ここから本文です
  • <<
  • 111 75
  • >>
  • >>105

    )いいから、どいてろ!(


    意味不明?!

    喜捨する気だけは無さそうやな!!

  • >>102

    )意味不明(


    (①タイミソはんの経済状態と最終結論)
     現在のアルバイト・月額・5万円は、70歳までしかできん、そう。
     それ以降は、年金だけの生活をせざるを得んけど、年金が少なすぎて、それだけでは、生活はできんとのこと。
     対策としては、第一に、夫婦で、車ごと、海に飛び込んで自殺する。
     第二に、車とパソコンを処分し、切り詰めた生活をすれば、なんとか生活できる可能性もある。
     最終結論として、タイミソハン、後者を選んで、車とパソコンの処分をしたので、二度と、掲示板には出てコウヘン訳。

    (②利他行の大好きなミ~ンナの対応)
     ここは、サンネを始め、「利他行」に最高の価値を置く奴が多いから、タイミソハンに喜捨するよう勧めたけど、ダ~ンレも、一銭も、喜捨する奴、オㇻナンダ訳。
     (以上、タイミソハン、多分、まだ生きてハルから、)代わりに、アンタ、喜捨せエヘンケ?!

    (③自民党支持者として、アベチャンの「美しい日本」を実現するため、自民党とアベチャンの万歳三唱して、夫婦でドボンする方法。
     私といたしましては、自民党の信奉者・タイミソハンには、「美しい日本」を実現するため、夫婦でドボンする方法を進めたんやけど……。
     マ、残念やった。

  • >>99

     タイミソはん、夫婦で、年金月額・6万円×2=12万円やそうで、

     飯、食えヘンから、車とパソコン売って、生活費に充てるそうで、もう出て来ハラヘンデッ!

     なお、くれぐれも、自民党と阿部ちゃん万歳、言うんか思たら、ナ~ンモ、言わんと消えハッタ。

     僕ちゃんとしては、夫婦で美しく、タイミソハンの持論どおり、「自民党と阿部ちゃんの万歳三唱」してから、「夫婦でドボン!」を勧めたんやけど、何とかして、生き延びること選びハッタワッ。
     ホヤから、まだ生きてハルはずヤカラ、貧しい・貧しい黙々も含めて、喜捨しハッタら?!

  • たいみそさん、おはようございます^^

    通称モグラです^^

    お元気でしたか?

    私も今回トピを立てていて、
    「宗教自習部屋」と言いますが^^
    気が向いたら訪問してくださると幸いです^^

  • まぐまぐ  「66才からの正法眼蔵」 に 登録してください^^

     まあ そのままでも 読めますけど

     まあ すぐに ここへも いれますけど(^_________^)::


  • むかし五通仙人、ほとけに事奉せしとき、仙人とふ、
    佛有六神通、我有五神通、如何是那一通
    (佛に六通あり、我れに五通あり、如何ならんか是れ那一通)。
    ほとけ、ときに仙人を召していふ、
    五通仙人。
    仙人應諾す。
    佛言、
    那一通、爾問我。
    この因、よくよく參究すべし。仙人いかでか佛に有六通としる。
    佛有無量神通智慧なり、ただ六通のみにあらず。
    たとひ六通のみをみるといふとも、六通もきはむべきにあらず、
    いはんやその餘の神通におきて、いかでかゆめにもみん。
    しばらくとふ、仙人たとひ釈迦老子をみるといふとも、見佛すやいまだしや、といふべし。
    たとひ釈迦老子をみることをえ、たとひ見佛すといふとも、
    五神通仙人をみるやいまだしや、と問著すべきなり。
    この問處に用葛藤を學すべし、葛藤斷を學すべし。
    いはんや佛有六通、しばらく隣珍を算數するにおよばざるか。
    いま釈迦老子道の那一通、爾問我のこころ、いかん。
    仙人に那一通ありといはず、仙人になしといはず。
    那一通の通塞はたとひとくとも、仙人いかでか那一通を通ぜん。
    いかんとなれば、仙人に五通あれど、佛有六通のなかの五通にあらず。
    仙人通はたとひ佛通の所通に通破となるとも、仙通いかでか佛通を通ずることをえん。
    もし仙人、佛の一通をも通ずることあらば、この通より佛を通ずべきなり。
    仙人をみるに佛通に相似せるあり、佛儀をみるに仙通に相似せることあるは、
    佛儀なりといへども、佛神通にあらずとしるべきなり。
    通ぜざれば、五通みな佛とおなじからざるなり。
    たちまちに那一通をとふ、なにの用かある、となり。
    釈迦老子のこころは、一通をもとふべし、となり。
    那一通をとひ、那一通をとふべし、一通も仙人はおよぶところなし、となり。
    しかあれば、佛神通と餘者通とは、神通の名字おなじといへども、
    神通の名字はるかに殊異なり。
    *****
    まずは六神通の六つは、天耳、天眼、宿命、神足、他心、漏尽。
    てんじ てんげん しゅくめい じんそく たしん ろじん。
    だいたいの意味は想像してください^^;;
    あとで説明します。
    *****
    むかし五通仙人(五つの神通を使える仙人。どの五つかは想像にまかせます)
    がほとけさまにお仕えしていた時。
    仙人が問うた。
    「ほとけさまは六神通に通達しています。
    わたしは五神通を持っています。
    そのわたくしが持っていない神通とはどういうものでしょうか?」
    ほとけは仙人に答えた。
    「五通仙人よ」
    仙人は「はい」と答える。
    ほとけさまが言います。
    「その一通、なんじがわれに問うとは」
    このはなしをよく研究し、学ぶべきである。
    仙人はどうしてほとけさまに六神通があると知ってるのか。
    ほとけさまは無量の神通知恵を持っている。
    ただ六神通だけとは限らない。

