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    部落問題の解決に努力しているかのように装い、〈「同和」の人は怖い〉という世間の差別意識を逆手にとって、利権をあさろうとしているニセの同和団体がある。他にも同和対策事業への介入、企業などに対する「同和」問題研修会の開催強要、講師のあっせん、「同和」関係資料の押し売り、交通事故の示談の引き受けなど、あらゆる分野で暗躍しています。その存在は〈部落差別問題の解決を遅らせる妨害団体〉として問題になっています。(『部落問題・人権辞典』部落解放・人権研究所編、解放出版社刊行より)
     企業や寺院のみならず、寺院が経営している社会福祉法人や幼稚園・保育園などにも「同和問題」の名を借りて、寄付金・補助金の名目で金品を要求する電話がかかってくるなどの被害例もあるとの事である。

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  • なぜだか解らないけれど、この所「在日の掲示板ワッチマン」の活躍がないね。なぜだろう?

  • >>745

    このことについては、かねてから「在日特権」として問題にされているのですが、在朝(在日朝鮮人)が中心となって、国会議員なども巻き込んで強く抵抗しているため、余り改善されては居ません。
    ⅰ 特別在留資格
    ⅱ 国税や地方税の優遇
    ⅲ 通名の使用
    など、多岐多方面に亘っており、国民が十分に知ることが出来れば大きな問題となると思いますが、朝鮮系を中心として、国会議員が質問をしようとしても与党の有力議員等を通して圧力を掛けてくるために、あえて質問しようとする議員が少ないのです。こうした状態を漫然と許している今の政界の有り様こそ問題だと僕も考えています。

    尚詳しくは「在日特権」<検索>と打ち込んで調べれば長文の説明資料がイッパイ出てきます。ウィキペディアなども詳しく述べているので調べてみられたら如何ですか? なお、政界や官僚が深く絡んでいるので、表向きはきちんとした法体系となっています。

  • >>744

    分かり易いご説明有難うございます。

    良く考えると、日本のやっている事は差別になると思います。
    明らかに韓国人優遇、フィリピン人冷遇です。
    フィリピン人だけでなく、その他外国人に対しても同じです。
    これってやはり人種差別になると思います。
    日本は法治国家として、韓国・朝鮮人も他の外国人と同じ扱いをすべきです。

    別の見方をすれば、日本国民に対しても差別している事になると思います。

  • >>743

    朝鮮人(南も北も一絡げにして)は、かっての太平洋戦争を「日本人」として戦ってきた(台湾もそうだが)。だから連合国軍は「戦勝国ではない」としているが、「両国とも日本に占領されて組み込まれた国だ」ということで「戦勝国として扱う」とした。我が国は「戦勝国でも敗戦国でもない第三の国」とした。だから両国民は「三国人」と呼ばれている。

    両国は日本の一部であった頃から、軍部や官界・経済界と深い繋がりを持っており、また、共に戦ってきたことから日本人は違和感を持っていないので、これらを利用して「違法行為を行っているのに何故か日本への国籍変更に成功している」者が多い。同じように密入国者であっても国外退去させにくい事情を作り上げて居るからだと思います。例えば「社」という文字が付く政党をを利用するとかね...。

    それに対しフィリピンなどの国は明らかに戦勝国でしかも裏の繋がりを持っていないので、普通の外国人としての扱いを受けて差が出ているのだと思います。

    ただ、特に朝鮮人は「常に自分たちの都合の良い方向にしか動かない」という得手勝手な性質を持っており、現在では中国の方向を向こうとしているようなので、何か事があれば、一斉に叩かれるでしょう。フィリピン人にはそれは無い。

  • アンミカと言うタレントがTBSのテレビ番組で「私は韓国から日本に密入国して来た」と白状した。
    アンミカは犯罪者じゃないか。

    朝鮮人は日本に居る事が出来てフィリピン人は駄目ってどう言う事だ?

