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    新装開店、リニューアルオープンです。。

    皆さん、飲みに来てね〜。。(#^.^#)。。。。。

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  •  「ローマの街も、さぞかし素敵なんでしょうね……」早苗は、母親のお下がりの物らしい、赤いハンドバッグから、デパートで買った香水の箱を取り出し、その、横に書かれている説明文を熱心に読んでいた。「ねえ、《ローマの休日》って云う、有名な、外国映画があるそうよ……ええと、女優の名前は何だっけ?」「オードリー・ヘプバーンじゃないか?」「そうそう。貴方、良く知ってるわね。あたし、その洋画を見たいんだけど、稚内の街に在る映画館でやらないかしら?」「さあ、それはどうなのかな? でも、あれは、イタリア映画じゃなく、アメリカのハリウッドで製作をされたんだろ。ロケーションは、多分、ローマだったのかもしれないけど」「へえ、そうなの?」「それに、オードリー・ヘプババーンと言えば、彼女は、《アンネの日記》を書いた、ユダヤ人少女のアンネ・フランクと同じ様に、戦時中には、ナチスからひっそりと身を隠していたらしいよ……」

     私が、そう説明すると、早苗は少し感心をした風だった……「外川君て、何て云うか、雑学の宝庫みたいだわよね。オードリー・ヘプバーンって、そんなにも、古い時代の女性だったの? 意外だわ……」「オードリー・ヘプバーンは、ナチス・ドイツには捕まらず、確か、英国の軍隊に救助をされて、その後、ハリウッドスターに迄なったんだ」「《事実は小説よりも奇なり》と云う奴よね……」「ああ。でも、アンネ・フランクの方は、父親の、オランダの知己の邸で隠れて生活をし続けていたけど、或る日、突然に遣って来た、ナチスに依って強制収容所へと送られてしまった」「それで、一体どうなったの?」「劣悪な環境の、強制収容所の中で、アンネは、不幸にも結局、腸チブスに罹って死んでしまったそうだよ。可哀想に……」


  •  西欧等の、キリスト教美術に就いて、私は、余り詳しくはなかったのだが、ルネサンス期の絵画はつまらなく感じられた。(だが、何故つまらないのかは、自分自身でも、どうも良く解からなかったのだが……)『宗教と云う、テーマに限定をされると、芸術家の自由な想像力が束縛されてしまうよな』しかし、だからと言って、それでは、他に人間に取って重大な主題・テーマとは果たして何なのだろうか? と、考えると、更に、解からなくなってしまう……私は、近世よりは、ごく初期のキリスト教美術の方に、寧ろ、心を惹かれた。例えば、家の画集で見た、ビザンティン美術の大聖堂の内部の壮麗な装飾など……それと比べると、プロテスタント教会は、飾り気が無く、そうした意味では退屈だった……「何を、ぼやーっとして考えているの? 外川君?……」横合いから、早苗が、そう尋ね、私は物思いから我に返った……「いや、ルネサンスよりも、もっと古い、キリスト教美術に就いて考えていたんだよ」「イタリア・ルネサンス以前にも、キリスト教の美術って存在をしていたの?」「それは、勿論そうだよ。最も、初期には、紀元二世紀から三世紀に掛けて、地中海沿岸の各地で、ローマ美術の流れを汲んだ、キリスト教美術が誕生したらしい……」「ローマ美術って云うのは?」「例えば、コロッセオなんかは、有名で誰でも知っているだろう?」「ああ、円形の闘技場の事でしょ?」「今は、ただの観光地だけど、元々は、暴君として名高いネロ皇帝の時代に、宮殿に建設をされたんだ……」その、コロッセオは、謂わば、イベントの会場で、剣闘士の戦いが公開をされたり、又、キリスト教徒らの迫害の場ともなり、数多くのクリスチャン、使徒達が殉教し、犠牲になったとも言われる……

  •   4章

     宗谷岬の先端には、北緯45度31分22秒の〝日本最北端の地″を標する記念碑が、まるで何か、北極海に迄も到る青い宗谷海峡への玄関口の様に建っている。その、モニュメントは、円形の台座の上に鋭い三角形のオブジェクトが天を指し屹立をしており、それは、古にアイヌが狩猟や戦に用いた弓矢の矢尻を思わせる。北海道は、嘗て、先住民族のアイヌ達が跋扈をしていた自由の天地《アイヌモシリ》であった。(それは、現在の北海道島、過去の日本領土であった千島列島、樺太に迄及ぶ広範囲に亘るものだった……)

    『アイヌは、人類学的には縄文時代の日本人に近い、その末裔だったらしい……これは、夏期講習で、佐藤先生が教科書からは外れる様な事を特別に教えてくれたんだけど。あの先生は、まだ若くて熱心だから、校長の言い成りばかりにはならないんだろう』何処迄も、果てし無く続く真っ青な海を三方向に見渡せる、宗谷岬の突端の記念碑(それは、音楽の授業で使われるメトロノームに似ていた)が在る場所、そこは矢張り小さな公園で、コンクリート製の正方形の板が敷き詰められて陸から突き出しており、まるでフェリーボートの甲板上にいるかの様な気分を味わえた。『僕は今、宗谷湾から発って、北極海に迄も往く立派な豪華客船、遠洋航海のフェリーのデッキの上にいるんだ。あの、歴史上最も有名な、絶対に沈まないと言われながら、大西洋の北の方で氷山に接触をして沈没をしてしまったタイタニック号の様な。この僕は、自由で気儘な旅行者なんだ』そんな風に、私は想像を逞しくして、独りでその記念碑の在る小公園からの美しく壮大な展望を愉しんでいた。

    『でも、出来れば、あの早苗の奴と一緒に此処に来たかったな。もう、好い加減に風邪を拗らせていたのも治ったんだろうし……』と、そう考え、私は急に今度は、物寂しい様な不安感に又しても捉われ気分が滅入って来てしまった。花巻から、北海道の声問へと両親と共に引っ越して来てから、私はどうも何時でも情緒が不安定気味なのだったが、それは本来生まれ持った気質が、転居を機に表に顕れて来たのかもしれなかった……

