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    ニサルガダッタ(Nisargadatta)さんのI am thatに出会ったのが2010年12月。幸いネットに原文(英語)が載っていたのでそれを少しずつ紐解いていたら、最初の直観が、やはりそうか、、、ということになりました。(注:であったそのときの驚きの中、ぱっと書きまとめたものはHPにのっています)

    それにしてもボンベイに生まれた無学のこの人(1897 – 1981)の話が、私の脳裏にここまで食い込んでくるとは、、と、いかんせん不思議に思っています。それというのも、今はもうないですが、これまで7年ほど、ここの掲示板で大拙、妙好人、瞑想、創造性、などのトピでいろいろな調べを進め、、ほぼ大体のところの調べは済んだかな、、と思ってHPにもまとめのまとめ、、などというファイルまで作って、いた矢先のことだからです。

    彼のI am thatを読むと(そのほかネットにさらに3−4冊ある)、大拙さんや盤珪、などをはじめ、これまでの私の調べを進めていたお経や祖師方すべてが、現われ出るという感じがあるのです。もともと微妙なところで彼の言葉づかいなどなれないと読み違えもありそうなのですが、(かといっていわばとことんのチェックを進められるようでもあり)あえてここにトピを作って、私なりの調べを丁寧に進めようかと思っています。

    おそらくどちらかというと独り言の掲示板になるかとも思いますが、まじめに、丁寧に取り組むつもりですので、ひとつよろしくお願いします。

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  • 606(最新)

    suz***** 8月8日 07:01

    昔書いたものが出て来た。
    2005年ごろに書いたものですが(当時57歳)
    ここに貼り付けておきます

    ==

    不思議な世界(日暮れ)

    ころころ、しているうちに
    日が暮れた。

    静けさが
    周りを取り囲む。

    落ち着きが
    戻ってくる。

    鳥は
    もう寝ているのだろう。

    リスも寝床に
    はいっている。

    太陽に照らされて、
    あるいは風に吹かれて、

    舞い上がっていた空気が
    落ち着きを取り戻す。

    休息のなかで、
    知覚が鋭敏に働いて、

    遠くからも、深くからも、
    いろいろな動きが伝わってくる。

    それは喧騒のなかで
    見失いがちな周波数によるもの。

    静かになったときだけ
    気が付くもの。

    そこらじゅうの存在の原点の
    働き。

    ==
    月と交響曲

    夜半、
    月に照らされた、

    だれも知らない世界が
    現出する。

    そこでは、
    無の周波数に振動した、

    存在の
    不思議がある。

    そこでは
    いろいろなものが、

    判別できる
    ようでありながら、

    とても、そんなことをする
    意味はない。

    すべてはそのままで
    そのままだ。

    そこではすべてが
    なぞに包まれて、

    静かに
    じっとしている。

    それは、
    理屈を必要としない世界。

    言葉にならない
    世界。

    犯しては
    ならない世界。

    そっとほおって
    おかれるべき世界。

    知性の、
    思いも付かない世界だ。

    そおっと、
    そおっと、

    誰もいない
    誰もいない。

    すべては
    すべては、

    月の交響曲の
    流れに乗って、

    無の世界の
    不思議を踊る。



    ==




    男が旅にでる。
    そして旅から帰る。

    出る前と帰った後は、
    何が違うのだろう?

    そこには違うものと
    違わないものとがある。

    一つ一つの体験はいわば
    それぞれがミニカルチャーショック。

    それを抜けていく所に、
    生き生きの展開がある。

    そう、
    とどまらないのだ。

    抜けていくのだ。
    そして旅が続くのだ。

    疲れたら
    休めばよい。

    迷ったら
    何がどうなっているのかを知るのだ。

    そして原点を確認し、
    すべき事をする。

    そこに
    一つ一つの旅がある。

    一日一日、
    一分一分。

    こっちから
    あっち。

    そしてさらに
    先を進む。

    人生の
    たびは続く。

    宇宙の
    旅は続く。

    永遠の昔から、
    永遠の未来まで。

    永遠の今が
    展開する。

    ほら、
    ほら。

    ほら、
    ほら。

  • >>604

    色々な表現、行き方、進め方がある。例えば:

