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    このトピでは「花の生涯」から続いている大河ドラマの中で基本的に過去に放送された作品を回顧し、書き連ねていこうというトピです。
    以前に同趣旨のトピがありましたが消えてしまったので復活させました。
    この作品は面白かった、印象に残った、あるいはつまらなかった等どのような意見でも構いません。

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    クナシリ 10月16日 11:18

    草履とり見習が本多正信には驚きでしたね。
    前年の正信が近藤正臣だから、二枚目と三枚目キャストとは同じ時代続きで色合い変更位しないと、ネタ切れかと
    抗議されるとか?
    同じ知恵者でも二枚目と三枚目が演じると全く違った人物像になりますが、果たして実際の正信はどっちに近いのでしょうか?
    家康ほか重臣も連続出場。
    まあ何度も同じネタとはさすがNHKもヒヤヒヤじゃないですか?
    別に良いですけど、クソ味噌に言ってる人が居るのはたしか。
    前回では老人グループですからハツラツに代わりなんですが。
    正信37。
    あんな年と非難してる満千代15歳。
    榊原28。
    同じ本多の忠勝と正信の関係はと、気付き調べたら何の関係も無い、ただの地方的特徴。
    大幹部の忠勝正信は色合いが違い、互いに嫌って。
    知と武
    これは
    石田三成と加藤清正の対立と同じですね。
    日本帝国盛んだった頃は知恵者は嫌われ者と描かれる傾向が強かった。
    鉄砲玉が欲しかったからですね。
    現在は知恵の無い奴は要らないですから、変われば変わる物ですね。

    ★大河ドラマ回顧録★ 草履とり見習が本多正信には驚きでしたね。 前年の正信が近藤正臣だから、二枚目と三枚目キャストとは同じ

  • 真田丸 第七回「奪回」

    地図がしばしば表示される。たとえぱ、滝川一益が信濃から上野(こうずけ)から脱出を図り、木曾 義昌に行く手を阻まれるところで、地図が出てくる。これにより、地政学的観点を得やすくさせ、各地の勢力争いを図式的に示す効果を発揮している。

  • 徳川四天王
    酒井忠次1527年 - 1596年
    本多忠勝1548年 - 1610年
    榊原康政1548年 - 1606年
    井伊直政1561年 - 1602年
    生まれから彼らを見てみると直政が一回りも二回りも年下なのに、最高幹部に列されてるとは凄い事でしょうね。
    本多、榊原より13下
    さらに彼らより10歳上が酒井。
    ドラマでは16歳と29歳二人に38中年のグループなんですね。
    現代人と比較するのも乱暴ですが
    高1と30前と40前
    酒井にしたら直政は息子位。
    直は井伊家代々なので政はこれで見ると榊原康政からでしょうか?
    康政の康は家康の康ですから、直政となんかつながりが有る。
    徳川16何とかとか他にも勇ましいグループが有るけど、
    4の上に3人衆とか徳川3桀と言われその中にも直政がある。
    家康記に詳しい人には常識なんでしょうね。
    信長家来衆は誰でもそこそこ知ってるけど、徳川家来衆には疎い。
    明治期将軍家否定が有り、江戸文化断絶の影響でしょうかね?

  • spin-off(スピンオフ) というのは、辞書的には、「副産物」を意味する。
    さらに、「〔テレビ番組などの〕スピンオフ◆脇役などを務めていた役者などを主役として作る番組などを指す。」と定義されている。
    スピンオフといえば、Star Wars(スターウォーズ)シリーズが豊富だ。スピンオフの部分は活字として展開されていて、
    映画化されていない。 

    わたしは、「軍師官兵衛」を「太閤記」のスピンオフのような感じで見ていた。秀吉を主役とする「太閤記」では、黒田官兵衛はわき役だが、それを主役としたドラマは スピンオフ的に見ようと思えば見られなくもない。
    とすれば、「女城主直虎」は「徳川家康」のスピンオフになるかもしれない。
    「真田丸」は、「太閤記」、もしくは「徳川家康」のどちらに対しても スピンオフ的でありえる。