  •  (人間には、多分、残虐性と云うものが必要なんだろうな。それが、一体どうしてかは、非常に難しい問題で僕には良く解からないけれど……)早苗の、アイヌに就いての話を聞きながら、その一方で、私はそうした事を頭の片隅でぼんやり考えていた……『昔、アイヌの人達は、万物に神が宿ると云う、独特の汎神論の様な信仰を持っていたそうよ』『へえ、そうだったのかい?』私は、次第に、早苗のする話に退屈を覚え始めた……『明治以降、アイヌの人達は段々と減っていって、今では、日高の沙流川の辺りに小さな村落が在るだけなんだって。まあ、それ以前に、江戸時代に蝦夷地のアイヌ達は和人に殆ど皆殺しにされてしまったそうなんだけど。本当に酷い話よね……』『人間は、他者のテリトリーに強引に侵入して行っても生き延びようとする、逞しい動物なんだよ。大昔からの、それは、謂わば本能に近い様なものじゃないのかな?』そう話すと、早苗はやや興覚めた風で、暫くの間言葉を発せずに押し黙ってしまった。だが、そうしたアイヌの虐待などの問題を語っている、早苗自身が、何処かで差別者としての意識を持っている様にも見受けられたが、彼女はそれには無自覚であるらしかった……『そう言えば、声問村の外れにも、ほんの僅かだけど日本との混血のアイヌの人達が住んでるよね?』と、そう話すと、早苗は何か不意を突かれた様子で……『ああ、そうだわね。あたしの、お母さんが、明治乳業の工場に勤めていて、偶に、牛乳製品をスーパーや商店、個人の家にも納品をしに行くんだけど、村外れの古い公団住宅の部屋にアイヌの人が入っているそうよ。まだ若い女性らしいけど、やっぱり混血で、聾唖者で言葉が不自由なそうなの』『それは、僕は初めて聞いたな……』『お母さんは、少しだけ手話が出来るんだけど、その女の人は既に結婚もしていて、相手も同じ様な混血のアイヌの男の人なんだって。その旦那さんも、何かの障害を持っているらしいけど、余りこれ以上詳しい事は聞かされていないわ……』との、早苗の世間話の様なものを聞かされ、私は……(混血の、アイヌの人達が惹かれ合って結婚をするのは、尤もで良く解かるけれど、でも、その夫婦の両方共が障害を持っていると云うのは偶然なのだろうか? 若しかすると、日本人と血が混じった為に、それが原因で障害を持つ様になってしまったのかな?)そう、想像したが、真相は勿論解からなかった……

  •  その時、私は、早苗が語ってくれた、嘗てのアイヌ文化や知里幸江と云う少女に興味を覚えた。童話の中で、コロポックルと云うのは知っていたが(その、小人の妖精の様な存在は、北海道の到る処に自生している蕗の葉の下にいるのだと云う……)しかし、それ以上のアイヌに纏わる話は、私はずっと何も知らないで生きて来たのだった。『その、アイヌ人の、知里幸江さんと云うのは本名だったのかい?』不審に感じて、私は早苗に対してそう尋ねたが、すると、彼女は眉根を寄せて首を傾げ……『多分、彼女は元々、アイヌとしての名前を持っていたんだろうけど、日本人達が漢字を使った姓名を押し付けたんだと思うわ。でも、そんなのって日本人の勝手な我が儘だし、非人道的で酷いわよね……』と、一言一句を噛み締め、低く押し殺した小声で語り教えてくれた。『当時の、学校教育はどうだったのかな?』『さあ、良くは知らないけど、知里幸江さんは特別に優秀でアイヌ語にも通じていたから、金田一と云う偉い学者の人に見込まれて《アイヌ神謡集》の編纂に協力をしたそうよ。だけど、幸江さんは元来虚弱だったらしくて、そうした仕事の無理が祟って若い内に亡くなったの……それで、金田一さんは、責任を感じ悔やんで、幸江さんのお墓に取り縋って泣いたのだそうよ』『ふうん、そうなのかい?……』私は、金田一と云う名前は何処かで聞いた覚えがあったが、知里幸江に就いては全く知らなかった。『あたしの、お祖母ちゃんが岩波文庫の《アイヌ神謡集》を持っていて、読ませてくれたんだけど、昔の、純朴なアイヌの人達の口伝の詩、美しいユカラに凄く魅せられてしまったわ』『僕は、以前に教育テレビの番組で、アイヌ人の暮らし振りを見た事があるよ。今では、もう違うんだろうけど、昔のアイヌの女性は口元に入れ墨をして、手作りの楽器を鳴らしているよね』『ええ、そうね……でも、小学校の授業では、そんなアイヌの人達が虐げられていた歴史の事は教えてくれないわね』『それは、文部省の官僚が、各小学校の校長を通じてそうさせているんじゃないの? そう云う仕組みは、僕は、良く解からないけれど……』そう、話しながら、私は矢張りテレビ番組で見た《イヨマンテ》と云うアイヌの古い祭りを思い出した。《イヨマンテ》では、一頭の選ばれた羆が、生贄とされ弓矢で射殺されるのだが、それは、ピカソ等が描いたスペインの闘牛を何処か彷彿とさせた……

