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    これからはここで日常の楽しいお話をしましょう。モチロン楽しくないことも愚痴も悩みもな〜んでもカキコしちゃいますよ〜♪

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    Dan von Roman 6月20日 17:27

    昨日、東京・三鷹市の禅林寺へ行きました。
    桜桃忌に、文豪・太宰治の墓に参拝しました。
    多くの参拝者で、墓前は混んでいました。
    参拝後、三鷹市内の太宰治ゆかりの場所を巡りました。

    お暇な時間にどうぞ~♪ 昨日、東京・三鷹市の禅林寺へ行きました。 桜桃忌に、文豪・太宰治の墓に参拝しました。 多くの参拝者で

  •  もしさん ロマンさん今日は、今日は一寸☁は多いけど☀たので
    洗足池へツミの子育てを撮りに行って来ましたよ、もう雛も可成り大きく
    成って巣の近くの枝にも移動を始めて居ましたよ、ツミの子育ては一ヶ月
    位にしいので、巣立ちももう直ぐの雰囲気でしたよ。

     もしさん、石神井公園も水鳥が多いでしょうね、石神井池の向こうの
    池は周囲に木が多いから、水鳥以外の鳥達が子育てをしてるかもね。
     そうそう、鳥の名前を聞いても忘れてしまいますよね(笑)、私は忘れて
    困りそうな時はスマホの「メモ」に書いて於きますよ。

     写真が今日のツミの巣と雛達です、14日に行った時は雛の頭が白
    かったのが、もうこんなに大きく成って居ましたね。

    お暇な時間にどうぞ~♪  もしさん ロマンさん今日は、今日は一寸☁は多いけど☀たので 洗足池へツミの子育てを撮りに行って来ま

  • >>11087

    イゴ爺さん、ロマンさん、こんばんは。

    とうとう今日が連休最後の日となりました。

    今までラマダンタイムだったので朝もゆっくりで良かったのですが、明日から急に早起きに切り替えないといけないんですよねー何だか少し緊張します。


    イゴ爺さん、カイツブリの雛ってこんな風な色をしているんですね。そういえば、石神井公園にも色々な水鳥のがいましたねー
    一箇所だけ鳥の種類と名前が書かれている場所ばありましたが、一羽一羽よく観察しないとダメですね、動きが早くて。
    そういえば大きなカメラを持った人たちが一斉に写真を撮っている場面があったのでなんの鳥か聞いてみたんですよねー!

    とても珍しい鳥のようでしたが、今名前を思い出せないんです(ーー;
    あまり無関心ではダメですねー

  • 続く  ~  太宰治  ~

     1939年(同14年)に、29歳で石原美知子と結婚してからの太宰は、「富嶽百景」「女生徒」「走れメロス」「津軽」「お伽草紙」など、戦時下の暗い世相に抗するかのように、人間の滑稽と悲惨を明るく描く作品を量産した。その時期の太宰は「懶惰(らんだ)の歌留多(かるた)」という作品の中で、遺作とはまったく違う文脈で「人間失格」という言葉を使っている。

     〈苦しさだの、高邁(こうまい)だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語でも、一口噺(ばなし)でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。おろかな、おろかな、盲信である。人は、自分以上の仕事もできないし、自分以下の仕事もできない。働かないものには、権利がない。人間失格、あたりまえのことである。〉

     太宰を愛読した作家・司馬遼太郎は〈太宰文学は破滅型で、『人間失格』が太宰の人生だというのは、先入観です〉と、1987年(同62年)の講演「東北の巨人たち」で語っている。「人間失格」だけではない、明るく、前向きな太宰治もいたのである。それを誕生させたのは、太宰治の「三つの空白」であった。

       ↓ この「太宰治」を描いた人物のプロフィル ↓
    鵜飼 哲夫(うかい・てつお) 読売新聞編集委員。文化部で文芸担当を四半世紀、読書面デスクなどを経て現職。三度の飯より本が好きで、夕刊読書面にコラム「ほんの散策」を月に1回連載している。著書に『芥川賞の謎を解く 全選評完全読破』(文春新書)、今年5月に出した新刊に『三つの空白 太宰治の誕生』(白水社)。

