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  • >>298

    秩序維持における警察の役割の真髄は、コミュニティによるインフォーマル・コントロールのメカニズムを強化することにある。警察は、莫大な費用を費やさない限り、そのインフォーマル・コントロールに代るものを提供することは出来ない。一方この自然な力を強化するために、警察はそれに適応しなければならず、ここに問題が生じるのである。
    警察の街での活動は、その州の規定よりもそれぞれの地域の基準に合わせて行われた方がいいのであろうか? 過去20年以上の間に、警察の役割は秩序維持から法の執行へと、法の制限の下、メディアの非難によって引き起こされたり、裁判所の決定によって実施されたり、官僚に指示されたりしながら移行していった。その結果、現在警察の秩序維持の役割は、警察と容疑者の関係をコントロールするために決められた規則によって支配されている。我々は、これを全く新しい展開だと思う。過去何世紀にもわたり、見張り人としての警察の役割は、適切な手順での応諾によってというよりも、望まれている状態に到達することによって主に評価されていた。その状態というのは秩序の保たれた状態である。
    本質的に不明瞭なものではあるが、秩序が保たれている地域の住民は認識できるものである。その地域の住民が決然としていて勇敢であることが、その状態を得る手段であった。
    一方、犯罪者を見つけて逮捕することは、目的到達への手段であって、それだけで目的に到達したというわけではなかった。司法による有罪・無罪の判決は、法執行形式の望まれた結果であった。法の厳重さは州によって違うものの、警察は、手順を明らかにして規定を守ることを初めから期待されていた。犯罪者逮捕は、過剰な暴力を用いることなく、個人の人権を守りながら行われるものとされていた。暴力的な警察官は、裁判官や陪審員のような態度をとることがあり、そうするべきではないからである。有罪か無罪かの判断は、特別な手続きの元、共通の基準で下されるべきものなのである。
    通常、裁判官も陪審員も、あるレベル以上の秩序の保たれた地域で起こった争いの中で逮捕された人物に会うことはまずない。ほとんどケースが通りで非公式に処理されているからだけではなく、一般の基準で無秩序の中で起こった争いを解決することは出来ないからである。従って裁判官が警察官よりも有能であるとは言えない。ごく最近まで多くの都市で、また現在でもいくつかの都市で、警察は“容疑者”、“放浪”、“公共の場での酔っ払い”という法的には効力のない状態で逮捕していた。これは、地域の住民が、放浪者や酔っ払いを裁いて欲しかったからではなく、街の秩序を保つ努力をした上で上手くいかなかった場合に、警察官にそういう者を追い払う権限を持っていて欲しかったからである。
    一般の基準を適用しながら活動する警察のあり方を考えてみると、何を基準に“望ましくない者”とし、なぜ放浪者や酔っ払いを“犯罪者”とすべきなのかを問う必要に迫られる。
    政党に扱われたいという強く好ましい欲求を持つ私たちは、警察に漠然とした偏狭的基準で望ましくない人物を追放することを許してしまうのではないだろうか、と心配になる。発展してきているがあまり好ましくないとされる功利主義は、他の人に害を与えなくても違法とするべきだとする点で我々に疑問を投げかける。そのため、警察を見ている人達の多くは、住民がして欲しいと思っていることを警察に行わせることを躊躇するのである。
    他人を害してはいないいかがわしい行為を“批判罪化”する、すなわち警察が地域の秩序を保つのに行える行為の範囲を狭めることは、我々の考えでは間違いである。誰かに害を与えたという証拠のない酔っ払いを一人、放浪者を一人逮捕することは不条理に思える。
    確かにそうかもしれない。

