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文学と文学賞。。

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  • 2017/11/11 11:51
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    新たなトピを立てました。。

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  •  9月12日。症状は極めて酷い。この病気は、社会とは何の関係も無い。私は、現代の日本社会にはもう殆ど興味が持てない。今の日本では、もう、文学は成立をし得ない様に思う。《聖母マリア》に彩色。聡子に拠れば、『絵が光っている』との事……

     シチリア島は地中海文明の十字路だ。イタリア半島西南の地中海に位置するイタリア領の島で、地中海最大。周辺の島々を含めてシチリア自治州を構成している。イタリアに五つ在る特別自治州の一つで、州都はパレルモ。

     男の子は、自転車のタイヤが外れた車輪で遊び始めた……『悪魔、Diavolo(ディアーボロ)は本当にいるんです』『ディアーボロ……』『ええ、そうです。立派な学者の旦那は、非科学的で不合理だとお思いでしょうがね』何時の間にか、私は、立派な学者だと云う事になって仕舞っていた。店の主人は恰幅が良く、五十年輩だろうか……『あの、監禁されている娘の母親は、結婚前に子供を産み落としました。それで、父親は怒り狂って、娘の手を引いて山へ連れてゆき石礫で打ち殺そうとしたんです』『モーセは、旧約聖書で、不義、姦淫の罪を犯した女は石で殺せと書いていますからね。そうしなければ、教会や村人達の手前示しが付きません』『だが、自分の娘で家族じゃないか』『外国人の旦那には、村の厳しい保守的な習慣はお解かりにならないでしょうね』

     この島が、まるで生まれ故郷の様な奇妙な懐かしさを感じさせるのは、何故なのだろう? 古い、黒い塗装のアメリカの自動車が放置されており、ホイールが鈍く光っていて、名前の解からない植物の蔓が伸びて全体を隈無く覆っているのだった……『それで、本当に殺したのかい?』此処の、地元の酒は甘いが強いらしく、私は酔いが回って来た。干からびた様な焼いたベーコンと目玉焼き。幾何学的な形に切られたチーズには、蠅が止まっている。結構暑いが、骨董品の様な扇風機が空気をゆっくりと書き廻していた……『何、実際に殺す心算は有りません。懲らしめるだけです。そうすれば又、教会や村人に赦して貰えますからね。此処の司祭は、イタリア本国から遣って来た人間ですが』『カソリックかい?』『勿論、そうです。だがね、この村の教会には奇妙なイエス=キリストや聖母マリアの人形が飾られていますよ。異端的な』『異端……』『ローマのカソリックが、この島の土着の信仰になって、変に歪んじまったんです』


  •  アテネの空港で買い溜めした、米国の煙草も、切れて来て仕舞った……
     『煙草は売っているかい?』『ええ、有りますとも。それにしても旦那はインテリだね。大学の教授ですか?』『いや、まさか。唯の平凡なホワイトカラーだよ。しかも解雇をされそうでね』埃塗れの道……そこには、誰が棄てたのか抽斗が沢山有る小さな箪笥と、綺麗な模様の布のソファが無造作に置かれ陽に晒されている。散乱した卵の殻……何処からか、野犬の唸り声が聴こえて来る……『聖書は勿論知っているがね、教会の礼拝(ミサ)へは一度も行った事がないな』『儂は、子供の頃から、親父とお袋に手を引かれて、日曜日には必ず教会へ行ったもんです。兄貴や妹も』だが、私は巧い返事が思い付かず、ややいがらっぽい様な味の煙草を無闇に吹かした……

     『そのお袋も、先に亡くなりましてね』『そうかい』『ええ。お袋はシラクーザにいたんです。急に、電報が来ました』『どんな風に?』『母親が死んだ。至急連絡を乞う。これじゃあ、何一つ解かりはしません』『それで?』『この店の方は女房に任せて、取る物も取り敢えずシラクーザへ行きました。車に乗ってね。この村には、自動車は少ないんです。何しろ貧乏でね。ドイツ車の……』もう一本、私は、茶色い壜に入った酒を注文した。テーブルの上には、カチカチに堅く乾燥して罅入ったパンが置かれている。焼いたベーコンの臭い……碧い海の手前には、粘土を捏ね上げた様な建物が軒並んだ、特に何の面白味も無いが美しい町並みが望めた。微かな潮の香りと遠い喧騒……空には、白い鰯(イワシ)形の雲が何本も棚引いている。油絵具の、ペイルグリーンに近い空……町の家には、窓が多く、それは老人の顔に穿たれた丸や四角の楔の様だった。此処では、普通の人家・邸と教会の家屋とは似通っており区別が付き難い。兎に角、堅牢な建物が累積した地中海に浮かぶ町……『ほう、ドイツ車が有るのかい?』『ええまあ、村に一台だけね。先の戦争では、イタリア本国はドイツと同盟を結んで……親父は、昔、召集されて島から出て行ったんです。幸い、指を失くしただけでどうやら無事に生きて帰って来ましたがね。おい! そこで遊ぶんじゃない。客人だぞ! 失礼だろう』男の子が、物陰に隠れて遊んでいた。カラカラカラと云う、自転車の車輪を回す音。奇妙な形の菓子……馬車の幌が、物置小屋の壁に立て掛けて放置されている……


  •  熾烈な症状。肉体の苦痛は、観念を益々現実から乖離させる……

     美しきシチリア(シシリー)島。世界的文豪のゲーテも、この島をこよなく愛し称賛を惜しまなかったのだとか。そこには何も無い。本当に何も無い……原初の混沌(カオス)だけが存在する……州都はパレルモ、県は、アグリジェント・カルタニッセッタ・エンナ・メッシーナ・パレルモ・シラクーザ・トラーパニ等で、マフィアの島としても知られる。