  •  やがて、その中年の夫妻の自家用車は、無事に宗谷岬の最北端の場所へ辿り着いた……「どうも、乗せて頂いて本当に有り難う御座いました」私は、そう簡単に礼を述べ、後は独り切りで岬の北に向かって歩いて行った。宗谷岬は、日本の実効支配が及ぶ、一般人でも立ち入る事が可能な最も緯度の高い北端の場所である……『僕は、早苗の奴から聞いてはいたけど、実際に此処の宗谷岬へ遣って来たのは初めてだよな。折角、北海道の声問村に住んでるんだから、矢張り、一度は宗谷岬をこの眼で見てみないと』と、そんな風に考えながら、大地の上をずっと続いている敷石の道を歩み続けた。『学校の夏期講習で、佐藤先生が説明をしてくれたんだけど、日本政府が領有権を主張している最北の地は、北方領土、択捉島に在るカモイワッカと云う岬らしい。でも、その北方領土は、今ではソヴィエト連邦が支配をしているんだよな。一体、どう云う経緯でそうなってしまったのかは、僕は良く知らないんだけれど……』図書館へと行った際に、北方領土に就いても、詳しく調べてみれば良かったと私は思ったが、取り敢えず今はどうしようもなかった。『あたしの、お祖父ちゃんは、親戚が昔、北方領土の島に住んでいたんだって。だから、その人と一緒に北方領土の四島を日本に返還をして欲しいと、訴え掛ける運動をしてるの。でも、お祖父ちゃんは、自分が生きている間に北方領土が返還される事はないだろうって、何時でも苦笑いしながら言うのよ』以前に、早苗がそうした事を話していたのを、私は思い出したが、確かに、ソヴィエトが実質的に支配している北方領土を手放す事はなさそうに思えた。『大昔、北海道が蝦夷(エゾ)と呼ばれる、もっと前には、此処は原住民のアイヌ達が自由に暮らしていた国で、彼らは独自の美しい文化を誇っていたそうなの。でも、アイヌは文字を持っていなかったので、そうした文化は総て口伝で受け継がれたそうなのよ。それを、アイヌユカラって云うんだけれど……』早苗は、そんな事も、私に向かって説明をしてくれた。『これは、お祖母ちゃんから聞いたんだけど、明治の頃に、アイヌだった知里幸江と云う一人の少女がいて、東京の金田一と云う学者さんに頼まれて、彼女は消え去ろうとしていたアイヌユカラの編纂の仕事に携わったんだって。そして《アイヌ神謡集》と云う詩集の様なものを出版した、直ぐ後に、知里幸江さんは亡くなられたの……』

  •  「だけど、幽霊なんて存在する訳がないですよね……」「まあ、それはそうだけど、賢治は感受性が豊か過ぎて、そんな風に感じられたんじゃないのかな? その、上町で黒い服を着たトシさんを見たと云うのは、恐らく他人の空似に過ぎなかったんだろうけど、しかし、賢治にしてみれば、そう思い込むのも無理はなかったのかもしれないね」「でも、人間は死ねば、火葬場の炉で燃やされて、ただの薄紫色の煙になってしまうんじゃないんですか?」私が、あの節子の事を思い出し、そう尋ねると、その中年の男性は非常に驚いて動揺を隠せない様子だった……「君は、まだ少年なのに、随分大人びた事を言うんだね。確かに、人間は死んでしまえば、もうそれ切りなのかもしれないけど。でも、若しかしたら、そうではなくてもっと違った世界が死んでから後もあるのかも……」そう話し、その中年の男性は、何か少し気を悪くした風にむっつり押し黙ってしまった。多分、彼は私の事を奇妙な子供だと感じて、車に同乗させたのを心中で密かに悔やんでいたのだろう……ところが、その時、男性の妻であるらしい中年女性が……「君は、声問の小学校に通っているの? 今は、夏休み中なのかな?」と、その場の空気を和ませる様に、落ち着いた穏やかな口調で訊いた。「はい、そうなんです。でも、北海道の夏は短くて、あっと云う間に終わってしまいそうな感じです」「そうね、君は、まだ子供だけど、大人になればなる程、時間は速く経っていってしまうものなのよ。だから、毎日を有意義に過ごさないと」「僕は、花巻では病気の女の子と友達だったんですが、その子は、もう死んでいなくなりました。今は、他の友達の子が、心臓の疾患で何時どうなるかも分からない状態なんです。それで、稚内の図書館で良く調べてみたんですが、外科手術が必要になるかもしれません……」私は、そう語りながら、図書館で見た医学書の中に載っていた、心臓の構造を緻密に描いた絵を思い出していた。心臓は赤く、その表面には様々な血管が浮き出ていて、静脈は青い色をしている。その、極彩色の様な色遣いで描かれた心臓の図は、毒々しく、私には、人間の生命を支えているものは、何者かの熾烈な悪意の様にさえも感じられた……「まあ、学校のお友達がそんなに悪い病気なの?」その、中年夫婦は、私の話を聞いて心底から驚いたらしく、急に沈黙してしまい、車中には気不味い静寂だけが漂った……

  •  その時、後ろでクラクションが鳴らされ、私は驚いて其方を振り向いて見た……すると、そこには、観光客であるらしい夫婦連れが乗った自家用車が停まっていて、運転席側の窓から中年男性が顔を出していた。「君、一体どうしたんだい? 若しも、宗谷岬の先に行くのなら、良かったら一緒にこの車に乗せてあげよう。子供の足では、ここからずっと歩いてゆくのは難しいよ」と、その、好人物らしい男性は、非常に優しく親切に声を掛けてくれた。「はい、それは本当に有り難う御座います」私は、素直に礼を述べ、その車に便乗をさせて貰う事にして、後部座席に身を滑り込ませた。「君は、何処から来たんだい? 軽装だけど、この近くに住んでるの?」その、中年男性は、ハンドルを握って操作しながら、バックミラー越しに此方を見てそう尋ねた。「ええ、僕は、前は岩手の花巻に住んでいたんですけど、父の仕事の都合で声問村に引っ越して来たんです」「へえ、そうなのかい。花巻なら良く知っているよ。以前に、花巻祭りを見に行ったから……あの祭りは、青森のねぶたに次いで盛大で勇壮だが……」その、男性は、快活に喋り続けていたが、私は次第に酷く退屈を覚え始めた。『今度、佳美に会ったら、彼女の化けの皮を剥がして本当の素顔を見てやろう。きっと、あいつは可愛らしい仮面の下に別な違った顔を持っているんだ。元々は、眼も鼻も無いマネキン人形の様な素地に、あんな綺麗な顔のマスクを被っているんじゃないのかな。佳美と話していると、まるで、狐にでも化かされてる様だ』そう、私は何時もの癖で、自分の思惑に耽っていた……「花巻の、上町には、有名な詩人で童話作家だった、宮澤賢治の生家が建っているよね? だが、あの界隈には、昔は一寸した遊郭なども在ったそうだな……」と、そう話し掛けて、その中年男性は相手が子供であった事を思い出したらしく、一つ咳払いをした。「いや、御免……君は、宮澤賢治は知っているかい? 賢治は、妹のトシさんが結核で亡くなって相当に落胆をしたが、その後、上町の実家の近くで、黒い衣装を着たトシさんの幽霊と逢ったんだそうだ」「はあ、幽霊ですか?」「ああ、そうだよ。賢治の詩の中に、その、死んだ筈のトシさんを偶々見掛けた時の事が書かれているんだ。本当の話なのかどうかは知らないけどね」私は、宮澤賢治が、肺結核に罹って亡くなった妹の幽霊を見たと云う、奇妙な話に興味を覚えた……

