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  • またグチャグチャになったので、引っ越しました。
    こんなところから始めますか・・・・


    悟り

    わかもの:悟ったほうがいいんですかね?

    わたし:そりゃそうさ・・・人生変わっちゃうからね・・・「悟らにゃソンソン」、なんてね・・・
    だけど、悟ったといったって、別に変わった意識状態とかになるわけじゃなくて、むしろ、今の自分が無限絶対、完全無欠だったって気がつくだけなんだから・・・

    もっとも最終的に、悟りもあったら不自由なんで、消さなきゃならない

    わかもの:ずいぶんと面倒なことをするんですね・・・・悟って、悟りを捨てるわけですか?

    わたし:それはそうなんだけど、よほどの大天才をのぞいて、それしか道がない

    わかもの:人格的にもいい人になるんでしょ?

    わたし:そうはいかない・・・・確かに、悟りが人格的に影響を与えることはあるけど、急に聖人君子に変わったりはしないさ・・・第一、聖人君子なんかどうでもいいんだ・・そんなのただの世の中的な尺度でしょ・・・まったく退屈でしょう。

    わかもの:じゃあ、どんないいことがあるんですか?

    わたし:究極的には死の問題に決着がつくからね・・・楽チンになるよ・・・まあ、自分がどうやって死ぬかはサッパリわからないし、のたうちまわるのかもしれないけど、それでもいいやって感じになれるんだ・・・

    わかもの:そりゃ死ぬのはいやですが、決着をつけることにそんなに意味があります?
    だって、どうせだれもが死ぬんでしょ・・・

    わたし:みんな、意識はしてないけど、意識の背後には死の恐怖があるんだな・・・・これが、・・・なにかというと動き出して、意識を圧迫している・・・・

    わかもの:そうですかね?

    わたし:そりゃそうさ・・・・人生には、悲しいこととか、苦しいこととかは、いわば作り付けの家具みたいなものでしょ・・・・そのとき、自分の本質は死なないとわかれば、その悲しみや苦しみにたいして、腹から悲しんだり、苦しんだりできるでしょ・・・

    たとえば、あと一万年生きると思ってごらん、この世俗で、いま入学試験に落ちたり、会社でリストラにあったり、失恋したりしても、そのまま苦しむことができるでしょ・・・

    もっとも、いま死神がやってきて、すぐ死ね、っていわれたら、「ちょっと待って頂戴」って
    いうけどね・・・ただ、ダメなときはダメだから・・・

    わかもの:苦しんでたらしょうがないじゃないですか・・・みな、こころの平安を望んでいるわけでしょ?

    わたし:苦しみから離れたこころの平安なんていうのは、一時的なんだ・・・逆に、苦しむべきときには苦しむことが大事なんだ・・・

    わかもの:それじゃ、当たり前じゃないですか・・・

    わたし:苦しみが苦しみとして継続するのは、苦しみから離れようとするからなんだ・・・苦しみと「わたし」は別々じゃなくて、苦しみ=「わたし」なわけ・・・・それを無理やり理屈つけたりして、ふたつに分けようとするんだから、苦痛があるのは当たり前でしょ・・・

    要点は、ここを見抜いちゃうことなんだな・・・・そうすると、苦しみのまま苦しみを離れ、悲しみのまま悲しみを離れ・・・・つまり、悟っても、なんも変ることないまま解脱しちゃう。

    この不完全な人間のまま解脱しちゃうから面白いんだ。

    もちろん、泣くときは宇宙一杯で泣く、苦しむときは宇宙一杯で苦しむ、これこそ楽チンなんだ・・・だって、なんの抑圧もないだろう・・・

    このとき、脳みそに悲しみや苦しみは傷を残さないんだな・・・

    そして悟りには、こういった個人の救済という以上にはるかに大きなものがあるんだ・・
    それはおいおい話していこう・・・

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