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    日蓮大聖人のご生涯と御書について、学びの輪を広げられたらと思っています。
    多くの人との、様々な角度からの意見交換を通して、日蓮大聖人の実像と教えの真実に近づきたいと願っています。

    しかし、学び合う目的は過去を紐解くことではありません。
    その研鑽を通して、人の幸福とは何か、を求めていくことが、このトピの主眼です。
    参加していただける人に対しては、その主旨を共通の認識としてご諒解いただけたらと思います。

    日蓮仏法といっても、その教えは仏教全般に及んでいます。
    その意味からも、宗派を越えて、多くの人のご意見をいただきたいと思っています。もちろん、批判であっても構いません。

    私自身も、この機会に、多くの人から学ばせていただき、意見交換を通して、仏教と人間の幸福について、その全体像に少しでも近づいていけたらと願っています。

    教えていただきたいことが多くあります。

    仏教と人生を真剣に考えておられる方。
    一緒に学んでいただける方。

    ご参加を、心からお待ちしています。

       
       
        日蓮正宗法華講    nanatokoko

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  • 24133(最新)

    Apache 10月17日 00:55

    >>24132

    支部登山お疲れ様でした。
    僕は9月に支部登山があったんですが6月に1名折伏して
    その折伏した人と登山に行こうと思いましたが日程が合わず。
    別の日に行くことになりました。

    僕の支部は登山の前日は必ず下条妙蓮寺さんで夕方の勤行に参加
    する仕来りになっています。南条時光さんのオーラ?バリバリで
    なぜか妙蓮寺さんに行くと鎌倉を想像してしまうのは自分だけかな?
    いつもそんな印象を受けてしまう。

    南条七郎次郎さん(時光さん父)はもともと念仏で北条一門の家臣
    で日蓮大聖人様から激励のお手紙もたくさん頂いている人物ですが
    当時は法華経を信仰するか念仏信仰ままでいるのか悩んだそうですね。
    挙句の果てに重い病気にかかった・・・・。

    竜ノ口以降、鎌倉の信徒たちへの弾圧も始まり逃げてきた信徒たちを
    屋敷を解放して外護したのは有名な話。

    なんといっても本堂の入口の龍の彫刻は見事。

  • 先月29日に支部登山に行ってきました。
    金木犀の香りに迎えられて寂日坊に入りました。
    寂日坊は、当寺の御住職さんのご実家で、私は個人的にご両親にお話したいことがあり、三人で茶菓をいただきながら、楽しい時間を過ごさせていただきました。
    生前、両親との登山が叶わなかったので、今回は両親の遺影をジャケットのポケットに入れての御開扉でした。

    台風の影響で一日雨でしたが、晴れても雨でも、本山はいいですね。

    生涯忘れられない登山になりました。

  • >>24129

    おっしゃるとおりで、正しい信仰が2つとあるわけがない。日蓮正宗の信仰が正しい信仰の上では最も勝っている。創価学会は未だに大ご本尊様を口では否定していても、未だに日蓮正宗の本義を盗み入れて自宗の本義に取り入れている。

    やっていることは真言宗と同じ。現在ボロボロの正信会の道を歩んでいるみたいです。

    われわれが救ってあげられるのことは祈ってあげられることしかありません。憎むべき相手は魔、そして間違った教えだと思っております。

  • >>24128

    先日第1期で夏期講習に行きました。

    夏期講習の前日から妙蓮寺さんにお参りして朝の勤行に参加してから下乃坊さんにも行きました。

    昔の人の登山は下乃坊さんで休憩してから上乃御坊(大石寺)入りしていたそうです。もちろん歩いていた時代ですが・・・。

    全国からやって来る信徒さんで賑わったという説も耳にしたり、やはり南条時光さん所縁の妙蓮寺さんも本山に負けないぐらい感動しましたよ。

    昔の登山は道中のお寺さんで休憩しながら総本山を目指して歩いていたんですね。下条あたりからは巡行って感じでした。

    夏期講習2日目に猊下様の御講義がありましたがタイムオーバーになって途中で終わりました。皆んな眠たい目を必死に開けてた感じでしたね。

    実は僕も丑寅勤行に参加したので眠くてたまらなかったです。

    病気は若いころ、無茶したツケがまわってきたんだと思います。やはり健康か何よりです。

  • >>24127

    お互いが相手を邪宗と言い合っているのだから、どちらでも構わないというわけにはいかないですね。
    それは置いておいても、貴方の言われる柱が、信仰の根本を指しているとするなら、日蓮正宗と学会は明確に違っていると、私は思っています。
    平和を願うというのは、ほとんどすべての宗教に共通していますからね。
    それを旗印と考えれば、ほとんど全ての宗教が正しいということになります。

