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    このトピでは「花の生涯」から続いている大河ドラマの中で基本的に過去に放送された作品を回顧し、書き連ねていこうというトピです。
    以前に同趣旨のトピがありましたが消えてしまったので復活させました。
    この作品は面白かった、印象に残った、あるいはつまらなかった等どのような意見でも構いません。

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    d3n***** 8月18日 20:23

    西郷どん 第30回「怪人 岩倉具視」

    岩倉具視と交流をほぼもったのは大久保の方だが、西郷を主人とするドラマからすれば それではおもしろくないのか、とにかく西郷を様々な歴史上の人物に紐づけしたいのだろう。 西郷を一橋慶喜に個人的に結びつけ、こんどは 岩倉具視に結びつけるというわけか。いずれにしても、どちらの交流も作り話だ。


    ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
    真田丸 第16回「表裏」

    秀吉が真田信繫に 家康には若いころ会ったきりで、それ以来会っていないと言ったが、
    それはいつのことだ。
    おそらく 1570年の朝倉との戦いのときだろ。このとき 家康、27歳。

    茶々との関係が疑われる馬回りが消されるというミステリー。
    茶々に近づきするな、お前も消されるぞと信繫が警告される。

  •  西郷どん、ミス・キャスト……岩倉具視の役……笑福亭鶴瓶のような、お笑い芸人ではなく、もっと、ましな俳優でなければ視聴率は稼げないだろう。
    小学校の学芸会じゃないだろう。

  • 公家の数を調べたけど良く分からないが概ね140。
    公家天皇武家の関係は良く分からない。
    一つには下々が詮索するのは不敬であると言う大義名分により権威の詳細を明かさない事が重要だと
    考えての事。
    なんだ普通の人間じゃないか、と思った瞬間権威は崩れ去る。
    江戸から幕末にかけて武家と天皇の関係を決めたのは家康。
    実務は金地院なんとかって、天海坊と権威争いをやった人。
    禁中並公家諸法度がその法の名称。
    数条しかないが全く理解出来ない。
    漢字単語が知らない物ばかりで、なんだろうな?
    1条の解説では
    天皇は学ぶのが職務と規定してある。
    何の意味?と不思議なんだが、
    重要なのは家康がお前は何か適当に暇つぶしでもしてって定めた事。
    ドラマでは盛んに天子様と出て来るが、神の子の事。
    つまりキリストと同じ。
    神の子に向かい適当に暇つぶしやってろって酷く乱暴なんだが
    食い扶持を与え生かしてやってるのは俺だって、上下関係を現してる重要な規定。
    それが
    幕府組織の綻びから権威移譲作用が起き、薩長が移譲の名目に天皇を担ぎ上げるのは自然な事。
    この天子様は頑迷な外国嫌いだったので、薩長には都合が良く無く、タイミング良く死亡する。

  • 西郷どん 第29回「三度目の結婚」

    ドラマの中で 吉之助が「民のため」としばしば口走っている。
    そういえば、前の方の回で、吉之助が「革命」という言葉をやはり口走ってましたね。(笑) 「革命」と「民のため」という二つの言葉を掛け合わせると 横井湘南あたりを思わせる。
    日本では、吉田松陰がそうであるように、革命といっても天皇を肯定したうえでの革命であり、 孟子の革命論も それにそくして読み換えがおこなわれる。日本では 革命と天皇は 矛盾しないのであり、天皇は革命側に擁されるのである。ということで、倒幕勢力が天皇を擁するのもこの原理に当てはまる。

    司馬良太郎によれば、西郷は幕府を倒した後の明確な青写真をもっていなかった。明治維新が成立するまでに示された西郷の権謀術数、政治能力があまりにも鮮やかであっただけに、以前と以後のちがいがきわだっている。司馬によれば、これが西郷についての最大の謎ということになる。
    坂本龍馬が青写真を持っていたのは横井湘南からの受け売りだ。その点で、西郷は横井湘南、もしくは湘南の影響を受けたひとびとの薫陶を受けていなかったか。あるいは、斉彬のビジョンを深く自分のものにとして身に着けていなかったか。でなければ、倒幕後の新しい時代の日本のあるべき姿への青写真をなぜ彼が持たなかったのか。あれほど、斉彬の薫陶を受けた吉之助が? これも謎の一つだ。

