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  • 明日スーパームーン!
    曇って見られないかもしれないので、
    今日のスーパームーンの月の出を撮ってみました。
    きっと普段の月より大きいんだろうナ!

    にゃんこインベストメントホールディングス(株) 明日スーパームーン! 曇って見られないかもしれないので、 今日のスーパームーンの月の出を撮ってみまし

  • にゃんこらむ【66】<にゃんこインベストメントホールディングス(株)IR情報♪>

     先般投稿した内容につきまして、特別育成銘柄専用掲示板「R情報研究所」の新設日時が決定致しましたのでお知らせ致します。

     新設日時:12月1日(火)0:00~

     あと5時間半ほどで新掲示板を立ち上げる予定です。当初予定していた時期を1か月前倒ししての決行となりました。いち早く新情報に着目し、記録、追跡を行って参ります。

     相当気合い入れていきますので、生半可な気持ちでの参加はご遠慮下さいませw

     なお、当該掲示板の管理期間は最長5年を見ております。

     では、只今より新掲示板新設準備に取り掛かります。

    以上。

  • にゃんこらむ【65】<にゃんこインベストメントホールディングス(株)IR情報♪>

     この度、当社取締役会議にて「特別育成銘柄」を1社のみ決定致しました。これに伴いまして、特別育成銘柄専用掲示板「R情報研究所」を新設致します。当該掲示板の設立日時は現在のところ未定となっております。

     今だかつて体感したことのない、壮大な相場に成り得る原石であるこの銘柄を徹底分析し、随時情報更新して参ります。

    以上。

  • にゃんこらむ【64】<苦く辛い過去は、最高の時間で塗り変えてしまえっ‼>

     人の心は、生きている限り、都度過去に向く。なぜなら、人と話す時も、ほとんどの話題は、未来のことよりも、過去に見聞きした出来事について話すことがその大半を占めているからだ。

     そして、人は誰しもそれぞれの過去に苦く辛い経験の一つや二つはあるものだ。しかし、その、苦く辛い過去という「檻」に心を縛られて生きている人も少なくはないだろう。

     その檻の中での生活に耐えきれず、死を考えてしまう人もいるかもしれない。が、生きるんだ。どんなに辛かろうと苦しかろうと、生きるんだ。生きて、その過去を、「最高の時間」で塗り変えるんだ。そうすれば、自身の心を縛ってきた檻を破壊し、その日その瞬間から新しい人生を歩むことができるんだ。

     しかし、過去を塗り変えるにも、「生きていなければ」決して叶わないことだ。

     はて、「最高の時間」とは一体どんな時間だろう。

     意外や意外、いや、当たり前?当然?ん?なんだ??つまりそのー、「平凡な日々」ってことじゃなかろうか。その中で、「小さな幸せ」を感じながら生きることこそ、最高の時間と言えるのではなかろうか。

     ふと、そんなことを思った日である。単純に、辛かった過去、苦しかった過去よりも心身に優しい一日を過ごすこと、もしくは、事故やトラブルなどといった危険から身を守りながら平穏な日々を過ごすことで、新たな過去を築いていくのである。

     だから私は、生きる‼

  • にゃんこらむ【63】<考える力を鈍らせる4つの行動特性>

    1.すねる
    2.ひがむ
    3.ひねくれる
    4.いじける

     『続「考える力」をつける本(著者:轡田隆史)』から抜粋したものである。これ、面白い。ズバリ的を得ている内容で、うん、お見事。

     上記の4つの行動特性のどれもに共通して言えることは、そういう態度でしか示すことができず、言葉にする前に「思考が停止」してしまっているため、話が終わっていなくとも意地になってそうした態度でダンマリを決め込んでしまうということ。言い返すに足る思考力も働かなければ言葉も見つからない「自身が弱い」ということの現れである、と私は解釈している。これを個人的には、「会話のちゃぶ台返し」と呼んでいる。そう、会話の放棄行動である。

     今まで何度こうした行動に悩まされたか。時には会話の最中に「眠い・・・」とぼやかれたこともw話が終わっていないにもかかわらずこういう態度を取られると、もうお手上げである。それに費やした時間も水の泡。話が長くなってしまうのも良くないのだろうが、相手に向き合う気がないとわかるとこちらも話す気は失せる。性格的に子供な人との会話は難しい。最終的にはどんな問いかけにも「わからない」を連呼し出す。わからないのではなく、考える気がないから言葉が出てこないというだけのことだ。

