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  • ネット上で自分を認めない人、意見が違う人、敵対する人をついつい攻撃してしまう人。もしかすると、それは自己愛性人格障害のせいかもしれません。自己愛性人格障害とは、一言でいうと、健全な人間関係を築けない障害のことです。

    自己愛性人格障害を持つは、他人から馬鹿にされることに耐えられません。過剰な自己愛を持つため、他人は常に比較の対象となります。したがって、自分が相手を見下すか、あるいは見下される立場に追い込まれるのか、当人にとっては2つに1つしかありません。自己愛性人格障害の人が横柄で暴言ばかり言うように見えるのは、他人を見下すことで、見下される立場になることを避けようとしているからです。尊大な自己イメージを守るための防衛策なのです。周囲の声は自分にとって心地よいものしか耳に入らず、忠告や本音を受付けないだけでなく、批判や侮辱と捉えて過剰に反応することがあります。

    他者から馬鹿にされたと感じることは耐えられません。許せないという怒りが湧き上がり、その場で激昂するのでは収まらず、中には報復しようと考える人もいます。ネット上では、自分に否定的な人、立場を脅かす人を全て同一人物と思い込み、激しく攻撃する傾向があります。

    この障害の本質は、実は自分を愛していないということです。自分が愛され、信頼される自信がない反動から他者を攻撃します。また、自分の自尊心を満たしてくれる人を何とかコントロールしようとすることもあります。そのため、他者が自分の思い通りの言動をしない場合は、怒ってその人間を激しく非難します。

    多くの人は、親しい相手と何でも共有したいという気持ちがあります。しかし、自己愛性人格障害の人は、相手に合わせるつもりが一切なく、一方的に自分のやり方を押し付け、相手を変えようとします。すなわち、歩み寄る姿勢が全くありません。相手が合わせてくれないと、批判したり、拗ねたりと攻撃的な態度をとります。大抵の場合は、相手は不満を募らせ、愛想を尽かすことになります。ありのままの自分を受け入れられず、理想を追い求め周囲にもそれを強制するので人間関係で行き詰まりやすくなるのです。期待外れの他者の言動に対して、恥じたり、屈辱感を抱いたり、激しく怒ったりする(自己愛的憤怒)のは、弱い自分を守るための防衛策といえます。

    このスレッドでは、そういった傾向がある人を温かく受け入れ、不満や不安を少しでも解消しながら、健全な関係を築く方向に意識を向けてもらうことを目指します。

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  • >>14

    いえいえ、とんでもないです。
    本質を捉えたお言葉だと思いましたが。

    またよろしければ、コメント下さいませ。

  • >>12

    コメントありがとうございます。

    >自分が相手を認めてないからでしょ?
    相手を認めない自分の姿勢をなぜ認めないの?って言ってるような気がする。

    おっしゃる通りですね。深いですね!

  • >>5

    だのに、
    なぜ今までそれをおまえは怖れていたのか。
    利害からか。妄想からか。
    憎しみからか。愛着からか。
    思い出からか。想像からか。
    金の有無からか。
    それをも見つめよ。
    自分の心を、
    まるで過去の汚れた遺物を
    調査するかのように見つめよ。
    逃げずに見つめよ。

    見つめれば、もう静かにわかるはずだ。
    本当は何もなかったということが。
    見えるものと自分の心を勝手につなげて
    気持ちをいたずらに動かしていたということを。
    自分が損得や勝ち負けにこだわっていたから
    焦りや感情に縛られていたということを。
    見えるものすべてを
    自分のくだらない自尊心の物差しではかっては
    勝手に評価や判断をしていたということを。
    すべてを自分のものだと思い込む
    利欲の根性に染まっていたということを。
    つまるところ、
    自分が卑しかったということを。

    だから、そういう自分のすべてを捨てろ。
    気持ちまでも捨てろ。
    そうして、
    自分というものの
    いっさいがっさいを捨て去れ。
    ただ、命だけは残しておけ。

    すると、
    おまえはいまだかつて知らなかった
    自由の空に飛ぶことができる。
    何をすることもできる。
    不可能なことは一つだにない。
    すべては可能だ。できないことはない。
    ただ、
    悪をなせば、
    昔の濁った自分がたちまちにして戻ってくる。
    まずは悪でないこと、
    人が必要としていることを自分でなせ。
    人のために、善のために、自分を使え。
    それこそが大いなる自由の空を飛ぶことだ。
    そのとき、
    世界は一変する。
    いっさいが澄んだ静けさの中で変わる。
    いっさいが静かな歓喜に満たされる。
    おまえは初めて、人になる。

  • 白鳥春彦氏による「超訳般若心経」
    ~日経大人のOFF7月号から~

    =般若心経超訳=

    人よ、何を見ているのか。
    おまえの眼には、
    いったい何が映っているのか。
    眼の玉が見たものに脅え、驚き、戦き、
    心を騒がせているのか。
    それほどのものが見えているとでもいうのか。

    人よ、かつてのおまえは今ほど臆病ではなかった。
    ふくよかで暖かい胸に抱かれていたとき、
    乳房のたおやかな峰の向こうに見えていた世界は
    美しく輝いていたではないか。
    おまえは少しの怖れもなく、
    世界に向かってほほえんでいたではないか。
    あの美しき日々は
    いつ遠ざかってしまったのか。
    唇に与えられたものすべてが美味だった日々は
    どこへ消えてしまったのか。
    かぐわしき花々のゆらめき、
    甘い息の漂い、
    清らかな風の流れはいつ色褪せたのか。

    小さな手が
    まだ何も掴めなかったあの頃、
    おまえの眠りは死だった。
    そして朝に新しく生まれ、
    人生の一日がゆったりと流れ、
    また夜が来て、
    おまえは死んだように眠っていた。
    再び朝に生まれ、
    あらゆる経験におまえの胸は歓喜していたというのに。

    今のお前はどうだ。
    数え切れない悩みを抱いている。
    何も正視できず、震えながら眼をそむけている。
    多くの怖れ、多くの不安、後悔。
    おまえの人生は苦しみに満ちている。
    しかし、もう眼をつむるな。
    金輪際、顔をそむけるな。
    しかと視よ。何がそこにあるか、しっかりと視よ。
    何が自分に見えているか、
    はっきりと見えるまで見つめ続けよ。

    そこに見えているのは人間か。
    そこにあるのは物か。
    おまえの眼に映るものは何か。
    見えているものが
    人であろうが物であろうが、
    さらによく見つめよ。
    それがつまらなく感じられるまで。
    他の瑣末なものと
    見分けがつかなくなるほどに見つめよ。
    それが人か物か
    わからなくなるまで見つめよ。

    さあ、どうだ。
    何か起きたか。
    何も起きない。
    心が動いたか。
    いや、
    心はかえって静かになり、
    今では心すら無い状態だ。
    見えているものは何か。
    人であろうが物であろうが、
    そこにあるものは
    大きくも小さくもない。
    強くもない。
    ただ、
    それはそこにあるものでしかない。
    あたかも、そこにあるかのように
    自分の目に映るものでしかない。

  • エリザベス様、オタンコナス先輩は、お互いよく似たところがありますね。
    磁石と同じで、S極同士、反発して近寄らないってことでしょうか?

    般若心経の一節 「遠離一切顛倒夢想 究境涅槃 (おんりいっさい てんどうむそう くきょうねはん)」を捧げます。

    般若波羅蜜多心經

    觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
    舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
    舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不增不減。
    是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
    無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
    以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顚倒夢想。究竟涅槃。
    三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
    故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不虛。故說般若波羅蜜多咒即說咒曰
    揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶
    般若波羅蜜多心經

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