    たとえその六神通を究めようとしても、なかなかできるものではない。
    その他の神通に関しては、夢にも見たことがないであろう。

    いま考えてみてみよ。
    仙人が釈尊を見るとはいっても、ほとけさまの真実を見たことはないと言うべきだろう。
    (見佛とは自己の真実を見ること、である。
     ほとけを見る力量があれば、ほとけを知る力量もあると
     考えられるのかも!!)
    たとえ、自己の真実がわかっても(見佛)
    ほとけさまを見ることはなかなか難しい。
    たとえ釈尊を見ることができて、ほとけさまの真実に到達できても、
    五通仙人が自己の本質を理解できているかはあやしい。
    このわからないということにこだわりを持ち、学ばねばならない。
    (葛藤とはつたかずらがまきつくことであって、いわゆる人間の葛藤とかいうものではない。
     つたかずらがからだに巻きつくように、真実の自己にこだわることを言う。
     いい意味でも使い、わるい意味でも使う)
    そしてこのわからないということにこだわることから離れねばならない。
    五通仙人がほとけの六神通を考えているのは、
    まるで隣の金持ちが持つ財産のことを数えるようなもので、
    まるで益がない。(無益)

    釈尊が言った「その一通、なんじがわれに問うとは」のことばの意味は、
    仙人にその一通があると言ってはいないし、その一通がないとも言っていない。
    その一通については説明できるかどうかはわからないが、
    仙人がその一通に通達できるはずはない。
    どうしてかと言えば、仙人が五通を持っているといっても、
    ほとけさまの六神通とはまるで違う五通なのだ。

    *****
    ‎2014‎年‎10‎月‎13‎日 ‎月曜日
    本来は10日までに終えるつもりでしたが、まだ半分程度~~
    時の過ぎるのは早いものです~~
    *****
    仙人の神通がほとけにはまるわかりでも、仏様の神通は仙人にはチンプンカンプンなのだ。
    もし仙人がほとけさまの神通のひとつでもわかることがあれば、
    他の五つの神通にも到達できるだろう。
    仙人がほとけさまの神通のようなものを持ち、ほとけさまの威容のようなものを
    見せたとしても、それはほとけさまのような威容であって仏様の威容でもなければ、
    佛神通にも通じていないのだ。
    だから仙人が言った「そのもうひとつの神通」とは言うものの、
    仙人の持つ五神通はほとけさまの神通とは似てもいないのだ。
    仙人が「そのわたしの持っていない一通」と問うのは、いったいなんだと。
    釈尊のおこころでは、仙人は一通をまず問うことだと!!
    ひとつを問い、ひとつを問いかけて、そのひとつでさえ仙人が及ぶところでは
    ないことを知るべきだと。
    要するに(とかなり長い説明ですが、道元さまは懇切丁寧に説明されます)
    佛神通と他のものの言う神通とは、神通という名前は同じでも
    内容ははるかに異なると


  • 大乗仏教 小乗仏教 2014・10・6 月曜日
    仏教については独立して書かなければならない内容です。
    独立して書く予定ですが、ここはざっと。
    仏教の始祖は釈尊、名前はシッダルタ。
    小さな国の王子様で、こどもができてからなのか、できなかったのか不明ですが、
    30才以前に王国と妻を捨てて、出家。
    いろんな宗派の師匠のもとで修行するも、彼自身の解決には至らず。
    ついに6年間の荒野あるいは山野の中での苦行をして、
    それでも解決できずに、川のほとりで穏やかな坐禅をしている時に覚醒。
    以後、80歳の亡くなる年まで各地で教えを説く。

    その死後、おおよそ(大凡)紀元前4世紀に弟子たちが結集して仏教(ほとけの教え)を広めていく。
    紀元前後まではシッダルタの教えのとおり、長いものではなくて
    たいていが5分以内でおさまる説法を(数十秒のも多くある)
    記録していき、これが母体となって阿含経ができる。
    短いものを集めたもので、雑阿含経が主体と思われる。
    (ぞう あごんきょう)
    それから以降、だんだんと長いものが作られていき、
    般若教典を皮切りにして、
    大乗経典と言われる大部なあるいは超大部なものが続々と作られていく。

    小乗仏教は主に、インド洋に面する国で盛んとなり、
    大乗仏教はインドから北西のイランあたりへ行き、そこからターンして中国へ伝えられ、
    日本において完成する。
    完成したものが正法眼蔵と言っていい。

