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禅:新バージョン

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  • 2018/02/10 02:32
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    *****

    また、ボロボロになってしまいましたので、新しくします。

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  • 61416 61394
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  • 佛教は因縁だろ
    これが外道さんには理解不能なのかーー

    イマジンや 最近のカルト叔父さん ショーくんには 理解不能のようだが

    つまり 子供が 思考しても わかることだよな


    無知のままだとーー  それらが因になりーー

    とにかく 現状とは 酷い状況
    佛教になら にゃい

  • >>61413


    改行・ 字句の訂正 を しました

    ******

    愚君 の 抜け穴


    自ら嵌っているところ 、、、、
    ( 自らとは わたしであり  あなたである )


    >  937
        ライナス・愚・エクスプローラー 2012年12月29日 22:00

    >  あなたの過去はどこにありますか?
          即座に答えてください。         <

     記憶ではなく 呼び起こす 現意識にあります

    > おわかりだと思いますが、実際はないんです。記憶だけなんです。

    記憶など存在しません
    記憶に分類される 現意識のみあります

    > つまり、「あなた」は記憶だけなんです。これで、終わりなんです。

    終り  とすれば  “終り” と される
    そしてしまえば、それ以上の 意識的考察は 起きさせない

    > これがわかれば、あなたは過去から自由になります。
       それを、別の言葉でいえば、解脱となり、悟り、となります。

    何だって いい  一つでも 分かれば
    ( その分かりようにおいて ) 解脱している
    ( その分かりようにそのままある )

    > これが、クリシュナムルティのすべてであり、仏教のすべてです。  <

    すべてを提示できているつもりで  いるとき
    そこに漏れはなく それがすべてだと 思い込む

    その思込みにあって それに反する提示があっても
    その思い込みを根拠として 提示を否定しようとする
    ( 同調する 追従提示のみ を 正しいとする )


  • 愚君 の 抜け穴


    自ら嵌っているところ 、、、、
    ( 自らとは わたしであり  あなたである )


    >  937
        ライナス・愚・エクスプローラー 2012年12月29日 22:00

    >  あなたの過去はどこにありますか?
    即座に答えてください。 <

    記憶ではなく 呼び起こす 現意識にあります

    > おわかりだと思いますが、実際はないんです。記憶だけなんです。

    記憶など存在しません
    記憶に分類される 現意識のみあります

    > つまり、「あなた」は記憶だけなんです。これで、終わりなんです。

    終り  とすれば  “終り” と される
    そしてしまえば、それ以上の 意識的考察は 起きさせない

    > これがわかれば、あなたは過去から自由になります。それを、別の言葉で
    いえば、解脱となり、悟り、となります。

    何だって いい  一つでも 分かれば
    ( その分かりようにおいて ) 解脱している ( その分かりようにそのままある )

    > これが、クリシュナムルティのすべてであり、仏教のすべてです。    <

    すべてをち提示できているつもりで  いるとき
    そこに漏れはなく それがすべてだと 思い込む

    その思込みにあって それに反する提示があっても
    その思い込みを根拠として 提示を否定しようとする
    ( 同調する 追従提示のみ を 正しいとする )

  • 浄土真宗が デタラメになっている

    死後は 説かれていないとか

     馬鹿の集合体のようだな

    輪廻も 因果の法則も崩壊  坊主から説教するしかなし

  • >>61408

    > 子供にも 至極簡単に解ける時代

    そうだ! 飯食って糞して寝る これが悟りだ!! ^^

    正解ですーーーぅう

    やっと        出ます田  

     あたり ! でせう



           おめっとさん 


         祝

  • >>61407

    > 子供にも 至極簡単に解ける時代

    そうだ! 飯食って糞して寝る これが悟りだ!! ^^


  •  釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。

    「 如来がお出ましになった世に生れることは難しく、その如来に
    会うことも難しい。また、仏がたの教えを聞くことも難しい。菩薩
    のすぐれた教えや六波羅蜜の行について聞くのも難しく、善知識に
    会って教えを聞き、修行することもまた難しい。ましてこの教えを
    聞き、信じてたもち続けることはもっとも難しいことであって、こ
    れより難しいことは他にない。そうであるから、わたしはこのよう
    に仏となリ、さまざまなさとりへの道を示し、ついにこの無量寿仏
    の教えを説くに至ったのである。そなたたちは、ただこれを信じて
    教えのままに修行するがよい 」

    釈尊がこの教えをお説きになると、数限りない多くのものが、
    みなこの上ないさとりを求める心を起した。一万二千那由他の人々
    が清らかな智慧の眼を得、二十二億の天人や人々が阿那含果を得て、
    八十万の修行僧が煩悩を滅し尽して阿羅漢のさとりに達し、四十億
    の菩薩が不退転の位に至り、人々を救う誓いをたて、さまざまな功
    徳を積んでその身にそなえ、やがて仏となるべき身となったのであ
    る。