    ただし、ある作品をスピンオフとして見るかどうかは、あくまで本人の感じ方しだいだ。

  • 先週から6年後
    1575年って事に。
    築山殿殺害1579年本能寺1582年。
    直虎の寿命後7年。
    10月ですから終盤。
    昔の時代劇では御家再興物では、絶対的価値観が支配してたと思うけど、世紀が変わり直虎は御家命じゃない風。
    今回は御家命編で、少しコミカル調。
    ドラマ全体そうですけどね。
    松下殿が義理の息子の裏切りに卒倒してしまう。
    卒倒って笑いで流す方が無難です。
    昭和物ならこんなのは御ふざけとブーイングじゃなかったかな?
    時代劇が衰退して何十年、忠臣蔵松の廊下も討ち入りも御家命が底辺に有り、視聴者もそれを承知してた。
    時代が変わったとしみじみ。
    虎松の再興へのこだわりはどっちかと言うと個人的趣味。
    義理を捨て、趣味に走る若者。
    時は戦国
    義理は合理的精神の前には無きに等しかったでしょうけどね。
    家康の旧家臣に対する配慮、妻筋の新採用に対する配慮の葛藤が本編の面白さだったけど、妻筋と旧臣と比べようは無いでしょうけどね。
    お館様は家臣団の上に推戴されてるだけですからね。
    なので、何か別の事情
    納得できる事柄が有ったでしょうね。

  • 真田丸 第七回「奪回」

    人質についてのやり取りが細かい。言うまでもなく、これまでの歴史ドラマでも 人質が描かれているが、真田丸は ことのほか 細かい。人質の価値というの難しい。 それは、中世と近世では人間観がことなるからだ。
    中世は、人間は集団に依拠する程度が高く、個人は集団に埋め込まれている。人間が個としての意識に芽生えるのは近世になってからだ。とすると、その当時の人々の 人質の命の感じ方というのは、現代の常識ではなかなか想像しがたいものがあるだろう。

  • 堺に行かなかったので何か期待をそがれましたね。
    堺は人の出入り多く材料豊富だっただろうに、あり過ぎて料理しきれなかったのかな。
    信玄の死は胃癌説が一番信ぴょう性が高いらしい。
    英雄の突然死だから人々は想像し、いろんな説を作り楽しんでたのでしょうね。
    毒殺~銃殺迄
    銃殺話は設定が如何にも芝居がかってる。
    笛の名手の罠。
    胃癌も甲斐での贅沢は塩だから、権力者特権で贅沢に塩を食べたとか
    人の想像も面白い。

  • 真田丸 第六回「迷走」
    草刈正雄演ずる昌幸が 信繁に次のように述べるシーンがある。
    「力が欲しいのう、北条や上杉、織田と対等に渡り合える力が。」
    真田が そのような力を得るには、理屈の上では 信濃をまとめることによって それが可能となる。信濃が 周囲の大国の草刈り場になってきたのは、信濃を統一できる強力な武将が出なかったからとも言える。
    その点では、「軍師官兵衛」の播磨と同じ状況だ。
    同時に、政治力学的には、周囲を大国に囲まれているがゆえに、つねに大国による干渉を招き、信濃をまとめるのが困難だったのだろう。大国同士の軋轢は、時に 信濃や播磨のような「緩衝地帯」を産み出す。一度 この「緩衝地帯」化されると、そこから抜け出すのは困難だったろう。

  • 浜松城グーグル地図の近藤康用屋敷跡が見えるから、徳川家で厚遇されてたのでしょうね。
    ストリートでは工事中なので記念碑も何も無い。
    戦で負傷以後足が不自由だったとはウイキにも載ってる。
    間者に毒殺されかかったとか、
    武田の手だとか
    武田の戦い方では有名なんでしょうね、なので、それを今回具現化してみたのでしょう。
    三方ヶ原の家康図も今まで映像化してない意欲図。
    結構長くて、知らない人は何だろう?と思ったでしょう。
    家康がコミカルな良い人は珍しい。
    頼み事は断れない様なので、井伊家再興の申し出に快諾しそう。

  • 真田丸 第六回「迷走」

    森 長可(ながよし)という名前が出てきた。織田方の武将で、本能寺の変を受けて、侵攻していた北信濃から逃げるようにして退却しているシーン。国衆の出浦盛清が森一行の脱出を手助けしている。そこに安土から逃げて来た信繁らが出くわす。

    この森 長可という武将、有名ではなく、このドラマではチラッとしか出てこないが、秀吉と家康が対陣した小牧長久手の戦で すくなからず名前が出てくる。

    出浦盛清が信繁に言った言葉。「われらは目先の損得では動かないと」と言い、さらに 「素っ破は戦では死なない。素っ破が死ぬときは、信用を失った時だ」
    なかなか 印象的な言葉だ。というのは、昌幸の言動と対比されているからだ。

