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アビダンマについて

アビダンマについて

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  • 2018/01/21 07:32
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    oli***** 1月21日 07:32

    >>2994

    > 物質だけではないでしょう。
    > 心があるでしょう。
    > 仏教の基本は〈こころ〉です。

    スマナサーラ長老の「ブッダの実践心理学」全八巻はすべて、仏教の〈こころ〉について語っている。基本中の基本!!


    > 知識人ぶって苦しくないですか?
    > とにかく、基本から学びましょうね。

    (笑)。ちょっと酷すぎるよ。アタマに血が上ってメタメタになっている。見苦しい。

    > これ以上のお相手はできませんので
    > ごめんなさいね。

    折伏やってきたのはあなたなんだよ。

    唯識スレッドを立てることをお勧めする。

  • ●自己の実体化の反省●

    >スマナサーラ長老の『現象の背後に隠れて
    >「実体」の世界があるわけではないのです。』という意見、
    >違ってますか?

    と言いますが、
    あなた自身が、現象としての自分は有ると、自分を実体化していませんか。
    他者のことをとやかく言う前に、
    自己の実体化を反省しませんか。

    虚構に自己の観察は、どこまでいっても虚妄である。

    ではでは、この辺で。」

  • ●末那識と共にはたらく慧●

    末那識と共にはたらく心所に〈慧〉があるという。
    「簡択を性となし、断疑をはたらきとする」といわれる。
    「簡択」は「ものごとを、えらびわける」こと、「断疑」は「はっきりきめる」こと。

    末那識は、何を選び分け、どう決めるのかというと、四煩悩を振り返れば分かるように、
    〈我〉と〈非我〉をえらびわけ、はっきり区別し、これが「おれだ」ときめていく。
    我癡・我見・我慢・我愛の根底に共通して流れているのは、他と自分を選びわけ、
    これこそが自分だと実体化し固定化する〈慧〉の働きである。

    『信心銘』にいう、

    至道無難 唯嫌揀択(至道難きこと無し、唯、揀択を嫌う)

    私たちは〈我〉を軸にして、自と他をえらびわける。
    至道(仏道)は、そのえらびわけることを離れたところある。

    しかし、私たちは、この末那識によって、なかなか至道(仏道)に至り得ないのが実情だ。
    末那識はなかなか手強い。

  • >>2991

    ●物心一如(不一不異)●

    >人間は、物質の原理と無関係と思われてるのですか?

    物質だけではないでしょう。
    心があるでしょう。
    仏教の基本は〈こころ〉です。

    物心一如です。

    真実の自己(仏心)を知って「如何に生きるか」です。
    知識人になるのではありません。
    知識人ぶって苦しくないですか?

    とにかく、基本から学びましょうね。
    これ以上のお相手はできませんので
    ごめんなさいね。

  • >>2992

    スマナサーラ長老との意見の違いを聞いてます。

    この箇所で、長老が一番伝えたい言葉は次の言葉だと思います。
    『現象の背後に隠れて
    「実体」の世界があるわけではないのです。』

    これを否定されますか?

    私たち在家に、長老が、今伝えたい言葉だと思います。

  • >>2989

    >スマナサーラ長老の『現象の背後に隠れて
    >「実体」の世界があるわけではないのです。』という意見、
    >違ってますか?

    まったく違っています。
    彼らは、釈尊の「五蘊無我説」の五蘊という法の分析をしたのです。
    現象界の分析です。

    五蘊無我説の展開です。


    現象の背後の世界――世俗諦と勝儀諦の二つの空
    をといたのは、一切法空の大乗です。

    で、背後に隠れているのは実体ではなく「空性」です。
    二つの空の縁起です。

    大乗仏教の勉強もして下さいね。
    智の怠慢です。
    議論する前に、学ぶ心を持ちましょうよ。
    では…。

  • >>2985

    >ご飯を炊く時、生米から一気にホカホカご飯になるわけではありません。
    >順々に変わっていくでしょう?
    >エネルギーも順々に伝わっていくでしょう?

    エントロピーというエネルギー保存の法則――物質の原理です。
    貴女は人間を物質と見る唯物論者ですか?

    分かったふりをするのではく、無知を知ってください。
    貴女とはまだ議論はできません。

    不毛の議論は打ち止めです。

  • >>2988

    > ●法有批判に決まっているでしょう●
    >
    > >説一切有部のどこを批判しますか?
    >
    > 私は、我空法空の「一切皆空」の「中道の空」論者です。
    > 「法の有」を批判し、
    > 我空法空に、仏の智慧の救いがあると信解してます。
    > 「法の空」です。<

    スマナサーラ長老の批判ポイント
    『しかしこれは「やってはいけないこと」です。現象の世界が実際に世界であって、現象の背後に隠れて
    「実体」の世界があるわけではないのです。あくまで客観的に観察するしかないのです。観察して真理
    を発見するという方法が正しいのです。』

    説一切有部は、実体がグルグル回るとしたのでしょう?
    その組み合わせが変わって現象が変わるとしたのでしょう?