     とどのつまり、ネガティブな発言ばかりしたいだけしてそうした態度で締めくくる、言い逃げするクセのある人は、物事について会話を始めたところで「解決」や「理解」には到底及ばないのである。だから、ゴールからの逆算的思考ももちろんできないため、そこに至るまでの段階を決めていくこともできない。結局のところ喉元を過ぎればいい、といった具合だろう。確かに、時間が解決してくれる場合もあるにはある。しかしすべてがそうとは限らない。

     納得いくまで考え、話し合うことのできる人、そういう人との会話は有意義であると私は思う。できることなら、感情的にならずにという点を求めたいところだが。考える力が極めて弱いと、自己主張もままならず、伝えたくても伝わらず、挙句の果てには相手のせいや環境のせいにするしか逃げ道がなくなってしまう。では、どうすれば「考える力」が身に付くのか、個人的な意見としては「本を読む」ということに尽きるのではないかと考えている。だから私は本を読むことをやめない。

  • *にゃんこの気ににゃったフレーズ*【1~10】

    [1]わかったつもりになってしまい、考えることを放棄するクセをなくせ。(=思考停止)
    [2]努力して試験に合格したことに満足して、その先を考えない人の落とし穴。
    [3]失敗した人、不合格者こそ、その原因が何だったのかを考える機会に恵まれる。
    [4]お互いが知っているつもりになっている話題について話す時間は無駄。
    [5]素直に「知らないという認識」から物事を見つめてみることで好奇心は膨らむ。
    [6]十の質問をして、一を知るくらいがちょうどいい。その積み重ねが大事。
    [7]素直さは、考える力を飛躍的に向上させる。
    [8]批判する力、批判に負けない力を使い分け、公平さに逃げない強さを。
    [9]絶対に守るべきものは死守せよ、そうでないものは潔く切り捨てよ。
    [10]自分に対する周囲の人間からの悪口を笑えるようになれ。

  • にゃんこらむ【62】<あなたを象徴するモノは何ですか?~What is your identity?~>

     それは一概に“一つ”とは限らない。あなたを象徴することならいくつあっても構わないだろうが、象徴であるから、2つ3つあると、その人はかなり個性が濃い人物であると言えるかもしれない。

     人は生まれながらにして本能に「欲」を持つ生き物である。「identity(主体性・自己同一性)」が濃いものであるほど、それに対する欲も強いだろう。

     「自分探しの旅」という言葉があるが、言い換えれば「自分を象徴するに値する物事探しの旅」となるだろう。現状、自分の生活を振り返ってみて、あなた自身が今一番強く興味を示し欲している物事はなんだろうか。そして、それに対して欲するのであれば、何をどのように欲し、どうしたいのかまで明確になっているだろうか。

     私は今まさにその壁にブチ当たっている、と言っても過言ではない。まだまだ明確ではないことの現れである。とにかく今は、目の前にある「自分にできること」を一つずつ取り組んでいるところである。これまでの生き方が正しかったとは到底言えたものではないため、後悔の念は拭えないのだが、一方で欲している点として、今後自分がどうなりたいか、ということをここ最近で考えるようになった。

     シンプルに3つほどテーマを掲げて、それぞれに自身が欲する着地点を決め、それぞれに対して並行して向かっていくのである。「人」「仕事」「生活」、これら3つのテーマにおける着地点に到達する時に得られる相乗効果をどこまでイメージできるか、という点で今のところ明確にできていないのである。

     一言に「自己啓発」を欲しているのかもしれない。誰も自分のことに干渉してこない今の生活において、自制心が維持向上しないことというのは、この先の人生において最も致命的なダメージを受ける可能性を増幅させてしまうからである。

     他人に興味がないわけではないが、他人に興味を示すよりも前に、「まず自分はどうなのか」という考えからである。他人を語るには、まず自分のことをしっかりやってからではなかろうか。やれる限りのことをやってもいないのに他人を語るなど、何歳になってもその資格はないのではないか。しかしながら、やれる限りのことをやってきた人間は、多くを語らず、他人を語らないようになるのかもしれないが。

