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アビダンマについて

アビダンマについて

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  • 2018/07/22 00:10
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    pipit 7月22日 00:10

    🌻 日記

    こんばんは⭐️

    仕事、一ヶ月後に変わることになりそうです。

    できるかな、って不安もあるんだけど、がんばりたいです。

    変化は怖いけど、自分にできる努力をその都度行ってみる。

    アビダンマの知識も私を助けてくれますように、って、ちょっと他力?

    自力他力は分けれないよね、多分。

    (たとえいやいやでも)
    新しいことをこれから始める生命さん、

    新しいこと始めたいよーって思ってる生命さん、

    がんばろうね o(^▽^)o


    すべての生命さん、今日も一日おつかれさまです🍀🌏

  • >>3240

    雑心所
    ①尋 ヴィタッカ
    ②伺 ヴィチャーラ
    ③勝結 アディモッカ
    ④精進 ヴィリヤ
    ⑤喜 ピーティ
    ⑥意欲 チャンダ

  • 自分の思いに常時気づいているというのは、ヴィパッサナーと似ているようで実は違うものである可能性が強い。

    感覚入力→思い

    →の瞬間、一秒の何分の1の短い間に生まれ思いへの気づき。

    この気づきがシャープなら、思いはダラダラと流れていかない。思いの展開は断ち切られる。

    思い→思い→思い→思い→

    この流れを追いかける作業は、個々の思いにどれだけ自覚的なつもりでも、ヴィパッサナーとは言わない。音楽を詳しく自覚的に聴いているのと変わらない。

  • マントラ瞑想は四念処の実践ではなく、サマタ瞑想だね。大乗仏教原理主義者たちは理解しなさい。

  • 四念処の実践とは、ヴィパッサナー瞑想だね。死体の観察は何十種類あるサマタ瞑想の一つ。

  • >>3252

    > 上座部のアビダルマの心所に〈精進〉があるのですか。
    > 有部や唯識では「不放逸」がそれにあたるようです。
    > 平たく言えば、「正しい目的にむかって、精一努力する」――継続は力なり。
    > といったところでしょうか。


    テーラワーダの「精進」という心所には、「正しい目的に向かって」という意味はありません。精進自体はニュートラル。なので、精進のエネルギーを善に向けるか、不善に向けるかが決定的に重要になる。善と不善の中道を行くというのではまったくありません。

  • >>3250

    > 〈主体的〉〈自由〉って、アビダンマ的精進のイメージにぴったりに思えます👀

    > 私は〈精進〉の記述読むと、カント哲学も思い出すんですよね。
    > カント哲学では、欲望(傾向性)に流されずに自分の意志で行為を選択するのが自由って感じだからかもですね。

    相通じるところがありますね。

  • >>3249

    こんばんは 🌌

    > 精進は、瞬間ごとにエネルギーを作り出して、主体的な意志を働かせる心所ですかね。忍耐や苦行のイメージはあまりなく、軽やかで自由な印象です。<

    〈主体的〉〈自由〉って、アビダンマ的精進のイメージにぴったりに思えます👀

    すごいですね、そういうイメージ書くの難しくて、私は先のコメントでは自分のイメージをお伝えするの断念してました(^^;;

    私は〈精進〉の記述読むと、カント哲学も思い出すんですよね。
    カント哲学では、欲望(傾向性)に流されずに自分の意志で行為を選択するのが自由って感じだからかもですね。
    (まあ、この場合、善心ゆえ精進も善心所になってるんでしょうけど。)

    oliさんが書いてくださった言葉で、より納得できました。
    ありがとうございます。

    アビダンマは、自分自身の内にその記述内容を見てみようとすると、面白いものになる気がします。し、実際に役に立つと素敵だなぁとも思っています。

    今日は暑かったです。
    oliさんとこも暑かったかな?

    おつかれさまです😊🌌

  • >>3247

    精進は、瞬間ごとにエネルギーを作り出して、主体的な意志を働かせる心所ですかね。忍耐や苦行のイメージはあまりなく、軽やかで自由な印象です。

  • >>3247

    気になってパーリ語辞典ひいてみたら、

    kusalaの項目は
    善き、善業;巧みな、善巧

    とありました。
    巧みという意味も辞書的にも入ってるんですね。

    a は、否定で

    akusalaは、〈不・善〉ということなのかなと思いました。

    それでは失礼します🐧

  • >>3246

    oliさん、こんにちは🌞

    ハードカバー版「ブッダの実践心理学第3巻」p72「viriya 精進」の箇所などを読み返してみました。

    ついでに、善kusala、不善akusalaの記述も目に入って(p92)、
    〈俗的に言えば、善は「じょうず」「巧み」、悪は「へた」ということ〉ってあって、
    この軽さがいいなぁと思いました。
    解脱を目的に置いた言い方かもしれませんね。
    (これはアビダンマがそう定義してるのではなく、スマナサーラ長老の解説なのかもですけどね)

    アビダンマ、時々気になってるのですが、なんせカント哲学が私には難しすぎて。

    でも、できれば一生のうちにアビダンマを勉強する時間持てたらいいなと思ってます。

    久しぶりにアビダンマに触れれた感じがして嬉しいです😊
    ありがとうございます。

    おつかれさまです🍀

  • 今ここに全力投球しさえすれば、そこに悟りがあるという結論にはならない。

    たとえばワールドカップのサッカーを例に取れば、90分、どの瞬間をとっても全プレーヤーは、凄まじい「精進」エネルギーを注ぎ切っている。

    まだこの段階では、雑心所の一つである「精進」は働いているというだけだ。

    サッカーが不善心所ではなく善心所となるときに、そこで初めて、悟りに近づいたといえる。

  • >>3243

    精進はニュートラルで、善にも悪にも向かいうるというのは盲点かもしれないですね。

    精進というエネルギーは、ボランティアにも、病人の世話にも、仕事にも、夜遊びにも、ケンカにも、ゲームにも、スポーツにも、泥棒にも、対象の善悪に関わらずに注がれていく。