    つまり、実体があって、その組み合わせで現象が変わるとしたのでしょう?

    批判のポイントはそこだと思います。

    Y和弘さんの上記意見と、
    スマナサーラ長老の『現象の背後に隠れて
    「実体」の世界があるわけではないのです。』という意見、
    違ってますか?

  • >>2987

    ●法有批判に決まっているでしょう●

    >説一切有部のどこを批判しますか?

    私は、我空法空の「一切皆空」の「中道の空」論者です。
    「法の有」を批判し、
    我空法空に、仏の智慧の救いがあると信解してます。
    「法の空」です。

  • >>2983


    ●貴女が説一切有部(倶舎論)を知っているのです●

    >何を批判したのか書いてもらっていいですか?

    「唯識三年、倶舎論八年」と言いまして、それ相応の覚悟と精進が必要なのです。
    そして、スマナサーラ長老は、説一切有部を上辺だけしか知りません。
    知らないのに知ったふりをするのは増上慢で、僧としては失格です。

    彼はまったく批判になっていませんが、スマナサーラ長老の『無常の見方』135頁から引用します。
    ちなみに、説一切有部は「現在、過去、未来の同じだ」とは説いていません。それは言い掛かりです。
    77の究極的な要素(法)が、三世に渡って有り、その組み合わせが輪廻する。因果応報するという
    のです。三世は組み合わせによって激流のように変化します。

    ●説一切有部は「現在、過去、未来は同じだ」と説く

    なんとしたことか「仏教」も、「実家を探す」という同じ失敗を犯すのです。
    テーラワーダ以外のすべての宗派仏教は、「無常の世界は最終的にどうなるのか」という疑問の答え
    を探してしまったのです。それで一神教の「神」に似たたいへんなものを自分の頭で考えだして、
    勝手に納得しているのです。

    しかしこれは「やってはいけないこと」です。現象の世界が実際に世界であって、現象の背後に隠れて
    「実体」の世界があるわけではないのです。あくまで客観的に観察するしかないのです。観察して真理
    を発見するという方法が正しいのです。

    かつてテーラワーダから分かれた説一切有部という部派仏教がありました。彼らはお釈迦さまの言説を
    こまかく研究して、そこから複雑で厖大な知識体系を創造しました。大乗仏教は「小乗仏教」と批判し
    たのが彼らです。

    説一切有部は「すべては無常であるならば、実体としての本来の状態は何なのか。それは『今の現象』
    ではないのか」と「いまの瞬間の実体論」を考えました。さらに「それならば、過去、現在、未来は
    同じものだ」(三世実有)とも考えたのです。これはシンプルですが、論理的に成り立たない空虚な論理
    です。現在、過去、未来が同じでは、変化のおこりようがありませんからね。大乗思想の中で見られる、
    「仏性・如来蔵・法身・大日如来」などの概念も、無常たる現象の中で「実家」を探した結果です。

    我々テーラワーダも、「現在という瞬間のみ、あるのではないか」という態度をとっていますが、それだ
    けに留めるのです。「一切は瞬時に変化して止まらない」というのがテーラワーダの見解です。
    観察すると、誰でもそのように発見できるのです。すべての宗教の世界では、限りない無常の世界に我慢
    できず、何か安定した変わらない実体を欲しいのです。宗派仏教の残念ながらその例外ではなかったの
    です。

    ………

    思考の怠慢!
    自分が無智であることをしらない人です。
    神を否定し、人間を超えたものを否定し、そのままの人間の観察眼(我見)を信じるという、
    人間中心主義です。
    神を否定するテーラワーダにキリスト教徒が興味をもつことに疑問を感じます。
    科学的合理主義といいたいのですが、「無常というだけに留める」とは合理主義の放棄です。
    浅はかな人間だと思います。

    勉学不足しかいいようがありません。
    貴女も勉学不足で、知識がなければ議論になりませんね。
    残念です。

  • >>2984

    私見書きます。

    有がどうして繋がっていく(ようにみえる)のか。
    前の滅が、次の生の因となってるからだと思ってます。

    ご飯を炊く時、生米から一気にホカホカご飯になるわけではありません。
    順々に変わっていくでしょう?
    エネルギーも順々に伝わっていくでしょう?
    好き勝手に、自由に、生滅してるわけではなく、自然の法則によって生滅してると思います。

