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    管理不足で・・・消えてる〜(笑)

    そりゃ〜そうだよね、でももう一度・・・

    「神戸の昔話が聞きたい!」

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    須磨の大池 7月8日 12:47

    大雨のことで、六甲に住む妹に、近所の川はどないや、と聞いたところ、ゴウゴウ言うて怖いけど、溢れてない、ということで、安心しましたけど、ついでに、「あんたは知らんやろけど、須磨寺に住んどったころ、裏山が崩れて、土砂が敬子ちゃんのところに流れ込んでんで。ウットコは階段の上やったから、けどなんともなかったけど、近所の人が総出で後片付けしたんよ」言われました。
    そんなん、ぜんぜん知らんかった。
    その事件、調べよ、とネットしたら、今度の大雨で、起きた須磨の土砂崩れの記事がごっちゃり出てきた。

  • テレビに神戸が映ってビックリしました。話が進むにつれて、神戸の帽子屋の宣伝だとわかって、心をときめかしただけ損した気になりました。僕みたいなオイボレなんかの知らん神戸のエエとこが紹介されるんかいな、と思いましたが・・・。
    ちなみに、この前の雨の神戸では元町通りの真ん中に淡路の農家が店を出していて、憧れの青ネギが売っていました。
    4束買って帰って、娘に半分したら、甘くておいしいのね、って感動してました。

  • 今日は久しぶりに神戸へお買い物に出ました。
    最初にお昼ご飯を食べに南京町へ。
    楠公さんの武者行列があるとかで交通規制の看板が出ていましたが、ホテルオークラの前の駐車場に車を置いて歩いて行きました。
    南京町は相変わらずごった返していました。
    目的のお店は豚まん屋さんがある広場に面した雑居ビルの中にあるステーキ屋さんでした。
    昼食の後、コーヒーを飲みたいね、と言って、観音屋へ行きました。
    元町商店街も店が入れ替わっていたりしてちょっと寂しかったりしますが、昔から馴染みのある店が残っているのは嬉しいです。
    観音屋も相変わらず元気で忙しそうでした。
    ポートアイランドのIKEAへ行って、寝室のアイテムをいくつか購入して、帰りにイスズベーカリー本店へ行ったら、店舗建て替え中でした。
    新聞に載っていた仮店舗の場所を思い出せず、結局パンを諦めました。

    お天気は良かったし、潮の香りのする街はいいなぁ、と山村に嫁いでしまった身としては、懐かしさいっぱいの1日でした。

    写真は 神戸中華総商会ビル の裏手にあったビルがレトロな感じがしたので撮ってみたものです。

    「神戸の昔話」が聞きたい 今日は久しぶりに神戸へお買い物に出ました。 最初にお昼ご飯を食べに南京町へ。 楠公さんの武者行列があ

  • ターザンごっこは、離宮前の鈴木のテッチャンとこの庭でやりました。
    美人のお姉ちゃんが参加で、「ウチがターザン、あんたはチーター、テッチャンはド人。」という設定でした。
    ターザンとチータが木に登り、地べたから攻めてくるテッチャンをやっつけたのでした。
    ターザンごっこのキモになる、「アーアーア」の叫びは須磨の裏山のヤマモモの木にぶら下がってヤリました。
    あの、ロープにつかまって浮遊するのは、なんとも快感でした。

  • 青山のドンクが撤退したのは、あのあたりのエリアの利用価値が上がって、大家が、パン屋に貸してる場合じゃない、でっかいビルでも建てて、大儲けしようと企んだのが理由かもしれません。
    ただそれとは別に、神戸ブランドのヴァリューの低下が、大きかった、という気がします。
    大正・昭和の神戸・横浜は国際性・エキゾテイシズムでピカピカでしたが、あのころ船で来ていた外国人や文化は、今では飛行機でやってきます。
    パリのパン屋やニューヨークのスイーツやナポリのピッツアが東京に出店する時代になりました。
    首都圏で見かける外人さんの姿がハンパないくらいに増えました。
    神戸で外人さんが少のなったのとは逆ですね。
    神戸ブランドはめっきりみすぼらしくなって、高い家賃払ろて商売するメリットが消えてしまった、というほうが、メインの理由じゃないんでしょうかね?
    それでも最近娘がドイツ人と結婚した妹が、クリスマスにはフロインドリーブのシュトレーンを送ってきます。
    本場のシュトレーン、どないやねん?ときいても、フロインドのが一番おいしい、言うてますから、実質、神戸モノは今でもクヲリテイー、高い、と思いますけど・・・。
    東京や周辺では、味のセンス低いですからね。