  • 続く  ~  太宰治  ~


    ■誰の中にも潜む「ずるさと愚かさ」描いた太宰

     だが、思いはかなわなかった。それどころか、中毒が高じて、師の井伏鱒二や同居していた初代の願いで、精神科病院に入院させられる。後にいう「人間失格」体験である。苦しみはそれで終わらなかった。入院中、同居していた初代が、弟のようにかわいがっていた親類の画学生と悲しい過ちを犯していたことがわかったのだ。

     かつて銀座のカフェの女性と心中を図り、さんざん迷惑をかけた自分である。人を責める資格がないのはわかっている。それでも、自分の感覚が、初代を許せなかった。

     太宰、第3の空白時期は、傑作意識に取りつかれて、生活をないがしろにし、生活をともにした女性を捨てた自分という存在、自分の中に巣食う虚栄心と、どこまでも向き合う時間だった。

     そうして空白の果てに生まれた小説「姥捨(うばすて)」で太宰は、「単純になろう。単純になろう」と繰り返したうえで、「あたりまえに生きるのだ。生きてゆくには、それよりほかに仕方がない。おれは、天才でない。気ちがいじゃない」と宣言している。

     その頃に書いた随想「一日の労苦」では、「無性格、よし。卑屈、結構。女性的、そうか。復讐(ふくしゅう)心、よし。お調子もの、またよし。怠惰よし。変人、よし」と書いている。

     太宰の三つの空白は、さまざまな挫折と別れを経て、太宰が、自らの弱さ、駄目さととことん向き合うための時間だった。太宰の弱さは、人間の弱さである。そのずるさ、駄目さは、人間であれば誰の心の中にも潜むものである。太宰の小説を読み、自分のことが書かれているかのように思う若者が多いのは、人一倍とことん悩み、苦しんできた太宰が、自らを含めた人間の弱さ、愚かさを否定するのではなく、ユーモラスに描いたからだろう。

  • 続く   ~  太宰治  ~

    ■「私の生涯の黒点」…衝撃的だった第2の空白

     そんな矛盾が露呈したのが、東京帝大に入学した年に始まる第2の空白だ。非合法運動への関与、芸妓(げいぎ)・小山初代との結婚問題で、それに反対する実家の怒りを買い、分家除籍処分を受けたことが、事の始まりだった。さらに、その絶望から銀座のカフェの女性従業員と心中を図り、女性だけを死なせる事件を起こしてしまい、言葉を失う。この空白時代について、太宰は小説「東京八景」で、〈阿呆(あほう)の時代である〉と書いている。大学にはほとんど通わず、ぐずぐずと左翼運動をつづけ、自らが〈私の生涯の、黒点である〉という心中事件の痛みを抱え続ける。

     この苦闘の空白の2年を経た太宰は、ようやく左翼運動から離脱し、1933年(同8年)、太宰治のペンネームを使った随想「田舎者」を発表する。もはや地方の名家の生まれであるという自負も、優等生であるという自尊もなく、「私は、青森県北津軽郡というところで、生れました。(中略)何をかくそう、私は、もっとひどい田舎者なのであります」と書いている。

     そうして生まれたのが、幼少年時代を叙情的につづった記念碑的な作品「思い出」だった。その後、心中事件を見つめた「道化の華」で、同世代の作家から「天才」と騒がれ、「逆行」では35年(同10年)の第1回芥川賞の候補にもなった。しかし、これで順風満帆とならないのが太宰である。過去の優等生という栄光、自尊心、地主の子という自負をなげうっても、自分は「天才」の小説家という自負の念だけは捨てることができなかったのである。

     その頃の太宰の口癖は、「傑作を一つ書いて死にたいねえ」であり、檀一雄ら親しい文学仲間と話すときには、「ゲーテの処女出版が幾つの年、チェホフが幾つの年、芥川が幾つの年」と、いちいち数え上げていたという。もはや芥川は雲の上の存在ではなく、その名を冠した芥川賞は是が非でも欲しかった。しかし、落ちた。しかも、選考委員の川端康成からは、「作者、目下の生活に厭(いや)な雲ありて、才能の素直に発せざる憾(うら)みあった」と評された。