     サファイヤの様な、紺碧の海。低いなだらかな丘陵……
     『あの娘は、両親に監禁されているんです。牢獄の様な部屋で』居酒屋の主人は、そう繰り返した。『それは、気の毒に』『いいえ。悪魔に取り憑かれているんだから、仕方が有りません』『悪魔などいないさ』『旦那は、外国人の旅行客だから、失礼ですがお解かりにはならない。それに、インテリだ。何でしたっけ?』『エブドメロスかね? ギリシャ出身の、形而上主義画家のジョルジォ=デ=キリコの』蜂蜜の様な、甘たるく生温い地元の酒。店の軒先には、鉄板を打ち出して、赤や青、黄色、緑で彩色した看板が掲げられている。島の家には、玄関の上に各々の紋章が有る……

     『この島は古い教会が多いね』『ええ、そうです。旦那は勿論、聖書は御存じでしょう? 二千年前から悪魔はいた。今でもね』『あの、銃眼の様な窓から顔を覗かせていた少女が、一体何をしたのかね?』『問題は、あの娘の母親です。結婚をする前から妊娠しましてね。父親は怒り狂って、石礫で殺そうとしました』私は、グラスの酒を飲み、煙草を吹かしながらじっと耳を傾けていた。教会には、鐘楼が在り風見鶏が立てられていた……『若しも私が死んだら、バルコンは開けた儘にして置いて下さい。そこから、教会の鐘の音を聴くのです。若しも私が死んだら、バルコンは開けた儘にして置いて下さい。そこから、オレンジの香りを嗅ぐのです』『何ですか?』『ガルシア=ロルカの詩だよ。スペイン内乱で命を落とした。彼は、同性愛者で兵士に殺されたが』すると、店の主人は忌わしそうな顰め面になった……『それはいけないね。反教義的だ。旦那も、この島で余り要らない知識はひけらかさない方が賢明ですぜ。此処の連中は酷く保守的なんだ』『保守的と云うと?』『つまり、教会には逆らえないと云う事です。こんな小さなつまらない島でも、古い歴史と伝統が有る。だから、大人しくしている事です』


  •  今日で、愈々《花巻祭り》も終わる……

     地中海最大の、シチリア島の美しさ……漆喰で固められた様な、貧しい家々。遠くの低い丘陵。教会の鐘楼。家の壁には、中世の時代を想わせる銃眼の様な丸い穴が穿たれており、そこから、真紅のドレスを着た幼い少女が覗いている。埃に塗れた道を登り詰めると、一軒の店が在り、Italinoと云う看板が出ていた。私は、紅海の水をガラス壜に詰めた様な生温い酒を飲んだ……『あの少女は?』そう、店の主人に尋ねると、彼は馬鈴薯に似た顔を歪め吐き出す様に一言一言はっきりと返事をした。『ええ。悪魔に取り憑かれていましてね。あの、性悪のハイエナ奴が!』『悪魔って?』『悪魔は悪魔でさあ。教会で教えている。お客さん、聖書は御存じでしょう?』『この島には古い教会が多いね。トリノでは……』すると、主人は前掛けを頻りに直していた。『観光ですか? 儂は、産まれた時から一歩も島を出た事は有りません。死ぬ迄そうでしょう。アメリカのGIの連中も来るんです。彼奴等には、どうにも我慢がならない!』思わず、私は低い声で笑った……『そうかね。貴方は、エブドメロスを読んだ事は?』『ポスティーノ! エル、ポスティーノ!』その時、丁度、丘の下から制服姿の郵便配達夫が遣って来たのだった……『ええ? 何ですって? 儂は、そんな言葉は聴いた事もない』『エブドメロス。ジョルジォ・デ・キリコはギリシャ出身で、古代ギリシャ神話も好んで描いた。黒い太陽は知っていますか?』『太陽は、大昔から黄色と相場が決まっていますぜ、旦那。向日葵みたいにね。もう、陽が大分傾いて来た』遠くには、サファイアの様に碧い海が望める。壜を傾けると、蜂蜜の色をした生温い酒が、ポタリポタリと滴の様にグラスに零れた。それにしても、貧しくて何一つ無い美しい島の景色。褐色の樹々が、なだらかな乳房の形の丘陵の段々畑の縁に沿って繁り、オリーブの様な実が生っているのだった。そして、千年も前から建っている様な、苔生したカソリックの教会……『あの娘はね、両親に監禁されているんです。牢屋の様な部屋でね。しかし、それも全く仕方が無い。執拗な悪魔奴が!』『可哀想じゃないか』『とんでもない。この島では、教義的でなければ生きられません。皆から爪弾きにされますからね』その時、教会の鐘楼の鐘が鳴り響いた……