  •  結局、私はバスを途中で降りず、宗谷岬の方に迄もずっと行ってしまった……『早苗と、以前に、ノシャップ岬へは一緒に遊びに行ったよな。あそこは、美しかったけど、嵐に遭い、早苗は風邪をひき拗らせてしまった。僕も、本当に迂闊だった……』そう、回顧をしている内に、稚内交通の路線バスは宗谷岬の根元の終点に到着し、私は降車をした。『それで、これから先一体どうしようかな? 試しに、宗谷岬の突端の、樺太の方が見える様なところに行ってみようか?』と、そう思い、私は道を一歩一歩前へ進み始めた……『さっき、バスを降りた停留所から、宗谷岬の一番北の先端迄は相当な距離がある筈だよな。この、僕の足で、果たしてそんな遠くへ歩いて行けるんだろうか?……』私は、又、さっきの様な、不安感が胸中で暗雲の様に垂れ籠め始めたが、それを振り切って前進をし続けた。(臆病な癖に、無謀な事を時に試みようとするのが、私の性質なのだった……)左手に、青い茫漠とした宗谷湾を望む、原野の中の一本道を、私は子供の足で北の方角を指して一歩ずつ焦らずゆっくりと歩を進めた。その、原野の鬱蒼として、濃い緑の樹木が欲しい儘に生い茂っている様子は、図書館の画集で見た、アンリ・ルソーが描いたメキシコの熱帯雨林を思わせる絵を連想させた。『ルソーは、日曜画家でアカデミックな技巧は持っていなかったから、素朴派、ナイーフと皆から呼ばれたんだな。ナイーフと云うのは、フランス語で素朴と云う意味なのだろうか? それは、知らないんだけど……』それから、今度は、矢張り図書館で調べてみた、長谷川佳美の心臓弁膜症に就いての記述を思い出したが、私は、その事は脳裡から振り払おうとした。しかし、幾らそう努めてみても、あの、佳美の美しい端正な顔が眼の前に浮かんで来て、どうにも出来なかった。『佳美は、飲み薬で症状を抑えていると言っていたけれど、本当は、外科手術を必要とする様な、切迫をした状態じゃないのかな? 彼女の態度は、玉虫色と云うか、次々と変化をするから、掴みどころが無くて僕はどうも苦手なんだよ……』あの、フランス人形の様な、色白で綺麗な顔立ちでいながら、怜悧で胸奥の思惑を推し量る事が非常に難しい、佳美の存在は、私に取ってはただ単に学友と云う以上の何物かだったが、それをどう解釈するべきなのかは良く解からなかった。あの、まるで《モナリサ》の様な、アルカイックスマイル……

  •  『早苗と、長谷川佳美とは、本当に対照的な存在だよな……早苗の奴は、健康優良児で根っから明るくて屈託の無い性格だし、それに比べると、佳美は心臓に重大な疾患があり刹那的な死生観を持っている。まあ、早苗は可愛いし、佳美は美人のタイプだよな……』やがて、私は本を読むのにも流石に飽きて、席を立つと開け放たれた窓の方へゆっくり歩いて行った。図書館の、閲覧室は建物の二階に在り、窓からは稚内の郊外の穏やかな風景が望まれたが、それは、ダリやルソーらの自由奔放なイメージの世界に対して、余りにも平凡極まりも無く酷く退屈なものに感じられた……『僕と云う人間は、多分、この現実の世界の中では、先々も上手く遣ってゆく事は出来ないかもしれない。だけど、この僕は、自分で望んで生まれて来た訳じゃないのだし、或いは、若しかすると望んで生まれて来たのだとしても、僕の気質、属性は誰に責任を帰せられると云うものでもないだろう。そうじゃないのかな?』私は、そうした考えに捉われたが、しかし、もう頭を使い過ぎて疲れ切ってしまい、書籍を元の場所へ戻すと閲覧室から廊下の方へと向かった。図書館の、玄関から出て敷地を歩いてゆき、細い路地から抜けて表通りのバス停留所で待つと、程無く、一台の塗装が薄くなった路線バスが眼の前ですっと停まった。『もう、そろそろ、早苗と一緒に声問浜に泳ぎに行かないと、好い加減に夏休みも終わってしまうよな。長谷川佳美にも、一緒に、海に連れて行って欲しいと頼まれたけど、彼女は本気で言っているんだろうか? どうも、早苗以上に、佳美は扱いが難しいよ』と、そんな事を、ぼんやり考えている内に、路線バスはどんどん走り続けてゆき、何時しか、私は目的の停留所を通り越し全く見知らない場所にいる事に気付いた……『ここは、一体、何処なんだろうか? 考え事に耽って、宿舎の最寄りの停留所をずっと通り越してしまった。この儘、東の方角へ向かえば、最後には宗谷岬に迄も行ってしまうのかな? でも、僕が独りで、宗谷岬へ行っても仕方が無い事だし、どうしようか? 全く困ったな……』私は、急に心細くなり、真っ暗な不安が人間の形をして迫って来たかの様な、一種異様な恐怖感に捉われて身動きも儘ならなくなってしまい、あの、長谷川佳美の様に凝固をして座席で動けずにいた。しかし、そんな私の状態にも一向にお構い無く、路線バスは東へ東へと向かって行った……

