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    それぞれの宗教の「霊性」について、真摯に語り合えたらいいですね。

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  • 195314 195295
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  • >>195313

    カズマ!!

    「正しく覚った人(=ブッダ)の説かれた教えを、はっきりといかなる人から学び得たのであろうとも、その人を恭しく敬礼せよ――バラモンが祭りの火を恭しく尊ぶように(中村元訳・岩波文庫・「真理のことば・感興のことば」)」

    感謝サラセよ!!

  • >>195310


    ●ダルマ(自身を保つもの)の探究成果=アビダルマ(存在の分析)●

    >論は経に対する注釈ということで梵語では、アビダルマとか言います。
    >英語でいうと、アビはABOUTのような意味で、
    >ダルマはDHARMA(ダルマとも言い、ドゥハルマとも読みます)、法です。
    >法則とか教えとかルールとかの意味でしょう。

    「ダルマ」とは、元来サンスクリット語のドゥリという動詞から出てきた言葉で、要は「保つもの」
    のことだというではありませんか。

    自然科学でいえば「世界の構成要素」ということになりますが、仏教では物質界だけでなく、
    精神界を含めて、さらに物質でも精神でもないものなどをふくめ、変化する現象の中で、
    自分自身を保ち続けるものにはどのようなものがあるか、探求していった。
    その作業の成果をアビダルマ(阿昆達磨)というそうではありませんか。

    その存在の分析を遂行したアビダルマの例として知られているものが、小乗仏教の中で代表的な部派
    である説一切有部が説いた、「五位七十五法」ですね。そして大乗のアビダルマが唯識の「五位百法」。

    「唯識三年・倶舎八年」というやつですね。
    道元禅師のその優秀な頭脳で、倶舎論も唯識も学んでいますので、『正法眼蔵』を参究するためには、
    説一切有部のアビダルマが仏教のオーソドックスですので、概略ぐらいはぜひ学んで下さい。

  • 高校3年の時、「アラビアのロレンス」が公開されて見にいきました。学校の帰りに、まあ早退してです。国際松竹といって、三宮そごうのやや南にある、かなり大きな映画館。1000人以上は入るでしょう。その映画館、入ると上映中なのにおっさんが一人映画を見ずに座っていました。クレージーキャッツの谷啓のような感じの男。別に気にしないで割と前のほうに座って見ていました。入場者はそこそこいたようですが、なにせ映画館が広いのと平日なので割と空いてます。入った時は、アカバ湾襲撃のすぐ後のシーンだったと思う。ロレンスが鞭うたれていたような。
    前後にはほとんど人はいなくて、しかし、ふと気がつくと10席ほど離れたところに男がいた。なんとなくあのおっさんだと思っただけ。それからしばらくすると数席近くに座っていた。またしばらくすると、ひとつおいた席に。そこで「にいちゃん」と声をかけられた。
    「チューイングガム、食べへんか」と。
    「はあ、どうも」と素直にもらって噛む。ちょっと酸っぱい系の味だったような。
    それから噛みながら映画を見ていると、なぜか隣の席に男がいた。まあ、どうでもいいので見ていた。
    その頃のぼくは高校へはナップザックに教科書などを入れて通学していた。そのナップザックを両足の上に置いて見ていたわけ。
    左足が悪くて細い。それにそれほど敏感ではないのかもしれない。
    ふと、気がつくと、おとこがぼくの左足とナップザックの間に手を入れていた。
    「???????」
    はっきり言って、ホモとかはその当時知りませんしね。
    ムカッときて、すぐに席をたち、後ろのほうの客が多そうな場所に移動した。
    まあ、それだけだけど。その当時はすぐにそれを忘れていたわけです。
    これを思い出したのは数年後の25歳前後の時。
    次回にこのはなしを。

      2018・5・27 日曜日

  • >>195305

    カズマ!!

    「正しく覚った人(=ブッダ)の説かれた教えを、はっきりといかなる人から学び得たのであろうとも、その人を恭しく敬礼せよ――バラモンが祭りの火を恭しく尊ぶように(中村元訳・岩波文庫・「真理のことば・感興のことば」)」

    感謝サラセよ!!

