ここから本文です
アビダンマについて

アビダンマについて

  • 2,801
  • 2
  • 2017/08/22 00:14
  • rss
  • <<
  • 2801 2779
  • >>
  • 2801(最新)

    pipit 8月22日 00:14

    >>2799

    また、自分で納得できるくらいには、アビダンマ的認識システムを理解していきたいなと思っています。

    おやすみなさい

    ♪ 生きとし生けるものが幸せでありますように
    生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように 🌈

  • >>2798

    ●『ブッダの実践心理学第4巻p147からの引用です。↓

    『結局のところ、人は「もの」を直接見ることはできません。
    それが答えです。
    我々が持っている心というものが、対象にそれなりに反応する。その反応を、見ている。』


    ●『アビダンマッタサンガハを読む』p194〜195からの引用です。↓

    『そして肝心の意識=速行心と その異熟=彼所縁心は、自分が「見た」ものについてあれこれ感じたり考えたりするだけの自分の世界の活動で、実際に眼根が対象を受け入れたのは1刹那、眼識が生じたのは、その次の1刹那だけなのです。後は「見ていない」のです。
    しかも残念なことに、眼識は見るというより映像を映すだけで、「見たぞ」と分かる能力はないのです。
    見て、そのまま滅するのです。
    そこからだいぶ経って速行心が起こったとき「さっき何か見たぞ。何が見えたか。見えたものを確認しよう」と、やっと「見えた」と分かるのです。それから最高7回も生滅を繰り帰すのですが、それは、あらためて「見る」のではなく、前に見た残像について検証しているだけなのです。
    もう一度しっかり見ているわけではないのです。見た眼識は、とっくに消えているのです。』

  • >>2797

    参考図書の中に、まとめ的な記述がありました。
    先にその箇所を引用しておきます。
    その後、その記述がどのように個々の概念と対応しているのか、自分が納得できるように、対応箇所を調べてみようと思ってます。

  • >>2796

    今の時点で大まかに判断してみます。
    ?も含めて、後で個々の詳細を調べてみます。(間違えてたらその時訂正します)

    ●物自体を見ているか?
    > (眼門の極大所縁路)
    ✖︎直接見ていない> 1.有分心
    ✖︎直接見ていない> 2.有分心(動揺)
    ✖︎直接見ていない> 3.有分心(捨断)
    ? > 4.五門引転心
    ? > 5.眼識
    ✖︎直接見ていない> 6.領受心
    ✖︎直接見ていない> 7.推度心
    ✖︎直接見ていない> 8.確定心
    ✖︎多分直接見ていない?>9.速行心
    > 〜
    ✖︎多分直接見ていない?> 15.速行心
    ✖︎直接見ていない> 16.彼所縁心
    ✖︎直接見ていない> 17.彼所縁心
    >
    > ↓
    ✖︎見ていない> 有分心

    参考図書
    『ブッダの実践心理学第4巻』スマナサーラ長老、藤本晃先生、p146前後
    『アビダンマッタサンガハを読む』藤本晃先生、p194前後
    ※大雑把に目を通してなので、これから、もう少し丁寧に読んでみたいです、読み間違いに気づいたら訂正します。

    今のところ、見ていない、と、多分見ていない、と、? だけですね。
    詳細見ていきますね。

  • >>2795

    >まず、認識が成り立つ最小セットらへんの心(1刹那で生滅する心×17?)を書き出し、その後、その心が物自体を直接見てるといえるのかを調べてみます。<

    (眼門の極大所縁路)
    1.有分心
    2.有分心(動揺)
    3.有分心(捨断)
    4.五門引転心
    5.眼識
    6.領受心
    7.推度心
    8.確定心
    9.速行心