  • 3度目の嫁は石女だと自ら遠慮するように縁談を断る悲恋物の様で感動的で評判が良かった様ですね。
    吉之助はそいでんよか、おいどんのバックアップの為に家庭を支えてくれればそれで充分たい、
    石女と言えば秀吉の妻おねもそうでしたが、彼女も日本の歴史を大きく変える役割を果たした一人。
    最近の話題で杉田水脈議員の事を思い出しました。
    子を産めない物に価値は無い、法で保護する理由は無いと言う物。
    何も人間は子をなすだけが仕事でも無いし、なさなければ何の価値も無いが誤りなのは数々の事例でも明らか。
    同性愛だから子をなさないと言うのも又単純発想で人工授精法もあり、
    発言は無茶苦茶。
    様は優生学に毒された人ですね。
    差別が大好き。
    勿論自分は差別する方だと思い込んでの事で、何々学と言うけれど、サディストて病質に過ぎない。
    彼彼女らの憧れはヒトラーなんでしょうが、自ら被害者になるとは露とも思って無い。
    普通の神経なら自分の立場をいつも危ぶみ、計算と言えばそうですが、他人を擁護する。
    それが互いが互いを守る法則に成ってる。
    ヒトラーを教祖とする優生学の徒にはその計算が抜けてる。
    だから最後は自殺するか死刑。
    糸さんは石女じゃなかったし
    杉田の様に単純な断罪やってたら、3人の子供は生まれなかった。
    人間にはいろんな可能性があり、何でも単純に決めつける物じゃない。

  • 西郷どん 第28回「勝と龍馬」

    龍馬が西郷にあったのはいつか
    1864年
    6月5日 池田屋事件
    7月19日 禁門の変
    8月5日 下関戦争
    8月中旬 龍馬、勝の紹介で西郷に面会

    「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)では、錦小路の薩摩藩邸に竜馬が西郷を訪ねたことになっている。その前に、西郷が勝に会っていて、「長州をはやく打つべし」と催促している。西郷は 長州を攻めるべしということでは強硬派だ。場合によっては、幕府よりも強硬。ためらっている幕閣を西郷がたしなめる。弱腰の幕府官僚を薩の西郷が責めたてる。

    大河ドラマでは逆になっていて、西郷を平和主義者に見せたいらしい。(笑) まあ、いつものことだが。
    「竜馬がゆく」にあるように、長州を成敗することでは西郷は強硬な態度を示した。戦も辞さずという姿勢であるのは、軍事を生業とする武士においては当然のこと。西郷は、戦(いくさ)と外交が密接にリンクしていることをよくわかっている。交渉で相手を動かすには、戦も辞さないという本気の姿勢を示すことが必要だ。
    司馬遼太郎によれば、薩摩は伝統的に外交能力に長けているという。そこが長州とは違う。

    前々からそうだが、大河ドラマは 「戦争は悪」という価値観を中に入れ込んでおきたいようだな。
    この時代、日本のみならず、世界的に「戦争は悪」という価値はまだない。
    しかも、大河ドラマで主に活躍しているのは武士たちだ。武士とは本来、鎌倉以来「戦うこと」を生業としている者たちだ。
    また、 「戦争は悪」という考えであれば、外交は機能しない。戦争という手段に訴えることにおいて西郷は本気を示さなければならない。でなければ、交渉事は動かない。司馬遼太郎によれば、このころ 西郷は外交では ずば抜けた才能を発揮した。

