり、第3項が第4項になり、… これを延々と続けるのが無限数列であり、並び続けている限りは、小数の値は変化し続けます。いつまでたっても、0.9999…という無限小数は出てきません。いえ、絶対に出てきません。可能無限が正しければ、無限小数は存在しないのです。

    でも、あなたはこの無限数列に無限小数という名前を付けたのです。これは「数列」を「小数」と偽ったウソそのものでしょう。さらにあなたは、この数列である小数に0.9999…という具体名までつけたのです。

    しかし、この無限数列そのものを0.9999…と呼んだだけでは満足せず、この無限数列の極限値まで0.9999…と呼んでいるのです。

    【無限集合論による0.9999…の扱い】
    (1)0.9999…とは、0.9999…に収束する無限有理数列の集合(同値類)
    (2)0.9999…とは、0.9,0.99,0.999,0.9999,…の極限値

    無限集合論では、上記の(1)と(2)を主張しており、結局は0.9999…の意味を1つに絞れないのです。

    ところで、「任意の桁」が求まっても、「すべての桁」は求まりません。

  • > 任意の桁が求まるのなら、「求まらない桁はない」という意味で「全ての桁」が求まる。

    「求まらない桁はないという意味で」と記載されていますが、他にどんな意味があるのでしょうか?「任意の桁」は可能無限の用語であり、実無限の用語は「すべての桁」です。あなたは可能無限を否定したのだから、「すべて」という言葉以外に使用することはできません。

    >そもそもヒデのいうような可能無限の立場では「任意の桁が求まる」とは言えない。なぜならつねに「求まっていない桁が存在する」のだからw

    それが可能無限の本質です。πの小数点以下の桁は無限に増えますが、増えるところまで増えた桁が「解明された桁」であり、それから先の桁は「まだ、解明されていない桁」です。まだ解明されていない桁は無限に残っています。

    今では、πは小数点以下22兆桁まで解明されていますが、解明された桁と解明されていない桁の比率を考えたことがありますか?

    解明された桁数:解明されていない桁数=22兆桁:無限の桁数

    解明されていない桁数は、比較できないほど多いのです。それでもあなたは、「すべての桁は解明される」と強気で言えるのでしょうか?>あなたは「無限小数がある一定の値を持つためには、小数点以下のすべての桁数が求まる必要がある。これこそが真実」と言わなければならないのです。

  • > 「無限小数がある一定の値を持つためには、小数点以下において値の求まらない桁が存在しない必要がある。これこそが真実」

    では、πの小数点以下100兆桁目の数字は?あなたは、この100兆桁目の数字が確実に求まると断言できますか?もっと、一般的な質問をしましょう。

    (1)πの小数点以下n桁目の数字は確実に存在するか?
    (2)πの小数点以下n桁目の数字を確実に計算できるか?

    「無限と言えども、いつかは終わる。終わらない無限は存在しない」という実無限の立場から言うならば、πの小数化はすでに完成しているので(すなわち、無限の桁がすでに計算し終わっているので)上記の(1)と(2)は「計算し終わっているから、存在するのは当たり前だ」となります。

    でも、可能無限の立場では、そもそも無限とは完結しないことを定義とにしているので、πの小数化は完成しません。つまり、すべての桁は計算できないのです。頭で連想できるいかなる大きな桁も原理的には計算可能です(これを任意の桁は計算できる、と呼んでいます)が、すべての桁を計算し尽くすことはできません。これこそが真実(すべての桁と任意の桁は違う)と言えます。

  • > 「値の求まらない桁が存在しない」から「値を求める行為が終わる」は導けないw

    原理的には求まりますが、現実では求まりません。

    eの存在は証明されません。

    >ならば、アザラシの貴様は貴様の野卑な直感にしたがってこう吠えろ「だから、eは数じゃない!」だが、貴様は自分が人間だと誤解してるから、人間の直感があるふりをしてウソをつくわけだ「eは数だ。オレがそう直感した」

    eは数ですが、これが数であることを証明することはできないでしょう。

  • >ちなみに正直者はこういう「私は正直です」ウソつきはこういう「私はウソは申しません」 違いがわかるかね?w

    どのように違うのでしょうか?数学の最も基本的な用語や概念は感覚で成り立っています。「eが数直線上に存在する」なども証明不可能です。だから、直観でこれを真の命題と規定しているのです。

    > 全くの誤り。数学の根本が理解できないバカがホザク嘘w

    では、あなたはeが数直線上に存在していることを証明できますか?