  • >>299

    しかし20人の酔っ払い、100人の放浪者に対しても何もしないでいると、地域全体が破滅に向かうであろう。個々に対応するのに適した特殊なルールは、それが一般の基準とされて全てのケースに当てはめられるとふさわしいものではなくなる。ほったらかしにされた一枚の壊れたガラスと何千枚もの壊れた窓ガラスとの関係を考慮に入れていないために、ふさわしいものではないとされるのである。勿論、警察以外の機関が酔っ払いや精 神異常者が起こす問題に取り組むこともできるが、“非施設化”運動が高まっている地域などでは特に実施されない。公正さに関する懸念はより深刻なものである。同じ行為でもそれぞれの人によって感じられ方が違う。年齢や肌の色、国籍などが、望ましい行為か否かの判断の基準にならないとは言い切れないのではないだろうか。要するに、警察が地域の固定観念によって動かされる機関になってしまう可能性がないとは言い切れないのではないか、ということである。
    我々は、この重要な疑問に大して完全に満足の行く答えを述べることは出来ない。警察が訓練、指揮されることによって、一任された権限の客観的な制限を明確に説き聞かせられることを期待するということ以外に、満足のいく答えはないのではないかと思う。その制限とは、簡単に言うと、警察は行動を規制するために存在するものであって、その地域の人種や民族の純粋さを保つためにではないということである。
    大規模な公営住宅プロジェクとの一つであるシカゴのロバート・テイラー・ホームズのケースを見てみるとしよう。サウスステート通りにある92エイカー(約37万平方メートル)もの住宅地に、2万人近くの黒人が暮らしている。1940年代にシカゴ住宅局長を勤めた黒人の名前からこの住宅名がつけられた。開設から間もない1962年には、そこの住民と警察との関係がひどく悪化した。住民は、警察は無神経で残忍であると感じ、そして警察はいわれのない暴力を受けたと不平を訴えた。シカゴの警察官の中には、その住宅地域に入ることを恐れる者もいた。そして犯罪率は暴騰した。
    今日では様子は違っている。警察と住民の両者とも過去の経験から何かを学び取ったようで、両者の関係は改善されている。最近では、ある少年が財布を盗むと、それを目撃した数人の若者がその少年に関する情報を他の住民に見られながらも警察に流す、しかし、住民を威嚇し、メンバーを増やし続けている若者のギャンググループの存在という問題がまだある。住民は警察がそれに関して何かをしてくれることを期待しており、警察もまたその期待に応えようとしている。
    しかし、何をすればよいのだろうか。ギャングのメンバーが法に触れることをした時に警察が逮捕することはできるが、ギャングは又構成され、法に触れない程度に活動していくであろう。ギャングに関係する犯罪の一部を逮捕によって解決したとしても、住民の恐怖心は解消されない。警察は希望を失い、住民はまた「警察は何もしてくれない」と思い始めるであろう。警察が実際にしていることは、よく知られたギャングのメンバーを敷地内から追い出すことである、ある警察官の言葉によると「尻を蹴飛ばす」だそうであり、住民もこのことを理解し、承認している。警察とギャングとの対立でギャングに勝ち目はないという警察の信念により、警察と住民の暗黙の同盟心は一層強いものとなっている。
    このことを、適性手続きや公正な処遇と上手く調和させることは難しい。住民とギャングの両方ともが黒人であるので、人種が要因ではないことは分かる。それが要因になることもある。白人の住民と黒人のギャング、またはその反対の対立を想像してみるとよい。その場合、警察がどちらかの肩を持つのではないかと懸念するであろう。しかし実在する問題に変化はない。