  • にゃんこらむ【61】<うまく言葉に表現することができない人は見た目に左右されやすい>

     人は自身の目で見たもの、自身の耳で聞いたことを信じる。百聞は一見に如かず、ということわざがある。周囲の人間の言葉に振り回されっ放しの疲れる性格、そういう人は相手の言葉を鵜呑みにするため、自身の言動も軽率なものになりがちである。口は禍の素と言われる所以である。

     その場で見聞きしたことに対して無理に発言する必要などないのである。一旦飲み込んでその場は流すほうが無難。後になって「言わなくてよかった」と思うことは何度もあるだろう。口走ってしまったがために、相手を不快な気分にさせてしまうことがあるが、そういう時に限って、適切な表現はできていないものである。

     話す相手は選ぶべきだろう。誰彼構わず話していいことなどないのではないか。特に内容が他人のことである場合。それが予期せぬ噂として伝わってしまいかねないからだ。

     人は必ず人と接する機会に出くわすわけだが、一歩間違えれば人間関係など簡単に亀裂を生み、修復すら困難な状況になる。

     何が重要か、それは、周囲の人すべてに対して、基本的には同じように接するのが一番であり、極力最低限のコミュニケーションに留めておくことを意識しておけば、まず間違いないだろう。周りは周りで勝手にあれこれ話しているのだろうが、そのほとんどは憶測や何の根拠もない個人的な考えでしかない。まさに、不毛な会話なのである。下手に首を突っ込むから火の粉を浴びることになり、悩まされ気分も落ちこんだりする。

     社交的な性格の人は、その辺は上手にコントロールできているのではないだろうか。むしろ、内向的な人ほど、空気を読めず、相手に合わせて話したことが、悪い結果に繋がってしまうケースがよく目に付く。

     その場にいない人間の話が話題に挙がったら、自分は特に何も発言しないように努めるべきだろう。興味がないならなおさらのことである。

     「君子、危うきに近寄らず」自身の立場を揺るがすような状況に繋がりそうなことはすべて拒絶し、常に避けて通ること。

     「あの人と関わっても良いことは何もない」と感じた人は、全力で避けること。そう、「全力で」だ。特に害がなさそうな人でも、自分にとって特別に良い影響を与えてくれそうにない人との接触は「そこそこ」に留めておくこと。そうして網掛けするのだ。

  • にゃんこらむ【60】<良い言葉に触れ、苦境から脱却せよ‼>

     人間、生きていれば楽しい時も苦しい時もある。「苦しい時の神頼み」ということわざもあるが、祈るということと実際に神に頼ろうとすることとは全くことなるのであって、結局は自身で苦難を突破しなければならないことがほとんど。

     でもね、何かの力を信じて頼り、そこから元気であったりパワーだったり、苦境から脱却するに匹敵する素となるものを得るということは、「人として必要不可欠な本能行動」と言えるのではなかろうか。そういう意味でも、人は自身の力のみでは生きられないのである。たった独りで苦難を乗り越えたつもりでも、そこに至るまでに、必ず何かから力を得たはずである。

     それが、本なのか、音楽なのか、誰かの言葉なのか、美しい景色なのか、映画やドラマのセリフなのか、第三者からのとある行為からなのか、どんなに苦しくて心が疲弊し切っていたとしても、人の心というものはある物事によって心境が急転するものである。ただ苦しみに耐えるばかりではなく、疲弊した心の回復や原動力になりそうな何かに触れてみようとする試みが、その先の展開をどうにでも変化させる力となる。

     無駄なことなど何もない、とまず強く信じられるようになること。それに必要と感じる物事には率先して取り組むこと。それら全て出来得る限りのことを尽くして、実はなんともならないことなど全くないのだ。この点に根拠を求めようとすればまた余計な思惑により心はブレるだけであるから、そのことをとにかく強く信じること。

     一歩踏み出すこと、まず何をすべきか、「すべきか」というよりは、その時できることから始めればいい。人は健康であり続ける限り、何度でもやり直せる。健康でいてなんともできない人は、単に努力が足りないだけであり、そういう人ほど悩みや苦しみを他者へアピールし同情を求めたがる。結局他人にできることと言えば気休めの言葉を投げかける程度のことくらいだ。果たしてそんなものを求めて何になる?状況は1mmも変化しない。

