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雪月花

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  • 2017/09/27 06:12
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  • >>1481

    >一人一人が貪りから離れ、小欲でも満足できる足るを知る事で喜びの世界へと向かう。



    ぷっ。
    足るを知らん奴が、足るを語る。

  • >>1489

    >手するのめんどくさい
    他行って下さい

    煩悩即菩提 を煩悩=菩提としてしまう、愚か教の人は怒りの心のまま、後生を生きる事になり、苦しみの世界にますます入る。 迷いの煩悩の心を指摘され、なるほど、そういう考えもあったのかと気づいた人は煩悩の心を感謝の心ととらえ、大きな心が育つ。  いくら坐して恰好つけてもだめ、仏法は普段の生活の場に活かしてなんぼの世界。

    これからの人生、仏法を学び実践するなら、誰に対しててでも妙法蓮華の教えをしっかり身に付けてね。

    そうすれば、あなたも仏様のお仲間入り  頑張ってね。

    南無妙法蓮華経

  • >>1488

    >
    > >当たり前の事をぐだぐだ書くな。
    >
    > 当たり前のことを提示されて、そういう考えもあるのか?と素直に受け入れる人と、自分が気に入らないと怒りの心そのものになって、泣きわめく人いろいろだね  坐して自身の心を観てね ♪
    >
    > 実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり
    >
    > 南無妙法蓮華経

    相手するのめんどくさい
    他行って下さい

  • >>1487


    >当たり前の事をぐだぐだ書くな。

    当たり前のことを提示されて、そういう考えもあるのか?と素直に受け入れる人と、自分が気に入らないと怒りの心そのものになって、泣きわめく人いろいろだね  坐して自身の心を観てね ♪

    実相と云うは妙法蓮華経の異名なり諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり

    南無妙法蓮華経

  • >>1485

    > 【如是我聞】
    > 宮沢賢治は、30歳のとき花巻農業高校の教員を辞め、農民とともに生きる決心をした。そして、昼は鋤を手に夜は農民相手に勉強会を開いた。その教科書の冒頭に「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」と書かれていた。
    > まず、宮沢賢治の言う「個人の幸福」とは何かを自分なりに考えてみた。おなか一杯ご飯を食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう欲望だろうか。人が欲望を満たしたとき、個人の幸福を得ることができるのかと考えると何か違うように思う。次に、私自身にとって幸福なときとは何かを考えてみた。教員として毎日の生活を送っている私は、生徒が達成感を得てうれしそうにしているときに感動を覚える。生徒が目指していた大学に合格したとき部活動で大切な試合に勝利したとき、自分が少しばかりかかわったことで人が喜んでいる様子を見るときが幸福なのだと思う。個人の幸福とは、自分のこれまでの経験を考えても誰かが幸せになることによって得られるのではないかと考える。
    > 世界全体という広い世界を考えるのは少し難しいが、この学校のことを世界ととらえたときこの学校全体が幸福にならなければ生徒・教職員の個人の幸福も得られないのだろう。賢治は、今まさに私たち学校に関わるものすべてに必要なことを伝えてくれているのだと考えたい。
    >
    > 先日、テレビで放映されていた映画「 STAND BY ME ドラえもん 」を見てあるシーンが心に残った。しずかちゃんのお父さんがのび太クンとの結婚式を翌日に控えた娘に対してこんな言葉を話していた。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間にとって一番大切なこと・・・それができるのび太クンを選んだ娘を誇りに思う」と。これといった取り柄がなくても、人の幸せを願うことができる人たちがたくさんいる世の中になればこれほど素敵なことはないと私も思う。   
    >
    >                       (社会科  北畑賢一郎 )
    >
    > 南無妙法蓮華経