    小乗仏典にはおよそ摩訶不思議なことは書かれていない。
    いわゆるふつうの生活の悲しみ、苦しみ、喜びが中心であるし、
    もちろん須弥山などというようなもの世界観、宇宙観も出てこない。
    日々の生活が中心である。
    大乗仏典になると、仏陀は超人的な存在となってあらゆる場所に同時に出現したりするようになる。
    空は飛ぶ、他人の心はわかる。それこそ身体から水でも火でも出し放題。
    東大寺の大仏殿で見るような大仏さんはふつうになって、それこそ宇宙大の仏様となってしまう。
    これをビルシャナ仏といい、他にも阿弥陀仏ほか多数、超多数のほとけさまが想像され、創造される。

    そして大乗というのは大きな乗り物、小乗というのは小さな乗り物として
    大乗を学ぶ者たちは呼ぶようになるが、もちろん小乗系の人たちが自分で小乗というわけもない。
    いわゆる部派仏教と呼ばれます。
    大乗仏教が数十数百の系統に分かれていくように小乗系も数十の部派に分かれていました。
    で最近の学説によると、大乗仏教教団はインドには5世紀あたりまで存在しなかった。
    小乗を学ぶ者たちが大乗仏教をつくり、学んでいったと言われています。
    小乗のお寺で小乗および大乗仏教が学ばれたわけです。
    それは趣味(このみ、と傾向)によるとしか言いようのないものでしょう。

    20年ほど前までは、大乗仏教教団も小乗仏教教団もインドに同時に存在していたとされていましたが、
    現在は小乗仏教教団が大乗仏教を産みだし、育てていったとなっています。
    また大乗は大きな乗り物=マハー・ヤーナと言われますし。小乗は小さな乗り物=ヒーナ・ヤーナと言われます。
    20年以上前の仏教の解説では大乗はたくさんの人が乗れる=救われる教え。
    小乗はひとりだけが乗れる=救われる教えと書いている書も多かった。
    ひどいのになると、大乗は豪華客船、小乗は一人乗りのボート。
    そんなわけはありません。古代インドに豪華客船はありません^^
    もちろんすでにその頃には、ギリシャあたりとの通商もあったので数十人乗る船は存在しましたが、
    今のような豪華客船があるはずもなく!!
    大乗は古代インドではせいぜい10人以下が乗ることができる荷車。
    小乗は一人で乗る荷車程度の差でしかありませんでした。
    それがだんだんと拡大されて、大乗は大きな船。小乗は一人乗りのボートということになったようです。
    で、その大乗仏教経典!!
    ともに小乗仏典が大陸中国に入ってきたのが世紀前後。
    (というと漢の時代。漢の初祖もそうですが、秦の始皇帝も漢民族ではありません。
     漢民族というのは、漢の時代どころか秦の時代からすでに存在しませんでした。
     簡単に言えば、秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清および中華民国・中華人民共和国、
     すべてが漢民族ではありません。
     単に漢字が共通文字であるだけで漢民族と言われるだけ)
    同時に入ってきたので、どれもこれも釈尊のお言葉と思ったのも仕方ない。
    片や壮大!! 片やこじんまり!!
    厖大な大乗経典と同時に、大乗経典ほどの分量ではないが大概分量のある小乗教典。
    大乗経典も右翼から左翼まで幅広く入ってくるので
    (右翼左翼は形容詞みたいなものです)
    わけわからなくなったというのが本当のところらしい。
    全部を説教するだなんて、本当に超人ですから!!
    現代の多作家を何十人も集めたような分量!!
    それをなんとかかんとか整理整頓したのが隋の時代の智顗天台大師(ちぎ てんだいだいし)
    その内容はまたにして、道元さまも大乗仏典と小乗仏典には困ったと思います。
    道元さまは異例に小乗仏典も大事にされた方ですが、
    親鸞さんや日蓮さんは小乗仏典には言及していません。
    日本のほとんどの祖師方は小乗仏典には興味を示さなかったようです。
    大乗仏典には人間としては不可能のこと。場所や背景もまた不自然なことが大量に出てきます。
    そこで道元さまは神通とか他心通とかをお書きになったのではないかと。
    人間には不可能なことがたくさんあります。
    その不可能なことができるといううそつき坊主もたくさんいたことでしょう。
    そういうことに反対する意味でもお書きになった。
    さとりに関しても、そういう意味では実に現実的な教え方をされています。
    そのうちにさとりに関するはなしも出てきますので、
    お楽しみに。

    でこの訳しにくいと書いた神通の部分は道元さまも大乗仏教としての解釈を書いたまでで、
    ぼくらには到底、わけわからんのが本当のところだと思います。
    ただ、現代人もそういう壮大な観察眼も又、必要とは思う!!