     あなた自身が動いて初めて状況は変化し、苦境からの脱却が開始されるのだ。あなたの苦しみとは、そんなに大変なものなのか。誰よりも苦しんでいる人などいない。だから、決して自分が一番大変だとか自分が一番苦しんでいるとか思いこんではいけない。そう思いこんでいる以上、苦境からの脱却はない。

  • にゃんこらむ【59】<人との距離感と間>

     人との距離感とは、生活空間における周囲の人間との間に生じる本能的な空間のことだろう。近すぎても遠すぎても関係性の安定的維持は難しい。一言に言えば、個人差はあれど、自身にとって「ちょうどいい」くらいが、ズバリちょうどいいのだ。

     しかしながら「自身にとって」というのもあくまでも自分が基準であり、それが必ずしも相手にとって適正かというと一概にそうとは言い切れないところが人との距離感において繊細な部分と言えよう。

     では、相手との会話についてだが、あなたは誰かと話をする時、どんなことに意識して会話を進めているだろうか。自分が話そう話そうとしたり相手の話が終わる前に被せて話し始めたり、そんなやりとりをしてしまってはいないだろうか。それにより相手が言おうとしたことを先に言ってしまっては相手も会話を楽しいと感じることはないかもしれない。

     そこで重要なのが「間」である。会話の基本とも言えるこのことが、なかなかわかっていない人は少なくない。そういう人は「返し」も下手である上に次の瞬間には別の話題を持ってくるパターンも。コロコロ話を変えたがる人との会話ほど疲れるものはない。結局何の話をしているのかすら当人同士わからなくなっている、そんな会話の仕方に慣れてしまっている人、多い。

     まず、自分が聞き手に立つことが最も重要で、話題が盛り上がるかどうかのカギを握るのも「聞き手」が持っていると言っても過言ではない。聞きながら、相手が聞きたいであろう言葉を投げかけてやれば、相手は会話を楽しむことができるだろう。とは言っても、そうした思考を働かせるのも、近しい人間関係にある人であって、滅多に話すことのない人に対しては適当に受け流せばいい。それもまた、相手との距離感の取り方であろう。

     話す話題も極力相手が興味を示しそうな話題が望ましい。何の脈絡もなく「~って知ってます?」から始まる会話、疲れるw興味のないテーマに対して「知ってます?」と聞かれると、「知らんけどそれがどうかしたのか?」と言いたくなるのは私だけだろうかw物事に詳しいことは悪いことではないが、自身が何かに詳しいからと言ってそれを誇示するかのような言い回しをしてしまうと、相手も返答に困ってしまうばかりか、「知らない」と言ったためにその会話が終了してしまった場合、微妙な空気に・・・w

  • にゃんこらむ【58】<大木も、根が腐れば倒れてしまう>

     全ての物事において言えることだろうが、嘘・偽りは、例えどんなに素晴らしい大義名分を掲げて取り組んでいることも、その根幹を腐らせてしまい、放置すれば取り返しの付かないところまで腐敗は進行し、これまで当たり前のように思い、当たり前のようにやってきたことさえできなくなってしまう事態になりかねない。

     人が人として在るべき姿、企業や組織として在るべき姿とは何か、その根幹はしっかりしているか、不足していることはないか、見落としていることはないか、こうしたことを見直す手段は適正か、これらは誰が教えてくれるものでもなく、自身で気付いて自身で考え、その行動を変えていかなければならない。

     どうすれば気付けるようになるのか、それは普段の、そう、「日頃の行い」ではなかろうか。いつもいつも自身の思考や行動に対し、一歩踏み込んで熟考する癖を身に付けておけば、無意識に「本当にこれでいいのだろうか」と気付けるようになる。自身に対して嘘や偽りの思いを持ってしまえば、必ず後悔する。

     「清く、優しく、正しく、美しく」そうした人間像であろうとすることは、大変なことだろう。それを「キレイゴト」だと鼻先で笑う人が大半だろうが、確かに綺麗事である。しかしその綺麗事を心底信じて生きている人もいるのである。大衆は、なぜか周りの人間や芸能人や政治家のこととなると、面白がってアレコレと話したがるが、彼らは一体何を目的にそうした話をするのか、私の理解の範疇を超えているのである。

