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大沢野をどうする

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  • 2016/10/11 21:45
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    *****

    大沢野関係の投稿をみていると
    情けなく、恥ずかしくなります。

    ◆例えば
    <独り言の広場です (レス厳禁)>は
    <大沢野の広場>ではありません。
    他地区の方々のことも考えてみませんか?

    ◆新しいトピック
    <大沢野をどうする>に
    大沢野の「夢・希望・不平不満・ボヤキ」等を曝け出し、
    みんなで大沢野の再生を考えませんか?

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  • 八尾の爺だけど。
    おらと呉羽の人見知りの爺だけやちゃ。
    寂しいのう。

  • 大沢野をどうする
    スレッドの主さんは、今年、桜の咲く頃。
    急な病でお亡くなりに成られました。
    約5年間、ありがとうございました。

  • 「大沢野老連だより」によれば、

    昭和38年4月に設立された【大沢野町老人クラブ連合会】が設立され、
    52年後の平成26年4月に 【大沢野老人クラブ連合会】に改称されたと言います。
    つまり、設立当時の【大沢野町老人クラブ連合会】から【町】の字が消えたのです。

    ◆八尾町や婦中町と異なり、【大沢野町】は消滅したので、当然と言えば当然かもしれませんが、

    【町】の一字があれば一つに纏まりやすくなるのではないでしょうか?

    どうか【大沢野老人クラブ連合会】の皆様

    【町】の復活、【町】の再生をご検討くださいますようお願い申し上げます。

  • ご投稿ありがとうございした

    dou*****様・ss1*****様

    今後とも「ふるさと大沢野」のため、ご投稿くださいますようお願い申し上げます。

    ◆<大沢野が衰退しているのだとすれば、笹津線の廃止とは別のところに理由がある気がします。>とのご意見

     例えば、バスは表面上20分に1本になっていすが、市民病院前12時41分発の次のバスは13時01分の坂本2区行きです。従って、田村町・笹津間の住民は利用できないのです。

    大沢野工業高校が廃校になってから4年。再検討すべきではないでしょうか?

    ◆<大沢野の発展を目指すならば、まず教育改革が必要だ。>とのご意見。

    以前、いじめ問題が話題になっていた時、私は考えていました。
    「根底には、旧大久保中学校と旧大沢野中学校、つまり、歴史の古い大久保町と成り上り者と言われる大沢野町とのアイデンティティに違いがあるのではないか」と。

     最悪の時は、富山市大久保町☓☓。富山市大沢野町☓☓と大字の変更を考えてもいいのではないでしょうか?

    ◆<大沢野の衰退が始まるとしたら、それは、国道41号線のバイパス(富山南大沢野道路)が開通した時である>とのご意見には大賛成です。

    私は3年前に運転免許を返上し、自転車を利用していましたが、歩道の狭さに危険を感じていました。(農業用水に蓋をしただけの歩道です)

     体調を崩した今、どうすればいいのか迷っていています。

  • 大沢野の衰退が始まるとしたら、それは、国道41号線のバイパス(富山南大沢野道路)が開通した時である。

    バイパスが開通すると、いままでは現在の41号線を通行していたドライバーがバイパスへ流れる。
    すると、ガソリンスタンド、コンビニ、飲食店、様々な店舗が撤退するだろう。

    ましてや、現在国道41号線の渋滞は酷いだろうか?

  • 地鉄笹津線が存続されていれば…と思うことはあります。
    ですが、私は現在の大沢野において、笹津線が復活する必要性を感じません。

    路線バスと比較したときの鉄道の利点って何でしょう。
    大量の人員を高速かつ低廉に輸送できることと、渋滞がないから時刻表通りの正確な運行ができることではないでしょうか。
    バスの乗車定員は50人、単行電車の定員は80人程度でしょうか。

    私は41号線を自動車通勤していますが、路線バスの積み残しが発生しているのを見たことがありません。輸送力は現状で十分とみます。
    富山の41号線は渋滞はあまり起こらないので、バス利用者に影響が及ぶくらいのひどい遅延はめったに発生しません。