  • 続く  ~ 太宰治 ~

    そんな太宰には、ほとんど小説を書かない三つの空白期間があった。空白の期間を経るたびに太宰は、私たちが知る作家へと脱皮していった。

     第1の空白は、旧制弘前高校に1927年(昭和2年)に入学してからの1年間であり、翌年5月に「無間奈落」を発表するまで一つも創作を発表していない。第2の空白は、30年(同5年)に東京帝国大学文学部仏文科に進学後、「学生群」を7月から11月まで連載してから、33年(同8年)2月に、太宰治のペンネームで初めて書いた小説「列車」を発表するまでの2年以上の長いブランクである。そして、第3の空白は、鎮痛のために使ったパビナールという薬の中毒になり、治療のため36年(同11年)10月、精神科病院入院という「人間失格」体験を経てからの1年半ほどである。その「空白」期間に起きた別離と挫折を経るたびに成長し、「弱くて明るい太宰」が誕生していく。

     第1の空白では、高校入学直前に貴族院議員だった父・津島源右衛門の死に見舞われ、高校1年の夏、作家・芥川龍之介の自殺に遭遇した。エリートであり続けることを期待する父の死は、悲しみではあったが、自由への一歩だった。そして、敬愛した作家・芥川の自殺が新聞で騒がれ、作家という存在がクローズアップされたことは、優等生という道から、親兄弟が反対する作家への道を歩ませる大きなきっかけとなった。

     事実、太宰は、芥川の死の直後から突如、芸者遊びを始め、優等生の道から外れ、翌28年、同人誌「細胞文芸」を創刊。創作を再開してからは、文体をがらりと変え、当時流行していたプロレタリア文学を意識した長編に取り組み、地主階級の実家を批判する内容が主流となった。しかし、もしここで、太宰が時流に乗るような作家だったら、後年の太宰治の誕生はなかった。「創作ハ技芸ナリ」という考えがある太宰には、「マルクス主義の宣伝文に過ぎない」という疑念があるプロレタリア文学にはなじめず、長編はすべて中絶している。当時、学生の多くが参加した社会主義運動にもなじめずに芸者遊びを繰り返し、成績は急降下していった。

  • 続く  ~ 太宰治 ~


    ■小説を書かなかった「三つの空白期」とは

     故郷・青森県の蟹田町(現・外ヶ浜町)に1956年(昭和31年)に建てられた文学碑には、太宰の「正義と微笑」の一節、「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった」が刻まれている。代表作「人間失格」の主人公・大庭葉蔵も、道化によって他人を笑わせる人物で、実はサービス精神の塊である。

     死を前にした晩年の小説には、「子供より親が大事、と思いたい」(「桜桃」から)、「家庭の幸福は諸悪の本」(「家庭の幸福」から)など、心中という結果から見ると、破滅型で、無頼な文章が目立つ。しかし、作品をよく読むと、子どもを育てる甲斐性(かいしょう)も自信もない主人公が、家を飛び出し、酒場に逃げて、子どもたちに食べさせたらさぞ喜ぶであろう桜桃を、食べては種をはき、食べては種をはき、「子供より親が大事」と心の中で虚勢みたいにつぶやく、なんとも弱い人間の困った姿をユーモラスに書いている。

     津軽の新興地主の家に生まれ、金木村(現・青森県五所川原市)の尋常小学校時代、「全甲」を通し、エリート校の旧制青森中学(現・県立青森高校)でも成績はトップクラスだった太宰治(本名・津島修治)の幼少年時代は、陽気で明るかったが、決して弱い性格ではなかった。母親が病弱で、乳母や叔母、子守に育てられたため、母の愛を渇望していたが、文学好きな兄たちに囲まれ、何不自由ない生活をしている。いたずら好きで、自分で脚本を書いては家でミニ芝居をし、家族たちを楽しませる少年で、高等小学校時代の綴(つづ)り方では県下でも有数の豪邸に生まれ育った自分について、無邪気に「無上ノヨロコビデアル」と書いている。太宰は、親元を離れて暮らした旧制青森中学生の頃から、親の金で同人誌を発行し、創作を始め、自尊の精神とそれが破れるさまをコント風に描く小説で同級生たちをあっと言わせていた。