    15.速行心
    16.彼所縁心
    17.彼所縁心


    有分心

  • >>2783

    こんばんは

    > アビダンマの認識過程については、受動と能動に分別してみる他に、もう一つ気になってることがあったんです。
    > それは、カント先生の説いた認識過程と比べてみること。
    > どちらも私にとっては難しいから、どうなるかわからないけど、その視点から今から本などを読んでみようかなと思っています。
    > きちんと調べてない今の段階での、現在何も本を参照せずでの、私の頭の中にある感想を書きます。
    > カント先生は、物自体は認識できず、認識してるのは現象でしかない、みたいな解説がよくされてる気がします。
    > アビダンマの物質の認識過程でも、認識に必要な最小限の17の心のうち、本当に物質を認識してるというのは、たった一つの心っぽいんですよね。
    > しかも、それも直知と言えるか微妙なラインっぽいんですよね、システムとして。
    > そこらへんに(人間に物自体は見えているのか、というようなこと)注目して、アビダンマでの認識過程についての記述を読んでいこうかな、と、思っています。<

    まず、認識が成り立つ最小セットらへんの心(1刹那で生滅する心×17?)を書き出し、その後、その心が物自体を直接見てるといえるのかを調べてみます。

  • 奈良はシカとずっと共生してきた街だけど、
    ついに、1頭目殺処分だって。

    人間の論理で言えば仕方ないのかもしれないけど、かなしいな。

    多分、殺した人も、奈良の人だったらかなしかったかもと思いました。

    アビダンマについて 奈良はシカとずっと共生してきた街だけど、 ついに、1頭目殺処分だって。  人間の論理で言えば仕方ない

  • このコメントは非表示対象です。 読むにはここをクリックしてください。
  • このコメントは非表示対象です。 読むにはここをクリックしてください。
  • 🌀 日記

    スケジュールが夏休みバージョンになって、私にとっては用事あり過ぎで、疲れる〜

    本屋さんにも全然いけないよ〜

    西哲でrestさんにオススメしてもらったカント先生関連の本も見に行きたいんだけど、行けてないよぅ

    セブンイレブンで取り寄せた方がいいかな(^_^;)

    今、アビダンマの認識過程とカント先生の認識論の似てるとこ違うとこを知りたくなってて、オススメしてもらった本はちょうど『純粋理性批判』についての解説だから、多分認識論も載ってるよね、と、思ってます。

    でも、どうせ(!)難しいから読み通す気力持つかなぁ😱

    認識かぁ。

    ほんと、記憶とかも、不思議だよね。

    どんなシステムで、表象できてるんかなぁ。
    観察しよう思っても、自分でしてることやのに、全然仕組みがわからへんなぁ

    不思議やわあ、脳とか。

    それでは生命のみなさま、おやすみなさ〜い🌏

    無色界の神様(?)とか、ほんとにいるんかなー
    不思議やね🌌🌟

    アビダンマについて 🌀 日記  スケジュールが夏休みバージョンになって、私にとっては用事あり過ぎで、疲れる〜     本

  • >>2788

    ケ になってるじゃないですかー (笑


    どうせ生きるなら、笑って生きたいな〜、と、よく子供と話してます(^ ^)

    おやすみなさい🌌✨

  • >>2788

    ケビンさん、こんばんは〜

    綺麗な紫陽花の花だなぁ

    > 暑い日が続きますねー
    > 外には出れません倒れそうで(笑<

    蒸し暑いですしね〜

    > っても もう掲示板は卒業しようかと思ってるんです
    >
    > 読むのは読みますが 
    >
    > 明日の朝 ネット一時期切れます<

    そうですかぁ

    残念だけど、ケビンさんにとって一番いいようになるといいなと思います


    > それでは また^^ <

    はい、また、気が向いたら書き込んでくださいね。

    認識しているあなた様、人間と人間、今の時代同じように産まれましたね😊

    お互い幸せであると嬉しいなと思っています。

    いろいろありがとうございます(^O^)/

    アビダンマについて ケビンさん、こんばんは〜  綺麗な紫陽花の花だなぁ  > 暑い日が続きますねー > 外に

  • >>2787

    こんばんは。

    暑い日が続きますねー

    外には出れません倒れそうで(笑

    ちょっとまた忙しくなりまして またヒマになりましたら

    っても もう掲示板は卒業しようかと思ってるんです

    読むのは読みますが 

    明日の朝 ネット一時期切れます

    それでは また^^

    アビダンマについて こんばんは。  暑い日が続きますねー  外には出れません倒れそうで(笑  ちょっとまた忙しくなりまし

  • >>2786

    ケビンさん、こんばんは〜(^o^)