  • >>300

    公共の場での恐怖心を最小限のものにするために、警察はどのように地域のインフォーマルな社会統制のメカニズムを強化することができるであろうか。
    法執行自体が答えにならない。ギャングは威嚇するような服装で乱暴な話し方をすることで、法に触れることなく地域を破壊することができるのであるから。
    このような問題を考えるのは困難なことである。倫理的、また法律上の争点が複雑だからというだけではなく、私たちが法律を本質的に個人主義のものとして捉えるようになったためである。法律はワタシの権利に定義を下し、コノ危害のためにアノ警察官がソノ人物の行動を罰する。この考え方から、個人にとってよいことは地域にとっても同様であり、個人にとって対して問題ではないことは多くの人に対して起こってもまた同様であると思われる。通常、これはもっともらしい仮設である。しかし、ある一人の人にとってなんでもないことが他の多くの人にとっては我慢できないような場合、その多数の人の恐れ、撤退、脱出などの反応が、最初になんでもないと思っていた人も含む全ての人にとって、状況を悪い方向に向かわせる。それは個人の必要性に反するあり方のコミュニティへ示す敏感な反応であり、なぜ小さな地域社会の住民の方が大都市に似たような地域の住民よりも警察に満足しているのかを表すものである。インディアナ大学のエリノア・オストロムらは、警察の職務に対する理解度を、イリノイ州にある黒人の住む二つの街、フィニックスとイーストシカゴハイツそしてシカゴにあるやはり黒人の住む三つの街とを比較してみた。犯罪による被害のレベルや警察と地域住民との関係の質はどの街でも同じようなものであった。しかし、シカゴ市内の住民よりもフィニックスとイーストシカゴハイツの住民の方が、犯罪を恐れて家に閉じこもることが少ないと言い、警察には問題解決のために、‘必要な行為’をとる権利があると考え、警察は一般住民が必要とする助けに注意を払うべきだと考えていることが分かった。小さな地域の住民と警察は、そのコミュニティの一定のレベルを保つために共に努力するように努めているのに対し、大都市の住民と警察は、個人主義を基本にやり取りしているのではないかと考えられるのではないだろうか。
    もしこれが本当であれば、警察は、どのように不十分な部隊を容量よく展開していけばいいのだろうか。誰にもその答えははっきりと分からないのだが、とるべき最も賢明な行為としては、ニューアークでの実験結果を活かして、どのような地域にどのような対応が必要かを正確に判断していくことが挙げられると思われる。また、地域の秩序を維持するのに、可能な限り警察が関与しないで済む防護手段をとることである。いずれにしても、善良な住民の方が評判の悪い人物よりも多ければ、インフォーマルな社会統制の効果を上げることができるであろう。
    たとえ荒廃しきった危険な地域でも、警察が関与しない住民による活動は効果的であろう。街角にたむろするのが好きな若者などと話し合うことによって、集まってよい場所や時間、人数などのルールをお互いの同意の元に設定することもできる。
    ルールの設定に同意が得られない場合には、住民によるパトロールも効果的であろう。秩序維持に対する地域の関与には、二つの慣例がある。一つは、“コミュニティの見張り人”であり、これは新世界の開拓の頃からのものである。19世紀頃まで、警察官ではなくボランティアの監視人が秩序を保つために巡回していた。それは、法を行使せずに、罰を与えたり暴力を振るったりすることなく行われた。彼らの存在は秩序破壊を思いとどまらせ、また住民に対しての警鐘となった。現在では、国中の多くの都市でこのような努力がなされている。最もよく知られているのはガーディアン・エンジェルスではないだろうか。

  • >>301

    Tシャツに特徴的なべレー帽姿の武器を持たない若者のグループである。ニューヨークの地下鉄をパトロールすることで知られるようになったが、今ではアメリカの30都市に支部を持っている。犯罪に対するこのグループの効果は、残念ながらあまりないようである。しかしながら、彼らの存在が住民に安心感を与え、秩序を保つのに貢献していると思われるのである。
    もう一つの慣例は、“自警団”である。東部の移住者が定住した開拓地で、政府が関与する以前に認められた、350以上の自警団があったとされ、その特徴は、警察官としてだけではく裁判官、陪審員、そしてしばしば執行人として、法を自らのものにしていたことである。今日では、古い街が“都市開拓地”とされていることに住民が恐怖感を表しているにも関わらず、自警団は珍しいものとして捉えられている。しかし、ある地域での監視人たちはその団体との境界線を近いものとし、近い将来その線を越えるものもでてくるであろう。ウォールストリートジャーナルで報告された両方ととれるケースは、ニュージャージー州シルバーレイク地域での市民によるパトロールである。リーダーは、“外部者に気を付けている”と言う。地域外からの若者数人がやってきた場合、どんなようか尋ね、若者が「ジョーンズさんに会いに着ました」と言えば通す。しかし本当にジョーンズさんに会いに行くのかを確かめるために後をつける、といった具合である。
    住民の力も大きいが、秩序維持の鍵になるのはやはり警察である。まず、ロバートテイラーホームズのような住宅地域の多くは、自らの力だけでは秩序を守りきれない。また、たとえ落ち着いた地域の住民でも、バッヂをつけているような責任感は感じないと言う。心理学者は、人々はなぜ他人が襲われて助けを求めている時に何もできないのか、ということに関して多くの研究をし、その原因は“無関心”や“自己中心”にあるのではなく、それぞれが持つべき基本的な責任感の欠如にあるとした。皮肉なことに、責任からの回避は周りに大勢の人がいる時の方がし易い。秩序が必要とされる街の通りや公共の場所では、多くの人が“傍観者”になりやすく、その地域を守る人として行動する機会を少なくしている。警察官の制服が、必要とされた時に責任を果たすべき人とするのである。それに加え、住民に比べて警察官には、何が街の安全を守るために必要とされるのか、また何が単に人種の統一のためのことなのかの判断をまかせられるのである。
    しかしながらアメリカ警察の人員は増えることなく、むしろ減っているのが現状である。いくつかの都市では、稼働可能な警察官の数の削減を余儀なくされた。今後もこのような状況はしばらく続くと思われる。そのため、どの部署でも元警察官に対しての配慮が必要とされる。いくつかの地域は徒歩パトロールが役に立たない程犯罪が多く荒廃している。限られた数の警察官でできることは、必要とされる多くの要求に応えることである。落ち着いていて安全な、徒歩パトロールが不要な地域もあるのである。秩序は崩壊しているがまだ改善の余地がある地域、人出はあるが恐れている人が多い通り、いつでも窓ガラスが割られているが全てが割られているのではなくすぐに修繕が必要な地域、などまだ改善するのに間に合う地域を見極めることが大切なのである。
    ほとんどの警察署では、システム的にそのような地域を認識して警察官を配置するような体制ができていない。警察官は、犯罪率によって配置され(そのため治安が乱れてきているような場所は対象外とされ、改善不可能と思われるような地域での犯罪調査にあたることになる)、また出動要請の電話の数によって配置されるのである。(多少怖い思いをしたぐらいでは電話をしないものなのだが)。

