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  • 突然ですがひっこしました・・・

    小雑誌への原稿なんですが・・・

    「真理」

    わかもの:真理というのは仏教だけでしょうか?

    わたし:そりゃ、わかったひとはたくさんいると思うよ・・・逆にそうでなければ、不自然だろうね・・・・ただ、お釈迦さんの人格その他が、抜群だったんで、強烈な印象を人々に与えたんだろう・・・

    わかもの:たとえば、お釈迦さんの生まれる前のインドはどうだったんですかね?

    わたし:仏教からいえば、バラモン教はアートマンを実体化したんで、仏教はそれを否定したということになっているけど、両方とも同じように見えるね・・・

    わかもの:具体的には?

    わたし:ウパニシャッドはバラモン教の教典ヴェーダの最後の部分に属し、ヴェーダーンタとも言われる。ヴェーダーンタというのは、知識の終わりend of knowledge という意味で、なんか禅に似ている響きがあるでしょ・・

    ヤージュニャヴァルキヤは、『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』第四節の有名な「マイトレーイーとの対話」の最後の部分でつぎのように語っている。
    「すなわち、あたかも二元があるかのような場合、一方が他方を見、一方が他方を嗅ぎ、一方が他方を味わい、一方が他方に語りかけ、一方が他方を聞き、一方が他方を考え、一方が他方に触れ、一方が他方を知る。
     しかし、この者にとって、一切がまさしく自己となった場合、この者は何によって何を見るのであろうか。何によって何を嗅ぐのであろうか。何によって何を味わうのであろうか。何によって何に語りかけるのであろうか。何によって何を聞くのであろうか。何によって何を考えるのであろうか。何によって何に触れるのであろうか。何によって何を知るのであろうか。
     それによって一切を知ることになるもの、それを何によって知ることができるのであろうか。
     かのものは、『に非ず、に非ず』としかいいようのない自己であり、不可捉である。なぜなら、把捉されないからである。かのものは不壊である。なぜなら、壊されないからである。かのものは無執着である。なぜなら、執着されないからである。かのものは、束縛されることなく、よろめくことなく、傷つくことがない。
     ああ、知る者を、何によって知ることができるであろうか。
     と、マイトレーイーよ、なんじは以上のことを教えられているのである。ああ、まことに、不死であるとは、このようなことなのである」(四・五・一五)(宮元啓一訳)

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