  • 没後70年、作家・太宰治を生んだ「三つの空白期」
    6/18(月) 5:21配信
    読売新聞(ヨミウリオンライン)

     今年は、作家・太宰治が亡くなって70年になる。誕生日にもあたる6月19日の節目の桜桃忌には、全国から数多くのファンが太宰の眠る東京・三鷹の禅林寺を訪れ、在りし日の作家をしのぶことだろう。太宰文学は、今も多くの人たちに読み継がれているが、実は、太宰には小説を執筆しない「三つの空白期」があった。その空白期は、いずれも死や別れと関係していた。太宰は、その空白期を経るたびに脱皮し、明るく前向きな作品も書ける作家へと変わっていった。

    ■「人間失格」累計700万部、「こころ」に次いで2位

     戦後、「斜陽」がベストセラーになり、遺作となった「人間失格」を書いて世を去った太宰治(1909~48)は、今も読み継がれる人気作家である。明治の文豪・夏目漱石は「国民作家」として幅広い世代で読まれるが、太宰の場合は「青春の文学」「青春のはしか」と言われるように、自意識が芽生え、過剰になる思春期にはまる若者が多い。

     名作文学の充実で知られる新潮文庫の売り上げでは、「人間失格」は累計698万8000部で、漱石の「こころ」(735万2500部)に次いで堂々の2位。没落貴族の家に生まれた女性の恋と革命を描く「斜陽」は約377万部、教科書にも掲載された「走れメロス」は201万6000部。このほか、第1創作集「晩年」をはじめ、「津軽」「ヴィヨンの妻」もそれぞれ100万部以上売れており、計6冊がミリオンセラーになっている。

     平成になってからも人気は衰えていない。生誕100年の2009年には、「斜陽」「ヴィヨンの妻」「パンドラの匣(はこ)」が映画公開され、翌10年には生田斗真主演で「人間失格」が映画化された。

  •  もしさん ロマンさん今晩は、今日は気象予報は☀でしたが殆ど一日☁で
    したよ、気象衛星を打ち上げて居るので昔より格段に正確に成る筈が、全く
    当たらん予報で困ったモンジャ焼きぃ~です。
     で今日は又井の頭公園のカイツブリを見に行って来ましたよ、雛が二羽
    孵化して居て卵も二個見えましたね。

     もしさん、休日もあと一日ですか❔き休みの日は時間の経つのが早いん
    ですよね(笑)、仕事中は中々時間の経つのが遅いですけどね(笑)。

     写真が今日のカイツブリです。

    お暇な時間にどうぞ~♪  もしさん ロマンさん今晩は、今日は気象予報は☀でしたが殆ど一日☁で したよ、気象衛星を打ち上げて居

  • >>11085

    イゴ爺さん、ロマンさん、おはようございます。

    今日で連休3日目ですが、明日で休みが終わってしまうかと思うと何だか残念ですー
    (ーー;

    この2日間ずっと家に籠って家事をしたり読書をしたり、休み明けから始まる新しいクラスの準備を気の向くままにしていました。でも今日からは気の向くままではなく気合を入れで準備に取り組みます。


    イゴ爺さん、そちらは毎日雨続きですか。嫌ですよねー私もこちらにいると雨でも別に構いですが、やはり日本にいて特に東京にいる時はなるべく電車に乗る距離を歩くようにしているので雨だと憂鬱です。特に梅雨から夏の時期はジメジメして暑いので不快ですよね。

    こないだ帰国している間に、暇を見て2回ぐらい家から石神井公園まで歩いて行きました。
    石神井公園は子供の頃からたまに遊びに行く公園で、殆ど変わっていませんでしたね。
    緑が多くて癒されました。