  • なかなか 終わらん~~
    前途 遼遠

    *********

    ******
    佛道に身上身下の神變神通あり。いま盡十方界は、沙門一隻の眞實體なり。
    (しゃもん いっしゃく)
    九山八海、乃至性海、薩婆若海水、しかしながら身上・身下・身中の出水なり。
    (くせん はっかい ないし しょうかい さば にゃ かいすい)
    又非身上・非身下・非身中の出水なり。
    乃至出火もまたかくのごとし。
    ただ水火風等のみにあらず、身上出佛なり、身下出佛なり。
    身上出祖なり、身下出祖なり。
    身上出無量阿僧祇劫なり、身下出無量阿僧祇劫なり。
    (しんじょう すい むりょう あそうぎこう)
    身上出法界海なり、身上入法界海なるのみにあらず、さらに世界國土を吐却七八箇し、
    (つうきゃ しちはっこ)
    呑却兩三箇せんことも、またかくのごとし。
    いま四大・五大・六大・諸大・無量大、おなじく出なり沒なる神通なり。
    呑なり吐なる神通なり。いまの大地虚空の面面なる、呑却なり、吐却なり。
    芥に轉ぜらるるを力量とせり、毛にかかれるを力量とせり。
    識知のおよばざるより同生して、識知のおよばざるを住持し、識知のおよばざるに實歸す。
    まことに短長にかかはれざる佛神通の變相、ひとへに測量を擧して擬するのみならんや。
    (へんそう しきりょう こして)
    *****
    実はここで訳せなくなりました~~;;
    やや理解できない文章だらけ~~;;


    ここの文章にひっかかっていますので、ひっかかりつつ訳し、解説も混入していきます。
    ***
    仏道には不可思議な神通があって、からだから火を出したり、水を出したりする。
    今この世界という存在は、仏道修行者の真実のからだだけであると言ってもいい。
    九山八海、(古代インド人が抱いていた世界観。中央に須弥山があって、その周りが海。
    そしてその周りが山脈。それが交代々々に周囲をめぐらして、
    大海に出る。この須弥山を含む海および山脈を大きく囲む海の中に
    大陸が東西南北に4つあって、南にあるのが閻浮提ーえんぶだいーというわれらが住む大陸。
    あとの3つは知らん!!
    この大海の果てには大きな壁とも言う山脈があって、その外は虚空。
    虚空の中にこの須弥山世界が浮かんでいるようです。
    須弥山の下には巨大な下部構造があって、そこが何段階にもなっているいろんな地獄。
    ともかく須弥山大世界は虚空に浮かんでいる。
    その虚空の他には、もちろん他の大世界があって、阿弥陀さまがいる世界も
    (あみださま 南無阿弥陀仏の あみださま)
    須弥山のような形で存在しているようです。
    で、阿弥陀さまの世界のようなものが、数千数億数十億と存在しているというのが
    仏教の世界観、宇宙観のようです。
    考えてみれば、今の宇宙もそういう形に近いのは以前に紹介しました。
    ともかく広い)
    乃至、性海、(仏性海の略で仏性の意味が複雑怪奇ですが、
    仏性は海のように広い意味を持っている。
    あるいは大いなるものが仏性というような意味で、
    そのうちに「仏性」という章があるので
    なんとかわかるかも??)
    薩婆若海水(さばにゃかいすい  一切の智海で仏性海と同じ意味でしょうか。
    サバニャはサンスクリット語ー古代インド語ーを漢字で表現したもので漢字の意味はありません)
    もとの文章に戻って、
    「九山八海、乃至性海、薩婆若海水、しかしながら身上・身下・身中の出水なり」は
    「しかしながら」が道元さま当時の意味では「以上のことすべてを受けて、それらすべてが」となります。
    九山八海、乃至性海、薩婆若海水というように仏性という大海を含むわれらには
    からだの外へ、からだの中へ、からだ全体へ出す水がある。
    また言えば、からだの外へ、からだの中へ、からだ全体へ出さない水もある。
    そしてこれは火に関しても同じことが言える。
    ただ、水、火、あるいは風のようなものだけではない。
    からだの外へ出すほとけもある。
    からだの中へ出すほとけもある。

    からだの外へ出す祖師もあれば、中へ出す祖師もある。
    からだが出すのはそれだけではない。
    無量の歳月も生みだし、無量の歳月に含みこまれるからだもあるのだ。
    須弥山世界を生み出すわれらがいて、須弥山世界がわれらそのものである。
    さらにこの須弥山世界を幾度も吐き出すわれらがいて、
    また須弥山世界を幾度も呑みこむわれらがいる。
    いま四大・五大・六大・諸大・無量大=われらの身体の言い換え、そのうちに詳しく=
    は神通を出したり引っ込めたりしている。
    吐き出し呑みこむ神通。
    いまの大地(須弥山)と虚空(須弥山を囲みこむ)はわれらが吐き出し、呑みこんだものである。
    芥子のようなもの、毛のようなもの、それらがわれらと同じであるように、
    須弥山も虚空もわれらそのものである。
    このわれらが真実はわれらの意識・知恵では相応(応対)できるものではない。
    この及ばざる真実にわれらは保持されていき、
    及ばざる真実に還っていくのだ。
    まことに短いや長い、大きいや小さいなどに関わらない仏神通の変相(変わっていく姿、
    映画のようなものと思えばいいでしょうか)
    は、
    推し量り、考えてみるだけでは及ぶものではないことを銘記しなければいけない。
    ***以上でだいたいの訳文は終わっていますが、道元さまが言いたかったことは何かと~~;;
    思えばさっぱりわからんので、
    道元さまにとっても悩みのタネのひとつだった、大乗小乗についての違いについて、
    大乗仏教および小乗仏教の簡単な解説を入れます。
    簡単といっても粗雑なあたまなので、長くなる可能性はかなりあるな(^___^);;