    仮に鉄道路線が復活したとして、20分に1本というバス並みの運行本数は確保できるでしょうか?
    運行経費や保線費用を市や県が補助金の形で出すのであれば、それこそ市民の血税で賄われることになりますね。
    廃線跡を整備した県道65号線は、沿線が相応に発展しました。廃道にして鉄道を整備するのは合理的ではない気がします。

    私には大沢野の住民が、地鉄笹津線の復活を切望しているとは思えないのです。

    大沢野が衰退しているのだとすれば、笹津線の廃止とは別のところに理由がある気がします。

  • 16文字の碑文

    県庁正面左側の石碑が
    3月初旬の北日本新聞の「記者席」に紹介されていました。  
     
    ◆>爾(なんじ)の俸(ほう)、爾(なんじ)の禄(ろく)は、
    >民(たみ)の膏(こう)、民(たみ)の脂(し)なり・・・・・・

    ・・・・・・部分に何が書かれているのか気になり
    石碑を見てきました。

    ◆碑文は・・・・・・部分を含めて16文字。
    想像以上に小さく、地味で、目立たないものでしだ。
    下記は、その全文です。

    ≪爾俸爾禄  民膏民脂   下民易虐  上天難欺≫

    ◆つまり、
    ≪公僕の給料は、住民の血税である。
    住民を虐げることができても、天をだますことはできない≫
    と云う意味だと思います。

    ◆今、県庁には、この碑文を参考に、県民に奉仕するため、
    行政改革を積極的に推進しようという動きがあるようです。

    ◆この石碑は昭和42年に、故佐伯宗義氏が寄贈されたそうです。
    昭和42年10月10日、笹津線の市内乗り入れが打り切りになりました。
    この石碑を寄贈された当時の、佐伯宗義氏のお気持ちは、
    如何ばかりだったでしょうか?  

    ◆帰宅時、市役所前バス停から、市役所の壁面や街路灯の
    ハンギングバスケットを見ましたが、
    住民のために役に立っているとは思われませんでした。

    市役所も、この16文字の碑文の意味を考えられたら如何でしょうか?

  • レジリェント・シティー

    ◆富山市はロックフェラー財団のレジリェント・シティーに
    選ばれたそうですが、
    レジリェント・シティーは、より強靭に、弾力のある、復元力のある都市を目指すためのシティーだと私は考えていますが、
    間違っていればご指摘ください。

    ◆また、富山市は「公共交通を軸とした
    拠点集中型のコンパクトシティ」とも呼ばれていますが、
    約半世紀前、富山市は「市内の交通を円滑にするためには、
    「市電は時代遅れ」という理由で、環状線等を廃止し、
    笹津線の市内乗り入れも拒否したのです。

    ◆今、環状線の一部を回復するなど
    「鉄軌道王国」とも公言している富山市ですが、
    故佐伯宗義氏の夢、「一県一市街化」」を、
    利用・活用しているだけではないでしょうか?

    ◆レジリエント・シティーの名に懸けて
    笹津線の復活をお願いします。

  • おでかけ定期
        
    昔、大沢野小学校前バス停から総曲輪まで100円なのに、途中の市民病院前まで560円だった時がありました。

    今は、100円ですが、6駅手前の富山市保健所のある最勝寺までは、昔のまま430円です。

    このままで良いのでしょうか?

    ◆私は、月に一回、市民病院へ通院しています。

    5月初旬、大量のナス、トマトの苗を持って帰りのバスを待っている後期高齢者がおられました。

    車中での会話を、それとなく聞いていると、旧国道沿いの商店街は軒並みに閉店になったので、中心市街地までバスを利用すると、最低、往復140円の交通費が節約できると云うのです。(大沢野地内のバスの初乗りは170円)

    ◆旧国道沿いの商店街は、地鉄笹津線があった頃は、コンパクトシティーで云う「軸と団子」の関係にありましたが地鉄笹津線廃止後は完全に消滅しました。

    ◆今、おでかけ定期を利用している後期高齢者も、数年後には、買い物難民になると思うのですが?

  • >>277

    コンパクトシティー??

