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きるしっかぷー

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  • 2017/12/16 00:23
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  • >>2317

    >哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

    で、偉そうに俺を批判している お ま え ^^
    結局 日本語聖書しか読んでない しかも 品性も 学も 教養もないのがバレバレー(爆笑 \(~o~)/

    で、ここまで 詰られ こけにされても 一つの反論もできない 意気地無し^^v

    正々堂々と 俺とタイマン張って 打ち四にするほうが まだ ましやろ^^

    それすら 出来ない 意気地無し 虐め いじめ 涙目 の くそ爺い あはは \(~o~)/

  • >>2309

    > 今年なんどもカキコしたが、福音書におけるイエスの「神であることのカミングアウト」表現が、
    >「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am

    あのなぁ オンドレこそが カトリック教徒にあるまじき どいまぬけ しったぶりの
    クソジジと「カミングアウト」すべきやろうが!!

    で、以下の三つの単語 さっさと調べて 報告しなさい^^v

    きるしっかぷー > 今年なんどもカキコしたが、福音書におけるイエスの「神であることのカミングアウト」表現が、 >「エ

  • >>2317

    おい、オリ・ウータン^^

    おまえ、涙目になってるぞ^^涙で目がかすんで キーボード叩けないってか?

    言い訳すんな バカもんが!! それでも カトリックか 男か オリ・ウータンか??

    さっさと出てきて、凶暴な帝王の餌食になりなさい!!

     お祭り、血祭、後の祭り にしてやるからさぁ^^駄目高校卒の ど あ ほ \(~o~)/

  • >>2317

    >哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

    おーーーぃ、 どアホの オリ・ウータン^^ おまえ ビビッてるんか^^
    口数 少なすぎや おまへんか^^ 

    なんか キングコブラに睨まれた アマガエルみたいな 構図やねぇ あはは \(~o~)/

    でもな!! 救いようの無いドアホのオマエが、なんとか 新約の原典を読めるように
    日々、宿題を与えることにしたぞ”!! あーー なんて ステルスは慈悲深い事か\(~o~)/

    そこで、以下の三つの単語の意味を調べなさい^^

    こんな簡単な問題に答えられないなら、二度と カトリックを口にするなよ^^v

    おまえ、一応 男 やってんだろ^^ 逃げ回らずに、オンドレの情報収集能力見せろや^^ あはは

    きるしっかぷー >哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)  おーーーぃ、 ど

  • >>2317

    >哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

    負け犬の遠吠えかいな^^ みじめな爺^^

    で、これなんと読む?

    ↓ 聖書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

    きるしっかぷー >哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)  負け犬の遠吠えか

  • ↓哲学書など70年にならんとする人生でほとんど読んだことがないのがバレバレ(笑)

  • >>2315

    >天のレイヤーと地のレイヤーが矛盾なく一枚に合体することが、宇宙の最終ゴール。

    あはは \(~o~)/ おまえの宇宙論って最後は一枚になるのか^^

    ずいぶん 薄っぺらいのぉー^^ おまえと 同じやん \(~o~)/

  • >>2302

    > > >始まりも終わりもない、ただ形を変えているだけのこと。
    >
    > 二日ほど前に私がカキコしたように、「三位一体の神」の本拠地はそこです。
    > 「時間と空間と物質」領域を真に超越した位相。
    >
    > > それはもしかすると仏教そのもののとらえ方ではないのでしょうか?
    > > わたしは、それが正解のように感じます。
    > > 最後の審判や、称名念仏一回こっきりで、みたこともない天国や極楽に連れて行かれる、、じゃあその後はどうなるの?
    > > 永遠にそこに住むの?
    > > ではなぜ最初からそこに住まわせてはくれないの?7,80年、それより短い人もたくさんいらっしゃる。
    > > その期間がどうして必要になるのでしょうね?

    ↑ここのところは次のように考える。三位一体の交わりという永遠の領域は、時空を超越したレイヤー。そのレイヤー(天のレイヤー)はすでに生きてい人間に被さっている。なので、もう既にそこ住んでいるんだ!ただそれに気づけるのは極めて個人差が大きい。
    ただ、肉体をもつ以上は、そのレイヤーの上で多少は、人によっては激しくもがき苦しむ(地のレイヤー)。

    天のレイヤーと地のレイヤーが矛盾なく一枚に合体することが、宇宙の最終ゴール。

  • >>2309

    おい^^今朝の勢いは どうしたんだ?