    > 歩いて5分くらいのとこに 小さい漁港がありますよー
    > 場所的には 海も山も近いです 商業施設もありますし 結構便利です^^

    海、いいなあ〜
    自然もあるし、不便でもないし、というとてもいい環境なんですね。

    こちらはね〜、昨日ですね〜、

    夜道を車で走ってたら、反対車線を走ってるイノシシ(多分)とすれ違いました! 🐗💨

    びっくりしたな〜

    別にこちらに向かってくるとかではなく、普通に、反対車線走ってました。

    車みたいで、ちょっとおもしろいです。

    それでは、今日も一日おつかれさまです!

    おやすみなさ〜い🌌

  • こんにちわ^^----

    暑い日が続きますねー

    >海見えるのかな?波の音、聞こえるのかな?いいな〜

    歩いて5分くらいのとこに 小さい漁港がありますよー

    場所的には 海も山も近いです 商業施設もありますし 結構便利です^^

    1つ飛ばされました 貼ると飛ばされる YouTubeだったみたいです。

    アビダンマについて こんにちわ^^----  暑い日が続きますねー  >海見えるのかな?波の音、聞こえるのかな?いいな〜

  • こんばんは🌙

    アビダンマの認識過程については、受動と能動に分別してみる他に、もう一つ気になってることがあったんです。

    それは、カント先生の説いた認識過程と比べてみること。

    どちらも私にとっては難しいから、どうなるかわからないけど、その視点から今から本などを読んでみようかなと思っています。

    きちんと調べてない今の段階での、現在何も本を参照せずでの、私の頭の中にある感想を書きます。

    カント先生は、物自体は認識できず、認識してるのは現象でしかない、みたいな解説がよくされてる気がします。

    アビダンマの物質の認識過程でも、認識に必要な最小限の17の心のうち、本当に物質を認識してるというのは、たった一つの心っぽいんですよね。
    しかも、それも直知と言えるか微妙なラインっぽいんですよね、システムとして。

    そこらへんに(人間に物自体は見えているのか、というようなこと)注目して、アビダンマでの認識過程についての記述を読んでいこうかな、と、思っています。


    もし、そのシステムに納得できたら、、、どうかなぁ

    自分の認識に、絶対的価値を入れない、ようになるかなあ?

    本当にそのことに納得できたら、気持ちが軽くなれる気がしてるのだけど、どうかなぁ?

    まあ、どんな結果になるかわからないけど、その視点でとりあえず本を読んでみます!

    それではいろんなみなさま今日も1日、おつかれさまでした🍀🌏

    おやすみなさい 🌌

  • >>2781

    そのようなイメージと興味で本を読んでいたのですが、おもしろく感じたのは、

    例えば、何か目に映りますよね、それに対する一瞬(1ピコ秒)の快不快の判断(確定心)は、異熟心として受動的に生じる心なのですが、その確定心に対して、反応する心が連続して大体7回起こるとされています。

    この反応する心を【速行心(そくぎょうしん)】と言い、私はこの速行心だけが、認識過程の中で能動的な心なのではないかと本を読んで思いました。(間違えてたらすみませんm(_ _)m)

    そして、アビダンマの論理で言えば、この反応する心は理論的には自分で選択可能であって、その選択によって、新たなカルマを作り、また新たな異熟心を生むことになっているのではないかと思いました。