    その法則が何故か?を、わからないのに推測したら、それは推論です。

    でも、その法則が目の当たりに起こってるのを記せば、観察です。

    各部派のアビダンマがどのようか、上座部のアビダンマがどのようかは私はまだ不勉強ですが、
    推論、か、観察、かの違いもあるかもと思ってます。

    どのようにつなげるか、わからない時、選択肢が現れます。
    理論作っちゃう派、と、わからない理論は作らない派

    どこがどう、と、今の時点で言ってるわけではありません。

    とりあえず、テーラワーダさんのアビダンマはこれから勉強するつもりではいます。

  • >>2979

    ●習慣のダルマの有を、どうしてつなげられるのか●

    >今の瞬間のダルマだけです。

    瞬間のダルマは有ということですね。
    その個物がどうして無常で、無常のものが因果応報するのか?
    どの矛盾を法多元論によって解明しようとしたのが、有部の法の「三世実有」なのです。
    それも、立派な仮説です。
    その現在の法も空としたのが大乗です。

    それに比して、テーラワーダの因果観には、刹那滅のつなぎに、論理性がありません。

    といっても、貴女の仏教学の素養がありませんから議論にならないのです。
    世界的な仏教学を学んでから議論しましょう。

  • >>2981

    こんばんは。

    >テーラワーダが説一切有部の何を批判したか知っていますよ。<

    何を批判したのか書いてもらっていいですか?

  • >>2973

    >テーラワーダにしても倶舎論にしても唯識にしても、アビダルマは煩瑣です。<

    そうですね、テーラワーダさんの中でも、アビダンマ勉強すると悟れないぞ〜って冗談もあるとかないとか(どっちやね〜ん)

    【アビダルマというものは、「仏教をとにかく論理で、知識で理解してやる」「他宗教(特に不滅の実体の存在を信じている)の批判や疑問に論理的に答えてやる」と思った学僧たちの間で現れた様々な研究成果のようなものですね。
    「仏教は、心を清らかにするため、苦しみをなくすための、実践論だ」と思う方々には関係のない話でしょう。釈迦牟尼仏陀の教えは後者です。】
    テーラワーダさんのホームページより引用。

    知識は抗がん剤のように慎重に使うべきだ、と、別の説話でも読んだことがあります。
    劇的に効く時もあるけど、自分の身体自身をめちゃくちゃ攻撃することもあるってかんじかな。

    、、、でも、ついつい、知識って面白くて集めちゃうな〜
    自戒しなきゃだけど、なかなか、、、

    知識の水たまりであそんぢゃいます🌂

  • >>2976

    ●テーラワーダが説一切有部を知らない〇

    >上座部が説一切有部を批判するのは、
    >大乗仏教の方が説一切有部を批判するポイントと同じ理由だと、私は思っています。

    テーラワーダが説一切有部の何を批判したか知っていますよ。
    その上で、彼らは説一切有部をしらないと思います。

    大乗は、説一切有部の『倶舎論』に多くを学んでいます。
    その上で、我の実体否定は仏教の根本で、もちろん同じなのですが、
    我空法有という、法(ダルマ)の有を批判して、我空法有の立場を明らかにしたのです。
    五蘊無我説から、諸法無我です。
    法(ダルマ)の一切が空――我空法空という一切皆空です。

    テーラワーダが、その空を無と解して「空見」に陥って、
    空が縁起の世界そのもの事、というのが分からないのです。

    テーラワーダが、仏教学を疎かにしているのだと思います。

    貴女も、仏教学を学んだらいかがですか。

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  • >>2972

    (続き)

    そのうちに、ある一部の仏教思想家達の中に「ダルマが三世(過去、現在、未来)にわたって存在する」という考え方が生まれたのです。もちろん、仏教の基本思想である「無常」に逆らう気持ちはなかったのです。ですから、無常でありながら過去もある、未来もある、と言うためにたいへん苦労したのです。その思想家達が「説一切有部-Sarvâsti vâda」となったのです。

     説一切有部を批判するためにテーラワーダ仏教がアビダルマを発展させたと言っても過言ではないほどです。テーラワーダ仏教は「三世実有」に真っ向から反対するのです。テーラワーダにおいては、存在するのは、今の瞬間のダルマだけです。

     ダルマの数と分け方について諸宗派の間で少々違う点があります。解釈と説明はもちろん違います。しかし「ダルマ論」というテーマは同じなので、どの宗派も自分たちのダルマ論テキストに「アビダルマ」と名付けたのです。

     アビダルマというものは、「仏教をとにかく論理で、知識で理解してやる」「他宗教(特に不滅の実体の存在を信じている)の批判や疑問に論理的に答えてやる」と思った学僧たちの間で現れた様々な研究成果のようなものですね。

     「仏教は、心を清らかにするため、苦しみをなくすための、実践論だ」と思う方々には関係のない話でしょう。釈迦牟尼仏陀の教えは後者です。』

    引用終了

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