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  • 3509(最新)

    san***** 11月11日 21:28

    >>3508

    >この世に居ながら仏の境地に達すれば、輪廻転生から解放され永久に安らぎの境地に居られる。。。。

    何度も生まれ変わっていて、もういい加減に娑婆世界から解放されたい。と、思う人がいるのでしょうか?

    前世の記憶さえ無いのに、その願望を認識できる人は居るのでしょうか?  <

    苦しみからの解放が、仏陀の教えです。前世と今世では脳が違うから頭でいくら考えても記憶にはないのが普通でしょうね。  娑婆世界は無常ですが、娑婆世界に生じていることは、仏道を実践できます。 ありがたい修行道場ですね。

    >釈尊は遥か昔から遥か未来にまで居る方。

    生きながら仏の境地に達して居られ、あの世とこの世の別の無い方。

    人類史上たったお一人のお方なのかも知れませんね?  <

    お釈迦様の御慈悲を自分の慈悲となし、お釈迦様の御行為を自分の行為として娑婆世界で実践に努めれば、人間的な面を有しながら、身は娑婆世界にあっても、精神はお釈迦様と一体。 日蓮聖人は、お題目でお釈迦様の生命と一つになる事で、受持成仏が叶うとされました。

    『今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。 これ己心の三千具足、三種の世間成り。』  日蓮聖人の御書の中で最重要とされている文です。

    お釈迦様の生命の中で生きる私たちは、本来お釈迦様の浄土の中に在るはずです。(本時の娑婆世界は浄土)
    またお釈迦様の生命の中で生きている私たちは、お釈迦様の永遠の生命の一部であり、本来はお釈迦様と同体であるはずです。(所化以て同体) しかしそれを事実化していないのが、私たちの現状です。 それをお題目で事実化するところに、「事の一念三千」があるといわれています。 理屈っぽくなりましたが、「如来寿量品」で「事の一念三千」が示されたことにより、初めて私達に成仏への道が開かれたという事です。 それも凡身のままでの成仏といわれています。
    南無妙法蓮華経

  • この世に居ながら仏の境地に達すれば、輪廻転生から解放され永久に安らぎの境地に居られる。。。。

    何度も生まれ変わっていて、もういい加減に娑婆世界から解放されたい。と、思う人がいるのでしょうか?

    前世の記憶さえ無いのに、その願望を認識できる人は居るのでしょうか?

    釈尊は遥か昔から遥か未来にまで居る方。

    生きながら仏の境地に達して居られ、あの世とこの世の別の無い方。

    人類史上たったお一人のお方なのかも知れませんね?

  • >>3506

    >仏教って二度と人間に生まれ変わらないことを
    目標にしてるって聞いたのですけど
    本当ですか

    久遠から六道の迷いの世界を輪廻していて、今は人間界で生活している。 六道世界より、さらなる上を目指すため、六道からの解脱を目指すのが仏教だとされます。 この娑婆世界だけが、業を修める、為の修業道場なのでしょうね。

    合掌

  • 仏教って二度と人間に生まれ変わらないことを
    目標にしてるって聞いたのですけど
    本当ですか

  • >>3503

    >Saddahrma-pundarika-sutra サッダールマ・プリンダリーカ・スートラ=白蓮華のように最も勝れた正しい教え
    =「妙法蓮華経」

    ではないのですか??  <

    もちろん仰るとおり、 鳩摩羅什が漢語に訳したのが妙法蓮華経です。  日蓮は開目抄で南無妙法蓮華経を説明しています。

    「薩とは具足の義に名く」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法に六を以て具足の義と為すなり」等云云、吉蔵の疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」等云云、天台の玄義の八に云く「薩とは梵語此に妙と翻ずるなり」等云云、付法蔵の第十三真言華厳諸宗の元祖本地は法雲自在王如来迹に竜猛菩薩初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「曩謨三曼陀没駄南[帰命普仏陀]・[三身如来]阿阿暗悪[開示悟入]薩縛勃陀[一切仏]枳攘[知]娑乞蒭毘耶[見]・・曩三娑縛[如虚空性]羅乞叉・[離塵相也] 薩哩達磨[正法]浮陀哩迦[白蓮華]蘇駄覧[経]惹[入]吽[遍]鑁[住]発[歓喜]縛日羅[堅固]乞叉・ [擁護]吽[空無相無願]沙婆訶[決定成就]」此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは正なり正は妙なり妙は正なり正法華妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、妙とは具足六とは六度万行、諸の菩薩の六度万行を具足するやうをきかんとをもう、具とは十界互具足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり、此の経 一部八巻二十八品六万九千三百八十四字一一に皆妙の一字を備えて三十二相八十種好の仏陀なり


    合掌

  • >>3502

    「妙法蓮華経」はサンスクリット語原典には無いと思います。

    釈尊が唱えた6文字ではないと思います。鳩摩羅什が漢字にしたのでは??

    Saddahrma-pundarika-sutra サッダールマ・プリンダリーカ・スートラ=白蓮華のように最も勝れた正しい教え
    =「妙法蓮華経」

    ではないのですか??

