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    yositoさん、一年間ありがとうございました。
    ここのところ取り込みがありましてお礼が遅れて申し訳ありません。

    一年間、完走していただいて本当にありがとうございました。
    おかげ様で、わざわざ録画で確認せずとも、yositoさんの感想、まとめで
    ドラマを振り返ることが出来ました。

    もっと書きたかったのですが、特に播磨編など「ここが違う」「あそこが違う」
    ばかりになりそうで、自重していたら、最後まで自重してしまいました(^_^;

    官兵衛に天下取りの野望があったかなかったか、地元でも論戦がありました。
    私は野望派がなかった派ですが、野望あり派に声が大きな重鎮がおられまして
    その声が、まかり通っているようです。
    その人説だと姫路城の最初の築城は黒田重隆で官兵衛が生まれたときは
    城はなかったとのことです。

    御師の末裔の方と懇意にしておりまして、目薬の件を訪ねたら
    「あんなん目につけたら目がつぶれまっせ」
    「家来を何人も養えるほど利益があるなら何故やめてしまったのか」
    「そもそもメグスリノキは播磨には殆ど自生していないから大量生産は無理」
    とか、ほかのことについても興味深いことをお聞きしました。

    本能寺の変あたりの黒田家譜、武将言行録などを何度も読み返しましたが
    勧化衛士真に天下取りの野望があったとは私には解釈できません。

    最後の「そちの左手・・・」は明治政府の重鎮で元黒田藩士の金子堅太郎が
    書いた「黒田如水傳」が初出だそうです。
    これこそ無茶な話ですが、藩士として藩祖に天下を取って欲しかったんだろうと思います。
    しかし、前にも書いたとおり野望説のほうが、ドラマが作りやすいと思います。

    脚本については、伏線が回収出来ずにもったいないところがあり、
    逆に重要人物やエピソード、アイテムが突然、登場したり隔靴掻痒の思いでしたが、
    役者陣がよく頑張ったと思います。

    ドラマは終わり官兵衛の旬は過ぎましたが、姫路ではまだブームの余韻に浸っています。
    来年3月27日には、平成の大修理を終えた姫路城がグランドオープンしますので、
    皆様ぜひお越しください。(^O^)

  • まずまずの最終回
    今回の大河では主役の息子の黒田長政の描かれ方が意外と秀逸やったかもしれん。制作側は従来の路線で主人公とその家族や側近は善人や偉人に脚色してまうねんけど、この黒田長政という人物はどちからというと父親より歴史上のインパクトが薄いこともあるせいか、関ヶ原でも暗躍してずる賢い狡猾な小物というイメージがあったわけで、それが大河ドラマの主演の軍師官兵衛の息子ということでかなり持ち上げてしもうたわな。ところがそれが、従来のネガティブなイメージを払拭できて効果的やったと思う。父親が息子に越えられて喜んだというシーンにはわしも感動した。如水は戦国大名の中では珍しく側室を持たずに正室と仲良しの夫婦やったわけで、夫婦仲のええ両親を持った子というのは素直で真面目やし心根も優しいもんなんや。歴史関係の雑誌なんかで武勇伝を礼賛したい連中には如水は人知を超えた謀将であってほしいから、その息子は関ヶ原で頑張っても小物でおってほしいわな。しかし、この父と子は人の上に立つ身ではあっても、戦国乱世の中では不条理に耐えながらも実直に生き抜いたわけで、わしは今後も天下人クラスの人間を主人公にするよりも、こうした脇役に焦点をあてた大河ドラマに期待したい。

  • 「乱世ここに終わる」
    関ヶ原の戦いは一日で終焉、如水の天下取りの夢は消えましたが、人生最期に天下取に挑戦したことで如水の人生は輝いたように感じます。如水を演じる岡田さんの演技がすばらしかった。
    光の、幾度となく襲ってくる苦難に涙する姿を見てきましたが、殿を送る最後の涙が一番美しかったです。
    長政は、気付きませんでしたが、父の心を受け継ぎ成長を遂げていたんですねえ!、52万石の太守となり父を超えた姿は見事でした。
    家族、家臣を愛し、助けられ、苦難の道に立ち向かい、見事に人生を生き切った軍師官兵衛の物語は、出演者みなさんのすばらしい演技とともに忘れられないものになりました。(*^_^*)

