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アビダンマについて

アビダンマについて

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  • 2017/12/17 21:59
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  • >>2829

    中部経典第38『大愛尽経』について。

    これは「世尊は同一不変の《識》の輪廻を説いている」という見解(この謬見により我々を誹謗する、と釈尊による表現が使われています)を持ったサーティ比丘を、釈尊が識は縁で生じるものと説いたではないかと叱って、その後《識》の縁起や、十二因縁をはじめ、様々な縁起について説法される経典です。

    そして、その縁起の説法が終わった後で、比丘たちに、

    このように観ているあなた達に、
    (我々は過去の時に存在してたのか?存在していなかったのか?我々は過去の時に何者から何者になったのか?)
    (我々は未来の時に存在するのか?存在しないのか?我々は未来の時に何者から何者になるのだろうか?)
    (我々は現在の時に存在しているのか?存在していないのか?我々はどこから来てどこへ行くのか?)
    といった疑問に思考が走るだろうか?

    といったことを問いかけ、比丘達は、全てにおいて「否です。」と答えます。

    私見ですが、この箇所は、縁起で法を観る者は、不変同一の《わたし》という存在を前提にする思考法にはならない、ということを示しているのかなと思いました。


    以上、メモ的に投稿した英訳文の説明です。m(_ _)m

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  • >>2830

    (続き)

    (略)
    (釈尊と比丘達の問答)
    “Bhikkhus, knowing and seeing in this way, would you run back to the past thus: ‘Were we in the past? Were we not in the past? What were we in the past? How were we in the past? Having been what, what did we become in the past?’?”—“No, venerable sir.”—“Knowing and seeing in this way, would you run forward to the future thus: ‘Shall we be in the future? Shall we not be in the future? What shall we be in the future? How shall we be in the future? Having been what, what shall we become in the future?’?”—“No, venerable sir.”—“Knowing and seeing in this way, would you now be inwardly perplexed about the present thus: ‘Am I? Am I not? What am I? How am I? Where has this being come from? Where will it go?’?”—“No, venerabl sir.”

    (略)

    終わります。
    次の投稿で、引用元や他の参照ページのアドレス貼ります。非表示になります。

  • >>2829

    (続き)
    (略)
    (釈尊のことば)
    So, bhikkhus, with ignorance as condition, formations come to be; with formations as condition, consciousness; with consciousness as condition, mentality-materiality; with mentality-materiality as condition, the sixfold base; with the sixfold base as condition, contact; with contact as condition, feeling; with feeling as condition, craving; with craving as condition, clinging; with clinging as condition, being; with being as condition, birth; with birth as condition, ageing and death, sorrow, lamentation, pain, grief, and despair come to be. Such is the origin of this whole mass of suffering.

    (続く)

  • こんばんは☆

    メモ的に経典の英訳の一部抜粋を投稿させてもらいます。
    中部経典第38『大愛尽経』からです。


    (略)

    (サーティ比丘のことば)
    Now on that occasion a pernicious view had arisen in a bhikkhu named Sāti, son of a fisherman, thus: “As I understand the Dhamma taught by the Blessed One, it is this same consciousness that runs and wanders through the round of rebirths, not another.”

    (略)

    (釈尊のことば)
    “Misguided man, to whom have you ever known me to teach the Dhamma in that way? Misguided man, have I not stated in many ways consciousness to be dependently arisen, since without a condition there is no origination of consciousness? But you, misguided man, have misrepresented us by your wrong grasp and injured yourself and stored up much demerit; for this will lead to your harm and suffering for a long time.”