    > 数学の最も基本的な用語や概念は前提だから証明の必要がない。

    では、無限集合論でもeが数直線上に存在していることを証明できないのでしょうか?

    > 前提が正しいとか感覚する必要すらないw

    間違った前提でもよろしいのでしょうか?

  • >しかし具体物がある概念の性質を満たすかどうかは証明する必要がある。 それが概念の定義を立てる意味というものだ

    定義に関する定義の問題ですね。「定義とは何か?」これは、ユークリッド幾何学でも問題視されていませんでした。もちろん、無定義を謳っているヒルベルトの形式主義では、定義など糞食らえ(聞き流してください ⅿ(__)m)でしょうから、定義を話題にすることは触れてはならないものに触れることです。「実数は数列ではない」という常識が、無限集合論では通用しないのですね?

    >人間は、イヌやネコ、アザラシやイルカとは異なる  つまらぬ常識は、人間の作った数学においては、無意味だw

    無限集合論は相対性理論と同じく、つまらぬ常識を打ち破った画期的な理論などではありません。人間として持っていなければならない最低限の良識すら失った、矛盾した理論に過ぎません。ⅿ(__)m

    「実数は数列ではない」「実数は集合ではない」は、数学を志す人間として持っていなければならない最低限の数学知識です。

  • 最短距離は直線だけではなく、曲線にも当てはまる概念です。「球面上の最短距離」というのを聞いたことがありませんか?球面上の異なる2点を結ぶ最短距離は、その2点を含む大円の短い方です。それは、決して直線ではありません。これを直線と偽ったのが、非ユークリッド幾何学です。

  • 直線とは真っ直ぐな線であり、これが「名は体を表す」に沿った定義です。

    直線には線である以上は端があり、その端は点です。これによって、直線の長さは有限となります。つまり、無限の長さを持った直線は存在できません。

    そして、ただ「直線」と言った場合、その長さは指定していないから、任意の長さを持った直線を考えることができます。

    ところで、線には直線と曲線があります。2点を結ぶ線にも直線と曲線があります。このとき、いかなる曲線も直線よりも長くなります。これから「直線は2点間を結ぶ線の中で一番短い」ということがわかります。つまり、2点間の最短距離は直線の持つ性質の1つであって、「直線の定義」と「直線の性質」は異なります。

    直線の性質は、直線の定義によって生まれてきたものです。

  • 私たちは、曲面上の最短距離を考えることができます。しかし、曲面上の最短距離はほとんどの場合、曲線です。

    直線は真っ直ぐな線であり、曲線は曲がった線です。直線(真っ直ぐな線)と曲線(真っ直ぐではない線)はお互いに否定し合っています。ある線が直線であれば曲線ではありません。曲線であれば直線ではありません。

    しかし、直線を曲がりがゼロの曲線と考えれば、直線は曲線の一部となり、直線を曲線に含めることができます。これが拡張という数学的な思考です。

    同じように、平面は曲面に含まれると考えることもできます。そのため、平面上の最短距離も曲面上の最短距離に含まれます。

    しかし、ここで注意しなければならないことがあります。平面上の最短距離は図形としては直線ですが、曲面上の最短距離はほとんどが曲線です。

    つまり、直線は最短距離に含まれますが、最短距離は必ずしも直線には含まれません。直線と最短距離は同じではないのです。実際、球面上の最短距離としての円弧は直線ではありません。だから、直線を最短距離と定義することはできません。一方、曲線の曲り具合が少ないときには、直線で近似することができます。

    直線の定義はあくまでも「真っ直ぐな線」であり、その他の性質として「2点間の一番近い経路」という性質も持っています。しかし、この性質を直線の定義にすることは定義の改ざんになります。

