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日本に落とした原爆を、テニアン島に運んだ「インヂィアナポリス号」がフィリッピン海で発見されたニュースを聴きました。私も上梓した本の中で「インヂィアナポリス号」のことを書いているので、その一部を抜き出します。

  「エノラ・ゲイ」と名付けられたこの爆撃機は、操縦士であるポール・ティベッツ大佐の母親から取ったもので、機内には「リトル・ボーイ」と呼ばれる原子爆弾が積み込まれてあった。広島を目標にした理由は、近くに軍事工場や陸軍の兵站基地などがあり、且つ人口の多い都市ということで「広島」が目標にされたのであった。このミッションにはエノラ・ゲイの他に、原爆の威力を測定するB29科学観測機と写真撮影用に九一号機の二機が同行した。
 
  「エノラ・ゲイ」には、操縦士のポール・ティベッツ、副操縦士のロバート・ルイス、爆撃手のフィリビーの他に九名の搭乗員がそれぞれの持ち場に張り付いていた。やがて、北方に向けて飛行を続けていた機体の右側の空が微かに白み始めると、エノラ・ゲイは確実に日本に向けて飛んでいることが判った。あと数時間で目標に到達するところまで飛来していた。搭乗員十二名の緊張は刻一刻と深まって行った。

  この「リトル・ボーイ」はニューメキシコ州で核実験に成功したあと、重量四トンのウラン二三五型原子爆弾に製造され、七月十七日に大型巡洋艦「インディアナポリス」に積み込まれサンディエゴ軍港を出航した。途中ハワイで給油したが、七月二十七日にはB29が待機するテニアン島に着いた。無事に輸送は行われ任務は完了した。そして次の任務地であるレイテ湾に向かった。  
 ところが、七月三十日になった午前十二時過ぎ、日本海軍の潜水艦「伊・五十八号」によって撃沈されてしまった。この巡洋艦には千百九十六名の乗組員がいたが、九百余名が海上に脱出した。ボートに乗れなかった乗組員は浮具を付け集団になり漂流していた。ところが撃沈された辺りは「サメ」の多い地域で、集団の外側にいた者から攻撃を受け始め、血の匂いのする現場には百匹以上のサメが集まり、漂流している者の下半身に鋭い歯をむけた。四日後に捜策機によって発見され、駆けつけた駆逐艦が浮遊している死体を引き上げると、殆どが下半身を食いちぎられており、五百八十五名がサメの餌食となった。勿論、この惨事をエノラ・ゲイに搭乗している者たちは知る由もなかった。

島津惟新義弘公 日本に落とした原爆を、テニアン島に運んだ「インヂィアナポリス号」がフィリッピン海で発見されたニュース