     「(他)人のことよりまず自分のこと」をしっかりすべきだろう。そうすれば、無責任さは払拭できるし、自ら矛盾を生む言動はしなくなるはずだ。自身を律すること、その手段は自分でしか意識できない。

     「不満を言いたくなったら言う前に、まずやることやれ」、するとなんと‼いつの間にか環境は変化し、不満は解消されている。自ら動けば環境は変えられる。そして、根幹はしっかりしてくるのだ。

     あーたらこーたら不満ばかり言う癖のある人ほど、やることやってないパターンがほとんど。そういう人に限って言い訳ばかりするのが常だ。そういう人とは距離を置きたいものだな。周囲の人間と距離を置くようにしてみて、自分のことを見つめ直した結果、いろんなことに気付かされた気がする。

     人生いろいろ。

  • にゃんこらむ【57】<生活向上保安計画推進本部設置のお知らせ>

     この度、当社「にゃんこインベストメントホールディングス株式会社」は、社内構造の抜本的な改革を強行することとなり、これに伴いまして『生活向上保安計画推進本部』を設置することと致しました。

     現在、投資事業においては極めて保守的な態勢を維持しており、少なくとも向こう半年間は資金の調達及び備蓄に尽力する方針であります。

     まず最優先課題として、社内清掃をしっかり実行することを掲げ、生活環境の清浄化を実現します。捨てるべきモノは徹底的に捨て、保持するモノは利便性を重視した収納術に従い、徹底的な「整理整頓」を実現します。よく使うモノとあまり使わないモノの配置・保管方法を実際の生活環境にシフトさせ、支障度ゼロを実現します。

     次に、時系列に沿った行動管理をビジュアル化し、「生活環境のルーティン化」を実現します。日々変わらない生活の先に転がっているいくつものチャンスを掴むためには、「ルーティンアクション」が最大のカギであると認識し、自身の行動を極力機械的に実行するように取り組むものです。

     1日単位、1週間単位、1か月単位で、やるべきことを大まかに決め、生活環境の好循環を実現します。一度自身の生活を徹底的にこだわってしっかりした生活を追求してみようということを、目標に対する第一歩と位置づけ、「当たり前」の状況を確立します。

     自身ではこれまでも厳しくあろうとしてきた「つもり」でしたが、まだまだ甘さがあったことを実感しております、と当社代表取締役社長兼CEOが申しておりますw「明日やろうは、バカヤロー」とのスローガンを掲げ、今後も一層精進して参りますw

     一般人ほど私は甘くないが、さらに自身を厳しい環境下に置こうとの決断であり、楽して目標達成しようなどという甘さを一切カットし、糖質0%態勢で邁進致しますw

     自分に厳しくあろうとする人間は、「優しい人間」である。

  • にゃんこらむ【56】<表面上の見た目で考える癖は損をする>

     とある物事について考え話す時、個人的な感覚や経験などからしか言葉が出ないということは、つまり何の根拠もなく脈絡もない、全くもって説得力や説明力に乏しいことを意味する。

     視点を2つ3つ持って、それぞれの視点から発言ができるようだと、納得や解釈に至るまでにも選択肢が生まれ、浅はかな判断や決定を避けることができるようになる。無論、一方通行の考え方しかできない思考力では、問題に対する免疫力は低く、解決させることは困難となろう。

     もちろん、人はそれぞれ考え方が違うものだが、そのどれもが一つのテーマに対して「理に適うもの」であるかどうか、一概にはそう言えない部分もある。

     良いものは良い、そういう物事からは何かしら得るものがあるものだ。自分に良い影響を与えてくれるものを好むのであればなおさらのことである。ところが、これには考え方同様に「価値観」も関係してくるだろう。複数人の価値観を一つに括ることなど不可能であるため、共感することはあっても「否定」という行為には意味がない。

     そこで必要なことは、相手の価値観を「まず認める」ということが肝要になってくる。相手はその価値観からどう考えて話すのか、ということが相手の前提としていることであるため、それを否定してしまっては肝心の「会話」が成り立たなくなってしまうのだ。

     相手は相手、自分は自分、しかしながら、考え方や価値観を互いに誇示することに意味はなく、唯一それが生むことと言えば、互いの関係における「歪」であったり「衝突」といった関係性悪化の原因だろう。