    下記は、4月15日、経済同友会メンバーと懇談した富山市長の弁です。
    (北日本新聞)

    <金沢市と富山市はツインシティー。補完し合い、北陸をかさ上げしなければならない。
    <富山市は居住エリアの拡散を止めるコンパクトシティー政策に取り組んでいるが、(県内には)道路整備が優先という自治体がある。

    <他の議会や首長と同じ行政目標を共有できるかどうか「それが一番難しい。」

    ◆他地区の道路整備を批判する前に、大沢野の住民に対し、富山高山連絡道路について説明すべきです。
    地鉄笹津線廃止の際は41号線の拡幅でした。
    そもそも、笹津線が廃止になったのは、富山市が笹津線の市内乗り入れを勝手に拒否したことが最大の原因になっています。

    ◆県西部の6市長(高岡、射水、氷見、砺波、小矢部、南砺)は、多極ネットワーク型広域連携として国の連携中枢都市圏の対象となるように努力しているようです。

    ◆知事も「特定の都市だけでなく、都市圏全体がこれまで以上に輝けるようにしたい。心強いことで、ぜひ一緒にやっていきたい。」と協力する考えをしめしているようです。

    ◆富山市の東「新川地区」に隣接する新潟県には、上越、妙高、柏崎、十日町、佐渡の5市が≪志≫をひとつにした「越五の国」があります。

    ◆富山市は、中心市街地だけの「唯我独尊」でいいのでしょうか?

  • コンパクトシティー ?

    「公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトシティ政策」は、国連をはじめOECDやロックフェラー財団のレジリェント・シティーに選ばれるなど、国際機関からも評価をいただき、諸外国で開催される国際会議の場で富山市をPRする機会が増えているそうです。

    ◆コンパクトシティー。
    AMAZING TOYAMA。
    レジリェント・シティー。
    シティプロモーション事業。
    シビックプライド 等々。

    ◆難しい言葉が次から次ぎ出てきますが、私には全く分かりません。
    私に分かるのは、「合併して10年。大沢野は廃れるばかりだ。」と云うことだけです。

    大沢野の皆さんは現状に満足しておられるのでしょうか?

  • >>275

    呉羽の町のように

    >呉羽の町のように成ると良いですのう・・・・・ (投稿No.275)

    貴方様はこんな事も云っておられます。
    >みんなの知恵で地域を変えて行こう。(投稿No.262)

    私も同じ気持ちです。
    今のままでは、大沢野は、ますます廃れると思います
    意見を云いましょう。

  • >>273

    数年前の北日本新聞の読者コーナーに、
    笹津線の歴史や住民との関係などを含めて、
    「市電の延長運動に期待」と云う一文が簡潔に分かりやすく書かれていました。

    ◆「先日の本紙で南富山駅南部への市電延長運動が地域住民の間から高まりつつあるニュースを読んで、いよいよ草の根からの公共交通活性化運動が開始されたと胸のすく思いがした。」という書き出しでした。

    ◆投稿者は入善町のT.Kさんです。
    入善の方が何故こんなに詳しいのかと不審にさえ思っていたのですが。
    大沢野町史の執筆委員・協力員をしておられたことを、最近、知りました。

    ◆大沢野町史は平成17年2月に刊行されていますが、監修者は大沢野町誌(現代)の「町のあゆみを振り返って」という座談会の司会者です。(投稿No.273参照)
    T.Kさんは、笹津線の歴史を軽視するような編集方針に疑問を持たれた結果、投稿されたのではないかと私は想像しています。

  • ◆大沢野町誌(現代)に、昭和61年2月22日に実施された「町のあゆみを振り返って」という座談会の記事が19ページに亘って掲載されています。
    座談会の出席者は二代目町長と6名の方々です。

    ◆司会者は云います。
    「初代町政の二十年間と重なるものに、笹津線の新設と廃止がありますね、初代町長は笹津線に乗車され、そしてこれで下車された観もありますが(笑い)」

    ◆今、LRTや上滝線の市内乗り入れ等が話題になり、富山は鉄軌道王国とも云われています。
    更に、森市長はニューヨークの国連気候変動サミットで「市民の交通手段を自動車から公共交通にシフトすることで、エネルギーの効率改善を図る」と云っています。

    ◆昭和61年に「マイカーの時代だ。笹津線は時代遅れ」と云わんばかりの司会者や座談会で笑った出席者は、今、どのように考えておられるか興味のあるところです。

    ◆皆さまのご意見をお待ちしています。

  • 約3ヶ月間、投稿がありません。

    行政は「投稿するな!」と圧力をかけているようですが、

    負けずに!