     打ち上げ花火の音が、北上川の方角から聴こえる……


  •  9月10日。朝目覚めると、途端に凄まじい症状。耐え難い。『もう、これは動けないな』と思ったが、それでもどうにか動かねばならない。兎に角、飼い犬のメリーに餌の食パンを与えなければ、可哀想だし飢えて死んで仕舞う。結婚後間も無く、宮守の農家へ聡子と一緒に馬を見に行き、雌の仔猫を拾ったのだが、或る冬に小屋で死なせて仕舞った。それが、余りにも惨たらしい姿だったので、思い出すのも辛い。何故、あんな風に死なせねばならなかったのだろう? 一体、何を書くべきか? 私はもう、この世界に殆ど興味が無いのですね……遠雷……岩手県・稗貫郡の地平を一人の《修羅》が歩んで往く……アンドリュー=ワイエスの《クリスティーナの世界》……《全体主義の起源》……今、アメリカでは白人至上主義者とアンファティ・アンチファシズムの対立が激化し、暴力衝突をして、女性の死者も出た。暴走車に轢かれたのだが、その車を運転していたのは白人至上主義の男性だった。何か、気鬱で堪らない……『白人の一部は、アメリカは自由化・多様化が進み過ぎて、自分達は社会の片隅に追い遣られたマイノリティーだと感じているのね。奇妙な現象だけど。貴方は、一体どう思うの?』しかし、アリスは又、わたしのiPhoneに勝手にダウンロードしたアプリのゲームで、夢中になって遊び始めた。思わず、わたしは溜め息を吐き出した……『そんな、ヴァーチャルなゲームの何処が面白いの?』『あたしは、デジタル・ネイティブだから、現実社会よりは寧ろ仮想世界の方が好ましいのよ』『だったら、せめて、美術や文学に接したらどう? そうした素養は必要だし、心の癒し、ヒーリングにもなるのよ』『要らないわ、そんなの。下らない』『イタリアでは、今でも、ヒーリングでエクソシズム(悪魔祓い)の儀礼が行われているんですって』すると、アリスはその話題には関心が有りそうで、喰い付いて来た。『ふうん。急にどうしたの? メアリー先生』『偶々この前、ネットのサイトで見たものだから』『へえ。それはダークウェブ? ソフトウェアを購入するか、違法なアカウントで入り込んだの?』『いえ、普通の合法的なウェブサイトよ。ローマ・ヴァチカンの法王庁では、大学の様なカリキュラムを組んで正規のエクソシストを育成しているそうなの。司祭に認められなければ、そのエクソシスト(悪魔祓い師)にはなれない』『一寸、面白そうだわね……』


  •  花巻市内の某タクシー会社に短期間勤めていた時には、里川口の賢治の生家に近い、宮沢商店系列のマルカンデパートの並びに待機所が在り、運転手達は本社からの無線連絡をタクシーの車内か待機所の小屋で待ち受けていたが、誰一人宮澤賢治の話等はしなかった。小屋にはテレビも設置されており、年輩男性の運転手がプロゴルフ中継を見たりしていて、到底、文学や美術(アート)等と云う様な雰囲気ではなく、私は完全な異分子だった。今日も、そのタクシー会社の待機所が面した嘗ての繁華街の通りでは《花巻祭り》が賑々しく行われている筈なのだが、浅沢地区の自宅の部屋に迄は様子が届いて来ず、偶に打ち上げ花火の音が遠雷に似て響いて聴こえるだけだ。昼間には、花巻北高校の方から神輿の行列が通っていったが……詩人・吉増剛造氏は、宗教番組《こころの時代》の中で、賢治が名付けた北上川西岸・イギリス海岸の詩篇について『英国の産業革命の影響を感じる』と述べていて、私は、成る程そう云う見方も有るのだなと感心し、同時に、十九世紀フランスの不世出の天才詩人・ジャン=ニコラ=アルチュール=ランボーの存在も思い起こした。A=ランボーは、僅か二十歳そこそこの若さで詩作・文学を放棄してからは、紅海沿岸等を放浪、過失で殺人も犯して仕舞ったともされるらしいのだが、詳しくは解からない。しかし、詩人時代には他のパルナシアン(高踏派詩人)に仕込み杖で切り掛かった、彼の性格からして有り得る事にも思え、決闘好きで人を殺害した天才画家・カラヴァッジォも思い出す。比較的最近になって発見された、カラヴァッジォの《法悦のマグダラのマリア》は問題作で、見方にも拠るのだろうが、余りローマ=カソリックの気に入る《普遍的》で教義的な油絵(タブロー)なのだとは思えない。タブローとは、持ち運びが可能なキャンバス等に描かれた絵画の謂いとの事らしく、例えば、ミケランジェロの壮麗なフレスコ壁画は違うのだろうけれど、ダ=ヴィンチの《モナリサ》(ジョコンダ)は木の板に描かれているからタブローなのかも知れない。絵画も、《モナリサ》レベルになると国家間の政治的な遣り取りにも巧みに利用されるが、音楽では、矢張りベートーヴェンの第九番交響曲はナチス・ドイツや他の国家権力にも利用されたそうで、宮澤賢治の宗教的な理念とも恐らく完全に無関係ではなく、現代でも全体主義的な危険性を孕んでいる……


  •  作者名はもう忘れたが、昔、《宮沢賢治殺人事件》と云うのを読んで非常に面白かった。別に推理・探偵物ではなく、歴とした評伝なのだが。アイディアとして、女性の視点・眼線で見た宮澤賢治像と云うのはどうだろう? ふと、疑問を抱くのは、例えば賢治は羅須地人協会時代に或る若い女性から恋慕されるのだが、稚拙な遣り方でにべも無く拒絶して仕舞い、筆まめな賢治がそれに就いては一言も書き残していない。或いは、記憶から抹消したかったのかも知れないが。賢治の主治医を勤めていた、花巻病院の創立者・佐藤隆房氏の評伝でも殆ど触れられておらず、勿論、写真も載せられてはいないので容姿も全く解からない。今年の始め、吉増剛造氏と云う高齢の詩人が花巻を訪れ、NHK・Eテレ《こころの時代》のロケーションを行ったらしく、その番組を興味深く見たのだが、吉増氏に取って大東亜戦争当時、大政翼賛会のプロパガンダに利用され更に戦後GHQの管理下で国語の教科書にも採用された賢治の詩は、最初は暗黒のイメージが付き纏い苦手だったと語っていて、世代が異なる私には余りピンと来なかった。しかし、今又、そうした風潮が復活しつつ有る様にも感じる。夏に、花巻市文化会館で催された、国際平和と冠された中華民国・韓国・ロシア等の音楽家・団体が参加した音楽会(コンサート)にしても、勿論それ自体決して悪い事ではない筈なのに、新聞の折り込み広告(チラシ)で知った時、実に複雑な感懐を抱かざるを得なかった。それは、A4版程のサイズの白黒(モノクロ)で、背景には、楽聖・ベートーヴェンがウィーン郊外を散策する姿を真似て花巻農学校の畑の縁で撮影された、例の有名なコートと帽子姿の賢治の黒い影の様な肖像写真(ポートレイト)が用いられ、【世界ぜんたいが幸福に…】との、《農民藝術概論綱要》の一節が引用されていた。その音楽会に協賛したのは……まあ、余り具体的には止めて置くが、その中には、私や母、母方の叔母達も会った事の有る、賢治の間接的な子孫に当たる……平成十五年に母が他界してからは、北上市JR駅から近い聖書バプテスト教会で執り行われる《招魂祭》の葉書が、毎年六月の下旬に届く。《招魂祭》とは、教会に生前籍を置いていた信者達の為の供養祭で、謂わば仏教の法事の様なものなのだが、教会内ではなく郊外の酷く遠い墓苑で行われるので、遺族は自家用車かタクシーを利用するしかない……