     間違っても自ら相手を刺激するような否定の仕方、もしくは否定そのものを良しとしてはならない。これは単に相手の気分を害すだけであるからだ。ところが、相手は自分の考え方や価値観を否定してくることがあるかもしれないが、それに対して棘を向けてはならない。なぜならば、否定されて相手に棘を向けてしまった時点で「相手の言動に自身の心が翻弄された」という事実が確立されてしまうからである。

     「周りの人間は常に自由である」だから、周りの人間には好きに言わせ思わせればいいのである。特にそれが自分に悪影響を及ぼすものであるとは到底言い難いからだ。

     周りの人間と接するでも、「寡黙さ」は常に持っておきたいものだ。

  • にゃんこらむ【55】<一つ、酒の味でも覚えることにしよう>

     溺れるための酒ではなく、刻一刻と過ぎていく日々の中で、何を思い、何をすべきか、考えるための時間を得るということもまた一考とする。動くのはそれからでも遅くはない。

     人の手によって極められたものを食し、飲み、見て、触れて、聴き、身を清めることというのは、体感した者のみが知り得る何かがあるのではないか。そのことから、過去における「間違った認識」を正していき、モノを見る目を養うこと、ヒトを見る目を養うこと、お金を有価有効的に活用する手段を身に付けることを目指すということができるのではなかろうか。

     本物を知らずして何をどう見極められるのか、その答えは「否」だ。感性を磨きたくとも、偽りのモノや安っぽいモノばかりに囲まれて暮らしていたんじゃ、本物を知らずにそれが磨かれることはない。

     何に対しても、自身の目で見極めるためには、他(人)を寄せ付けてはならないのだ。物事の本質、それを誰が教えてくれるというのか。誰も教えてくれはしないのだ。他を頼ろうとするから騙されたり裏切られたり、恨んだり妬んだり、人との関わりを持つということで、人は死ぬまでその柵から逃れることはできない。それによって物事の本質が見えなくなってしまうキッカケを生んでしまっていることもある。

     一旦、私は(他)人から離れることにする。世の中は嘘と真の分別ができないくらい深刻な状況になっている。だからこそ、原点回帰に倣い、独りで時を過ごすことにする。

     これまで、多くの物事に振り回されすぎた。もちろん、得たものもあったが、失ったものは非常に重い。まだまだ精神が脆弱であることの現れである。「強ければ生き、弱ければ死ぬ」、権力のみに関わらず、精神力の弱さでも、人は簡単に死を選ぶ時代。何かに支配され続けて生きる人間は、やはり弱いのだろう。かと言って、支配から逃れたいがために、自由を選ぶだけの低能で浅はかな考えによっても人は命を落とす。

     己自身に苦難を課すことを避け、楽しよう楽しもうとすることだけを望む者に、天が力を与えることなどない。「天は自ら助くる者を助く」、自分で自分を助けるとは、一体どういうことなのか、今一度考えてみたいものだ。

  • にゃんこらむ【54】<自己成長に投じる歳月>

     そういうスタンスで向こう3年間を過ごすと決めたなら、普段の生活にありったけの「課題」を設定し、全てクリアすること。

     以前、自己管理についてにゃんこらむを書いたが、そうだ、自己成長プロジェクトを立ち上げることにしよう。

     第三者が一切干渉できないものであるため、リアルにおいて他人と無用な関わりを持たないことを絶対的条件とする。

     「お金」が全てではないことのウラには、自身の在り方そのものを問うべき前提が存在するのではなかろうか。大金を手にしても、大切な人がそばにいても、本人の内面構造がガタガタだと、それらを失うのは時間の問題である。失ったあらゆるものは、失うべくして失うのである。

     失うことの恐怖を知る人間だけが、失いたくないものを守る手段を自ら見出すことができるのだ。這い上がれる人間は、必ずと言っていいほど、ドン底を経験していて、わずかなチャンスも逃さぬ努力を惜しまない人間だろう。

     いざ、ここに、「自己管理創造委員会」を発足する。

     私はまだまだ現状に満足できないものでね。すべてビジュアル化させて実行していく。いつもゴールを決めて逆算してステップを踏む。すでに頭の中にはイメージできているので、あとは時間の問題。行動あるのみ。