    方法論の差異だけなら、どちらでも構わないんだけど、信仰の根本が違っていれば、どちらも正しい、とはなりません。

    そうは言っても、双方が正しいとする論拠を持っているので、平行線にはなります。

    私としては、自分が正しいと信じる道を行くだけですね。
    そうでないと生き甲斐も感じられないし、充実した楽しい日々にならないから。

  • >>24126

    病気療養中ですか。
    私も次から次と病気の切れ目がないくらい、病気とは仲が良かったですよ。

    それが、ここ10年、病気と無縁になりました。
    病気の方で、居心地が悪くなったようで、いつの間にか去ってくれました。
    病気で苦しまなければならない期間が、必然的にあったように思います。

    破門後の会員数の増減は知るよしもないのだけど、現在の会員数の多くは、以前の日蓮正宗創価学会の時のメンバーじゃないかと推察しています。
    どちらにしても、数が多ければ正しくて、少なければ間違っている、とは思いません。
    自分の信心で正邪を決めています。

  • >学会員には偽本尊という認識はありません。

    僕が御受戒を受けたころは信心は日蓮正宗で活動の場が法華講・創価学会だったと思います。
    これは自分の心の中では今も変わりません。信仰は同じ柱で活動の場が異なるだけだと思います。
    この柱に創価学会とか法華講を信仰の対象にするからこういう問題になるのでは?

  • >>24124

    >私の信心の中では、今の創価学会は謗法の団体だと思っています。

    僕は現在、病気で療養中です。
    学会はやはり大物。
    組織化された活動は北朝鮮みたいに統一されている気がします。
    その大物組織が一斉に謗法を冒すというのは、それだけ世界
    に広まっている証でしょうね。

  • >>24123

    <偽本尊を拝んだという謗法はどうやって消し去るのでしょうか?

    学会員には偽本尊という認識はありません。

    この点でも、多くは平行線になりますね。

  • >>24123

    私も学会に対しての破折は、自分の信心の上から、きちんとしています。
    その上で、学会員が、自分の信心の上から学会を選ぶなら、それは自由です。
    だから、言い争いにはなりません。
    平行線になるだけですね。

    私の信心の中では、今の創価学会は謗法の団体だと思っています。
    その謗法との指摘を受けて、それでも学会で生きたいという人がいます。
    彼らなりの、学会を正しいとする根拠もありますからね。

    お互い、正しいとする根拠を提示して、それでも平行線になるなら、それは仕方ないことです。
    私とすれば、機会があれば、自分の正しいとする根拠、言い換えれば、学会を謗法とする根拠を粘り強く話していくしかないと思っています。

  • >>24121

    お久しぶりです。

    >学会に関しては、今の信心への縁をくれたという感謝があるくらいですね。

    そのころの学会は指導者が確かに日蓮正宗の信徒さんだったので疑う心もありませんでしたね。しかし、学会から出された本尊は紛れもなく偽モノ。偽物なので本物を求めようとするのは人の心理そのもので、その心理を利用したのが学会の今の手。恐ろしい団体です。

    愚かな人ほど、危険なところに座りたがる。賢い人は安全なところでも危険を常に感じながら安全を求めるわけですから学会の今のやり方は愚かとしか言いようがありません。偽本尊を拝んだという謗法はどうやって消し去るのでしょうか?それこそ他人に押し付けるのでしょうか?そしてその押し付けた謗法は何もしらない人を不幸に陥れて自分は助かったと・・・。

    信心していない人にも悪口は良くないと指導されてきました。どうしてか?あるご住職様が言うには、その人が入信されたらきっと悪口は返ってくる。

    先日、僕の職場で知り合ったメンバーを御講に連れて行きました。女性の方でしたけど、彼女には年ごろの娘さんが3人おられます。23歳・24歳・27歳。24歳の娘さんは結婚前でして、よきお母さんでいられると良いねという話から入り、簡単な仏法の話を勧めたところ、御講に参加してくれることになったんです。僕の支部は学会が宗門から破門にされたころは見張役までお寺の本堂の入口に鎮座して監視活動を続けておりました。なぜお寺の中で監視するのか聞いた講中の人がいまして、学会員はお寺と学会が分裂したことを知らない会員が来るのを阻止するためだと言っていたそうです。そんな中、学会から日蓮正宗に戻られた方がいまして、その講中の方は学会員の監視役に捕まり、その日の夜に幹部が自宅に駆け付けえらく叱られたそうです。