  •  9月9日。今日は、北朝鮮の建国記念日との事で、又、ICBM(大陸間弾道ミサイル)が飛来しJアラートが発せられるのだろうか? と思っていた。昨夜は、秋田県で震度5強の地震が起こり、花巻も多少揺れた。被災三県の岩手では、《東日本大震災》はまだ終わっておらず、昨日の深夜2時頃にNHKで放映された大震災に纏わるドキュメンタリーを興味深く聴いた。起き上がって見る気力は無かった。震災で家族を亡くした人達の葛藤を、高校生が劇で演じていた。震災後、或る処ではボーリング場が遺体安置所に使われ、ボーリングのレーン等に迄棺が並べて置かれていたとの事。症状は極めて酷いが、気力で辛うじて活動。朝刊にざっと眼を通した。電磁パルスの弾頭が、北朝鮮のミサイルに搭載され使用される可能性も有り、若しもそうなればイージス艦等の防御も無理かも知れない。コンピュータや電子機器が総てダウンすれば、一体どうなるのか? 現代社会は、最早コンピュータ抜きには考えられないが、余りにも依存し過ぎだろう。先日、東京で停電の為に電車が一斉にストップしたが、ローテク(?)でも突然そう云う事態が起こり得るので、ハイテクノロジーも過信すると危険だ。太陽フレアーが発生したが、大きな影響は無かった。新聞に、マザーテレサの記事が載っていた。インド・コルコタの《死んでいく人達の家》、ではなかった、今、もう一度見ると《死を待つ人の家》はネーミングがどうだろうかと思う。BSで、今《ゴッドファーザー》が放映されているが、核等の軍事力・抑止力に拠って国家間の安全保障を図ると云う発想・論理(ロジック)はマフィアと似ている。アメリカは、日韓に高度で洗練された兵器を更に持たせたいとの事だが、洗練された兵器とは何だろう? マザーテレサは、インドで奉仕活動を始めてから、神やイエス=キリストへの懐疑に悩まされたらしい。《聖母マリア》に彩色。これは、一つの象徴(シンボル)として描いているので、歴史的なマリアとは異なる。私は、イエスの母マリアは、当時の平凡な一ユダヤ人女性だったのだろうと思う。イエスは、磔刑に処され乍ら、使徒の一人に母マリアの身柄を依頼したが、その後マリアがどの様な生涯を送ったのかは《新約聖書》(福音書)にも記述が無く詳らかではない。だが、我々人間は皆必ず老いて死ぬので、戦争、紛争、テロリズム、人種差別等は不要なので放棄するのが賢明だ……


  •  大正十一年(1922年)十一月二十七日、二十六歳だった宮澤賢治が、里川口の生家で、《永訣の朝》《松の針》《無声慟哭》等の詩(心象スケッチ)をどう遣って書いたのかは解からない。まさか、重篤で死に瀕していた妹・とし子の直ぐ眼に付く様な場所、例えば病室で書いた訳ではなかったのだろうが、何処だったのだろう? 当時の、里川口の宮澤家の屋敷の間取りも解からないが、別な部屋か廊下の物陰ででも書いたのだろうか? 最初、手帳にメモ書きをしたのだろうか? その後、改めて原稿用紙で清書し推敲したのだろうかとも想像するのだが、定かではない。私は、専門的な賢治の研究者では勿論ないし、唯、手元の限られた資料を基に空想を逞しくさせているだけに過ぎない。しかし、これ迄に、賢治がとし子の死の詩を書いた場所と時間・タイミングが問題とされて来なかったのは、不思議に感じる。賢治が、最愛の存在で有った妹・とし子の死をリアルタイムで詩に書いた心情も、どうも解からない。普通、肉親の死に際して、それを詩と云う一つの文学形式(スタイル)で修辞(レトリック)も用いて記録・表現をしようと試みるだろうか? しかも、賢治は篤信過ぎる程の仏教徒、《法華経》の信者だったのだが。とし子は、兄の賢治と共に《法華経》を信奉していたとされるが、その詳細な内容は不明。極めて内的な問題で有る宗教・信仰の中身が、本人以外の人間に容易に解かる筈もなく、しかも、賢治が非常に筆まめなのに比べとし子は寡黙で、殆ど何も書き残しておらず、その心中を現在推し量る事は難しい。昭和八年(1933年)に、賢治が僅か三十七歳の若さで病没してからでも、既に八十四年もの長い歳月が過ぎ去り、遠ざかって仕舞った。とし子は、色白な美人だったと言われるかと思えば、寧ろ地黒だったともされ、一体どちらが本当なのか今となっては知りようもない。身形には一向に構わない性質だったらしく、洋服を着たとは聴いた事がないので、或いは、一生和風の髪を結って着物を身に纏っていたのかも知れない。とし子が、兄・賢治を尊敬し頼りとして慕っていたで有ろう事は、想像に難くないが、その本当の感情は知る由も無い。彼女は、東京で倒れ病床に伏したり、花巻で療養していた時に、賢治に両便の世話迄任せていたそうなのだが、二十代の末若い娘として流石に羞恥は覚えなかったのだろうか? 何か、特殊な関係性も察せられる……


