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アビダンマについて

アビダンマについて

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  • 2017/04/19 13:39
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    pipit 4月19日 13:39

    >>2684

    赤い実さ〜ん、こんにちは(^O^)/

    今日も、スピッツの♪春のう〜た〜、がお店でかかってて、スピッツいいわ〜と思ってました(o^^o)♪

    写真は、ピンク椿とか乙女椿とかいわれるものかなあ?
    引越し前に両親が植えてくれたもので、正確にはわからないんですけど。🌺

    ジャイアンツ・コーズウェイの写真をネットで見ましたよ〜
    あんなん、情報知らずに見たら、わ、古代遺跡発見しても〜た〜、って思いそうですよね👀

    自然ってほんとおもしろいですね。

    それではまた〜、書き込みありがとうごさいます(^O^)/

    あ、もう散っちゃったけど、先週撮った桜の写真で〜す🌸

    散っちゃったなあ

    諸行無常ですね〜🌱

    アビダンマについて 赤い実さ〜ん、こんにちは(^O^)/  今日も、スピッツの♪春のう〜た〜、がお店でかかってて、スピッ

  • >>2681

    pipitさん、おはようございます。

    お写真は椿でしょうか。 幾何学模様が美しい(^-^)

    自然って時に、びっくりするような数学的なものを作りだすものですね。
    イギリス アイルランドのジャイアンツコーズウェイという、海岸の六角形の岩々も。
    最初に見たのはなんと、Windowsの立ち上げ画面で勝手に出てきたものからでした。
    え? 人が何かの理由で切り込んだもの? と驚きました。

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  • 🌱 日記〜

    最近、生命はもともと万能細胞、って思ったらいいんとちゃうかな〜って思ってるんですよね〜

    いろいろ分化していろんな特性に育つけど、もとは、万能細胞。

    だから、なんというか、、、

    もともとはいっしょだったよ

    いまもどだいはいっしょかも

    って思ったら、いろんなこと、ラクに思えることもあるかな〜って。

    春ですね〜

    サッベー (すべての)
    サッター(生きてるもの、が)
    バワントゥ(そういう状態でありますように)
    スキタッター(自ら幸せを喜ぶ)

    パーリ語のじゅもんです♡

    この前、誕生仏(像)に甘茶かけてきましたよ〜

    アビダンマについて 🌱  日記〜  最近、生命はもともと万能細胞、って思ったらいいんとちゃうかな〜って思ってるんですよね

  • >>2679

    🌸🌸🌱

    テルゼさんこんにちは

    > そちらは、桜は如何なのかしら?
    > 未だかな、終わったかな?
    > 関西弁だから、終わった方でしょうね?^^

    実家は関西だけど、嫁に関西以外に行きました。

    関西大好きだから、ほんとは、もっと関西行きたいな〜

    桜はまだ咲いてます、けど、今日はすごく暖かいし、もう散る頃かな

    さっきとったばっかりの写真貼りますね

    それでは失礼します

    (^ ^)

    アビダンマについて 🌸🌸🌱  テルゼさんこんにちは  > そちらは、桜は如何なのかしら? > 未だかな、終わ

  • >>2678

    お邪魔してますよ、きのこさん^^

    > テルゼさん、和弘さん、こんにちは〜
    >
    > お久しぶりです
    >
    > テルゼさんの非表示を解除してみました
    > (((o(*゚▽゚*)o)))
    >
    > 春ですね、お身体ご自愛くださいませ🌸
    >
    > それでは失礼しますm(_ _)m


    あなたも【教祖崇拝脳】ですから、お気を付けあそばせね。^^

    そちらは、桜は如何なのかしら?
    未だかな、終わったかな?
    関西弁だから、終わった方でしょうね?^^

  • テルゼさん、和弘さん、こんにちは〜

    お久しぶりです

    テルゼさんの非表示を解除してみました
    (((o(*゚▽゚*)o)))

    春ですね、お身体ご自愛くださいませ🌸

    それでは失礼しますm(_ _)m

    アビダンマについて テルゼさん、和弘さん、こんにちは〜  お久しぶりです  テルゼさんの非表示を解除してみました (((

  • >>2674

    〇四念処(人間の思いは当てにならない)〇

    『パリニッバーナ』の「法燈明・自燈明」は無我(非我)の自覚のできないアーナンダへの
    説法で、〈四念処〉という修行実践の道(観法)を説いている。

    四念処とは、念(注意力)を、身・感受・心・法という四つの範疇において同一化させる
    観想法とだという。

    表皮のみ清らかに見える身体も、その内実は、血・肉・骨・筋・髄液に満ち、刻々衰退し死滅
    へと向かう不浄な肉体と、操り人形のような行住坐臥の所作からなる〈身〉。