  • それぞれの井伊家の人達の行き先になりました。
    主役が頭と一緒になり、堺へ行くらしい。
    今回北条父死、氏真家康を頼る年、比叡山焼き討ち (1571年)
    信長 
    明智光秀
    池田恒興
    柴田勝家
    佐久間信盛
    木下秀吉
    中川重政
    丹羽長秀
    が付き従い其処に居た人間を尽く殺害した ウイキ
    家康が氏真を扱うにあたり、信長を気にしてるシーンが有ったけど、信長は悪鬼となり殺戮してるか終わってる時期
    信長様は堺商人達とは懇意じゃないかと調べたら、直轄地にしてる。
    今井宗久が商人達の元締めとし、出て来ると思う。
    自由な雰囲気の堺がこの後の主軸舞台なんでしょうね。
    もう一軍の将となった秀吉も出て来るのか?
    お馴染み秀吉千利休の若かりし頃と馴染みに成る、龍雲丸とか。

  • 真田丸 第五回「窮地」

    信長が本能寺で倒れて、真田昌幸と信之の議論が真に迫っていた。
    草刈正雄演ずる昌幸は 織田家を離反すると すでに決めているのに対して、長男の信之は 織田家の家臣として留まるべきと主張した。

    ここに、リスクをどうとるのかの考え方の違いが出ている。それ以上に、生き方というか あるいは性格の違いが リスク感覚の差を生んでいるのだろう。
    昌幸は 高リスク高リターンを狙っている。長子の信之は 安定を重視し、それゆえに低リスクを志向する。

  • 龍雲丸の口移し・・・愛と不気味さが入り混じったコメディ、
    やや受けでした。
    彼が生き残るって事は、最後迄、付かず離れずで、何かの時の切り札なんでしょうかね?
    信玄が怒り浜松に進行家康窮地に陥る。
    氏真と北条父対面予告が有ったから、氏真の小田原城での顛末から、家康の懐への展開もある。
    井伊家が隠れ里生活に移り、ネタが無いので、戦国時代本筋絡み展開にするしかないのでしょうか?
    家康と氏真の友情?愛情?
    大体氏真って名前も初めてだし、家康との関係なんて全く関心が無い。
    所謂戦国通も無関心でしょう?
    そんなレア物ですが
    さてこのお二人と直虎の絡みが如何様な形になるのでしょうかね。

  • 真田丸 第五回「窮地」

    本能寺の変の後、信長が死んだかどうかについての 徳川家康一行の会話がいい。
    家康が、信長が生存している可能性を考えて京に戻ることを主張すると、本多忠勝が 光秀のことだから 打ち漏らすことは万に一つもないと反論する。 けっこう リアリティがある。
    伊賀越えの場面で、落ち武者狩りの野盗の中を 半蔵を先頭に突破しよと 「刀を振り回しながら」突っ走る家康一行。 こういう メチャメチャに刀を振り回しているところも リアリティを感じさせる。穴山梅雪が 腰痛を訴えて伊賀越えから脱落することを申し出る。ここのやり取りもいい。

    だれが信用できて、誰が信用されないのか、そこが ドライに描かれている。
    表面的に信用しているように見せて、実は信用していないとか。

    徳川一行は 穴山梅雪を一応仲間のように扱っているが、あまり信用していない。 穴山も 徳川を信用していない。
    こういうドライな描き方に感心する。

    つまりは、仲間であっても、そこには信用度の差異があり、中心にいる家康を仲間が幾重にも囲んでいる図を想像すると、中心から外側に向かって信用度が落ちていく。穴山梅雪は、もっとも外周に位置した。

    同じことが、真田昌幸と その周囲の人々の関係でも言える。

  • 1569.2-掛川城を落ち
      .3-堀川城陥落
    1569.5-氏真北条へ移居北条一派で
        武田と戦う
    1571.10-北条氏政代代わり武田北条同盟
        氏真家康庇護下へ

    1573.1-三方が原の戦い
    1573.5-信玄没
    1575.6-長篠の戦い
    1576.3-氏真家康下牧野城主
    1579.9-築山殿殺害
    1582.6-本能寺の変

    氏真がこもる掛川城が先におちてますね。
    ヒーローでない者
    扱いされなかった者の影が薄く、今川氏真の足跡が薄くおぼろげ。
    ネットでもあまり情報は無いけど、興味を持って調べるとある程度分かるのが凄いですね。
    この後嫁実家北条家の家臣扱いですね。
    幾度かの戦いに実績を残してる。
    北条家父死亡息子代かわりになり、武田と同盟を結び、今川氏真に居場所が無くなり、家康を頼る事に。
    今度は家康家臣となる。
    幼い頃一緒に育った間柄,主従逆転にも命を懸ける程のプライドを傷つけられる事は無かったのでしょうね。
    育ちが貴族だから、貴族とはそんな気質に育つのかもしれませんが。