  • >>738

    これについても補足説明が必要だ。とくに「済州島大虐殺」。

    この事件については、何故か我が国でも秘匿され報じられることは無いが、韓国社会理解のためには是非とも知っておかなければならない事件だ。ネット上にはかなり正確な情報が流れているので、始めに幾つかリンクを紹介しておく。

    https://matome.naver.jp/odai/2134909781967729701
    http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150528/frn1505281140002-n1.htm
    http://pixls.jp/I0001413

    一つ目は「済州島4・3事件」という虐殺事件を説明したもの、二つ目は、自国のこうしたクロ歴史をいんぺいしたまま日本を誹謗する韓国の身勝手さに関するお笑いぐさ、三つ目はその結果日本に密入国して日本に帰化した家系の有名人のリストだ。「済州島虐殺」で検索すれば幾らでも出てくる。

    韓国という国は我々日本人にはチョット理解できないくらいの差別社会で、特に古代の「倭」の一部であったとされる「全羅道」とその南に位置する「済州島」は我が国の影響を多分に受けてきた地域として見下されてきた。ただ、その見下され方には違いがあって、全羅道は「同じ人間同士の見下し差別」済州島は流刑地でも在ったことにより「家畜同然のみなし差別」をうけてきている。日本の同和問題などこれに比べれば「ずっと緩やか」だと、webには説明がされている。

    これらのwebでは、「日本に密入国してきた」と自身の口で説明がされており、在日の多くが密入国によって日本に来て、どんな方法を講じたのかは知らぬが法務省の認可を受けて「帰化」して日本人となった事が明解に判る。

    暴力団関係については、警察庁のホームページから「広域指定暴力団」のリストを見れば朝鮮名が出ているから判明する。

    我が国が如何に馬鹿にされてき、不当に利用されてきたか、ご自分で調べてみられたら如何?

  • >>737

    少し続けてみたい。

    これは聞いた話だが、大阪の南部を走る私鉄に一風変わった名前の駅がある。昔の事だが、この周辺一帯で異常な溢水がありジメジメして困っているとの話があった。でその原因を探るべく出掛けてみるとそこには被差別部落が存在していた。で色々と調べてみると、当時進められていた下水道の改修工事でその地区内だけが取り残されていたことが判った。

    河川や下水道の改修工事は原則として下流川から上流に向かって進めてゆく、上流から先に進めると未改修箇所で溢水する虞があるからだが、上記の地区では下流の改修が終わってから、地区内には手を付けず一足飛びにその上流の改修に掛かっていたのである。そのために上流の改修で流量の増加した下水が未改修部分との接点で溢水して地上を流れ、下流の接点で再度改修された水路に流れ込んでいたことが判った。「こんな事ではダメじゃ無いですか」と同行の市の職員に理由を尋ねたが返答が無い、で調査を頼んでおいたら、後になって「誰も担当したがらないので飛ばしたようだ」との解答があった。「あんな所を担当すると何をされるか判らないから」だそうであった。

    「同対法」制定当時はこのような事例があちこちで見られ、対策事業を実施することによって、地区内のみならず周辺全体が良くなる事が多かったのである。ただ改修の必要なところは全国あちらこちらにあって、限られた予算で緊急性の高いところから進めていっても後回しになる所も多く、これが「逆差別論」を発生させるようになったのである。一部の地区が事を急ぐ余り「糾弾方式の交渉」をしたことも輪を掛け、逆差別論がひそひそとささやかれるようになってしまったのである。

    差別的言動は、ご承知のように対象者の居ないところで行われる。ために対象者がいくら藻掻いても、差別言動をする者と接点が持てない。努力は総て空転する。かくてこれが新しい差別に発展して行くのである。

    勿論、一部には、どんな社会にも存在する「法による優越性を利用して自己の利益に繋げようとする者」も居たから、これらがごちゃまぜになって、混乱した状態になったと考えています。

    このような状態をどう解きほぐしてゆけば良いかは、今の僕にはまだ良く判りません。効果的な方式があるのかどうかも良く判らない状態です。時間が経過して「若者の時代」になるのを待たなければならないかも知れませんが、放ってはおけない問題だと思っています。