    関ケ原の戦い
    慶長5年9月15日午前8時ごろ、霧が少し晴れてきたとこで、井伊直政の突如の発砲から始まったこの戦。家康は、三成の鶴翼の陣に対して剛毅に中央突破(通常ありえない)で挑む。が、戦況は一進一退、4時間が過ぎ、小早川秀秋の裏切りで一気に家康が優位に、午後2時ごろには三成勢は全滅し戦は終わった。
    この勝因は、長政の毛利方調略に負うところが大きく、家康は長政の右手を取り、大いに感謝し、筑前52万石を与える。

    破れた三成は関ヶ原から逃亡したが、捕縛され、9月28日大阪城で、恵瓊、行長と並んで後ろ手に縛られて筵の上に座らされ、通りゆく者たちに卑下される。
    長政は「おぬしとは遺恨もあったが、すべてを水に流そう」と言葉をかけ、着ていた陣羽織を脱ぎ三成の肩に羽織らせて敗者三成を労わり、武将としての成長ぶりをみせます。
    三成も「憐れみなど無用でござる。わが思い如水殿だけはわかってくれよう」と言葉を返し、秀吉への義を貫いたことへの誇りを示す。限りなく秀吉への義を突き通した三成に熱いものを感じます。10月1日、三成は、恵瓊、行長と共に洛中引き回しの上、六条河原にて処刑される。

    如水の戦い
    九州の西軍を次々に撃破するなかで、大阪からの「徳川が勝った。合戦は一日でかたが付いた」との報せに、如水は苦笑いし床机台を蹴って悔しがる。如水は、九州のうち七か国を占領したがすべてを放棄し中津へと戻る。

    帰国した長政から、家康に認められた様子を聞く如水、「長政、内府様がおまえの手を取ったと言うたが、それはどちらの手じや」、「右手でございますが」と長政が答えると「その時、おまえの左手は何をしておったのじゃ?」と、この戦に賭けた気持ちを投げかける。受けた長政は今や52万石の太守、(知っていたが答えず)如水のこの言葉を飲み込む。松坂さんは、このドラマで、本当に成長しましたね。(*^_^*)

    戦いが終わった如水は、大阪城を訪れ、家康から「天下は一人の天下にあらず。天下は天下の天下なり。わしが死んでも争いが起こらぬ泰平の世を作る」を聞き、自分も兵を挙げ天下を夢見たと告白し「自分は生涯で戦に負けたことはないが、今回は内府殿に負けもうした、負けて悔いなし」と虚心坦懐にお互いの心のうちを確認し静かに去っていく。ここでの如水の身の処し方が実に爽やか!!人生を生き切ったという感じがとてもいいです。

    遺言
    慶長九年(1604年)正月、如水は、長政、善助に言い渡すことがあると呼び寄せる。関ケ原の戦について、「見事であった。おまえは立派に黒田を守った。あの時、おまえはわしを超えた。嬉しかったぞ」と初めて長政に褒め言葉を贈り、父の言葉に長政はただただ涙する。
    「わしは、後ふた月で死ぬ。」と予告し、長政には黒田家の行末を託すが、合子形兜は「わしの魂をお主に託す(長政を補佐するように)」と善助に与える。如水との静かな語りで見せる善助の涙のシーン、浜田岳さんはすばらしい役者になりましたね。

    如水が予告した二か月後の三月二十日、如水の枕元を、光、長政、善助、太兵衛、九郎右衛門が取り囲んで別れを惜しむ。
    息も絶え絶えの如水は光に、「おまえが妻で良かった」と感謝し、光は「殿のおそばにいられて私は天下一の果報者でございます。」と涙、これまでいくつも流した涙のなかで一番美しい涙でした。最後まで中谷さんの演技に泣かされました。

    元和元年5月8日大阪夏の陣で、淀は家康との戦に破れ秀頼とともに自害、この戦に参加した半兵衛は戦死。「戦のない徳川の世」になり、藤の花房が揺れ小花が零れ散るなか、安らかな世の訪れを感じながら如水を偲ぶ光と長政・・・。