    喝!棒!ー>イタタ!あっ!
    見とれる、一体になる、ゾーンに入る。。。
    気付く、嬉しい、楽しい、涙、、
    内から爆発、見性、バンガ(ヴィパッサナ)
    悟る。
    Thy will be done!自ずからしかり!向こう岸(彼岸)に渡る。
    瞑想、座禅、息に集中、ヴィパッサナで体に何が起こっているか気づく、
    思考を止める、体を少し動かしてその時何が起こっているか気づく。身心一如。
    カラスの声が聞こえる(頭を使わずに何が起こっているかわかる)盤珪。
    感謝、祈り。ありがたい。ありがとう。
    ピカソ。芸術家。マスター。
    全機現。無意識の意識。
    鏡の心、
    大円鏡智、
    成所作智、
    平等性智、
    妙観察智
    戒定慧。
    ざっと言ってこれらの表現は、禅の境地、生き方・行き方、あるいは智恵、大智・大悲の現れ方を示していると納得できる。
    では、日常、、それでどうか、ということ。
    修証一等である。
    戒定慧一等、と言ってもいいのだろう。
    書くのはいいが、、、
    何しろ、食べなきゃ味はわからない。
    だから、、畢竟して何の用ぞ!
    本質に入り、そこから、、万法に証せらるるなり、、といくかどうか?
    どうだ?

  • 69歳になったのが今年の4月。
    今日は、少し暇なので、人生を振り返るという意味からも、あれこれ考える。

    最近、本の整理をしているのだが、今日は目の前にあった得手に帆をあげて、という本田宗一郎氏の本をパラパラめくってみた。
    やはり人生を苦労して生きてきた人の話は面白い。
    言葉に重みがあるというのだろうか。話が生き生きとしていて、何かがずんずん伝わってくる。

    そんなことで、ひょっと思ったのは、、一体どんな本が私に影響を与え、あるいは生きるうえでのインスピレーションあるいは支えとなったのだろうかということ。

    思い出すままにここに書いてみよう:

    トーマスエジソンの伝記ー小学4年の頃。
    宮沢賢治の雨にも負けず。ー若い頃だろうな。
    松下幸之助のいろいろな本ー仕事を始めてから。経営、人生についての洞察
    鈴木大拙のいろいろな本ー1981年以降。禅。
    中山正和さんの本ー禅、創造性。
    仕事・ビジネス関係の本、大野耐一さん、TQC、トヨタ方式、ドラッカー、エクセレントカンパニーなど(雑多)
    禅、仏教、宗教関係の本、ヴィッパサナなど(雑多)

    私の書いた本(これまで英語で三冊)は上の本にあるアイデアと、それに絡んだ体験が骨格となっているようにも思う。今、頭の整理、人生の整理、ということで(私なりのまとめの)本の構想を練っているのだが、これもまた上記のもの、あるいは人生の体験が元になっているようだ。

    年を取ってくると、これまでに培ってきた、いろいろな心のくせとどう智慧を使って対応するか、というのが時時刻々なすべきことと思える。

    最近ではAIなどにも興味があるのだが、禅、創造性、人間のあり方、生き方、宗教の面など、興味は尽きない。
    本を書きながら、これまで自分の生き方を反省し、これからの生き方について、深く洞察を進めて生きたいを思うのである。

  • インターネットは仮想の中の仮想空間のような 
    娑婆がおもしろいが
    現実には
    おふくろがいた  ちゃんちゃん 

    業縁 ひっぱられているよ  わらい

  • >>601

    そうですか、おふくろさん。。。
    お大事に。

    ーー

    ちなみに、二日ほど前、京都に行く予定の友達が、行かないかということになって、残り二人で、やめようかとおもったのだが、やはり行くことにした。

    「好奇心、冒険心、探究心、、、を失わず、、、、
    体はあるいは頭は多少衰えても、ハングリーで、、、
    なりふり構わず、ただ、現状はよくわきまえ、
    子供の、あるいは青春の心を失わず、、、、
    あるいは馬鹿になって、、
    というので、、いいんじゃないかと思います。