  •  9月8日。症状は絶望的に酷く、余りの苦痛で朝目覚めても中々動く気になれず、それでもどうにか玄関先から新聞を持って来たが、全く読めなかった。漸く夕方になり、今は、テレビのニュースで《花巻祭り》の様子が映し出されている。美しい山車が連なって上町の通りを練り歩いており、義経と弁慶の張り子の人形の周りを、里川口と書かれた提灯を持った着物姿の男女がゆっくりと歩いている。里川口は、宮澤賢治やとし子(トシ)の生家が在る処。賢治は、最愛の妹とし子の死に纏わる《永訣の朝》《松の針》《無声慟哭》等の有名な詩を、旧下根子桜の寮(宮澤家の別邸で、後に羅須地人協会として使われた家屋)で書いたのではなく、大正十一年秋にとし子が里川口の生家に戻ってから二十七日(とし子が亡くなった日)に創作したらしい。先日、北上市村崎野のH病院からの帰路、旧下根子桜の辺りを聡子と一緒に車で通ったのだが、相当に古くから在る《八百七》(最後の文字は七の字を三つ重ねたものだが、どう読むのか解からない)と云う八百屋兼雑貨商の様な処の前に差し掛かると、店仕舞いをしている様子で老婆が独りで番をしていて、普通より細長い形の西瓜や黄色い林檎が並べられ売られていた。今は、皆大型スーパーで買い物をするので、個人の小さな商店は経営が成り立たず潰れて仕舞う。それは、文具・画材店も同様で、宮澤賢治の子孫・系譜で有る地元の小財閥《宮沢商店》系列のアルテマルカンと云うショッピングセンターが出来て、二階フロアで文具と画材を大々的に販売する様になってからは、賢治の生家の直ぐ近くに在った文具店は閉店を余儀無くされ、月極駐車場になって仕舞った。昔、私はそこで良くキャンバスや油絵具等の画材を購入していたのだが。キャンバス張り器と云う、ペンチに似た道具もその店で買ったが、もう何処を探しても見付からずどうやら父が捨てて仕舞ったらしい。その為、今はキャンバスを張る事が出来ず、布地を木枠に画鋲で仮り留めして描いている。キャンバスの表側は絵具を弾くので、敢えて裏側を使用しているのだが、すると、パステル調になる。兎に角、油絵の道具と云うのは高価なので、本当に貧しければ描けはしない筈なのだが、モディリアーニやゴッホ、タヒチ島へ渡ったゴーギャン等の画家達は一体どうしていたのだろう? 今日は、《聖母マリア》の油絵(タブロー)を、比較的長い時間必死に彩色を施した……


  •  9月7日。症状は滅茶苦茶で、活動が困難。流石に自分が哀れだ。私は、人間は自殺すべきではないと思っている。《新約聖書》(福音書)の何処にも、自殺をしてはならないとは書かれていないが。仏教では一部自殺も許容されているのだと聴いた。原民喜は、最後に大量の酒(アルコール)を摂取していたとの事。今日、テレビを点けると、緊急番組で石破茂氏が映し出されて居り、日本はアメリカ軍の核兵器の持ち込みを認め抑止力を高めるべきだと云う風に語っていた。核兵器の抑止力は、本当に日本の国民を護る楯となり得るのか? 寧ろ、破滅へと導くのではないのか? 何故、広島・長崎の悲劇から学ばないのだ? 国家安全保障と云う名の神話・幻想……前に、花巻市内の理容美容専門学校で美術の講師を勤めていた時、ニューヨークで未曾有の9.11同時多発テロが起こった。私は、『大変な事が起こったね』と生徒達に言ったのだが、何一つ返事が帰って来なかった。唯シーンとしていた。一番前の女生徒が、クスッと鼻で笑った。全然、興味が無かったのだろう。日本国内ではないが、あれ程の大事件で? 理解が出来なかった。今後、日本は一体どうなるのか? 岩手の市民団体は、6月15日に強硬採決された《共謀罪法》の撤廃を求めて県議会に訴えたが、それはどうなるのだろうか? 《非核平和宣言の町》と云う看板は、国道4号線や、JR新花巻駅附近にも立っている。宮澤賢治の童話《どんぐりと山猫》から名前を取られた、《山猫軒》と云うレストランは、胡四王山の宮澤賢治記念館の駐車場とJR新花巻駅前に在るが、新花巻駅前の《山猫軒》一階の土産物屋のガラス窓には、可愛いアニメ調の猫のイラストを添えた《自衛官募集》のポスターが貼られている。《聖母マリア》の油絵(タブロー)に僅かに彩色。先日、聡子と一緒にBSで映画《ある愛の詩》を見た。『決して後悔をしないのが愛だ』と云う名台詞……わたしは、アリスに《愛》と云う人間に取って最も大切な感情を教えたいと思った。しかし、それが果たして可能だろうか? 『わたしは、サダム=フセインも、オサマビンラディンも殺害すべきではなかったと思っているわ。アメリカ大統領でも…』『どうして? 先生?』『人間が、他の人間の生命を奪う権利はないからよ。仮令、どんな理由が有ろうと』『じゃあ、北朝鮮問題はどう解決するの?』『それは難しいわね。わたしには解からない』