  • >>735

    同じ「差別事象」とされている事でも、国内問題である「未解放部落問題」と「在日朝鮮人(元日本人)問題」では発生原因も違うので僕は別々に考えるべきだと思っています。

    敗戦により酷い状態になった日本に「これ以上居ても可能性が無い」とみた当時の「元日本人」は帰国手当を貰って終戦後の早い時期に帰国してしまい、ある時期には「登録在留者」がほとんど居なくなってしまったようで、それが本国でも歓迎されなかったので闇ルートで舞い戻り再度日本で暮らすようになった。当然違法在留となるが、当時の我が国の警察は公安を担当する特高部門が解体させられていたのでその様な状態に有効に対処できなかった、のですね。そこへ「済州島大虐殺」が起きて更に不法入国在留者が増えて今の状態の原因となっている。当時の国連軍の民政部門は今のNPOの寄せ集めのような職員が多くて「理想論」ばかりを言い立て「民政の実験場」のような事ばかりやってそれに輪を掛けてきたのですからね。

    結果として今現在日本に滞在して大きな顔で「被害者ずら」をしている彼らは、南鮮も北鮮も終戦当時は我が国には居なかった連中ばかりなのです。それが、在日特権を振り回して我が国に迷惑を掛けている。こういう問題です。一言で言えば。

  • >>729

    それがですね、我が一族が今の地に住んで「根株」となったのは江戸の中頃のようで、それ以前の過去帳には全く記載が無い。で、「各家には格式というモノがあって、釣り合わぬ時には上手く行かない。好きな人が出来たらすぐにワシに告げよ、しかるべく観てみるから」とことある毎に言っていた親父の聞き伝えを頼りに中国地方のさる所を調べたら今の我が家の姓と同じ地名があったので、行ってみたが、今の宗旨の寺は無く、移動と同時に宗旨も変えていたようで、それ以上の追跡は出来ませんでした。

    それで、どんなところかを調べるべく、古い参謀本部陸地測量部の五万分の一地形図を引っ張り出して観たら、周辺に沢山の○○村と記載された被差別集落が存在していることがわかった。で、そこまでで調べを打ち切ったのですが、「特措法」の対象地区を決定するときに、約半分の集落が指定されることを拒否して「隠れ村」となっていることなどを考え合わせれば、かなりの数の人が、昔の家系のことを知らぬままに差別発言をするほうに回って居るのかも知れないな、と考えるようになりました。

    だから、本当のところは「曖昧模糊」としているので、早くこのような偏見はなくすべきだと考えています。差別をしても「自己満足」というか「自己納得」するだけで実利には余り関係しない事ですからね。法の指定を受けた集落には「新たな差別」も発生しているようだし...。

  • そもそも朝鮮人が何代にもわたって日本に居座っている事自体、日本人や他の外国人に対する差別だろ!

  • 昨日は寒かったが「お陽サマがサンサン」だったので、久しぶりにバチュにのって高山の街を徘徊してきました。秋の高山祭で有名な八幡様にも足を伸ばし、「いつもご加護を戴きありがとう御座います」と神さまにお礼を申し上げました。つづけて「あと30年で結構で御座います、ましますご加護を...」と願い事をしたら、横にいた若い女の子がゲラゲラ笑い出した。ほっといてくれたら良いのにね。

    で、牛肉の大きなブロックが手に入ったので、今日は久しぶりにステーキにします。出来上がる頃には連れ合いも勤め先から帰ってくるでしょう。ではこれから...

  • >>732

    大阪に限らず、特に最近は「難しい事態」に成ることが多くなりましたね。誰もが発言するようになり、また虎視眈々と「その機会」を狙っているからかなぁ。

    どんな世間にもその世間を支配しようとする「世間師」がいる。世間師は手口として「一段上の組織や仕組みや個人」を動かすことによってその目的を達成しようとするから、傍目には「奇妙な動き」と映るが、関心を引く程度成れば「変なの?」で放置され、結果的に世間師の思うままに事がすすむこととなる。後になってみると「そうだったのか、あの時のアレがそうだったのか、しまった」と気づくが、その時にはもぅどうにもできなくなっている。と言う経験は僕にもありますね。「後で気が付く○○病」なのかな?オット!危ない危ない...。

    周辺と摩擦を起こさずに生きる事は非常に難しい。宮沢賢治と反対の動きになるが、見て見ぬふりをする事も時には必要だと思うときもあります。が、そうすれば喰って行けないというジレンマもある。