    おまえ^^ドアホの駄目高校卒のくせして、天下無敵のステルス様に喧嘩売っただろが^^
    なにか^^ガキのピンポンダッシュで 逃げ切るつもりか はぁ ^^
    何度も 何度も 言ってきたよな! 俺は 論理的に凶暴だと^^v

    観念して、俺からの お祭り 血祭 後の祭りの 鉄拳制裁を受けて 精進しなさい あはは \(~o~)/


    https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/81fccf61b47436f3e4e26dad558ec81b

    note 26618  oli*****  12月14日 08:21

    黙々、ステルス、言助あたりは、自分で大物だと思い込んでいるわけじゃないだろうな(笑)

  • >>2309

    >「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am

    ほぉー 流石に 自称カトリック教徒だ^^新約聖書を古典ギリシャ語で読みこなして
    いるんだね^^ご立派だぞ!! だったら、新約聖書で最も重要なフレイズである
    以下のギリシャ語も 当然 読めるよな^^

    そんで、その後の綴りが何語か 当然 分かるよなぁ^^

    さあ^^新約聖書を古典ギリシャ語で読みこなしているカトリック教徒さん^^
    逃げ回らずに、一度くらいは 応えなさいよ^^v

    きるしっかぷー >「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am  ほぉー 流石に 自称カトリッ

  • >>2309

    おい オリ公^^ 出てきて なんとか ぬかせや^^

    いたぶって お祭り 血祭 後の祭りに してやるからさぁ^^v

  • >>2266

    >つまり、信じるしかない、、。
    >それは科学とは言わないでしょう。科学はまず、すべてを疑って掛かるのが前提ですから。
    >キリストの体の復活が、どのようにエビデンス(証拠)として認知されているのか?これさえいわゆる
    >”信”の域を出ないではありませんか。

    その通りですね^^エジプト神話の冥界の王が、ヒンズー教→中国→日本と 
    その文化の影響を受けながらも原型を留めて、日本で信仰されていますよね。
    で、紀元前後、オリエント全般で、オシリス信仰は支持されていました。
    そのオシリスは実弟で悪の権化であるセト神に殺害されてしまいます。
    ところが、エジプトの神々の中で妻イシスは、最も魔術に長けていて
    妹のネフティスと共に、強力な魔術を使って、オシリス神を復活させたのです。
    しかも、紀元後 いち早くキリスト教国になったのは、なんとエジプトなんです。
    だから、日本でいう神仏習合のような作用が生じて、磔によって殺害されてイエスは、
    まるでオシリス神であるかのように、二人のマリアの介抱も後、復活するんですよね^^

    先ほど、その聖母マリアのマントが押しなべて群青であると言及しました。

    さて、古代エジプト歴では、古くは1年を1ヶ月30日の12か月で360日としていました。
    当然、1月1日は太陽神ラーの誕生でした。でも、歴の誤差が生じるので五日間を加えて
    1年を365日にしました。そんな歴から、太陽神ラーの誕生日は12月25日とされました。
    多分、イエスの誕生日は、それに倣っただけだと欧米の学者も指摘しています。
    その太陽神ラーの母は、空の神ヌトで、夜はラピスラズリ(=群青)のマントを
    羽織っていました。
    つまり、エジプトの太陽神ラー=イエスとすれば、空の女神ヌト=聖母マリアとなるので
    ルネサンスの巨匠は、聖母マリアのラピスラズリ(=群青)を纏わせたのでしょう\(~o~)/

    きるしっかぷー >つまり、信じるしかない、、。 >それは科学とは言わないでしょう。科学はまず、すべてを疑

  • >>2309

    >今年なんどもカキコしたが、福音書におけるイエスの「神であることのカミングアウト」表現が、
    >「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am

    あらら、古典ギリシャ語ですか^^
    つまり、新約聖書を「古典ギリシャ語」で読んでの薀蓄やはねぇ、
    まさか受け売りじゃ ないよなぁ^^

    で「基礎ギリシャ語文法 高津春繁著」でも、「エイミー」が解説されていた^^
    これは何ていう動詞に分類されていたっけ? 教えてくれよ^^

  • >>2248

    > 「気づいている意識」なしに宇宙も、銀河系も、次元もなにもかも存在していることが分かりません。
    > ここでルパート・スパイラのたとえを使わせてもらい、映画にたとえた場合、映像(宇宙、存在のすべて)は、スクリーン(気づいている意識)があってこそ観ることができます。
    > このスクリーンである、常にある「気づいている意識」、これが「I AMである“わたし”」、そして「私はあるの“わたし”」なんですね。
    > 70億人の勘違いは、この気づいている意識、私があるという感覚が、個の体や思い、感情に付随していると思っていることです。
    > つまり、一人一人に世界を捉えている分離した意識があるという勘違いです。ちなみに意識です、思考ではなく。自我は思考に同化するあまり、思考と意識の違いが分かっていないことも多いですね。
    > 話を戻して、で、実にこれは巧妙ですよね。だって、隣の人の考えていることは分からないし、体をつねられて痛い!と感じるのは、私だけだし・・・。
    > だから、意識は個別のものだ・・・。分離した意識に分離した体、私ししか知らない思いや感情。これで分離の幻想は、見事に出来上がります。
    > なので、実はこの「気づいている意識」が個人に付随しているのではなく、全体の意識「I AM」であるなど誰が分かるでしょうか? なんて巧妙なトリック!(笑)

    今年なんどもカキコしたが、福音書におけるイエスの「神であることのカミングアウト」表現が、「エゴーエイミー」。英語に訳すると、 I am that I am

  • >>2307

    >参考になりました。ご解説ありがとうございます。

    いいえ^^ 

    以下の閻魔大王の絵を解説しているサイトの説明を引用しておきます^^


    h
    ttps://ameblo.jp/seiryu7676/entry-12235094820.html

    閻魔大王も石を使い罪を裁きます。
    写真の右にある浄頗梨の鏡(じょうはりのかがみ)は水晶でできた鏡とも、水晶玉とも言われております。
    左の天秤に付いている業の石(ごうのいし)は生前の罪の重さを量ることができる不思議な石とされております。