    当たり前の事をぐだぐだ書くな。

  • >>1484

    > ブータンのような国なら、物質的には貧しくても、仏教を信仰する王様を大切に人々が我欲が少なく、幸福な民族ですね。  一人一人が貪りから離れ、小欲でも満足できる足るを知る事で喜びの世界へと向かう。 この国では自分さえよければ、家族だけ良ければ、という小さい考えがはびこってしまっている。
    >
    > 悲しみがある人には寄り添い喜びの人には、ともに、良かったねと喜んであげられる世界。
    >
    > 苦楽共に南無妙法蓮華経
    >
    > ********************
    > >今ここが涅槃なのに、あなたはまるで地獄にいるようだ。
    >
    > そのように思ってしまうのは、あなたが仏教から外れた自分さえよければという外道だからだよ。 心はいつもお釈迦様と共にあるから、涅槃の境地だが、まだお釈迦様の教えにかすりもしない人であっても、皆お釈迦様の子だからね。
    > 地獄に落ちないように、支えてあげるのが、お釈迦様の眷族。
    >
    > 世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない   宮沢賢治
    >
    > 南無妙法蓮華経

    ブータンに引っ越せば?

  • >>1484

    【如是我聞】
    宮沢賢治は、30歳のとき花巻農業高校の教員を辞め、農民とともに生きる決心をした。そして、昼は鋤を手に夜は農民相手に勉強会を開いた。その教科書の冒頭に「世界全体が幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」と書かれていた。
    まず、宮沢賢治の言う「個人の幸福」とは何かを自分なりに考えてみた。おなか一杯ご飯を食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいとかいう欲望だろうか。人が欲望を満たしたとき、個人の幸福を得ることができるのかと考えると何か違うように思う。次に、私自身にとって幸福なときとは何かを考えてみた。教員として毎日の生活を送っている私は、生徒が達成感を得てうれしそうにしているときに感動を覚える。生徒が目指していた大学に合格したとき部活動で大切な試合に勝利したとき、自分が少しばかりかかわったことで人が喜んでいる様子を見るときが幸福なのだと思う。個人の幸福とは、自分のこれまでの経験を考えても誰かが幸せになることによって得られるのではないかと考える。
    世界全体という広い世界を考えるのは少し難しいが、この学校のことを世界ととらえたときこの学校全体が幸福にならなければ生徒・教職員の個人の幸福も得られないのだろう。賢治は、今まさに私たち学校に関わるものすべてに必要なことを伝えてくれているのだと考えたい。

    先日、テレビで放映されていた映画「 STAND BY ME ドラえもん 」を見てあるシーンが心に残った。しずかちゃんのお父さんがのび太クンとの結婚式を翌日に控えた娘に対してこんな言葉を話していた。「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間にとって一番大切なこと・・・それができるのび太クンを選んだ娘を誇りに思う」と。これといった取り柄がなくても、人の幸せを願うことができる人たちがたくさんいる世の中になればこれほど素敵なことはないと私も思う。   

                          (社会科  北畑賢一郎 )

    南無妙法蓮華経

  • >>1483

    ブータンのような国なら、物質的には貧しくても、仏教を信仰する王様を大切に人々が我欲が少なく、幸福な民族ですね。  一人一人が貪りから離れ、小欲でも満足できる足るを知る事で喜びの世界へと向かう。 この国では自分さえよければ、家族だけ良ければ、という小さい考えがはびこってしまっている。

    悲しみがある人には寄り添い喜びの人には、ともに、良かったねと喜んであげられる世界。

    苦楽共に南無妙法蓮華経

    ********************
    >今ここが涅槃なのに、あなたはまるで地獄にいるようだ。

    そのように思ってしまうのは、あなたが仏教から外れた自分さえよければという外道だからだよ。 心はいつもお釈迦様と共にあるから、涅槃の境地だが、まだお釈迦様の教えにかすりもしない人であっても、皆お釈迦様の子だからね。
    地獄に落ちないように、支えてあげるのが、お釈迦様の眷族。

    世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない   宮沢賢治

    南無妙法蓮華経

  • >>1481

    > >社会は自己一人の苦ではないから無理です。
    >
    > ブータンのような国なら、物質的には貧しくても、仏教を信仰する王様を大切に人々が我欲が少なく、幸福な民族ですね。  一人一人が貪りから離れ、小欲でも満足できる足るを知る事で喜びの世界へと向かう。
    > この国では自分さえよければ、家族だけ良ければ、という小さい考えがはびこってしまっている。
    >
    > 悲しみがある人には寄り添い喜びの人には、ともに、良かったねと喜んであげられる世界。
    >
    > 苦楽共に南無妙法蓮華経