    とかくこの世は面倒な...ですね。

  • >>731

    大阪は厳しい。講演頼まれても大阪だけはご遠慮がいいですよ。必ず講演の後で差別語使用だと突き上げが来る。言葉に敏感な筈の政治家だってよく咬みつかれるのが大阪。昔は商人の町、今はスッポンの町でございます。
     スッポンの血を呑んだことありますかな。健康に良いのなら、小便だって呑みますという人がいますな。

  • 差別糾弾によって国公立の大学に部落問題に関する研究室が設置されたのは大阪市立大学が初めてだったのでは無いかと思うが、特別聴講生や推薦によって学生を別枠で受け入れていた国公立大学は多かった。こうした事実が漏洩すると「それは誰か」という詮索が始まり、差別の上塗りになるので関係者全員合意の上で秘匿されていたが、かなりの数がこの枠で入学していたと思う。

    これは、教育の機会を通して被差別地区内に高等教育修了者を造り、全体の向上に寄与させようとするためで、教員養成系学部に多かったと思う。これは府県の教員採用部局にとっても「もっけの幸い」であったからだろう。と、言うのは関西地方の市町村には大規模な被差別地区がかなりあって、児童の多く(時にはほとんど)が出身の児童だったから、教員のなり手が少なく、府県によっては初任の学校は同和教育推進指定校とするとの内規を作っていたくらいだったからだ。教員採用面接で「最初の3年間はそこに赴任して貰うことになるがそれでも良いなら」と言われた、と聴いたことがある。なにしろ、人里離れた山中にあって教師は男先生と女先生の二人だけ、二人とも単身赴任で教員宿舎住まいだから、特に女先生などはなり手が無かったようだ。こうした学校に別枠で入学した先生を赴任させると地区からも歓迎され騒動らしきモノも起きないからである。

    農学部などもそうで、農学部というのは単に作物を作るだけでは無く、農業政策や農業法規・農業行政・農業経済・農業工学などから生活改善に至るまで、まるで小さな総合大学のように学科があり就職先(特に自治体役所)の選択に困らないからである。この学科からは国家公務員の地方職(中級職)や府県や政令指定都市の上級職(今の総合職)を沢山輩出している。

    その内にこうした特別枠学生も多く大学院に進学するようになり、今度は少ない助手や講師の座を「寄越すべきだ」となり、いろんな伝手も活用して教授職に就く者も増加してきたようである。

    こうした傾向に不公平だと不満を漏らす者も多かったが、何分「差別だ」とされると「よってたかっての個人攻撃」となるので、口をつぐんで横を向く人が多くなり、ご指摘の様な事態になったのでは無いかと思いますね。「そもそも、貧困のために教育の機会を奪われてきたために尋常の手段では追いつけない、特段の措置を講じて同じ水準まで引き上げるのが何処が悪い」と考える手合いが多いので、これからも起こりうると思いますがね。

    これをどう思うかは、あなたの考え方次第で「否定的にも肯定的にもなる」でしょう。

  • 大学でも、「差別だ」と大声を挙げて恐喝するヤクザのような男
    がいて、ただ一人の狂ったような糾弾演説に、数百人の教授会は
    ただ顔を真っ赤にして嵐が止むのを待つばかり。
    愛知は、田舎なんだなあー、と思いました。
    こんなひどい話が、男が退官するまで続きました。
    まるで、朝鮮か中国。

  • >>728

    全部謄本を取れば、江戸末期生まれまでは遡れます。
    明治時代の戸籍制度が始まった頃の生存者は記載されています。
    その先は菩提寺の過去帳を見ればかなり遡れます。
    これらは客観的な証拠となります。
    叉、当時の名前である程度は自出が推測されます。

  • >>727

    たま~に用が出来てバスで上京するのですが、時に水上バスで移動することがあります。隅田川からみる下町の裏側はなかなかの景色で、江戸がベニスに負けないくらいの「運河交通都市」であったことが良く判ります。人口も百万以上の集積があったようで、武士と御家人階級が約半分、あとは農工商や僧、それに制度的に落とされた被差別層などだったのですね。関所や橋無川などを置いて出入り統制をしていたのですが、ほぼ自由に行き来出来たようで、特に「伊勢詣で」や「ええじゃないか」参りなども在って、余り有効では無かったのでは無いかと見ています。厳格なはずの参勤交代でも列を整え威儀をただしていたのは宿場など街中だけで途中はだらだら歩き、宿の外れにある「立場」には「口入れ屋」がいっぱいあって行列の人数あわせに手を貸していたそうですね。今の「派遣」みたく、流石に「武士何人」とまでは言わなかったようですが、「槍持ち何人」「挟み箱何人」「槍隊・供歩き・刀隊・弓隊各何人」などと「先遣隊」が注文を出していたそうです。