  •  9月6日。今は、NHKで7時のニュースが放映されている。北朝鮮大使の言では、『アメリカには、更に贈り物が届くだろう』との事だが。聡子は、『(北朝鮮の)核実験場が崩落して、市民が放射能汚染で危険かも知れないんだって』と云う風に話した。先日の実験の、原爆の強化型か水爆の威力は広島に投下された物の十倍との事で、それが使用されたらどうなるのか? 更に、ミサイルの弾頭に化学兵器が搭載される可能性も有るらしい。イギリスで、日本も核兵器を保有すべきだとの議論も高まっていると云う事。だから、国家間の安全保障(?)を理論だけで考えるからそうなる。危険極まりも無い。日本は、太平洋戦争(大東亜戦争)でドバン!と頭上から原爆を投下されたのだ。その悲惨さを、単に歴史的情報(データ)とさせるべきではない。人間は、当事者にならなければ、矢張りどうしても駄目らしい。テレビ討論で、日本の核保有の是非が語られていたのだが、核を保有しないのは(日本の)意地だと云う風に有識者が話していたが、そうではなくて、日本には平和憲法と平和の理念が有った筈ではないのだろうか? 人間とは、突き詰めれば理念で生きるものではないのか? 三島由紀夫の遺作《豊穣の海》の結末、その恐ろしい虚無は何を意味する? 私は、それを戦後の日本社会・日本人への予告、警鐘だと受け止めている。三島の思想で面白いのは、物質と概念は等価値(イコール)だとする点で、仏教・キリスト教にも通じる。精神が物質に勝る訳ではないが、そこの微妙な兼ね合いを間違えると、人間はやがて人間ではなくなって仕舞う様に思う。本当に恐ろしいのは、核戦争ではない。IT等テクノロジーで、人間が人間ではなくなって仕舞う事、空白な概念の奈落、混迷へと陥ってゆく事ではないのか? 『韓国は、金正恩の斬首作戦を…』だが、アリスは、わたしが毛糸で描いた絵をじっと眺めていた。『サダム=フセインが捕えられて処刑された時、新聞記事で見たわ。彼は、唯の中年太りの男性だった』『そうでしょうね』『オサマビンラディンが潜伏していた邸に、アメリカの特殊部隊が突入して殺害した時も…』『先生、《ある愛の詩》って知ってる?』『…? ええ。確か1960年代初頭の映画でしょう。それが、どうかしたの?』『荒唐無稽な恋愛物の様だけど、シンプルで良い物語よね。人間って、本当は凄くシンプルなものよ。そう思わない?……』


  •  湖沼の底に沈んだ様な、寂しい町だ。嘗ての繁華街、上町の通りの端には商店が在り《宮澤賢治生誕120年》のポスターが貼られているが、先月27日でそれも終わった。今は、もう賢治生誕121年目。今後、宮澤賢治が残した文学や様々な軌跡は、特に若い層には忘れられてゆくのかも知れない。JR花巻駅附近には《なはんプラザ》と云う施設が建って居り、市役所の様に戸籍謄本等各種の書類を発行する機械も設置されている。『貴方は、聖霊の存在を受け容れていますか?』その、五十年輩の外国人男性は、私に向かって低く訊いた。『解かりません…』本当に解からなかったので、私は、簡単にそう答えた。聖霊とは何だろう? 当時、私にはその言葉が指す意味、概念そのものが理解出来なかった。男性の国籍や、人種については覚えていないが、或いはユダヤ系だったのかも知れない。しかし、勿論ユダヤ教徒ではなく、彼はキリスト教の信奉者で有り聖職者だったが、プロテスタントかカソリックか宗派も覚えていない。当時、私は鬱病で悩み《なはんプラザ》で催されたキリスト教の集会へ母と一緒に行ったのだが……『鬱病で苦しんでいる』と云う風に、私が話すと、横にいた若い女性の通訳がそれを彼にも理解可能な外国の言語に翻訳してくれたが、その女性は恐らく大学生で奉仕活動(ボランティア)らしかった。すると、そのキリスト教の聖職者の男性は『貴方は、聖霊の存在を受け容れていますか?』と、質問とは直接関係の無い返事をした。鬱病になる事と、聖霊の存在を受け容れるか否かと一体何の関係が有るのだろう? その頃、私は、キリスト教の本山とも言うべきヴァチカン・ローマ=カソリックでは、《悪魔》(サタン)は人間を鬱状態にさせると言われる事や、《新約聖書》(福音書)に登場するマグダラのマリアと呼ばれた女性は、七つの《悪霊》に憑かれていたのをイエスに救われたのだが、それは現在の精神疾患で有ろうとされる事等は知らなかった。鬱病は、古代ギリシャの文献にも記録されているとの事……私は、聖職者の男性の答えは的外れで不適切だと感じたが、失礼だと思って口には出さず、胸の裡に仕舞って置いた……今、《新約聖書》に纏わる油絵(タブロー)を描いていると、『これは、本当に意味の有る事だろうか? 唯の、自分自身の観念に過ぎないではないか』と疑念も抱くが、熾烈な肉体の病はその余裕さえも容赦無く奪い去る……