    おわりに
    この掲示板には大変お世話になりました。かきこすることで、ドラマを一層楽しめました。立ち上げてくださったニキロさんに感謝です。ありがとうございました。

  • 薄っぺらな 「戦争ごっこ」 しか描けなかったナ ・・・

    何をうったえたかったのかさっぱりテーマが無かった。

    NHK 大河ドラマの中では『 下作 』 の部類・・

  • 関ヶ原即日決着で愕然としたのは、直江山城守(上杉軍を率いて伊達と戦っていた)、真田昌幸(秀忠軍3万7千を上田に留めることに成功)そして黒田官兵衛。
    西軍の大軍がよもや半日で敗退するとは、三人の誰もが想定外のことだった。
    東軍の秀忠も愕然としていた。早期決着によって徳川本隊3万7千が決戦に間に合わなかったからだ。家康は首を撥ねよと激怒したが、四天王の榊原、本多忠勝の必死の換言で事なきを得た。

  • >>440

    タヌキの家康が、外様の黒田の使いの甘言を
    ヤスヤスと信じるだろうか?

    戦闘の真っ最中に、鉄砲に驚くちゅうのも
    胡散臭い

  • 「なに?敵は2~3万だと申すのか」長政の言に訝る家康。               「実際に戦えるのは三成の6千、小西の5千、大谷の2千と宇喜多の1万5千だけ」「あとは張り子の虎。南宮山は山頂の毛利秀元は内応している広家が抑えている限り、その下に陣する安国寺の2千、長曾我部の9千は動けません。「松尾山の小早川1万7千は・・・・・」ここまで来て長政の脳裏に不安がよぎった。胆力のない秀秋は西軍の調略も受けている。もし秀秋が西軍が奮闘する眼下の形勢を見て心変わりして一気に家康本陣に攻め下れば……。全く同じ不安を歴戦を潜り抜けてきた家康も抱いていた。「小早川の陣に鉄砲を打ち込め」瞬時に下した家康の武将としての勘はさすがだった。小心者の秀秋は驚いて山を駆け下り、西軍主力の宇喜多隊の側面を急襲し,これが東軍勝利を決めたのだった。盟友大谷は奮戦むなしく自刃。宇喜多、小西、石田隊と西軍は次々に壊滅していった。

  • >>437

    恵瓊に従っていれば、天下がとれた

    広家に従って、300年、徳川への愚痴の歴史を刻むことになる、、、

  • 恵瓊「わしは信長公も秀吉公も知っている。天下人になると見抜いたわしの目に狂いはなかった。それに比べ家康殿などは髪の毛ほどの人物に過ぎない。世間が彼の人を押し上げているだけだ」
    広家「いいやその世間が一番怖い。世間が家康公を天下第一の武将と見ている以上大勢は決している。毛利は東軍に味方すべき」

  • 輝元は凡将と言わざるを得ませんね。西軍の総大将として大阪城に入っていながら自軍をまとめることも出来ぬとは。恵瓊と広家の内部対立はわかっていたはず。「安芸中納言、余を頼むぞ」と秀頼に言われ人前も憚らず落涙するほどの善人。百万石の涙だと城内の全てが感歎したのに。
    猛将秀元も4万の兵も無傷でいるのに一戦も交えず大阪城を明け渡すとは。家康が本領安堵の言質を与えたからと言って戦国の世ではそんなものは空証文になるのが常。人が善すぎた。天下を分けた大戦である以上勝者の東軍への恩賞は毛利124万石と上杉120万石から没収するしかない。そんな当たり前のことをわからぬはずなかろうに。
    関ヶ原で最も存在感無かったのは総大将の安芸宰相だろう。