  • >>3501

    >人が笑っちゃうようなこと言って、、、、、ふざけてるんだよね?

    そのように思われるのは心外です。  名称にはそのものの実体(本質)に到達できる徳が必ず備わっている。
    「名は体を表す」という言葉がありますが、題目というタイトルにはそのものの総体、実態、本質などにそれにかかわる一切が備わっている。 
    「アメリカ」という文字を目にすると、私たちはあの国の政治、経済、大統領の顔、国際社会への影響力、軍事大国、文化、歴史、国民性、気候、風土、地図の形、代表的な都市名・・・・等アメリカに関する様々な事柄を思い浮かべる。 「アメリカ」という音声を耳にしたときも同じです。  このことは、「アメリカ」という国名の中にア、メ、リ、カの全てが備わっている事を意味する。  「石原裕次郎」という五文字の中に裕次郎の容姿、人柄、歌声、ヒット曲、映画のタイトル、演技など、裕次郎に関する様々な事柄を連想する。この場合も同じです。

    一つの御経の肝心(肝要)はその御経のタイトルである題目中に込められている。 法華経を実践できていない人は
    妙法蓮華経の五文字を単なる経典の名だと思っているけれど、とんでもない誤りです。  「妙法蓮華経」の五文字は単なる文(ことば)でなく、単なる義(教理)でもなく、法華経全体の心髄(神髄たましい)です。

    南無妙法蓮華経

  • >>3497

    人が笑っちゃうようなこと言って、、、、、ふざけてるんだよね?


    > 末法の時代を救うために、お釈迦様は一つの仙薬をとどめ置きくだされた。 その仙薬とは「妙法蓮華経」という五文字の題目です。
    >
    > 「末法の時のために教主釈尊多宝如来十方分身の諸仏を集めさせ給うて一の仙
    > 薬をとどめ給へり所謂妙法蓮華経の五の文字なり」(妙法曼陀羅供養事)
    >
    > 南無妙法蓮華経

  • >>3499

    >私は法華経を信仰する会に入っています。

    大慈会教団といます。

    以前会長先生だった方にはお世話になりました。

    その方は、持病のある者に対し、お経上げれば治ちゃうよ、とおしゃいました。  <

    病気も気の病ですから心の持ち方で、ある程度の効果はあるでしょうが、持病が何でも治ってしまうのなら医者はいらないですね。 こういうことをいう教祖は、信じる値しないでしょう。

    南無妙法蓮華経

  • はじめまして。

    私は法華経を信仰する会に入っています。

    大慈会教団といます。

    以前会長先生だった方にはお世話になりました。

    その方は、持病のある者に対し、お経上げれば治ちゃうよ、とおしゃいました。

    「こうすればこうなるよ」「だからこうしろ」

    と言うのを飲み込むのは難しいです。

    これはお釈迦様の教えではないと思うのです。

    むしろ、お釈迦様はソレをお嫌いになると思います。

    こう言った教えを拡める為に、日夜「お導き」に励むよう言われています。

    宗教はお呪いではない。

    また、無責任に人にコレを布教するのも罪悪感を覚えるのでは無いでしょうか?

    法華経の白い花を白くするのはどうすればいいでしょう?

    一生涯の疑問に成りそうです。

  • >>3497

    > 末法の時代を救うために、お釈迦様は一つの仙薬をとどめ置きくだされた。 その仙薬とは「妙法蓮華経」という五文字の題目です。
    >
    > 「末法の時のために教主釈尊多宝如来十方分身の諸仏を集めさせ給うて一の仙
    > 薬をとどめ給へり所謂妙法蓮華経の五の文字なり」(妙法曼陀羅供養事)




    出鱈目言うな。

  • >>3491

    末法の時代を救うために、お釈迦様は一つの仙薬をとどめ置きくだされた。 その仙薬とは「妙法蓮華経」という五文字の題目です。

    「末法の時のために教主釈尊多宝如来十方分身の諸仏を集めさせ給うて一の仙
    薬をとどめ給へり所謂妙法蓮華経の五の文字なり」(妙法曼陀羅供養事)

    南無妙法蓮華経

  • >>3495

    > 〇アビダルマに神は甦らない○
    >
    > 上座仏教すなわちアビダルマは、分析された法が主体であるから、世界が彼らの分析された法
    > という狭い世界(小乗)に止まり、一神教の絶対者を認めず、キリスト教などの批判が激しい。
    >
    > アビダルマの無我は、無我にもかかわらず、法の有の執着で、無我が有我となって我で、世界を、
    > 引き抜いたり、除外したり、選択してしまうのである。
    > そういう、大乗仏教やキリスト教や神道を除外して、自分の小さな乗り物(小乗)に執着してしまう。
    >
    > ところで、「空の論理」は、因果関係を矛盾として一切を否定することによって、否定が否定の意味を
    > 失い、否定と肯定の分別が意味を失い、一切を肯定する空へと甦るのである。
    >
    > 世界をあるがままに、引き抜いたり、除外したり、選択したりすることなしに、肯定する世界が開ける
    > のである。キリスト教の神もあるがままに、多神教のあるがままに肯定できる大きな乗り物(大乗)が
    > 開けてくるのである。
    >
    > 上座部にもキリスト教の神はないが、大乗の空は、否定の果てに、論理的に神は甦るのである。