    大沢野の「夢・希望・不平不満・ボヤキ」等を曝け出し、

    みんなで故郷の再生を考えませんか?

  • >「一度、廃線になったものを何故復活しなければならないのか」
    というお役人に、どう接するかが最大の問題だったようです。」<
    (投稿No.269)

    ◆先人たちは、飛越線の開通で、軽便鉄道が廃止になり省営バスが運行された時の契約が実行されていないことを強く主張したようです。

    ◆つまり、道路舗装が友杉で打ち切られていること。
    そのため、疎開荷物や戦災の焼け残り物資を、大八車で運ぶのに苦労をしたこと。
    省営バスのタイヤで、はじき飛ばされた砂利で、飛騨街道沿いのガラスが軒並みに割られていること等を事細かく訴えたようです。

    ◆当時、どのような契約があったのか興味のあるところですが、それよりも、笹津線廃止後の跡地の利用方法等についての契約が、何故、無いのでしょうか?

  • 寺家に帰省されたnao*****様は
    お祖母様と乗られた地鉄笹津線、廃線の日の思い出について投稿されています。(投稿No.258)

    ◆私は、昭和8年、4歳の時。
    軽便鉄道(富山鉄道)廃止の日に、祖母に連れられて富山へ行き、
    迷子になりました。
    原因は、親戚での昼食後、コッソリ、一人で探検に出たのです。
    そして、あちこちをうろつき、
    袋町(中央通り)の交番に保護された時には、
    声も出なかったと聞いています。

    ◆昭和22年春。
    私は東京駅八重洲口近くの食料品店の丁稚になりました。
    八重洲通りの中央部分には、瓦礫がうず高く、堤防のように積まれていました。
    夏。
    大沢野の方々が、丸の内側の鉄道省への陳情や、
    朝、上野へ着き、夜、東海道線経由でお帰りになる時の時間調整に、
    喫茶コーナーを利用してくださるようになりました。

    ◆悪いとは知りながら、皆様の会話に聞き耳を立てていましたが、
    <一度、廃線になったものを何故復活しなければならないのか>
    というお役人に、どう接するかが最大の問題だったようです。

    ◆軽便鉄道は、一県一市街化を夢見る地鉄社長 故佐伯宗義氏の強力なバックアップなど、先人の献身的な努力により、笹津線として昭和27年全線復活したものの昭和50年に廃線になりました。

    ◆今、西部地区で噂されている高山線の中間駅より
    大沢野全体の事を考えて、一丸となって、
    市電の延伸に努力すべきではないでしょうか?

  • フンドシお爺さん今や横漏れ防止の紙パンツ愛用とか
    私もそういっておれん今年62で年齢を重ねると紙パンツの
    お世話に成っていくはずだ

  • 昨年12月中旬、大山地区選出市会議員の「市議会だより」が
    郵便受けに入っていた。 

    それによると、大沢野・細入地域での特性を生かしたまちづくり構想について、
    市長は下記のように答弁している。

    ◆「富山高山連絡道路」の整備という事を中心にすえながら、
    まち全体の整備をしていくことになる。
    基幹的道路が貫くことで、細入地域の「林林」「楽今日館」の経営がどうなるのか、
    大沢野地域では「春日温泉郷」の入り込み客がどう対応していくのか課題だ。
    屋内グランドが出来た事で、大学の合宿等にも力をいれていく必要がある。

    ◆市長の関心事は建物や施設だけなのか?
    旧国道・41号線沿線や船峅の住民のことを考えているのか?

    ◆富山笹津間のバス停で、旧富山市内を除き「町」の付くバス停は「田村町」だけだ。
    2軒あった医院・酒屋・食料品店・魚屋と3軒あった菓子屋はゼロになり
    4軒あった理髪店は2軒になり、2軒あった電気店・自転車店は1軒になった。

    更に、コンビニ経営者は云っているそうだ。
    「富山高山連絡道路」開通後は、ストロー現象が起こるのは確実。
    契約更新時に撤退したい。」

    ◆大沢野選出の二人の市会議員はどう考えておられますか?

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