    そのとき、天も地もさまざまに打ち震え、大いなる光明はひろく
    すべての国々を照らし、実にさまざまな音楽がおのずから奏でられ、
    数限りない美しい花があたり一面に降りそそいだ。
     
    釈尊がこの教えを説きおわられると、弥勒菩薩をはじめ、さまざ
    まな世界から来た菩薩たちや、阿難などの声聞の聖者たち、ならび
    にそこに集うその他すべてのものは、その尊い教えを承って、だ
    れひとりとして心から喜ばないものはなかった。







             仏説無量寿経 下巻 終

  • 仏説無量寿経(大経)

     釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。

    「 無量寿仏の名を聞いて喜びに満ちあふれ、**わずか●一回でも念仏
    すれば、この人は大きな利益を得ると知るがよい。すなわちこの上
    ない功徳を身にそなえるのである。だから弥勒よ、たとえ世界中が
    火の海になったとしてもひるまずに進み、この教えを聞いて信じ喜
    び、心にたもち続けて口にとなえ、教えのままに修行するがよい。
    なぜならこの教えは、**多くの菩薩たちがどれほど聞きたいと願って
    も、なかなか聞くことができないものだからである。もしこの教え
    を聞いたなら、この上ないさとりを開くまで決して●後もどりするこ
    とはないであろう。だからそなたたちはひたすらこの教えを信じ、
    心にたもち続けて口にとなえ、教えのままに修行するがよい」

     釈尊が仰せになる。

    「 わたしは今、すべてのもののためにこの教えを説き、さらに無
    量寿仏とその国土のようすを残らず見せた。この上にまだ尋ねたい
    ことがあるなら、ためらうことなく問うがよい。わたしがこの世を
    去った後に疑いを起すようなことがあってはならない。やがて将来
    わたしが示したさまざまなさとりへの道はみな失われてしまうであ
    ろうが、わたしは慈しみの心をもって哀れみ、特にこの教えだけを
    その後いつまでもとどめておこう。そしてこの教えに出会うものは、
    みな願いに応じて迷いの世界を離れることができるであろう」

  • 阿弥陀経
    (略)
    しかしながら舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもそ
    の国に生れることはできない。

     舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号
    を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、ある
    いは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心
    に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、阿弥
    陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。
    そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、
    ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

    舎利弗よ、わたしはこのような利益があることをよく知っている
    から、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、
    ぜひともその国に生れたいと願うがよい。

    (略)

    舎利弗よ、もし善良なものたちが、このように仏がたがお説きに
    なる阿弥陀仏の名とこの**経の●名を聞くなら、これらのものはみな、
    すべての仏がたに護られて、この上ないさとりに向かって退くこと
    のない位に至ることができる。だから舎利弗よ、そなたたちはみな、
    わたしの説くこの教えと、仏がたのお説きになることを深く信じて
    心にとどめるがよい。

    舎利弗よ、もし人々が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、ま
    たは今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりに
    向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生れているか、
    または今生れるか、あるいはこれから生れるのである。

    だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひとも
    その国に生れたいと願うべきである。

  • 大乗涅槃経
    ブッダはいわれた。

    『<すべて>とはさとりへの修行法を除く、常に善なる教えを楽しむことだけを<すべて>という。これはまた含みがないという。これ以外の教えには含みもあり、また含みがないともいう。私は多くの信者を楽しませようとして、教えには含みの意味があり、あるいは含みの意味がないことを知らせようとした」

    カッサバ菩薩はたいへんに喜び、躍り上がらんばかりであった。そしてブッダの前に進み申し上げた。

    「世尊、有り難いことです。世尊がご自分の子ラーフラを可愛がれるように人々を等しくあわれみくださることに接したことは得難いことです」

    「カッサバ菩薩、君がいま述べた言葉は本当に意味深い。すばらしいことを述べた」

    「世尊、お願いがあります。これまで説かれた妙寂に関する説法をまとめたものを受け継ぐならば、どのような功徳があるのか説明していただきたいものです」

    「カッサバ菩薩、もしこの妙寂に関る説法をまとめた経典の●名前を聞いたら、その功徳は未熟な修行者たちには到底理解できない。これはただブッダになった者だけがよく理解できる。なぜならばこの不思議な境地はただブッダの心の境界だから。名前を聞いただけでなく、さらに経典を暗記し、伝え、読み、唱え、理解し、書写したら、その功徳は量り知れない」


    そのとき、神々や人々やアスラ神たちはブッダの前に進んで、異口同音に次の詩偈を述べた。
    「ブッダの境地は不思議です。その教えも教えにしたがう修行者たちの心の境界も不思議です。そこでお願いいたします。しばらくここに留まってください。マハーカッサバ尊者、アーナンダ尊者、それにお二人に就いている弟子の方々が到着されるまでしばらく待ってください。マガダ国の阿闍世(あじゃせ)王は心からブッダを崇敬されています。この王はまだ到着されていませんが、すぐにおいでになるので、しばらく待ってください。ブッダ、どうかしばらくの間とどまり、人々の悩みや疑問を解決してくださいますようお願い申し上げます」