    ふきという 慶喜のそばに使える百姓出の女が、民を苦しめる戦(いくさ)はやめてくれという。
    奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)としか言いようがない。武家に仕える女が、本来 戦(いくさ)を生業(なりわい)とし、征夷大将軍たる武家の棟梁(とうりょう)の家柄にあるものに向かって「戦を止めて」というのはない。それ以上に この時代の常識からすると殿さまにこういう政策のことで物申すのは、女として出すぎている。

    伝統的な歴史小説に寄らない、いまの脚本家が書きそうなことだ。まずもって、権力というものを描けない。

  • 慶喜が独裁者の様に描かれてるけど、ドラマとして作ってるだけで、本当は他の徳川家とか有力大名らの議論の末
    の長州征伐なんでしょう?
    総大将は飾りで良いとか如何にも無能キャラ俳優を使って表現してるけど、実際はあの人物も喧々諤々の議論に加わってあの床几に座って大将をやってる。
    戦国時代の戦いは領土を奪い合う為に、支配者同士殺し合いをしてたけど、長州征伐には領土とか金品でも良いけど
    見返りが無い。
    兵士を出し武器弾薬馬兵糧人夫出しに莫大な資金を支出するのみ。
    誰だってそんな戦いいやですよね。
    天下泰平安穏に暮らしてた物が殺戮なんてやれるはずも無い。
    特にお武家様じゃ無理。
    多分実戦用に傭兵をかこってきてると思う。
    荒っぽい連中ですね。
    ヤクザの親分に金品でお願いし組員を貸してもらったとか。
    対する長州も奇兵隊とか農家の次男三男、要するに田地相伝資格の無い者ら
    指揮官は下級武士。
    そんな者同士殺し合った。
    近藤さんも西郷みたいな物とも言えますね。
    殺しにたけたプロじゃ無きゃ指揮官として意味がないから異例の大出世。
    戊辰戦争の全貌を知ってる訳じゃないけど
    多分武士は余り良いところが無かったから、明治政府も芝居化するのを良しと思わない。
    各藩傭兵つまりヤクザが活躍してる筈だけどそれはあまり見えない。
    この戦争はなんか皆ぼやけた認識しかないのはそんな武士階級が恥だからじゃないかな?
    とか思いました。
    サムライジャパンとか何かウソ臭い。
    サムライの精神は大阪の陣で終わったのでしょうね。

  • 西郷どん 第27回「禁門の変」

    西郷が歴史の表舞台に登場するのは禁門の変(1864)からだろう。
    ここから倒幕を経て維新政府成立あたりまでが、西郷の人生の最も光の当たる部分であり、観るものとしてはワクワクする部分だろう。期間にしておよそ5,6年か。
    それからすると、明治政府の中での西郷は 段々と痛々しくなる。

    司馬遼太郎は、おそらく 西郷にそれほどの好感をもっていなかったかもしれない。
    西郷よりは 大久保を好んだろう。

    「花神」のなかで、村田蔵六は、西郷を得体のしれない人物とみなし、警戒心を抱いた。
    西郷は、人々を吸引する魅力を持っている。
    薩摩の若者で、西郷のためなら命を惜しまないものが多くいた。殿の久光よりも、西郷だ。
    久光が西郷に軍事の実権を引き渡したのは、これが理由の一つだろう。
    久光にはついていかないが、西郷ならば命も捨てられる。

    蔵六は、そういう西郷を得体が知れないとし、警戒した。 あくまでも小説の中での話。
    が、こういう描き方に作家の本音が見える。

    が、その司馬遼太郎にしても、言うまでもなく 西郷がいなければ維新が達成されなかったことはよくわかっている。

    大久保では、人は動かせなかった。そういうところが、ドラマにも描かれていた。
    薩摩の同輩たちを説得できないで悩む大久保。吉之助ならば人を動かせるのに 自分には出来ない。
    そういう正助を慰める妻のシーンがあった。