  • *****補足
    アフリカやアジア、どこでもですが後進国では水を確保することが大事なことです。
    日本人はそこらにある水でも飲めますが、日本以外ではそこらにある水を飲むわけにはいかない。
    泥水のようなものを飲んでいる人間もいるわけです。
    大陸中国ではすでに水の確保がむずかしくなっており、
    諸大河の上流にダムを造りまくっています。
    それで被害に会うのは、大陸中国の人だけでなくて、
    東南アジアの諸国民です。
    東南アジアの大河のほとんどは上流が大陸中国にあります。
    あの無駄としか言いようのない長江ダムも造ってしまった。
    これからどれほどの被害が出るのか、共産党政府のトップも怖くて発表できません。

    ともかく、水は大事なものです。
    水の確保が比較的楽だった日本人には思いもかけぬ事態が迫っているのかも??

    *****
    このあたりで半分ぐらいです。
    長いなあ@@
    次の正法眼蔵は「光明」です。
    ぼくが正法眼蔵のいろいろなところを読みながら、
    さっぱりわからず、
    はじめて目が開けたというか、わかったのが
    この「光明」
    最初からこれをしたかったのですが、
    なぜか神通関係の章からはじめました。
    正法眼蔵は難解で有名ですが、難解でないところもあるんですね。
    難解でないところからでなきゃ、読めないと思う。

    ******

    洞山悟本大師、そのかみ雲巖に侍せりしとき、雲巖とふ、いかなるかこれ价子神通妙用。
    (とうざん ごほん だいし うんがん じせり
     かいす じんつう みょうゆう)
    ときに洞山叉手近前而立。
    (とうざん しゃしゅ きんぜん にりゅう)
    又雲巖とふ、いかならんか神通妙用。
    洞山ときに珍重而出。
    (ちんちょう に しゅつ)
    この因縁、まことに神通の承言會宗なるあり。
    (しょうごん ういしゅ)
    神通の事存凾蓋合なるあり。
    (じ ぞん  かんがい ごう)
    まさにしるべし、神通妙用は、まさに兒孫あるべし、不退なるものあり。
    まさに高祖あるべし、不進なるものなり。いたづらに外道二乘にひとしかるべきとおもはざれ。
    ******
    洞山悟本大師がむかし雲巖禅師に侍者となって仕えていた時、
    雲巖禅師が問う、
    「价子よ、神通妙用とはどういうものだ」
    (洞山悟本=洞山良价 とうざん りょうかい 807~869
     曹洞宗の初祖。
     洞山の洞と曹山禅師の曹の二字を合わせた文字。
     曹山本寂 そうざん ほんじゃく 840~901
       洞山禅師の弟子のひとり。
       この方が多いに活躍したので、こういう宗名となったようです。
     なお六祖慧能の住した曹谿山の曹を使っているという意見もあります。(そうけいざん)
     
     雲巖曇晟 うんがん どんじょう 782~841)
    その答えとして、洞山は胸の前に手を組んで禅師の前に近づき立った。
    再度、雲巖禅師は、
    「神通妙用とはどういうものだ」と尋ねた。
    洞山はその時、丁寧に挨拶して出ていった。

    この因縁(はなし)はほんとうに神通の意味をことばであらわし、その態度をあらわしている。
    神通(すばらしい智慧)をふたがいれものにぴったりと合うように表現している。
    こういった神通妙用はかならず受け継いでいく弟子たちがいるはずだ。
    決して退いたりはしないすばらしい智慧である。
    こういった洞山のような高祖とも言うべき、仏祖がいるのだ。
    退いて得るものでもなく、進んで得るものでもない。
    むだに外道二乗のような連中のことばや行動と同じと思ってはいけない。