  •  それから、私は医学書を持ち出すと、今度は、長谷川佳美の心臓の疾患に就いて調べてみた……《人間の心臓には、僧帽弁・三尖弁・大動脈弁・肺動脈弁の四つがあり、僧帽弁は左心房と左心室の間に、三尖弁は右心房と右心室の間、大動脈弁は左心室と大動脈の間、肺動脈弁は右心室と肺動脈の間に位置している。(僧帽弁と三尖弁とは房室弁、大動脈弁と肺動脈弁とは半月弁とも呼ばれる)各々の弁の機能は、譬えれば部屋の扉の様なもので、房室弁の場合、血液が心房から心室に流れ込む際には開かれ、心室から動脈の方へと血液が押し出される(駆出)際には逆に閉じられて、血液が心房に逆流してしまうのを防ぐ重要な役割りを果たしている。又、半月弁の場合、血液が心室から動脈に押し出される際は開き、駆出が終わると閉じられ、血液が心室に戻らない様に働いている》その様な、専門的な医学書を、私は必死に文字を追って読み続け、周囲のものは次第に遠ざかってゆきあの離人症に似た精神状態に陥った……《心臓の、それぞれ四つの弁は、血液を効率良く循環をさせる様に普通は機能しているが、そうした弁の機能が損なわれると心臓弁膜症が発症する》それらの、難しい医学用語は、まるで魔法の言葉か何かの様にも感じられ、集中をする余り、私には段々と個々の漢字が単に模様である様に見えて、文脈を判じる事が困難になり始めてしまった。《ゲシュタルト崩壊》と云う、何処かで眼にした言葉が不意に脳裡に映像として浮かんだが、それが果たして如何なる意味のものであったのかは思い出せなかった。《心臓弁膜症には、血液の流入や駆出の機能が損なわれる狭窄症と、血液が逆流をする閉鎖不全症、更に、逆流症の二種類がある。又、その双方が同時に発症する、合併症の狭窄症兼閉鎖不全症もある》《心臓の、四つの弁には、各々、狭窄症と閉鎖不全症があるが、損なわれる頻度が比較的多いのは僧帽弁と大動脈弁とであり、二つ以上の弁が同時に損なわれた場合、それを連合弁膜症と呼ぶ》『心臓弁膜症には、先天的なものと後天性のものがあるらしい。あの、長谷川佳美の場合は、多分、生まれ付きの先天的なものの方かな? 後天性のものとしては、リューマチ熱が原因のリューマチ性心臓弁膜症があるけど、佳美がリューマチの訳ないよな……』と、そう考え、私は突然に可笑しくなり、森閑とした図書閲覧室の中で、独りでなるべく声を上げない様に静かに笑った……

  •  『ルソーが、作品を出していたアンデパンダン展と云うのは、多分、アカデミックな展覧会に対して、もっと自由な絵画を目指して催されたものだったのかな?』そう、私は想像したが、しかし、はっきりと明らかな事は矢張り解からなかった。《戦争》と題されたタブローでは、肌が黒い少女が松明を持ち異形の馬に跨りながら、地上に倒れている夥しい戦死者達の亡骸の上を疾風の様に飛んでゆく姿が描かれており、そうした作品はルソーのものとしては稀で珍しく感じられた。『ルソーは、メキシコには行かなかったけれど、戦争でこうした惨状を目の当たりにしたのだろうか?』そう考えて、私は、スペインの内乱を描いた、ダリの《内乱の予感》(それは、内乱勃発後に改めて付けられたもので、元々は《茹でたインゲン豆のある柔らかい構造》と云う題名だったらしい)や、ピカソのモノトーンの《ゲルニカ》を思い起こした。(その、ピカソがルソーを冷やかしたと云うのだから、両者が生きた時代は重なり合っていたのだろうが、私には、ルソーはかなり古い時代の人間である様に思えた)私が、最も好きなのはダリだったが、アンリ・ルソーはそれに次いで好きな画家となった……私は、相変わらず空想癖が強く、ともすれば現実逃避をしがちな少年であったので、ダリやルソーの様な夢を具現化してくれる画家の存在は、貴重で有り難いものに感じられた。『僕には、現実と同じか、或いはそれ以上に夢か幻の様な美しい不思議な世界の存在が、どうしても必要なんだ。若しも、そうでなければ、まるで誤って水槽の中から飛び出した観賞魚の様に、僕は窒息死をしてしまうに違い無い』と、そう思い、小児喘息の発作が起こった時の息苦しさを連想し、私は着ていた半袖シャツの襟元を緩めて僅かに突き出た喉仏にそっと触れてみた……『あの、長谷川佳美は、今頃何をして過ごしてるんだろうか? 彼女が、死んだら心臓を僕にくれると言った時には本当に驚かされた。一体、どう云う心算だったんだろう? 佳美は、ただの冗談だと話して笑っていたけど、でも、この僕には、とてもそんな風には受け止められはしなかったな……』心臓に疾患を持つ、佳美に就いて考えると、私は何か自分を見失い暗澹たる気分に落ち込んでしまい、それを振り払うのに苦労をした。あの、得体の知れない美少女は、綺麗な仮面の下にどの様な素顔を隠しているのかと思い、私には不可解でならなかった……

  •  それから、更に、私はアンリ・ルソーの画集の頁をぱらぱらと繰っていった……すると、鬱蒼と青い樹々が繁った密林、まるで、熱帯のジャングルの様なところで、ライオンが仕留めた獲物を頭から齧って食っていたり、猿が果物を手にしたり、全身をアナコンダの様な大蛇に巻き付かれた黒人の女が、眼を白く光らせながらフルートに似た横笛を吹いていたりと……そうした、幻想的な絵が幾つも載せられていて、私はそれに釘付けになってしまった。『解説の文を読むと、ルソーはメキシコへ戦争で行った可能性があると言われていたが、それは俗説で、実際には植物園で見たものを参考に、密林の絵画を独自に創作をしていたらしい……』その、美術書の解説に依れば、ルソーは自分ではリアリズムの大家だと信じ込んでいたのだったが、それを、知り合いだったピカソらの画家達に揶揄され冷やかされていたのだと云う。アンデパンダン展でも、ルソーの評価は低く、彼が描いた何処かユーモラスな絵画を見て、思わず、吹き出して笑う人間もいたらしい。そして、ルソーが折角絵を描いたキャンバスも、人手に渡ると、裏返して他の絵を上塗りして描き直されたりもしたとの事だった。(その逸話には、私も、憤慨をさせられた……)しかし、その一方、然る人物は『(ルソー)の印象は、愚直な人間を敢えて装っているのか、或いは、実は非常に狡猾で計算高い人間性を隠し、社交上の仮面を被っているのか遂に判断をし兼ねた……』と、その様に証言しており、ルソーと云うのは非常に複雑な性格の持ち主である事だけは確からしかった。だがまあ、そうした問題は別としても、私には、ルソーの美しく不思議な夢の様なイメージを素朴ながら緻密な筆致で描いた絵画、タブローは独特で惹き付けられた。(その、ディティールへの執拗な程の拘り、例えば、密林の樹木の葉を一枚一枚総て手を抜かずに描くなど……ルソーの技巧は、あのサルバドール・ダリにも比肩をし得ると感じた)そして、更に私に取って魅力的だったのは、ライオンが獲物の喉元に食い付き真っ赤な血が吹き出していると云う様な幼児的な残酷性だった。『ルソーの絵は、まるで、子供が純粋な儘で成長し、大人になって無垢な眼で世界を見て描いたかの様だ』と、私はそう考えながら、画集の頁をもっと捲ってゆくと、今度は、熱帯のジャングルの様な場所に革張りのソファーが置かれ女性が横たわっている絵が目に付いた……