    ちなみに、寝てる心、も、異熟心とされてて、これは、前世で死んでその時作った次の生での結生心(けっしょうしん)が有分心ということのようです。

    つまり、カルマの結果である程度までの快不快は受動として否応なくこの身に起きるけど、それに対してどのような態度を取るのかはまだ決まっていなくて自分で選ぶことができて、この能動的な選択が、また未来の受動の種を作ってる、と、私は今回本を読んで思いました。

    速行心で、怒りを作ると、怒りの結果の心がやがて生じるけど、その結果の心に対する反応は、自由の領域なのだと思いました。

    もちろん、自由の領域といっても、理論的に自由なだけで、人は感情に走るのが自然だと思います。

    今、カント先生の勉強してるから、頭に浮かんでしまう言葉で書けば、

    傾向性で反応するのか(自然)、理性で反応するのか(自由)

    速行心(そくぎょうしん)に、二つの道があるイメージを持ちました。

    いろいろ本や概念を誤解してたらすみませんm(_ _)m

  • >>2780

    カルマの結果生じた心、ということは、先に行為をして、その結果生じた、ということで、

    私は【異熟心】とは、受動的に生じる心だと今のところは考えました。

    もう、生じることは、どうしようもない、受け取るしかない(受動)心。

    そして、【異熟心】の反対として、カルマを作る心が、能動的な心と私は考えました。

    仕方なくない、自分で作れる(能動)心、のイメージです。

  • それで、私が今、関心あることは、

    この認識過程の一つ一つに、受動と能動を当てはめて理解することなんですね。

    物質の認識過程は、アビダンマでの用語を使って書くと、


    >有分心(過)

    > 有分動揺心

    > 有分捨断心

    > 五門引転心

    > 眼識

    > 領受心

    > 推土心

    > 確定心

    > 速行心×7

    > 彼所縁心×2

    有分心


    それで、この心の中で、少なくとも、
    有分心、五識(異熟)、領受心(異熟)、推度心(異熟)、確定心(意門引転心)、
    が【異熟心(いじゅくしん)】と呼ばれる心であることが、本を読んでわかりました。

    異熟心とは、
    『異熟とは「何かの行為として結果を生じた(異なるものに熟した)」という意味です。』
    (『アビダンマッタサンガハ』を読む・藤本晃さん著・サンガ、p57)
    とあるように、カルマの結果生じた心、ということだと私は思っています。

  • >>2778

    それで、眠ってる有分心が目覚めるためには、物質の刺激を受けなくてはならないのですが。。。(今は、物質の認識過程に限定してます、物質を介さない心だけの回転手順はまた別に記述されているようです)

    心と物質の生滅速度は異なってるとされてて、私の理解イメージでは、
    心は、1ピコ秒に1回の生滅、
    物質は17ピコ秒に1回の生滅速度のイメージです。
    物質の方がゆっくり生滅するんですね。

    それで、例えば、眼という器官に、色(いろ)という物質がぶつかって刺激の波が起きるとします。

    この時、《生じたばっかり》の色の刺激で有分心が目覚めた時は、目覚めてからの手順の心が生じる時も、しっかり心に刺激を与えて心をめざめさせたままで認識を続けさすことができるので、しっかりした認識と反応を為すことができます。


    でも、《終わりかけの》物質の刺激で有分心が目覚めても、認識過程途中に、物質が滅してしまい、心は認識途中にもかかわらず、刺激がないので寝てしまい(有分心に落ちる)、認識不成立になる、とされるみたいです。

    認識が成立するためには、17回くらいの心が必要で、つまり、17回くらいは、連続して心が起きててくれないと、認識を作れないんだけど、
    心が起きておくためには物質の刺激を受けてないとダメで、きちんとタイミング良く認識する心が起きて仕事する間、物質が刺激を与え続けられる時でないと認識できてない、ということですね。

    こういうことがアビダンマッタサンガハに書いてあって、このアビダンマッタサンガハはアビダンマをまとめた用語集みたいなものなので、アビダンマで詳しく論じられてるってことなんでしょうね。

  • <<
  • 2801 2779
  • >>
並べ替え:
古い順
新しい順