  • 今回は八重の桜の重要場面と重なる蛤御門の変。
    新選組でも池田屋の事後騒乱として幕末定番。
    高校修学旅行で行った切りで京都は歴史物で気に成ってたので数年前、ふらり日帰りで行った事が有る。
    新幹線駅に駐車し京都迄行ける時代に成ったればこその日帰り。
    昨今有名な金持ちがプライベートジェットでロシアに日帰りサッカー見物とまでは行きませんが。
    京都駅近くにハイヤーが有り、高級車で希望した場所に順次連れて行ってくれる。
    道順が有り希望した壬生屯所跡はコースの中ほどになりましたが、鴨居の刀傷にしばし見とれてると、案内人の人に
    御専門の方なんでしょう?
    なんてとんでもない誤解されてしまいました。
    きゃぴきゃぴの女子ばかりでオジサンは少ない。
    土方歳三が凄くブームだった頃かな。
    蛤御門も見るつもりでしたがコースが上手く設定出来ないとかで、他の門へ。
    幾つもある門は皆同じようなものだから見たいな事で。
    蛤御門の由来は、大火の時逃げ場確保のために普段開けないけど、開けたから
    つまり、焼け蛤パカみたいな事ですねとか印象に残りましたね。
    それにしても京都って神社が無い。
    平安神宮は明治政府が作った物。
    御所が有る町なのに、神社が無い不思議。
    伊勢神宮が天皇の神社の本家ってなんかおかしい。
    千年の都にあるべきでしょうに。

  • 西郷どん 第26回「西郷 京へ」

    この回において、一橋慶喜が将軍の代理として京に滞在しているのは、薩摩の久光の働きがあったからだが、その陰に大久保一蔵と岩倉具視の画策があった。
    それはともかくとして、西郷吉之助と一橋慶喜の個人的な交流のシーンが目ざわり。これがなければ 大河ドラマ「西郷どん」を歴史ドラマとして もっと素直な気持ちで楽しむことができるのだが。(笑)

    参与会議は、慶喜と久光、その他何人かのの大名によって形成された。
    しかし、会議といっても、当時の日本人が討論の作法を身に着けていたとは思われないから、出席者が対等な立場で意見を出し合い 建設的で活発な議論をするというようにはいかなかっただろう。まさにドラマにあったような状況であったかもしれない。討論という概念が入ってくるのは明治になってからであり、新島襄や福沢諭吉などの啓もうがそれに貢献しただろう。

  • 軍賦役兼諸藩応接係ー 軍司令官並びに諸藩折衝役
    行政の長、大統領の様な感じなんでしょうね。
    実質最高権力者久光は情勢の複雑さについて行けず、有能な部下に職責を丸投げして隠棲するように故郷へ帰って
    しまった。
    王様とはそんな者。
    政権末期の殿とは全てそのような無能貴族ばかり。
    結果部下だった下級武士が国家権力者になり、元の殿様達は名籍と一定の権利保証で放逐されてしまう。
    私の住んでるところは元立花家の支配地で、その末裔は柳川のお花って観光施設の社長。
    立花何某立花家数代を冠してる。
    未だ王権は微弱なれど息をしてます。
    私の父は、阿蘇山の百姓炭鉱夫出稼ぎで坑内下がりをしてた祖父につれらて居付いたので、純粋な下層ですから
    その殿様とは全く無縁。
    百姓が殿様と言うのも何ですが、古の殿は熊本の細川になりますね。
    だから何なんだと言われても返答のしようも有りませんが。
    何で西郷吉之助が最高権力を握ったのか
    =久光の職責放棄 だった ですね。

  • 西郷どんスペシャル(2)「いざ革命へ!西郷と4人の男たち」

    幕末に活躍した人物を四人について、その知名度ランキングを出していた。
    誰が 最もよく知られているのか。人気度ランキングとは異なる。
    つまり、どの人物を好きかという問いではなく、どの人物を知っているかという問いに対するアンケートだ。
    坂本龍馬、勝海舟、岩倉具視、桂小五郎 の順番だったと思うが、
    桂小五郎が岩倉具視よりも下にきているのが目を引いた。
    まあしかし、岩倉具視を知っている一般人が そう多いとは思われない。その岩倉よりも桂小五郎が下に来ているというのが不思議な感じだ。 桂五郎を知らないのは、今の20代は 「鞍馬天狗」になじみがないからか。(笑)