  • 岩国市在住20歳男です。
    まだ若いので元気です。
    質問などあったら気軽にコメントください。

  • Tシャツに特徴的なべレー帽姿の武器を持たない若者のグループである。ニューヨークの地下鉄をパトロールすることで知られるようになったが、今ではアメリカの30都市に支部を持っている。犯罪に対するこのグループの効果は、残念ながらあまりないようである。しかしながら、彼らの存在が住民に安心感を与え、秩序を保つのに貢献していると思われるのである。
    もう一つの慣例は、“自警団”である。東部の移住者が定住した開拓地で、政府が関与する以前に認められた、350以上の自警団があったとされ、その特徴は、警察官としてだけではく裁判官、陪審員、そしてしばしば執行人として、法を自らのものにしていたことである。今日では、古い街が“都市開拓地”とされていることに住民が恐怖感を表しているにも関わらず、自警団は珍しいものとして捉えられている。しかし、ある地域での監視人たちはその団体との境界線を近いものとし、近い将来その線を越えるものもでてくるであろう。ウォールストリートジャーナルで報告された両方ととれるケースは、ニュージャージー州シルバーレイク地域での市民によるパトロールである。リーダーは、“外部者に気を付けている”と言う。地域外からの若者数人がやってきた場合、どんなようか尋ね、若者が「ジョーンズさんに会いに着ました」と言えば通す。しかし本当にジョーンズさんに会いに行くのかを確かめるために後をつける、といった具合である。
    住民の力も大きいが、秩序維持の鍵になるのはやはり警察である。まず、ロバートテイラーホームズのような住宅地域の多くは、自らの力だけでは秩序を守りきれない。また、たとえ落ち着いた地域の住民でも、バッヂをつけているような責任感は感じないと言う。心理学者は、人々はなぜ他人が襲われて助けを求めている時に何もできないのか、ということに関して多くの研究をし、その原因は“無関心”や“自己中心”にあるのではなく、それぞれが持つべき基本的な責任感の欠如にあるとした。皮肉なことに、責任からの回避は周りに大勢の人がいる時の方がし易い。秩序が必要とされる街の通りや公共の場所では、多くの人が“傍観者”になりやすく、その地域を守る人として行動する機会を少なくしている。警察官の制服が、必要とされた時に責任を果たすべき人とするのである。それに加え、住民に比べて警察官には、何が街の安全を守るために必要とされるのか、また何が単に人種の統一のためのことなのかの判断をまかせられるのである。
    しかしながらアメリカ警察の人員は増えることなく、むしろ減っているのが現状である。いくつかの都市では、稼働可能な警察官の数の削減を余儀なくされた。今後もこのような状況はしばらく続くと思われる。そのため、どの部署でも元警察官に対しての配慮が必要とされる。いくつかの地域は徒歩パトロールが役に立たない程犯罪が多く荒廃している。限られた数の警察官でできることは、必要とされる多くの要求に応えることである。落ち着いていて安全な、徒歩パトロールが不要な地域もあるのである。秩序は崩壊しているがまだ改善の余地がある地域、人出はあるが恐れている人が多い通り、いつでも窓ガラスが割られているが全てが割られているのではなくすぐに修繕が必要な地域、などまだ改善するのに間に合う地域を見極めることが大切なのである。
    ほとんどの警察署では、システム的にそのような地域を認識して警察官を配置するような体制ができていない。警察官は、犯罪率によって配置され(そのため治安が乱れてきているような場所は対象外とされ、改善不可能と思われるような地域での犯罪調査にあたることになる)、また出動要請の電話の数によって配置されるのである。(多少怖い思いをしたぐらいでは電話をしないものなのだが)。