    遺言「心を慎み、怠るな!」

    大般涅槃経① (完)

  • 大乗涅槃経
    カッサバ菩薩はブッダに申し上げた。

    『世尊、いま妙寂の光は人々の心にさとりを求めようという気持ちが●なくても、彼らの毛孔に光が●入り込み、さとりを求めようという気持ちを起こさせると説かれましたが、そのお考えには納得できません。なぜかといいますと、彼らの多くには四つの規則破りの者(四重禁)がおり、五つの大罪(五逆罪)を犯した者がおり、そして極悪人の一闡提もおります。世尊の説で考えますと、光明が毛孔から入り、さとりの原因になるといわれるのでしたら、これらの●悪人どもと、正しく規則を守り、さまざまな善行を修めている人たちの間にはどのような違いがあるのでしょう。両者の間に違いがなければ、ブッダは先に四つの頼りとすべき聖者の意義をお説きになったのはなぜですか。
    ブッダは「この妙寂の教えを●一度でも聞いたら、あらゆる煩悩が消え去る」と説かれましたが、では、先に「ある人がガンジス河の沙の数に等しいほどの数のブッダに就いていてさとりを求めようという心をいくども起こしたが、ついに彼はこの妙寂の教えを聞いてもその意味が理解できなかった」と説かれたことはどういうことでしょう。このことが納得いかないと、私のすべての悩みは消えません』

  • 一念多念文意  (現代語)
    『無量寿経』の中には、「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」(しょうしゅじょう もんごみょうごう しんじんかんぎ ないしいちねん ししんえこう がんしょうひこく そくとくおうじょう じゅふたいてん)」(*あらゆる衆生、その名号を聞きて、●信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、●不退転に住せん)」
    とも説かれている。

    「諸有衆生」というのは、あらゆる世界のすべての命あるものという意味である。

    「聞其名号」というのは、*本願の*名号を聞くと仰せになっているのである。聞くというのは、如来の本願を聞いて、●疑う心がないのを「聞」というのである。また聞くというのは、●信心をお示しになる言葉である。

    「信心歓喜 乃至一念」というのは、「信心」とは、如来の本願を聞いて疑う心がないことである。「歓喜」というのは、「観」は身によろこびがあふれることであり、「喜」は心によろこびがあふれることである。すなわち、得なければならない浄土往生を、必ず得るであろうと、あらかじめ往生に先立ってよろこぶという意味である。「乃至」とは、多いのも少ないのも、長い間も短い間も、前も後も、すべて含めるという言葉である。「一念」というのは、信心を得るそのときをいう時間的なきわまりを表す言葉である。

  • 原始仏典
    パーリ涅槃経

    ブッダ最後のことば

    ブッダは質問を許されたが静寂が支配していた
    突然 アーナンダが叫んだ



    尊い方よ

    *不思議であります

    *珍しいことであります

    わたくしは この修行僧の集いを

    このように●喜んで**信じています




    ブッタに関し 

    あるいは法に関し

    あるいは集いに関し

    あるいは道に関し

    あるいは実践に関し

    一人の修行僧にも 

    ●疑い 疑惑が起こっていません



    お前は

    アーナンダよ 

    ●清らかな信仰から 

    そのように語る



    ところが 修行完成者には

    このような智がある



    [この修行者の集いにおいては

    ブッダに関し 

    あるいは法に関し

    あるいは集いに関し

    あるいは道に関し

    あるいは実践に関して

    一人の修行僧にも

    ●疑いが 起こっていない

    この5百人の修行僧のうちの

    最後の修行僧でも

    聖者の流れに入り

    ●退堕しないはずのものであり

    必ず正しいさとりに達する]と



    さあ 修行僧たちよ

    お前たちに告げよう

    「もろもろの事象は

    過ぎ去るものである

    怠ることなく修行を完成なさい」




    最後の最後のブッダのことばより


  • 親鸞聖人

    弥陀の本願信ずべし
    本願信ずる人はみな
    摂取不捨の利益にて
    無上覚をさとるなり



    おほよそ大信海を按ずれば、貴賤(きせん)、緇素(しそ)を簡(えら)ばず、男女老少を謂(い)わず、造罪の多少を問わず、修行の久近(くごん)を論ぜず。
    (意訳)総じて、この他力の信心についてうかがうと、身分の違いや出家・在家の違い、また、老若男女の別によってわけへだてがあるのでもなく、犯した罪の多い少ないや修行期間の長い短いなどが問われるのでもない。

  • キリスト教の先生も おもしろかったね


    悔い改められないから 信じているんでしょ




          勘違いしたら あかんよーー


    信じる者に 光が やがては 入る


        そんだけ !




    さて

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