    まあ、おそらく、岩倉よりも桂の方が知名度ランキングが下というのはあまり意味がなくて、知られていないということでは、どちらも似たり寄ったりですよ、ということなんだろう。

    歴史時代劇、もしくは「鞍馬天狗」のような歴史活劇において桂小五郎がヒローであった時代があった。
    「杉作、日本の夜明けは近い!」(笑) ただし、この台詞、原作にはないようだ。

    桂小五郎が知名度が低いという点については えっ!? という感じはあるが、 多くの人が岩倉具視を知らなくても 別に驚きはないだろう。
    しかし、岩倉はお札の肖像になっていたことがあるし、歴史学者の磯田氏が述べていたように、幕府を倒すのに岩倉の貢献は大であった。
    岩倉具視のような策謀家は一般受けしないし、何よりもドラマ化しにくい。そのため、この男の業績が十分に認識されているとは言い難い。

    真田丸 第15回「秀吉」

    真田信繫にとって初めての大阪城。大阪城の威容に圧倒されたようだ。そして、秀吉との出会い。
    ともあれ、
    秀吉、淀君、石田三成、加藤清正、福島正則 といった
    太閤記のメインキャストが勢揃いした回だった。

  • 特別編でしたね。
    巷は大雨被害で騒然としてる処で中休みの恰好はタイミング的には良かったかな?
    だけど関東被害じゃないからか、今一TVは被害に集中してない。
    オーム死刑、西口病院大量殺害、タイ13少年救出、と一挙にニュースがあふれてる所為かもしれませんが。
    今度は革命編らしいですね。
    維新とは言う物の革命とまで言うかなと異論が多いですよね。
    フランス、ロシアみたいな権力機構が全く入れ替わった訳じゃなく、大名は知事になったり武士は警官や軍幹部
    裁判所判事とか相変わらず権力者達。
    名称変更程度ですよ。
    王族を血祭りにあげない革命はやはり革命とは言えないかと。
    日本はいまだに王が存在して国家予算も200億。
    その点未だ王国と言われても否定出来ない。
    嫌、否定するより誇りに思ってる人も居る。
    こんな事を書くと過激だと言われるでしょう?
    その点であの事変は革命でも何でもない。
    日本は大きな村社会だとつくづく思う。
    良い面もあるし、世界の変化に遅れる面もある。
    私しも神社が好きだから、暇なときは神社探し散歩なんかやってます。
    神は否定してますけど。
    人々の心に嫌悪してないと言うより好ましいと思ってる所為でしょうね。

  • 西郷どん 第25回「生かされた命」
    幕末ものであって、西郷隆盛を主人公としないドラマでは、西郷が初めて登場するのは だいたい禁門の変(1864年)だろう。
    坂本龍馬や勝海舟、高杉晋作などが主役となるような歴史ドラマでは、京都御所の門を背にして、突如として西郷の指揮する薩摩兵が大砲を据えて長州と対峙するシーンが 出てくる。 これが あの西郷か、となる。
    どの歴史上の人物を主人公にするかで西郷の見え方が異なるが、西郷が脇役のドラマでは、
    禁門の変で薩摩兵を指揮する西郷は 実に厳めしく、怖い存在として映る。 その西郷も、その少し前に 島流しにあっていたとは、視聴者は知らない。大河ドラマ「八重の桜」や「花燃ゆ」でも、京都御所での戦闘を指揮する西郷の毅然とした姿があったが、その少し前に島流しにあっていたとは視聴者は気づかない。