  • ラーフラを探し当てた釈尊はほっとして、彼を自室に連れていきます。親子だからね。
    仏教では戒律が重んじられています。経、論、律の三つを三蔵とかいいます。三蔵法師はこの三蔵を理解できている方の肩書のようなもの。西遊記、孫悟空に出てくる玄奘法師だけが三蔵法師ではありません。
    経は経典類、法華経とか般若心経とか中村元先生の翻訳がたくさんある岩波文庫のブッダ関係の本などです、論は経に対する注釈ということで梵語では、アビダルマとか言います。英語でいうと、アビはABOUTのような意味で、ダルマはDHARMA(ダルマとも言い、ドゥハルマとも読みます)、法です。法則とか教えとかルールとかの意味でしょう。律は戒律とかの意味で、まあ犯罪、逸脱に対するいろんな条目、行為、罪、罰則を書き連ねたもの。
    そのうちにまたややこしいことを詳細に書きますが、以前に書いたように二人でおとこが一緒に寝るのは禁じられていました。三人だったらええのか?という気持ちにもなりますがね。
    三人だったら3Pできるやんと、いやらしい私などは想像しますが。
    しかし、いったいドの世界はどこへ行くのやら。
    私、70歳は、20歳前後にオトコに言いよられたことがあります。
    ドストエフスキーの世界では男色は出てきません。
    少女へのほうはたびたびですが。
    しかしまあ、せっかくだから私の言いよられた体験を書いておきましょう。
    しかし、けったいなもんですね、ホモの世界って。

      2018・5・26 土曜日

  • >>195305

    中村先生の著作にもお世話になりました

    中村先生の 弟子の 紀野一義先生 (般若心経の 岩浪文庫版の 共同訳者)にには

    大いなるお世話になりました

    紀野先生の本は ほぼ 全部読みました

    正法眼蔵が わかるようになったのは 紀野先生のおかげ

     そのあと 西嶋和夫老師 の 全著作

     で 決定的に わかるようになったのが

     岸沢惟安老師の 現在(といっても 15年前ぐらいから)

       入手できる すべての 本

      岸沢老師 が 最終的に すべてを 教えてくれたようです


         今は せっせと 本を売っています (ヤフーオークションで)

      正法眼蔵の 現代語訳でいちばん いいのは

      中村宗一 先生の 監修による 

        現代語訳 4冊 と 用語事典 全巻要解

           の 全6冊

      他の  本は あきませんね

           森本和夫さんの 全10巻のは まるで ダメ

          森本さんは かなり 前の著作の方がいい

  • >>195304

    >豪雨、大雨、大風であろうと一人前の人間に対してこれほど心配するのは異常だと思います。

    そうですか。釈尊は異常なのですか?
    まあ、普通ではないから聖者なのでしょうね。

    聖者の釈尊も、異常な釈尊も、大好きで~す。

    <<<<<<<<

    文章を誤解してる^^

    一人前の おとなにだったら

    これほどは 心配しなかっただろう

    もし おとなに 対して こんなに 心配してるなら

    異常だろうと

    少年を 心配してたので  ふつうということ

    ですよ!!

    故に この時の 釈尊は 40歳代なかば

    ラーフラ は 15歳までの 少年

     もっとも 古代インドでは 15歳で 結婚するのは

     当たり前だったようです

     今も その弊害が 残ってるでしょう


      幼女を 結婚させるとか!!

       めちゃや!!

  • >>195305

    ↓参ったヤロ!!

    カズマ!!

    訳の分からん妄想分別、振りまいとったら、血の池地獄で、ミチオにオカマ掘られるだけヤド!!

    36億5千万年!!

  • >>195305

     
     中村元の信念は、「ブッダの説いたことが、『人間いかに生きるべきか?!』でなかったら、ブッダのさとりは無意味である!」であった。

  • >>195299


    ●中村元博士の「慈しみ心」の復興●

    私の仏教学の師は竹村牧男ですが、その関係で、中村元博士の仏教学にはそれなりにお世話になって
    いますので、一言失礼します。

    >中村元の言った、「ブッダがといたことは、ソクラテスがその課題とした
    >正しい哲学者の課題・『人間いかに生きるべきか?!』であった」、の意味、まだ分かってないな?!

    中村元博士は、仏教の復興を自らの行にされた先生でもありましたが、それは「慈しみの心」の復興
    でした。
    それが永遠の理想であっても、弥陀の大悲・観音の慈悲を目指したいものですね。

    「世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。世の修行者を敬うことは楽しい。
    世にバラモンを敬うことは楽しい。老いの日まで戒めを保つことは楽しい。信仰が確立していることは楽しい。
    もろもろの悪事をなさないことは楽しい」(『ダンマパダ』)

    弥陀の大悲、観音の慈悲の復興ともいえますね。

  • >>195303

    ●異常な釈尊も、まるごと大好きだ!●

    執筆活動ご苦労様でございます。せっかくですから読ませていただきましたので感想です。

    >再度書きますが、少年でなければ釈尊がこれほどラーフラのことを気にするとは思えません。
    >豪雨、大雨、大風であろうと一人前の人間に対してこれほど心配するのは異常だと思います。