  • よく考えてみると、関ヶ原がわずか半日で決着するとはほとんどの武将が思っていなかったと思う。

    一番、優柔不断をかこったのが、西軍の総大将毛利輝元軍四万。

    先鋒三成はともかく、おびき出されたとは言え、輝元の四万の軍勢が関ヶ原に陣を

    張っていれば・・・

    秀秋や広家の内応は封じられたし、長曾我部や毛利秀元は独自の戦いに出られた。

    そもそも、上杉との挟み打ちを画策したのは輝元自身・・

    その意味でも、長期戦を覚悟して秀忠を別働隊にした家康にしても半日での勝敗は

    意外だっだろう・・

  • 如水の赤合子、長政の一ノ谷の兜の由来などは、折り込んで欲しかったですね。
    いきなり赤い丼や、レーザーアンテナが登場しても「代わった兜」で
    終わる人が多いでしょう。

    三人の弟は八虎として活躍していますが殆ど空気ですし、九郎右衛門や太兵衛の妻は空気以前です。
    休夢おじさん、ぬい継母さん、中年太りの御師さんはどうなったんでしょうね。

    先週の吉弘統幸は黒田家があってこそ生きてくる人物と思いますが
    唐突に登場し、即戦死、「味噌汁の逸話」もわからない人の方が多いでしょう。
    前に3分でもそれらしき伏線があれば、感じ方が違ったでしょう。

    序盤の播磨編でもそう言うことがたくさんありました。
    そのために、播磨編は散漫な感じがして、面白味に欠けるところがありました。
    ローカルネタになりますので、冒険は出来なかったでしょうが、
    退屈にならない程度に重要エピは入れて欲しかったです。
    どこを削るかとなれば、それはそれで難しいですが・・・(^_^;

  • >>408

    print_ing_999さん。

    トピ主です。
    冒頭にも書いてあるとおり、個人攻撃は禁止させていただいております。
    多少のトピずれはかまいませんが、個人攻撃の投稿はお控えください。
    できるだけ「軍師官兵衛」のドラマに沿った投稿をお願いします。


  • 選挙のために一週延期となりました。
    最終回まで楽しめる大河は久しぶりなので、何とも恨めしい選挙です。

    自分は「官兵衛には天下取りの野望はなかった派」ですが、
    ドラマとしては岡田クンの「ひゃっはっはー!!」など、
    楽しく視ています。

    「そちの左手は・・・」はやるんでしょうかね?
    官兵衛に天下を取ってもらいたかった人たちが多いようですが、
    史実かどうかは別にして、ドラマとしてはその方が盛り上がって面白いと思います。

  • >>408

    すごすぎるぅ~~~~~
    good66! bad4

    その次の投稿へも
    good41! bad1

    まともな見識の方がほとんどのようで安心安堵♪

    ★2014NHK大河【軍師官兵衛】営業中★ すごすぎるぅ~~~~~ good66! bad4  その次の投稿へも good41! bad1  ま

  • 淀の天下の豊臣なんか滅びたほうが良いと思ったのでしょうか

    おねが自ら、小飼の武将に、
    豊臣のために、戦ってくれと懇願していれば
    これ程、惨めな敗戦にはならなかっただろう

  • 関ケ原の戦さに先駆け如水が動く。攻め取った敵を持ち駒にして行く如水の戦法、石垣原の勝利で一気に「黒田の強さ」が九州一円に広まっていくという盛り上はおもしろい。(天下をとれたかも)
    大友攻略で演説する如水、合子形兜で指揮する如水(岡田さん)は、解き放たれたように自信満々、かっての精力的で悪い顔の官兵衛以上、岡田さんの演技が光ります。(*^_^*)

    西軍
    慶長5年(8月10日)大垣城に入り東濃での決戦を企てるが、長政らのすばやい攻撃で岐阜城を失うと、大垣城で決戦する計画に変更する。この戦さでの士気を高めるため秀頼の出陣を淀に願い出るが“秀頼の出陣はなりません”と強く拒否され“勝利を信じているぞ“と淀(二階堂ふみさん)の眼力に押される。??
    小早川秀秋の囲い込みのため、「秀頼君が15才になるまで関白に、そのため今の筑前に加え播磨一国を与える」と条件を示して誘い、脈ありとみる。
    諸隊の結束を固めるために、大将である毛利輝元の出陣を促すも、「増田長盛に謀反の疑いあるゆえ秀頼君をお守りしたい」と断られる。大将が動かないのでは・・・