  • でもまあ、売店はあっちこっちに残ってますけどね。
    ドンクのパンも、西船の駅中にあって、ユーハイムは、海浜幕張や船橋東武でフランクフルターを買うことができます。
    最近荻窪のユーハイムが復活した、と娘が喜んでいました。
    探せば、あっちこっちに神戸モノが売ってるかもしれません。

  • >>2334

    神戸の企業が東京あたりから撤退するのは、家賃や地代が高いからです。
    業績が落ちた訳ではありません。

    「無理して高い家賃払って、それが商品の価格に影響を与えてはお客様に申し訳ない」と言うのが、神戸の企業経営者達の考えだそうです。

  • >>2333

    そこにユーハイムがあったのは、私が東京から帰省したときのことで、昭和33年以降のことですわ。
    つぎ帰ってきたら、もうなくて、大丸の前にできてました。
    そのころ、東京は渋谷にユーハイムがあって、一段とアカぬけした感じでしたが・・・。
    新宿にも小田急ハルクとか、ルミネとかにレストラン・喫茶があって、やっぱ、出すものがそこらの店とはだんちがいによかったです。
    こないだ、京王デパートの地下売り場で聞いたところ、今では、皆なくなって、比較的新しくできた千駄ヶ谷店を残すのみだと。
    神戸のパン・ケーキは、「ベル」もきてたし、「フロインドリーブ」も来てたのに、みな帰ってしもたね。

  • >>2332

    小学生の頃なんで覚えていません。
    多分、昭和二十年代の前半には喫茶店何てまだ
    無かったと思います。
    ただ当時神戸は東京よりパンが美味しかったこと
    はよく覚えています。

  • >>2330

    生田神社の西の端の道の向かいに「ユーハイム」なかったですか?
    2階が喫茶室で、あすこスキでした。

  • >>2328

    生田神社の森でターザンごっこをしませんでしたか?
    「アッ、アー!」なんて叫んでました。

    王子動物園にも行きました。

  • 三宮駅地下のレンタ・カー屋で,とありますが、三宮駅近くの、と入力したつもりでした。
    いったん、神戸に降り立って、しばらくすると、もう前からの記憶と繋がって、ずっとそこにおったみたいな気がしてきて、神戸市民並みに、とくにありがたみを感じなくなるのですが、千葉に帰ってきてみると、やっぱり、神戸で過ごした時間は、すべてが貴重でスイートな思い出になります。
    雨に打たれて、ろくなことをしてこなかったのですが、やっぱ、言ってよかった、気がしてきます。
    須磨も行っときゃよかった。

  • min様 初めまして。
    インターナショナルスクール、ある事は知ってましたが詳しくは知りませんでした。
    ただその辺にアメリカ文化センターがあったと思います。時々おとずれてましたが
    アメリカの宣伝の様でした。アイスクリームを貰ったことが有ります。当時ではた
    い変な事でした。昭和23年頃アメリカに憧れた少年でした。木製のステップEV

    は何処かで記憶があります。気がすり減っていたのを思い出します。懐かしいですね

                                     蛸坊主

  • 昔、七十年ほど前に神戸三宮の生田神社近くに
    インターナショナルスクールがあったはずだ。
    その頃一年ほど諏訪山小学校に通っていた。
    元町の駅にステップが木製のエスカレーターが
    あった。

