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>>20983

> この「真空妙有」の実相に対して、
> 区別的な考えを挟まなければ、
> 偏見ということもありませぬ。

区別的な考え(=分別?)をさしはさまないことが正見、
区別的な考え(=分別?)をさしはさむことが偏見。
こりゃたいへんだ、偏見ばかりだ。
くわばら、くわばら。

  • >>20989


    ●尋牛(資糧位)にも入っていない●

    >区別的な考え(=分別?)をさしはさまないことが正見、
    >区別的な考え(=分別?)をさしはさむことが偏見。

    この相対矛盾を高次元に統合するのが仏智(平等性智・妙観察智)という「空の智慧」だ。
    水月さんが、その仏の智慧を信じることができないから、誰かさんの知識にしがみつく空蝉だ。

    水月さん、貴方は仏法を信じていないから、修道論からすれば、 資糧位(尋牛)の門も入っていない。

    それで、十牛図も坐禅和讃も信心銘とは、水月さんの外見を着飾る“張り子の虎”に過ぎない。
    それは、世の中の害になるだけだ。
    愚氏の妄想を崩壊させなければ禅は知れない。

    水月さん、貴方が仏教や禅に口を挟むと害になる。
    あの世で、閻魔さまに熱球を口に入れられるぞ、
    臨済和尚なら言うだろう。
    道元禅師には三十棒食らわされる。

    くわばら、くわばら。