  • 公共の場での恐怖心を最小限のものにするために、警察はどのように地域のインフォーマルな社会統制のメカニズムを強化することができるであろうか。
    法執行自体が答えにならない。ギャングは威嚇するような服装で乱暴な話し方をすることで、法に触れることなく地域を破壊することができるのであるから。
    このような問題を考えるのは困難なことである。倫理的、また法律上の争点が複雑だからというだけではなく、私たちが法律を本質的に個人主義のものとして捉えるようになったためである。法律はワタシの権利に定義を下し、コノ危害のためにアノ警察官がソノ人物の行動を罰する。この考え方から、個人にとってよいことは地域にとっても同様であり、個人にとって対して問題ではないことは多くの人に対して起こってもまた同様であると思われる。通常、これはもっともらしい仮設である。しかし、ある一人の人にとってなんでもないことが他の多くの人にとっては我慢できないような場合、その多数の人の恐れ、撤退、脱出などの反応が、最初になんでもないと思っていた人も含む全ての人にとって、状況を悪い方向に向かわせる。それは個人の必要性に反するあり方のコミュニティへ示す敏感な反応であり、なぜ小さな地域社会の住民の方が大都市に似たような地域の住民よりも警察に満足しているのかを表すものである。インディアナ大学のエリノア・オストロムらは、警察の職務に対する理解度を、イリノイ州にある黒人の住む二つの街、フィニックスとイーストシカゴハイツそしてシカゴにあるやはり黒人の住む三つの街とを比較してみた。犯罪による被害のレベルや警察と地域住民との関係の質はどの街でも同じようなものであった。しかし、シカゴ市内の住民よりもフィニックスとイーストシカゴハイツの住民の方が、犯罪を恐れて家に閉じこもることが少ないと言い、警察には問題解決のために、‘必要な行為’をとる権利があると考え、警察は一般住民が必要とする助けに注意を払うべきだと考えていることが分かった。小さな地域の住民と警察は、そのコミュニティの一定のレベルを保つために共に努力するように努めているのに対し、大都市の住民と警察は、個人主義を基本にやり取りしているのではないかと考えられるのではないだろうか。
    もしこれが本当であれば、警察は、どのように不十分な部隊を容量よく展開していけばいいのだろうか。誰にもその答えははっきりと分からないのだが、とるべき最も賢明な行為としては、ニューアークでの実験結果を活かして、どのような地域にどのような対応が必要かを正確に判断していくことが挙げられると思われる。また、地域の秩序を維持するのに、可能な限り警察が関与しないで済む防護手段をとることである。いずれにしても、善良な住民の方が評判の悪い人物よりも多ければ、インフォーマルな社会統制の効果を上げることができるであろう。
    たとえ荒廃しきった危険な地域でも、警察が関与しない住民による活動は効果的であろう。街角にたむろするのが好きな若者などと話し合うことによって、集まってよい場所や時間、人数などのルールをお互いの同意の元に設定することもできる。
    ルールの設定に同意が得られない場合には、住民によるパトロールも効果的であろう。秩序維持に対する地域の関与には、二つの慣例がある。一つは、“コミュニティの見張り人”であり、これは新世界の開拓の頃からのものである。19世紀頃まで、警察官ではなくボランティアの監視人が秩序を保つために巡回していた。それは、法を行使せずに、罰を与えたり暴力を振るったりすることなく行われた。彼らの存在は秩序破壊を思いとどまらせ、また住民に対しての警鐘となった。現在では、国中の多くの都市でこのような努力がなされている。最もよく知られているのはガーディアン・エンジェルスではないだろうか。