    そうですか。釈尊は異常なのですか?
    まあ、普通ではないから聖者なのでしょうね。

    聖者の釈尊も、異常な釈尊も、大好きで~す。

  • >>195283

    釈尊がラーフラを探すところから迷いだしてました。豪雨で洪水のようになりかけていて、ラーフラはどこにいるかわからない。大雨の中どこにいるのやらと釈尊は思う。
    ふと気がついて、お便所を思い出して、行くとラーフラがすっかり眠りこんでいた。雨の音にもめげず。
    だから少年ではないかと推測するわけです。豪雨の中ですっかり眠りこむなどというのは少年でないとできないでしょう。
    そして釈尊がラーフラを探し当てたその時、蛇が近づき噛もうとしていたのです。
    釈尊が少しでも遅れたら少年は死んでいたかもしれません。インドでは蛇も多いようです。
    昨日、ヒョウ(パンサーでライオンの3分の1から4分の1の重さ、大きさが動物のネコ科40種類以上の中で地球上で一番広域に存在しているそうです)が、
    ムンバイ(むかしボンベイと言われていました)という大都会にもいて、主に豚や鶏を獲って生きているそうです。子どもも獲られてのかもしれない。
    あまり関係ないか。
    ラーフラのこのエピソードは割と有名なもので、どうしてこういうエピソードが残ったのかも釈尊の子どもゆえにでしょうか。
    再度書きますが、少年でなければ釈尊がこれほどラーフラのことを気にするとは思えません。豪雨、大雨、大風であろうと一人前の人間に対してこれほど心配するのは異常だと思います。だからこそ、やはり35歳より以降に生まれたのがラーフラだと思うのです。
    釈尊は80歳まで生きるとされているので、ラーフラはその頃には40数歳。2500年前の世界では40歳代でもかなりな年よりになると思われます。
    夏目漱石は50才で死に、山本周五郎さんは50年ほど前に64才で無くなります。
    山本周五郎さんの晩年の写真がありますが、今でいうと80歳代に見えます。
    釈尊にしろ、当時乞食(こつじき 食物を乞うて生きている修行者)でこの年まで生き残るのですから、若い時には充分に栄養が足りていたとしか思えません。
    若い王子として育ったから長生きもしたということでしょうか。
    ちなみに書いておきますが、弘法大師、空海さんは長生きしていると思われるかもしれませんが、60歳で亡くなってます。
    日蓮さんが同じく60歳。
    道元さまは54歳。
    親鸞さんは不思議に、90歳。
    などなどで、100年前の平均年齢は40歳代だったようです。
    サザエさんの波平は54歳ですよ。ふねは52歳。
    押して知るべしでしょう。
    それよりも2000年以上前のインドでの年齢。

  • >>195294

     正確には、ブッダは、弟子たちに、「いくら輪廻を繰り返しても、再び人身を得ることはほぼない」とした。
     なぜか。
     人間に生まれ変わるには、よほどの「善」を行う必要がある。が、「人間の世界」とは、決して「特別な世界」ではなく、ダーウィンが描いた「畜生の世界」とまったく同じ、「弱肉強食」と「共食い」の世界、である。
     当然、そこ二は、「善業」も「福業」も存在しない。
     結果、再び人身を得るというようなことはほぼない、とした(増谷文雄訳・筑摩書房刊・「阿含経典」―「孔」)。

     「原始仏教」とは違い、「大乗仏教」というような妄想分別に陥ったらアキマヘン。

  • >>195294

    「皆、縁起でつながっている?!」

    『この世には”善業”も”悪業”もなく、ただ”共食い”と、”弱肉強食”があるばかり』、チヤウンケ?!

  • 中村元の言った、「ブッダがといたことは、ソクラテスがその課題とした正しい哲学者の課題・『人間いかに生きるべきか?!』であった」、の意味、まだ分かってないな?!

  • >>195296


    ●私は仏教徒ではありません●

    >無我と縁起を繋げる。
    >ネットで調べればすぐに関連が見つかるけれど、最後の二行で台無しですね~。あははー

    無我は自覚でしょう。
    弥陀の本願に生かされている自己も無我ですが、それも観念ではなくて自覚でしょう。
    我の強い私は、無我を自覚するのに15年もかかってしまいましたし、
    まだ浅いので日々深めています。

    最後の二行といいますけれど、
    あなたは仏教徒なのですか?
    私は宗派を超えていますから仏教徒ではありません。
    ただ真実の自己を信じる者で、
    キリスト教もアニミズムも神道も大好きです。

    あなたは、あなたの道をお進み下さいね。

  • >>195295

    無我と縁起を繋げる。
    ネットで調べればすぐに関連が見つかるけれど、最後の二行で台無しですね~。あははー

  • >>195293

    >無我、それは和馬さんほど主張しない。

    私の主張ではありません。
    私などが主張しようがしまいが、世界の真理だというのが仏教のようですね。
    そして、それを真理と信解するから仏教徒ということでしょう。

    貴方が、仏教徒ではないというですよ。
    まあ、ご自身の信じた道をお進み下さい。

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