  • >>24121

    昨年の九月に、ご住職さんから了解を貰って、信徒だけの勉強会を立ち上げました。
    数か月は三人のメンバーで地道に細々と勉強会をしていましたが、今年の二月現在で10人になりました。もう少し増えそうです。
    二月に初めて参加した婦人部の人からは、感動したので次は娘と一緒に参加しますとの連絡を貰いいました。「地湧の集い」というネーミングで、月に二度、昼の部と夜の部を設けています。
    基本は勉強会ですが、自由な時間も組み込んでいるので、自由な意見交換の場にもなっています。

    講の団結を乱す恐れも、当初は考えていましたが、すべて杞憂でした。
    メンバーには、講頭さん、総代さん、壮・婦・青年のそれぞれの部長さんも加わっているので、何の問題も起きていません。

    考えてみれば、これは、日蓮正宗創価学会の時の形態そのままなんですね。
    信徒の自主性で運営され、その輪が次第に広がっていく・・・日蓮正宗創価学会という組織は消滅しましたが、その実態は、形を変えて今ここにあるという実感があります。

    まだ産声を上げたばかりの、小さな会ですが、継続していきたいと思っています。
    参加した人が、また次回を楽しみにされているという声が届いていることが、今は何よりの励みになっています。

  • >>24118

    私も貧乏してるので、仏壇は学会の時のままですよ。(笑)

    学会員といがみ合うことは、私にはありません。
    お互いの信心を照らし合い。その上で、どちらを選ぶかは、その人が決めることだと思うので。

    ご住職さんには、私は、はっきり話しています。

    私の信心は、日蓮正宗創価学会の時のままです。
    その形態が一番いいと今でも思っていますから。

    ただ、その形態は、もう今後永遠にないと思ってはいます。
    だから、ご住職さんには、法華講の一番片隅に置いておいてくださいと、お願いしています。
    もちろん、役職は受けられません。

    仕方ないですね、と言われますが、ご住職さんには、私の信心の姿勢を理解してもらっています。

    やや変則的な僧俗和合ですかね。(笑)

  • >>24116

    所属組織が変わっても、自分の信心はずっと一貫しています。

    大聖人様の示された道を進んでいるという、そういうすっきり感の中でずっと生きているので、私の中では区切りというのはないですね。

    学会に関しては、今の信心への縁をくれたという感謝があるくらいですね。

  • >>24114

    おそらく学会から離れたいんだけど自身が知らないうちに求めてしまっている?
    僕もそうだけど、だからって腹を立てるのは良くないかも?周りの人を傷つけてしまう可能性もあるわけで・・・
    仕事を通して近くに学会員がいれば納得してもらう。いがみあいよりもお互いに対話で済むなら対話を選択して自身にできることは自身で解決するのが一番ですね。ご住職様には黙っていますがお題目では学会員であろうが法華講員であろうが正信会であろうが平和は祈ってます。

    ちなみに僕の家はお金がないので今も学会時代で使ってきたお仏壇に御本尊様を安置していますし、

  • 忙しくて滅多に投稿できなくなった。
    5年前は暇で仕方なかったのに今は忙しい日々を送っております。
    すこしばかり地方の仕事へ従事していて自宅には月1度しか戻れず。

    支部から離れての生活は厳しい~の一言・・・
    寮の周辺は山の坂と念仏だらけでお店も無い。

    仕事は誰にも負けたくないと常に思っていたので誰かが残業すると
    いえば自分も居残って明け方まで居残ったこともありました。
    その日は朝8時30分から20時40分までの仕事。
    それを8時30分から翌明け方の4時まで居残りました。

    その時は負けたくないという一心しかない。
    やってはいけないことなんだけどスイッチが入るとやってしまう。

  • 横から失礼します。

    毎回別IDで登場して申し訳ないです。

    >真剣な唱題と真剣な実践しかないように思います。

    真剣さを出そうにも笑いや苦い思い出が湧いてきて
    苦戦している者ですが、そういう時はひとつの区切りとして考えれば
    良いのでしょうか?それとも笑いを一つの問題と考えて祈る?

  • >>24113

    条件反射ですかね。

    命に深く染まった色は、その人の意思を超えて出てきますね。
    それを変えていくには、真剣な唱題と真剣な実践しかないように思います。

  • >>24113

    私の支部でも、昨年同じ案件がありました。

    リセットに苦労しています。

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