  •  もしさん ロマンさん今晩は、今日は☂の中相棒の代理通院に行き、
    明日は自分の膝外来に行った後相棒の薬を貰いに行って来ます。

     もしさん、此方はほぼ毎日☂で其方は暑さで外のウォーキングは駄目
    ですね(苦笑)、何とかマシンで頑張って下さいね。

     ロマンさん、明後日は太宰治の命日で三鷹に行くのですか❔、玉川上水
    に入水した事は知って居ましたが三鷹市だったのですね。
     以前どの辺からだったか❔玉川上水沿いを歩いて、三鷹駅周辺から井の頭公園
    に行った事が有りますから、入水現場付近も通って居ますね、場所は定か
    では無いですが。

  • 敬愛する太宰治は、波乱に満ちた生涯でした。
    検索で、「太宰治」を入力すると、沢山の情報があります。

          ↓    ↓     ↓


    本名、津島修治。青森県津軽の大地主の家に生まれる。父親は貴族院議員も務め、邸宅には30人の使用人がいた。小学校を首席で卒業。14歳の時に父親が病没し、長兄が家督を継ぐ(太宰は六男)。16歳の頃から小説やエッセイをクラスメートと作った同人雑誌に書き始めた。高校では芥川、泉鏡花に強く傾倒し、中高を通して書き記した習作は200篇にも及ぶという。18歳の時に敬愛する芥川が自殺。猛烈に衝撃を受けた太宰は学業を放棄、義太夫を習い花柳界に出入りし、青森の料亭で15歳の芸妓(げいぎ)・小山初代と知り合い深い仲になる。1929年(20歳)、秋頃から急激に左翼思想に傾斜し、12月10日深夜に最初の自殺未遂。資産家の子という自己の出身階級に悩み、下宿で睡眠薬(カルモチン)による自殺を図り昏睡状態に陥ったのだ。

    翌年、東大仏文科に入学。かねてから『山椒魚』等で井伏鱒二を尊敬していた太宰は、上京後すぐ井伏のもとを訪れ弟子入り。治安維持法によって非合法化されていた左翼活動にも、具体的に係わっていく。秋頃、愛人関係にあった小山初代に、地元有力者からの身請け話が持ち上がり、動揺した太宰は彼女を上京させる。名家の息子が芸妓を呼び寄せたことが郷里で騒ぎになり「全ての肉親を仰天させ、母に地獄の苦しみをなめさせた」(東京八景)という。2人が同棲し始めると、生家から長兄が上京し、“(初代が芸妓でも)結婚は認めるが本家からは除籍する”と言い渡される。これを受けて兄と初代は落籍の為にいったん帰郷、11月19日に分家を届出、除籍された。11月24日、長兄が太宰の名で小山家と結納を交す。

       ~~  以下  省略  ~~

  • 一昨年、私は、青森県金木町の太宰治(本名:津島修治)の生家を訪れました。
    生家は、青森県では、大地主であり、銀行家でした。
    私は、太宰治の「人間としての弱さ」に共感するものがあり、
    太宰治の人間性やその小説も大好きです。

        ↓       ↓       ↓


    太宰の墓がある東京都三鷹市の禅林寺では、
    太宰と富栄の遺体が引き揚げられた6月19日には毎年多くの愛好家が訪れている。
    これは一般に「桜桃忌」と称されている。
    太宰の出身地・金木でも桜桃忌の行事を行っていたが
    「生誕地には生誕を祝う祭の方がふさわしい」という遺族の要望もあり、
    生誕90周年となる1999年(平成11年)から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。

  • 6月19日は、小説家:太宰治の誕生日です。
    また、6月13日は、太宰治の命日です。
    太宰治は、三鷹市の玉川上水で、愛人と一緒に、入水自殺しました。
    そこで、来る6月19日には、三鷹市へ行く予定です。

    検索ウイキペディアの太宰治について ↓

    太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。自殺未遂や薬物中毒を克服し戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。