  •  やがて、その歴史書を元の書棚に返すと、今度は、私は美術叢書がずらりと並んでいるコーナーへと行った。『僕には、矢張りこっちの方が相応しいな。屯田兵の、難しい歴史の本を読み続けてもう肩が凝ってしまった……』大判の、美術書の中で《アンリ・ルソー》と云うものが目に付き、それを手に取ると、さっきの窓辺の机の座席へゆっくり戻った。その図書館には、冷房の設備などはなく、窓を開け放って外からの涼しい風を入れていたのだが、海の方から微かな潮の香りが漂って来ている様にも感じた。平日の、午後であったので、図書館の閲覧室には人影は少なく森閑として静まり返っており、この私に取っては非常に居心地の良い場所だった……その、アンリ・ルソーの画集の頁を、無作為に繰ると、そこには《眠れるジプシー女》と云う絵画が掲載されていて、私は、忽ちその独特な世界に心を惹かれ魅せられてしまった。それは、何処か中東を思わせる様な砂漠で、肌の浅黒い恐らくジプシーなのであろう女性が地面で眠っており、その直ぐ傍らには一頭の雄のライオンが立って女の顔を覗き込む様にしている。まるで、暁に見る不思議な夢を、キャンバスに定着させたかの様に感じられた。『この、アンリ・ルソーと云う画家は、僕は、今迄はずっと知らなかったな。19世紀にフランスで生まれたらしいけど……』解説を読むと、ルソーは1844年に、フランス・マイエンヌ県(フランスの県とは、一体どう云うものなのか余りピンとは来なかったが……)ラヴァルで生を享け、学業の修了後は、法律事務所に勤務をしたが、その後、五年間の軍役に就いてから首都パリで入市税関の職員として働き始めたとの事だった。『ルソーは、フランスのアンデパンダン展に絵を出品し続けたんだな。でも、その、アンデパンダンと云うのはどんな意味だろうか?』そう、疑問を抱いたが、しかし良くは解からなかった……アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Felix Rousseau)と云うのがフルネームで、彼は専業の画家ではなく、税関での勤務の傍らに制作を行っていた所謂《日曜画家》であり、その作風もヨーロッパ美術の伝統、アカデミズムとは縁遠く全く掛け離れた至って素朴なもので、その為に、アンデパンダン展でも中々評価されず、人々から心無い嘲笑を浴びせ掛けられたりもしたらしい。だが、私は、ルソーの世界の虜になった……

  •  《明治三十七年二月、日露戦役勃発時の当初から、北海道内の屯田兵は既に現役を退き後傭兵になる間際であった。道央、旭川に本部が在った、第七師団は露西亜側の出方を窺う意味も有り、当座は動員を控えていた。同年、八月上旬には動員の命令が下され、その人員の補填に屯田兵も召集された。八月中旬、野戦第七師団が組織され、大硲尚俊中将が師団長となり指揮を執った。その、第七師団は、各連隊に一個小隊程の乗馬歩兵を配属、伝令等の任務に当たらせる編成を取っていたが、その乗馬歩兵は屯田兵の中から選任された。十月下旬、北海道には留守第七師団が配置され訓練と補填に当たった。その後、輸送が開始され、初冬の十一月には中国の大連に集結、野木大将が指揮する第三軍に所属した。一行は、旅順包囲戦に加わり、攻略の一翼を担ったものの莫大な損害、戦死傷者を出した。やがて、旅順の陥落後は奉天会戦に参加、講和交渉が開始された翌年の明治三十九年初春、三月に日本に帰着した。屯田兵を含め、第七師団全体の人的被害は、死者三千百四十二人、負傷者八千二百二十二人迄にも及ぶ甚大なものであった》そうした、歴史書の中に書き記されている、非常に難しい文章を、私は殆ど理解が出来ないながらも懸命に読んでいった。『屯田兵は、北海道の原野を開墾しただけではなくて、戦争にも召集されたんだな。あの、早苗の祖父の、更に遡る先祖も屯田兵として中国大陸にも渡って行ったのだろうか?』その、歴史書の記述に依れば、屯田兵に宛われた《兵屋》と云う家屋は、元々、高温多湿の気候に適した高床式の構造の日本建築であった為に、厳冬期には寒波で苦痛を強いられ、逆に、夏の暑い盛りの時期には、室内に夥しいハマダラ蚊(マラリア原虫を媒介する、害虫の蚊)が侵入をして脅かされたのだと云う……『屯田兵の村は、一般の集落と違って、一つの規律に集団で服していた、独立した村の様なものだったらしい。兵村の中には、週番所が設けられて、その他にも練兵場や射的場などが備えられていたんだ……』その、屯田兵達の生活規則は実に厳しいもので、朝の起床と就業の時刻とが定められ、若しも誰かが兵村から離れて遠方へと赴いて往く際には、直属の上官への申告を絶対に必要とした。又、軍事訓練と農事の他にも、道水路の開発工事、街路等の警備、災害時の救援等も行い、更に、兵村は国内外の作物を育てる試験農場の役割りも果たしていた……