    三方ヶ原の戦いに徳川軍団の一員として戦ったのじゃないかな?
    信玄死亡
    長篠の戦いでは戦ってる。
    城持ちに回復。
    家康が信長に氏真を駿河に戻したいと行ったところ、あんなアホウは殺してしまえと言ったとか。
    そんな事も有ってか、城持ちから失脚。
    都へ移動。

  • 井伊にとって 今川は圧政的でひどかったが、三河の松平は 圧政からの解放者だという描き方になっている。
    実際は、落ち目の今川を見捨てて、新興勢力の徳川にすり寄ったというのが本当の所ではなかったのか。

    生き延びたのは 井伊だけではなかった。
    今川家は当主の氏真が殺されずに、生き延びた。徳川の世では、旗本になり、明治にまで辿り着いている。
    井伊とは異なり、今川家が 歴史の表舞台に登場することはなかったでしょうが、そうした中で 赤穂事件で名の知られることとなった吉良家がある。
    吉良は 今川の遠縁に当たるという。吉良が帝(みかど)からの使者のもてなしに関して枢要な役目を負っていたのは、今川が京と縁が深かったという事情が背景にある。
    もしも今川家が氏真の代で滅亡していたら 吉良家も幕府の中に座を占めることはなかったはずだから、赤穂事件もなかったかもしれない。

  • 磔シーンの展開は異色でした。
    まさか尼殿自ら槍を持ち刺し殺すとは。
    この展開は誰も予想して無いでしょう。
    磔は既に知れ渡り、家康の命令でって、今の家康のイメージからさぞ名演技の場面なのか?と思い期待してたけど
    尼殿じゃ何もない。
    マンガチックな展開と言われても仕方ない。
    良いのか悪いのか良く分からない胸クソの悪いもやもやが有って、素直に家康の苦悩シーンじゃないのが何でとね。
    確かに良し悪し有れど、強いインパクトにはなり、これで前編区切りですかね。
    オマケ解説で歴代小野家当主の墓が並ぶ中、政次の墓だけが無いと解説されて、ドラマとの整合性が取れないので
    オマケ解説する意味も良く分からない。
    だって
    政次は井伊家にとって自分の身を犠牲にした守り神に成る訳で、井伊家が江戸幕府に治まり繁栄したので、守護神として祭り建てられ一際立派な墓でなくてはならないはずじゃないですか。
    確かに創作は創作なんですけど、遺構に微塵もその痕跡が無いのに、こんな話にして如何な物かと思います。

  • >>6198

    史実通りに悪人として殺したら、政次ファンが怒る。

    なので、今回みたいな綺麗な幕引きにしたなw

    今回の話、またバカが神回とかいうんだろうなww

    だいたい神回ってなんやねんwwんなもんね~よ!

  • 真田丸 第四回「挑戦」
    > 6月1日 松は、安土城下に用意された真田の屋敷に入った。

    ここまで 日付を細かく述べると、歴史ドキュメンタリー的な感じが出てくる。

    1582年4月3日 武田勝頼、自害
    1582年5月10日 昌幸、信長に謁見
    1582年6月21日(天正10年6月2日)本能寺の変

  • 今川館は館って位で城塞じゃないのでしょうね。
    源平合戦でも城攻めってあまり聞かない。
    起源前から中国戦国物を見ると万里の長城でもわかる様に巨大な防塁。
    戦国終盤に日本はやっと本格的城塞を作り始め、攻城戦が本格化するのでしょうね。
    今川は時代に遅れてしまったのかな?
    攻める武田も確か武田の館。
    北条もそうなのかな?
    秀吉が小田原城を囲む図が有るけど、この頃にあの巨大な城は無いって事でしょうね。
    それにしてももろ過ぎる今川。
    騎馬軍団が通る道はそれなりに立派でなければならないので、富士川沿い、現国道を進んだと思う。
    峡谷なので防戦には有利だけど何の抵抗もなく薩た峠で僅かな抵抗だったらしい。
    ココは館からすぐなので、一応抵抗って格好をつけただけでしょうね。

    ★大河ドラマ回顧録★ 今川館は館って位で城塞じゃないのでしょうね。 源平合戦でも城攻めってあまり聞かない。 起源前から中国

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