    新釈 正法眼蔵 66歳半から^^;; *****補足 アフリカやアジア、どこでもですが後進国では水を確保することが大事なことです。 日本人

  • 龐居士蘊公は、祖席の偉人なり。(ほう こじ おんこう)
    江西・石頭の兩席に參學せるのみにあらず、有道の宗師おほく相見し、相逢しきたる。
    (こうぜい せきとう うどう そうし しょうけん そうふ)
    あるときいはく、神通竝妙用、運水及搬柴。
    (じんつう へい みょうゆう
     うんすい ぎゅう はんさい)
    この道理、よくよく參究すべし。いはゆる運水とは、水を運載しきたるなり。
    自作自爲あり、他作教他ありて、水を運載せしむ。これすなはち神通佛なり。
    (じさ じい たさ きょうた)
    しることは有時なりといへども、神通はこれ神通なり。
    人のしらざるには、その法の癈するにあらず、その法の滅するにあらず。
    人はしらざれども、法は法爾なり。
    運水の神通なりとしらざれども、神通の運水なるは不退なり。
    搬柴とは、たきぎをはこぶなり。たとへば六祖のむかしのごとし。
    朝打三千にも神通としらず、暮打八百にも神通とおぼへざれども、神通の現成なり。
    まことに諸佛如來の神通妙用を見聞するは、かならず得道すべし。
    このゆゑに一切諸佛の得道、かならずこの神通力に成就せるなり。
    しかあれば、いま小乘の出水、たとひ小神通なりといふとも、運水の大神通なることを學すべし。
    運水搬柴はいまだすたれざるところ、人さしおかず。
    ゆゑにむかしよりいまにおよぶ、これよりかれにつたはれり。
    須臾も退轉せざるは神通妙用なり。
    これは大神通なり、小小とおなじかるべきにあらず。
    *****
    龐居士は仏祖がたにお弟子となった方がたの間でも非常にすぐれた方だった。
    (西暦808年没ですから、日本でいうと奈良時代の方ですね。
     中国では唐でしょうか??
     ちなみに中国という名前は100年も経っていないようです。
     その前後かもしれませんが。
     中華人民共和国は数十年。毛沢東が死んでからでも40年ほど。
     非常に若い国です。
     中国四千年とかいうのはまぼろしでしかありません)
    馬祖道一(ばそ どういつ 日本語読みです 唐音ではどうなんでしょうか??
     709~788)
    石頭希遷(せきとう きせん 700~790
       この方の弟子の系統が道元さまに繋がります)
    の二人の偉大な師匠にもついただけではなくて、
    数多くの有名で偉大な師匠がたに会いまみえ、教えを乞うてきました。
    (大金持ちだったそうです。ある時ふと、ほとけの道に目覚めて、
     全財産を海にほおりこんで仏弟子となった。
     全財産を海にほおりこむのは勿体ないから喜捨すればいいと
     まわりの人が言ったが、こういう財産が人を盲目にさせると言い
      ほおってしまった。
     貧乏人の僕から見れば、やはりモッタイナイ!!
     ほとけの道を目指してからは、籠細工などをして生活の糧をえた。
     むすめも有名なことばを残している仏弟子)
    ある時龐が言う。
    「神通と素晴らしいはたらきというのは、
     水を運び、柴を採りにいくことだ」

    この道筋をよく考えてほしい。
    運水とは水を運び持ってくることだ。
    自分のために自分ですることもあるし、
    誰かに頼まれて、誰か他人のためにする水運びだ。
    これが神通仏ということである。
    (ほとけさまだけでなく、人々のすぐれた智慧である)
    これが神通であると知るのは、ある時である。
    (いつだかわからないが、その運水をしている人、運水させている人が
     そういった行為・仕事を神通だといつかわかるだろう)
    だれも知らないからと言って(神通と)
    その行為・仕事をしないわけでもないし、なくなるわけでもない。
    だれも知らないとはいえ、神通とはずっと人がしてきた道である。
    運水が神通だと知らなくても、神通といえる運水はなくなるわけがない。
    *****ここで長い補足に入ります。
    すいません^^;;
    山頭火のはなし。(本名は知らない。山頭火の意味はそのもので、
    頭の中は火事だらけ)
    山頭火はどうしようもないすけべえでおんな好きで(同じか^^)
    そして酒好きでした。
    とてつもない金持ちの地主のこどもと産まれた。
    こどものころ父親のとてつもない道楽におかしくなった母親は家の中にある井戸で自殺した。
    大学は早稲田へ行き、まあ好き放題していたようです。
    酒とおんな!!と文学談義!!

    文学青年はたいてい早稲田へ行くようです。
    あの村上春樹も早稲田ですね。
    神戸高校の19回生らしい。
    ぼくが18回生。(1948年生れ)
    660人も一学年でいました。
    知っている範囲では早稲田へ行った奴はいない。
    660人ちゅうの640番ぐらいだったのは確かだろう^^::
    両親は教師で両親の両親が大金持ちで、
    村上春樹は本を買い放題だったそうです。
    大学へ行ってからはGFがすぐできて、彼女も大金持ちのむすめ。
    性欲も金欲も本欲もなにもないから、あそこまでいけたのでしょうかねえ??
    そういえば大江も四国の金持ちのこどもだった。

    で山頭火!!
    父親は道楽放題で家をつぶしてしまう。
    仕方なく山頭火は家に帰り、父親と商売をはじめるが、
    どちらも道楽者だから、すぐにつぶれる。
    そのころ、そのあたりで一番の美人という金持ちのむすめと
    結婚していたので、九州のどこかの町へ行き、小さな商売を始める。
    よめさんがあまりに美人なので客はよく入るが、商売に山頭火がかかわったのははじめだけ。
    すぐに山頭火は酔いつぶれるようになって、よめさんを悩ませる。
    そのころこどもが(男)一人産まれたようです。
    美人とええなあ(^_________^);;

    その頃熊本へよく来ていた沢木興道老師のもとへも行ったようですが、
    相性があわなかったようで、すぐに行かなくなった。
    ある晩!!酔いつぶれて路面電車の線路の上で酔いつぶれていたところを
    知り合いの新聞記者に助けられて、
    あるお寺を紹介される。
    そこで寺男(お手伝いさん)となってしばらく励む。
    そこの和尚さんとは仲良くなって、熊本の味取観音(みとり かんのん)の守り番に紹介される。
    そこはあるお寺の観音堂で、そこのお守りをするわけ。
    山中なので行くには階段がものすごくある。
    風呂もついていて、台所もある。
    そこで使う水や薪はふもとの檀家さんたちが運んでくれます。
    かなりな重労働。
    しばらくその観音堂にいるうちに、水も薪も食糧も運んでくれる
    ふもとの住民さんに申し訳なく思うようになって、
    山頭火は出奔します。
    それからあとは乞食(こつじき)とかをしながら日本中を歩き回り、
    俳句(変体俳句ですが)をつくっていくわけです。
    こつじきしてまわているお坊さんですから、喜捨を受けます。
    わりとあったらしい。野宿などはせずに宿に泊まる方が多かったとか。
    また多い目にもらった日は酒を飲み。
    もっと多い目にもらった日はおんなを買いに行ったとか~~