    (続く)

  • >>2825

    pipitさん
    こんにちは。

    pipitさんの掲示板があったのですね。
    Kandaraka Sutta のパーリ語原文ありがとうございます。

    本にもありましたが
    brahmabhutena attana viharati は慣用句らしく
    何度も繰り返し出てきますね。
    仏典で何度も繰り返される語句は重要なものですから
    brahmabhutena attana viharati はキーワードになるかもしれません。

  • >>2824

    英訳文の一部抜粋

    “It is so, Pessa, it is so, Pessa. For this, Pessa, is a tangle, that is to say human beings. But this, Pessa, is an open clearing, that is to say animals. Pessa, these four kinds of persons are found in the world. What four? As to this, Pessa, some person is a self-tormentor, intent on the practice of self-torment; as to this, Pessa, some person is a tormentor of others, intent on the practice of tormenting others; as to this, Pessa, some person is both a self-tormentor, intent on the practice of tormenting self, and a tormentor of others, intent on the practice of tormenting others; as to this, Pessa, some person is neither a self-tormentor, not intent on the practice of self-torment, nor a tormentor of others, not intent on the practice of tormenting others. He, neither a self-tormentor nor a tormentor of others, is here-now allayed, quenched, become cool, an experiencer of bliss that lives with self Brahma-become. Of these four persons, Pessa, which appeals to your mind?”

  • >>2824

    パーリ原文の一部抜粋



    Evametaṃ, pessa, evametaṃ, pessa. Gahanañhetaṃ, pessa, yadidaṃ manussā; uttānakañhetaṃ, pessa, yadidaṃ pasavo. Cattārome, pessa, puggalā santo saṃvijjamānā lokasmiṃ. Katame cattāro? Idha, pessa, ekacco puggalo attantapo hoti atta­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto; idha pana, pessa, ekacco puggalo parantapo hoti para­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto; idha pana, pessa, ekacco puggalo attantapo ca hoti atta­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto, parantapo ca para­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto; idha pana, pessa, ekacco puggalo nevattantapo hoti nātta­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto na parantapo na para­pari­tāpa­nā­nu­yoga­manu­yutto. So anattantapo aparantapo diṭṭheva dhamme nicchāto nibbuto sītībhūtosukhap­paṭi­saṃ­vedī brahmabhūtena attanā viharati. Imesaṃ, pessa, catunnaṃ puggalānaṃ katamo te puggalo cittaṃ ārādhetī”ti?

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  • >>2822

    次の投稿で、これから引用していくものなどの元アドレスを貼ります。
    非表示になるので、この文だけ先に投稿します。

  • みなさまこんばんは🌟

    また、中身、見ていくかも?のメモ投稿させていただきます。

    wikiより引用
    『『カンダラカ経』[1](カンダラカきょう、巴: Kandaraka-sutta, カンダラカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第51経。



    ある時、釈迦はチャンパーに滞在していた。

    そこに遊行者カンダラカと象使いペッサが訪れ、釈迦は彼らに四念処と四種の人について説く。

    その後、釈迦は比丘たちに、十善戒、六根・六境、四禅、三明、三漏などについて説く。』

  • 🌷🌸🌹🌻🌼🌺

    今日は、成道会(じょうどうえ)でしたね!

    日本では12月8日にお釈迦さまが悟りを開いた日とされているそうですね。

    (ちなみに上座部仏教では、誕生も成道も涅槃も同じ5月とされてて、5月の満月の日に「ウェーサーカ祭」として祝われるそうです。)

    私の子供は仏教系の幼稚園に通ってたので、そういえば、♪お悟り開いたお釈迦さま〜♪って歌ってたのを思い出しました。

    私は、仏教に出会えて、本当に嬉しいと思っています。

    少しでも、進歩できますように 😊

    アビダンマについて 🌷🌸🌹🌻🌼🌺  今日は、成道会(じょうどうえ)でしたね!  日本では12月8日にお釈迦さまが悟りを開

  • 📖 本日記

    楽しみにしてたスマナサーラ長老と前野隆司先生の対談本
    『仏教と科学が発見した「幸せの法則」』サンガ
    を読みました。

    前野隆司先生は、もともとはロボットの研究をされてて、ロボットに心を作ろうとされてたんだけど、そもそも心ってなんぞや?と興味がうつって、今は大学院でシステムデザイン・マネジメント学や幸福学などの教授をされているそうです。