    いろいろな世間の波をかぶって、
    ここまでやってきたわけですから、、
    初心をわすれずに、、
    ということでやりましょう!」

    、、、といったぐあい。金沢にも行ってきます。

    ーー

    今後日本にも行く機会がかなり減るかもしれないですが、
    元気でな。

    それとネットですが、
    こいつで色々な発展もでてくるのだとおもってます。

    ひまになったら、ここにまた、あそびにきてください。

  • おーい
    おふくろが 痴呆で いまのところ手が放せない

    パーリー涅槃経 最後の説法
    真宗と**すべて信心の内容が見事合致していたぞ  かれらも  金剛の信心 不退転になっていた
    入滅直前のブッダが それだと・・



    それとな
    pipitさんによると
    初期仏教の預流果に似ているらしい

    pipitさん談
    真理か否かの確証は、自分で瞑想によって阿羅漢となり確かめることでしか得られないだろう。いずれにしても難儀な道だ。

    阿羅漢にならなくても、悟りの一番最初の預流果に悟れば、『疑い』がなくなり、この道が真理とわかるそうです。

    初期仏教では、預流果に悟ったとき、無くなる煩悩はたったの3つだけだそうです。


    ①有身見(我見)
    ②疑
    ③無意味なしきたりへのこだわり(戒禁取見)
    この、3つの苦しみが消えるとされてます。

    あとの煩悩、欲や怒りはまだまだ残ってるそうです。

    だって 


    なるほど該当していそうだし 面白いとおもった


     ははは


    三分でわかる聖書によると
    キリスト教とも 要は すべて合致していたよ
    現世の利益も 感覚的には 同じだった
    しかし 来世の天国にあり これが重要だと
    その他ポイントも すべて合致していたな

    信じる内容は違うが 精神性は似ているし


    インターネットはおもしろい

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  • >>598

    おーい

    元は元気でも、、(だから元気という)、、表面はボロがいろいろ。
    なかなか大船に乗る、というわけにはいかない。
    、、といっても、芯はやはり元気ということなのかなあ?? ははは

    ところで今度、日本に行くんだけど、、
    4月17日に東京から京都17−18日泊、その後金沢で19日に一泊そして東京にもどる予定。

    京都では大拙の秘書をしていた岡村さん(81歳)と会うとか
    昔からの知り合いの花園大学の教授(アメリカ人)と会うとか予定をたてているんだが
    この機会にあなたと会えるかなあ?

    ただ、あなたのメールや電話番号がみつからないのだが、
    どうやったら、コンタクトできるかな?
    (今はニュージーランドで15日に東京入りの予定)

    ちなみに私のメールは昔は、wonderfulworldof... verizon.net →今はつかえない。
    今は「xxxxxxco」@gmail.com にかわってます。

  • おーーい

    あいかわらず元気そーだなー  

    信心正因  これで おしまい  わらい

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  • 煩悩を断じずして涅槃を得る:煩悩即菩提:大円鏡智

    才市のいう:「わしが仏さんを拝むのは、この通りまったく鬼だ、と言うことを見てもら」おうと、「角のある肖像」を地元の日本画家・若林春暁に描いてもらう。。。。とウィキペディアにあるが、
    煩悩を断じずして涅槃を得る、という親鸞のことば、あるいは煩悩即菩提という境地をみているのであろう。

    これについてはウィキペディアにこうある:
    原始仏教においては、煩悩を滅することに主題がおかれ、それにより覚りが得られるとされていた[2][3]。
    しかし、時代を経て大乗仏教の概念が発展すると、すべての衆生は何かしら欲求を持って生活せざるを得ず、したがって煩悩を完全に滅することは不可能と考えられるようになった[2][3]。また煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれると考えられるようになった[2][3]。
    したがって、煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する[4][5]。これらのように、二つであって、しかも二つではないもののことを而二不二(ににふに)という[5]。これは維摩経に示される不二法門の一つでもある[6]。

    また、こういうのもある:
    大円鏡智は自然をありのままに映す(見る)ことです。
    平等性智はその自然の中に自分も溶け込む(一体化)ことです。
    妙観察智はその自然の動きを正しく観察することです。
    成所作智はその自然の動きに対応して正しく行動することです。