    味取観音で暮らしていれば穏やかな日がつづいたのでしょうが、
    水や薪を運んでくれるのが苦しかったらしい。
    ふもとの住民は山頭火のために運んでいるわけではない。
    観音堂のために運んでいるんです。
    正法眼蔵「神通」を知らない山頭火は水と薪を運ぶ意味が
    わからずに出奔した。
    しかし出奔していなければ、山頭火と呼ばれなかったでしょうね^^

    ちなみに山頭火のむすこは貧乏だったので、炭鉱で亡くなったとか。
    また山頭火を味取観音に紹介した和尚さんは山頭火ファンから
    責められたとか!!
    山頭火がかわいそうやないかと!!
    いちゃもんですね!!
    あたまの悪い、性格の悪いファンも多い。
    ちなみに^^ ぼくは山頭火の伝記のような本を読んだだけ。
    山頭火の俳句集を読もうとは思わない。

    ついでに言えば、みすずさん。山口県ですね。
    最近は有名になりました。
    詩人のみすずさん。26歳ぐらいで自分のこども(おんなの子)をちゃんと育てたいからと
    自らの命を絶った彼女。
    ひどい亭主だったらしい。
    山頭火よりひどかったと思う!!

    彼女もいまは、いろんな問題で悩んでいるそうです。
    もちろん彼女はいないので、彼女のむすめさんの子孫のことですが!!

    *******長くて どうも~~;;
    搬柴(はんさい)とはたき木を運ぶことだ。
    たとえば六祖のむかしのようなものだ。朝に三千ほどの仕事(すべての動作、呼吸も含む^^)をし、
    暮れてからは八百ほどの仕事(すべての動作、寝言も含む)をする。
    それらのことが神通とは思っていなくても、神通が現れているのだ。
    (六祖慧能 ろくそ えのう 638~713 達磨大師を中国大陸初祖としての第六祖。
     現在の禅宗ぜんたいの創始者といえる。
     もちろん大陸としては世紀前後から仏典の漢文訳をしているぐらいだから、
     慧能のいる当時には、著名な仏教者が大勢いた)

    諸仏如来のすばらしい智慧(神通)を見聞した人は、かならずさとり(ほとけ)への道を得るだろう。
    だからこそ、諸仏如来も諸仏如来になるために神通をなしてきた。
    そうであるから、小乗の水を出すとか火を吹くとかはできようができまいが、
    水を運び薪を搬ぶというすばらしい智慧を大神通として学(がく)さねばならない。
    運水搬柴は今も人が生活するうえで捨てておくことのできないことである。
    ゆえに、むかしより今に至るまで、あちらでもこちらでもどこでも
    行われていることだ。
    ちょっとでもしないでおくというをしないからこそ、神通妙用(じんつう みょうゆう)なのだ。
    これこそが大神通である。
    少々のことだと思うべからず。

  • *****以下補足 読まなくてもいいです

    毛が巨海を呑みこむわけもなく、
    芥子が須弥山を吐き出すわけもなく。
    と当然に思うわけです。
    当たり前です。
    しかしながら道元さまや仏教の大成者たちは
    そうは考えなかったと。
    思考の壮大さを一面でそう捉えたとも言えます。
    道元さまは中国へ船で渡ります。23歳だったかな??
    一人でと思われるかもしれませんが、
    10人近くの団体で行っています。
    中国大陸と日本の間の海を晴れの日は見るわけですが、
    水平線が(海平線だと思いますが)丸いのが印象的だったらしい。
    ところどころで描写があります。

    いま現代は地球が丸くて、太陽の周りを回っているというのは常識ですが、
    むかしは地球は平べったくて、太陽が地球の周りを回っていると思ってたらしい。
    らしいというよりそうでしたが^^;;

    人間のこころというか脳髄は、一瞬にして世界のことも考えられるほど素晴らしいものです。
    そしてこの人間が地球の歴史(歴史と言うのもおかしなものですが)
    40数億年の成果であるのも不思議なはなしです。
    太陽の存在がそれより少し長くて、50億年程度。
    太陽の光が地球に届くのが20数分かかるのでしたか??

    光の速度は30万キロ程度で(1秒)地球を1秒間に七周半できるそうです。
    一年で光の移動できる距離は、9、5兆キロメートル。
    考えられない距離ですが^^;;;;

    太陽が比較的はしっこにあるというぼくたちの銀河系。
    天の川とも言い、ミルキーウェイ、ギャラクシーとも言うこのぼくらが存在するとてつもなく広い銀河系。
    直径が約10万光年。中心部の厚さが1万5000光年、周辺部で1000光年。
    だいたいレンズのような形であるらしい。
    光の移動できる距離が1年で約9,5兆キロというのですから、
    10万光年というのは95万・兆キロとなります。
    要するに兆の上の京ってことで、(けい)
    95京キロメートル。
    「京」って速度の超高速コンピューターが神戸にあるそうですが、
    いったいどんなものなのでしょうか?????????