    さて^^ ルネサンス時代、「聖母の画家」と云われたラファエロやダヴィンチ、
    それにムリリョ等、皆 マドンナのマントを群青色で描いています^^
    油絵の絵の具なら「ウルトラマリン」ですが、その意味は「マリン=海」を
    「ウルトラ=超えてきた」ってな意味だそうです。
    で、日本では奈良時代にシルクロードから、文字通り海を越えて「群青」が
    やって来たんですよ♪

    きるしっかぷー >参考になりました。ご解説ありがとうございます。  いいえ^^   以下の閻魔大王の絵を解説し

  • >>2304

    はい、おおせのとおりとおもいます。

    今、愛犬のようすがおかしいのに気づいたので、これで、、。
    じっとして動かないんです。大きな病気でなければいいけれど。
    失礼します。

  • >>2300

    >最後の審判や、称名念仏一回こっきりで、みたこともない天国や極楽に連れて行かれる、、
    >じゃあその後はどうなるの?

    旧約聖書(BC10C頃成立か?)よりも、遙か千年以上も前に、古代オリエントでは
    「最後の審判」が信じられていました。それはエジプトのアニの「死者の書」に
    表現されています。以下の画像参照。
    右にいるのが冥界の王オシリスです。アヌビス神とホルス神に手をひかれているのが、
    この「死者の書」を表した書記官アニです。
    左側にある大きな天秤の側には、アニの心臓が置かれていて、右側には
    真理の女神マアトを象徴する「羽根」が置かれています。
    (心臓は嘘をつくと乱れるので、真実の告白をする魂と考えられていたようです)
    死者の魂である心臓が汚れなければ、「真理の羽根」と釣り合い、オシリス神に
    よって罪なしと審判が下されます。罪なき死者は、現世と同じような平和な
    「イアルの野」に行くことが許されます。もしも、汚れていれば天秤皿は左に傾き
    罪人として、顔がワニの怪物に喰われて、本当の死に陥ると信じられていました。
    さて、似たような冥界の王が東洋にいますね、その閻魔大王ですが、ヒンズー教の
    ヤマー神の音訳なんですね^^で、ヤマーの妻は妹のヤミーで最初に死んだ人間と
    して最初に冥界にたどり着き冥界の王となりました。一方、オシリス神の本来の
    名は「イス・イル」で同じく妻は妹の「イス・ト」で、最初に死んだ人間でした。
    まあ、誰がどうみてもエジプト神話の借用と思えますが、それを証明するかのように
    閻魔大王の最後の審判の道具のひとつに「業の天秤」が あるんですよ^^
    また、古代オリエントで「オシリス神」人気は高く、ギリシャ・ローマ神話にも
    組み込まれています。いわば、イエス誕生前後のオリエント世界では、オシリス
    信仰が蔓延していたので、キリスト教の「最後の審判」も、多大な影響を受けて
    いたと考えられます^^v

    きるしっかぷー >最後の審判や、称名念仏一回こっきりで、みたこともない天国や極楽に連れて行かれる、、 >じゃあその後

  • >>2300

    >ではなぜ最初からそこに住まわせてはくれないの?7,80年、それより短い人もたくさんいらっしゃる。
    その期間がどうして必要になるのでしょうね?
    >と、演繹的に考えますと、やはり、この世が舞台であるというのが真理に近いような気がします。わたしはですよ、、。
    >念仏はだから仏教ではないようにも思います。親鸞さんが”異端”とされたのも、至極もっともな気がしてまいります。

    この世が舞台というのは確かにそうだと思います。
    あちらの世界がほんとだから適当にやっててもいいんだ、となってしまっては本末転倒で。

    ただ、この世だけで完結、というのではあまりにも世知辛いですよね。
    病で幼くして亡くなる子や戦争に行き若くして亡くなる人など、そういう人たちが浮かばれません。
    また、生きているということは多くの人にとって苦しみです。
    こうやって昼間っから掲示板している私たちなど、苦しみは少ないほうでしょうけれど、世界には「苦」が溢れている。
    そうした人々を救う一つのものとして本来、信仰はあるのでしょうし、その信仰を理論づけるものも必要となる、ということかな、と。

  • >>2257

    > 父・子・聖霊は、ビッグバンの前から存在していた。これをまず押さえなきゃね。
    > 天地創造以前に存在していたのが、文字どおりの一神教的な孤絶した単一の固い神だけであれば、神は被造物を作ってはじめて愛する対象をえたことになる。神は愛することにおいて、被造物に条件づけられ、依存してしまうという背理が生じる。無限大で無条件の愛を本質とする神なのであれば、天地創造以前に既に、完璧な愛の交わりとして存在していたはずだ。三位一体から出発せざるをえないのは、そういう意味もある。

    ↑これは静的な死んだ状態ではない。永遠のいのちとしてあること。

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