ここから本文です
  • 日王はなぜ10月の早期総選挙を控えて『高句麗神社』を訪れたのだろうか?





    日王の『高麗神社』参拝は、反省と和解のメッセージニカ? 緊密な協力体制構築を望むジェスチャーニカ?



    日王はなぜ10月の早期総選挙を控えて『高句麗神社』を訪れたのだろうか?



    (アジア経済 韓国語 2017/09/24)




    明仁日王が去る20日、東京都近隣に位置した埼玉県日高市にある高麗神社を参拝したというニュースが日本国内で妙な波紋を起こしている。

    高麗神社は、去る7世紀に高句麗の流民が建てたもので、日本国内ではもちろん、対外的にも韓半島(朝鮮半島)との歴史的な関係を象徴する場所だ。

    特に歴代日王が参拝したことのないこの神社に明仁日王夫婦が直接訪れて参拝したことにより、その背景をめぐり対内外の耳目が集中している。

    高麗神社はよく『コリョ神社』と呼ばれるほど日本国内でも高句麗流民が建てた神社と広く知られたところだ。高麗神社に祀られた神は高句麗の最後の王、宝蔵王の子孫と知られた王若光という人物だ。

    王若光は西暦666年、日本に使節として派遣され、2年後に高句麗が羅唐連合軍(新羅・唐)によって滅亡すると、故郷へ戻ることができず、そのまま日本に帰化した。

    当時、日本朝廷は王若光に官位を下して『高麗王』(こま の こにきし)の称号を下し、王若光をはじめ、関東地域に住んでいた高句麗人1799人を今の高麗神社一帯に移住させた後、この地域を『高麗郡』と呼んだ。

    王若光は死後に高句麗流民に『高麗明神』という名前で崇められることになり、王若光と共に亡命した高句麗僧侶である勝楽が『勝楽寺』を建てた後、王若光を勝楽寺内の山神閣に山の神として迎えた。以後、王若光の子孫が祭祀を続け、今日に至る。

    韓半島との強い歴史的な関係を象徴する場所のため、日本が大陸侵略を夢見た明治維新の時期には寺刹を日本式神社に変えろという強要を受けた。

    当時、日帝の神仏分離令により明治政府から勝楽寺と仏像を破壊するという脅迫を受けると、しかたなく仏像を保存する条件で神社に変貌した。こうして高句麗人の山の神だった王若光は日本高麗神社の神に変わることになったのだ。

    ※僧勝楽が王若光を弔うために建立したお寺は、高麗神社の南西約400mに位置する『高麗山聖天院勝楽寺』として別にあります。

    このような歴史を持つ高麗神社に日王が歴代日王で最初に参拝したため、様々な解釈が出ている。参拝時点もまた、来月22日の日本の早期総選挙を控えている時点ということも特に注目される理由だ。

    韓国と中国など周辺国との過去の問題で対内外的に強い非難を受けている安倍政権の立場では圧迫として作用する側面があるからだ。

    また、明仁日王はこれまで自分を『百済の子孫』と明らかにしながら韓半島との歴史的連帯感を強く主張してきた人物だ。去る2001年、日王は誕生日記念会見で8世紀に帝位した桓武日王の生母が百済武寧王の子孫とし、韓国との縁を感じると明らかにしている。

    2004年には日王の堂叔(従兄弟違い)である朝香宮誠彦王(戦後皇籍離脱した朝香宮の子孫)が忠清南道公州市の武寧王陵に訪問して法事を行った。

    さらに翌年の2005年には日王が直接太平洋戦争当時、日本軍が戦争を行った東南アジア諸国と南太平洋の島々を歴訪しながら、朝鮮人犠牲者慰霊碑をわざわざ訪ねて黙祷した。

    日本王室がこのように韓半島とのきずなを強調するのは、過去、日帝の韓半島および東アジア一帯の侵略に対する反省と和解のメッセージを送りたいものと解釈される。

    過去の問題で梗塞した韓日関係に北朝鮮の核挑発が新たな問題として作用し、緊密な協力体制構築を望むジェスチャーとも映し出される。

    日本宮内庁は日王夫婦の旅行は『私的な旅行』であることを強調しているが、日本国内の波紋はしばらく続く見通しだ。(機械翻訳 若干修正)


    韓国三大紙の朝鮮日報・中央日報・東亜日報も「反省のため」を強調した記事ですね。(朝鮮・中央は日本語版ですが韓国版ではもちろん(?)天皇ではなく『日王』です)


    ヒトゴトコメント;

    天皇陛下は、神功皇后の三韓征伐(新羅、高句麗、百済)を思い出され、高句麗を哀れにお思いになられたのか・・・

    そういえば、高句麗は、今の北朝鮮あたりだな・・・

アプリでサクサク「掲示板」を見る Yahoo!ファイナンス公式アプリ
Yahoo! JAPANからの口座開設限定!最大32,000円キャッシュバックキャンペーン