    もともとは唯識派の観念です。
    唯識では人間には八層からなる識があると考えられています。

    人間の表層の五感を司る眼耳鼻舌身と
    感情や思考を司る意を併せて六根といいます。
    その六根の次の七番目の識を末那識、更にその奥の八番目の識を阿頼耶識といいます。

    悟りを開くと、つまり仏になると、仏の智慧がその八つの識に反映されます。

    個性の源である阿頼耶識に大円鏡智があらわれ、
    煩悩の源である末那識に平等性智があらわれ、
    思考や感情の源である意識に妙観察智があらわれ、
    所作態度の源である五根に成所作智があらわれる、
    と考えられています。

    ーー

    なるほどね。

    あれこれと木の葉のように揉まれて生きる、、、なかで、これ、また、ありがたいことばですね。
    もちろんことばだけじゃあどうしようもないが。

    ははははは。
    グスッ。

  • 久しぶりに、ここにもどった。

    というのも、いろいろな縁ということだろう、68歳、記憶も薄れ始め、この辺で最後にもう一冊本をまとめて、、ということで、NZの家の壁にあたかも気ままにいろいろアイデアを貼りつけていけば、向こうの方から自己組織性がすすみ、本になるであろうなどと頭の整理をし始めたのだが、、、、不思議なことに、というか、当たり前なことに、、というか、、、先ほど、4智に行き着いた。

    というのも、その過程で大拙がでてきたり、中山さんが出てきたり、、いろいろお経の言葉が出てきたり、、、挙げ句の果てには、4智などは、大円境智と成所作智しかおもいだせなかったり、、という有様。

    これを機会に、また丁寧に、たんたんとことを進めたいと思う。
    例によって、いい加減であろうが、はて、どうなりますか。。。

    Thy will be done.

    般若、空、鏡の心、不生、ニサルガダッタ 久しぶりに、ここにもどった。  というのも、いろいろな縁ということだろう、68歳、記憶も薄れ始め、こ

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  • 気づいたら、その後6ヶ月もったっている。。。

    12月は中国のあとNZに4ヶ月ほどごろごろ、ヨット、ダイビング、などなど、のあとフランスで140人ほどのマネージャーを集めたオフサイトで、研修ということであれこれやらせたあと、2週間ほどの滞在のあとカリフォルニアに帰って、ピンポンやったりサーフィンなど、そして仕事もこれはネットをつかってできるようになったので、便利。。。とはいえ昼夜なくメールがはいってきたり、大変というときもあるが。。この会社の面倒もある程度軌道にのってきたというかんじ。

    NZとカリフォルニアで行き来しながら、かつ仕事であれこれ、、、68になって、まあ元気でやっているということか。ちなみに上述の研修では、あなたのあるいは組織の痛みはなにか?ということで、組織の問題点をいっしょに解きましょう、、という、、これは菩薩の境地にもちかい?ところをねらって、あれこれ、結構反応もあり、、今は会社のイントラネットをつかってブログのような形もとって、いろいろ面倒を見ようという風に進めています。

    みなさまお元気で!

    般若、空、鏡の心、不生、ニサルガダッタ 気づいたら、その後6ヶ月もったっている。。。  12月は中国のあとNZに4ヶ月ほどごろごろ、ヨット、

  • 久しぶりに日本に一週間ほど戻った。今は上海、このあと仕事を一週間ほどしてから、4ヶ月のぶらぶら、休養も含めNZの家へ向かう予定。

    上海は20−25年ぶりか。むかしは人が多いのと、その対応が共産主義的とでもいうのだろうか、なんだか嫌な感じをもったが、なんという変わりようか!飛行場にピックアップに来た人は日本に数年勉強に行ったという。一方妻はNZに勉強に、、、その人は今40人ほどのタクシー会社を経営している。息子はオランダに勉強にいかせたい、とかんがえている。オランダなどのゆったりとした、安定した、、かといって文化レベルの高い国がいい、ということらしい。ただ経済の発展が面白いということであろうか、今中国人はあまり外に出たがらないという。

    日本ではむかし高校に行った仲良しと温泉旅行、クラス会などをしたが、弟と墓参りもした。その彼によると、今退職して思うのは、仕事をしている時は仮面をかぶっていたといった感じで、今のありようがむかしの子供の頃とつながって、元に自分を取り戻したようだという。