  •  私は、佳美に倣って、時々稚内市の図書館へと足を運び、そこで色々な書籍を閲覧する様になった……『今日は、久し振りに、早苗の奴の家へ見舞いに行ったら、あいつももう大分回復していたな……』邸を、訪れてゆくと、早苗は私を見て、非常に嬉しそうにあの朗らかな笑顔を見せた……『外川君、来てくれて有り難う。今は、あたしはお粥を食べさせられていたんだけど、でも、もう、こんな病人の食事は飽き飽きとしちゃったわ』と、早苗は、顰め面でぶつぶつと文句を零した。『もう直ぐ、あたしは前の通り元気な体になるから、そうしたら声問の浜へ一緒に泳ぎに行こうね』『うん、そうだけど、でも今はまだもう少し静養をした方がいいと思うよ。風邪は万病の元って言うし……』そう、私は早苗を宥める様に話したが、しかし、彼女に取ってはライバルの様な存在の、長谷川佳美と密かに会っている事は、後ろめたく感じ矢張りどうしても打ち明けられなかった。それから、早苗の邸を出て、路線バスに乗り、やがて、稚内市街のやや外れに在る図書館に着くと、私は北海道の歴史書が収められている書棚の前に佇み、屯田兵に纏わる本を探した。《屯田兵は、明治時代に於ける北海道の警備、及び開墾に当たった兵士と部隊との呼称である。明治七年に、その制度が設けられ、翌年から施行をされて明治三十七年に廃止される迄続けられた。屯田兵の、最初の計画は、榎本武揚に依る徳川家の遺臣達を北方の警備、開拓に従事させようと云うものであった。更に、その後、西郷隆盛が提唱し黒田清隆が明治六年に太政官に屯田制を建議した。その結果、屯田兵例則が定められ、明治八年五月から札幌郊外の琴似への入植で屯田が開始された……》私は、その本を取り出すと、窓際の机の椅子に腰を下ろして、古びた表紙の分厚い歴史書の頁を繰っていった。『あの、有名な幕末の英雄の、坂本龍馬も、大政奉還で失職した武士を北海道で活かして、蝦夷(エゾ)で新たな国家を築こうと構想をしていたんだな。屯田は、当初は札幌に近い石狩地方から行われ、その後、徐々に内陸や道東へその範囲を広げていった……』屯田兵は、家族と共に《兵屋》と呼ばれる家屋に住み、各々に割り当てられた原野の開拓に当たった。その兵屋とは、木造建築の一戸建てで、板の間、土間、便所からなる間取りの家屋で、贅沢とは言えない迄も、その当時に一般的な庶民と比べれば比較的恵まれたものであった……

  •  佳美の、紅いルビーの様な心臓を私は想像してみた……(あの、ダリにも、美しい宝石を惜しげも無く鏤めたオブジェの様な作品があったが)その佳美の、純白なブラウス越しに左胸に触れた時、確かに心臓は鼓動をしており、それは彼女がまだこの地上の世界で生き続けていると云う証なのだった。しかし、心臓弁膜症が悪化し、心房の筋肉が壊死して脈打つ事を止めてしまえば、忽ち、佳美は死んでいなくなってしまうだろう。そうすれば、彼女自身が話していた様に、葬儀が行われ佳美の骸は木で作られた棺の中へ入れられる。それから、普通であれば火葬され荼毘に附されるのだが、しかし、或いは佳美の先祖の寺では土葬にされるのかもしれなかったが、それは私には良く解からなかった。佳美は、心臓の持病の為に、他の健康な人間よりも深く死に就いて考える様になったらしいのだが、彼女の死生観は、私のそれとは少しく異にしていた……『人間て、誰でも常に死と隣り合わせで生きてるんじゃないのかしら?』と云う、佳美が語った言葉は、死とは、生が時間の経過に依って漂白をされてゆくものなのだろうと、そう、漠然と感じていた私とは意味合いが違っていた。佳美は、何時心臓が鼓動を止めるのかも解からず、その為に、刹那的な死生観が自ずと芽生えたのかもしれないが、それ以外にも、北海道の大陸的で荒々しい自然に囲まれた風土と、岩手の閉鎖的で穏やかでもあるそれとでは全く異なり、そこから人間の死生の感じ方も変わって来る様な気がした。『御先祖の、屯田兵の人達は死に物狂いで北海道の原野を開拓して、でも、田畑の不作で餓死をしたり、冬の厳冬期に粗末な小屋みたいな家で凍死したり、更に、羆に襲われて食い殺されたりもしたんだって……』と、早苗が、以前にそう話していたのを私は思い出し、正に北海道は、昔は、食うか食われるかと云う弱肉強食の世界だったのだろうと考えた。人間も、動物の一種である以上、自然界の食物連鎖を免れる事は矢張り出来ないだろう。佳美の邸を辞し、独り切りで家路を辿りながら、私はそんな奇妙な考えに捉われていた。『佳美は、自分の心臓はまだ大丈夫だと言っていたけど、でも、それは本当の話なのだろうか? 若しかすると、実際には病気の状態が深刻で、彼女は、もう既に自分の死期を悟っているのかもしれないな……』悲観的に、物事を捉える癖のある、私は、根拠も無くそうした事を心中で思っていた……

  •  「若しも、あたしが病気で死んでしまったら、その時は心臓は外川君にあげるね。だから、どうかそれを受け取ってくれる?」佳美は、出し抜けにそう語ったが、しかし、私はその言葉の真意が咄嗟に呑み込めなかった。死後、心臓を受け取って欲しいとは、果たしてどう云う事なのだろう? 佳美は、比喩としてそんな風に言っているのだろうか? とも、最初は思ったのだったが、彼女の口振りからしてどうやらそうではないらしく、私は戸惑ってしまった……「佳美さん、君が、若しも病気で亡くなったら、心臓を僕にくれると云うのは譬え話なのかい?」試しにそう訊くと、佳美は……「ううん、そうじゃなくて、あたしが死んだら心臓を外川君に是非とも差し上げたいの。それは、比喩でも何でもなくて文字通りの意味なのよ……」と、まるで、普通の世間話ででもあるかの様に、ごく平静な顔付きで淡々とした口調で語った。佳美は、美しい少女であるだけに、真顔でそんな風に言われると、私は気圧されてしまいもうそれ以上は反駁が出来なかった。「うん、君の話は解かったけど。でも、人間が死んでしまうと、肺などは直ぐに委縮をしてしまうそうだし、だから、心臓を僕に受け取って欲しいと言われても……」「学校に、理科の標本室があるでしょう? そこに、ホルマリン浸けにされた色んな標本の壜があるじゃない? あたしは、あれを見るのが好きなの」声問小学校には、理科の標本室の他に、廊下にもガラスのショーケースの様なものがあり、その中には稚内で採れる珍しい鉱石や縞瑪瑙の石などが陳列をされているのだった……「今の話は、ただの冗談よ。外川君て、何でも真面目に受け止めるから凄く面白いわね……」そう話し、佳美は相好を崩して、如何にも可笑しそうに声を上げて笑ったが、その科白を聞いて、流石に私も腹立たしさを覚えた。「そんな、悪質な冗談は言うものじゃないよ、佳美さん……君の、心臓の疾患は本当に気の毒だとは思うけど」「別に、同情は要らないから結構よ。あたしは、自分が不幸なんだとは全然思っていないの。人間て誰でも、常に死と隣り合わせで生きてるんじゃないのかしら? あたしも、死ねば、シロちゃんみたいに土の中深くに埋められて、亡骸は段々と腐って白骨になってゆくのよ」声問の、一部の寺院では、火葬ではなく昔ながらの土葬も行われていると、私は噂で聞いた事があったが、佳美の言葉は薄気味が悪く感じられた……