    まえがきを前野先生がお書きになられてたのですが、その中で面白い考え方だなー、と感心したことがありました。

    先生は、138.2億年前は、たった一つの点だったものがビッグバンの瞬間より宇宙は光速で拡大している、というビッグバン説の立場をとられてて、
    その拡大過程で、いろんな現象が相互作用で生じてきた、とされていました。

    つまり、今は様々に違う存在のようにふるまってるわたしたちは、138.2億年前は、同じ一つの点だった、という考え方で記述されていました。

    私は、そういうふう(ビッグバン=一から多に分かれた)に考えたことがなかったので、前野先生の考え方を知って、新鮮でした。

    みんなもともとは一つの点やった、って面白い発想やな、って。

    ちなみに、前野先生は、「受動意識仮説」を提唱されてて、自由意志は幻想で、リアルに存在するように見えても存在しないとされてて、
    私たちはあらかじめ死んでるようなもの、ということで、漫画・北斗の拳の「お前はもう死んでいる。」とよく似た世界、みたいなことも述べられてて、そのような表現も、面白いなーと思いました。

    前野先生は慶應義塾大学大学院の先生で、公開講座とかもされてたみたいで、東京だといろんな講座に参加できる機会もいっぱいありそうだなぁ、面白そうだなぁ、と思いました。

    以上、本日記でした。

    おつかれさまです、おやすみなさい🌌🍀🐬

  • >>2815

    のれんさん、どもです〜(^▽^)

    > わたしはここ数十年 寝る前に処方された 風邪薬を飲んでおりまして
    > 風邪は今のとこ ひいていません ありがとうございます<

    数十年も、風邪薬を日常的に飲んでるのですか?
    睡眠薬代わり?
    大丈夫かなぁ?と思うけど、お元気そうでよかったです。

    写真、冬ですね〜

    冬の空気は凛としてていいなと思うときもあります。
    私の写真は、去年の冬写真です❄︎

    youtubeありがとうございます。
    ダンマパダ、心が一瞬洗われるようです。
    ・・・即、散らかった心になりますけどー

    それでは、今年も体調大丈夫でありますように🍀🍵🍊

    アビダンマについて のれんさん、どもです〜(^▽^)  > わたしはここ数十年 寝る前に処方された 風邪薬を飲んで

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  • >>2812

    ども

    >白い菊の花の花言葉は、『真実』だそうです😊

    真実しか語らない人 またそうでない人・・(笑

    菊は奇麗ですねー

    >それでは風邪などに気をつけてくださいね🍵

    わたしはここ数十年 寝る前に処方された 風邪薬を飲んでおりまして
    風邪は今のとこ ひいていません ありがとうございます。

    風 はしだのりひことシューベルツ
    https://www.youtube.com/watch?v=ugtGClQLUdQ

    https://www.youtube.com/watch?v=St35Qpb1TR8

    アビダンマについて ども  >白い菊の花の花言葉は、『真実』だそうです😊  真実しか語らない人 またそうでない人・・(笑

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  • >>2811

    わ〜い、ノレンさん、お久しぶりです(^O^)

    平原綾香さんの『ジュピター』聴きました。
    歌もいいけど、映像もまたいいですねー。

    心が穏やかになります。🌌

    あー、なんか、急に銀河鉄道の夜思い出したなー。

    写真、秋ですね。

    身近なもので感じる季節の移り変わり。

    積み重なるものが、今日は切なく感じます。🍁

    いつかは終わるからかな。

    写真は、白い菊の花、です。
    外出先でとても綺麗に咲いてました。

    白い菊の花の花言葉は、『真実』だそうです😊

    それでは風邪などに気をつけてくださいね🍵

    アビダンマについて わ〜い、ノレンさん、お久しぶりです(^O^)  平原綾香さんの『ジュピター』聴きました。 歌もいいけ

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