  • しかし20人の酔っ払い、100人の放浪者に対しても何もしないでいると、地域全体が破滅に向かうであろう。個々に対応するのに適した特殊なルールは、それが一般の基準とされて全てのケースに当てはめられるとふさわしいものではなくなる。ほったらかしにされた一枚の壊れたガラスと何千枚もの壊れた窓ガラスとの関係を考慮に入れていないために、ふさわしいものではないとされるのである。勿論、警察以外の機関が酔っ払いや精 神異常者が起こす問題に取り組むこともできるが、“非施設化”運動が高まっている地域などでは特に実施されない。公正さに関する懸念はより深刻なものである。同じ行為でもそれぞれの人によって感じられ方が違う。年齢や肌の色、国籍などが、望ましい行為か否かの判断の基準にならないとは言い切れないのではないだろうか。要するに、警察が地域の固定観念によって動かされる機関になってしまう可能性がないとは言い切れないのではないか、ということである。
    我々は、この重要な疑問に大して完全に満足の行く答えを述べることは出来ない。警察が訓練、指揮されることによって、一任された権限の客観的な制限を明確に説き聞かせられることを期待するということ以外に、満足のいく答えはないのではないかと思う。その制限とは、簡単に言うと、警察は行動を規制するために存在するものであって、その地域の人種や民族の純粋さを保つためにではないということである。
    大規模な公営住宅プロジェクとの一つであるシカゴのロバート・テイラー・ホームズのケースを見てみるとしよう。サウスステート通りにある92エイカー(約37万平方メートル)もの住宅地に、2万人近くの黒人が暮らしている。1940年代にシカゴ住宅局長を勤めた黒人の名前からこの住宅名がつけられた。開設から間もない1962年には、そこの住民と警察との関係がひどく悪化した。住民は、警察は無神経で残忍であると感じ、そして警察はいわれのない暴力を受けたと不平を訴えた。シカゴの警察官の中には、その住宅地域に入ることを恐れる者もいた。そして犯罪率は暴騰した。
    今日では様子は違っている。警察と住民の両者とも過去の経験から何かを学び取ったようで、両者の関係は改善されている。最近では、ある少年が財布を盗むと、それを目撃した数人の若者がその少年に関する情報を他の住民に見られながらも警察に流す、しかし、住民を威嚇し、メンバーを増やし続けている若者のギャンググループの存在という問題がまだある。住民は警察がそれに関して何かをしてくれることを期待しており、警察もまたその期待に応えようとしている。
    しかし、何をすればよいのだろうか。ギャングのメンバーが法に触れることをした時に警察が逮捕することはできるが、ギャングは又構成され、法に触れない程度に活動していくであろう。ギャングに関係する犯罪の一部を逮捕によって解決したとしても、住民の恐怖心は解消されない。警察は希望を失い、住民はまた「警察は何もしてくれない」と思い始めるであろう。警察が実際にしていることは、よく知られたギャングのメンバーを敷地内から追い出すことである、ある警察官の言葉によると「尻を蹴飛ばす」だそうであり、住民もこのことを理解し、承認している。警察とギャングとの対立でギャングに勝ち目はないという警察の信念により、警察と住民の暗黙の同盟心は一層強いものとなっている。
    このことを、適性手続きや公正な処遇と上手く調和させることは難しい。住民とギャングの両方ともが黒人であるので、人種が要因ではないことは分かる。それが要因になることもある。白人の住民と黒人のギャング、またはその反対の対立を想像してみるとよい。その場合、警察がどちらかの肩を持つのではないかと懸念するであろう。しかし実在する問題に変化はない。