    アフォたれ。

  • >>3491

    >これが理解できないカズマは自我に陥り真我が理解できないから行為という事を重んじない外道宗教。



    目くそ鼻くそが

  • >>3488

    >インド社会の善因楽果、悪因苦果という「過去の業による輪廻転生説」に毒され
    てしまった仏弟子たちが、無我なのに何が輪廻転生するのか、などという虚妄なる命題に
    取り組み、とんでもない修行論を作り出し、誰も成仏できないことになってしまった。
    それを差別と平等にまとめれば。

    釈尊―――差別と平等の対立の超越(不二中道)
    仏弟子――過去の業による人の差別

    ということになってしまった。
    これを、釈尊の釈尊の「対立の超越」に戻したのが龍樹であったが、唯識などの輪廻転生を
    引きずる大乗にあっては「業のよる差別」を残してしまった。この振れを再び釈尊の「対立
    の超越」に戻したのが、華厳や法華経・涅槃経の「一仏乗」である。<

    善因楽果、悪因苦果は、善悪の行為を重んじる仏教においては、大乗も小乗もない同じだよ。 だれもが成仏できないとするような教えは大乗にだってないよ。今度は、唯識も完全否定かよ(笑う  無我だろうが、目に見えない執着した善悪の行為が心意識に焼き付き輪廻する。 カズマのは生前に善業する者も悪業をするものも誰もが同じそのような教えは仏法にはないのよ。   今を無心に生きるときれいごとを並べてもだめよ。 無心なんて、寝ているときとか、ボケーと景色を見ているときとか、題目を唱えているときとか座禅しているときぐらいだろうね。 
    過去の業による人の差別ではないのよ、自ら周囲の者に、真実を知らせる為に自らハンデの体を背負って生じてくる菩薩もいるのよ。あるいは、仏の使いとして生じてくる菩薩もいる。 どのような世界にどのような形で生まれようとそこから、善の行為を心掛ける、これなくして仏法はない。

    これが理解できないカズマは自我に陥り真我が理解できないから行為という事を重んじない外道宗教。

    南無妙法蓮華経」

  • >>3485

    >禅でいう「善い行い」とは、「今を無心に生きる」ということなのである。
    道元的に言うならば「有時の而今」を生きるということである。

    そして、私たちは三時業の輪廻からこの世に生まれてきたのであり、三時業も「有時の而今」
    に含まれているということである。過去の三時業を背負って生きるが、その輪廻の生存も
    この世限りである。「生死の命」まっとうしたら「仏の御いのち」に帰って行く。<

    三時業の輪廻からこの世に生まれてきたのだろ。いくら禅宗の坊さんが、今を無心に生きるといっても、それを全うした人は誰かいるのかよ。 人だよ、まして末法に出でた僧侶、煩悩を滅した人はいるの?
    善悪の心は有る。 善悪の行為もある。とうぜん善悪の行為による因が後生の果となって生じる。 

    南無妙法蓮華経

  • >>3485

    >禅天魔と、禅を排除しようとする狭い心の小さな乗り物の方々も、



    アフォたれ。

  • >>3483

    >我々の人智をもって計り知ることができない、また転ずることのできない定業も、南無妙法蓮華経のお題目に縁すれば心の病は滅し母が瀕死の危篤状態に陥った時に法華経で祈ったら元気になりさらに四年間母の寿命が延びた。
    これは信仰しているものだけが頂ける喜び。




    たまたまだ、アフォたれ。
    それは、何に祈ろうと同じ事だわ。

  • >>3481

    「過去の因を見んと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を見んと欲せば、現在の因を見よ。」(心地観経)
    持って生じてきたのが善業ならばよいが、悪業の罪障消滅を図らないまま、さらに現世で重ねて罪を造る、当然苦しみの世界に生じる。仏法は道理。


    ※ 涅槃経に、転重軽受という法門あり。先業の重き、今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候へば、地獄の苦しみぱっときへて  余の種種の人間の苦報、現世に軽く受くるは、斯れ護法の功徳力に由る故なり  

    受けなくてはならない業苦も軽くすむ。 お題目に縁をし懺悔罪障消滅により、業苦が薄くなり大難が少難、少難は無難に変わってきて、自分の思いどおりに事が運ぶことが多くなる。 


    ※ 夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、業に二あり一には定業二には不定業・定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや、法華経第七に云く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云々、(略)仏滅後一千五百余年・陳臣と申す人ありき命知命にありと申して五十年に定まりて候いしが天台大師に値いて十五年の命を宣べて六十五までをはしき、其の上不軽菩薩は更増寿命ととかれて法華経を信じて定業をのべ給いき(略)されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり


    我々の人智をもって計り知ることができない、また転ずることのできない定業も、南無妙法蓮華経のお題目に縁すれば心の病は滅し母が瀕死の危篤状態に陥った時に法華経で祈ったら元気になりさらに四年間母の寿命が延びた。
    これは信仰しているものだけが頂ける喜び。
    南無妙法蓮華経

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