    修禅寺にいったら、むかしあった吉野さんという人が住職をしていたので、しばしお話に花が咲いた。大拙のいた東慶寺、松ケ丘文庫などにもいき、大拙のお墓参りもしたが、あいにく京都の岡村美穂子さんとは時間が取れなくて会えなかった。むかしバンドをやって夏を過ごした伊豆の今井荘、これは天皇も泊まったというところであるが、むかしあったプールはなく、場所もすたれぎみで、ものがなしい感じがあったが、海、岩、砂浜はむかしどうり、、ただ記憶よりも砂浜は小さいということ、それとその砂浜の後ろにおおきなホテルがたって、むかしの面影は薄かった。

    湯河原で4泊、大川のそば、なつかしい伊豆の自然遊歩道をとおったり、天城を縦走したあとの道をたどったり、箱根の関所とか、仙石原のススキをみたり、真鶴ではなんとタヌキにであったり、友達の好きな金目鯛の煮付けをたべたり、、富士の眺めに関心したり、江ノ島、鎌倉などもとおって、むかしの記憶といかにも様子が違うので、目がくらくら、浦島さん、、、的とでもいおうか、道に迷ってなんとも目印になるものがない、、どうしたらいいのか、といった感じもあった。

    とにかくあれやこれやあったが、、仏教に四智というのがあるが、、どうもそれと即した雰囲気もあるような不思議な思いをしたものです。

  • ということで、、、、気がついたら67歳。
    この3ー4年ほどであろうか離婚後、色々と女性関係で遍歴があった後、、、、マルタというひとと一緒にサンタモニカで一緒に住むということになって2ヶ月以上。

    その前はNZで五ヶ月コロマンデルに買った家でゴロゴロ。あいかわらずダイビングをしていてサメと会ったり、ヨットで遊んだり、、、

    そんなことをしているうちに、昔からの友人で、M&Aなど色々やった友達がフランスベ-スの会社の社長になったので、その手伝いもあり、あれこれ旅行がまた忙しくなって、、、もうちょっとするとフランス、ロシア、ブラジル云々と、旅行が待っている。なるだけスカイプなどで用をたすという風にこころがけているのだが、、、なかなそうもいかず、まさに知恵をいかに出すかという雰囲気です。

    そんななかでふと開いたのが、故中山正和さんの書いた道元さんの安楽説法という本。中山さんとは長年日本に行くたびにお会いした懐かしいひと。パラパラと読むと、、、まあ、公案を解くというのにいて、、、有難い話が色々。

    まあ、ありがたいものです。

  • 以前書いたもの:
    ==
    、、、かたちのないとか、空とか、無心とか、無我とか、そういった"もの" が"わかる"と、体感されると、まあ、身心脱落となる、というわけだ。そしてそれが、安心、究極、自ずから然り、"知る"ということになる。

    で、それがそれでおわりというかというと、そうではない。なぜか?

    それは、人にはまよいのもとである、この、あたま、というものが、あれこれいわば、あたまのブラウン管に、あれこれを投影し、それを真実としんじて、われわれはいきる、というように我々が、できている、ということだ。

    ははははは。

    いや、ごくろうであった。
    ==
    とかいたが、なぜそうなるか、また、いかに対処すべきか、ということについてTolle氏の洞察がなかなかのものと、最近感心しています。これについてはフェースブックに少し書いていますが、いわば山に入って10+年ほど、その後娑婆に戻って3年ということで、ここにきていますが、いろいろ、またとことん、身にしみるところであります。

  • 、、ということで言ってみるなら娑婆の世界に出て3年以上、
    あれこれともまれ直して、また求心力がかかって、
    最近は エッカート、トールのflowering of human consciousnessなどが引き金になって、
    にほんごのHPや、掲示板にあれこれやっていた、、、、あのころの宗教心というのか、、、
    真摯な思いがこんこんとわきだしているのです。

    ありがたいことというか、、なんというか、、、
    これまた人生の深い反省の場が 待ちかまえていた、、ということかもしれません。
    もはや、あれこれかくということになるかどうかはわかりませんが、
    まさに動中の工夫。
    いよいよ本当の正念場かもしれません。

    ありがたいことであります。

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