  • にゃんこらむ【53】<「ありがとう」伝われば心は互いに浄化される>

     人が「心の底からありがたいと思う」その瞬間とは、どんな時だろうか。今までそんな経験をしたことはないだろうか。

     自分ではどうしようもないほど困った時に手を差し伸べてくれる人が現れた時、嬉しいですよね。何かをしてもらわないまでも、相手が言ってくれた「言葉」に心を救われることもありますね。そこから相手に対して恩を返そうと思う気持ちが生まれるのですね。

     逆に、自分で何でも大抵のことは解決できてしまう、そういう人は救われる側の気持ちをあまり知らずに過ごしているケースもあります。さらには、他人に助けられることを恥ずかしいこととし、誰も頼るまいとする人もいます。

     なんだか、不思議なものですね。強くあろうと必死になることも、弱くとも困った時には誰かを頼ることも、どちらも決して悪いことではなく、頑固さも素直さも、双方持ち合わせていても全くおかしいことではない。

     いろんなことが折り重なって続いていく「生活」、自身に厳しくあろうとすることも、時に自身へ褒美を与えることも、他者へ優しくも厳しくも接することができることも、すべて自身の選択次第。

     私は今もなお「自分探しの旅」をしているのだけれど、なかなか「中庸」を維持することの難しさに頭を悩ませる日々。言い換えれば、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とわかっていても行動に移すとなると、バランスに偏りが生じてしまうのであります。

     バランスボールの上に立ち、重心を保ち、いつ360度どの方向に傾くかわからない状況で、如何にボールの上に立ち続けるか、なんだか、そんな感覚であります。

     「継続すべきことは何か」「今すぐ辞めるべきことは何か」「得るべきものは何か」「捨てるべきものは何か」、今一度そうした項目にフォーカスし、重心を整えてみたいと思うのであります。

     行く果ては、「どんな人間であり続けるべきか」、そこに繋がるヒントを一つずつ集めていきたいと考えております、はい。

     ブレーキとアクセルの力加減、それを知るのは他の誰でもない自分自身。

     全てにおける大前提として、この言葉を掲げます。

    【「明日やろう」は「バカヤロー」】

     行動しなければ、何も変わらない、そのことを一番わかっているのも、己自身。

     今夜我がカワイイ3匹の猫たちにご褒美を与えたw

  • >>7522

    基本的に、日本人であることを誇りにしたいのなら、字は綺麗に書き、言葉は適切に発する、ということくらいはできる大人でありたいものですね。私の場合、これまでの人生、心のどこかで相手にそれを求めていたように思います。それに起因してか、関わりたいと思う人がなかなかおらず、人との繋がりを築けずにやってきました。

    いつ自分がそんなふうに他人の口調に染まってしまうかなんてわかりませんからね。方言が移ってしまうのと同様に、口癖なんかも大抵は他人からの影響によるものがほとんどですから、つい避けてしまうのです。

    話している中で、相手がその話題に対して「どうでもいいけど・・・」とボソっと言おうものなら、それ以上の話はする意味がなくなってしまい、以後その人と話そうという気すら失せてしまいます。ですから、間違っても自分はそのフレーズを口にすまい、と思うのです。

    そうした「話の腰を折る」行為は、私がもっとも嫌うものです。「ちゃぶ台返し」を平気でする人とは、まともに話がゴールに行き着くことはありませんからね。何の前触れもなく、目に映ったものに対して言葉を発し、会話を遮断する行為もまた同様に、人の話などコレッぽっちも聞いちゃいない。

    小さいことのようですが、私にとっては重要なことです。会話のキャッチボールが苦手だと言うなら話は別ですが、そもそも自身がそうした異常な行動をしていることに気付かない人との会話ほど無駄なものはありません。「それでもいいじゃないか」と言う人はそういう人と関わりを持てばいいだけのことですからね。無理にそうした人たちとまで関わろうとは思いませんので、きっとこの先も避けていくこととなるでしょう。

    私ほど言葉遣いに気を付けていても、間違いはあるでしょうから、自ら本を読む中でそうした一般的な言い回しで正しい遣い方を学ぶこともするようにしています。間違いは正せばいいだけですが、放置すれば死ぬまで間違った遣い方をすることになり、知らないところで恥をかくケースも出てくるでしょう。

    「自分以外の全ての人を師と思え」とは、そういう捉え方です。周りの人間が間違っていようと、自分は正しくあればいい。他人にそれを求めることは愚かなことであった。

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