  •  《人間の顔、殊に、日本人のそれは貼り付けられたマスク(仮面)だ……》と、サルバドール・ダリが語ったのだと云う、美術書の解説文の一節を私はその時不意に思い出した。確かに、テレビの洋画で欧米人を見慣れた後だと、中国や韓国、朝鮮、日本人等の顔は、まるで貼り付けられた人工のマスク(仮面)の様だが、ダリは、多分、そう云う意味の事を言いたかったのだろうと、私は思った……「あたしの顔がどうかしたの? 外川君? さっきから、急に黙り込んでじっと此方を見詰めてばかりいるけど」不審げな、佳美の低い声で、私は自分の物思いからハッと我に返った。例の、何時もの悪い癖で、誰かと一緒に話をしていても、私は屡そう遣って自分の空想、思惑の中へと深く沈潜をしてゆき眼の前にいる相手の存在を忘れ去ってしまうのだった。「いや、本当に御免、佳美さん……僕は今、好きな画家の、スペイン人のダリの事を急に思い出していたんだ」と、そう素直に説明をしても、佳美は不可解そうに眉を顰め、一体何の事なのだか全く解からないと云う風な表情で首を傾げていた。「佳美さんは、凄く美人だから、顔がまるで作り物みたいだなと思っていたんだよ……」そう話すと、佳美は、やや納得をしたのか、微かな曖昧な笑みをその仮面の様な白い顔の口元に弱々しく浮かべて見せた。「あら、そうなのかしら?  あたし、男の子から、面と向かって美人だなんて言われたのは初めて。だって、あたしは、まだ全然子供なんだしね」「仮令、子供だって美人は美人さ、そうじゃないの?」臆面も無く、私がそう告げると、佳美は矢張り悪い気はしなかったのか、漸く普段通りの彼女らしい勿体を付けた様な態度に戻りモナリサに似たアルカイック・スマイルを頬に湛えた。「外川君て、何か少し変わってるわよね、あたし、前々からそう感じてたんだけど。でも、若しも気を悪くしたら御免為さい。別に、これは、悪口で言っている訳じゃないの。何処か、不思議よね、貴方って転校をして来た最初の頃から……」「そうかい? でも、僕達は案外、気が合うかもしれないね。佳美さんも、稚内からの転校生だし、自分では解からないかもしれないけど、神秘的な雰囲気の子で学校の男子達からも人気があるよ」「でも、外川君は、あの早苗ちゃんの方が好きなんでしょ? この、あたしより……」と、図星を指され、私は酷く周章狼狽してしまい、言葉を失って石の様に沈黙した……

  •  「心臓の、弁膜症は、自然に治癒をする事はないそうなのよ。内科の治療としては、強心剤を飲んだり、血液の量を減らす利尿剤、血流を良くさせる拡張剤などのお薬を飲んで症状を緩和させるだけで、だから、あたしは一生、この病気と付き合う覚悟でいるのよ……」あの、日本人形の様な漆黒の髪の毛を、指先で弄びくるくると巻きながら、佳美は、何が可笑しいのか不思議な微笑を湛えながらそう語った。《イタリア・ルネサンスを代表する、画家の一人である、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリサは、東洋的な、謎めいたアルカイック・スマイルを口元に浮かべている》と云う、美術書の解説文を、私は思い出し、佳美の微笑みはモナリサの外国人女性を彷彿させると思った。その女性が、イタリア人なのかどうかは良く知らなかったが、眉毛が薄く、まるで平安時代頃の日本の貴族社会の女性の様でもあった。《モナリサの肖像画は、どの方向から眺めてみても、常にモデルの女性の視線が絵を見る者に対して注がれる様に、周到に計算されて描かれている……》とも、解説文の中には書かれており、実際に試してみると、確かにモナリサと云う得体の知れない女性は何時でも此方に視線を注ぎ、まるで眼球が動いている様だった。私は、全体に薄くニスを塗った様な、どんよりした茶褐色のモナリサの絵画は、陰気に感じられて、どうも余り好きになる事が出来なかった。「心臓弁膜症を、完全に治すのには、やっぱり外科的な治療、手術がどうしても必要になるらしいの。それには、弁の悪いところを修復をするのと、弁そのものを取り替える方法とがあるそうなんだけれど、弁を取り替える手術は、日本の病院ではまだ難しくて出来ないみたい。まあ、あたしの場合は、手術が必要な程症状が悪いのか良く解からないんだけど」「と言うと? じゃあ、何処かもっと医療が進歩した外国なら、手術が可能なのかい?」「そうね、例えば、アメリカでは心臓の弁を人工のものにする手術も行われている様だけど、まさか、そう簡単に行ける訳もないし、あたしはまだ今のところはお薬が効いていて大丈夫よ……」そう話し、佳美は小首を傾げて、まるでカラクリ人形の様に瞼をぱちぱちとさせた。佳美は、顔立ちが端正で、非常に美少女であった為に、私は、彼女が人為的に作られた仮面を被っており、その下には全く異なる醜悪な顔が隠されているのではないだろうか? と、そうも感じた……

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