    今ここが涅槃なのに、あなたはまるで地獄にいるようだ。

  • >>1478

    >社会は自己一人の苦ではないから無理です。

    ブータンのような国なら、物質的には貧しくても、仏教を信仰する王様を大切に人々が我欲が少なく、幸福な民族ですね。  一人一人が貪りから離れ、小欲でも満足できる足るを知る事で喜びの世界へと向かう。
    この国では自分さえよければ、家族だけ良ければ、という小さい考えがはびこってしまっている。

    悲しみがある人には寄り添い喜びの人には、ともに、良かったねと喜んであげられる世界。

    苦楽共に南無妙法蓮華経

  • >>1473

    >中国禅宗は異端仏教でしょな。

    煩悩即菩提なら頷けますが・・ <

    でしょうね。迷いの心を開会して菩提の心にという事ですね。 煩悩即菩提であって、煩悩=菩提は仏教に非ずでしょう。 苦しみの原因である煩悩があるから、苦しみのない菩提を求道するのでしょうね。

    お釈迦様も当然仏の心や菩薩の心だけでなく、怒りの心、貪りの心、愚な心まで具わっています。
    具わっていなければ。私達を導き、救う事はできません。  私達凡夫も仏様と同じように具わっている。 持っているものは、仏様も凡夫も同じです。 何が違うか、仏様は迷いの心を悟りの心に変えて実践してしまう。  私たちはすぐに自分と他人を区別し、一喜一憂してしまい、それが苦の元になる。

    南無妙法蓮華経

  • >>1476

    >> 煩悩が無い、は可能かな?

    > 不可能かな

    社会は自己一人の苦ではないから無理です。

  • >>1474

    >もう、どんどん楽になりすぎてこのへんでいいかなという妥協と戦ってますね。
    妥協は敵!

    カムイさんは外道の愚教だから、そりゃ楽かも知らないが、仏教から外れているから、後生が問題だよね。

    曹洞宗は菩提に菩提を重ねてゆくから、決して楽な人生修行ではないといは思うが、長い仏道修行の中では一時頑張ればという事だろうね。

    一向に無上菩提を専求して精進不退なる、是れを発菩提心と名づく。既に此の心、現前することを得て、尚、菩提の為に、菩提を求めざれば、此れは是れ、真実の菩提心なり。如し、此の心無くば、豈に、学道と為せんや。当山の兄弟、一向に菩提心を専求して、応に懈廃すべからず

    栄西は天台密教葉上流の印信を受けて当時中国で流行っていた禅と真言密教との融和を図った。 道元と違って、幕府や権力者に取り入られるよう図り、権力との融和に同調した。 家康によって檀家制度が確立され、布教もしない僧が出てきて、白隠禅師がでてきたという感じだね。 僧なのに、僧の特権を生かし権力に近づき策士、軍師的なものが、禅宗には多く見受けられる。 

    南無妙法蓮華経

    南無妙法蓮華経

  • >>1475

    > >なるほどね、悟りもなければ煩悩もなし
    >
    > 煩悩が無い、は可能かな?

    不可能かな

  • >>1472

    > >わたしは曹洞宗でも臨済宗でもないです。
    > 道元さんや臨済さんは好きだけどね。
    > クリシュナムルティも好きですね。 <
    >
    > そうかい瞑想が迷走にならないでね。
    >
    > 南無妙法蓮華経

    もう、どんどん楽になりすぎてこのへんでいいかなという妥協と戦ってますね。
    妥協は敵!

  • >>1471

    >わたしは曹洞宗でも臨済宗でもないです。
    道元さんや臨済さんは好きだけどね。
    クリシュナムルティも好きですね。 <

    そうかい瞑想が迷走にならないでね。

    南無妙法蓮華経

  • わたしは曹洞宗でも臨済宗でもないです。
    道元さんや臨済さんは好きだけどね。
    クリシュナムルティも好きですね。

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