    実際の歴史の表舞台においても、西郷隆盛が登場するのは禁門の変からであり、その点でドラマでの現れ方と一致している。

    1864年
    2月 吉之助、島から鹿児島に戻る
    8月 禁門の変
    吉之助、坂本龍馬と初めて会う

  • 西郷は帰還令で帰ったのですね。
    それにしても生麦事件、薩英戦の省き方は酷い物。
    両事変だけでも数回要しても満足に描けないですけどね。
    西郷の恋愛、友情が中心だからでしょうね。
    帰還途中に愛カナに会うとか、
    大災害城下を目前にし、いちゃついてる場合じゃないです。
    城下は火の海500軒程消失してしまったらしい。
    イギリス軍の方も戦死13負傷̪死7他多大な犠牲を出し逃げるように去って
    文字通り天変地異の
    今なら東北大震災かと思うような惨状。
    イギリスの新聞にこの件の詳報が図入りで紹介
    それはウイキで見れますが、実に詳しい。
    東洋と言えば蛮人の未開地と思ってたから、彼らにとって脅威的出来事で驚いてる。
    他方の日本人もビックリ。
    正確な射撃で砲台を尽く破壊されてこれも仰天。
    暴力的だけど文明の違いを知る。
    薩摩が頭抜けて装備が揃ってた所為ですが、300諸侯が全て之ならと思ったら
    侵略は不可と思うでしょうね。
    現実日本は当時最強のイギリスでしても支配下に置くのは無理。
    海洋遥か莫大な戦費が掛かり、自国が滅亡しかねない。
    と思ってたけど、第二次大戦で圧倒的戦力さに完全降伏、今も事実上アメリカに支配されてる。
    出て行ってとも言えない
    出て行ってと沖縄だけは盛んですが、アメリカ様が居ないと中国に侵略されるから困るとすがってます。

  • 西郷どん 第24回「地の果てにて」

    一橋慶喜が島津久光を、兄と比較して田舎者呼ばわりする、まあないだろうな。(笑)
    よほどの理由がない限り、 家来たちのいるところで あそこまで大名の殿さまをこき下ろすのは不自然だろう。
    何よりも武家は名誉を重んじる。恥をかかせられるのは死を意味するのに等しい。

    話の流れからすると、慶喜が 西郷のことに触れたことが、西郷の沖永良部島遠流の一因になったことを匂わせている。
    まあ、これもないだろう。第一、慶喜が西郷のことに触れるいわれはない。
    以前 廓(くるわ)界隈でふたりがよく会っていたということ自体がありえず、このドラマの作り話だ。
    こういう描き方は、歴史ドラマとしての「西郷どん」を安っぽくしている。

    真田丸 第14回「大阪」

    石川数正、真田信尹にそそのかされ、秀吉のもとに走る。
    まあ、作り話だろう
    ただ、真田の物語で、真田信尹にこれだけ光が当たったことは 余りないのではないか。

    1584年 真田信尹、徳川家に仕える
    1585年 上田合戦

  • 川口雪ぽう
    漢字変換がメンドクサイのでこのまま。
    年齢は吉之助より9つ上
    石橋蓮司様と同じような年齢と錯覚するが未だ若い。
    この人が雪ぽうさんが西郷家御内と関わり深く、ドラマで重鎮役として最後まで、重石として出て来るから
    終盤リアルな年齢に成るのでしょうね。
    通だと自認してる人もこの人の事は余り知らなかったんじゃないですか?
    NHKもどうだ素人ら、と得意なキャラ配置じゃなかったか。
    遠島の経緯は様々だから、良くは判って無い人ですね。
    大変な教養人の様で吉之助の良き話相手なのは確か。
    官職名は無いから、最後まで無職で西郷家の居候なんでしょうか?
    沖永良部2か月は厳しい牢暮らし、その後土師氏の配慮で座敷牢へ。
    その最中に薩英戦争の報を聞き、処罰承知で帰郷。
    相当緩い遠島だったんですね。
    筋は全く知りませんが、城下が大変な騒ぎで皆死の恐怖に怯えてる状況で、島抜けなんて詮議する余裕は無い
    のでしょうね。
    久光が西郷の勝手な帰郷を如何裁可するのか?
    まさかもろ手上げ喜びも出来ません。