    瞬時もとどまることなく変化する快不快の苦楽の〈感受〉。

    さまざまに意味付けをしながらコロコロと思いを変える〈心〉。

    〈自己〉として存在するものはこれらの範疇におさまる現象のみであることを意識させ、そこ
    には自我といるものはどこにも見出せない(無我・非我)を自覚せしめるものだという。

    その無我の智慧によって照らし出された〈法〉によって照らし出された真理と自己を〈自燈明〉
    といい、ここでの自己は法と変わることがなく、現在一般的にいう自我や自己とは違うという。

    要するに、私たちの思い込んでいる自己は当てにならない。
    四念処とは、自己の思いの否定、思いを手離し続けることだとその歴史において気づく。
    坐禅も念仏も称名の、人間の当てにならない思いを手離す四念処に他ならない。

    四念処、すなわち人間の当てにならない念(思い)を手離すというところに真実が現成すること
    は確かである。

    人間の頭は当てにならない――念念、思い手放し南無観世音菩薩――それが私の四念処。

  • >>1839

    ★イストランさん、この二人まだ【釈尊は完全無欠のスーパーマン】ってやってますよ。^^

    人間の釈尊ですら、
    完全無欠で【時代の影響】なんて何も受けてないと思って居るのですから
    当然、イエスは、彼らには【神】ですから
    決して【時代に振り回される】事などないと思いこんでいます。w

    ほんと何処まで幼稚なカルト脳かと思いますよ。

    釈尊を絶対に神聖化する、イエスを絶対に神聖化する。
    彼らに【間違い】など決して無いと彼らは言い張ります。^^

    >> ま、ミカエルさんと、テルゼさんの論証で、完膚なきまでに釈尊の女性蔑視観は証明された、と言われるなら、世界もお二人の説にひれ伏すのかもしれません。ひれ伏さないのは、よほど読解力、理解力がないのだそうですから。
    > 勝手にどうぞ、というしかないです。

     >ミカエル氏が何度も強調していたけど、貴方はテルゼ氏の言うことを理解してない、ということでしょう。女性差別云々よりも、貴方の対話に向かう態度に問題がある、と言っていたのではないですか。


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜覚者釈尊に間違いなど有り様も無いと、この二人^^;
    https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/3044d80a2cf6683e7bc14bfd22420013/1/45639
    45639
    oli***** 4月7日 22:15
    >>45635
    >覚者である釈尊が、男女の性の違いをもって、女性を汚れたものと見下げ、男性を汚れたものとは見なさず女性の上に置く。

    >そんな覚者って、ありえますか?

    ありえないでしょう(笑)

    仏教体系を崩壊させていることに気づけないのかな(笑)

    同意したのがミカエル氏だけだったのも当然です。

    こういう事実を受け止める力がテルゼにはまるでない。東哲無敵の最強の論客ミカエル氏と自分が組むのだから負けっこないと(笑)、脳内で都合のいい変換・正当化。

    ミチオさんじゃないが、議論不可能です。


    =================



    テルゼの反論。

    https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/3044d80a2cf6683e7bc14bfd22420013/1/45649

    https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/3044d80a2cf6683e7bc14bfd22420013/1/45766

  • ⭐︎メモ帳日記⭐︎


    『自灯明法灯明』
    についてですが、
    パーリ仏典内での定義について書きます。

    パーリ仏典内では、自灯明に住むとは、四念処(身体・感受・心・法の4つにおいて観察すること)の実践に住むことだと明記されています。

    複数の経典にその定義が出てくるようですが、その中の1つが、岩波文庫『ブッダ最後の旅』中村元先生訳にも、載ってます。p63.64です。

    岩波文庫p64では、自らを島とする(自灯明と同意と思います)とはどういうことか?との内容の文に続き、
    身体、感受、心、諸々の事象について観察することによって自己を島とするのだ、と出てきます。
    (片山一良先生は同じ箇所を、身・受・心・もろもろの法の四つと訳されてます。また、中村先生が起こると訳されてる箇所は、片山先生は住むと訳されてます。)


    この四念処の実践は、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想の元ネタ経典として挙げられることも多い、『大念処経』(長部第二十二)で詳細に解説されています。
    『比丘たちよ、この道は、もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、苦しみと憂いが消え、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための一道です。すなわち、それは四念処です。四とは何か。』
    という文に続いて、同様に、身・受・心・法を観ることが説かれ、また、どのようにして身を観るのか、、、と、細分化して説明されていきます。