  • 2点を結ぶ線には「直線」と「曲線」があります。直線は1本しかないけれど、曲線は無数にあります。これら直線と曲線の中で一番短いのは直線です。

    直線とは真っ直ぐな線です。これが本質的な定義です。そして、直線の持っている重要な性質が、2点を結ぶ最短距離であることです。2点を結ぶ他のいかなる曲線や折れ線の組み合わせよりも短いのが、2点を結ぶ直線です。

  • 「無限小数は、特殊な無限級数(有理コーシー列)の極限である」という表現が間違っています。無限小数など存在しないからです。

    > 定義に文句つける時点で、ヒデの頭がオカシイw  「すべての桁の値が表記されつくしてなければ数ではない」とか貴様が決めることではないw

    無限小数と言っても、小数点以下無限桁までその値が判明したわけではないのです。可能無限という正しい無限を使うと、無限小数を作ろうとしてどんどん右側に小数点以下の整数を書き続けます。これは、無限の操作であるがゆえに、決して終わることはありません。つまり、無限小数は絶対に完成しないのです。πは完成した実数ですが、3.141592…は完成しない無限小数です。よって、両者をイコールで結ぶことはできません。

    π≠3.141592…

    1は完成した実数ですが、0.999…は絶対に完成しない無限小数です。よって、完成した数と完成しない数の値が等しくなることはありません。よって、この2つをイコールで結ぶことは数学史上、最大級のミスでもあります。

    1≠0.999…

  • >「任意の自然数」が有限個しかないなら、最後の自然数nでは「A(n)⇒A(n+1)」はなりたたないとせねばならない

    「任意の自然数」は1個です。

    >ギャハハハハハハ!!!ヒデ、自爆!自爆!!自爆!!! A(n)が真だと証明するのに たった一個の自然数mについてA(m)⇒A(m+1)といえても無意味

    その1個がどんどん変化するのです。

    > 0からn-1までの全てのxについて「A(x)⇒A(x+1)」がいえなくてはならない

    いいえ、「すべてのn」ではなく「任意のn」です。

    > つまりヒデの「任意」の解釈では、数学的帰納法どころか 似非数学的帰納法すら認められないw

    「すべてのn」という場合、nは有限個でなくてはなりません。無限に存在する場合は「任意のn」と言い換えなければなりません。「任意の自然数を3個選ぶ」となると、選ばれた自然数は3個ですが、「任意の自然数」と表現する場合は、1個です。

    >では「A(0)が成り立ち 任意の自然数をn個選んで、そのn個がA(x)⇒A(x+1)を満たすときA(n)が成り立つ」と書く必要があるなw

    いいえ、もっと簡潔に書けばよろしいでしょう。お手本を示します。

    「A(0)が成り立ち、任意の自然数nについてA(n)⇒A(n+1)を満たすとき、任意の自然数nについてA(n)が成り立つ」

    >もっともそう書いたところで、「最後の自然数nを除く」といわない限りダメだけどなw

    簡潔なお手本を参考にしてください。

    >ヒデの「有限数学」ではいかなる時点でも「n+1が存在しない最後の自然数n」が存在しなければならないからである。

    n+1と書かれた時点で、最後の自然数がn+1に移行していることに気がつきましょう。n+1と書いた時点で、最大の自然数はn+1に移行しているのです。

    >その詭弁、ダメね。 書こうが書くまいが、nが最後の時点では、n+1は存在しないw

    数学的帰納法では、n+1も成り立つのです。

  • >だいたい、書くことで存在してしまうなら、終わりようがないから、ヒデには推論しようがない。バカだねー。自爆してやがんのwww

    人間は自然数をnまでしか思考できません。そのnには終わりはないのです。あなたはどんなに頑張っても、πの小数点以下の1京桁目の整数を思考できないのです。あなたが「A(n)⇒A(n+1)が成り立つなら」と記載した時点で、最大の自然数が変化していることに、お気づきになられませんか?