  •  9月4日。花巻は、急に真夏に戻ったかの様な暑さで、室内でもエアコン(冷房)を効かせていないと熱中症になりそう。一体、どうなっているのだろうか? 庭で綺麗なアゲハ蝶が飛んでいた。春と夏、秋とが混ぜこぜになった様で、季節感が可笑しく感じられる。遅い春の様な桃色の八重桜に似た花も咲いており、まるで九州の南国を訪れたかの様。まだ、真紅の薔薇が咲いているかと思えば、秋桜(コスモス)が咲き誇っている場所も在り、若しかすると、天国(パラダイス)とはこんな処なのかも知れない……文学とは交錯しない。川村某と云う人の、精神疾患患者としての半生を綴った伝記を多少読み、面白かったが……《聖母マリア》に僅かに彩色。症状は益々酷く、形容し難い。私は、時に、キリスト教の観念を邪魔だなと思う事が有る。それが無ければ、もっと自由に油絵(タブロー)も描けるだろうに……一枚の古いキリスト教絵画が記憶に有るのだが、それは、使徒の一人(ヨハネか、マタイか誰なのかは覚えていない)がローマ郊外の荒れ地の様な処で地面に倒れていて、喉を頸動脈に達する程深くナイフで切り裂かれている。血はまだ吹き出ていないが、その淡々とした写実的な描写が余計に何か恐ろしい。使徒を手に掛けているのは、キリスト教徒を迫害していたローマの兵士ではなく、平服を着た普通の村人の様な数人の男達で、その一人が笑みを浮かべながらナイフで使徒の喉を平然と抉っている。何故、彼は使徒を殺しているのだろう? それは解からないが、私は、人間に宿るのだと云う《原罪》と云う言葉、難しい概念の事を思い出す……昨日の水爆実験の後、北朝鮮は又、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射準備をしていると、韓国は確認したとの事。昨日の、北朝鮮の核実験は、原爆の強化型かも知れないとの事なのだが、それはどの様な物なのだろう? 宗教とは恫喝だろうか? 余り考えると気鬱になる……『どうして、人間は宗教の名の下で殺し合いをするの? 十字軍だとか』『さあ。わたしには生憎と解からないわ、アリス。十字軍の当時、イスラム側は寧ろ寛容だったらしいけど。イスラムも、元々は平和的な教えだったそうよ』アリスは、喉が渇いた様子で、部屋の冷蔵庫の方へ歩いて行った。『ダーチャの方が素敵ね、先生。野苺やベリーの実で拵えたジュースの方が』『ええ。でも、ロシアは北朝鮮の挑発的な行為を非難して』『そうだわね……』


  •  漸く深夜になった。私は、夜床に就く時が最も安堵する。窓の外では、月が美しく光り虫の鳴き声が聴こえて来る……それにしても、テレビでは北朝鮮の水爆実験についてのニュースさえ何処の局でも報道されていない。民放だけではなく、NHKもそう。今は、NHKではエリザベスどうとか云う海外ドラマを遣っていた。民放は、スポーツの話題。日本が、オーストラリアを破り、ロシアで開催されるサッカーのワールドカップに出場する。何時から、日本はスポーツ・アスリートの国になったのだろう? 前に、ブラジルのサッカー・ワールドカップが行われた時に、低社会層に拠るデモが行われたが、それは尤もな話だと思う。別に、サッカーがどうだろうと生死には関係が無く、それよりも住処とパン・温かいスープ、出来ればコーヒーが飲みたいだろう。後は、柔道世界選手権や新体操世界選手権、国内外の野球、プロゴルフ等の話題でうんざりとして来る。東京オリンピックにも全く興味が無い。時と場合に拠ると思うのだが……朝鮮半島は、日本から至近距離。そこの独裁国家で水爆実験が行われたのに、何故もっと騒がれないのだろうか? 聡子とも、そうした事を話し合ったのだけれど。兎に角、テレビでニュースを遣らないから、情報が一向に入って来ない。ネットのニュースだけではなく、私は、矢張りテレビニュースも見たい。テレビは、矢張り最も一般的なメディアだろう。こうした、日本の危機意識の低さが、私にはどうにも耐え難い。嘗て、広島と長崎に原爆を投下され、唯一核兵器を使用され、東日本大震災ではチェルノブイリ級の原発事故・放射能汚染が起こったのではないか。それなのに、国連の核兵器禁止条約では120カ国以上が批准したのに、肝心の主役は不在で空席には大きな折りヅルが置かれていた。都知事は、何故、嘗て関東大震災で被害に遭った朝鮮人達に哀悼の意を表さないのだろう? 日本とは不思議な国だ……ボコ・ハラムと聴くと、アリスは、まるで襟元からゲジゲジでも入れられたかの様に身を竦め、顰め面になった。『あたし、心の外の世界なんて欲しいと思わないわ。この世界は概観としては無意味よ。そうじゃない?』『まあ、確かにそうかも知れないけど。だからこそディティールに働き掛けるのよ』『例えば、どんなディティール?』『それは、貴方が自分自身で見付けなければ』『あたしには、総ての事象がナンセンスなだけよ……』


  •  9月3日。朝が来るのが恐ろしい。生き地獄の様な症状。余りくどくどとは書くまい……北朝鮮は、核実験を実施。私が予想していたよりも早かった。韓国軍の合同参謀本部は、3日、北朝鮮北東部の咸鏡北道・豊渓里附近で発生したマグニチュード(M)5.6の地震について、六回目の核実験に因るものと推定されると明らかにした。韓国軍は地震観測後、全軍に監視・警戒態勢の引き上げを指示、米軍と連携して北朝鮮軍の動向を詳しく監視しているとの事。テレビ画面上部に、【北朝鮮が核実験…】と云う速報が出てチャンネルを変えたのだが、民放では通常のバラエティー番組等が放映されて居り、NHKでだけ緊急ニュースが報じられていた。矢張り、日本の反応は薄い様に思う……昨夜、床に就いた時から、私は何と無く嫌な胸騒ぎがしていたのだったが。今朝は、5時半頃に目覚め、トイレに行こうとした時に聡子のスマートフォンが鳴り、一瞬『又、Jアラートかな?』と思ったのだが、それは普通の目覚まし用のアラーム音だった……北朝鮮に拠る核実験を受け、日本政府は3日午後5時過ぎから同日二回目の国家安全保障会議(NSC)を開催、最新の情報を確認すると共に対応方針について改めて協議。菅義偉官房長官はNSC後、臨時の記者会見で『今回の核実験について詳細は分析中だが、水爆実験だった可能性も否定出来ない』と述べた。その理由については、過去最大規模のマグニチュード6.1の揺れが観測された事を挙げ『過去のマグニチュード、又、世界の様々な物と比較して、(水爆実験の可能性を)否定する事は出来ない』と説明した。尚、核実験に拠る放射性物質について『15時現在、全国のモニタリングポストで異常値は検出されていない』と発表。水爆実験……広島や長崎に投下された原爆の、何倍の威力が有るのだろう? 解からないが……核の力に拠り、国家間の軍事的均衡が保たれると云う、馬鹿げた《神話》……此処の施設では、アリスは、彼女の身の周りの世話をしているアフリカン・アメリカンの大柄な中年女性を別とすれば、わたしにしか懐かず、他のスタッフ達の手を焼かせていた。『ボコ・ハラムは……』『だから、別にそんな話は聴きたくないから結構よ。先生』『何故、そう遣って現実から眼を背けるの?』『不快だからよ。戦争、紛争、テロ。数え上げれば、枚挙に暇が無いじゃない』『だけど、無関心なのは良くないと思うわ……』