  • >>11079

    イゴ爺さん、ロマンさん、おはようございます。

    こちらは今日から4日間の連休に入りました。今のところ特に出かける用もないので、部屋の片付けや、旅行鞄の中身を全て出して鞄をしまったり、洗濯やアイロンがけなどの家事をしてたり、連休明けから始まるクラスに備えて教材の準備などをして時間を有効に使いたいと思っています。


    イゴじいさん、2日間続けたマシンウォークを一昨日は休んでしまいましたが、昨日は歩きとランニングで1時間たっぷりと汗をかきました。
    こちらは夏の間は日が沈んだ後でもウォーキングの為に外へ出るのが億劫になってしまうのでマシンを有効活用するしかないですね。
    暗くなっても気温が36〜9度はあるので、やはり暑いです。風が強い日が多いのですが、熱風に感じることが多く目が乾きやすくて困ります。

    でもこちらの人たちは慣れているから大丈夫なんですかね?暑くても夜になると結構外に人がいます。子供を連れて海水浴に来るのもやはり日が沈んでからですね。

  •  もしさん ロマンさん今晩は、今日は往復🚃に乗って洗足池とミニ写真展に
    行って来ましたよ、実際に歩いたのは両方で一時間程度でしたが、昨日医師に
    言って湿布を少し強めのを出して貰って来て貼ったら、今日は劇的に改善し
    ましたよ丁度治り掛けてた処だったのも効果が出たのでしょうね。

     写真は鷹の仲間で一番小型の「ツミ」の巣ですよ、雛が三羽見えましたね
    巣立ち迄一ヶ月位掛かるのかな❔。

    お暇な時間にどうぞ~♪  もしさん ロマンさん今晩は、今日は往復🚃に乗って洗足池とミニ写真展に 行って来ましたよ、実際に歩い

  •  もしさん ロマンさん今晩は、今日は今月初めに受信した健康診断の
    結果を聞きに行って来ましたよ、内科的な内容は「全て基準目安の数値内」
    でしたよ、但し尿酸値は薬を服用しては居ますがね。
     只最近は左右の膝痛が定期的に起きるので、土曜日膝整形医の受診を
    予約して来ました。

     もしさん、ウォーキングを再開しましたかスッキリとして良かったです
    ね、私も膝が痛いので脚の屈伸は止めて居ますが、腹筋・背筋・腕関係は
    続けて居ますよ。
     四日間の連休を有意義に使って下さいね。

     ロマンさん、拉致問題は結局ウヤムヤのまま解決出来無いのでは❔、東亜
    三国+恐ろしあは欺瞞国家ですから、拉致被害者と家族は可哀想ですが。

  • >>11075

    イゴ爺さん、ロマンさん、おはようございます。

    この頃1日があっという間に終わってしまい、すぐにもう新しい1日が始まります。

    でも、今日と明日仕事をすればラマダン明けのイード休みに入り4連休になります。
    今回の連休は日本から戻ったばかりなので、特に何処かへ行く予定もないので、うちでゆっくりしようと思っています。それならきっと少しは時間がゆっくりと流れる感じ?がするのではないでしょうか。(^^;

    イードの休暇明けから新しい語学学校でのクラスが始まるのでその準備などですぐに時間が経ってしまうかもしれないですが、最近の運動不足を解消したり有効に時間を費やしたいと思っています。


    イゴ爺さん、一昨日からうちのマシンでウオーキングを開始しましたー!
    毎日仕事と家でじっとしていたので、精神衛生上良くないんですねーなんだかストレスが溜まっていたようで、ウォーキングしてからスッキリした感じがします。

  • >>11072

    イゴ爺さん、ロマンさん、おはようございます。

    今日は職場からカキコしてます。これから仕事をしなければならないので取り敢えずご挨拶のみで失礼しますねー。

    イゴ爺さん、そうなんですよ、職場のエアコンがあまりきいていないようでとにかく暑いてです。
    でもモチロン外の気温よりはマシなのでなんとか我慢できますが(^^;

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