    >それが2つの時点を使う「二枚舌」であることに気づかないバカなのか?ヒデはw 小学生に笑われるぞw

    可能無限とは、自然数で言うならば「最大の自然数がどんどん大きくなっていくこと」です。最大の自然数が次から次へと塗り替えられていくことが可能無限です。思考する時点で、塗り替えは停止します。その思考が止まらないのが可能無限です。

    >n+1と書いたからといって、そこで塗り替えることはできません。 ザンネンでしたwwwwwww

    あなたがn+1と書いた時点で、これは明らかな自然数です。

  • 可能無限による無限集合が完全に膨張し切って、これ以上要素が増えないという極限に到達した集合が、実無限による無限集合

    >そう考えるから間違って●違いになるw  実無限とは「最大無限」ではない。そもそもいかなる無限集合も最大の集合ではない。最大の集合は存在しない。

    いいえ、実無限は「最大の無限である」と同時に「最大の無限ではない」のです。後者ばかり目を向けないで、もう1つの性質である前者も考慮してほしいと思います。

  • 無限が終わったという意味を含んでいるのが実無限であり、無限集合も無限小数も、ともに実無限からできています

    >大嘘。 最後の自然数を挙げてくださいよ。できないでしょ。ヒデはウソツキってことですよ。πの最後の桁の値を示してくださいよ。できないでしょ。ヒデはウソツキってことですよ。ウソツキヒデ、人間として終わったな

    自然数全体の集合Nは実無限の無限集合です。つまり、完結した集合です。完結する以上は最後の自然数、すなわち、最大の自然数があるはずです。でも、無限であるから最大の自然数は挙げられません。つまり、自然数全体の集合というのは、『具体的に挙げることができない最大の自然数』を持った集合です

  • 点はこの世界に実在するのでしょうか?どんなものでも、点に見えても本当の点ではありません。素粒子だって、点ではありません。1の長さの線をどんなにたくさん分割しても、点を作り出すことはできません。

    そこで、物体の重心を考えます。どんな物体にも重心があります。この重心は、点ではないのでしょうか?重心には大きさがない、すなわち、ユークリッドが言ったような「部分を持たない」点ではないのでしょうか?

    【ユークリッドの提案した点】
    点とは、部分を持たないものである。点には長さも幅も太さも広さも大きさもない「幾何学の最小図形」である。

  • > 一石に関していえば、・・・無限集合とか無限小数は存在しないのである(笑

    >アダッチーがそういう宗教を信仰してることは理解したw しかし、この国では信教の自由は保障されているw

    >そもそも君らふたりは実無限が存在するか否かについて論争しているが

    >「実無限」という言葉を「無限集合」という意味で用いるならその通りだが  ヒデは「実無限」という言葉の意味を「無限個の集まりには最後の元がある、と前提して集合としての存在を主張する態度」と勝手に捻じ曲げてるので そんなことは数学では全然主張していない、とはいっている

    実無限とは、完結する無限であり、完成する無限です。ところが、国語学によると数学とはまるで違い、日本語で無限という単語を使う場合「完結しない」「完成しない」ということです。つまり、本当の無限は「終わりの無いこと」「最後のものが存在しないこと」です。

    > つまり「無限個の集まりに最後の元がなくても集合として存在する」ということ

    それは実無限と可能無限のゴチャマゼ状態です。あなたは、実無限と可能無限をいまだにスパッと切り分けられないのです。実無限は完結する無限であり、これが実無限の正体です。この正体から、「完結する以上は最後のものがなくてはならない。つまり、完結する無限集合ならば、最後の完結させる要素がなければならない」ということです。実無限の定義は完結する無限であり、その属性として「完結する際の最後のもの」が必要である、ということです。

    > ヒデにはこのことがどうしても理解できないらしいが、サルが言葉を喋れないのと同じことなので諦めるしかないw

    国語学によると、完結とは最後のものが存在して終わることです。テレビのシリーズものでも何でも、完結する番組には最終回が必要です。完結する無限集合にも最終要素が必要であり、完結する無限小数にも最後の桁が必要です。

    「最後の要素なくして、完結する無限集合は完結しない」「最後の桁なくして、完成すべき無限小数は完成しない」という正しい意識が必要です。これ以上、詭弁に詭弁を繰り返して、無限集合論を擁護すべできではありません。無限集合は集合ではないのです。

  • 4歳は明らかに子どもであり、40歳は明らかに大人です。5歳は明らかに子どもであり、39歳は明らかに大人です。これだけはっきりとした年齢差があって、その判断に迷うことはありません。