    メモ帳日記でした⭐︎

    おやすみなさい🌠

  • >>2670

    無行が、もう「行」(サンカーラ)がそれ以上必要なくフル充電された行の有様。

    有行が、まだ「行」が足りてなくて行の補充が必要な有様。

    このような内容を、書きました。

    これってややこしいんですが、
    同じような考え方のテーラワーダでの言葉の使い方を思い出しました。

    『無学』
    『有学』です。

    これ、普通の感覚では、知識がないとかの意味で無学という言葉を使うかと思いますが、テーラワーダでは、

    阿羅漢のことを『無学』とされるそうです!
    そして不還果の聖者など、まだ、阿羅漢には達してない方のことを『有学』とよばれるそうです。

    その理屈は、

    阿羅漢は、解脱を基準とする時もう学ぶことが残ってないので『無学』とされるそうです。
    他の方は、まだ、学ぶことがあるとのことで、『有学』ですね。

    言葉の使い方がおもしろいなーと思いました。

    そのような理屈で考えると、
    無行
    有行
    も、頭の中で納得しやすいかな、と思いました。

    さあ、言葉の意味は、なんとなく理解できてきたので、アビダンマッタサンガハの記述に戻って、内容を読んでいこうかな。

    でも勘違いしてたらすみません!


    🌸🌸🌸 久しぶりに長老尼さまの詩 🌸🌸🌸

    あらゆる悲しみは、すべて断たれ、捨てられ、ここで終わったのです。
    もろもろの悲しみの起るもとである根底を、わたしは、知りつくして、捨て去ったからです。

    ヴァーシッティー尼(テーリーガーター138)

    『尼僧の告白・テーリーガーター』中村元先生、岩波文庫p34.35より引用。

  • >>2671

    相応のパーリ語は、サンパユッタと書きましたが、パ、は強調みたいな意味合いかな?と思うので、

    サンユッタでも相応の意味になると思います

    、、、で、

    そう、サンユッタ・ニカーヤ!
    日本訳では、『相応部』経典 📖

    ちなみに、パーリ仏典の経蔵には五つのニカーヤ(部)があります。

    『長部経典』・・・分量的に長い経典の集成。

    『中部経典』・・・中ぐらいの長さをもつ経の集成。

    『相応部経典』・・・内容、主題によって分類し、結合(サンユッタ、相応)させた経典の集成。

    『増支部経典』・・・内容にでてくる法の数によって分類した経典の集成。

    『小部経典』・・・小さな部、雑多な部を意味し、先の4部(ニカーヤ)に入ってない経典の集成。

    (※『パーリ仏典入門』片山一良先生、大法輪閣を参照しました。)


    サンユッタ、は、くっついた、って考えたら、覚えやすいなー、と、
    おバカ気味なことを考えてしまいました@(・●・)@

    というわけで、「相応」という単語は、くっついたイメージですね。

    今まで読んでいても漠然と読み流していたものを、一つ一つ理解していくのはおもしろいです♪

  • >>2669

    こんにちは!

    >分析の章での、お決まりの分別形式は、『 ・ 倶 ・ 相応 ・ 行 』です。<

    投稿した後に、相応は、化合に近いかも〜❗️って思いましたよ😊

    相応は、パーリ語で「サンパユッタ」で結びついているという意味。

    で、今勉強中の、心の分別での表記は、
    【〈心の中身(心所)〉相応】という使われ方をしていて、
    解説書などでは、【その心所が溶けている状態】的な解説がなされてます。

    そこでひらめきましたよ👀(大げさ)

    中学の科学などで学習する、
    「二酸化炭素」や
    「酸化鉄」の、真ん中にある【化】って文字は、化合(2種類以上の物質が結びつく変化)を表してると思うのですが、

    【相応】も似た作用イメージに思ってもいいんじゃなあかな、って。
    (厳密に言えば、否定されるかもしれません。心の働きに心所が溶けているということで、対等のものが結びついているというよりは、やはり、機能に溶けているという表現の方がぴったりかもしれませんが、中学の科学用語とイメージ的に近似したと思うことが嬉しくて、とりあえずこのまま進めます。)

    そう思うと、私には、さらにわかりやすくなりました。

    〈心所〉相応、は、〈心所〉化合、のイメージで、出来上がる心は、その化合心♡

    例えば、
    『智相応』は、智慧化合心💖

    ああ、楽しい。。。

    けど、間違えた考え方してたらすみません!