  • >>3243

    長部経典22「大念処経」から八正道の正精進の記述箇所を引用します。

    『また、比丘たちよ、正精進とは何か。

    比丘たちよ、ここに、比丘は未だ生じていないもろもろの悪しき不善の法が生じないように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    すでに生じているもろもろの悪しき不善の法が捨断されるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    未だ生じていないもろもろの善の法が生じるように、意欲を起こし、努力し、精進し、心を励まし、勤めます。

    すでに生じているもろもろの善の法が存続し、消失せず、増大し、拡大し、修習が成就するように、意欲を起こし、努力し、心を励まし、勤めます。

    比丘たちよ、これが正精進と言われます』

    『原始仏教11』片山一良先生訳、中山書房仏書林、p47より引用

    oliさんの投稿から、精進は心所的には雑心所と教えられ(私の記憶に残ってなかったので💦)、善悪ニュートラルゆえ、経典の「正」精進の記述が今までより鮮やかな印象で心に入った気がします。

    ありがとうございます😊

    おつかれさまです🍀🍵

  • >>3240

    oliさん、こんばんは🌟

    本を読み直してから返信書きたいな、と、思ってたのですが、いろいろバタバタしてしまって、まだ、スマナサーラ長老の解説箇所読み直せてません💦

    oliさんの投稿で考えさせられて、「あ、面白い、私には役に立つ場所っぽい」って今思ってて、だからきちんと数日後でも解説本を読み直してみますね。
    きっかけをいただきありがとうございます。

    ちょっと数日バタバタ続きそうなので、解説本を読み直す前の、「あ、面白そう」と思った感想を書きますね。

    > この点、スマナサーラ長老によると、
    >
    > 六種類ある雑心所の中の一つに「精進」(ヴィリヤ)は位置づけられているようです。
    >
    > 心所としての「精進」は、認識対象を決める時にはたらく微細なエネルギーも含む、基本的な心のはたらきです。byスマナサーラ長老<

    すっかり忘れてましたけど、精進って、雑心所だったんですね👀

    雑心所だけでも調べてみました💦
    藤本晃先生の解説↓
    『雑心所6つの雑も、「善も不善もどちらでも雑多に」という意味ですから、雑心所6つ自体は善でも不善でもないという意味です。ただ、こちらの6つは心と共にいつもかならず生じるとは限りませんので、共一切心心所とは別に、雑心所としてまとめられています。』
    『『アビダンマッタサンガハ』を読む』藤本晃先生、p96

    アビダンマ的には精進は善悪どちらの方向へも向く心所で、だから八正道の《【正】精進》という単語も成り立つのかぁ、って思いました。

    経典(例えば「大念処経」)内に出てくる、八正道の正精進の定義は、、、字数制限引っかかりそうなので次の投稿で引用しますね

  • >>3240

    oliさん、こんにちは!

    今書き込みに気づきました💦
    ありがとうございます😊

    また書いてくださったこと、本を読み直したりして返信しますね

    おつかれさまです🍀🍵

  • >>3240

    > 「精進」について、投稿者によって理解の仕方が驚くほど違うようです。
    >
    > この点、スマナサーラ長老によると、
    >
    > 六種類ある雑心所の中の一つに「精進」(ヴィリヤ)は位置づけられているようです。
    >
    > 心所としての「精進」は、認識対象を決める時にはたらく微細なエネルギーも含む、基本的な心のはたらきです。byスマナサーラ長老

    もともと、精進(ヴィリヤ)に努力主義や苦行主義という意味はないはずだ。

  • 「精進」について、投稿者によって理解の仕方が驚くほど違うようです。

    この点、スマナサーラ長老によると、

    六種類ある雑心所の中の一つに「精進」(ヴィリヤ)は位置づけられているようです。

    心所としての「精進」は、認識対象を決める時にはたらく微細なエネルギーも含む、基本的な心のはたらきです。byスマナサーラ長老

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  • 🌿 輪廻観日記 🌸

    次男くんが、ラジオで中国語講座を聴き始めました。
    誰が勧めたわけでもないんですけどね。

    基本的に無口な次男くんですが(反対に長男くんはめちゃめちゃしゃべります〜)、日本は中国や韓国と仲があまり良くなくて、近くの国と仲良かったほうがいいと思うんだけどなぁ、なんか役に立てたらいいなって思う、って小さな声で言ってました。

    現実は厳しいことがいっぱいなんだろうけど、お互いの国から、お互いを尊重し合える若い人たちが育ってくれるといいな、と、夢見ました。

    人間が、他国を敵味方に色分けするのは、生存欲的に至極真っ当なことかもしれませんが、輪廻思想は自分を害する他国を憎む気持ちを中和する道具になり得るかもと思っています。

    自分もその他国に生きてたことがある・次はその他国に生きる可能性を思うからです。

    またそれは、自分も人殺しをこの手でしてきたことが何回もあるだろう、と、思うことでもあります。


    自分や仲間が殺されるのは極限の苦しみですね。

    仏典の一節を思い出します。

    『「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」と。』

    サンユッタニカーヤ、『マッリカー』より。中村元先生訳

    あ、フローラさんに教えてもらったジャスミンを意味する『茉莉花(まつりか)』ですね💖

    まあ、輪廻あってもなくても、するべきことは変わりない、とは思っています。

    善く生きたい!!
    (具体的には貪瞋痴減らしていきたい!)

    (もちろん今の所希望だけで、現状は貪瞋痴だらけ過ぎです ^^;;)

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