    こんな「エー加減」を幕府が見て見ぬふりをしていたのは、一説によると表向き厳格に見える身分制度が「見てくれ」だけのモノであることを幕府が自認していたからだといいます。「ご都合的被差別民創作説」の理由でもあるのですが。

    ところで、僕も自分の家系が現実に何処までさかのぼれるかを調べてみたことがあるのですが、系図にはご立派なことが書いてあるのですが確認の取れるのは5~6代くらい前までで、後は確たる証拠が無い、テンプラであるかも知れないと判って愕然としたものです。ごく少数の家を除いては、まぁこんなモノなんでしょうね。これでは、暴力的支配をしなければ皆が納得しないとハッキリと判りましたよ。早くこのような馬鹿げた見識が無くなれば、どれほどせいせいスッキリとするか、と思いましたね。

  • >>726

    昔から江戸っ子とは三代続かなければ正式には名乗れないという。
    江戸が日本の統治の中心になってからは、士農工商が制度として厳格に
    維持する事で権力基盤を保ってきた。それ以外にはエタヒニンと称する
    いわば同和と同じような構造はあった。叉、川向うと称する江戸川の
    向こう側等の地方出身者の呼称もあった。地名では千住と称して千葉出身者
    の多かった地域を指していた。

    武家屋敷は高台に多くあり、下町とは低い東京湾や隅田川沿いに近い地域を
    指していた。日本橋も銀座も下町に入る。山の手と下町、その外れに新宿、
    渋谷などが存在する。昔は農家が多い地域だった。

  • >>725

    > 関東にも同和問題は当然存在するが、人口当たりの比率としては少ない。
    > 一つあってもあるし、百あってもあるという論理は成立する。
    > しかし関東では同和という言葉さえ知らない人も多い。

    そうかもしれないですね、関東時に江戸と言われた東京は人びとの流入流出が非常に多く、三代(約60年~80年)も江戸で生まれ育てばもぅ「江戸っ子でぇ」とおおいばりできるが、関西では500年や600年続いた老舗や守護地頭の家柄は掃いて捨てるほどある。そうしたバックグラウンドの違いや、特に幕府直轄地域として「江戸」と呼ばれた地域では、養子縁組や士株の買い取り、中間や御家人奉公などが半ば公然と行われ、武士も町人も百姓も「どんぶり勘定」の様になっていたから、「その時たまたまやっていた稼ぎ仕事の属する身分が」が「俺の身分でぃ」てなぐあいだったんでしょうね。だから明治政府の解放令の時には結構財力を持っていて差別など余りされない存在だったのではないかと考えています。

    > 大阪出張で居酒屋でこの問題を同僚と話したら、周りがいるから話すなと
    > 言われ驚いた。それほど神経過敏な問題なのを改めて気づかされた。

    それに対して関西では、経済中心地だったから士族の数が少なく、融合の機会が少なかったと言えると思います。で、居住地も固定されていたから、解放令での「士族・平民の新区分」がクッキリと残り、「新平民」浮き彫りになったのではないかと考えています。で解放運動が盛んとなりそれが政府の「同和対策」と言う事業名と結び付いて 、「解同恐ろし」の風潮となったと思いますね。それがご指摘の様な状態を生んでいる。

    > 歴史的事実と現状には乖離がある事を認識する必要がある。
    > 一部を全体に置き換えると実態を見失う。

    確かにそうかもしれません。
    ただ僕は、これらの差別被差別の対立構造は、当時地域の支配をゆだねられた守護・地頭や庄屋などが「苛烈な搾取に反抗する勢力となって自分たちに向かってこないように」あれこれと理屈を付けて人為的に「対立構造」をでっち上げたモノで、当時の人びとはそれを十分理解した上で付き合っていたが、時の経過と共にその発生理由が忘れられて、上下意識だけが残った、と見ていますから、「無実無根の差別」で在ることは確かだと考えています。

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