    途方もないはなしなので、要約していきますが~~;;
    この銀河系には約1000億個の恒星があるそうです。
    学者によれば、2000億から4000億の間とも。
    恒星ですから、太陽みたいなものですよ^^;;
    太陽はちなみに銀河系のはしっこにあるそうです。
    銀河系の中心部は恒星の密集地帯でもあり、なんでも呑みこむとか言う
    巨大なブラックホールになっているそうで!!
    銀河系の年齢はほぼ130億年程度といわれているようです。
    そうすると銀河系を含む宇宙はとなると、
    まだそこまで行けなくて、その前に銀河団というのがあります。
    小型から大型まで、
    銀河団(銀河群)とは銀河系が数十から(小型)数千まで(大型)が集まっているもの。(想像できない)
    銀河団(群=小型)というぐらいですから、銀河系の大小いろいろが集まっているわけで、
    日本に例えれば、東京や大阪の大銀河団から、田舎の町の銀河群まであると!!
    その間にはなにもなくて、砂漠とか草原とか??になって、なにもない。
    (なにもないのが、これまた曲者ですが~~)
    そして銀河系のそれぞれは離れつつあったり、引っ付きつつあったりしているし、
    銀河団のそれぞれもひっつきつつあったり、はなれつつあったりしている。

    宇宙の宇は空間を表し、宙が時間を表すそうです。
    ですべてを含む宇宙ですが、
    たぶん(ですが)直径900億光年程度だと。
    半径が450億光年ですね。
    もし地球が宇宙のど真ん中にあれば、450億光年の向こうを見ることができるわけですが。
    現在見ることができるのは138億光年あたりまでで、
    どうやら宇宙の年齢もその138億年あたりのようです。
    でなぜ宇宙の半径は450億光年あたりなのか??
    そんなんわからん(^_________^)::

    調べてください^^;;

    銀河系が約1000億から2000億あるいは4000億の恒星を含むと書きましたが、
    宇宙はその銀河系を1000億以上含むとか。
    想像を絶します^^
    そういったことが道元さまの正法眼蔵とどんな関係があるのかは
    それぞれのお考えで!!

    もうすこし。
    宇宙が凡そ(おおよそ)ビッグバンではじまったのはよくご存知のことでしょうが、
    この宇宙の外はどうなっているのかと??
    だいたい137億光年より外は光の速度よりも早く、数倍とかで動いているので見えないらしい??
    そして現在の宇宙理論では、宇宙の外にはなにがあるかっていうと、
    どうやら他にも宇宙があるらしい。
    川のあぶくがあるでしょう。
    ぶくぶくって浮き上がる泡ね!!
    あれみたいなもので、宇宙は泡みたいにぶくぶく出来ては消滅する。
    泡なら数秒ですが、宇宙はそれが数百億年・数十億年とかの単位になるだけ。
    この宇宙の外には、他にも宇宙がまた数千億もある可能性のほうが高いようです。

    で、人類はどうしてこんな地球に生まれたか??
    どうやらこの宇宙、壮大すぎる宇宙には人類はひとつしかないようです。
    宇宙人は人類だけで、他の銀河系、銀河団、要するにこのわれらの宇宙の中には
    人類以外の知的存在は存在しないという結論らしい。

    人類が生まれるには、かなりな選択肢が必要です。
    一番必要なのが太陽から遠からず近からず。
    ほかの要素が無限にあって、人間というような知性体は、
    銀河系どころかこの宇宙にも存在するわけがないようです。

    以前に厖大な仏教書のはなしをしましたが、
    他の宗教にも厖大な書物があり、また宗教以外にも厖大な知識があります。
    そういった知識の総合として、正法眼蔵が存在しているのではないかと
    最近思いつつあります。

    人間は途方もない可能性と不可能性を持っています。
    その途方もないのは宇宙に似ていると!!

    道元さまは夜空の星を見ながら、いろんなことを考えていたと思います。
    その当時、鎌倉時代の日本は星がよく見えたことでしょう!!
    道元さまの眼もよかったはずだし
     (^_______________^)::
    ぼくは近眼、ド近眼!!

    また補足。
    (なにもないのが、これまた曲者ですが~~)
    なにもないと言われている宇宙空間ですが、
    そうじゃあないと!!
    宇宙の中にある星々や宇宙空間にあるゴミみたいなものを
    総合して量ると(どうやって量るのやら~~)
    あるべくしてある重量のたったの4%程度しかない。
    その他の95%以上の存在は見えないし、どこにあるのかわからない。
    宇宙を専門に研究している科学者がそう言います。
    あとはダークマター(暗黒物質)が22%あたり
    ダークエネルギーが74%あたりらしい。
    でそのダークなんとかの二つ、どこにあるのかわからない。

     だから人間という宇宙の成果(精華)も、やはりなんにもわからない!!

        人間も暗黒物質で占められていて、暗黒エネルギーで金を稼いでいるのだろうか^^;;
      理性はたったの4%。

  • <<
  • 111 75
  • >>
並べ替え:
古い順
新しい順