  • 西郷どん 第23回「寺田屋騒動」
    1)
    大久保と岩倉具視が初めて接触したのはいつごろか。久光が藩兵1000人を率いて京に入ったことが切っ掛けだとされる。とすれば、寺田屋騒動の前だ。1862年5月頃になる。それは、今回は描かれなかった。
    実は、幕末の政争の行方を決めるうえで、大久保と岩倉具視の出会いほど重要なものはなかった。
    大久保と西郷の組み合わせに引けを取らないほど決定的に重要なのが 大久保と岩倉具視の組み合わせだ。
    2)
    海江田というのが出ている。司馬遼太郎の「花神」では、海江田信義という名前で、村田蔵六と対立し、いささか悪役の感がある。蔵六暗殺に関与したことを臭わせている。
    3)
    島津久光が帝(みかど)の詔(みことのり)を頂いて舞い上がる様(さま)は、「八重の桜」にあった、会津容保(かたもり)が孝明天皇から天杯と緋の御衣を賜って大いに恐縮するシーンと重なる。
    この時、薩摩と会津は反尊王攘夷派として近い立場にあつたということだな。

    1862年 5月  寺田屋事件
    1864年 7月  池田屋事件
    この二つの事件を並べてみる。 一方が薩摩が係わり、他方は会津が係わっている。
    共通するのは、尊王攘夷派への弾圧だ。 背景にあるのは、尊王攘夷と公武合体の間の路線対立とも言える。
    孝明天皇は公武合体を支持し、岩倉具視の活動もあり 1862年2年に和宮降嫁が実現した。

    ここで興味深いのは、孝明帝が なぜを尊王攘夷派を嫌うのかということだ。だって、尊王攘夷というのは、「朝廷を貴(たっと)びます、欧米の勢力を打ち払いましょう」ということで、孝明帝の考えとぴったりだ。(笑) それが、なぜ 嫌うのか。 それは、尊王攘夷派が倒幕の意志を含んでいるからで、孝明帝からすると 徳川幕府による現秩序を揺るすことに不安を持っていたのだろう。 
    思想(=価値観)と政治的動きが一致するとは限らないということ。素朴な人は、考え方が同じなら支持してくれるだろうと信じがちだが、そこに政治的な要素が加われば、必ずもしもそういかなくなるときがある。

  • 9烈士?はと思いましたが、1人騒動当時藩邸で病臥していて事後同志なので切腹。
    討手方の人なのかと思いましたが違いました。
    討手方と対峙方双方に大山姓が有って一人はメインキャスト大山格之進
    他方は大山巌なのですね。
    少し前の時代の人なら明治の元帥としてよく承知してる人らしい。
    同じ姓でも姻戚じゃない。
    事件当時の年齢を見ると、有馬と大山は2日違いの年齢。
    西郷より3つ上。
    彼ら派閥の中で同い年だから、余り仲が良く無かったのかな?
    とか思いましたが。
    有馬を討った側の人間として同郷に負い目を最後まで感じてたそうで、西郷没後斬刑に処せられますね。

    ★大河ドラマ回顧録★ 9烈士?はと思いましたが、1人騒動当時藩邸で病臥していて事後同志なので切腹。 討手方の人なのかと思い

  • 西郷どん 第22回「偉大な兄 地ごろな弟」

    最近ではめずらしく、やっと幕末の歴史ドラマらしい回だった。(笑)
    かつての幕末物は だいたいこんな感じだったと思う。

    寺田屋で 西郷が有馬新七の翻意を促すために 自分の刀を渡して、俺を斬って行け と言った場面は迫力があった。
    かなり前の回で、島津斉彬と父の斉興(鹿賀丈史 演)との間で、ピストルでの命のやり取りがあったが、いかにも嘘っぽかった。それに比べれば真実味があった。

    尊王攘夷は 倒幕の意志を含んでおり、いわば急進改革。 
    それにたいして、久光の公武合体は、幕府を含めた雄藩による連合政権体のようなものだ。

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