    慶長5年9月14日家康が赤坂に着陣したことで、軍議を開き決戦地を関ケ原とし、自らは大垣から笹尾山に陣地変換する。ここでの決戦地の変更、鶴翼の布陣はすばらしい戦術眼だったと思います。
    これまで全軍の前衛部隊としてよく東軍を大垣の地に留め、関ケ原に移動してからも夜間・雨のなか、吉川、小早川の陣を訪ね戦法を確認し激励するなどやれることを精一杯行っている。
    如水の声「徳川殿はお見通し」に苦悶し“豊臣のため”と奮起する三成(田中圭さん)には熱いものを感じます。

    東軍
    慶長5年8月22日、長政らは家康の出陣を促すために岐阜城を攻略し、赤坂に進出する。この時期、小早川秀秋の家老平岡頼勝が“おね”の書状を携えて訪ねてくる。秀秋の意向を承知し「家康は京の近くに二か国の所領を約束している」と伝える。
    家康は、“長政ら”が岐阜城を落したことから、清州に進出(9月11日)してくる。ここで、如水の挙兵を知り疑念を抱く。が、井伊直政は長政から小早川秀秋、吉川広家の調略状況を聞き安堵する。
    家康は、秀忠の進出が遅れていることを知るが、調略が進んでいること、味方に付いた豊臣方の武将の勢いをみて9月14日赤坂に進出する。ここで、長政から詳細な毛利の調略についての報告を受け、“今が戦機”と判断し9月15日攻撃開始するため桃配山に本陣を進める。家康の戦機の掴み方(清洲進出時期も)が実にすばらしい。

    如水の戦い
    9月9日、大友吉統攻略の出陣で、「これから我らが始めるのは九州全土を平らげる戦、まずは豊後。豊後はもともと大友の領国であった。だが、この大友吉統という男、朝鮮で敵を見ずに逃げ出し豊後を召上げられた臆病者」と檄を飛ばし士気を鼓舞する如水(岡田さん)は、精悍で自信満々、かっての官兵衛以上の迫力があります。

    9日高田城は威嚇のみで降伏、10日富来城は手強いので抑えの兵を残して南下し、12日安岐城は弱兵とみて巧みな戦法で討ち取る。
    安岐城攻略時、木付城を大友軍が攻撃してきたため、九郎右左衛門を差し向けて対応、9月13日如水は九郎右衛門を追うて木付城の救護へと向かうと、大友吉統は体制を立て直すために一次後退、そこに先発九郎右衛門が到着し両陣営は豊後石垣原で激突する。
    黒田軍を率いるのは、三千の兵を率いた九郎右衛門。大友軍はかって黒田家の食客であった豪傑吉弘統幸。久しぶりの合戦シーン、死闘の末、統幸は九郎右衛門の太刀で自ら命を絶ち、戦に決着が着く。お互いをよく知る者同士の決闘は切なかったです。(w_-;
    「遁走する兵を追い大友を成敗しよう」と言う善助に、如水は「放っておいても降伏する。大友吉統も許す。さすれば他の大名も降伏しやすくなる。」と言い放つ。
    翌日、剃髪し袈裟姿の大友吉統が黒田の陣へ現れ、降伏する。本隊は戦わずして勝利。この戦さで“如水は恐るべし”と噂が広がり、西軍一色の九州は土台から揺れ始める。
    破竹の勢いで進軍、このような戦が続けば天下も夢でない・・。

    15日早朝、濃霧のなか、対峙する東西両軍、三成は東軍8万とみて勝ち目ありとみる。家康は長政の使者毛屋主水により当面の敵は3万と知らされ「2~3万の敵は一捻り」とみるなか、まさに関ヶ原の戦いが始まろうとしています。次次週は最終回「乱世ここに終わる」、楽しみです。

  • 家康に、黒田の家臣が西軍の人数を報告に参ります。

    この家臣、どこかで見たことあるなぁ、と思って確認したら、落語家の春風亭昇太さんでした。

    確か、歴史が好きで、お城巡りが趣味だったような気がします。
    大河ドラマに出られて良かったですね(^_^)

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