    しかし、年齢差を次第に縮めていくと、子どもと大人の違いが不明瞭になってきます。つまり、明らかな境界線が設定できません。そこで、法律では20歳を境界線として定めて、子どもと大人の扱いを大きく違えています。18歳と定めている国もあります。

    でも、18歳と20歳の違いは、明確な根拠があるわけではありません。これは、その国の状況によって決められた人為的な数字です。

    無矛盾と思われるニュートン力学は明らかに科学理論です。矛盾している相対性理論は明らかに非科学理論です。非科学理論をトンデモ理論(科学の仮面をかぶった非科学理論)と呼んでも良いかもしれません。

    昔からの問いかけである「科学理論とは何か?」という問題に明確な答えはありません。ポパーは反証可能性という概念で、科学理論とトンデモ理論を振り分けようとしました。しかし、これは結果的には失敗しています。アドホックな仮説が、反証可能性を骨抜きにするからです。

    結局は、科学理論と非科学理論に明確な境界線を設定することは不可能です。ということは、「非科学理論の侵入」に備えて、科学はこれからもずっと「ある武器」を失ってはなりません。それが、人間としての良識です。これこそが、科学を守る最後の砦となります。

  • 数学を守る最終手段もヒトとしての良識です。数学が発展していくと、必ず、公理を否定する者が現れ始めます。ニュートン力学に対してもしかり、ユークリッド幾何学に対してもしかりです。

    人類が誕生してから、神話が生まれ、宗教が生まれました。この世の中をすべて神話で説明してきた社会が長い間続き、やがて神話を用いないで、もっと合理的に説明しようとして、哲学が生まれました。

    「信じる」ことから「考える」ことにシフトし、やがて哲学を土台として科学が誕生しました。

    しかし、科学は今、危機に瀕しています。それは、「宗教との戦い」ではなく、「矛盾した理論との新たな戦い」です。ちょっと油断していると、矛盾した理論が数学内や物理学内に侵入しようと、虎視眈々とそのすきを狙っています。ほんのちょっとした穴(論理的な欠陥)から、矛盾した理論があっという間に大量に侵入してきます。その穴を埋めるのも、最終的には人間としての良識です。

    科学は良識に始まり、良識に終わります。数学や物理学も同じです。数学は良識に始まり、良識に終わります。物理学も良識に始まり、良識に終わります。この良識にIQは関係ありません。むしろ、数学や物理学を守る良識はPQでしょう。

  • ウィキペディアより
    PQとは、前頭前野がもたらすヒトをヒトたらしめる意識や知性、知能、感情制御、社会性をもたらす機能の総称である。
    Potentiality Quotientの頭文字をとったもので、潜在能力指数という意味であったが、この意味でのPQは、2005年にはHQ(Humanity/Hyper-Quotient )に改称された。HQの発達は8才がピークで子供のHQを高める方法には、読書(音読)、計算、会話、豊かな人間関係、遊び等が指摘されている。
    また、跳ね返すことが出来る程度の適度のストレス、躾けや武道の鍛錬なども脳内ホルモンのドーパミンが分泌して、前頭連合野の働きを活性化させる。
    一方、スタンフォード大学経営大学院のロデリック M.クラマー(Roderick M. Kramer)は、PQを駆け引きの知能指数(Politics Intelligence)と定義し、SQ(Social Intelligence:社会的知能)と対比している(「『鬼上司』の復権」ハーバードビジネスレビュー日本語版,2006年9月)。ただし、この人物はこの分野の専門家ではない。
    IQは知能に対してHQは知恵を育てる能力のことである。ただやみくもにIQを高めても前頭連合野を育てなければ百害あって一利無しという。
    前頭連合野の働きを高めると、HQの働きも高まり、様々な活動において成功する確率が高くなるという。 すなわち、成功の要因がHQと密接に関係している。

    バナッハ・タルスキーのパラドックスはHQからすると明らかにパラドックスです。でも、IQからするとバナッハ・タルスキーの定理になるそうです。双子のパラドックスは、HQからすると明らかにパラドックスです。しかし、IQからするとパラドックスではなく、浦島効果という定理になるそうです。数学も物理学も、IQばかり育ててHQを失っているのではないのでしょうか?

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