  • 秩序維持における警察の役割の真髄は、コミュニティによるインフォーマル・コントロールのメカニズムを強化することにある。警察は、莫大な費用を費やさない限り、そのインフォーマル・コントロールに代るものを提供することは出来ない。一方この自然な力を強化するために、警察はそれに適応しなければならず、ここに問題が生じるのである。
    警察の街での活動は、その州の規定よりもそれぞれの地域の基準に合わせて行われた方がいいのであろうか? 過去20年以上の間に、警察の役割は秩序維持から法の執行へと、法の制限の下、メディアの非難によって引き起こされたり、裁判所の決定によって実施されたり、官僚に指示されたりしながら移行していった。その結果、現在警察の秩序維持の役割は、警察と容疑者の関係をコントロールするために決められた規則によって支配されている。我々は、これを全く新しい展開だと思う。過去何世紀にもわたり、見張り人としての警察の役割は、適切な手順での応諾によってというよりも、望まれている状態に到達することによって主に評価されていた。その状態というのは秩序の保たれた状態である。
    本質的に不明瞭なものではあるが、秩序が保たれている地域の住民は認識できるものである。その地域の住民が決然としていて勇敢であることが、その状態を得る手段であった。
    一方、犯罪者を見つけて逮捕することは、目的到達への手段であって、それだけで目的に到達したというわけではなかった。司法による有罪・無罪の判決は、法執行形式の望まれた結果であった。法の厳重さは州によって違うものの、警察は、手順を明らかにして規定を守ることを初めから期待されていた。犯罪者逮捕は、過剰な暴力を用いることなく、個人の人権を守りながら行われるものとされていた。暴力的な警察官は、裁判官や陪審員のような態度をとることがあり、そうするべきではないからである。有罪か無罪かの判断は、特別な手続きの元、共通の基準で下されるべきものなのである。
    通常、裁判官も陪審員も、あるレベル以上の秩序の保たれた地域で起こった争いの中で逮捕された人物に会うことはまずない。ほとんどケースが通りで非公式に処理されているからだけではなく、一般の基準で無秩序の中で起こった争いを解決することは出来ないからである。従って裁判官が警察官よりも有能であるとは言えない。ごく最近まで多くの都市で、また現在でもいくつかの都市で、警察は“容疑者”、“放浪”、“公共の場での酔っ払い”という法的には効力のない状態で逮捕していた。これは、地域の住民が、放浪者や酔っ払いを裁いて欲しかったからではなく、街の秩序を保つ努力をした上で上手くいかなかった場合に、警察官にそういう者を追い払う権限を持っていて欲しかったからである。
    一般の基準を適用しながら活動する警察のあり方を考えてみると、何を基準に“望ましくない者”とし、なぜ放浪者や酔っ払いを“犯罪者”とすべきなのかを問う必要に迫られる。
    政党に扱われたいという強く好ましい欲求を持つ私たちは、警察に漠然とした偏狭的基準で望ましくない人物を追放することを許してしまうのではないだろうか、と心配になる。発展してきているがあまり好ましくないとされる功利主義は、他の人に害を与えなくても違法とするべきだとする点で我々に疑問を投げかける。そのため、警察を見ている人達の多くは、住民がして欲しいと思っていることを警察に行わせることを躊躇するのである。
    他人を害してはいないいかがわしい行為を“批判罪化”する、すなわち警察が地域の秩序を保つのに行える行為の範囲を狭めることは、我々の考えでは間違いである。誰かに害を与えたという証拠のない酔っ払いを一人、放浪者を一人逮捕することは不条理に思える。
    確かにそうかもしれない。

  • >>216

    はじめまして。私は42歳♂です。

    もしよければ、お相手してもらえませんか?連絡お待ちしています。

  • >>279

    表示名: fnr***** ID: fnrtyujbvyhty6777778ad http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=iRevCZNyujPg1P990meDa7Wpy6toSZlq.0CP



    ID: aflyu75ysdjg / step_one http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=_uLqorJ1si0QwBZfiULNqRU-
    ID: akkina_v23 / 明菜 http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=Jc39kmt1vyrVDlK32oZh
    ID: alane12621 / ala***** http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=HCNM8fR1uCCnE611vxqj
    ID: ayaka771103m / あやか http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=y5kD4bh1rSBU0Rlq2UYNTg8-
    ID: ayano771103 / あやの http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=T4yv66t1rSBtcPOwKn3tDQ--
    ID: bcaf45gsdtfk / step_one http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=ppiD..B2tyBmBUdyV6YAa7k-
    ID: bcafedpgo / ひなの http://textream.yahoo.co.jp/personal/history/comment?user=mKXsaxV2tyBHpFsIIe0-
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  • >>290

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