  •  何故、これ程症状が酷いのか? パソコンに向かうのが困難……一体、何に就いて書くべきなのだろう? テレビの音声を聴いているだけでも、様々な情報が否応無しに飛び込んで来て混乱する。北朝鮮からミサイルが発射され、朝6時頃、タブレット端末の《Jアラート》で飛び起きたのは何日前だったろう? その後、日本は忽ち常態に復した為に、忘れて仕舞った。ミサイル発射の翌日、私は、聡子に頼みコンビニで朝日新聞を買って来て貰ったのだが、その日付けを見ると8月30日、水曜日。まあ、病気が酷いし、北朝鮮のミサイル処ではないと言えばそうなのだけれど。しかし、それにしても、ミサイル発射後・翌日からの日本の反応は比較的薄かった様に思う。漠然とした表現だが……テレビも直ぐ通常の番組枠に戻ったし、ネットのニュースも思った程の大きな騒ぎにはなっていなかった。尤も、《Jアラート》は東日本でしか発せられなかったし、それ以外の地域では、テレビやスマートフォン等で報せを聴いても、『ああ。又、北朝鮮の例のアレか』と云う程度だったのかも知れないが、状況に慣れ切って仕舞うのは危険に思う。一昨日だったか、スタンリー=キューブリックの《博士の異常な愛情》をBSで見て非常に面白かった。主演は、ピーター=セラーズ。旧ソ連とアメリカの冷戦、第二次世界大戦のナチス・ドイツ、キューバ危機。ラストは、核戦争で滅び去る人類に対するレクイエム(鎮魂歌)とでも言うのか。昔、学生時代に《2001年宇宙の旅》と《時計仕掛けのオレンジ》も見たが。宮澤賢治も好んだ、ベートーヴェンの第九番交響曲が《時計仕掛け》では効果的に使われていたが、ナチス・ドイツも用いていたらしく、そうした要素を含んでいるのだろう……話に退屈し始めた様子に見えると、わたしは、綺麗な色の毛糸の切れ端を使って画用紙に絵を描いて遣ったが、すると、アリスは子供らしい無邪気な笑顔になった。この子は、施設のスタッフではわたしだけに心を許し、懐いている。『とても器用ね、先生』『画家のゴッホは、毛糸の組み合わせで色彩の効果を独自に学んだそうよ。あの、狂気染みた絵画は、実は周到に計算されたものだったの』『何が言いたいの?』『つまり、藝術(アート)とはそう云うものよ。現実とは違うわ』『現実って?』『現実は現実よ。心の外の世界。ボコ・ハラムは貴方も知ってるでしょう?』『そんなもの考えたくもない』


  •  9月2日。朝、目覚めると途端に凄まじい症状……愈々、今年(平成29年、西暦2017年)も9月に入り、その2日迄は生きる事が出来たのだなと、ごく単純な事実乍らそう思う。花巻は、今日は寒く、エアコンの暖房を入れた。昨日は暑かったのだが、寒暖差が激しい。8月は概ね寒冷で、農作物にも影響が出たそうなのだが、水稲はそれ程の不作ではなかったらしい。嘗ての、宮澤賢治の頃とは違い、今は岩手の稲作も毎年或る程度の安定した収穫が見込める様になったのだろう。花巻は田舎だが、大型スーパーへ行けばあらゆる食品が売られている。レジも機械化が進んだ。AIは、ホワイトカラーの職種をカバーするだろうとの事。岩手でもドローン・スクールが出来たそうなのだが、そこを卒業したとして、就職の需要が有るのだろうか? 多分、有るのだろう。そうした訳で、宮澤賢治の理想と今の現実とは掛け離れている。賢治の時代には、花巻(稗貫郡)では漸く電柱が立ち始めた。現代では、例えばDNAストレージ。コンピュータのデータを従来のハードディスクやフラッシュメモリーにではなく、DNAの塩基配列(?)に拠って記録する技術が開発され、やがて一般的になるのかも知れない。その方が、膨大なデータを保存出来る等のメリットが有るらしいのだが。しかし、私が恐ろしく感じるのは、コンピュータに遂に生命・有機物が使用される様になったと云う事だ。人間と、機械との境界(ボーダー)は次第に不分明になってゆくのだろう……午後、《聖母マリア》に僅かに彩色。思うのだが、絵画とは才能や技巧だけで描けるものでもない。私は、絵画とは観念で描くもので有ろうかとも思うが、今の日本にはそうした観念が存在せず、従って、画家は育ち難い様に思う。文学も同じだ。今朝の新聞には、一面に永井荷風の記事が載っていたが……『アリス。2001年には、腐った巨大な林檎、ニューヨークで9.11の同時多発テロが起こったのよ。貴方は、まだ生まれていなかったけど』『その映像ならネットで何度も見たわよ。全く、下らないわよね』『わたしは、故郷の家のテレビで見ていたわ。信じ難い光景だった』画家・ブリューゲルが詳細に描いた、《バベルの塔》の崩壊。古代、文明が栄え驕り昂った人間達は、天に迄届く高い塔を築こうとして《神》の怒りを蒙ったのだと云う。現在、北朝鮮のミサイル発射で、アジアの同盟国の緊張が高まっている……

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