  • それは散々な神戸旅行でしたね。しかしレンチャリで移動とはまだまだお若いですよ
    レンチャリは便利ですが雨ではどうにもなりません。今は傘をさして乗る事ができま
    せんから。今では電動が貸し出されてますか、今度帰ったら借りてみます。ところで
    後期高齢者と仰せですが、なられたばかりですか。後期、高貴、好機・・・この中で

    好機高齢者が一番いいですね。人生で千載一遇の時期を迎えたような。健康であれば
    ですが、いつも思ってます。私は80歳のおおだいを超えてしまいました。体のあち
    こちに異常を感じながら、はよ死ねと言われんばかりの雰囲気の中で、どっこい生き
    てる、てな感じです。                またね~  蛸坊主

  • 18~21まで神戸にいました。
    後期高齢ということで見納めのつもりでして、Goproを使って私が見た神戸最後の姿を録画するつもりでしたが、ぜんぜんアキマせんでした。
    三宮駅地下のレンタ・カー屋で電動チャリを借りて、いつもの通り道を走り出しましたが、雨で、風邪気味のところ、なにか神戸の悪意を感じながらの走行になりました。
    阪急が工事中で、張り巡らされたフェンスを回り込んでの出発となり、そっから、もう、私のセンチな思い出は拒絶され、阪急文化の前を曲がって闇市を横切るセンター街へのルートも、ぜんぜん、私の懐かしさを搔き上げない。
    だいたい私の神戸の思い出は、すべて晴天のシーンでできていて、雨の日の神戸なんて「神戸MY LOVE」との照合ができへん。
    気を取り直しての次の日も雨で、濡れながらのチャリ行は風邪気味の老いの身につらく、ちょろっと走っただけで中断となりました。
    最終日には須磨へ行くつもりでしたが、須磨地区にはチャリ・レンタルはない、というし、雨だし、ということで、さっさとお土産を買って、新幹線に乗りました。
    私の神戸の思い出は、最終的にびしょぬれになってしまいました。

  • 須磨のお池様

    戦後すぐには、リンゴ箱を売り台にした闇市がずらい並んで、いろんなものが売られ
    ていた。新10円札が出る前は旧札に印紙を貼って流通してたと思います。どこで仕
    入られたか紙巻きたばこがばら売りされてた。進駐軍が捨てた吸殻をほぐして乾かし
    巻いた手製だと聞きました。マッチも売ってた。大半は割烹着のおばさんが売り手だ
    った。外人(三国人)は威張り「敗戦国民」と言われ子供だったので意味が分からず
    親に聞いたのを思い出します。爆弾や焼夷弾が降ってくる防空壕で震えてたからしか
    たがない、戦争に負けたんだから、よく我慢しました。貴方とは少し時代が違うよう
    ですね。私は80歳を超えてますから。                蛸坊主

  • >>2322

    僕が神戸におったころには、須磨から京都行に乗って三宮のホームの一番後ろから、阪急の改札のまえの階段を下りて、すぐの出口から通りに出て、阪急駅ビルに沿って切れ目まで行ったら、阪急文化への階段の登り口を横切って、高架下の下の細い通りを抜けて、二国を横断してセンター街に出る、というルートを使ってましたからでしょうか、「ジャンジャン市場」の記憶があんまりないのです。
    「コスモポリタン」も、京橋筋でしたか、センター街を横切った先の市電通りに出る途中にあった「パーラー」として思い出の中にあります。

  • 皆さんお久しぶりです。

    昭和25年頃三ノ宮(JR)駅から南に向いて右側、今のセンター街通りに山側一体
    がジャンジャン市場と言われるところでした。活気のある地域で中学生の頃よくウロ
    ツイていました。食糧難の時何でもあったと思います。白系ロシア人のチョコレート
    店もあった。それが今大きくなって関東でも有名な百貨店で営業してます。見るたび
    に神戸を思い出します。食料統制などご存知ですか?米穀通帳とか、主食券をださな

    いと外食も出来ない時代、そうそう今問題にってる優生保護法もその時代です。しか
    し活気はありましたね。時給ではなく一日8時間労働で200円の時代です。日銭を
    掴んだ労働者が多く集まってました。古い神戸の話です。        蛸坊主

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