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  • >>2668

    > 分解例①
    >
    > 【喜倶見相応無行】

    pipitの頭の中での上記の場合の用語解説

    倶・・・共にある

    相応・・・一対として結びついている

    行・・・充電必要度


    心の分析の章での、お決まりの分別形式は、
    『 ・ 倶 ・ 相応 ・ 行 』
    です。

    ちなみに、
    倶には、感覚が対応して、
    相応には、心に溶けている心の中身(専門用語で心所)が対応して、
    行には、有無(有が必要で、無が不要)が対応します。

    つまり、

    『(感覚)と共にある・(ある心所)が結びついている・(不要か必要か)充電必要度』ということであり、

    分解例①の、
    【喜倶見相応無行】
    は、
    【喜びと共にある、見解と結びついている、充電の必要が無い(さっと行動できる)】心♡
    という意味ですね。

    多分〜〜〜。

    どうして、このように考えたかを次の非表示投稿内にのせます。(非表示にするのは、その方がスッキリすると思ったからです。)

  • >>2667

    分解例①

    【喜倶見相応無行】


    とりあえずお題載せてみました。
    勉強の続きはまた今度〜o(^▽^;)o

    🙈

  • >>2666

    心の分析、を中1で習う『身の回りの物質とその性質』になぞらえて考え、

    心所(心の中身)の分析、を中2で習う『原子・分子・化学式』になぞらえて考えたら、(すみません、中2で原子も周期表も学習するみたいです)

    アビダンマの伝統的訳語【喜倶見相応無行・心】とかの言葉も面白く感じるようになりました!

    だって、化学でも、

    酸化鉄、っていう言葉で、酸素と鉄が化合した物質、ということが分かるように、

    アビダンマで使う言葉も、みただけで、性質がわかるようになってるのかも!って思ったから。


    というわけで、しばし、伝統的訳語を分解してみます!

  • >>2665

    >このように、心の分析(カテゴリー分け)の章のあとに、心の中身の分析が続きます。

    このことを何かに例えれないかな、と、考えて苦しみながら(^_^;)思いついたのが、

    中1の科学で習う『身のまわりの物質とその性質』で、物質のカテゴリー分けをして、
    その後、中3の科学で習う『化学式と化学反応式』で、個別の原子のことや、結びつきについてをそれぞれに知る、
    みたいなかんじかな〜という例えです。

    今は、物質を、ざっくり区別する仕方を学習するように、
    心というものをざっくり、特徴により、仕分ける方法を勉強してるのかなと思いました。

    ちなみに、中1で習う物質の区分けの内容は、金属と金属でないもの、に分けたり、その金属内で密度などで鉄と金と銅に分けたり、
    液体・気体・固体に分けたり、みたいです。

    これらを頭に入れた後、

    中3で、原子や分子について、学習するみたいですね。

    というわけで、もう少し、心のカテゴリー分けをがんばってみよ〜o(^▽^)o

  • >>2662

    欲(貪り)の心なのに、『不苦不楽』の感覚って、納得しづらいなぁ、と思って、参考本をちゃんと読んでみました。

    不苦不楽の意味は、「まあまあ冷静」ってことかな、って思いました。

    『貪り』も、文字通りの貪りというよりは、「受け入れる」みたいな意味みたいです。


    対象を受け入れるのが、貪(むさぼり)
    対象を拒否するのが、瞋(いかり)

    ってかんじかなと今の所思いました。

    それで、この「受け入れる」(貪)とともにある心を8種類に分別してるってことですね。

    このように、心の分析(カテゴリー分け)の章のあとに、心の中身の分析が続きます。



    > 【ヘタな心(不善心)】
    > 欲界の心とは何か?(総計54種類)
    > 《貪りとともにある心》(8種類)
    > ①ウキウキで、誤った見解のもと、さっと行動する心。(喜倶悪見相応無行)
    > ②ウキウキで、誤った見解のもと、ノロノロと行動する心。(喜倶悪見相応有行)
    > ③ウキウキで、誤った見解からは離れてて、さっと行動する心。(喜倶悪見不相応無行)
    > ④ウキウキで、誤った見解からは離れてて、ノロノロと行動する心。(喜倶悪見不相応有行)
    > ⑤不苦不楽で、誤った見解のもと、さっと行動する心。(捨倶悪見相応無行)
    > ⑥不苦不楽で、誤った見解のもと、ノロノロと行動する心。(捨倶悪見相応有行)
    > ⑦不苦不楽で、誤った見解からは離れてて、さっと行動する心。(捨倶悪見不相応無行)
    > ⑧不苦不楽で、誤った見解からは離れてて、ノロノロと行動する心。(捨倶悪見不相応有行)

  • >>2663

    >(『ブッダの実践心理学』p60〜73

    すみません、『第2巻』です。

    眠たくて、ボケボケです。

    みなさまおやすみなさい🌝

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